ラインの天使
午前6時。僕、ローラン・ダランは朝食を作るために立っている。
今日の献立はいつものトーストに目玉焼き、ベーコン……あと、ちょっと余裕があるから簡単にポタージュでも作ろうか。
……いつものように姉さんが引っ付いてこないため、家事をこなしやすくなっているのだが、少しものさみしい感覚になる。
やっぱり僕も姉離れができてないんだろうなぁ……
……僕が教団師団の人たちにさらわれたあの事件から、一週間がすでに経っている。
僕が教団師団の研究所(だったらしい)で気絶してから、相当時間が経ったそうで、寝覚めた時にはすでにラインの診療所のベットの上まで運ばれていた。どうやら、僕が気絶している間に姉さんたちが助けてくれたらしい。
そして、その姉さんはというと……
「姉さん、起きてる?」
「あー……うん、起きてるわよ……」
準備がひと段落したから、姉さんを起こしに部屋に入ると、姉さんは布団に包まったまま返事をした。
「おはよう姉さん。調子は?」
「まだちょっと悪いかなぁ……」
あの事件のあとから、ずっとこうだ。一日の三分の二くらいはベットの上で寝転がってしまっている。
お医者さんや姉さんが言うには、氣の使い過ぎで体が正常にはたらかなくなっているらしい。歩けるには歩けるが、フラフラとしていてとても外に出れる状態ではなかった。
「あ、もしかして、ご飯できた……?」
よっこらしょ、とベットを降りて立つ姉さんの右側は、手から肩にかけて、包帯でガチガチに固められている。
病院で目覚めてすぐに姉さんのこの状態を見た時は驚いたものだ……まさか、あの丈夫が取り柄な姉さんがこんな大怪我をするなんて、思ってもいなかったよ。
「いや、もう少し寝ててもいいよ。今ちょっとポタージュを作ってるから」
「ん〜、でも起きとくわ。目が覚めちゃったし……」
「そっか。肩かした方がいい?」
「うん!して!」
「はっきりとしていい返事だね……」
まったく、僕の関わることになるとすぐこれなんだから……と呆れながら姉さんに肩を貸す僕の気持ちは、昔と違って少し複雑なものとなっていた。
その原因は、昔の、僕がここにくる前の、幼い頃の記憶。
僕の故郷は……いや、僕の出身地は、教団の人たちによって跡形もなく消されてしまった。そして、姉さんも元はその教団の構成員であり、まさにその時現場にいた一人であった。
……あの教団の人と出会った時から、思い出した。僕の生まれた場所が、白い光に包まれて、黒い大地に変えられていたその瞬間を。そして、よく夢に見ていた、子ども心に覚えていた、みんなが、親が、燃えていく様を。
……と、そんなことを言うが、別に僕は姉さんや教団を恨んでいたりはしていない。あの出来事がなければ僕はここにはいないし、姉さんにも会えなかった。姉さんだって、あの時はなにも知らなかったし、僕を救ってくれた。
教団には感謝はしないが、恨みもしない。姉さんには、感謝こそしても恨む理由など、なに一つないのだ。
ならなんで複雑な気持ちになるのか……それは正確に言うと、複雑な気持ちなのは僕よりも姉さんではないか、と思うからだ。
いままで、僕はそのことを忘れて、姉さんは僕の忘れていることを、覚えていたんだ。
自分は、自分の仲間が滅ぼした村の生き残りと一緒にくらいしている。でも、彼はそのことを知らない。……悪く言うわけじゃないけど、そんな状態で、姉さんはどう思いながら僕と一緒に過ごしてきたんだろうか……?
そう考えて、僕の気持ちも複雑なものとなってしまった。
はっきり言おう。僕は姉さんが好きだ。たぶん、僕の傲慢でなければ、姉さんも僕のことを好きでいてくれている。
でも、このままだと、大切なナニカが壊れてしまいそうな、そんな暗い予感がしている。
そのナニカはなんなのかがわからないが、なにか行動を起こさないといけない気がした。
だからまず、僕が昔のことを思い出したことを教えないと、と考えている。
でも、そのタイミングが掴めない。決意してから、もう五日も経ってしまった。
「あ、そうだ。姉さん」
「ん?なに?」
朝食を作り終え、テーブルに並べてあとは食べるだけ……というところで、僕は姉さんに一枚の手紙を渡す。
「姉さん宛に届いてたよ」
「そう。いったい誰からかしら……」
と、言いつつも、姉さんはどの関係であるかわかっているようで、少し顔色が暗くなっている。
宛先を見てみたんだけど、僕の知っている場所ではない。だからたぶん、教団関係者の誰かだろう。
……そういえば、教団関係者といえば、今病院に教団の天使が一人……姉さんの話では、同僚らしい……入院してるんだっけか。なんでも、教団の実験によって操られて、助けたのはいいけど、術の影響で意識が戻ってきていないらしい。いつか意識が戻れば、姉さんの友人ということで、昔の姉さんのことを聞けるかもしれない。昔も姉さんはかっこよかったり可愛かったりしたんだろうなぁ……
ああ、そうだ。あの人は結局どうなったのだろう?僕をさらったあの人……たしか、ジンさん、だったかな?
