隊員録 さいしょ |
ゴブリンという、よく知られた魔物がいる。
昔は醜悪粗暴で残忍と、退治の対象であることが多かった。 しかし、魔王変革以後になってからは違う。 容姿性格がそれまでとは大きく異なり、誰からも愛くるしく思われるようになったのだ。 ゴブリンは愛されることを厭わず寧ろ歓迎し、遂にはエンカウントした者を虜にする。 結果的に行方不明者を生む魔物として危険視され、退治される事は変わらなかった。 「詰んだ」 切り立った崖の下でぽっかりと口を開いた暗闇に、男は涙目のまま睨みをかます。 冒険者の報告によると、この洞窟でゴブリン種の中でも稀少な亜種が生まれるとの事だった。 男はダンジョン調査隊の一人であった。 ダンジョン調査隊とは冒険者とは違い、10人程度の規模でダンジョンを攻略する。 場合によっては目印を付けてダンジョンの抜け道や、トンネルとして活用できるように洞窟内を整備するのだ。 旅商人などにはありがたいこの職業だが、この男は絶望していた。 「どうしてこうなった」 トラップモンスターに男を除く全員が食われてしまったのである。 洞窟の一部屋にあるもの全てをその魔物は自分の空間に引きずり込んだ。 男だけはその部屋の入り口に近く、また危機察知能力が高かった事が幸いし、逃げ延びる事が出来た。 とにかく、ここを離れて各ギルドに報告せねばなるまい。 調査隊員は尻に地面の冷たさを感じ、降りつつある夜にどう対処するか考える。 夜に駆けては魔物もさぞ見つけ易いことだろう。 しかし此処で洞窟の前でひとり一夜を明かすことなど無謀である。 せめて結界術に明るければ、と男は後悔した。 周囲を見渡すと、やはり周囲は崖に覆われており、遠くに移動に要した一本のロープがそのまま張られていた。 男はそこまで戻ろうと、上体を起こそうとする。 「あ゛〜、嘘だろ。マジかよ。情けない。やばい」 腰が抜けていて立てないのだ。 這うようにして移動するしかない。 少しでも洞窟から離れようと必死に前進するが、男はほんの数メートル進んだところで止まる。 小動物とは違う、もっと大きな生物の気配がしたのである。 そして、ゆっくりと後ろを向いた。 確かな気配とは裏腹に、影も形も誰もいない。 「・・・クソ。どうかしてる。マジでどうかしてる。俺、気が違っちまったか」 男は自棄になって叫び混じりに自分を奮わして進む。 「どうしてそんなに焦っているのですか」 ふいに。 街中で友達と遊んでいそうな少女の声が聞こえる。 魔物に違いないが、本当に一人の女の子であって欲しいと調査隊員は願った。 その少女は、きっとグループの中でもおっとりとしたタイプの子だろう。 振り向かない男の背中に少女が腰を下ろす。 「わたしの、夫になってくださいです」 無邪気に笑う声と、背にかかる軽い重みで男は気を失った。 気がつくとそこは岩窟の一室であった。 鼓膜を劈くような笑い声と、鼻腔を擽る芳香に目を開く。 丁度ひとりの活発そうな少女が男を覗いていたらしく、そのまま目が合う。 男は理解する。 ここは洞穴の中だ。彼女は魔物で、他にも何人もの仲間が近くにいる。 「大丈夫みたいだな」 髪留めをつけた髪が男の鼻に触れた。 活発そうな少女はニッと笑い掛け、男を心配した。 「ありがとう。君たちは一体何者だい」 呆けた頭でありながらも、調査隊員は彼女らの正体を確認した。 「あたいらはゴブリンだよ、人間」 男は冷静だった。諦めの境地だったのかもしれない。 とにかく、現状の分析と打開に脳の血流を注いだ。 幸いにして体も動く。腰も元通りに力の入る状態に戻っていた。 ゴブリンの少女は周囲の仲間に男の目覚めを教える。 すると、喧しい宴は一瞬静まり、その次には大酒に酔う者らが男の元に駆け寄った。 男は声を引き、魔物達の無意味な統率と圧迫感に体を強張らせる。 「別に捕って喰いやしないよ!」 「喰うかもだけどね!」 「むしろ食べたい!」 「でも、まぁ」 「我慢してやるよ!人間!」 「だってさ。ねえ、オカシラ」 髪飾りの少女が、未だ宴席についたまま事を眺めている魔物に呼びかける。 大きな壁となっていた魔物達は一勢に首を捻り、彼女の言葉を伺おうとする。 壁の一部が崩れ、調査隊員はここで初めてオカシラと呼ばれた魔物を見た。 「うぅんと、食べるのはいけないです」 種族としての似通った背丈や声色から、同じような魔物であるとはわかる。 しかし、この場にいる他の魔物とは大きく違う特徴もあった。 