アルとマティの Who Are You 第四話「もう気がついている人はいるとは思うけどあらすじは関係ない」
国の東の果て、大陸を中央と東部に隔てるダッハラト山脈の側に、ファレンゲーヘは存在する。
そしてファレンゲーヘから北へ、歩きで半日ほど進めばエルンデルストの村に着く。
山林の間の開けた空間にその村はあった。
村は小さく、家屋や納屋といった建物の数は三十にも満たず、人口も百に届くかどうか言ったところだろう。
川と山林に挟まれたその小さな村は、何の目的も無ければ立ち寄りすらしないに違いない。
だが、俺には重大な目的があった。
『うっわー狭い村ね・・・やっぱり帰らない、アル?』
俺の側を浮遊しながら言葉を連ねる、全身が白いこの幽霊少女のマティを見てもらうことだった。
俺がゾンビを操る死霊使いに襲われてから数日が経過していた。
本当なら、エルンデルストから来たという医者の後をすぐにでも追いたかったのだが、俺の身体は言うことを聞かず数日の療養に励むほか無かった。
そして療養中に、二つ分かったことがあった。
一つは、マティが一部の人間にも見えるようになった、ということ。
これは元々彼女が俺にしか見えないということから考えれば、大きな変化だった。
ファレンゲーヘにいる間も、マティに視線を向ける者を見かけるようになった。
おかげでイカサマ博打での路銀稼ぎが出来なくなったが、彼女本人は新鮮な気分だと喜んでいる。
そしてもう一つは、月の三賢人が本物だということだ。
ファレンゲーヘでもこれまでに聞いてきた噂はどれも聞くことが出来た。
それに加え、三賢人が現れたという数年前から、急に村が豊かになりつつあるという話まで聞いた。
なんでもこれまでは幾許かの作物と塩を、村人が町まで出てきて物々交換していく程度だったというのに、最近では作物の量が増えたどころか、上質な炭や小麦粉や陶器などを売るようになりつつあるという。
月の三賢人の噂話の真偽は量りかねるが、この事実だけでも彼らが並みの魔術師などではないことが分かる。
それだけに、マティや彼女の記憶をどうにかできるかもしれないという期待が膨らんでいく。
「しかし・・・これじゃあ村に井戸を掘ったのも分かるな・・・」
村の入り口も兼ねた橋を渡りながら、俺はその下を流れる川の水を見下ろしつつ言う。
川の水は泥と藻によって濁っており、飲むのは出来れば遠慮したかった。
『それじゃあ早速、偵察・・・』
「するな」
村に入るなり宙に浮かび、どこかに飛んで行こうとしたマティを制止する。
「今回はお前の記憶をどうにかする、というよりお前自体を見てもらうためにここに来てるんだ。当の本人がどっか行ってどうする」
『ちぇー』
つまらなさそうな様子を隠しもせず、彼女は唇を尖らせた。
俺は視線を村の中央に向けると、ざっと一瞥した。
村は教会前の広場を中心に円状に広がっており、広場の一角に雨除けの付いた立派な井戸がある。
村を行き交う人々も、来客になれているのか俺に一瞥をくれると、特に何の感慨もなさそうに視線を外していった。
「あー、すまん」
俺は井戸に歩み寄り、水を桶に汲んでいる老婆に話し掛けた。
老婆は手を休めて俺に顔を向けると、上から下まで目を走らせてから応えた。
「何か御用ですか?旅人さん」
「あぁ。月の三賢人、という人物がこの村に住んでいると聞いたんだが・・・」
「賢人さんに御用ですか」
ほうほう、といった様子で頷きながら、彼女は言った。
どうやらこの村では賢人さん、と呼ばれているらしい。
「確か・・・今日は水車小屋の調整をなさる、とか仰ってましたね」
顎に手を添え、眉間に皺を寄せながら老婆は答えてくれた。
「水車小屋か」
「ええ、橋から川の上流の方に少し行った所にあります」
「助かった。ありがとう」
俺の礼に彼女は微笑みながら一礼すると、再び水汲みを再開した。
俺は踵を返し、村の入り口である橋の方へ向かっていった。
『さっきのお婆さん、私のこと見えてなかったみたいね』
井戸の方に顔を向けながら、マティが話し掛けた。
「あぁ、多分この村には見える人があまりいないんじゃないかな」
村人の、見知らぬ人を見るかすかな視線を受けながら、俺は声を低くして応える。
マティの姿が見えていたなら見えていたで大変だが、見えていないのなら彼女がいないように振舞わねば病気とみなされてしまうからだ。
物心付いてから次第に身につけた技術と、もうすぐお別れかと思うと感無量だ。
やがて俺たちは先程渡った橋に戻り、老婆の言葉通り川の上流目指して歩いていった。
「あれだな」
湾曲した川の流れの向こうに、立派な水車を備えた小屋が見えた。
と、同時に俺の耳を幾つもの声が打った。
「わぁぁぁ!」
「はっはっはっ、早く逃げんと巻き込むぞ〜」
「わーわー!」
「七年で二倍だぞぉ!十四年で四倍だ!」
「あはははは!」
「ははは!真正面に来てみろ!目が回るぞ」
子供の悲鳴と歓声と笑い声と、時折それに混ざる男の声。
それは俺が小屋の側にたどり着き、その陰に回るても続いていた。
小屋の反対側には、数人の子供達を前に一列に並んだ四十前後ほどの男三人と、二人の子供がいた。
五人は腰を低く落として構え、前の者が頭を動かすのを追う様に、ぐるぐると顔面で円を描いていた。
「はっはっはっ!ジョシュアも捕まったぞ!」
列の前で歓声を上げる子供達に、列の真ん中の男が声を上げる。
「次は誰か・・・な・・・」
彼の目が俺の姿を捉えた瞬間、その声は尻すぼみになり消えた。
突然の沈黙に、その場にいた子供達の視線が自然と彼に集まる。
「・・・・・・・・・あー・・・・・・」
しばしの沈黙の後、その男は口を開いた。
「君が来るのを待っていた・・・アルベルト・ラストス君と、マティアータ君」