姉さんが名前を知ってたのだから、きっと昔の知り合いなのだろう。姉さんの同僚一人と、その人と同じような目にあった人以外は全員撤退したらしいから、あの人も帰っていったはずだ。あの人、今どうしてるんだろうな……
さらった人のことなんて、あまり考えたりしないんだろうけど、姉さんの知り合いみたいだし、やっぱり少し、気になるのだった。
××××××××××××××××××××××××××××××
「……よって、ファリス・レヴィエの回収を断念し、第四師団を回収、帰還しました。強化兵はロスト、本来の任務であるデューナ・ダランの回収も失敗しました」
「報告は以上かな?」
「……はい」
デューナとファリスの戦闘……と、いうよりむしろ戦争と言ってもいいと思えるほどの戦い(と言ってはみるものの、実際にその戦いを見たわけじゃなく、その後のデューナの“惨状”を見てそう予想しただけだが……)が終わったあと、天使二人を置いて俺は第三部隊員を引き連れ、第四部隊を半ば搬送するように教団へ帰還した。骨折や内出血を起こしていたり、重症のやつは頭蓋に大きくヒビが入っていたり、外された関節が硬くなってきていたりしていて、まともに動ける人間がほとんど居なかったのだ。帰還する前にある程度の治療を記憶の処理のついでにしてもらっていたが、それでも全治一月、ってところらしい。
強化兵はロスト、とは言ったが、実際のところはラインの領主様が術式治療のために保護してくれている。ついでに、俺やファリスにかけられた傀儡輪もどうやったのか、解除してもらうことができた。いやはや、ありがたいものだ。
……いろいろと脱線した。
帰還した俺に回された次の仕事は今回の報告。“いろいろと”言い渡されてから、俺は今目の前にいるこの男に、任務の結果報告をしに来ていたのだ。
報告に漏れがないか念をおすように、男は聞いてくる。ライカさんが用意してくれた報告の通り言ったのだから、これ以上教団に伝える報告はない。
「そうか、わかった。では、とりあえずいろいろと言う前に……」
……?なんだこいつは?
失敗の報告を聞いて、そのあとにいろいろと言う前に、だと……?
他の奴ら……少なくとも前の俺の担当では、こんな報告をしようものならうるさく喚いているのだが……
こいつ、他の連中となにか違う……のだろうか?
「君も連絡が来ているだろうが、以上の報告の終了をもって、君たち第三部隊は解散。元第三部隊員はすべて僕、サイオン・ミシェルの管轄に入ってもらうよ」
「……了解しました」
この男の管轄は、“教皇近衛隊”。現教皇は荒事を嫌い、また人が良すぎるために実権を奪われて半ば傀儡となってしまい、護衛も師団員が務めているため、今となってはほとんど意味のないところとなった部隊だ。
なぜそんなところに飛ばされたのかはわからないが……おそらく、任務が失敗続きだったから、であろう。やはり、デューナが抜けてから俺たち第三……元第三は表にこそ出していないものの教団に対して反発していたからな……
「よろしい……“これで君は僕の管轄だ。他の連中にどうこう言われる筋合いはなくなったな”」
「は……?」
「お〜いピアスくーん」
なにか不穏な言葉を放ったかと思うと、サイオンは俺から見て左の扉に向かって、先ほどまでの重たい雰囲気を全く感じさせない、呑気で嬉しそうな感じの声をかける。
すると、その扉の向こうから、はぁ〜い〜、と間延びした女性の声が聞こえて、扉が開いた。
「呼びましたか〜サイオンさん〜?」
出てきたのは……なんと、エンジェルだった。
なぜだ?普通はいろんな教会に派遣されたり、魔術を使える貴重な戦力になるエンジェルが、こんな場所に……?
「ああ、ちょっと彼のことを調べて欲しいんだ」
「りょうかいです〜」
いろいろと考えてみたが、答えは一向にわからない。そのうち、エンジェルが近寄ってきた。……たしか、ピアスと呼ばれていたな……あれ?なんか聞き覚えがあるような……ううむ、思い出せない……
「ちょっとごめんね〜“アナライズ”〜」
なにか反応する前に、ピアスが俺になにか術式をかけてきた。俺の周囲に緑色の光がまとわりつく。
「こ、これは……」
「ん〜なんていうか、検査中?と言ってももう終わるけどね〜」
ピアスが言ったとおり、緑色の光はすぐに消えた。代わりに、彼女の手のひらの上に同じ緑色の光の球体が出現していた。
「うん、大丈夫そうだね〜。サイオンさん、ちょっと魔術の痕跡ありましたけど、一応なにもないです〜」
「そうか、よかった〜」
ピアスの報告を聞いて、サイオンはホッとして脱力、机の上に上半身を寄りかからせた。
「あー、ジン君、もう気を抜いていいよ〜。僕は君の敵じゃないからね〜。つか立つの疲れたでしょ?そこらへんてきとーに座っていいよ〜」
「……は?」
いやいやいやちょっと待てよ。なんなんだよこの変わりようは?
「あ、私紅茶淹れてきますね〜。今日はケーキ買ってきたんですよ〜?」
「え?あのちょっと……」
「あー、うんそだねついてけないよね。なんか突然上司がこんな感じになったから」
「いや……はい。そうなんですが……」
「あー、なんか堅苦しいから敬語とか使わなくていいよ。って、なんかよくわからないやつに言われても警戒するよね〜。じゃあとりあえず君に僕は味方だって信じてもらうところから始めよっか」
「……?」
いやまぁ警戒はしているが、そんな堂々と言ってもいいのか?
