花婿録

潮が流れ、溜まり、風に乗って飛んでいく。
早朝の港町は市場が活気づいていた。
人間のオーヴァイスと、ワーシープの妻アリエスは同時に欠伸をした。
昨日は一日中歩き通し、その夜に一睡も出来なかった為、凄く眠い。
普段彼らは山を2つ越えた盆地に住んでおり、そこから1日で来たのだ。
シー・ビショップという魔物に会う事が、今回の旅の目的だった。
ふたりの前を、リャナンシーのリルウェルがぱたぱたと飛んで進む。

「おーい。新鮮で安い魚を買わないのかー?」

彼女は元気に桃色の髪を揺らす、見た目の幼い妖精だった。
しかし、オーヴァイス達の中でも最年長であり、最も博識であった。
今回の目的のシー・ビショップも、彼女の数多い知り合いのひとりなのだ。

「リルはどうしてあんなに元気なんだ」
「芸術家ってホントよくわかんないねえ...」
「逆に。御主人殿とエリーのふたりがスタミナ無いだけでは」

深紅のラップ・キュロットに付いた鈴を鳴らしながら、アリエスは振り向く。
そこには、男と契約を交わした黒毛のワーウルフ、マーナガルムがいた。
白いパーカとミニスカートで身を包んだツートンカラーな魔物だった。
彼女は寝息を立てているケサランパサランを前から抱えて歩く。
むにゃむにゃと眠りこける綿の魔物はセラといい、この3人に溺愛されていた。

「マァの体力が一級品なのは身を以て知ってる」
「ありがとうございます」
「褒めたつもりはなかったんだけどな」
「マァが一番疲れてる筈なのにねえ...」
「馬鹿羊は体力を付けるべきだと思う」
「馬鹿って言うな...私は羊だよ...ふわあ」
「駄目だこいつ...」

マーナガルムが呆れて溜息を吐く。
オーヴァイスも後ろを振り向いてを見ると、狼と目が合う。
目が充血しているわけでもなく、隈もない。健康な様子だった。

「御主人殿。いつの間にかリルウェルが消えています」
「...マァ、リルを探してくれ。早くシー・ビショップに会いたい」
「わかりました」
「シー・ビショップの住む様な洞窟って、どんなんだろう?」
「彼女の旅立つ時期が不明確ですので。午前中には到着したいですね」
「町外れまで遠そうだしな。急ごう」
「そこまで急かされても困ります」
「それだけ楽しみなんだよ」

狼は魚鮮市場にいると断定して、商店街の近くにある市場にやって来た。
賑わいも最盛の時間帯らしく、人込みに紛れる小さい姿を探すのは困難だ。
マーナガルムは間違いなく此処にいると言うが、あまりにも身動きが取れない。
オーヴァイスは諦め、狼に後を任せて近くの船着き場のベンチに座った。
アリエスも眠るセラを抱いて、男と共に潮風に当たる。
強く未だ冷えている風から逃れるように、男と羊は寄り添っていた。
羊の腕の中で、セラは薄黄緑色の服を緩やかに上下させて眠っている。
ふたりはその顔を覗き、癒しを得る。
暫くの間彼らはセラの寝顔を見ていたが、急にアリエスが怪訝な顔をした。
表情の曇る妻に対して、オーヴァイスは質問を掛ける。

「どうした?」
「何か聞こえる...あ、溺れてる?」
「こんな朝早くからか!」

アリエスの言葉に、オーヴァイスは目を見開き弛む顔を引きつらせた。
羊に方向を訊いて見ると、小さな水飛沫が絶えず上がる場所を見つけた。
オーヴァイスは背伸びや屈伸をして、体をほぐしす。
そして上着とを脱ぎ捨て、石畳の上を駆け出した。
勢いを付けて、船着き場の最端から飛び込む。
晴れた月夜に冷やされた海水は、男の筋肉を収縮させる。
目的地を一点に絞って水を掻き分け、時に息を吸い、吐く。
徐々に陸地から離れていく影を目に捉え続け、それよりずっと速く波に逆らう。
近づいて初めて判ったが、溺れていたのは魔物の子どもらしい。
その翼が海面から、消える。
男は潜った。
日が充分に照っていないため、海はどす黒く、底が知れない。
魔物の居た場所に到着すると、既にかなり深いところに沈んでいる。
体勢を立て直し、一気に距離をつめる。あと少しで届く。
オーヴァイスは強く足をばたつかせ、翼の端を、掴む。
手繰り寄せて、水面へと昇る。