ファレンゲーヘで俺を診察したジパング系の男は、重々しい声でそう言ったが、そこには何の威厳も無かった。
三人の男は子供達と別れた後村はずれ、森との境にある小屋に俺を案内した。
その小屋は村の中でも一際小さいものだったが、真新しく比較的しっかりした造りになっていた。
「座るといい」
俺を小屋に入れると、男は中に置かれたテーブルと椅子を指し示した。
言われるがままそこに座ると、マティは俺の傍らに空間に腰を下ろした。
そして三人もテーブルを囲むように腰を下ろす。
「さて・・・家具の修理から農地改革まで、エルンデルストなんでも相談所へようこそ。まずは自己紹介からだな。私はヨーガン」
正面に座った、俺を診察した男が名乗る。
「そしてこっちがソクセンで、こいつがズイチューだ」
「よろしく」
左右の二人をそれぞれ指し示しながらヨーガンが紹介すると、右の男が軽く応じた。
三人とも平坦な顔立ちをしているから、ジパングの出身かその方面の血が流れているのだろう
「それで、何の用だ?わざわざ来たってことは、ただ会いにきたって訳じゃねえんだろ」
向かって左に座る男、ソクセンが問いかける。
「ソクセン、そう噛み付くことは無いだろう」
ソクセンの言葉に、ズイチューは嗜めるような口調で言った。
「まあ、ソクセンはああいう男なのだ。許してやってくれ」
「はぁ・・・」
「それで、君は?」
「ああ、俺はアルベルト・ラストスっていう者です」
ズイチューの問い掛けに、俺は名乗った。
『私はマティアータ。本名は知らない』
珍しいことにここまで無言だったマティが、ようやく口を開いた。
「用件はおおむね理解している。その幽霊のお嬢さんのことだろう?確か・・・記憶の復元と除霊だったか」
「はい」
ヨーガンの言葉に、俺は頷く。
「じゃあ、簡単にこれまでの流れを教えてくれるかな?」
「ええと、マティとは俺が物心ついた頃からの付き合いでした」
ズイチューの問いに、俺はこれまでのことを思い返しながら続けた。
「子供の頃でもコイツがゴーストで、俺以外の人間には見えないのが分かったんです。でも、なぜ俺に取り付いているのかがわからないんです」
子供の頃からの疑問に、俺は軽く溜息をつく。
「何度も問いかけてはみましたけれど、どうやら生きてた頃の記憶が無いらしくて、名前すら覚えていないんです。
マティアータ、って名前も俺が付けてやったものだし・・・。
それで、何年か前からコイツが何か思い出せるよう、方々の町やらを旅して回っているんですが・・・」
『思い出せるものは無く、手がかりはなし』
マティはそう続けると、手を広げて首を振った。
「それで彼女を天に還そうにも、原因が分からないんで・・・」
「なるほどね・・・」
無言で俺の話を聞いていたズイチューが、そう短く言った。
「難しいね」
「難しいな」
「ああ、難しい」
三人が、互いに確認するように口を開く。
「少しだけでも思い出せることがあれば、手がかりになるんだけどね・・・」
「何も思い出せないんだろう?」
「ああ、はい」
ヨーガンの確認の言葉に頷いてみせる。
「お前に・・・兄弟姉妹はいるか?」
「いえ、父親は俺が生まれる前に死んで、母親も俺を産んでから死にました」
ソクセンの問いに答えると、彼は一瞬しまった、という表情を浮かべた。
「そうか・・・それはスマンな」
「とにかく、兄弟姉妹はいないんだね」
ソクセンの言葉を押し流すように、ズイチューが言葉を繋ぐ。
「はい。俺を育ててくれた神父さんから何度か話は聞いたけど、両親に俺以外の子はいなかったらしいです」
「ということは・・・死んだ兄弟の線も無いか・・・」
ヨーガンがぶつぶつと何事かを呟いた。
そのまま三人はテーブルの上で額をつき合わせると、ぶつぶつと相談を始めた。
「とりあえず・・・・・・・・・だろう・・・」
「だけど・・・・・・だから、・・・・・・も・・・」
「しかし・・・じゃねえの?・・・・・・の線もあるけど」
『・・・・・・なーに話してんのかしら・・・』
ぼそぼそと相談をする三人に聞こえぬ程度の声量で、マティが囁いた。
「さあ・・・まあ、確実にお前のことなんだろうがな」
マティと過ごすうちに身に着けた、ぎりぎり彼女にだけ聞こえる程度の声で俺は応える。
「記憶・・・戻るといいな」
『・・・うん・・・』
三人は俺たちを置き去りにして相談を続けていた。
「・・・じゃあ、そういうことで」
「ああ」
「その辺りだろうな・・・ラストス君」
しばしの間を置いて、三人は何らかの合意に至ったらしく、ヨーガンが顔を上げた。
「マティアータ君の正体が」
『ええ!?』
いきなりの展開に、俺とマティは声を上げた。
「何だよ、突然大声出しやがって・・・」
「いや、普通記憶を取り戻したりする方法を提案するとか、その辺からだろ!?」
「そんな面倒臭いやり方は私は嫌いだ」
「それにねー、早期発見即解決ってのが僕達の主義だし」
「まあ、お前らもいきなり大陸の西の果てや砂漠の真ん中に行け、って言われるよりかはましだろ?」
三者三様の言葉で、彼らは自身の正しさを主張して見せた。
『うーん、でもこう、雰囲気とかその辺が・・・』
「いいんだマティ・・・大人しく聞こう・・・」
これから繰り広げるはずだった大冒険やら、乗り越えるはずだった困難の数々に別れを告げながら、俺はマティを制した。
「それでは・・・言うぞ・・・・・・マティアータ君は・・・」
勿体つけるように間を置いて、ヨーガンは続けた。
「君の、お母さんだ」
「・・・・・・はぁ・・・?」
突拍子も無い言葉に、俺の口から間抜けな声が漏れる。
「恐らく君の母親は、君の出産と同時に死んでしまったことを無念に思っていたのだろう」
「そしてその想いが、君を見守るためにゴーストとしてこの世に留まらせ続けてるんだろうね」