頭に生えている右方が大きく偏った成長をしている非対称の角や、気力を帯びている様には見えない目つき。 さらに。 「でっけーチチだなオイ・・・」 「えっ、そんなこと、ええと、うんと・・・ありがとうです」 「流石人間の旦那だぜ!やっぱりわかってるじゃねえか!」 「人間、見直したぞ!」 「話のわかるヤツだな!食べていいか」 「ダメ!」 「たべちゃ駄目ですよう」 壁と化した彼女達の声は大きく、人間にとってはほぼ叫び声といったものだ。 一方髪留めの少女やオカシラは、調査隊員の耳に優しい音量で言葉を提供してくれる。 男は彼女らの配慮に気がつくと、活路がまだ残っているのだと望んだ。 「それにしても賑やかだね。君達はいつもこうなのかい」 「えー?コレぐらい普通だよ!」 「普通じゃないよ!」 「ホントは特別なんだよ!」 「特別な宴会なの!」 「・・・これは何の宴なんだい」 調査隊員の質問に、一同は再び沈黙した。 そしてお互いの顔を見合わせ、興奮を味わうかのような笑いが徐々に広がっていく。 「オカシラが男を捕まえた記念さ」 けたたましい声の中で髪飾りの魔物が答える。 この場にいる男とは、調査隊員のみ。 まさか今時魔物にオスが居るとは思えなかった。 「あー、えーと。俺はこれからどうなるの」 「怖いってか?ぎゃはは」 「きゃきゃきゃ」 「一生ここで暮らすのさ!」 「オカシラのためにな!」 「まぁそういうことなんだ。これからよろしくな、ダンナ」 ゴブリンらの狂気的な興奮に圧倒され、男は口をつぐむ。 「よろしくおねがいしますね」 男を見据えて、オカシラは酔った顔を更に赤くする。 冗談じゃない。調査員は思う。 こんな幼い体を抱いてみたいという邪心がないこともない。 しかし、穴蔵で生活したいなどとは悪夢にですら想定されない。 住む街には趣味をわんさと置いてきているし、故郷に親も残している。 恋人になれるような女性は居ないが、その事で自棄になったりはしたくない。 「・・・土地を知りたいな。君たちが」 「土地だって?」 「土地ィ?何のために!」 「さて来たゾ!結婚式だ!」 「あぁ。ここの地形だ。それを今すぐ知りたい」 「うんと、そりゃまた、何でなのですか?」 「俺が君たちの暮らしを知るためさ」 男は一計を拵える。 調査員の予想通り、特に疑問を持たなかったゴブリンらは行列となって間取りを紹介しはじめた。 基本的な通路は、湿っぽい洞窟を乾いた空気で流して補った歩きやすい道だった。 とある一室は湿り気を強調し、拾い集めてきたのであろう木を整然と並ばせている。 「ここは茸を採るための場所さ」 隊員とオカシラに続いて歩いていた髪飾りのゴブリンは得意げに言う。 その後ろはいまだに酒気が抜けない、寧ろ手に酒樽を持ちながら歩くゴブリンが大勢騒いでいた。 「いろんな種類の茸が欲しいからね。沢山の茸部屋がある」 「茸以外にも薬草とか!」 「魚を採るための場所だってあるんだぜ!」 「ほう、そりゃすごい」 「すごいだろ!」 「すげえだろ!」 「思った以上に君たちから学べることは多そうだね」 「褒めろ誉めろ!」 「頭なでなでしやがれ!」 「はいはい」 「えへへ」 「おい!その箱に人間が触るな!」 「それミミックだぞ!」 「ダンナがそんなもんに触っちゃあオカシラが泣く。用心してくれ」 「そりゃ危ない。それなら、トラップの仕組みや場所も教えてくれ」 「案内しますよう」 執拗に褒めることを強要され、隊員は呆れ顔でゴブリンたちの頭を撫でていく。 しかし、男の思った以上に洞窟は整備されていた。 特にゴブリン専用の特別な通路は、人間も十分快適に過ごせるだけの技術に溢れているのだ。 感心しては褒め、また夜は酒を呑んで彼女たちとその生活システムを聞き出した。 そのようにして全室を周って外に出る頃には、3日3晩が過ぎていた。 男は生態への知識欲にあふれ、彼の熱弁によってゴブリンらと交わることを自然と回避していた。 隊員にとって、思惑通りに事が動く。 男には隊員として、ゴブリンら魔物の生態における謎を解き明かしたいという野望があった。 この作戦は、その意欲を活かしつつ確実な脱出を図るものだった。 「皆、聞いてくれ」 洞窟前で男は集団だけを座らせ、語りかける。 「俺は君たちの事をもっと知りたい」 「えと、もっと、知ってもらいますよう」 「知ってもらわなくちゃ困るね」 「知るがいい!」 