(40)ケンタウロス
なだらかな丘が続く平原の合間、石畳で舗装された道を、ケンタウロス(四足歩行魔物。角と翼を持たず、夢に入らない者を指す)にまたがった旅人が進んでいた。
若い、男の旅人だった。
ケンタウロスの鞍にまたがり、彼女の腕や胸元に絡み付くハーネス(ケンタウロス操縦器具。馬のくつわにあたる)から延びる手綱を握っている。
旅人はそこそこ大きな荷袋をケンタウロスの尻に乗せていたが、ケンタウロスは重さを感じないかのように四本の足を動かしていた。
二人は無言のまま、道なりに進んでいた。
すると、丘の向こうに城壁が見えてきた。
「見えてきたね」
旅人がケンタウロスに、そう話しかけた。
「ああ・・・だけど、本当にあの国にはいるのか?」
前へ前へと進みながら、ケンタウロスが首をひねって旅人を見た。
「あの国について、その・・・色々聞いたんだ」
「うん、僕も聞いたよ。でも、今から引き返したり、迂回するわけにはいかないよ」
ちらり、と旅人は後ろに乗せた荷袋を確認しながら続けた。
「色々足りない物もあるし、あの国で補給しないと・・・それに、蹄鉄だってそろそろ換え時じゃない?」
「まあ、そうだけど・・・」
ケンタウロスは自身のつま先を見下ろし、だいぶすり減った蹄鉄と伸びた蹄に言葉を濁らせた。
「だが、あの国はその、何というか・・・ええと・・・」
「フリーセックスの国?」
口ごもるケンタウロスに、旅人は彼女が言わんとしている単語を口にした。
「そうだが、突然言わないでくれ!」
ケンタウロスは、びくんと体を跳ねさせると、そう旅人に言った。
「突然大声を出して・・・どうしたの」
「あ・・・すまない・・・」
彼女自身も思いの外声が大きかったことに気が付いたのか、小さく紡いだ。
「とにかく、あの国についてはその・・・あまりいい噂を聞かないから、早めに立ち去ろうと言いたかったんだ・・・」
「ふーん・・・」
旅人はしばらく口をつぐみ、考えた。
「確かに、独特な制度を導入しているし、そのデメリットも色々聞くけど・・・」
「そうだ。別に私たちがその巻き添えになる必要はないだろう?」
「まあ、そうだね・・・」
旅人はこれまで訪れた国のことを思い返しながら、そう答えた。
「でも、補給は必要だから、今更回れ右は無理だよ?」
「分かっている」
ケンタウロスは、どこか覚悟を決めたような声音で言った。
それからしばらく進んでから、二人は国をぐるりと囲む城壁にたどり着いた。
石畳の道を遮るように大きな扉が設けてあり、槍を手にした見張りの兵士が立っている。人間の兵士と、リザードマンの二人組だ。
旅人がケンタウロスから降りて歩み寄ると、扉の奥から三人目の兵士が現れた。
「入国を希望ですか?」
「はい。人間一人と、ケンタウロス一体です」
「了解しました。入国手続きをしますので、こちらへどうぞ」
兵士は二人を扉の中に導くと、旅人に色々な書類を書かせ、荷物を検査した。
「はい、結構です。ご協力ありがとうございました」
旅人の荷物から禁輸品(違法薬物や、マタンゴの胞子などの危険物を指す)がでなかったことを確認すると、兵士は笑顔で二人に続けた。
「お二人の入国を許可します。ようこそ旅人さん。我が国をどうか楽しんでいってください」
「ああ、楽しむってそういう・・・」
兵士の言葉に、ケンタウロスがぼそりと付け加える。
「え?なに?」
「いや、何でもない」
単純によく聞こえなかった旅人が彼女に聞き返すが、ケンタウロスは頭を振るばかりだった。
「それと、最後になりますが、お二人は近隣国で我が国についていくつかお聞きになっていると思いますが・・・」
「ええ、一応」
「イヤと言うほどにな」
兵士の質問に、二人は頷いた。
「それは結構・・・ですが、どうやら誤解も多いらしいので、今ここで我が国の社会制度について説明をしたいのですが・・・」
「いや、結構!」
ケンタウロスが上擦った声を上げた。
「確かにユニークな社会制度であることは重々承知しているが、それも理由あっての制度のはず!私たちはそれを尊重こそすれ、けなしたりしようなどとは・・・」
「え?なにをそんなに慌ててるの?」
急に饒舌になったケンタウロスに、長年つきあってきた旅人は彼女の心情を見抜いた。
「そりゃ、職業や社会・・・」
「言わなくていい!」
ケンタウロスは旅人の口を塞いだ。
「ええと、旅人さんはご理解いただいているようですが、どうもケンタウロスさんは・・・」