いろいろとツッコミどころがありすぎてどこから突っ込んだものか悩んでいると、サイオンはとんでもない爆弾発言をした。
「魔物は悪じゃないよ。今はむしろこっち方が悪いことをしてる」
「なっ!?」
サイオンの言葉に、俺は驚愕した。
俺たちが思っていても口には出してこなかったその言葉を、平気で教団の施設の中で言い放ったからだ。
どんなにトチ狂った司教でも冗談でそういうことは言わない。教団の施設の中でそんなことを言って誰かに聞かれてしまえば、それだけで異端審問にかけられる。
こいつが放った言葉は、それほどまでに危険なものなのだ。
「……昔は、あの人の……教皇の下にはちゃんとした人がいたんだけどね……」
「……そう、なんですか……」
「とりあえず、これで僕が味方であることはわかってくれたかい?」
「まぁ、一応は。たかが信頼を得るためにここでそんな危険な嘘をつくやつはあの狂信者共にはいないでしょうからね……」
「だから、敬語はいいっての。普通に友人に接する感じでいいよ。その方がこっちも楽だし」
「……おーけーおーけー、了解したよ」
そう言いながら、俺は近くにあった椅子を引き寄せて座る。
一応、人を見る目はあるつもりだ。こいつは……この人は、信用できる。味方だ。
「ん、よろしい。じゃあとりあえず言わせてくれ。よくやったジン君!」
「ん?なにをだ?」
「なにをって、任務のことだよ!戦略級の天使二人をここから解放してくれた。教団からしたら大きな痛手だけど、僕的にはそれはとても喜ばしいことだよ。あの子もたぶん喜ぶと思うよ?」
「あの子って、誰だ?」
「いや、ピアス君だよ」
「私がどうしました?」
ちょうど話題に出てきた時に、ピアスが紅茶セットとケーキを台に載せてもってきた。
「ああ、いやさ今回の第三の成果についてだよ。嬉しいだろ?」
「あー、そうですね〜。デューナちゃんもファリスちゃんも大変だったらしいからね〜」
「ん?デューナたちを知ってるのか?」
「知ってるもなにも、同期同期」
「ってことはまさか……」
「えっと、ここは自己紹介するところかな?始めまして。デューナちゃんとファリスちゃんの同期、ピアス・クラウスです」
「まさかの神器かよ……なんでこんなところに……」
「あんまりその呼び方はしないで欲しいかな〜?まぁ、私はあの二人と違って防御・回復特化だし、デューナちゃんがここを離れてからちょっといろいろと問題起こしちゃってね……戦力にならないってここに置かれてるの」
「そうなのか……」
「ん〜それにしても、やっぱりデューナちゃんの教え子ねぇ〜。すごくあの子らしい体の作り方してるわよ?」
「そ、そうなのか……?」
「うん。なんていうかすごく鍛えられてる感じ。もしかしたら、あと10年……間ずっと修羅場にいたら本気のデューナちゃんといい戦いができるかもね〜」
「そ、そうか……」
10年間ずっと修羅場にいたら、か……
しかも勝つじゃなくていい戦いをする、だし……
なんというか、こいつはあれか。
無邪気に毒を吐くタイプか?
「まぁ、とりあえず紅茶でも飲まないかな?」
「あはい。今いれますね〜」
サイオンに言われてまだ紅茶を出していなかったことに気がつき、ピアスは三つのカップに紅茶を注いでカットしてあるケーキと一緒にテーブルに置き、それから自分も椅子に座った。
「いやしかし、聖女部隊に元第三のメンバー、少しの間に一気に数が揃ってきたね……これはライカさんに感謝しなくちゃ……」
「ライカさん……?ってことはまさか俺たちがここに回されたのは……!」
「うん、ライカさんのおかげだよ。彼がここに交渉に来てね、その時に首輪の術式……たしか、傀儡輪だったかな?……まぁそれの解除キーを手に入れるついでに君の部隊と聖女部隊をこっちに移すように要求してくれたんだ。表向きは戦力の削減……なんだけど、あの人は意外とお人好しだからね。君たちがなるべく辛い思いをしないようにってここに移したんだと思う」
「まぁその要求を飲む代わりに、結構な額をもらっちゃったんですけどね〜」
「……そう、なのか……」
なんというか、あの人には本当に感謝しないとな……
「……さて、身内の事情の話はここで一旦切って……少しジン君に頼みごとがあるんだが……」
「……ん?なんだ?」
カチャッ、と飲んでいた紅茶を置いて、サイオンはその頼みごととやらを話し始める。
「ああ、まぁなんて言うかそうだね、ちょっと僕の言う場所に“行かないで欲しいんだ”」
「はぁ?どういう意味だ?」
普通そこは行って欲しいとか言うべきじゃないのか?と口に出す前に、まぁまぁ、話しはまだ終わってないよとサイオンは俺の言葉を遮る。
「いやね、その場所っていうのがさ、どうも反魔物領だっていうのに魔物が住んでるとかで調査をされるそうなんだ」
「だったら、逆に俺らが行って……」
「ジンさん、私たちはあくまでも教団側じゃないといけないんですよ〜」
「……」
「あ、うんだからね、“君たちには僕と一緒にずっとこの部屋で書類整理をしていて欲しいんだ”」
「……?」
サイオンの言葉は完全に教団側を邪魔するな、という内容だった。
だが、なにか違和感を感じる。
「いやねぇ、ここはこれと言った活動がないから書類を大量に回されててねぇ……その量がね、“ちょっと仕事中の僕ら以外の人がいたら邪魔で邪魔でしょうがないから絶対入れさせない”くらいなんだよ」
「…………」
「……プッ、くすくす……ですよね〜かなりの量ですよね〜」
言い回しが少し露骨すぎて、なんとなくサイオンの言わんとしていることがわかってきた。
ピアスも我慢できないのか、腹のあたりを抑えて笑いを堪えながら賛同する。
「ああもちろん、“他の部隊のためにも何人かは外に出て書類を運んだり報告をしに行ってもらったりする”よ?」
「“でも、私たちはずっとこの部屋にいるんですから、例え誰かが教団の任務を邪魔したとしても、それは私たちじゃない”ですよね?」
「おっと、台詞をとらないでくれよ……まぁ、そうだね。“この部屋には隠し通路なんてないし、誰も外へは出れない”からね」
と言いながら、ピアスは心底嬉しそうに笑って、サイオンは何か含みのある黒い笑みを浮かべた。
サイオンの言わんとしてることがわかり、俺も一緒になって笑顔になる。
「まぁ〜そうだな。“俺たちはここに居るんだから、誰が何をしてようが関係ない”な」
「だろう?」
「んで、“特に誰にここにいて欲しいんだ?”」
「そうだね、それは……」
と、笑顔で嘘を付き合いながら、俺たちは仕事の計画を練る。
……まぁ、なんというかあれだ。
ここは師団の時なんかよりもっと面白そうな仕事ができそうで、すっげぇ楽しみだ。
××××××××××××××××××××××××××××××
親愛なるデューナちゃんへ
お元気ですか?