「おい! 大丈夫か!」

片腕で魔物の子を支え、足だけで泳ぎ、残った腕で彼女の頬を叩いた。
手に抱く少女は息をしていなかった。

「おおびす! つかまって!」

辺りを見回すと、セラが海面すれすれに飛んでいた。
アリエスが起こして、飛ばしてくれたのだろう。
綿の魔物は心配そうに男に手を差し伸べていた。
ケサランパサランは風に乗って漂う魔物だが、やはり普通にも飛べるらしい。
セラを見て一瞬だけ暢気になった男は、魔物の子をセラに渡す。
小さな手で、魔物の肘を抱いた。オーヴァイスの負担が軽くなる。

「その子を急いで岸まで。エリーに応急処置を頼んでくれ」
「おおびすは?」
「泳ぎには多少の自信がある。待ってな」
「わかった!」

セラが頷いてオーヴァイスに背中を向けた瞬間。
男は波間にかき消える。
体力の限界だった。
羊が陸から必死に叫ぶ声も、彼には届かなかった。


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全身が適度な負荷に包まれ、オーヴァイスは意識を取り戻す。
体温を通常よりもずっと低く感じる。
ふわりとした温もりと、さらりとした冷たい感触を感じる。
体が脈打ち、鼓動もあるらしかった。
しかし、自分がどこに居るのか判らない。

「お起きになられましたね」

全身に響くような優しい声がした。
男は声の在り処を探すべく、ゆっくりと目を開く。
光が強く、目が眩んだ。

「ここは?」
「海底です。呼吸器官に不良はありますか?」
「いや...大丈夫みたいだ。て、水中で会話しているのか?」
「それは便利な日用魔法ですよ」
「...流石、海に棲むだけはある」

オーヴァイスは、浅葱色で長い髪の人魚に包まれていた。
彼女は尾を男の足に絡め、抱き合うようにして直に胸を当てていた。
金の刺繍をあしらった白絹の胴衣が、ふたりの近くを漂っていた。
他にも、砂地に石版や黒鉄の輪のようなものが落ちている。
朦朧とする感覚で、自身の体に力を入れる。
すると違和感があった。
一部が異様に熱いのである。
猛りを覚えると、彼はふたりが繋がっていたことに初めて気付いた。
結合部は熱く、人魚が震えている。

「おっおぅ」
「驚かしてしまいすみません。これも貴方を助けたかったので...」
「俺は生きているのか...救って頂きありがとうございます」
「いえいえ。言うに及びません」

一瞬だけ取り乱した人魚は、再び腰をくねらせた。
彼女の風格は慈愛に満ち、神聖純粋の雰囲気を持つ。
オーヴァイスは目映い程に輝き、あまりにも妖艶な笑顔を見る。
彼女こそが、オーヴァイス達の求めていたシー・ビショップ本人であった。
男はがっちりと抱かれて、一切の動きをすることなく彼女に安逸する。
人魚の体の奥に、何度も衝かれていると判った。
幾度となく、そして時には彼女の奥を超えた。
一度意識してしまうと、オーヴァイスは感じずには居られなかった。
思わず、深く溜息が出てくる。

「すっげぇ」

淫猥極める声。
抱きしめる細い指。
軽く締め付けてくる足。
胸板に擦れる小さな感触。
不規則に訪れる軽度の痙攣。
水中でも感じ取れる、甘い匂い。
耳や背中を擽る、繊細で美しい髪。
ひたり、ひたりとくっついては離れていく肌。
これまでに経験した事のない、彼女の熱さ。
一生懸命で、しかし悦に溺れまいとする表情。
その全てが男を満遍なく刺激し、思考を狂わせる。

「失礼します」

若干の躊躇う素振りを見せながら、人魚は男にキスをした。
シー・ビショップは口を重ねたまま、オーヴァイスに呼気を与える。
ひとしきりの空気を与えると、今度は男の口を強く吸う。
麻痺していく感覚が、頭頂から足先まで急速に行き渡る。
男は全身を大きく波打った。
絶世ともいえる彼女の美しい顔を呆然と見ながら、数秒間自失した。
体の芯が燃え盛り、次第に冷めていく。
その絶頂を感じ取ったのか、人魚も高揚しているようだった。
オーヴァイスの舌をシー・ビショップ自身の舌で包むように舐める。
口を離すと、オーヴァイスが魔物に語りかける。

「凄い技術ですね...気持ち良過ぎて天に召されるかと思いました」
「初めてなので、褒めて頂けるとかなり嬉しいです。ふふ」
「初めてでしたか...すいません。ありがとうございます」
「気に病まないで下さいね。私が好きで遣っている事ですから」