「私も知っている!十分に!だから今更そういう説明をするのはやめてくれ!」
旅人の口を塞いだまま、彼女はぶんぶん顔を左右に揺すった。
「・・・・・・んん・・・」
「・・・・・・了解しました・・・」
口を塞がれた旅人のうめき声と、彼の目配せに兵士は短く答えた。
「では、入国前手続きに付きましては、以上を持ちまして完了とさせていただきます。ご協力ありがとございました」
兵士がそう言うと、ケンタウロスはほっと安堵した様子で、旅人の口から手を離した。
「出口はそちらからどうぞ」
「うむ・・・」
どこか緊張した面もちで、ケンタウロスは鞍の上に荷袋をひょいと乗せ、歩きだした。
「ところで旅人さん、今夜の宿はお決まりですか?」
手荷物をまとめた旅人に、兵士がそう訪ねた。
「ああ、それが社会制度以外については全く話を聞かなかったので、これから探すつもりです」
「それでしたら、入国管理兵としてではなく、個人的におすすめの宿をご紹介・・・」
「結構だ!行くぞ!」
先に進んでいたはずのケンタウロスが駆け戻り、旅人の手を握って半ば引きずるような早さで歩きだした。
ケンタウロスの剣幕に、兵士は見送る他何もできなかった。
程なくして、旅人とケンタウロスは入国検査のための建物を出て、国の中に入った。
旅人や行商、輸送用の荷馬車を受け入れるためか道は広々としており、人通りも多く非常に活気があるようだった。
「ほう、以外と普通の街と変わりないのだな・・・」
道を行き交い、談笑する魔物や人間の姿に、ケンタウロスが拍子抜けした様子でつぶやいた。
「もう少しアレだと思っていたのだが・・・そのなんだ、ふ、ふ、ふ・・・ふり、ふり・・・」
「フリーセックス?」
「突然言うな!」
旅人の言葉に、ケンタウロスは頬を赤らめながら、そう言った。
「とにかく、予想以上にちゃんとしていてて驚いた、ということだ」
「ふーん・・・」
旅人は腕を組んで小さくうめいた。
すると、通りの中から二人に向かって、子供が一人駆け寄ってきた。
いや、髪の間から角をのぞかせるその小柄な姿は、ゴブリンの物だった。
「ねえねえねえねえ、あんたたち旅人さん?今入ってきたばっかり?」
「そうだが」
不審なものでも見るような様子で、ケンタウロスがゴブリンに答える。
「だったらさ、アタイがあっちこっち案内して上げるよ!安い宿とか、いい道具屋とか!だからご褒美・・・」
「誰がやるか、この小鬼め!角の間に瘤をこさえて身長伸ばしてやるぞ!」
ゴブリンの言葉に、ケンタウロスが突然吠えた。
ゴブリンは彼女の激昂に目を丸くすると、くるりと背を向けて逃げ出すように走っていった。
「ちょっと、なにやってるの!?」
ケンタウロスの対応に、旅人は彼女の手綱を掴みながら問いかけた。
「いや、だって、その・・・」
旅人の詰問に、彼女は目を逸らしつつ脳裏で何がおこるかを描いていた。
きっとあのゴブリンは宿屋まで案内した後、近くの路地に一緒に来るよう旅人に言うはずだ。旅人はご褒美をやるため、ゴブリンに付き従って路地裏に消え、そして・・・
「ああああああ!やめてぇ!」
ケンタウロスは顔を覆い、声を上げた。
彼女の大声に、道行く人々の視線が集中する。
「あ、いや、何でもありませんから、お気になさらず!さあ行こう!」
通行人の視線に、旅人は誤魔化すように言うと、顔を覆ったままのケンタウロスの手綱を引き、雑踏に消えようとした。
ケンタウロスも旅人の導くまま歩きだし、しばし通りを進む。
「ねえ、どうしたのさ?ちょっと変だよ?」
顔を覆ったままのケンタウロスに、旅人は問いかけた。
「うう、お前は今自分がどれほどの危機的状況にあるのかわかっているのか・・・?」
返答の代わりに指を開き、眼を覗かせながら彼女が問いかけた。
「危機的状況・・・うーん・・・?」
改装中なのか、足場を組まれた建物とその上を忙しく歩き回る男女のそばを通り抜けながら、旅人は首を傾げた。
「ううむ、前々から命に関わらない物事については鈍感だと思っていたが・・・」
旅人の鈍感さにあきれた様子で、ケンタウロスは手をおろした。
「さっきの兵士のときもそうだ。ああ言う手合いは見返りを要求する」
「そりゃ、情報に対しては何かお礼をしなきゃ・・・」
「いや、お礼は重要だが、あの兵士は私ではなくお前に話しかけて・・・」
