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更待 |
「あたしって、ほんとバカ」
「...今更ですよ」 講義の合間、私は再び研究室に来ていた。 そこでは上司である女性が、机の上に突っ伏して唸っていた。 研究が進まないらしい。 私を見つけると、涙を円い目に溜めて訴えてきたのである。 「あ、いや、ただ煮詰まってるだけですし、時間をおいたらちゃんと答えも出ますよ」 「うぅ...」 「泣くのはやめて下さい...めんどくさい...」 「ひどすぎる!」 「勘弁して下さい...」 「どんだけ嫌なんだよ!」 「ごめんなさい...」 「もういいよ!」 「それはそうと、ちょっと困ってることがあるんですよ。上司なんだから助けてください」 「凄い上から目線!」 普段と変わらない様な軽い口調の割に、私は少々緊張していた。 何よりこれから告白する事は、今まで話す事を躊躇していた内容なのだ。 彼女の耳に入れば、後はどこから都市伝説化するかなんてわかったものじゃない。 しかし少女の姿が記憶にある存在だと判ってしまうと、正体を掴む必要が出てきたのだ。 異形の者についての知識では、私の知る範囲において上司に比肩するものはいない。 故に、その力を借りなければ解決しないとわかっているのだ。 「うーん、都市伝説の事ね?」 「普段は絶対に違いますけど今回に限って当たりです」 「グールのこと?」 「そうそれです凄いですね」 「舌の技術が波動球レベルで108式まであるあのグール?」 「え、あ、そうなんですか」 「口先の魔術師のこと?」 「やめろ彼を馬鹿にするな梨花ちゃんの運命の歯車なんだぞ」 「おぉ釣れた釣れた」 「最後がアレかもしれなかったけども次作よりもずっとまともなんだぞ」 「私そこまで言ってない...」 「黙って聴け!」 「何この人こわい」 気がつけば、昭和58年の袋小路の話を始めてから30分も経っていた。 私とした事がなんという時間の忘れ様だと反省せざるを得ない。 上司と変わらないことをして、一体どうするというのだ。 ラジオの番組も変わっていて、今は丁度上司の好きな番組の序盤である。 いつも私がそんな気分であると判ってくれただろうか。 道理で上司の目が死んでいる訳だ。 ざまぁ。 違う。 今はそんな話ではない。 「話が逸れましたね。確か、グールの話でした」 「...確かに死人が徘徊するエピソードがあったし、グールの話題転換にはいいのかもね」 「? そこに食いつくんですね、以外というか...どんな趣味ですか」 「いや、まあグールもアンデットだし。案外遠からず、かも」 「アンデット?」 「種族の事。ミイラとかゾンビとかと同じさ。ドッペルゲンガーもね」 「...ドッペルさんも死体なんですか」 仮に一晩以上咥えられ続けた相手が死体であったなら、どんなホラー映画よりも怖い。 「いや、正確にはそこんとこ判んないんだけどね」 「違うと信じて安心しておきます。それで、他にドッペルさんの特徴は」 「随分食いつきが良いね。まぁ私としてもその方が話甲斐もあるから良いけど」 上司は都市伝説の内容をそれは事細かに教えてくれた。 先日の講義のおさらいも含まれていたが、やはり新たに知る事も多かった。 その中でも、容姿について。 ドッペルゲンガーという、“魔物”の容姿について。 ぴたり合致する黒を基調とした外見に、その幼さしか残さない雰囲気。 そして、その生物の不思議な特性。 冷や汗がたらりと流れるほど、私は心身ともに静寂した。 「それにしても、一体どうしたってのさ」 「あ、いや、どうぞお構いなく」 沈黙が流れる。 事情を話す前に、大体を知ってしまったのだ。 私はあまり公表したくないし、義理で彼女に改まって教える必要もないと思った。 上司の目は、どうやって私の秘密を更に暴こうかと考えているそれだった。 睨まず、怯まず、私は特に感情を込めないように努めた視線を彼女に送り返す。 その静かな手持無沙汰で無為な時間に、懐かしい楽曲がラジオから流れてくる。 最近アレンジされたが、もう二桁もの年を重ねた昔の曲だ。 「10年後の8月って今年の8月なのかよ… ちくしょう、また出会えるの信じていられる相手なんていねえよ…」 彼女は少なくともいったんは探りを諦めたらしく、ひとりごちていた。 上司の心変わりにも呆れるが、まず先にその曲を聴いて思わないこともない。 曲を懐かしむ程の間、確かに私と少女は“離れて”いた。 たとえ近くにいたとしても、変わらない。 「私思うんだけどね、めんまよりもあな」 「やめろォ!」 「...るの方が可愛いと思うんだよね」 タイムラグが生じているものの、制止を振り切って言い切られた。 私は、あまり彼女の様な綺麗な顔から猥談等の言葉は聞きたくない。 半ば失望した視線を彼女に向けると、優越感丸見えのしたり顔で私を見つめている。 この無邪気な人に実体験なんていった日にはどうなる事かと、本当に肝が冷える。 |