雇主録 |
ダンデリオン家は、代々養子を貰って家業を継がせる。
オーヴァイス=ダンデリオンは、その有名な家の6代目だ。 家業というのはワーシープの羊毛を使った生産・加工業であるが、この職業はさまざまな知識・技術が要る。 例えば、羊毛と一口に言っても、魔性の羊は二種類の毛に包まれている。 それらは皮膚表面部と外面部に分かれており、それぞれケンプ・ウールという。 その二種類の羊毛は催眠性や催淫性が大きく異なり、上手な利用法を知る必要があるのだ。 とある長閑な盆地にあるちょっと豪華な一軒家、ダンデリオン邸。 綺麗なガーデンに囲まれ、また傍に清流を通している。 その一室にワンノックの後に入室する者が居た。 引き締まった体にベリーショートの女だ。 「御主人殿、お疲れ」 「おう、マァ。ありがとう」 「まだエリーは起きないみたい」 「あいつは一日中コトに費やせば、いつも2日は起きないな」 「そうですね。まあ。今回も家事は私に任せて貰います」 「いや、流石に手伝うよ」 普段のオーヴァイスは書斎に篭り、難解な旧文字で綴られた文書を読んでいたり、書斎から通じる研究室にて、羊毛の性質検証や実験を繰り返す。 今日もその日常通りに、家主はその書斎で本の虫と化していた。 家主は情報を纏め終えると、次は研究と試作に取り組み製品価値を検証する。 そんな家主を支えるのは、彼の妻でありブランドの原料を生み出すワーシープのアリエスと、あと一人。ワーウルフであるマーナガルムはその一人としてオーヴァイスと契約関係の上にあり、主にワーシープや家の警護を仕事としていた。彼女は強い眼力や鋭い牙や硬い爪を武器として、この家庭に降りかかる火の粉を振り払う。 役割を持ち寄り、3人は仲良く一つ屋根の下で暮らしている。 言わばブランド・ダンデリオンは主に3人の手によって成り立っているのだ。 「また意味の判らないような本を」 「あぁ、ちょっと思いついた事があったからね」 「この部屋はいつ本が崩れてこないか心配になります」 「そうだね。一室に置くにはちょっと多すぎるかもしれない」 「それでそろそろ本の蔵を外に建てようかと」 「いいね。今度一緒に建てよう」 「了解しました」 オーヴァイスは一息入れようと狼の持って来たホットドリンクを口に含む。 芳醇な香りが口腔から鼻へと抜けていく。 「やっぱりコーヒーはエリーよりマァの方が美味しく淹れられるんだな」 「馬鹿羊と比べられても困るけど、一応ありがとう」 気恥ずかしさを誤魔化しつつ、狼は一礼した。 その様子を確認して、男は相変わらず素直じゃないと茶化す。 彼女は普段瑠璃紺と灰色の服を着ており、見る者にしっかりものという印象を与えるのだ。 エリーやマァというのはアリエス、マーナガルムの愛称である。 「どうにも集中できなくてね」 「昨日の今日ですし。結局疲れているでしょう」 マーナガルムは溜息をついた。 家主は先日長旅から帰宅したばかりであり、一昨日アリエスと久しぶりに深く交わっていたのだ。 つまり嗅覚の鋭い狼には、今のこの家はどこもかしこも“愛の匂い”に溢れている。 狼は扉近くの本棚に寄りかかり、溜息をついた。 「あの羊はのんびり屋ですから」 「一朝夕夜で済んだだけ楽できて助かったよ。自分を情けないと思ったりもするけどね」 「まぁ。確かにそうですね」 アリエスは数年に一度といった割合で、金色の羊毛が生えてくる。 その黄金を刈り取った日は、昨夜のような甘い交わりなど許されないのだ。 彼女はふふん、と鼻を鳴らす。 書斎前の廊下でコトに及んだのは昨日の夕方だろうと見当がついた。 