ケンタウロスの彼女から見ても、旅人は整った顔立ちをしている。そのため性別を間違えられたことも何度かあったが、あの兵士は書類の性別を確認した上で問いかけたのだ。
いや、それぐらい旅人も承知だろう。だとすれば・・・
「え?お前ってそうだったの?」
「いや、何言ってるのかぜんぜん分かんないんだけど・・・」
困惑した様子で、旅人は彼女に答えた。
「あー、言わなくていい。分からなくていい。いや、分かってなかったということにしてくれ。頼む」
「はぁ・・・?」
無理矢理何かを納得しようとするケンタウロスに、旅人は首を傾げた。
「まあ、よく分かんないけど・・・話は変わるけど、宿はどうする?」
二人の間の空気を変えるべく、旅人は問いかけた。
普段ならば、入国管理の兵士や先ほどのゴブリンのような者に礼を弾み、いいところを紹介してもらっていた。
だが、ケンタウロスの暴走により、今回はそれができない。
「運良く、このあたりは宿屋が多いみたいだけど」
旅人が首を巡らせると、通りの左右に並び立つ宿屋が目に入った。
掃除中のためか、いくつかの宿屋の窓は開いており、ベッドにシーツを掛ける男や、建物の外から窓を磨くアラクネなど、従業員らしき者の姿が見えた。
「適当に誰かに聞く?」
「それはダメ!絶対ダメ!」
どうやら、この国の住民と口を利くのは鬼門らしい。
「じゃあ、久々に僕たちで決めようか」
旅人はそう言うと、並ぶ宿屋に顔を向けた。
外装はきれいか、窓から覗く部屋はどうか、掃除は行き届いているか。それらに留意しながら、一軒ずつ見聞する。
「宿・・・宿・・・」
ケンタウロスも彼に倣い、宿屋を一軒ずつ見回す。
「宿・・・宿・・・宿・・・連れ込み宿・・・宿泊・・・」
旅人の耳を、ぶつぶつとケンタウロスの呟きが打った。
いやな予感に目を向けると、果たしてケンタウロスは顔を赤らめ、上の空の様子で辺りを見回していた。
「ええと、本当に大丈夫?」
「ああ、うん・・・サカサクラゲ・・・」
返答になっているのかいないのか、よく分からない返事に旅人は確信した。彼女は疲れているのだ。
「分かった。あそこに止まろう。ね?」
彼が指さした先にあったのは、やや小さな宿だった。だが小さいながらも手入れは行き届いており、入り口脇の窓には図案化されたラミアやマーメイド、ケンタウロスの標識が掲げてあった。
そういった魔物向けの部屋やベッドがあるという意味だ。
「うむ・・・お前が決めたのなら、そこでいい・・・」
「あー、じゃあ、行こうか・・・」
顔を赤らめ、小さく頷くケンタウロスをつれ、旅人は宿の入り口をくぐった。
食堂を兼ねているらしいホールを抜け、奥の無人のカウンターの前にたつと、旅人は呼び鈴を鳴らした。
「は〜い」
心地よい金属音の直後女の返事が聞こえ、遅れて奥から従業員が現れた。
ワイシャツとスラックスをまとったサキュバスだった。
「いらっしゃい。宿泊かしら?ご飯だったら、五時からだから・・・」
「二日の宿泊です。ケンタウロスの泊まれる部屋をお願いします」
旅人は、サキュバスにそう告げた。
「空いてるわよ。同じ部屋でいいかしら?」
「是非お願いします!」
旅人の返答より先にケンタウロスが返した。まるで、旅人やサキュバスが余計なことを言うよりも先に、といった様子でだ。
そうでもしないと、きっとこのサキュバスは『部屋が余ってるのよ』とか言って別部屋にし、旅人の部屋にルームサービスしに行くに違いない。
「わ、分かったわ・・・じゃあ、ここに名前を・・・」
「はぁ・・・」
ケンタウロスの剣幕にやや押されながらも、サキュバスは宿帳を取り出し、旅人はペンを取った。
そして、サキュバスが部屋の鍵を握って戻ってくる頃には、二人分の名前と出身地が、宿帳に記されていた。
「はいはい・・・あと、料金だけど、うちは先払い制なのよ。手持ちがないのなら・・・」
「ある。私が払う」
ケンタウロスは上着の下から、首に下げていた巾着袋を取り出すと、貨幣をカウンターに並べた。
二人の路銀とは別にしている、ケンタウロスがこつこつ貯めた小遣いだ。だが、巾着袋には小遣いという額には多すぎるほどの貨幣が詰まっていた。
「足りるか?」
金貨を並べると、ケンタウロスはサキュバスを見た。彼女の視線には、睨むには及ばないものの、わずかながら険しさが宿っていた。
「ええ・・・じゃあ、お釣りを・・・」
さすがにサキュバスは足りないとは言えなかった。おそらく、足りないといったら『料金分はこっちで支払ってもらおうかしら』と旅人をカウンターの裏に引き込むつもりだったのだ。