私はそこそこ元気にやってます。
まったく、いなくなってから一回も連絡くれなかったからすっごい心配したんだよ?
まぁでも、いろいろと事情は聞いたから、許してあげます。
大変だったね。
ファリスちゃんを解放してくれて、ありがとう。
手助けできなくて、ごめんね。
デューナちゃんがいなくなったあと、私は部署を異動してのんびりとやってました。
で、その部署にね、デューナちゃんの教え子たちがきたんだ。
なんというか、デューナちゃんらしい育て方したよね。
特にあの子、隊長さんのジン君……だっけ?あの子はすごいわよね。
まぁともかく、あの子たちのことは安心してね。私も私の上司も魔物の敵じゃないから。
とりあえず、今言いたいのはこんなものかな?
また手紙を送るけど、今度はちゃんと返信して欲しいな?
ピアス・クラウス
「……だってさ。とりあえず、丸く収まったようよ」
そう言いながら、私はベットの上で眠ったままのファリスの隣にある物入れに手紙をしまっておく。
今私は、ラインの病院の、ファリスが入院している部屋にいる。
ローランが作りおいてくれたお昼を食べたあと、ファリスと一緒に読もうと、もう一人の同期の天使、ピアスからの手紙を持ってきたのだ。
……と言っても、当のファリスはずっと眠ったままだけどね……
私がファリスを倒してから今まで、この子は一度も目を覚ましていない。なんでも、長い間傀儡輪の影響を受け続けたせいで、彼女自身の精神の復帰に時間がかかるらしい。目を覚ますのにどれくらいの時間がかかるかわからないが、絶対に目を覚ます、とライカは保証してくれた。
「しっかし、返信かぁ……なにを書けばいいかしらね……というか、どうやって書こう……利き手がこれじゃあなぁ……」
そう言いながら、私は包帯に巻かれて固定されている自分の右腕を見た。
なんというか、ファリスの防御術式を破っておいてよくこれで済んだものだ。……いや、よくここまで治したものだ、か……
星村たちが発見した時の私は、半分死んでいるに等しい状態だったらしい。右腕……どころか右半身が直視できない状態だったそうだ。そこから使えるものすべてを使って“体だけでも”治したらしいのだから、彼らの力は恐ろしいものである。
……そう、治ったのは体だけだ。
やはり壊世やそれに至るまでに使った氣の量が多すぎたらしく、体の氣のほとんどを使い切っていたらしい。そのため体は自由が効かず、いつもみたいな激しい運動をすることができなくなってしまっている。右腕にいたっては氣が完全に尽きていて全く動かせない。神奈さんたちは体を治すことはできたが、知識を持たない氣に関しては完全にお手上げだったようだ。
……全治……氣の回復まで最低でも3ヶ月、といったところか……もしかしたら、右腕はもう回復しないかもしれない。
「……まぁ、でもあなたを助けられたんだもの、腕一本なんて、安いものよね?」
言いつつも、たぶんファリスが目を覚ましてたら、安くないわよ馬鹿ね。と怒り出すだろうな、と私は苦笑した。
さてさて、私がファリスに怒られるのと、証拠の隠蔽ができるのは、どっちが先かしらね?
なんて、そんなことを考えていると、不意に部屋の扉がノックされた。
こんな時間にファリスのお見舞い……ライカかしら?
