隊員録 さいご |
「サンボウ、腹減らないか」
街中の人混みを歩く男が、彼の背中を追う少女に声を掛ける。 サンボウとは少女の通称で、ゴブリンの群れのブレーンを務めていたことに由来する。 彼女は現在、その群れから離れて男を監視する立場にあった。 「急だね。ダンナはどうしてそう思ったんだい。」 「うーん。サンボウの腹の音が聞こえた気がしたんだが」 「え゙」 「・・・嘘だぞ。腹減ってるならどこか寄ろうか」 魔物からダンナと呼ばれて親しまれる男は笑って提案する。 ゴブリンと言っても、彼女は現在魔装具を首から下げて人間に擬態している。 角や耳の尖りが消えた、幼い少女と変わりない容姿である。 ただ、その整った顔はすれ違いゆく人々の視線を集める注目の的にもなっていた。 「折角論文の提出も終わったんだし、とりあえず今は祝おう」 ダンナはサンボウに並列するように歩幅を調整して歩く。 彼は歩きながら大きな手を少女の頭でバウンドさせた。 「故郷にはまだ帰らないのか?」 「発表はまだしてないからな。だいたいあと2ヶ月かかる」 「長いな。オカシラたちは元気だろうか」 「元気じゃないわけ無いだろ」 ダンナは元ダンジョン調査隊に所属していた。 至極簡単に言うならば、発見されたダンジョンを10人規模で攻略する仕事だ。 ダンジョンの情報は各ギルドに売られ、またギルドや国からの調査依頼を受ける。 ダンナの生きる国ではダンジョン調査隊自体はあまり普及しておらず、もっぱらギルドから冒険者の一団として扱われていた。 それゆえに調査隊はダンジョンで得た情報の一部や学術的価値を発表し、交渉の次第で金に換えていることが殆どであった。 その調査隊も、サンボウ達の洞窟に住まうトラップモンスターによって1人を残して壊滅。 唯一の生き残りであったダンナは、ゴブリンの頭領から気に入られてその群れの夫となったのである。 ダンナは最後の調査隊員として彼女たちに交渉し、ゴブリンの生態を紐解く論文を作った。 サンボウは発表内容の検閲やダンナの同行の確認として、彼といっしょに一度洞窟を抜けたのだ。 「どうせ今日も酒呑んで騒いでる」 「そうかもなぁ」 サンボウは懐かしむように、またつまらなさそうに溜息を零した。 蟒蛇の多いゴブリンの中で唯一、彼女だけは酒を呑まない。 年端のいかない少女の外見であるからか、この前の学会の会食の席でも控えていた。 「お前、もしかして下戸か」 「・・・」 「昼はあの店にしよう。入るぞ」 ダンナは何の気なしに民族風の店を選び、そそくさとその中へ足を運んだ。 少女は慌ててその後を追う。 店の扉を越えると、追っていた男は店を見回し立ちつくしていた。 「これはまた・・・凄いな」 「うん。俺も同意見」 店内は本格的な装飾で散りばめられ、多数の文化が融合して溢れている。 薄暗く周囲を壁で囲まれた一席に案内されると、男は早速主食相当のものとスープを頼んだ。 少女は顔を曇らせて悩み、魚介類のマリネにサンドウィッチ、それとポテト・ポタージュを注文する。 「凄いな。個室文化なのか」 「多分それは店の考えだろう」 「そのネックレスも丁度この店の雰囲気に合ってる」 「ゴブリンの技術がこの雰囲気に調和するということか」 「そういうことだ」 「もしかすると、昔に技術を与えた仲間がいるのやもしれんな」 サンボウは得意げに笑った。 その自尊心は、他の魔物達からの絶対的な信頼を受けているという自信の現れでもあった。 ゴブリンは群れで様々な魔物と共にひとつの洞窟に住む。 タンナの経験したことだが、その生活空間には人間にはおよそ想像のつかない工夫ばかりが施され、その技術一つを公表するだけで建築界に激震を与えるものも数多い。 