「釣りはいらない。チップだ。その代わり、明後日まで私たちに構うな。部屋に入るな。さあ行くぞ」
サキュバスに早口で告げると、ケンタウロスはひょいとカウンターの上の鍵を手に取り、旅人の背中を押しながら歩きだした。
「え?ちょっと!何!?」
サキュバスにぽかんと見送られながら、旅人が声を上げるが、ケンタウロスは黙々と歩き続けた。
そして、鍵に記された部屋に、二人は入った。
ケンタウロスのための、天井の高い広々とした部屋。ケンタウロスの蹄を受け止める分厚い絨毯に、彼女の巨体も悠々と横になれるベッドもあったが、彼女は部屋のあちこちを緊張した面もちで検分していた。
「ねえ、今日はなんか変だよ。大丈夫?」
束ねられたカーテンの内側も確認するケンタウロスに、旅人はそう尋ねた。
「大丈夫も何も、私は絶好調だ。むしろ油断しまくり緩みまくりの、お前の方が不安だ」
床板にひざを四つとも着き、ベッドの下をのぞき込みながら、ケンタウロスは応じた。
「油断しまくり・・・って・・・」
「忘れたのか?町中でお前を狙っていた狡猾ないくつもの視線を、私は感じた。それにさっきのサキュバスも、一見大人しげだったが、ああ言うのが危ない」
ベッド脇のテーブルを、裏も表も脚の下も確認しながら、ケンタウロスは続ける。
「治安は良さげだが、それは表面上のことだ。きっと一皮むけば、殺戮上等の暴力街、人喰いワニのたむろするストリート・オブ・アリゲーターズに違いない」
「何言っているのかぜんぜん分かんないんだけど・・・」
「油断するな、ということだ。急いで必要な品物をそろえたら、明日の朝、いや今日中にでもこの国を離れるべきだ」
「二日分の宿賃払ったのに?あ、後で僕の分払うから」
「宿賃はいい。むしろ二日分先に払うことで、相手に明後日までいると誤解させるのだ。鍵を部屋に残して、ふらりと食事にでも行くような顔で宿をでるぞ」
「迷惑だなあ・・・」
せめてチェックアウトぐらいはしないと、宿の人に迷惑だ。
そう考えたところで、ふと旅人の脳裏にある可能性が浮かんだ。
「ねえ、もしかして・・・」
「違う!お前が誰とくっつくかを決めるのは自由だが、今ここで旅を放棄されては私が困るからだ!」
この国の社会制度について、何か誤解があるのではないか、と尋ねようとした旅人に、ケンタウロスは絨毯を調べながら応じた。
これは絶対に誤解している。旅人の胸中に確信が浮かんだ。
「いや、そう言う訳じゃなくて・・・」
「何だ!?そう言う訳じゃないって、旅を放棄して私を放り出す訳じゃないと言うことか?それはその、つまり・・・この国で私と・・・」
「お願いだから、話を聞いて」
徐々にしどろもどろになっていくケンタウロスに、旅人は歩み寄った。
そして、絨毯を調べていた彼女の目の前でかがみ、その頬に手を当ててまっすぐに目を合わせる。
「これから絶対に口を挟まず、僕の話を聞いて。いい?」
「う、うん・・・」
顔を赤らめ、視線を逸らしながらも慌てて旅人と目を合わせながら、ケンタウロスは頷いた。
「この国の、『フリーセックス』はそこらで好き放題できる、って意味じゃなくて、職業や社会的地位に性別で制限を掛けてはいけない、って意味なんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・うん?」
顔に差していた朱が引き、しおらしく垂れていた耳がぴんと立ち上がった。
「え?何それ?それってどういう・・・?」
「ほら、この宿に来るまで、改修工事をしていた魔物とか、ベッドメイキングしていた男を見たでしょ?この国じゃ、男の仕事や女の仕事って区別はないんだよ」
ようやく自分の誤解に気がついたのか、ケンタウロスは一瞬青ざめ、そのまま徐々に赤くなっていった。
「う、う、うわぁぁぁあああああ!!」
彼女は床から飛び上がると、ベッドに文字通り飛び込み、上体を倒しながら枕の下に頭をつっこんだ。
だが、耳と眼を塞いだところで、この国に入ってからの彼女の行動は、ケンタウロスの脳裏に浮かんでは消えてを繰り返していた。
「あああああああ!」
「・・・・・・あー、じゃあ、ちょっと買い出しにでてくるから・・・」
そっとしておいた方がいいだろう。旅人はそう判断すると、声を上げる彼女を残して、部屋を静かに出ていった。
後には、枕の下に顔をつっこんで大声を上げるケンタウロスだけが取り残された。