とりあえず、なにもしないという選択肢はないため、私は扉を開けてノックした人の姿を見る。
「あれ……ローラン?」
「やっぱりここにいたんだ、姉さん」
そう言いながら部屋に入ってきたのは、ローランだった。
「え、学校は?」
「今日はお昼までだよってちゃんと伝えたよ?」
「あ、そうだったの……ごめん」
「しょうがないよ。姉さん体調悪いんだから。まぁでも予想通りこの人のところにいてくれてよかったよ。手紙でも読みにきたの?」
「うん、まぁそんなところよ」
じゃあ、失礼します。と言いながら、ローランは近くにあった椅子を私の座ってた椅子の隣に引き寄せて座る。まぁ立ってるのもあれだし、私も椅子に座る。
「……よかったね、友達を助けられて」
「……うん、よかったわ。あの子は……」
言いかけて、私は口をつぐむ。
私のせいでこんなことになちゃったからね、と言おうとしたが、その言葉でローランの記憶を刺激することを私は恐れたのだ。
昔の私なら……罪悪感でローランの未来を守ろうとしていた私なら、きっと今ローランに記憶が戻っても構わないと思うだろう。もうこの子は私の力がなくても立派に生きていけるはずだから……
でも今は……
「……ねぇ、姉さん。一つ、伝えておきたいことがあるんだけど、いいかな……?」
「……なにかしら?」
伝えておきたいこと……
少し、嫌な予感がした。
「えっと、なんていうか……記憶、戻ったんだ」
「っ……!」
ローランの言葉に、私は息を飲んだ。
動揺しながらも、確認してみる。
「戻ったって、ここにくる前のを、全部……?」
「うん。村が燃やされてたことも、家族がみんな死んじゃったことも、全部、思い出したよ」
「………………」
全部、思い出したのね……
……そしたらもう、一緒に暮らせない、か……
ローランだって、親の仇と一緒に居たくないでしょう……
「………………」
「姉さん、待って」
ここには居られない。そう思い立ち上がると、ローランが同じく立ち上がって私を止める。
顔は……合わせられない。
「……僕ね、姉さんのこと、恨んでないよ。だって姉さん、僕のことを助けてくれたじゃない」
「……そう、だけど……」
「それにさ、あの頃はともかく、今の僕にとっては、姉さんだけが家族なんだよ。だからさ、いなくなって欲しくないよ。ずっと一緒にいて欲しいよ」
ピクッと、ローランの言葉に私の心が、体が、反応してしまう。
ずっと一緒にいて欲しい。
うん、私も、ローランがそれを許してくれるなら、ずっと一緒にいたい。
罪悪感とか、そういうのじゃなくて、姉として、女として、家族で弟で、そして一番大切な人であるローランと一緒にいたい。
でもまだ私の体は動かない。
何年もの想いが、その先の言葉を求めていた。
……ローランの言葉は、まだ終わらない。
「姉さんはさ、僕にとって、ずっと見守ってくれた家族で、自慢の姉さんで、そして……」
家族で、姉で、そして……!!
期待に胸が高鳴る。
まさか、母、なんてことはないわよね……!!
「僕にとって、一番大切な人だから、だから、ずっと一緒に……」
ローランが言い終わる前に、私はローランの胸に飛び込み、抱きついた。
待ってた。この言葉を待っていた。
ローランが今まではっきりと言ってくれなかったその言葉を、やっと言ってくれた。
「ありがとう、ローラン。私も、ローランのこと、一番好きよ……!!」
目に浮かぶ涙は、ローランの服に吸われ、床に落ちることはない。それくらい、ギュッと抱きしめていた。
嬉しくて嬉しくてたまらない。
罪悪感から自立できるようになるまで育てようと思って
いつの間にかこの子と過ごす日常がすごく楽しいものになっていて
この子の未来をずっと見ていきたいと思って
そして気がつかないうちに、どうしようもないくらいに大切な存在になっていた
……よし。
「……ねぇ、ローラン」
「なにかな、姉さん?」
正直デューナと名前で呼ばれたいけど、今は仕方が無い。いや、すぐにでも呼ばせてやる!
顔を上げ、ガッとローランの手を両手で包むようにして掴みながら、私は言う。
「結婚しよう!」
「あと2、3年待とうね」
……あ、あれ?
スルリと断られたんだけど……
どうして?
「え、なんで?」
「まずライカさんが許可しないでしょ?」
「むぅ……」
よしならば
「ちょっと出かけてくる」
「おい待て病人その体でどこにいくつもりだ」
「えー?なにもしてこないよー。ライカノトコロニイクナンテコトハナイヨー」
「模範みたいな棒読みだね。あと直接話にいっても無理だと思うよ」
「むぅ……」
まぁたしかにそうよね……
一応この街では結婚は男女ともに18歳以上しかできない決まりとなっている。ライカ曰く、きちんと責任を取れる年齢になってから結婚しなさい、とのことだ。
しょうがないわねぇ……
「じゃあ今日はローランといっしょに寝る!」
「……まぁいいけど、襲わないでよ?」
「なんでー?」
「それは……その……」
ぽりぽりと頬を掻きながら、ローランは恥ずかしそうに目を横にそらす。
にゃるほど、これは恥ずかしがってるなぁ〜?
「ローランローラン」
「なに?」
「初めては、優しくしてあげる!」
「それは一般的には男から言う台詞じゃないかな?」
「じゃあ、優しくしてね?」
「……まったく、この姉は……」
呆れたように、または観念したように、ローランはため息をついてうな垂れる。
「とりあえず、陽が暮れる前に買い物しにいこう。今日は……そうだね、少し奮発してステーキとかどうかな?姉さんが外に出歩けるくらいに回復してきてるし」
「お肉!?これは今夜が楽しみね!」
「どうしてそういう方向に話を持っていくかなぁ……」
「よし、すぐ行こう!早くお肉買いに行こう!!」
