鉱夫録 |
ジムは驚いた。代々我が血族が管理し、自ら率先して現場作業の統括を行う鉱山の秘密を知ってしまったためである。
そもそも、ジムは成人になるまで鉱山への立ち入りは禁止されていた。鉱山にはドワーフが居るから決して出向くなと言われて育ってきたのである。その教えに従い、今日までその約束を守り続けてきたのだが。 彼の見上げる前には、この小さくも筋骨隆々で、しかし線の細い印象を与えてくる容姿端麗な少年。 「男である純粋なドワーフ、カザドと言ったのであるが」 「…男の魔物だなんて、珍しいね」 「みな、同じ事を言う」 岩の上に座るカザドは小さく笑った。 ジムにとってドワーフは醜いと昔話で学んだものだが、どうやら現実は違うらしい。 「もっとも、もう随分と前から子供を残せるような体ではなくなってしまったのだが」 「えぇ? 一体何があったのさ」 「そんなことよりも、何故こんなところに居る。見るからにまだ成人に至っていないようだが」 「うーん。ちょっと困った事があってね」 ジムはカザドに自分の陥っている状況を話した。 両親と祖父の喧嘩が絶えない家庭に嫌気がさして、家出をしたこと。 自分を探す追っ手から逃れるために森に入ったが、森で迷子になってしまったこと。 偶然森を抜けたのはいいものの、鉱山前に出てしまったこと。 鉱山を歩いた事が無いため、結局道が判らないこと。 仕方無いから山を登って家を探そうとしたこと。 休憩場所に最適であろう小さな横穴を見つけたこと。 カザドは何故目の前に現れた少年が全身汗だくで体に大量の生傷を負っているのかを知った。 「そこにカザドがいたんだよ」 「偶然にも俺を見つけるとは随分と珍しい人間であるのだな、御主は」 「カザドはマーティン家の鉱山に棲むドワーフでいいのかな」 「そうだな。御主はジム=マーティンで間違いないな」 「うん」 「それなら、家出はやめて欲しいものだが」 「え、なんでぇ」 「俺と御主が友達になれない」 「そうなの?それは困るかも」 「素直は良い。これからよろしく」 ドワーフは飄々とした表情を変えずに手を差し出し、ジムはその手を握り返した。 ジムは帰る気になるまでの3日間をカザドと共に過ごした。カザドはその間にじ鉱山へ立ち入った事と自分に会った事を秘密にするようジムと約束した。 それからジムはカザドの案内を受け、自分の邸宅への道を教わり、無事に帰ることが出来た。 ジムは帰宅してからというもの数週間に渡りカザドに会いに行っていた。カザドもジムの行動を否定しつつ、会話を楽しんでいるようだった。 度々の鉱山への出入りが発覚して以降、きつい絞りを受けたジムはそれきり鉱山に出向かなくなった。 「ちょっと、大丈夫なのアンタ」 「んぁ?」 カザドと会い十数年が経ったある日、成人を迎えたジムは鉱山へと正式な形で向かった。 父親からジムに与えられた最初の使命は、たった一人で鉱山の中に入る事。そこから徐々に鉱山内部について教えられるという。鉱石の知識が既に十分の蓄えがあり、またサバイバル術も学んでいたジムにおいては一応容易な使命であった。 指定された順序で森を抜けると見える鉱山への入り口は、記憶の中の横穴とは違うものであった。しかし、訝しむ必要も無い。何しろ記憶が曖昧で、ジムは特別気にする事も無かったのだ。 入り組んだ内部をカンテラ片手に進んでいくと、徐々に湿り気と鉱山独特のにおいが体にまとわりつき、その嫌悪感が徐々に疲労を加速させる。 ジムは一息入れるため路傍の大石に座り込んでいたのだ。そのまま灯りで地図を確認しているうちに、どうやら眠り込んでしまったらしい。 慌ててカンテラを点け直そうとするが、どうやら燃料が切れてしまったようだ。 「すまないが、この闇の中…僕には全く君が見えない」 「そりゃあんた人間でしょうから」 「ここに居るってことは、君はドワーフか」 「そうね」 辺りは随分と寒い。洞窟のもつ保温効果も関係ないほどここは寒い。 