若い、男の旅人だった。
ケンタウロスの鞍にまたがり、彼女の腕や胸元に絡み付くハーネス(ケンタウロス操縦器具。馬のくつわにあたる)から延びる手綱を握っている。
旅人はそこそこ大きな荷袋をケンタウロスの尻に乗せていたが、ケンタウロスは重さを感じないかのように四本の足を動かしていた。
二人は無言のまま、道なりに進んでいた。
すると、丘の向こうに城壁が見えてきた。
「見えてきたね」
旅人がケンタウロスに、そう話しかけた。
「ああ・・・だけど、本当にあの国にはいるのか?」
前へ前へと進みながら、ケンタウロスが首をひねって旅人を見た。
「あの国について、その・・・色々聞いたんだ」
「うん、僕も聞いたよ。でも、今から引き返したり、迂回するわけにはいかないよ」
ちらり、と旅人は後ろに乗せた荷袋を確認しながら続けた。
「色々足りない物もあるし、あの国で補給しないと・・・それに、蹄鉄だってそろそろ換え時じゃない?」
「まあ、そうだけど・・・」
ケンタウロスは自身のつま先を見下ろし、だいぶすり減った蹄鉄と伸びた蹄に言葉を濁らせた。
「だが、あの国はその、何というか・・・ええと・・・」
「フリーセックスの国?」
口ごもるケンタウロスに、旅人は彼女が言わんとしている単語を口にした。
「そうだが、突然言わないでくれ!」
ケンタウロスは、びくんと体を跳ねさせると、そう旅人に言った。
「突然大声を出して・・・どうしたの」
「あ・・・すまない・・・」
彼女自身も思いの外声が大きかったことに気が付いたのか、小さく紡いだ。
「とにかく、あの国についてはその・・・あまりいい噂を聞かないから、早めに立ち去ろうと言いたかったんだ・・・」
「ふーん・・・」
旅人はしばらく口をつぐみ、考えた。
「確かに、独特な制度を導入しているし、そのデメリットも色々聞くけど・・・」
「そうだ。別に私たちがその巻き添えになる必要はないだろう?」
「まあ、そうだね・・・」
旅人はこれまで訪れた国のことを思い返しながら、そう答えた。
「でも、補給は必要だから、今更回れ右は無理だよ?」
「分かっている」
ケンタウロスは、どこか覚悟を決めたような声音で言った。
それからしばらく進んでから、二人は国をぐるりと囲む城壁にたどり着いた。
石畳の道を遮るように大きな扉が設けてあり、槍を手にした見張りの兵士が立っている。人間の兵士と、リザードマンの二人組だ。
旅人がケンタウロスから降りて歩み寄ると、扉の奥から三人目の兵士が現れた。
「入国を希望ですか?」
「はい。人間一人と、ケンタウロス一体です」
「了解しました。入国手続きをしますので、こちらへどうぞ」
兵士は二人を扉の中に導くと、旅人に色々な書類を書かせ、荷物を検査した。
「はい、結構です。ご協力ありがとうございました」
旅人の荷物から禁輸品(違法薬物や、マタンゴの胞子などの危険物を指す)がでなかったことを確認すると、兵士は笑顔で二人に続けた。
「お二人の入国を許可します。ようこそ旅人さん。我が国をどうか楽しんでいってください」
「ああ、楽しむってそういう・・・」
兵士の言葉に、ケンタウロスがぼそりと付け加える。
「え?なに?」
「いや、何でもない」
単純によく聞こえなかった旅人が彼女に聞き返すが、ケンタウロスは頭を振るばかりだった。
「それと、最後になりますが、お二人は近隣国で我が国についていくつかお聞きになっていると思いますが・・・」
「ええ、一応」
「イヤと言うほどにな」
兵士の質問に、二人は頷いた。
「それは結構・・・ですが、どうやら誤解も多いらしいので、今ここで我が国の社会制度について説明をしたいのですが・・・」
「いや、結構!」
ケンタウロスが上擦った声を上げた。
「確かにユニークな社会制度であることは重々承知しているが、それも理由あっての制度のはず!私たちはそれを尊重こそすれ、けなしたりしようなどとは・・・」
「え?なにをそんなに慌ててるの?」
急に饒舌になったケンタウロスに、長年つきあってきた旅人は彼女の心情を見抜いた。
「そりゃ、職業や社会・・・」
「言わなくていい!」
ケンタウロスは旅人の口を塞いだ。
「ええと、旅人さんはご理解いただいているようですが、どうもケンタウロスさんは・・・」
「私も知っている!十分に!だから今更そういう説明をするのはやめてくれ!」
旅人の口を塞いだまま、彼女はぶんぶん顔を左右に揺すった。
「・・・・・・んん・・・」