そう言いながら、私はローランの右腕に抱きついていっしょに部屋をあとにする。抱きつかれたローランは驚いていたものの、満更でもないようだ。
さて、今日はいっしょに寝られるし、ここからどこまでいけるかよね……どうやってローランをオトそうか……
などと、いつものように考えたのだけれど、別にそこまで焦ることはないか、と考え直す。
気持ちは伝えたんだ。あとは少しずつ距離を詰めていくだけ。
急がず、焦らず、私のやりたいようにやっていけばいい。
ローランと結婚するまであと2年くらい……
「ねぇねぇローラン」
「なに?」
「2年後が楽しみね」
「……そうだね」
……ローランに、姉さん、じゃなくて、名前で呼ばれるようになるのは、そう遠くないかもしれない。
今日の献立はいつものトーストに目玉焼き、ベーコン……あと、ちょっと余裕があるから簡単にポタージュでも作ろうか。
……いつものように姉さんが引っ付いてこないため、家事をこなしやすくなっているのだが、少しものさみしい感覚になる。
やっぱり僕も姉離れができてないんだろうなぁ……
……僕が教団師団の人たちにさらわれたあの事件から、一週間がすでに経っている。
僕が教団師団の研究所(だったらしい)で気絶してから、相当時間が経ったそうで、寝覚めた時にはすでにラインの診療所のベットの上まで運ばれていた。どうやら、僕が気絶している間に姉さんたちが助けてくれたらしい。
そして、その姉さんはというと……
「姉さん、起きてる?」
「あー……うん、起きてるわよ……」
準備がひと段落したから、姉さんを起こしに部屋に入ると、姉さんは布団に包まったまま返事をした。
「おはよう姉さん。調子は?」
「まだちょっと悪いかなぁ……」
あの事件のあとから、ずっとこうだ。一日の三分の二くらいはベットの上で寝転がってしまっている。
お医者さんや姉さんが言うには、氣の使い過ぎで体が正常にはたらかなくなっているらしい。歩けるには歩けるが、フラフラとしていてとても外に出れる状態ではなかった。
「あ、もしかして、ご飯できた……?」
よっこらしょ、とベットを降りて立つ姉さんの右側は、手から肩にかけて、包帯でガチガチに固められている。
病院で目覚めてすぐに姉さんのこの状態を見た時は驚いたものだ……まさか、あの丈夫が取り柄な姉さんがこんな大怪我をするなんて、思ってもいなかったよ。
「いや、もう少し寝ててもいいよ。今ちょっとポタージュを作ってるから」
「ん〜、でも起きとくわ。目が覚めちゃったし……」
「そっか。肩かした方がいい?」
「うん!して!」
「はっきりとしていい返事だね……」
まったく、僕の関わることになるとすぐこれなんだから……と呆れながら姉さんに肩を貸す僕の気持ちは、昔と違って少し複雑なものとなっていた。
その原因は、昔の、僕がここにくる前の、幼い頃の記憶。
僕の故郷は……いや、僕の出身地は、教団の人たちによって跡形もなく消されてしまった。そして、姉さんも元はその教団の構成員であり、まさにその時現場にいた一人であった。
……あの教団の人と出会った時から、思い出した。僕の生まれた場所が、白い光に包まれて、黒い大地に変えられていたその瞬間を。そして、よく夢に見ていた、子ども心に覚えていた、みんなが、親が、燃えていく様を。
……と、そんなことを言うが、別に僕は姉さんや教団を恨んでいたりはしていない。あの出来事がなければ僕はここにはいないし、姉さんにも会えなかった。姉さんだって、あの時はなにも知らなかったし、僕を救ってくれた。
教団には感謝はしないが、恨みもしない。姉さんには、感謝こそしても恨む理由など、なに一つないのだ。
ならなんで複雑な気持ちになるのか……それは正確に言うと、複雑な気持ちなのは僕よりも姉さんではないか、と思うからだ。
いままで、僕はそのことを忘れて、姉さんは僕の忘れていることを、覚えていたんだ。
自分は、自分の仲間が滅ぼした村の生き残りと一緒にくらいしている。でも、彼はそのことを知らない。……悪く言うわけじゃないけど、そんな状態で、姉さんはどう思いながら僕と一緒に過ごしてきたんだろうか……?
そう考えて、僕の気持ちも複雑なものとなってしまった。
はっきり言おう。僕は姉さんが好きだ。たぶん、僕の傲慢でなければ、姉さんも僕のことを好きでいてくれている。
でも、このままだと、大切なナニカが壊れてしまいそうな、そんな暗い予感がしている。
そのナニカはなんなのかがわからないが、なにか行動を起こさないといけない気がした。
だからまず、僕が昔のことを思い出したことを教えないと、と考えている。
でも、そのタイミングが掴めない。決意してから、もう五日も経ってしまった。
「あ、そうだ。姉さん」
「ん?なに?」
朝食を作り終え、テーブルに並べてあとは食べるだけ……というところで、僕は姉さんに一枚の手紙を渡す。
「姉さん宛に届いてたよ」
「そう。いったい誰からかしら……」
と、言いつつも、姉さんはどの関係であるかわかっているようで、少し顔色が暗くなっている。
宛先を見てみたんだけど、僕の知っている場所ではない。だからたぶん、教団関係者の誰かだろう。
……そういえば、教団関係者といえば、今病院に教団の天使が一人……姉さんの話では、同僚らしい……入院してるんだっけか。なんでも、教団の実験によって操られて、助けたのはいいけど、術の影響で意識が戻ってきていないらしい。いつか意識が戻れば、姉さんの友人ということで、昔の姉さんのことを聞けるかもしれない。昔も姉さんはかっこよかったり可愛かったりしたんだろうなぁ……
ああ、そうだ。あの人は結局どうなったのだろう?僕をさらったあの人……たしか、ジンさん、だったかな?