「まったく・・・いい話じゃねえか・・・」
「いやいやいや!ちょと待て!」
椅子から立ち上がりながら、俺は声を上げた。
「コイツが俺の母さんな訳無いだろ!?そもそも年齢からして違うし!それに何で何も覚えてないんだよ!?」
「その辺は・・・ほら、息子に友達がいなかったらどうしよう、という母心の賜物じゃない?」
「記憶を失っていたのは、この世にゴーストとして留まるための代償だったんじゃねーの?」
ズイチューとソクセンが、適当なことを言う。
「さあ、これで親子の対面ということだ・・・母さん、って呼んでやりなさい、ラストス君」
「いや、だからコイツが母さんなわけないって・・・」
『アル・・・ごめんね、お母さんらしくなくて・・・』
「お前も何乗っかってるんだよ!」
目を潤ませながら言うマティに、俺は怒鳴りつけた。
「うーむ・・・そこまで自分の母親ということを否定するとは・・・」
「何か原因があるんじゃね?」
「例えば・・・魔王の影響でエロくなった彼女を自分の身体で慰めてあげたとか?」
『それだ!』
ズイチューの言葉に、残る二人が声を上げる。
「ゴーストとしてこの世に留まるものの、魔王の力によって欲情する身体。既に肉体は朽ちており、この火照りも幻想だと分かっていながらも燃え上がる身体を抑えることは出来ない!」
「その火照りを治めるため、彼女は自身の息子に近づいていく。しかし二人は互いに母子である事を知らず、いつの間にやら禁忌を犯していたのであった!」
「母子相姦に若返りに記憶喪失!?属性重ねすぎだよ、君ぃ!」
『いや〜言わないでぇ!恥ずかしいぃぃ!』
「黙れお前ら!!」
突然興奮し始めた三人と一体に向けて、俺は怒鳴った。
「いいか、こいつが母さんじゃないという確たる証拠が俺にはあるんだ・・・」
『そんな・・・母さんって呼んでくれないの・・・アル・・・?』
「ちょっと黙ってろ、マティ」
俺は呼吸を整えると、言葉を続けた。
「俺も両親のことぐらい気になるからな。オレを育ててくれた神父さんに何度か聞いたんだよ。『どんな人だった』って。
そしたら神父さんが言うには、母さんは子供の頃から目元にほくろがあって、それはそれは美人だったって言うんだよ」
「美人だな」
「美人だよね?」
「美人じゃねえか」
『アル、アンタ今の母さんが美人じゃないって言いたいの!?』
「いや、お前ら俺の話聞いてたか!?ほくろが無いだろ!」
俺の言葉に、どうしても母親説に持ち込みたい三人は、じっとマティの顔を見つめた。
「・・・無いな」
「だろ?だからマティは俺の母親じゃ・・・」
「ということは父親かぁ」
「レベル高ぇな・・・素人とは思えん・・・」
「がぁぁぁぁぁ!!」
俺は頭を抱えながら絶叫した。
『うるさいぞアルベルト。男子がそうそう大声を上げるなんて、父さん感心しないぞ』
「お前もちょっとは否定ぐらいしろ!」
もはや敵に回ってしまったマティに向けて、おっれは怒鳴りつけていた。
「まあ、冗談はこのくらいにしておこう」
「冗談だったのかよ・・・」
「父親の辺りからだけどね」
「おい!?」
「落ち着け」
いい加減暴れたくなってきた俺を諌め、落ち着かせるように間を置くと、ヨーガンは続けた。
「とにかく、我々の見解ではマティアータ君は母親ではないか、と思っていたんだ。だが、君は違うという」
「だとすると、先に亡くなったお姉さんとかの可能性が出てくるんだけど、君の話によるとそれもなさそうだしね」
「と、言うわけで今の俺たちにはそいつの正体はわかんねえ、ってこった」
「そうなのか・・・・・・」
まさにお手上げ、といった様子で言葉を連ねる三人の姿に、俺の心中にあったわずかばかりの期待が音を立てて萎んでいった。
数年間手がかりを求めてあちこちを彷徨い、数ヶ月前にようやく知った一筋の可能性。
その可能性が、たった今潰えたのだ。
「記憶の復元は無理だったけど、除霊だけしておこうか」
「ああ」
「そうだな」
「ちょっと待て!除霊できるのかよ!?」
椅子から立ち上がり、何か用意を始めようとした三人に向けて俺は突っ込んだ。
「何を言ってる」
「相手の事情も聞かずに面倒ごとを解決、なんて中央教会でもしてるじゃない」
「俺たちにだって出来るぜ」
どうということも無いような様子で、彼らは言った。
「もしかして、俺たちじゃ不安だって言いたいのか?」
少々不機嫌そうな表情を、ソクセンが浮かべる。
「大丈夫、この辺りの除霊方法は村の神父さんから聞いたから、安心してよ」
「それに、私達の地元のやり方もいくつかあるからな。まさに万全の体制だ」
「さあ掛かって来い悪霊め!俺たちが相手だ!」
『しゃー!!』
「だからお前はこいつらの相手をするな!」
互いに威嚇のようなポーズを取り合う三人とマティの間に割ってはいる。
「ん?しなくていいのか、除霊」
「いや、して欲しいのは山々なんだけど・・・俺としては、コイツの正体がはっきりしてからの方がすっきりするから・・・」
俺の言葉に、三人はあからさまに不満そうな表情を浮かべた。
「えー?折角異界の神を讃える聖句まであるのに?」
「この世とあの世の理を示した経典も暗記してるぜ」
「だーかーらー、記憶が戻ってからでいいんだよ!」
構えを解かない三人に、俺はそう言ってやった。
『いいのよ、アル』
不意に、マティが俺を遮った。
『私、別に記憶なんて戻らなくていいわ・・・』
「マティ・・・!?」
『考えてみれば、いつもアルには私のために頑張ってもらってたわね・・・』
視線を虚空に向け、何かを思い出すように彼女は遠い目をした。
『ずっと一緒にいてくれて・・・私の記憶を取り戻す手がかりを探して・・・あっちこっち旅して・・・』
マティは言葉を切ると、俺に顔を向けた。
『・・・本当に、ありがとう・・・』