もう外は夜なのかもしれない。 元々数日間は鉱山内部を一人で探索することになっていたのだが、家を発ったその日にこの失敗である。 ジムは急速に不安衝動を駆られた。 「僕はジム=マーティン。君の名前を訊きたい」 「ドリム」 「…そうか。ドリム、ひとつ頼みたい」 「何さ」 ドワーフは随分と小さい位置から声を発しているようだ。その声色は幼児期の子供に近い。 ドリムはどうやら現代魔術生物の授業で学んだドワーフと同じ特徴を持っていそうだとジムは考えた。 「灯りが欲しい。燃料漏れに気がつかず、このボロカンテラが使えないみたいなんだ」 「へぇ。ジムって男は随分と間抜けなやつなのね」 「酷い言われようだ」 しかし否定の仕様が無い。 「親方が言ってた通りの男でしょうね」 「…もしかしてカザドか」 「そ」 銀スプーンを食器にぶつけたような音と共に、洞窟内が照らされた。 ジムが目線を下にしてドリムを探すと、彼女は直ぐ見つけられた。 大きなゴーグルがついたヘルメット、長い髪を纏める金属製の輪、革と恐らく鋼鉄製の服装。 この姿のまま鉱山で仕事をなす職人であるならば、それが信じられないほどの露出の高さであった。 「カザドか。彼とも是非会いたい」 「親方はもう居ないけどね」 「旅でもしてるのかい」 「えぇ。永い旅に出てしまったわ」 ドリムの幼い顔立ちが翳り、ジムはカザドにもう会えないことを悟った。 ジムは、昔カザドの言っていた事を思い出す。 『昔ここを住処にしていたドラゴンがおってな。 そやつからとある報酬として血を貰ったのであるが、これがまた随分と永く生かされておる。 ただ、今の魔王になってからというもの…俺以外のドワーフは見られなくなったのである。 そのときから俺は子供を作る事も出来なくなったのである』 「…カザドはドラゴンの血が流れていたんだろ」 「それでも寿命はあるわ」 「そうか」 ジムがため息をつくと、ドリムはハンマーを担いでいない方の手をぐるぐる回した。 回した腕がジムの腕の関節に一瞬だけ触れた。 ドワーフが動くということは、光源が動くという事だ。自身より下方からのよく動く光源は、洞窟に慣れていないジムを少し酔わせていた。 しかし、彼女の影の一部がひどく寂しそうにしているのを、ジムは酔っていながらにしても見逃さなかった。 「カザドは皆に好かれていたんだね」 「そりゃ、親方でしたもの」 「…残念だ」 「えぇ。まったく」 「すると、今の親方は誰だい」 ジムが魔物に訊くと、彼女は一見貧弱そうな体を張って自分である事を主張した。 カザドが一番気に入っていた弟子であり、職人技量や採掘技術は仲間内でも相当な部類らしい。 自分で言うのもどうかと思ったが、ジムはとりあえずドリムを立てた。 天狗になったドワーフは、鉱山内を案内するとジムに申し出た。 ジムは現地主である祖父から、今回の鉱山探索でドワーフの力を借りてはいけないといっていた。しかし、照明器具の燃料切れを起こしてしまったジムにとっては、彼女の手を借りずに洞窟内から出ることすら難しい。 これも仕方が無いとして、臨機応変に対応すべく、ジムはドワーフの申し出を受ける事にした。 鉱山内部を地図と照らし合わせながら二人は進んだ。 「元来この山はマーティン家の所有領であったが、いつのまにかドワーフが住み着くようになった」 「うん」 「ドワーフがこの山を鉱山であると教えてくれた」 「です」 「そこで鉱山の管理をマーティン家が保障する代わりに、ドワーフは鉱石や技巧品を提供した」 「そうそう」 「次の地主はジム。つまりアンタ」 「順当に行けばね」 「代々カザドが代表だったが、今回からはあたいが代表になった」 「ドリムも寿命が長いのかい」 「いや、普通よ普通。寧ろ短いくらいだわ」 「呪いや病なら少々手助けできるが」 「…へぇ。思ってたよりもいい男なのねぇ」 「何言ってるの。