姉さんが名前を知ってたのだから、きっと昔の知り合いなのだろう。姉さんの同僚一人と、その人と同じような目にあった人以外は全員撤退したらしいから、あの人も帰っていったはずだ。あの人、今どうしてるんだろうな……
さらった人のことなんて、あまり考えたりしないんだろうけど、姉さんの知り合いみたいだし、やっぱり少し、気になるのだった。
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「……よって、ファリス・レヴィエの回収を断念し、第四師団を回収、帰還しました。強化兵はロスト、本来の任務であるデューナ・ダランの回収も失敗しました」
「報告は以上かな?」
「……はい」
デューナとファリスの戦闘……と、いうよりむしろ戦争と言ってもいいと思えるほどの戦い(と言ってはみるものの、実際にその戦いを見たわけじゃなく、その後のデューナの“惨状”を見てそう予想しただけだが……)が終わったあと、天使二人を置いて俺は第三部隊員を引き連れ、第四部隊を半ば搬送するように教団へ帰還した。骨折や内出血を起こしていたり、重症のやつは頭蓋に大きくヒビが入っていたり、外された関節が硬くなってきていたりしていて、まともに動ける人間がほとんど居なかったのだ。帰還する前にある程度の治療を記憶の処理のついでにしてもらっていたが、それでも全治一月、ってところらしい。
強化兵はロスト、とは言ったが、実際のところはラインの領主様が術式治療のために保護してくれている。ついでに、俺やファリスにかけられた傀儡輪もどうやったのか、解除してもらうことができた。いやはや、ありがたいものだ。
……いろいろと脱線した。
帰還した俺に回された次の仕事は今回の報告。“いろいろと”言い渡されてから、俺は今目の前にいるこの男に、任務の結果報告をしに来ていたのだ。
報告に漏れがないか念をおすように、男は聞いてくる。ライカさんが用意してくれた報告の通り言ったのだから、これ以上教団に伝える報告はない。
「そうか、わかった。では、とりあえずいろいろと言う前に……」
……?なんだこいつは?
失敗の報告を聞いて、そのあとにいろいろと言う前に、だと……?
他の奴ら……少なくとも前の俺の担当では、こんな報告をしようものならうるさく喚いているのだが……
こいつ、他の連中となにか違う……のだろうか?
「君も連絡が来ているだろうが、以上の報告の終了をもって、君たち第三部隊は解散。元第三部隊員はすべて僕、サイオン・ミシェルの管轄に入ってもらうよ」
「……了解しました」
この男の管轄は、“教皇近衛隊”。現教皇は荒事を嫌い、また人が良すぎるために実権を奪われて半ば傀儡となってしまい、護衛も師団員が務めているため、今となってはほとんど意味のないところとなった部隊だ。
なぜそんなところに飛ばされたのかはわからないが……おそらく、任務が失敗続きだったから、であろう。やはり、デューナが抜けてから俺たち第三……元第三は表にこそ出していないものの教団に対して反発していたからな……
「よろしい……“これで君は僕の管轄だ。他の連中にどうこう言われる筋合いはなくなったな”」
「は……?」
「お〜いピアスくーん」
なにか不穏な言葉を放ったかと思うと、サイオンは俺から見て左の扉に向かって、先ほどまでの重たい雰囲気を全く感じさせない、呑気で嬉しそうな感じの声をかける。
すると、その扉の向こうから、はぁ〜い〜、と間延びした女性の声が聞こえて、扉が開いた。
「呼びましたか〜サイオンさん〜?」
出てきたのは……なんと、エンジェルだった。
なぜだ?普通はいろんな教会に派遣されたり、魔術を使える貴重な戦力になるエンジェルが、こんな場所に……?
「ああ、ちょっと彼のことを調べて欲しいんだ」
「りょうかいです〜」
いろいろと考えてみたが、答えは一向にわからない。そのうち、エンジェルが近寄ってきた。……たしか、ピアスと呼ばれていたな……あれ?なんか聞き覚えがあるような……ううむ、思い出せない……
「ちょっとごめんね〜“アナライズ”〜」
なにか反応する前に、ピアスが俺になにか術式をかけてきた。俺の周囲に緑色の光がまとわりつく。
「こ、これは……」
「ん〜なんていうか、検査中?と言ってももう終わるけどね〜」
ピアスが言ったとおり、緑色の光はすぐに消えた。代わりに、彼女の手のひらの上に同じ緑色の光の球体が出現していた。
「うん、大丈夫そうだね〜。サイオンさん、ちょっと魔術の痕跡ありましたけど、一応なにもないです〜」
「そうか、よかった〜」
ピアスの報告を聞いて、サイオンはホッとして脱力、机の上に上半身を寄りかからせた。
「あー、ジン君、もう気を抜いていいよ〜。僕は君の敵じゃないからね〜。つか立つの疲れたでしょ?そこらへんてきとーに座っていいよ〜」
「……は?」
いやいやいやちょっと待てよ。なんなんだよこの変わりようは?
「あ、私紅茶淹れてきますね〜。今日はケーキ買ってきたんですよ〜?」
「え?あのちょっと……」
「あー、うんそだねついてけないよね。なんか突然上司がこんな感じになったから」
「いや……はい。そうなんですが……」
「あー、なんか堅苦しいから敬語とか使わなくていいよ。って、なんかよくわからないやつに言われても警戒するよね〜。じゃあとりあえず君に僕は味方だって信じてもらうところから始めよっか」
「……?」
いやまぁ警戒はしているが、そんな堂々と言ってもいいのか?