サンボウはそのゴブリン達の実質的なまとめ役であるのだから、それは誇らしい事だろう。 「このネックレスはな、あたいが最初に作った魔装具なんだ」 「へえ。よく出来てる」 「ありがとう」 「手先が器用なんだな」 「昔一緒に暮らしていたドワーフに教わってね。皆上手なんだ」 「そうなのか。魔物が工芸をするのは知っていたけど、現物はあまり出回ってないからなぁ」 「そりゃ高価なものもあるけど、手頃な値段で売り捌いたりもしているぞ」 「この国じゃあ魔物製の道具は高価格に設定されてるんだよ」 「ふむ。それでは安く捌いていたのは勿体なかったかな」 「かもな。魔装具みたいな道具となると、だいたい国民の平均年収分くらいはするものばっかだ」 「そこまでひどいものなのか!」 「確かアガナイって仲間いたろ。商人を相手に交渉するゴブリン」 「あのライオンヘアーの?」 「そう。そいつから何か聞いてないのか?」 「全く聞いてない。多分彼女も何も知らないや」 サンボウが呆れ驚いたところで、テーブルに料理が並べられた。 それらを美味しそうに眺める彼女は、丁度児童遊園などにいそうな子供である。 グループの中では大人っぽく振る舞い、しかし遊具施設で遊ぶような子だ。 ダンナもそんな彼女の姿を見ると、自然と顔を綻ばせる。 二人は糧の恵みに感謝をし、普段よりも豪華な昼食を頂き始めた。 サンボウはまずマリネを食べる。 「美味し」 「ほう。どれどれ」 ダンナはフォークでマリネを突き、一口。 「うめえ」 「こら」 「じゃあこのパンまがいのやるよ」 「それよりスープがいい」 「おぉ。美味しいぞこれ」 少女は男の正面から隣に移動し、スプーンを取ると掬って飲んだ。 「美味し」 「な?」 自分が頼んだからな、と匙を受け取ったダンナは笑う。 確かにモノの見る目はあると思っていたため、サンボウは何も言わなかった。 しかし、ダンナに気づかれないような笑顔を一瞬だけ見せて、再びスプーンを奪い取る。 怪訝な顔をする男に、何度もスープを差し出した。 ダンナは困惑しながらも、スープを飲んでいく。 「ひひひ」 悪戯っぽくサンボウらしくない笑い方で、彼女は必要のない介助を続ける。 ついでに、彼女自身もパンまがいの主食を細かく千切って食べていく。 「お口の中はスープの味に染まったかい?」 男はスプーンを口に突っ込まれままの状態で質問され、黙って何度か頷いた。 「そうか。それは良かった」 少女は男の両頬に手を添えて引き寄せ、顔を近づける。 そして、その小さな男の口腔をまさぐった。 濃い味のスープがまとわりついた場所を、丁寧に舌で擦られる。 一室であったから及んだ行為なのだろうが、男としては単なる飯屋で迫られていることに目を明滅させた。 サンボウから主食が送られ、口の中をなぞるようにかき混ぜていく。 空気が入り込み、圧縮され、解放される音が響く。 パンまがいは二人の間を何度も往来し、最終的に二人の喉へと落ちていく。 そうでないものも多く混ざったスープが、少女の口から垂れていく。 「ぷはぁっ」 肩が上下するほどに息の上がりきった少女は、満足そうにはにかんだ。 男は彼女よりも顔を赤くして、彼女から目を逸らした。 腕で口元を拭き上げ、乾いた声で訴える。 「・・・お前、激しすぎ」 「ダンナ。あたいらは順番がある。ダンナの相手を最初にするのは勿論オカシラだろ」 「そりゃあ、そうだが」 「街で生活してて判ったけど、ダンナは多分色々と未経験だ」 図星だった。 ダンジョン調査隊であったゆえ、体つきには多少の自信もある。しかし、あまり顔はそういう訳でもない。とにかくダンナはサンボウの言うとおり未経験の固まりなのだ。 