「ぎゃはは」 「そのためには、やはり俺には君たちが必要だ」 「そうだそうだ!」 「ただ、俺は君たちの事を他の人にも知ってもらいたいんだ」 「・・・は?」 「あぁ?」 騒がしかった洞窟前が疑問にあふれて静まり返る。 反応は上々だった。 「 この国は幸いにも魔物に対して容認的だ。 止められない人口爆発の最中、寧ろ承認している地区すらある。 お前ら!夫がほしいか?自分を大事にしてくれるような人間の夫は欲しくないか? それなら俺がくれてやる!これから、俺はお前らのことをもっと知って、それを発表する! 俺はお前らを裏切らない!欲しいと思った男をくれてやる!どんな人間であってもだ! 勿論お前らを危険に遭わせるような内容までは言ったりしねえ! 発表と同時に、俺はお前らが人間に狩られるような立場からも救ってやる。守ってやる! そのために、俺を一度ここから逃がしてくれ!」 隊員は熱く言い放つ。 ゴブリンたちの頭が追いつくように、しかしバレるような裏筋を見せないわかりにくい内容であった。 静寂の中、はい、と髪飾りをつけたゴブリンが手を上げる。 「確実にあたいらが安全である保証がない」 「ならお前かオカシラを連れて行こう。街で生活したのちに、再び洞窟まで戻ればいい話だ」 「発表内容を事前に検閲したい」 「オカシラ自身が俺の発表を確認すればいい。お前だってオカシラにとって信頼に足るゴブリンだろ」 「どんな人間でも夫にさせることができるというがその方法は?」 「・・・俺が斡旋して連れて来る。事前に男を選ぶのもお前らの自由だ」 「この演説が意味あるものだという証拠は?」 髪飾りをつけたゴブリンは、ゴブリンの中でも本当に頭のいいタイプである。 数日間でわかったが、実質的なリーダーは彼女であった。 しかし、オカシラを慕い、大将として立てている。 「証拠はない。信じるかどうかはお前らに任せる」 隊員と強い視線を結んでいた髪飾りのゴブリンは、一度視線を地面に落として深く考え込んだ。 その間、周囲の魔物たちは全員静かに彼女を見守っていた。 「・・・わかった。信じよう」 髪留めの少女の弱点。 それが情に厚いことだった。 「オカシラ、ちょっと」 「ふえ? えと、いいですけど、何なのですか」 補佐役が大将に耳打ちすると、大将は小さく素っ頓狂な声を上げた。 彼女は少しの間頭を捻って考え込み、次の耳打ちで閃いたような顔をして頷く。 補佐役はその場に直り、隊員に質問を終えることを告げた。 「あたいが街について行く」 「わかった」 「ただし、出発する前にもう一晩泊まってはくれないか。あたいも準備が要るんでね」 「・・・いいよ。そうしよう」 オカシラと髪飾りを筆頭に、集団は洞窟へと帰る。 集団の真ん中あたりには隊員も混ざって、皆は酒盛り場へと移動した。 その晩の魔物たちは普段の宴会以上に酒を浴びるように飲んだ。 一方男は目的を達成できることへの興奮を抑え、そうそうに眠りに落ちていった。 明くる朝、男は洞窟前で集団とともにオカシラと髪飾りのゴブリンを待った。 待ち始めて数十分の後に、彼女たちは現れる。既に集団は座り込み、酒を再び仰いでいた。 男の予想以上に軽装で、髪飾りの少女は魔法具を首にかけて角を消していた。 「そう見るとほんとに人間と変わらないよ」 「そうか。ありがとう」 「ああ。じゃあ、オカシラ。早速だが、街は遠い。もう出発したい」 「ええと、そのまえに、いくつか」 「・・・何だい」 「どうかご無事で」 オカシラは隊員に近づき、男を屈ませてその額に唇を合わせる。 そのまま男の首裏に腕をまわし、愛しく抱きしめた。 「それと」 男を解放したオカシラは、隊員の頭を放さず笑う。 この時初めて、男はオカシラを見上げる形となった。 「みんな、おっとはじぶんたちで選びます」 「勿論だ」 「・・・それでは、只今をもって」 オカシラは声を張る。その次には、彼女たち全員が歓声に沸くのだ。 内容は宣言で、しかも隊員の予想外のものであった。 「あなたは、わたしたちみんなの夫となります」 |
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最近はトップバッターを逃してばかりで、実はちょっと悔しいです。
視線の上下は基本的な立場を表しますよね。 追記 続編『隊員録 さいご』を追加しました。 よろしければそちらもお読み下さい。 11/01/30 00:12 さかまたオルカ |