男は本に囲まれたこの場所での行為を危険と認識したのだろう。 マーナガルムは、羊は随分と愛されているものだと感心した。 「御主人殿。明後日ごろに街へ煉瓦を買いに行きたいのですが」 「あぁ、エリーの壊した花壇の...か。いいよ。行こう」 家主は強く目場たき、人差し指と親指で目頭を押さえて大きな溜息を吐く。 彼は脇の引き出しを開けて、丸みのある籠を取り出した。 その籠を開けて、小さな袋を取り出す。 「おいで」 優しい声で手招きされ、マーナガルムは主に近づく。 「お手」 「...」 「ほい。俺用の土産だけど、これやるわ」 「飴ですか」 手渡されたのは黒い袋に包装された飴だ。 有名なチョコレイトブランドの新商品らしく、舌で飴玉を転がす度に厭味の無い濃厚な味が楽しめた。 「通常よりも満腹中枢を刺激して、犬も食えるようにしたんだと。 マァも安心してチョコ食べてみたかったんだろ」 オーヴァイスは達観しているかのような物言いで、頬杖をつく。 「い。いや。まず私は犬ではなく狼で」 「お前魔物だし、5キロぐらいは食べても死なないと思うが」 「...5キロ?」 「いや、仮に50キロの犬とした場合の計算だが」 「は。はぁ。そうですか」 「やや。中毒症状の要因はまだあるし、人間として換算すると...暗算面倒だな」 「じゃあ何で計算してるんですか」 「どうせ魔物なら通常の3倍ぐらい食べても平気だろ」 「3倍ですか」 「お前が赤い角でも持ってりゃ確信できたんだが」 投げやりな結論だった。 家主が歯で飴を砕き、ガリッという音が部屋に響く。それに合わせるように、狼の瞼は震えた。 マーナガルムは指で頬を掻きながら呟いた。 「馬鹿言うのは羊だけで結構です」 「そう言いなさんな」 「でも先ず。私は危ない橋は渡りたくない」 「精々幻覚みる程度だろ」 「とにかく。私はダンデリオン家に代々仕える身」 彼女は一瞬だけ顔に動揺を浮かべ、この話題を一刀両断しようとした。 「そんなはしたない真似は出来ない」 「お堅いことで」 オーヴァイスが残念そうに呟き、コーヒーを飲んで再び顔を明るくした。 護衛の淹れたコーヒーとチョコレイト飴の取り合わせが良かったらしい。 家主は機嫌を直してマーナガルムを呼んだ。 「マァ、こっち来て」 「遠慮したい」 「んじゃ命令。このマグカップの中を啜りなさい」 「で。でも。今日摂取できるカフェインの量は」 「痛い目見るのもいい経験だ。美味いから試してみ」 彼女は普段ヒピンと張っている耳を垂らし、嫌な顔を見せる。 渋々カップに口付けコーヒー啜り、口内で飴を泳がせた。 すると途端に耳が張り、目が冴えた。 その素直な反応を見て、アーヴァイスは満足そうに笑う。 「いけるだろ」 「こりゃ。美味しいですね」 - - - - 夕飯になっても相変わらず、アリエスは目を覚ます気配が無かった。 幸せそうに眠っているその顔を眺めるだけで、家主も護衛も安心する。 ふたりが夕飯を済ませて、分担しつつ一緒に後片付けをしていると、テーブルを拭いていた狼が質問を投げた。 「どうしてあの羊はあんなに可愛いんでしょうね」 「性格なんだろうねぇ」 オーヴァイスは皿を拭きつつ、愛妻の寝顔を思い出す。 「マァももっと素直になって良いんだぞ」 「え」 「本来なら、もっと甘えたがりだと見えるんだが」 「そう。ですかね」 「もっと俺も頼られる価値はあると思うんだがなあ」 マーナガルムは黙りきってテーブツを見つめ続けている。 家主は食器の水分を全て綺麗に拭き終わり、それをゆっくり棚に戻していった。 「同じことをよく言われます...エリーにも」 「そりゃあそうだ。