俺に向けられた笑顔は、感謝の念に満ちた、寂しげなものだった。
『でも、それも今日でおしまい・・・』
目元に浮かんだ涙を、何気なく拭いながら、彼女は顔を正面に向ける。
そしてその先にいる、三人を見据えながら続けた。
『三賢人の攻撃を全て受けて、私を天に還すことなど不可能だと証明してやるわ・・・』
「ふん、言ったな小娘・・・」
「いいぜ・・・俺たちが相手だ・・・」
「せいぜい後悔しないで下さいよ・・・」
『死霊使いにもどうにも出来なかった私に向かってくるとは・・・人間って愚かね・・・』
鏡映しのように左右対称の構えを取るズイチューとソクセン。
そして両手を広げるヨーガンの正面で、マティは己の足を煙と化し、宙に浮いた。
一瞬の沈黙を挟んで、三人と一体の口が同時に開く。
「「「『勝負だっ!!』」」」
「だっがぁぁぁぁぁぁぁ!!」
遅れて響いた俺の絶叫が、小さな小屋の中に轟いた。
「まあ、正直に言うと記憶を取り戻す方法は本当に思いつかない」
俺が絶叫しながらテーブルをひっくり返し、その片付けと村人への説明を済ませた後、ヨーガンはそう説明した。
「親類縁者の線から辿ることが出来ない以上、今のお前に出来ることは何も無い、ということだ」
「そんな・・・」
この数年の旅が無駄だったという現実を突きつけられ、俺は改めて意識が沈んでいくのを感じた。
「だけど、彼女の招待を探る方法はあるんだよね」
『本当!?』
意気消沈していた俺に代わり、マティが声を上げた。
「さっきの話によると、マティちゃんは死霊使いの干渉受けたことがあるんだよね?」
『はい、この間私の支配下に入れって、なんか呪文唱えて・・・』
俺がおぼろげにしか覚えていないことを思い出しながら、彼女は応えた。
「ということは、彼女は死霊ではない、ということだ」
「・・・・・・えぇ?」
ヨーガンの導き出した結論に、俺は呆けた声を漏らした。
「死霊を扱える死霊使いがどうにも出来なかったんだ。簡単な話だろ?」
さも当然、といった様子でソクセンが言葉を継ぐ。
『ってことは・・・私は精霊?』
「そうとは限らん」
マティの提示した流石にそれは無いという可能性を、ヨーガンは否定する。
「我々の故郷では生霊といって、生きている人間から魂だけが抜け出したものもいる。恐らくマティアータ君の場合は、どこかに眠ったままの体があるのかもしれない」
「つまり、その体を見つければ・・・」
「ああ、魂を肉体に還すことが出来るかもしれない」
俺の言葉に、彼は頷いた。
「よし!つまりここ十何年か眠ったままの女を探せばいいんだな!?」
俺は立ち上がりながら今後について思いをめぐらせた。
ここ十何年か眠ったままの女を世話するには、それなりの財力などが必要だ。
だとすれば各国の貴族や王族、豪商など財力に余裕のある連中を洗っていけばいい。
「まあ待て」
今にも飛び出さんばかりの勢いの俺を、ヨーガンは制止した。
「仮に探して見つかったとして、お前はどうするんだ?」
「『お宅のお嬢さんの魂を見つけました』とか言って会わせてもらうか?」
「確実に無理だよね」
俺の算段を見透かした上で、三人はその欠点を指摘して見せた。
そこまで言われるとへこむ。
俺は椅子に腰を下ろした。
「しかし方法はある」
落ち込む俺を見かねたのか最初からそのつもりだったのか、彼らは助け舟を出した。
「この村に住み、ファレンゲーヘを中心にしばらく過ごせ」
「後は僕たちに任せておくんだね」
「え?でも、どうやって・・・」
『そーよ、こんな東の辺境じゃ情報も何もありゃしないわよ』
「違うんだな、それが」
俺たちの言葉に、ソクセンは笑みを浮かべた。
「ファレンゲーヘはこれから数年のうちに爆発的に発展する」
「数年かけて僕たちが蒔いた種が発芽するんだよ」
「そうなりゃ自然と情報も人も集まるようになってくる」
「しかし、いざという事態に備えておいて損は無い」
ヨーガンは立ち上がると手を伸ばし、俺の肩に乗せた。
「君はエルンデルストに住み、我々の依頼をこなすんだ。そうすれば、マティアータ君の本体や正体についての情報収集を行うと約束しよう」
そしてそのまま、彼は俺の目を見ながら続けた。
「どうかな?」
ジパング系の彼の黒い瞳に、俺の姿が映っている。
「・・・・・・」
俺は無言で考えていた。
恐らく、彼らの言う通りにすればいずれマティの情報も集まってくるようになるのだろう。
だが、それまでの間連中にいいようにこき使われるのは目に見えている。
だが、彼らの申し出はとても魅力的だった。
「・・・・・・」
『・・・・・・』
視線をそらすと、俺を見つめるマティの姿が目に入った。
あと数年我慢するだけで、この幽霊少女の謎が解ける。
彼女が誰で、なぜ俺に取り付いているのか。
物心ついてからの疑問が解けるのだ。
「・・・分かった、乗ろう」
「交渉成立だな」
ヨーガンは薄く笑みを浮かべると、手を差し出して握手を求めた。
俺はそれに無言で応じる。
「さて、じゃあいろいろ準備をしましょうか」
「まずは村長の所に挨拶で、今夜はここに泊まる。家を探すのは明日だな」
「マティ君は退屈かもしれんが待っていてくれ」
『えー!?』
「村人に見られたときの説明が面倒だからな」
彼らは口々に話しながら立ち上がると、俺のほうへ向かってきた。
そしてソクセンとズイチューが左右から俺を挟みこんで腕を取った。
「な、何だよ!放せ!逃げやしないよ!」
兵か何かに引っ立てられるような姿勢を取らされ、おれは抗議の声を上げる。
だが、二人は腕を緩める様子も無かった
「すまんな。最初にやっておきたいことがあるからな、こうさせてもらう」
ヨーガンはそう言うと、小屋の扉に手を伸ばすと、一気に開いた。
「それでは、アルベルト・ラストス君にマティアータ君」