「・・・・・・了解しました・・・」
口を塞がれた旅人のうめき声と、彼の目配せに兵士は短く答えた。
「では、入国前手続きに付きましては、以上を持ちまして完了とさせていただきます。ご協力ありがとございました」
兵士がそう言うと、ケンタウロスはほっと安堵した様子で、旅人の口から手を離した。
「出口はそちらからどうぞ」
「うむ・・・」
どこか緊張した面もちで、ケンタウロスは鞍の上に荷袋をひょいと乗せ、歩きだした。
「ところで旅人さん、今夜の宿はお決まりですか?」
手荷物をまとめた旅人に、兵士がそう訪ねた。
「ああ、それが社会制度以外については全く話を聞かなかったので、これから探すつもりです」
「それでしたら、入国管理兵としてではなく、個人的におすすめの宿をご紹介・・・」
「結構だ!行くぞ!」
先に進んでいたはずのケンタウロスが駆け戻り、旅人の手を握って半ば引きずるような早さで歩きだした。
ケンタウロスの剣幕に、兵士は見送る他何もできなかった。
程なくして、旅人とケンタウロスは入国検査のための建物を出て、国の中に入った。
旅人や行商、輸送用の荷馬車を受け入れるためか道は広々としており、人通りも多く非常に活気があるようだった。
「ほう、以外と普通の街と変わりないのだな・・・」
道を行き交い、談笑する魔物や人間の姿に、ケンタウロスが拍子抜けした様子でつぶやいた。
「もう少しアレだと思っていたのだが・・・そのなんだ、ふ、ふ、ふ・・・ふり、ふり・・・」
「フリーセックス?」
「突然言うな!」
旅人の言葉に、ケンタウロスは頬を赤らめながら、そう言った。
「とにかく、予想以上にちゃんとしていてて驚いた、ということだ」
「ふーん・・・」
旅人は腕を組んで小さくうめいた。
すると、通りの中から二人に向かって、子供が一人駆け寄ってきた。
いや、髪の間から角をのぞかせるその小柄な姿は、ゴブリンの物だった。
「ねえねえねえねえ、あんたたち旅人さん?今入ってきたばっかり?」
「そうだが」
不審なものでも見るような様子で、ケンタウロスがゴブリンに答える。
「だったらさ、アタイがあっちこっち案内して上げるよ!安い宿とか、いい道具屋とか!だからご褒美・・・」
「誰がやるか、この小鬼め!角の間に瘤をこさえて身長伸ばしてやるぞ!」
ゴブリンの言葉に、ケンタウロスが突然吠えた。
ゴブリンは彼女の激昂に目を丸くすると、くるりと背を向けて逃げ出すように走っていった。
「ちょっと、なにやってるの!?」
ケンタウロスの対応に、旅人は彼女の手綱を掴みながら問いかけた。
「いや、だって、その・・・」
旅人の詰問に、彼女は目を逸らしつつ脳裏で何がおこるかを描いていた。
きっとあのゴブリンは宿屋まで案内した後、近くの路地に一緒に来るよう旅人に言うはずだ。旅人はご褒美をやるため、ゴブリンに付き従って路地裏に消え、そして・・・
「ああああああ!やめてぇ!」
ケンタウロスは顔を覆い、声を上げた。
彼女の大声に、道行く人々の視線が集中する。
「あ、いや、何でもありませんから、お気になさらず!さあ行こう!」
通行人の視線に、旅人は誤魔化すように言うと、顔を覆ったままのケンタウロスの手綱を引き、雑踏に消えようとした。
ケンタウロスも旅人の導くまま歩きだし、しばし通りを進む。
「ねえ、どうしたのさ?ちょっと変だよ?」
顔を覆ったままのケンタウロスに、旅人は問いかけた。
「うう、お前は今自分がどれほどの危機的状況にあるのかわかっているのか・・・?」
返答の代わりに指を開き、眼を覗かせながら彼女が問いかけた。
「危機的状況・・・うーん・・・?」
改装中なのか、足場を組まれた建物とその上を忙しく歩き回る男女のそばを通り抜けながら、旅人は首を傾げた。
「ううむ、前々から命に関わらない物事については鈍感だと思っていたが・・・」
旅人の鈍感さにあきれた様子で、ケンタウロスは手をおろした。
「さっきの兵士のときもそうだ。ああ言う手合いは見返りを要求する」
「そりゃ、情報に対しては何かお礼をしなきゃ・・・」
「いや、お礼は重要だが、あの兵士は私ではなくお前に話しかけて・・・」
ケンタウロスの彼女から見ても、旅人は整った顔立ちをしている。そのため性別を間違えられたことも何度かあったが、あの兵士は書類の性別を確認した上で問いかけたのだ。
いや、それぐらい旅人も承知だろう。だとすれば・・・
「え?お前ってそうだったの?」
