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既朔 |
見つける事は、非常に簡単であった。
太陽の高く昇っているときに出来た影のような、小さな少女。 濃淡無く漆黒なワンピース型ドレスに。 異常なまでに透き通った白い肌。 炭のように煌々と光る赤い目。 そんな風体容貌の彼女は、寝台と箪笥の間で縮こまっていた。 隠れていたのだ。 何にそこまで恐れているのか、当時の僕には何も判らなかった。 ただ、腹立たしくて、むしゃくしゃして、苛立っていた。 当時の僕は、座る彼女の前で仁王立ちした。 唸り声を上げた。 「お前、何やってんだ」 新月の日。 彼女は決まって僕の部屋にいた。 だから、やっぱりその日も彼女を見つけたのだ。 「…おはよう」 眩しさに目を開く。 小鳥の諸声が耳に優しく届き、 まどろみの心地よさに一息吐いた。 その緩慢たる覚醒も、突然に頭が痒いと気付けば呆気ない。 なにしろ、乾燥した部屋での目覚めである。 頭皮に爪を立てて掻けば、さぞかし気持ちの良い事だろう。 しかし、ベッドに汚い頭垢も飛ぶ事だろう。 それは嫌だ。 断じて許せる所行ではない。 今夜も使う場所なのだから、まだ可能な限り綺麗でありたい。 若干の時間を呆けるものとして浪費した後、欠伸を吐いた。 どんな夢だったか、そんな意味のない逡巡をする。 昔の夢。 兄が家を出る前の、自分の姿を夢で見た。 懐かしい少女の居る、不思議な記憶だった。 夢のことなど目覚めと同時に朧気になるというものだ。 半ばどうでも良い。 非常に面倒くさい。 何よりも下らない。 朝である以上、問題視される程の低血圧の私は気怠かった。 何かしらを諦める境地に立つの感覚と、近いかも知れない。 私はさっさとシャワーを浴びるために起き、ベッドから出た。 シャコシャコと、家を歩き回りながら歯磨きをする。 水浴びを終えた後に、出発の準備をしながら行う習慣だ。 薬缶を乗せたコンロに火を掛け、トーストをオーブンに入れる。 机には粉コーヒーを置き、それから洗面台へと戻った。 口を濯いだ後、鏡に向かって、私は自分の顔を見る。 疲れが取れきって居ない様子が、見て取れた。 学生で、且つ研究員。 私の職種であり、立場である。 だが、研究するものは化学的なものだとか、科学的なものだとか、そういうものじゃない。 非化学で非科学。 根底は同じ動機であるにしても、現代で否定され尽くした存在。 魔法。 魔術。 数式だとか、発掘というものを行うわけではない。 文章を組み立てて、特殊な意味を作るのだ。 精神学、心理学に直結する文理学と近いかもしれない。 とある大学に隣接した研究施設に、学生の身分でありながら通い詰める。 そこでは単位なんて扱っていないのにも関わらず、だ。 その研究に特段の興味があるわけでもない。 本心では研究の意味を見出した事すらないものだった。 「隈が取れないな」 「…そうだね」 忌みを込めて溜息を吐く。 ここで、トーストが焦げている匂いに気付いた。 炭化しているだろう。 勿体ないが、仕方もない。 せめてトーストを速やかにオーブンから救い出そう、と志向した。 最近このような失敗が、やけに多かった。 近いうちにブレッド専用のオーブンでも買おうかと考えるほどだ。 アルバイト生活では、このような贅沢の為の出費はとてつもなく痛い。 しかし私はこの時の為に、今日の朝、何かを諦める思いで目覚めたのかも知れない。 その時はそう思って、洗面台を後にした。 そして、炭化した部分を削り落として半分以下の大きさになったトーストを食べた。 食べ終わると、私は出発の準備を整えた。 「…いってらっしゃい」 少女の小さな声が、家の奥にある私の家の奥から木霊する。 一人暮らしを初めてもう数年と経つが、最近気付いた事だ。 この家では私が誰かへ問いかけると、答えがどこからともなく返って来る。 きっかけは独り言の挨拶だ。 「行ってきます」と呟いて、それが返された時には、私自身の耳を疑ったものだ。 今となっては、声を掛けずとも挨拶をしてくれるという不思議っぷりである。 しかし、声の主を探しても、少女は見つけられない。 やはり幻聴かと自分の頭がおかしいのかと医者に駆け込んで診てもらったりもした。 少女の声に対して特に恐怖もなく、害もないと思っていた。 だから私は、その声をただ聴くだけ聴いて、今日も家から出発する。 何を思うこともない、既に彼女は私の日常だった。 大まかにして、これが私の一日の始まりである。 |