ドアの向こうの村の景色を背に、彼は続けた。
「エルンデルストへようこそ」
そしてファレンゲーヘから北へ、歩きで半日ほど進めばエルンデルストの村に着く。
山林の間の開けた空間にその村はあった。
村は小さく、家屋や納屋といった建物の数は三十にも満たず、人口も百に届くかどうか言ったところだろう。
川と山林に挟まれたその小さな村は、何の目的も無ければ立ち寄りすらしないに違いない。
だが、俺には重大な目的があった。
『うっわー狭い村ね・・・やっぱり帰らない、アル?』
俺の側を浮遊しながら言葉を連ねる、全身が白いこの幽霊少女のマティを見てもらうことだった。
俺がゾンビを操る死霊使いに襲われてから数日が経過していた。
本当なら、エルンデルストから来たという医者の後をすぐにでも追いたかったのだが、俺の身体は言うことを聞かず数日の療養に励むほか無かった。
そして療養中に、二つ分かったことがあった。
一つは、マティが一部の人間にも見えるようになった、ということ。
これは元々彼女が俺にしか見えないということから考えれば、大きな変化だった。
ファレンゲーヘにいる間も、マティに視線を向ける者を見かけるようになった。
おかげでイカサマ博打での路銀稼ぎが出来なくなったが、彼女本人は新鮮な気分だと喜んでいる。
そしてもう一つは、月の三賢人が本物だということだ。
ファレンゲーヘでもこれまでに聞いてきた噂はどれも聞くことが出来た。
それに加え、三賢人が現れたという数年前から、急に村が豊かになりつつあるという話まで聞いた。
なんでもこれまでは幾許かの作物と塩を、村人が町まで出てきて物々交換していく程度だったというのに、最近では作物の量が増えたどころか、上質な炭や小麦粉や陶器などを売るようになりつつあるという。
月の三賢人の噂話の真偽は量りかねるが、この事実だけでも彼らが並みの魔術師などではないことが分かる。
それだけに、マティや彼女の記憶をどうにかできるかもしれないという期待が膨らんでいく。
「しかし・・・これじゃあ村に井戸を掘ったのも分かるな・・・」
村の入り口も兼ねた橋を渡りながら、俺はその下を流れる川の水を見下ろしつつ言う。
川の水は泥と藻によって濁っており、飲むのは出来れば遠慮したかった。
『それじゃあ早速、偵察・・・』
「するな」
村に入るなり宙に浮かび、どこかに飛んで行こうとしたマティを制止する。
「今回はお前の記憶をどうにかする、というよりお前自体を見てもらうためにここに来てるんだ。当の本人がどっか行ってどうする」
『ちぇー』
つまらなさそうな様子を隠しもせず、彼女は唇を尖らせた。
俺は視線を村の中央に向けると、ざっと一瞥した。
村は教会前の広場を中心に円状に広がっており、広場の一角に雨除けの付いた立派な井戸がある。
村を行き交う人々も、来客になれているのか俺に一瞥をくれると、特に何の感慨もなさそうに視線を外していった。
「あー、すまん」
俺は井戸に歩み寄り、水を桶に汲んでいる老婆に話し掛けた。
老婆は手を休めて俺に顔を向けると、上から下まで目を走らせてから応えた。
「何か御用ですか?旅人さん」
「あぁ。月の三賢人、という人物がこの村に住んでいると聞いたんだが・・・」
「賢人さんに御用ですか」
ほうほう、といった様子で頷きながら、彼女は言った。
どうやらこの村では賢人さん、と呼ばれているらしい。
「確か・・・今日は水車小屋の調整をなさる、とか仰ってましたね」
顎に手を添え、眉間に皺を寄せながら老婆は答えてくれた。
「水車小屋か」
「ええ、橋から川の上流の方に少し行った所にあります」
「助かった。ありがとう」
俺の礼に彼女は微笑みながら一礼すると、再び水汲みを再開した。
俺は踵を返し、村の入り口である橋の方へ向かっていった。
『さっきのお婆さん、私のこと見えてなかったみたいね』
井戸の方に顔を向けながら、マティが話し掛けた。
「あぁ、多分この村には見える人があまりいないんじゃないかな」
村人の、見知らぬ人を見るかすかな視線を受けながら、俺は声を低くして応える。
マティの姿が見えていたなら見えていたで大変だが、見えていないのなら彼女がいないように振舞わねば病気とみなされてしまうからだ。
物心付いてから次第に身につけた技術と、もうすぐお別れかと思うと感無量だ。
やがて俺たちは先程渡った橋に戻り、老婆の言葉通り川の上流目指して歩いていった。
「あれだな」
湾曲した川の流れの向こうに、立派な水車を備えた小屋が見えた。
と、同時に俺の耳を幾つもの声が打った。
「わぁぁぁ!」
「はっはっはっ、早く逃げんと巻き込むぞ〜」
「わーわー!」
「七年で二倍だぞぉ!十四年で四倍だ!」
「あはははは!」
「ははは!真正面に来てみろ!目が回るぞ」
子供の悲鳴と歓声と笑い声と、時折それに混ざる男の声。
それは俺が小屋の側にたどり着き、その陰に回るても続いていた。
小屋の反対側には、数人の子供達を前に一列に並んだ四十前後ほどの男三人と、二人の子供がいた。
五人は腰を低く落として構え、前の者が頭を動かすのを追う様に、ぐるぐると顔面で円を描いていた。
「はっはっはっ!ジョシュアも捕まったぞ!」
列の前で歓声を上げる子供達に、列の真ん中の男が声を上げる。
「次は誰か・・・な・・・」
彼の目が俺の姿を捉えた瞬間、その声は尻すぼみになり消えた。
突然の沈黙に、その場にいた子供達の視線が自然と彼に集まる。
「・・・・・・・・・あー・・・・・・」
しばしの沈黙の後、その男は口を開いた。
「君が来るのを待っていた・・・アルベルト・ラストス君と、マティアータ君」
ファレンゲーヘで俺を診察したジパング系の男は、重々しい声でそう言ったが、そこには何の威厳も無かった。
三人の男は子供達と別れた後村はずれ、森との境にある小屋に俺を案内した。