「いや、何言ってるのかぜんぜん分かんないんだけど・・・」
困惑した様子で、旅人は彼女に答えた。
「あー、言わなくていい。分からなくていい。いや、分かってなかったということにしてくれ。頼む」
「はぁ・・・?」
無理矢理何かを納得しようとするケンタウロスに、旅人は首を傾げた。
「まあ、よく分かんないけど・・・話は変わるけど、宿はどうする?」
二人の間の空気を変えるべく、旅人は問いかけた。
普段ならば、入国管理の兵士や先ほどのゴブリンのような者に礼を弾み、いいところを紹介してもらっていた。
だが、ケンタウロスの暴走により、今回はそれができない。
「運良く、このあたりは宿屋が多いみたいだけど」
旅人が首を巡らせると、通りの左右に並び立つ宿屋が目に入った。
掃除中のためか、いくつかの宿屋の窓は開いており、ベッドにシーツを掛ける男や、建物の外から窓を磨くアラクネなど、従業員らしき者の姿が見えた。
「適当に誰かに聞く?」
「それはダメ!絶対ダメ!」
どうやら、この国の住民と口を利くのは鬼門らしい。
「じゃあ、久々に僕たちで決めようか」
旅人はそう言うと、並ぶ宿屋に顔を向けた。
外装はきれいか、窓から覗く部屋はどうか、掃除は行き届いているか。それらに留意しながら、一軒ずつ見聞する。
「宿・・・宿・・・」
ケンタウロスも彼に倣い、宿屋を一軒ずつ見回す。
「宿・・・宿・・・宿・・・連れ込み宿・・・宿泊・・・」
旅人の耳を、ぶつぶつとケンタウロスの呟きが打った。
いやな予感に目を向けると、果たしてケンタウロスは顔を赤らめ、上の空の様子で辺りを見回していた。
「ええと、本当に大丈夫?」
「ああ、うん・・・サカサクラゲ・・・」
返答になっているのかいないのか、よく分からない返事に旅人は確信した。彼女は疲れているのだ。
「分かった。あそこに止まろう。ね?」
彼が指さした先にあったのは、やや小さな宿だった。だが小さいながらも手入れは行き届いており、入り口脇の窓には図案化されたラミアやマーメイド、ケンタウロスの標識が掲げてあった。
そういった魔物向けの部屋やベッドがあるという意味だ。
「うむ・・・お前が決めたのなら、そこでいい・・・」
「あー、じゃあ、行こうか・・・」
顔を赤らめ、小さく頷くケンタウロスをつれ、旅人は宿の入り口をくぐった。
食堂を兼ねているらしいホールを抜け、奥の無人のカウンターの前にたつと、旅人は呼び鈴を鳴らした。
「は〜い」
心地よい金属音の直後女の返事が聞こえ、遅れて奥から従業員が現れた。
ワイシャツとスラックスをまとったサキュバスだった。
「いらっしゃい。宿泊かしら?ご飯だったら、五時からだから・・・」
「二日の宿泊です。ケンタウロスの泊まれる部屋をお願いします」
旅人は、サキュバスにそう告げた。
「空いてるわよ。同じ部屋でいいかしら?」
「是非お願いします!」
旅人の返答より先にケンタウロスが返した。まるで、旅人やサキュバスが余計なことを言うよりも先に、といった様子でだ。
そうでもしないと、きっとこのサキュバスは『部屋が余ってるのよ』とか言って別部屋にし、旅人の部屋にルームサービスしに行くに違いない。
「わ、分かったわ・・・じゃあ、ここに名前を・・・」
「はぁ・・・」
ケンタウロスの剣幕にやや押されながらも、サキュバスは宿帳を取り出し、旅人はペンを取った。
そして、サキュバスが部屋の鍵を握って戻ってくる頃には、二人分の名前と出身地が、宿帳に記されていた。
「はいはい・・・あと、料金だけど、うちは先払い制なのよ。手持ちがないのなら・・・」
「ある。私が払う」
ケンタウロスは上着の下から、首に下げていた巾着袋を取り出すと、貨幣をカウンターに並べた。
二人の路銀とは別にしている、ケンタウロスがこつこつ貯めた小遣いだ。だが、巾着袋には小遣いという額には多すぎるほどの貨幣が詰まっていた。
「足りるか?」
金貨を並べると、ケンタウロスはサキュバスを見た。彼女の視線には、睨むには及ばないものの、わずかながら険しさが宿っていた。
「ええ・・・じゃあ、お釣りを・・・」
さすがにサキュバスは足りないとは言えなかった。おそらく、足りないといったら『料金分はこっちで支払ってもらおうかしら』と旅人をカウンターの裏に引き込むつもりだったのだ。
「釣りはいらない。チップだ。その代わり、明後日まで私たちに構うな。部屋に入るな。さあ行くぞ」