もっと寛げる時は寛いで良い」 「しかし。私には警備という仕事が」 「結界も罠も張ってるんだ」 最後の皿を片しつけると、オーヴァイスは狼の元へ歩み寄る。 彼女の顎を擽る様に撫でる。犬や猫、羊はこうすると気持ち良いらしいのである。 これは彼の愛妻も同様であったことからの行動だった。 狼には初の試みであったが功を奏し、彼女はやっと顔を上げて主人を見た。 「そこまでマァが気を張る必要は無いだろうに」 脅えきっている彼女の目に、家主は自分の姿を確認した。 普段のマーナガルムとは何か違っている。 狼の契約相手から見た今の彼女は、何かひどく苦しんでいた。 何に苦しんでいるのかわからないが、それを払拭したくてオーヴァイスは語りかける。 顎から後頭部へと撫でる箇所を移した。 「気持ちが弱くなることはよくあるもんだ」 「違うんだ」 「違う?」 「私はいずれ御主人殿やエリーを食べる身だ」 マーナガルムは絞り出すような声で言葉を紡ぎだした。 「それまでの間。私は涙を見せたくない」 「そりゃあお前、マァが俺たちを食べるのはダンデリオンの契約だから当然じゃないのか」 ダンデリオン家の当主はワーシープとワーウルフに新たな命を与え、また新たな養子を教育する。 そうして代々秘密の技術を守ってきたのだ。 また、ダンデリオンには死体から技術を読み取らせないための方法があった。 当主が死ぬと、ワーウルフが当主と羊を食べるのである。 そして己も当主と羊の骨を抱いて小さな旅をし、洞窟から通じる火山へと飛び込むのだ。 これは、ワーウルフやワーシープの寿命が人間とほぼ同じであることを利用したものだった。 マーナガルムは目を細くして涙を溢れさせながら、大きく息を吸う。 「私は狼としてエリーが好きだ。 私は同じ魔物としてエリーが好きだ。 私はこの事業を守るエリーが好きだ。 私はこの事業を守る御主人殿が好きだ。 私は契約相手として御主人殿が好きだ」 狼は口早に告白を並べ立てた。 「御主人殿やエリーを守るためなら。どんな奴だって殺してみせる」 「マァならドラゴンだって相手に出来そうだよ」 オーヴァイスは本心を伝え、耳を包むように撫でた。 彼女は未だにふるふると小刻みに震えている。 「俺もエリーもマァは大好きだし、それこそどんな立場からみても感謝や尊敬はしてるよ」 「私はひとりの生命としてヴィスを愛してる」 「...俺がお前を、嫌いだとでも思っているのか。この馬鹿狼」 背が1頭身分だけ低い彼女を後頭部から抱き寄せる。 マーナガルムの涙が頬から伝い、オーヴァイスの服に染み込んでいく。 「俺達は食べてもらって構わないんだけど、マァは俺達を食べたくないんだね」 家主の腕の中で、小さく頷いた。 「可愛い奴。いつもそれ位素直だと嬉しいんだけど」 「...この前の残り香が凄いせい」 「残り香か。鼻いいもんな。ごめんよ」 「例えばソファやテーブル。ベッドでもいい。それらのどこから強く匂いが出てくるか。 それだけで何時頃そうしたか。どんな体位でいたか。その繋がっていた時間。 激しさ。キスの量。エリーを揉みし抱いた数。貴方を扱き落とした数。 ふたり吐息の濃さ。ふたりの愛。狂気。興奮。全てを知ってしまう」 オーヴァイスは呆気に取られる。 彼女の鼻がいいということは充分知っているつもりだった。 しかし、まさか状況分析までできたとは知らなかったのである。 マーナガルムは今の今まで、夫婦の営む詳細を知っていたのだろう。 しかし彼女はこの20と数年もの間、一度も家主と交わろうとしなかった。 「言ってくれれば配慮できたよ」 「言ってしまえば遠慮されます」 愛する者と親友が幼い頃より深く愛しているのを間近に見て、それでも自分を殺していた。 