少女は大きな目で男を見上げ、質問する。 「キスも?」 「・・・あぁ」 「よかった。ダンナの初めて、ひとつ貰えて嬉しいよ」 「お前は?」 「これがファーストキス」 「・・・魔物ってのは、みんなこんなに凄いもんなのか」 「そんなことは知らないな」 少女は満足そうに鼻を鳴らす。 「これ以外の全ての初めては、オカシラの為だ。あたいも我慢する」 「・・・そうかい」 「でも、これだけは。せめて街にいるあと2ヶ月間ぐらいはして欲しい」 男は少女を見た。 ネックレスが妖しく光を反射しており、それが彼女を人間に見せている証拠であるとは知っている。 しかし、判っていても。 男は思う。 魔物と交わって生きていくなら、自分に人間の子を設けることは出来ないだろう。 そういう魔物の嫉妬心、執着心を利用したのが人口爆発のさなかにあるこの国の人口削減計画だ。 男はヒトの子が欲しかった。 目の前の少女は、言ってしまえば人の皮を被った存在である。 彼女たちの魅力は一旦気付けば底が知れないもので、取り憑かれてしまえばもう戻れない。 その先は暗闇に深く堕ちていくだけの一方通行だと判っている。 「魔物の唾液には、アレか。人間を夢中にさせる毒でも入っているのか」 涙を流しながら苦し紛れに呟き、額を押さえた。 彼女たちから逃げるために演説したはずだった。 約束だって守り、本来であれば彼女たちの元へ男を連れて行く心算もあった。 「大丈夫か。ダンナ」 しかし、彼女たちは約束の上で独りの調査隊員をダンナとして呼称し、皆の夫とした。 「・・・大丈夫な訳あるか」 交渉人としての振る舞いは、全て裏目に出てしまっていだのだ。 「ご飯の途中に悪かったね。まだ、食べる?」 少女は悪びれた様子で、元々座っていた男の対面座に戻った。 ダンナの妻のひとりとして、目の前の彼女も存在していた。 彼女たちとの集団生活において、ゴブリンが人間と共生できる種族であることは実感している。 しかし唐突にこう求められ、その後何事もなかったかのように笑い掛けられていては戸惑うばかりだ。 魔物に厭味を感じ、男は急激に苛立った。 「遊ばれている気すらしてくるな」 「・・・本気だけど」 「ヒトを遊ぶ奴は、大抵同じ事を言うもんだ」 ダンナは立ち上がり、部屋を出て会計を済ます。 焦りを顔に浮かべたサンボウは手の付いていない料理を凄いスピードで平らげ、その後を足早についていった。 街でダンナとサンボウが生活するアパートには、どうしようもない空気が流れていた。 民族風の店でダンナが爆発してから数時間が経過している。 それほどの時間、二人はずっと無言で通していた。 ダンナは発表資料を淡々と作っていく一方で、サンボウは手持ち無沙汰だった。 少女はすることのある男を羨ましく思い、同時に後悔していた。 自分勝手を呪った。 ここまで感情を剥き出しにしたのは初めてのことだった。 ダンナと、せめて会話がしたかった。 彼女はこの厭な空気を打破するべく、勇気を振り絞って話しかける。 「あの、えっと」 「・・・」 少女には次の句が出せなかった。 男も少女も息を詰まらせていたのだ。 広くないアパートに、緊迫感だけが漂っている。 耐えきれず、サンボウは目を潤していく。 「ごめん。俺が悪い。意味判らないな」 その時、サンボウに背を向けたままの男が口を開く。 男もまた、自分の身勝手さに後悔していた。 自業自得の身でありながら、自分の都合だけを考えていた。 ごぶりんは元々人間と極力関わろうとしない魔物でああ。 そんな彼女たちを利用しようと思った時点で烏滸がましいのだ。 己が与えたものを用いて求められたのだ。こちらが悪い。 