サキュバスに早口で告げると、ケンタウロスはひょいとカウンターの上の鍵を手に取り、旅人の背中を押しながら歩きだした。
「え?ちょっと!何!?」
サキュバスにぽかんと見送られながら、旅人が声を上げるが、ケンタウロスは黙々と歩き続けた。
そして、鍵に記された部屋に、二人は入った。
ケンタウロスのための、天井の高い広々とした部屋。ケンタウロスの蹄を受け止める分厚い絨毯に、彼女の巨体も悠々と横になれるベッドもあったが、彼女は部屋のあちこちを緊張した面もちで検分していた。
「ねえ、今日はなんか変だよ。大丈夫?」
束ねられたカーテンの内側も確認するケンタウロスに、旅人はそう尋ねた。
「大丈夫も何も、私は絶好調だ。むしろ油断しまくり緩みまくりの、お前の方が不安だ」
床板にひざを四つとも着き、ベッドの下をのぞき込みながら、ケンタウロスは応じた。
「油断しまくり・・・って・・・」
「忘れたのか?町中でお前を狙っていた狡猾ないくつもの視線を、私は感じた。それにさっきのサキュバスも、一見大人しげだったが、ああ言うのが危ない」
ベッド脇のテーブルを、裏も表も脚の下も確認しながら、ケンタウロスは続ける。
「治安は良さげだが、それは表面上のことだ。きっと一皮むけば、殺戮上等の暴力街、人喰いワニのたむろするストリート・オブ・アリゲーターズに違いない」
「何言っているのかぜんぜん分かんないんだけど・・・」
「油断するな、ということだ。急いで必要な品物をそろえたら、明日の朝、いや今日中にでもこの国を離れるべきだ」
「二日分の宿賃払ったのに?あ、後で僕の分払うから」
「宿賃はいい。むしろ二日分先に払うことで、相手に明後日までいると誤解させるのだ。鍵を部屋に残して、ふらりと食事にでも行くような顔で宿をでるぞ」
「迷惑だなあ・・・」
せめてチェックアウトぐらいはしないと、宿の人に迷惑だ。
そう考えたところで、ふと旅人の脳裏にある可能性が浮かんだ。
「ねえ、もしかして・・・」
「違う!お前が誰とくっつくかを決めるのは自由だが、今ここで旅を放棄されては私が困るからだ!」
この国の社会制度について、何か誤解があるのではないか、と尋ねようとした旅人に、ケンタウロスは絨毯を調べながら応じた。
これは絶対に誤解している。旅人の胸中に確信が浮かんだ。
「いや、そう言う訳じゃなくて・・・」
「何だ!?そう言う訳じゃないって、旅を放棄して私を放り出す訳じゃないと言うことか?それはその、つまり・・・この国で私と・・・」
「お願いだから、話を聞いて」
徐々にしどろもどろになっていくケンタウロスに、旅人は歩み寄った。
そして、絨毯を調べていた彼女の目の前でかがみ、その頬に手を当ててまっすぐに目を合わせる。
「これから絶対に口を挟まず、僕の話を聞いて。いい?」
「う、うん・・・」
顔を赤らめ、視線を逸らしながらも慌てて旅人と目を合わせながら、ケンタウロスは頷いた。
「この国の、『フリーセックス』はそこらで好き放題できる、って意味じゃなくて、職業や社会的地位に性別で制限を掛けてはいけない、って意味なんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・うん?」
顔に差していた朱が引き、しおらしく垂れていた耳がぴんと立ち上がった。
「え?何それ?それってどういう・・・?」
「ほら、この宿に来るまで、改修工事をしていた魔物とか、ベッドメイキングしていた男を見たでしょ?この国じゃ、男の仕事や女の仕事って区別はないんだよ」
ようやく自分の誤解に気がついたのか、ケンタウロスは一瞬青ざめ、そのまま徐々に赤くなっていった。
「う、う、うわぁぁぁあああああ!!」
彼女は床から飛び上がると、ベッドに文字通り飛び込み、上体を倒しながら枕の下に頭をつっこんだ。
だが、耳と眼を塞いだところで、この国に入ってからの彼女の行動は、ケンタウロスの脳裏に浮かんでは消えてを繰り返していた。
「あああああああ!」
「・・・・・・あー、じゃあ、ちょっと買い出しにでてくるから・・・」
そっとしておいた方がいいだろう。旅人はそう判断すると、声を上げる彼女を残して、部屋を静かに出ていった。
後には、枕の下に顔をつっこんで大声を上げるケンタウロスだけが取り残された。
12/09/17 10:48更新 / 十二屋月蝕
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