如何に我慢していたか。どれほど己を慰めたか。 そのときの彼女の心中は想像につかない。 狼は髪一本一本まで震わせていた。 「限界です。貴方に抱かれたい」 マーナガルムが乾きを訴え、男の目を見て懇願した。 「...実はね、エリーに頼まれてたんだ」 「何をですか」 「君がこうして限界を迎えるとき、優しく受け止めてあげてってね」 狼の目が一度大きく見開かれ、首から赤色が上っていった。 彼女の金色の目はそのまま固まり、口が徐々に開かれていく。 綺麗好きで、一刻も早く交わりたがっているマーナガルムが選ぶ最初の場所を、家主は容易に想像できた。 そしてその場所は実際の行為に及ぶ際にも充分スペースが取れている。 オーヴァイスは机に転がる飴を取り、包装を破って口に放って噛み砕く。 「じ。じゃあ」 「一緒にお風呂入ろうか?」 「う。うん。背中...流すよ」 狼はオーヴァイスの背後に回り、アリエスよりもずっと硬く控えめな胸を押し付けた。 護衛はその状態のまま抱きつき、ふたりは不思議な挙動でシャワールームへと向かった。 その間、彼女は歩けば歩くほど鼻息を荒くしていき、小さく唸り声を上げていた。 通路には親友とこれから抱かれる人の行為の名残が残っているため、その情景を吸収しているのだろう。 家主は興奮している狼が、衣服ごと体に爪を立てて刺していることを伝えず、寧ろ無理やり甘受しようとした。 空気中で新しく混ざるオーヴァイスの血に混乱しつつ、マーナガルムはより一層の興奮を覚えていた。 「着いたよ。自分で脱げるかい」 「ひとりで脱ぐ。...見ないで」 彼女は体全体が震えている分、脱ぐのにも一苦労なのだろう。 オーヴァイスがボイラーを調節してから全てを曝け出した後でも、その背後では小刻みな布の擦れる音が長く続いた。 薄い床全体も振動し、陶器の石鹸置きがアリエスのコップとぶつかって音を出す。 「あぁ。悪い。もう我慢できねえや」 男は振り向くと、もたつく彼女に強く唇を重ねた。 彼女は脱ぎかけの服に手間取って身動きが取れなかった。 ただ全身を委ね、力を緩ませてされるがままとなる。 男から唾液を吸い取られ、与えられ、狼は自分の口の中がどうなっているか想像できなかった。 とめどなく大量に溢れてくる涙もすくい取られ、唾液の一部となっていく。 この時点で、彼女は息をすることすら忘れるほどの絶頂を迎えつつあった。 家主は唇を離して舌なめずりをすると、女の服を脱がし始める。 灰色のワンピースにラピスラズリに染められた薄着を愛しそうに、丁寧に取っていった。 「綺麗だ」 「恥ず。か...しい」 すると現れたのは、20数年共に暮らして初めて見るマーナガルムも裸であった。 マーナガルムは3人の中で最も年下だったが、狼は羊よりも成長速度が若干早い。 透き通るような青を連想してしまう皇かさの肌と、真っ黒な鬣や体毛に包まれており、それでいて引き締まった細い体だった。 「行こうか」 「...はい」 オーヴァイスは狼の腰と腕をとり、シャワールームの中へと誘導していく。 無重力空間に浮いているかのような足取りのマーナガルムは、この後痛い思いをすることとなる。 |
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羊と共に暮らす「マァ」のお話。
「羊飼録」の続編に当たります。 話は変わりますが、『魔物娘図鑑』欲しいです。 隠す場所が無いからどうしようもありません。 同士求む。 11/02/12 23:14 さかまたオルカ |