人魚は相変わらずオーヴァイスを絡め、熱く抱擁していた。
猛りを抑えない男も男だが、訊けば既に数時間こうしているという。
どうやらシー・ビショップは男をマーマンに変えようとしていたらしい。
しかし、自身の体を用いたのが初であった事からなのか、儀式は滞る。
焦った彼女はオーヴァイスに水中でも呼吸できる魔法を施し、後は自分で温めつつ、完全なマーマンになるよう儀式を繰り返していたのであった。
男は彼女と交わりながら、できるだけ理性を保って身の上を説明する。
既に意識を取り戻しているので、水棲インキュバスであるマーマンには遠慮したいこと。
自分には魔物の妻が居て、その契りの儀式を司祭である彼女に執り行ってもらおうと旅をしてきたこと。
名のある企業を経営する立場であり、その秘密を死んでも尚守るために狼に食べられる宿命であること。
そこまで訊くと、シー・ビショップは男の名前を確認した。

「オーヴァイス=ダンデリオン」
「まぁ、やっぱりそうでしたか。もしやと思いましたもの」

人魚は驚き、男にリルウェルから手紙を貰っていることを伝えた。
オーヴァイスは驚き、自分は手紙の事を何も知らないと言った。
シー・ビショップは会話中であっても淫楽に激しく腰を震わせ、最早儀式の祝詞は失われていた。
男も彼女の腰を支える様にして、至福を甘受する。
涙声を弾ませながら、人魚は踊るように秘部で扱き上げていく。

「リルウェンに、手紙の返信はしていないのです。
 血を分ける人々と実際に会って、どうするかを決めたいと思いましたから」
「...それで、どうでしょうか?」
「貴方はとても逞しく、激しいです。また優しさにも満ち溢れています」

魔物はオーヴァイスの後ろで手を組みなおし、祈るように上下に揺れる。
以降、お互いが絶頂を迎える迄沈黙は続いた。
互いの舌を貪りあっていた為である。
そして同時に強く抱き合って迎える大きな痙攣の後に、人魚は喋った。

「打算的な性格でもありますが。それもまた魅力的。
 この様な御人になら、私の血も喜んで差し上げますわ」
「...ありがとうございます」

男は歓喜して、しかし冷静に感謝を述べる。
間近で顔を赤らめているシー・ビショップは長い髪を漂わせながら、優しく頷いた。
そして口を動かすが、肝心の声が出てこない。人魚自身が驚いた。
どうにも言葉が纏まらずにいるらしい。
人魚はゆっくりと時間をかけて、言葉を整理する。

「えと、あのその。...何でしたら、まだ続きをしたいのですが」
「...すいません。そろそろ陸に上がって妻達を安心させないと」

オーヴァイスの言葉に、魔物は改めて過ぎ去った時間を思い出す。
残念そうに笑うシー・ビショップは身支度を調え、彼の手を引いて浮上する。

その日、男と人魚が海面に現れた時間は、昼をとうに過ぎた頃だった。
洞窟では、胡座をかいたリルウェルがふたりを待ち構えていた。
リャナンシーはシー・ビショップと暢気に挨拶を交わす。
しかし、オーヴァイスは暢気になどなっていられない。
男は自身が消えた辺りの海辺にいる魔物3人の元へ走って行った。

セラが先ず男を見つけ、上空から男の胸に飛び込んだ。
頭を軽く叩いて、その小さな腕で首を抱く。
頬を擦り寄せ、舐めるとしょっぱそうに顔を歪めた。

「おそかったね」

オーヴァイスはセラを肩車し、ただいまと言った。
次に、汗まみれのマーナガルムがオーヴァイスの左肩を後ろから掴んだ。
狼はそのまま腰を抜かしたらしく、ぺたんと地面に座り込んだ。
俯いた蒼白な顔から、石畳に雫が数滴落ちる。

「心配した。どうしようかと思った」
「ごめん」

オーヴァイスは振り返って狼の頭を抱き、撫でて謝った。
アリエスは狼の後ろからゆっくりと歩いてきた。
男は立ち上がる。

「溺れてた子は無事だったよ」
「そうか、よかった」
「ねえヴィス、海は気持ちよかった?」

アリエスは笑って訊ねる。
全身の白い羊毛が、強い日差しで金色に輝いている。
男はアリエスに触れられず、ただ笑顔で返すほか無かった。
引きつって固まる頬に冷や汗が垂れる。