「酷いことを言ってしまった」 「あ、あたいは大丈夫だから。それよりも、ダンナが」 「俺?」 「ダンナにも事情があるだろう。洞窟でも誰とも交わらなかった。 あの場所はダンナにとっては仲間達の死んだ場所と同然だ。 そりゃあ友人達の死に場所で楽しく生きようとは思わないのかもしれない。 でも、ダンナはあたいたちに優しくしてくれた。 こうして街まで一緒に来たあたいにまで笑い掛けてくれる。 それなのに、我慢できずひとりで急いてしまった。申し訳ない」 「お前が謝る必要は・・・」 ダンナは言い淀んで、咳払いを一つした。 机からサンボウへと向き直り、強い口調と共に頭を下げる。 「あと、こんな事は二度と言わない。言えない。 無論、オカシラにも。・・・お前だけに言っておく。 彼女たちに話しても構わない。それで怒り、殺されるのは遠慮したいけど諦めもつく、どうしようもない事だ。 俺はお前たちを利用しようとした。逃げようとした。 別に調査隊の仲間はいつ全滅してもおかしくないと思ってその仕事をやってきたから、お前が気を病む必要はない。 もっと単純に、俺はお前たちと交わることが厭だった。 1人だけを監視役として町に連れてきたのは、たった1人なら町中での対処も簡単にできると思っていたからだ。 お前を殺そうとしていた。 そうじゃないにしても、お前を売り飛ばそうとしていた。 俺はお前達を騙していたんだ。 それを今、謝罪する。すまない」 若干の沈黙の後、サンボウは男に頭を上げるようお願いした。 魔物は慎重に言葉を選び、ゆっくりと告げる。 「騙し切れてなかったな。少なくとも、あたいにはね。 だけどあたいたちにとっては関係ないことなんだ。 オカシラがダンナを好きになってしまったのだから」 「・・・」 「あたいだって、・・・こんなこと言っちゃいけないと思うけど、オカシラよりずっとずっとダンナを」 少女は声を殺して泣き出した。 「お、おい。サンボウ」 男は狼狽しつつも机を離れて、少女を腕に包んだ。 人間の子供と同じように、体温はダンナよりも高かった。 彼女の背中をさすりながら、ありがとうと呟く。 「・・・今後もあたいたちの技術を小出しに発表していきたい?」 人間に擬態しているゴブリンは、抱かれたまま問う。 何故そんな質問をしてきたのか疑問に思ったが、男は素直に答えた。 「そうしたい」 「騙してたことは許して欲しい?」 「あぁ」 「交わるのが厭だったと言うことは、今は違うの?」 「・・・そうだ」 髪飾りの少女は男の胸板を押すようにして離れ、上目遣いになる。 耳や鼻が紅潮して涙で濡れたその顔が、ダンナの鼓動を速める。 「覚悟は、出来ている?」 男には彼女と見つめ合った時間が一瞬にも永遠にも感じられた。 内心を確かめ、踏ん切りをつけ、腕の震えを喜びに変換する。 彼女たちは外見以上に可愛く、楽しい者ばかりであった。 この街を捨て、ダンジョン近くの街に住所を移す。 そして残る人生の殆どを洞窟で過ごす。 もしかすると、全ての時間を洞窟に置いて死ぬかも知れない。 それでも、元調査隊員は彼女夫として生きようと思った。 決意はあと一握程度の揺らぎを孕んでいる。 男はそれ払拭するべく、魔物の目を見据えた。 そして、人間に変化するためのネックレスを彼女の首から取り上げる。 「覚悟をつけさせてくれ」 昼と立場が逆転した。 次はダンナから彼女を求める番となったのだ。 角の見えた少女と男はお互いに喰らい付いた。 その日を跨ぐ頃、男と少女は隣の部屋から壁を叩かれることになる。 |
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