当然だろ」 ジムの頭の中にはそれなりに豊富な知識が詰まっている。呪いや病気のことなどの各専門分野は、祓師や医者などのその分野のプロから直接学んでいる。さらにジム自身も知識欲が旺盛であり、日々の情報収集と逸話の検証に努めていた。 「無知は罪というけど、…まさにそれなんでしょうね」 ドリムの表情は硬く、感情を表に出さないようにしているようだった。何かしらの知識を持っていなかったために、寿命を縮める事になったのだろうかとジムは考えた。 「…どんな原因があるんだ」 「まぁそれは今度でいいでしょう」 何か事情があるのかもしれないと察したジムは、これ以上質問をしなかった。 こうしてジムはドリムの助けを借りて、予定よりも随分と早く探検を終了する事ができた。 ジムは早々に帰ろうとしたが、ドリムは仲間を引き連れて彼を止めた。 あまりに大勢の少女達がジムに押し寄せてきたため、流石にかわいそうに思ったジムは終了予定日まで彼女達の遊び相手をする事にした。 彼女達の目線で改めて鉱山を見渡すと、色々と面白い発見があった。 その小柄な背丈に合わせた階段やスロープが多く、またジムが通れない箇所もよく目に付いた。 彼女達の頑丈な体ならではのドワーフ式採掘・鉱石加工技術の端々を学び取ったが、応用次第では十分に人間にも適応できる技術もあった。 鉱山が彼女達の要塞としての機能を有している事も知った。 酒に酔った彼女達の怪力がジムを襲ってきたこともあった。 洞窟最奥部に位置する大浴場では、ドワーフの歴史を象った壁画を見ることができた。 そうやって自分の事を保父と錯覚しそうになる数日間を過ごした後、鉱山を歩く終了予定の日がやってきた。 鉱山の入り口付近まで見送りにきたドリムはひどく別れを惜しんでいた。 ドワーフはほぼ閉鎖された空間で生活するため、もしかしたら別離に弱いのかもしれない。 この探索の最後として、ジムはドリムを誘って横穴まで登ることにした。横穴にあるカザドの墓標に祈りを捧げるまで、ドリムはずっと無口であった。 ジムが祈っている最中、急に彼女が泣き出した。カザドとその墓前に居るジムを重ねたのかもしれない。ただ、どうやら本当に別れに弱いタイプの魔物らしいということはジムの骨身に染みた。 本当の死を知ってしまった子供がいるのなら、その子はもしかするとこんなに悲痛で諦めきれないような声で泣くのだろう。横穴の洞窟内で彼女の声が反響し、その響き渡る泣き声がより一層に彼女の声を大きくさせる。 「また会えるよ。僕は次期管理者ですよ?」 ジムは祈りが終わり、振り返って、ドリムを抱きしめた。 小さな彼女はこれ以上ないほどに身を縮みこませ、ジムに顔を見られないように必死に俯いた。 鼻水か、涙か、唾液かもしれない。彼女の泣き崩れていたその場所には透明な水溜りが小さく残っていた。 「確かにこの数日間はとても楽しかったし、絶対これからのためにもなる」 「そりゃ…けど」 「大丈夫だよ。信用できないかい」 「違うのよ」 ドリムは叫ぶようにして言い放った。 「ジムを好きになってしまった。どうすればいいかわからない」 「…そりゃ大変だな。生憎僕もどうしたらいいかわからない」 「……でしょうね」 ふと、ジムは思い返す。 「そういえば、答えを聞いてなかったな」 「…何の」 「病気か、呪いか」 「あぁ…」 タイミングとしてはなかなか最悪な質問だろう。会話の方向転換を、対話相手の病態に無理やり変えている。 ドリムも思わず呆気に取られているようで、涙目のまま怪訝な表情をジムに送った。 「簡単な事よ。…ドワーフ代表として、自分の死を持ってマーティン家に忠誠を誓うのよ」 今度はジムが呆気に取られる番だった。しかしそれは一瞬で、その次の瞬間には様々な疑念とその答えが浮かんでは消えていった。 そのなかで、ジムは一言他人事への感想のように呟いた。 「…あぁ、僕が知らなかったのか」 「そう」 律儀にもドリムは肯定した。 