「忘れられない程にはね」
「そう」

妻がオーヴァイスに急接近し、頭突きした。
セラを落とさないように必死に耐えつつ、男は目に涙を浮かべる。
そんな夫婦を見て、後から追い着いたリルウェルは大笑いしていた。
魔法で足を人間のそれに作り替えたシー・ビショップも小さく笑っている。
人魚はオーヴァイスとアリエスに儀式を促す。
すると、羊は洞窟に行ってしっかり行いたいと願い出た。
快く了承したシー・ビショップを先頭に、一行は人魚の住まう洞窟へ向かう。
洞窟は入り口こそ狭いが中は広く、奥にちょっとした聖堂の一室がある。
司祭は着替え、特別な魔性の薬をふたりに授ける。
疲れの吹き飛ぶような、少し危険な薬だ。
夫婦は聖堂で翌朝を迎える。


- - - -


「ありがとうございました」

洞窟の前で、アリエス達は司祭に深々と頭を下げた。
男の手には赤い液体の入った瓶がある。

「はい。ちゃんと祈らせて頂きました。私からもありがとうございます」

シー・ビショップは笑い、腕に小さなパッチを当てている。
儀式の後、夫婦達は彼女から特別に血の盃を受けたのだ。
その血を飲んでも男達は変化を感じなかったために不安を覚えたが、人魚は大丈夫だとはっきり言った。
オーヴァイスは3週間、毎日数滴飲み続けること。
アリエス、マーナガルム、セラは1週間でいいらしい。
そうすることで、気付かないうちに延命できる体になるのだと人魚は告げた。
何でも人間を変質させず不老不死にさせるには、それなりのリスクがあるらしい。
他人に血を分けること自体が初めてであるシー・ビショップはその危険性を熟知していたため、体に負担を掛けすぎない方法を選んだという。
オーヴァイスとアリエスは同時に欠伸をする。
これからどうするのかと人魚が問い、妖精が一日中宿屋で休むと答える。
寛ぐだけなら、とシー・ビショップは人間用の寝室が洞窟にあると勧めた。
宿屋を取っていない4人は思わず喜び、その好意に甘えることにする。
早速再び洞窟内に戻って眠ろうと彼らが歩き出した時、人魚が男を呼び止めた。
シー・ビショップは俯き、持っている石版をなぞり、喋る。

「...そそ、それでですね、オーヴァイスさん」
「はい。何でしょうか」
「私はこの海を普段廻遊しています」
「そのようですね。儀式の旅も大変でしょうが、頑張って下さい」
「あぁ、ありがとうございます。でっでもそうじゃなくて!」
「はい?」
「その瓶の血も、恐らく3週間経たずに無くなるでしょう?」
「そうですか? そんな事はないと思いますが...」
「無くなるんです」
「はい。無くします」
「お願いします。...それで、半年後、また私は此処に来ます。
 その時にまたいらして、私を迎えに来て下さい」
「半年後ですね。承知しまし待って? ...何だって?」

男は目を見開き人魚を見遣る。
あまりに急すぎやしないか、と思った。
超絶美人の人魚はもじもじと恥ずかしそうに体を揺らしていた。
次に、隣にいたアリエスの顔色を窺うと、半分呆れ顔で頷く。
マーナガルムは半分どころか完全に呆れ、既に溜息を吐いていた。
狼に抱かれていたセラは、目を輝かせてオーヴァイスを見つめている。

「ありゃりゃ?」

リルウェルが面白可笑しそうにシー・ビショップを茶化した。
髪を指に絡めながら、彼女は妖精に弁解する。

「困っている人を助けさせて頂くのは私の役目です。
 日常的に困るようなことがあれば、私がサポートしなくては」
「つまり? どーゆーことだってばよ? 」
「もう! わかるでしょう!?」
「にゃはは」
「...という事のなのですが、如何でしょうか?」
「あぁ。はい。これから...これから、よろしく」

オーヴァイスが手を差し出す。
その顔は嬉しさ半分、複雑な心境もう半分という表情だった。
シー・ビショップは直立姿勢から腰を折り、オーヴァイスに一礼する。
ふわりと舞う髪から、男の鼻腔を刺激するいい匂いがした。
彼女はすぐさま向き直り、非常に嬉しそう握手をして笑う。

「その時は、フィンって、呼んで下さいね」

海の神官「フィン」のお話。
後日談も考えてありますが、それはまた、別のお話。
これにてダンデリオン・シリーズ完結となります。
お付き合い頂きありがとう御座いました。


11/05/08 21:55 さかまたオルカ

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