その小屋は村の中でも一際小さいものだったが、真新しく比較的しっかりした造りになっていた。
「座るといい」
俺を小屋に入れると、男は中に置かれたテーブルと椅子を指し示した。
言われるがままそこに座ると、マティは俺の傍らに空間に腰を下ろした。
そして三人もテーブルを囲むように腰を下ろす。
「さて・・・家具の修理から農地改革まで、エルンデルストなんでも相談所へようこそ。まずは自己紹介からだな。私はヨーガン」
正面に座った、俺を診察した男が名乗る。
「そしてこっちがソクセンで、こいつがズイチューだ」
「よろしく」
左右の二人をそれぞれ指し示しながらヨーガンが紹介すると、右の男が軽く応じた。
三人とも平坦な顔立ちをしているから、ジパングの出身かその方面の血が流れているのだろう
「それで、何の用だ?わざわざ来たってことは、ただ会いにきたって訳じゃねえんだろ」
向かって左に座る男、ソクセンが問いかける。
「ソクセン、そう噛み付くことは無いだろう」
ソクセンの言葉に、ズイチューは嗜めるような口調で言った。
「まあ、ソクセンはああいう男なのだ。許してやってくれ」
「はぁ・・・」
「それで、君は?」
「ああ、俺はアルベルト・ラストスっていう者です」
ズイチューの問い掛けに、俺は名乗った。
『私はマティアータ。本名は知らない』
珍しいことにここまで無言だったマティが、ようやく口を開いた。
「用件はおおむね理解している。その幽霊のお嬢さんのことだろう?確か・・・記憶の復元と除霊だったか」
「はい」
ヨーガンの言葉に、俺は頷く。
「じゃあ、簡単にこれまでの流れを教えてくれるかな?」
「ええと、マティとは俺が物心ついた頃からの付き合いでした」
ズイチューの問いに、俺はこれまでのことを思い返しながら続けた。
「子供の頃でもコイツがゴーストで、俺以外の人間には見えないのが分かったんです。でも、なぜ俺に取り付いているのかがわからないんです」
子供の頃からの疑問に、俺は軽く溜息をつく。
「何度も問いかけてはみましたけれど、どうやら生きてた頃の記憶が無いらしくて、名前すら覚えていないんです。
マティアータ、って名前も俺が付けてやったものだし・・・。
それで、何年か前からコイツが何か思い出せるよう、方々の町やらを旅して回っているんですが・・・」
『思い出せるものは無く、手がかりはなし』
マティはそう続けると、手を広げて首を振った。
「それで彼女を天に還そうにも、原因が分からないんで・・・」
「なるほどね・・・」
無言で俺の話を聞いていたズイチューが、そう短く言った。
「難しいね」
「難しいな」
「ああ、難しい」
三人が、互いに確認するように口を開く。
「少しだけでも思い出せることがあれば、手がかりになるんだけどね・・・」
「何も思い出せないんだろう?」
「ああ、はい」
ヨーガンの確認の言葉に頷いてみせる。
「お前に・・・兄弟姉妹はいるか?」
「いえ、父親は俺が生まれる前に死んで、母親も俺を産んでから死にました」
ソクセンの問いに答えると、彼は一瞬しまった、という表情を浮かべた。
「そうか・・・それはスマンな」
「とにかく、兄弟姉妹はいないんだね」
ソクセンの言葉を押し流すように、ズイチューが言葉を繋ぐ。
「はい。俺を育ててくれた神父さんから何度か話は聞いたけど、両親に俺以外の子はいなかったらしいです」
「ということは・・・死んだ兄弟の線も無いか・・・」
ヨーガンがぶつぶつと何事かを呟いた。
そのまま三人はテーブルの上で額をつき合わせると、ぶつぶつと相談を始めた。
「とりあえず・・・・・・・・・だろう・・・」
「だけど・・・・・・だから、・・・・・・も・・・」
「しかし・・・じゃねえの?・・・・・・の線もあるけど」
『・・・・・・なーに話してんのかしら・・・』
ぼそぼそと相談をする三人に聞こえぬ程度の声量で、マティが囁いた。
「さあ・・・まあ、確実にお前のことなんだろうがな」
マティと過ごすうちに身に着けた、ぎりぎり彼女にだけ聞こえる程度の声で俺は応える。
「記憶・・・戻るといいな」
『・・・うん・・・』
三人は俺たちを置き去りにして相談を続けていた。
「・・・じゃあ、そういうことで」
「ああ」
「その辺りだろうな・・・ラストス君」
しばしの間を置いて、三人は何らかの合意に至ったらしく、ヨーガンが顔を上げた。
「マティアータ君の正体が」
『ええ!?』
いきなりの展開に、俺とマティは声を上げた。
「何だよ、突然大声出しやがって・・・」
「いや、普通記憶を取り戻したりする方法を提案するとか、その辺からだろ!?」
「そんな面倒臭いやり方は私は嫌いだ」
「それにねー、早期発見即解決ってのが僕達の主義だし」
「まあ、お前らもいきなり大陸の西の果てや砂漠の真ん中に行け、って言われるよりかはましだろ?」
三者三様の言葉で、彼らは自身の正しさを主張して見せた。
『うーん、でもこう、雰囲気とかその辺が・・・』
「いいんだマティ・・・大人しく聞こう・・・」
これから繰り広げるはずだった大冒険やら、乗り越えるはずだった困難の数々に別れを告げながら、俺はマティを制した。
「それでは・・・言うぞ・・・・・・マティアータ君は・・・」
勿体つけるように間を置いて、ヨーガンは続けた。
「君の、お母さんだ」
「・・・・・・はぁ・・・?」
突拍子も無い言葉に、俺の口から間抜けな声が漏れる。
「恐らく君の母親は、君の出産と同時に死んでしまったことを無念に思っていたのだろう」
「そしてその想いが、君を見守るためにゴーストとしてこの世に留まらせ続けてるんだろうね」
「まったく・・・いい話じゃねえか・・・」
「いやいやいや!ちょと待て!」
椅子から立ち上がりながら、俺は声を上げた。