「それなら、僕の代でやめさせよう」 「親方は竜の血の効力が切れるまで代表をやっていた。この意味がわかってるの?」 「…」 「親方も何度死んだかもわからない。その都度ドラゴンの血のお陰で生き返っていたけど、親方は誰よりも多く死んできた筈でしょう」 「…」 「アンタの血が悪いわけじゃないでしょうよ。でも、間違ってる」 「でも、無闇にカザドを殺したのは僕の血か」 「…そうね」 「なら、実は簡単な話かもしれない。僕の決断次第では流石に跡取りが居なくなるから、血族主義の爺さんも困るはずだ」 「?」 「絶対ドリムを死なせたりはしないよ。僕が誓う」 ドワーフの少女は目を見開いた。ジムの力強い声は、何か吹っ切れたような、底知れぬ決意を秘めているような気がした。 彼女の最後の涙が、大きな一滴となって頬を伝っていった。 ジムの初めての洞窟探検から、五年が経過した。 両親が失踪していたジムは、祖父の反対を押し切って恒例の儀式を取りやめる事に成功していた。 地主という名前は未だに祖父が持つ肩書きであったが、ジムは自らの手腕によって鉱山における実権を握ったのである。 今日も鉱山内ではジムとドリムは取引を済ませていた。ジムが若くして成功を収めて祖父に認められたのも、ドリム率いるドワーフ達の協力があった為であるのだ。 その新しく築かれた信頼関係の一環として、地主はドリム達を1年に何度か邸宅に呼び、また逆に彼女達からジムが招待を受ける事もあった。 「だって、気に入っちゃったんだもの。仕方ないでしょう。」 「残念ながら、僕に女房は既にいるだろう」 商売相手として取引を済ませた二人は、一方は大切な友人として、もう一方は想い人として酒を飲んでいた。 数年前まで飲んでいた酒よりもずっと上質の酒が飲めるようになったが、二人は初めて会ったときに飲んだ酒を相変わらずに飲んでいた。 「そりゃぁ、あたい達としてもアンタと一緒になるのはまずい。鉱山の管理者が居なくなるのは、まずい」 「だろうね」 「だから、さっさとその嫁さんと子供生んじゃってよ」 「そりゃその心算だけど、これがなかなかできないんだよなぁ」 「あたいがアレコレしてさぁ、それから直ぐインキュバスにしてあげるんだから」 「ははは。そりゃ怖い」 「怖いのはジムの方よ。いつだって何盛ってもビクともしないんだもの」 「…絶対ドリムの方が怖い」 ドリムは一度ジムの前で泣いてからというもの、猛烈なアタックを繰り返していた。 ジムは彼女のアタックを意識的、無意識的にかわしつつも、商売や土地探索以外の理由を含めて何度も鉱山に赴いていた。 「まさにスルースキルの権化!…って感じのアンタも十分怖いよ」 「流石に幼児体型には欲情しないと思うけど」 「あら。そこまで言ってくるならお互い様で許しましょう。お似合いって事ね」 「…再来年、土地の権利を譲り受ける事になったよ」 ジムは少女に言った。 「やっとここまできた」 「鉱山だって永くは持たないよ。あたいとアンタの代でスッカラカンに枯渇すると思う」 「それからはどうしようね」 「あたいはアンタがいるならどこにも行かないよ」 「僕は飯の種ぐらいは稼がないといけないからね、悠長に考えてもいられない」 ドリムに誓いを立てたその時からジムの目に宿る光は、古いカンテラを反射したそれよりも煌々と輝いていた。。 困り顔で苦笑したジムを見て、ドリムは顔を真っ赤に染めて目を逸らす。そして咳払いを一つして立ち上がり、相変わらず成長の止まったような体躯をいっぱいに使って主張した。 「大丈夫。手は幾つもある。ナカミを吟味するのはアンタだけど、どの手もあたい達がまだまだ十分に力になれる」 「…ありがとう。これからもよろしく」 「もちろん」 ジムは悠々とした表情を変えずに手を差し出し、ドワーフはその手を握り返した。 |
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