「コイツが俺の母さんな訳無いだろ!?そもそも年齢からして違うし!それに何で何も覚えてないんだよ!?」
「その辺は・・・ほら、息子に友達がいなかったらどうしよう、という母心の賜物じゃない?」
「記憶を失っていたのは、この世にゴーストとして留まるための代償だったんじゃねーの?」
ズイチューとソクセンが、適当なことを言う。
「さあ、これで親子の対面ということだ・・・母さん、って呼んでやりなさい、ラストス君」
「いや、だからコイツが母さんなわけないって・・・」
『アル・・・ごめんね、お母さんらしくなくて・・・』
「お前も何乗っかってるんだよ!」
目を潤ませながら言うマティに、俺は怒鳴りつけた。
「うーむ・・・そこまで自分の母親ということを否定するとは・・・」
「何か原因があるんじゃね?」
「例えば・・・魔王の影響でエロくなった彼女を自分の身体で慰めてあげたとか?」
『それだ!』
ズイチューの言葉に、残る二人が声を上げる。
「ゴーストとしてこの世に留まるものの、魔王の力によって欲情する身体。既に肉体は朽ちており、この火照りも幻想だと分かっていながらも燃え上がる身体を抑えることは出来ない!」
「その火照りを治めるため、彼女は自身の息子に近づいていく。しかし二人は互いに母子である事を知らず、いつの間にやら禁忌を犯していたのであった!」
「母子相姦に若返りに記憶喪失!?属性重ねすぎだよ、君ぃ!」
『いや〜言わないでぇ!恥ずかしいぃぃ!』
「黙れお前ら!!」
突然興奮し始めた三人と一体に向けて、俺は怒鳴った。
「いいか、こいつが母さんじゃないという確たる証拠が俺にはあるんだ・・・」
『そんな・・・母さんって呼んでくれないの・・・アル・・・?』
「ちょっと黙ってろ、マティ」
俺は呼吸を整えると、言葉を続けた。
「俺も両親のことぐらい気になるからな。オレを育ててくれた神父さんに何度か聞いたんだよ。『どんな人だった』って。
そしたら神父さんが言うには、母さんは子供の頃から目元にほくろがあって、それはそれは美人だったって言うんだよ」
「美人だな」
「美人だよね?」
「美人じゃねえか」
『アル、アンタ今の母さんが美人じゃないって言いたいの!?』
「いや、お前ら俺の話聞いてたか!?ほくろが無いだろ!」
俺の言葉に、どうしても母親説に持ち込みたい三人は、じっとマティの顔を見つめた。
「・・・無いな」
「だろ?だからマティは俺の母親じゃ・・・」
「ということは父親かぁ」
「レベル高ぇな・・・素人とは思えん・・・」
「がぁぁぁぁぁ!!」
俺は頭を抱えながら絶叫した。
『うるさいぞアルベルト。男子がそうそう大声を上げるなんて、父さん感心しないぞ』
「お前もちょっとは否定ぐらいしろ!」
もはや敵に回ってしまったマティに向けて、おっれは怒鳴りつけていた。
「まあ、冗談はこのくらいにしておこう」
「冗談だったのかよ・・・」
「父親の辺りからだけどね」
「おい!?」
「落ち着け」
いい加減暴れたくなってきた俺を諌め、落ち着かせるように間を置くと、ヨーガンは続けた。
「とにかく、我々の見解ではマティアータ君は母親ではないか、と思っていたんだ。だが、君は違うという」
「だとすると、先に亡くなったお姉さんとかの可能性が出てくるんだけど、君の話によるとそれもなさそうだしね」
「と、言うわけで今の俺たちにはそいつの正体はわかんねえ、ってこった」
「そうなのか・・・・・・」
まさにお手上げ、といった様子で言葉を連ねる三人の姿に、俺の心中にあったわずかばかりの期待が音を立てて萎んでいった。
数年間手がかりを求めてあちこちを彷徨い、数ヶ月前にようやく知った一筋の可能性。
その可能性が、たった今潰えたのだ。
「記憶の復元は無理だったけど、除霊だけしておこうか」
「ああ」
「そうだな」
「ちょっと待て!除霊できるのかよ!?」
椅子から立ち上がり、何か用意を始めようとした三人に向けて俺は突っ込んだ。
「何を言ってる」
「相手の事情も聞かずに面倒ごとを解決、なんて中央教会でもしてるじゃない」
「俺たちにだって出来るぜ」
どうということも無いような様子で、彼らは言った。
「もしかして、俺たちじゃ不安だって言いたいのか?」
少々不機嫌そうな表情を、ソクセンが浮かべる。
「大丈夫、この辺りの除霊方法は村の神父さんから聞いたから、安心してよ」
「それに、私達の地元のやり方もいくつかあるからな。まさに万全の体制だ」
「さあ掛かって来い悪霊め!俺たちが相手だ!」
『しゃー!!』
「だからお前はこいつらの相手をするな!」
互いに威嚇のようなポーズを取り合う三人とマティの間に割ってはいる。
「ん?しなくていいのか、除霊」
「いや、して欲しいのは山々なんだけど・・・俺としては、コイツの正体がはっきりしてからの方がすっきりするから・・・」
俺の言葉に、三人はあからさまに不満そうな表情を浮かべた。
「えー?折角異界の神を讃える聖句まであるのに?」
「この世とあの世の理を示した経典も暗記してるぜ」
「だーかーらー、記憶が戻ってからでいいんだよ!」
構えを解かない三人に、俺はそう言ってやった。
『いいのよ、アル』
不意に、マティが俺を遮った。
『私、別に記憶なんて戻らなくていいわ・・・』
「マティ・・・!?」
『考えてみれば、いつもアルには私のために頑張ってもらってたわね・・・』
視線を虚空に向け、何かを思い出すように彼女は遠い目をした。
『ずっと一緒にいてくれて・・・私の記憶を取り戻す手がかりを探して・・・あっちこっち旅して・・・』
マティは言葉を切ると、俺に顔を向けた。
『・・・本当に、ありがとう・・・』
俺に向けられた笑顔は、感謝の念に満ちた、寂しげなものだった。
『でも、それも今日でおしまい・・・』
目元に浮かんだ涙を、何気なく拭いながら、彼女は顔を正面に向ける。
そしてその先にいる、三人を見据えながら続けた。
『三賢人の攻撃を全て受けて、私を天に還すことなど不可能だと証明してやるわ・・・』
「ふん、言ったな小娘・・・」
「いいぜ・・・俺たちが相手だ・・・」
「せいぜい後悔しないで下さいよ・・・」
『死霊使いにもどうにも出来なかった私に向かってくるとは・・・人間って愚かね・・・』
鏡映しのように左右対称の構えを取るズイチューとソクセン。
そして両手を広げるヨーガンの正面で、マティは己の足を煙と化し、宙に浮いた。
一瞬の沈黙を挟んで、三人と一体の口が同時に開く。
「「「『勝負だっ!!』」」」
「だっがぁぁぁぁぁぁぁ!!」
遅れて響いた俺の絶叫が、小さな小屋の中に轟いた。
「まあ、正直に言うと記憶を取り戻す方法は本当に思いつかない」
俺が絶叫しながらテーブルをひっくり返し、その片付けと村人への説明を済ませた後、ヨーガンはそう説明した。
「親類縁者の線から辿ることが出来ない以上、今のお前に出来ることは何も無い、ということだ」
「そんな・・・」
この数年の旅が無駄だったという現実を突きつけられ、俺は改めて意識が沈んでいくのを感じた。
「だけど、彼女の招待を探る方法はあるんだよね」
『本当!?』
意気消沈していた俺に代わり、マティが声を上げた。
「さっきの話によると、マティちゃんは死霊使いの干渉受けたことがあるんだよね?」
『はい、この間私の支配下に入れって、なんか呪文唱えて・・・』
俺がおぼろげにしか覚えていないことを思い出しながら、彼女は応えた。
「ということは、彼女は死霊ではない、ということだ」
「・・・・・・えぇ?」
ヨーガンの導き出した結論に、俺は呆けた声を漏らした。
「死霊を扱える死霊使いがどうにも出来なかったんだ。簡単な話だろ?」
さも当然、といった様子でソクセンが言葉を継ぐ。
『ってことは・・・私は精霊?』
「そうとは限らん」
マティの提示した流石にそれは無いという可能性を、ヨーガンは否定する。
「我々の故郷では生霊といって、生きている人間から魂だけが抜け出したものもいる。恐らくマティアータ君の場合は、どこかに眠ったままの体があるのかもしれない」
「つまり、その体を見つければ・・・」
「ああ、魂を肉体に還すことが出来るかもしれない」
俺の言葉に、彼は頷いた。
「よし!つまりここ十何年か眠ったままの女を探せばいいんだな!?」
俺は立ち上がりながら今後について思いをめぐらせた。
ここ十何年か眠ったままの女を世話するには、それなりの財力などが必要だ。
だとすれば各国の貴族や王族、豪商など財力に余裕のある連中を洗っていけばいい。
「まあ待て」
今にも飛び出さんばかりの勢いの俺を、ヨーガンは制止した。
「仮に探して見つかったとして、お前はどうするんだ?」
「『お宅のお嬢さんの魂を見つけました』とか言って会わせてもらうか?」
「確実に無理だよね」
俺の算段を見透かした上で、三人はその欠点を指摘して見せた。
そこまで言われるとへこむ。
俺は椅子に腰を下ろした。
「しかし方法はある」
落ち込む俺を見かねたのか最初からそのつもりだったのか、彼らは助け舟を出した。
「この村に住み、ファレンゲーヘを中心にしばらく過ごせ」
「後は僕たちに任せておくんだね」
「え?でも、どうやって・・・」
『そーよ、こんな東の辺境じゃ情報も何もありゃしないわよ』
「違うんだな、それが」
俺たちの言葉に、ソクセンは笑みを浮かべた。
「ファレンゲーヘはこれから数年のうちに爆発的に発展する」
「数年かけて僕たちが蒔いた種が発芽するんだよ」
「そうなりゃ自然と情報も人も集まるようになってくる」
「しかし、いざという事態に備えておいて損は無い」
ヨーガンは立ち上がると手を伸ばし、俺の肩に乗せた。
「君はエルンデルストに住み、我々の依頼をこなすんだ。そうすれば、マティアータ君の本体や正体についての情報収集を行うと約束しよう」
そしてそのまま、彼は俺の目を見ながら続けた。
「どうかな?」
ジパング系の彼の黒い瞳に、俺の姿が映っている。
「・・・・・・」
俺は無言で考えていた。
恐らく、彼らの言う通りにすればいずれマティの情報も集まってくるようになるのだろう。
だが、それまでの間連中にいいようにこき使われるのは目に見えている。
だが、彼らの申し出はとても魅力的だった。
「・・・・・・」
『・・・・・・』
視線をそらすと、俺を見つめるマティの姿が目に入った。
あと数年我慢するだけで、この幽霊少女の謎が解ける。
彼女が誰で、なぜ俺に取り付いているのか。
物心ついてからの疑問が解けるのだ。
「・・・分かった、乗ろう」
「交渉成立だな」
ヨーガンは薄く笑みを浮かべると、手を差し出して握手を求めた。
俺はそれに無言で応じる。
「さて、じゃあいろいろ準備をしましょうか」
「まずは村長の所に挨拶で、今夜はここに泊まる。家を探すのは明日だな」
「マティ君は退屈かもしれんが待っていてくれ」
『えー!?』
「村人に見られたときの説明が面倒だからな」
彼らは口々に話しながら立ち上がると、俺のほうへ向かってきた。
そしてソクセンとズイチューが左右から俺を挟みこんで腕を取った。
「な、何だよ!放せ!逃げやしないよ!」
兵か何かに引っ立てられるような姿勢を取らされ、おれは抗議の声を上げる。
だが、二人は腕を緩める様子も無かった
「すまんな。最初にやっておきたいことがあるからな、こうさせてもらう」
ヨーガンはそう言うと、小屋の扉に手を伸ばすと、一気に開いた。
「それでは、アルベルト・ラストス君にマティアータ君」
ドアの向こうの村の景色を背に、彼は続けた。
「エルンデルストへようこそ」
10/01/12 09:40更新 / 十二屋月蝕