いろいろとツッコミどころがありすぎてどこから突っ込んだものか悩んでいると、サイオンはとんでもない爆弾発言をした。
「魔物は悪じゃないよ。今はむしろこっち方が悪いことをしてる」
「なっ!?」
サイオンの言葉に、俺は驚愕した。
俺たちが思っていても口には出してこなかったその言葉を、平気で教団の施設の中で言い放ったからだ。
どんなにトチ狂った司教でも冗談でそういうことは言わない。教団の施設の中でそんなことを言って誰かに聞かれてしまえば、それだけで異端審問にかけられる。
こいつが放った言葉は、それほどまでに危険なものなのだ。
「……昔は、あの人の……教皇の下にはちゃんとした人がいたんだけどね……」
「……そう、なんですか……」
「とりあえず、これで僕が味方であることはわかってくれたかい?」
「まぁ、一応は。たかが信頼を得るためにここでそんな危険な嘘をつくやつはあの狂信者共にはいないでしょうからね……」
「だから、敬語はいいっての。普通に友人に接する感じでいいよ。その方がこっちも楽だし」
「……おーけーおーけー、了解したよ」
そう言いながら、俺は近くにあった椅子を引き寄せて座る。
一応、人を見る目はあるつもりだ。こいつは……この人は、信用できる。味方だ。
「ん、よろしい。じゃあとりあえず言わせてくれ。よくやったジン君!」
「ん?なにをだ?」
「なにをって、任務のことだよ!戦略級の天使二人をここから解放してくれた。教団からしたら大きな痛手だけど、僕的にはそれはとても喜ばしいことだよ。あの子もたぶん喜ぶと思うよ?」
「あの子って、誰だ?」
「いや、ピアス君だよ」
「私がどうしました?」
ちょうど話題に出てきた時に、ピアスが紅茶セットとケーキを台に載せてもってきた。
「ああ、いやさ今回の第三の成果についてだよ。嬉しいだろ?」
「あー、そうですね〜。デューナちゃんもファリスちゃんも大変だったらしいからね〜」
「ん?デューナたちを知ってるのか?」
「知ってるもなにも、同期同期」
「ってことはまさか……」
「えっと、ここは自己紹介するところかな?始めまして。デューナちゃんとファリスちゃんの同期、ピアス・クラウスです」
「まさかの神器かよ……なんでこんなところに……」
「あんまりその呼び方はしないで欲しいかな〜?まぁ、私はあの二人と違って防御・回復特化だし、デューナちゃんがここを離れてからちょっといろいろと問題起こしちゃってね……戦力にならないってここに置かれてるの」
「そうなのか……」
「ん〜それにしても、やっぱりデューナちゃんの教え子ねぇ〜。すごくあの子らしい体の作り方してるわよ?」
「そ、そうなのか……?」
「うん。なんていうかすごく鍛えられてる感じ。もしかしたら、あと10年……間ずっと修羅場にいたら本気のデューナちゃんといい戦いができるかもね〜」
「そ、そうか……」
10年間ずっと修羅場にいたら、か……
しかも勝つじゃなくていい戦いをする、だし……
なんというか、こいつはあれか。
無邪気に毒を吐くタイプか?
「まぁ、とりあえず紅茶でも飲まないかな?」
「あはい。今いれますね〜」
サイオンに言われてまだ紅茶を出していなかったことに気がつき、ピアスは三つのカップに紅茶を注いでカットしてあるケーキと一緒にテーブルに置き、それから自分も椅子に座った。
「いやしかし、聖女部隊に元第三のメンバー、少しの間に一気に数が揃ってきたね……これはライカさんに感謝しなくちゃ……」
「ライカさん……?ってことはまさか俺たちがここに回されたのは……!」
「うん、ライカさんのおかげだよ。彼がここに交渉に来てね、その時に首輪の術式……たしか、傀儡輪だったかな?……まぁそれの解除キーを手に入れるついでに君の部隊と聖女部隊をこっちに移すように要求してくれたんだ。表向きは戦力の削減……なんだけど、あの人は意外とお人好しだからね。君たちがなるべく辛い思いをしないようにってここに移したんだと思う」
「まぁその要求を飲む代わりに、結構な額をもらっちゃったんですけどね〜」
「……そう、なのか……」
なんというか、あの人には本当に感謝しないとな……
「……さて、身内の事情の話はここで一旦切って……少しジン君に頼みごとがあるんだが……」
「……ん?なんだ?」
カチャッ、と飲んでいた紅茶を置いて、サイオンはその頼みごととやらを話し始める。
「ああ、まぁなんて言うかそうだね、ちょっと僕の言う場所に“行かないで欲しいんだ”」
「はぁ?どういう意味だ?」
普通そこは行って欲しいとか言うべきじゃないのか?と口に出す前に、まぁまぁ、話しはまだ終わってないよとサイオンは俺の言葉を遮る。
「いやね、その場所っていうのがさ、どうも反魔物領だっていうのに魔物が住んでるとかで調査をされるそうなんだ」
「だったら、逆に俺らが行って……」
「ジンさん、私たちはあくまでも教団側じゃないといけないんですよ〜」
「……」
「あ、うんだからね、“君たちには僕と一緒にずっとこの部屋で書類整理をしていて欲しいんだ”」
「……?」
サイオンの言葉は完全に教団側を邪魔するな、という内容だった。
だが、なにか違和感を感じる。
「いやねぇ、ここはこれと言った活動がないから書類を大量に回されててねぇ……その量がね、“ちょっと仕事中の僕ら以外の人がいたら邪魔で邪魔でしょうがないから絶対入れさせない”くらいなんだよ」
「…………」
「……プッ、くすくす……ですよね〜かなりの量ですよね〜」
言い回しが少し露骨すぎて、なんとなくサイオンの言わんとしていることがわかってきた。
ピアスも我慢できないのか、腹のあたりを抑えて笑いを堪えながら賛同する。
「ああもちろん、“他の部隊のためにも何人かは外に出て書類を運んだり報告をしに行ってもらったりする”よ?」
「“でも、私たちはずっとこの部屋にいるんですから、例え誰かが教団の任務を邪魔したとしても、それは私たちじゃない”ですよね?」
「おっと、台詞をとらないでくれよ……まぁ、そうだね。“この部屋には隠し通路なんてないし、誰も外へは出れない”からね」
と言いながら、ピアスは心底嬉しそうに笑って、サイオンは何か含みのある黒い笑みを浮かべた。
サイオンの言わんとしてることがわかり、俺も一緒になって笑顔になる。
「まぁ〜そうだな。“俺たちはここに居るんだから、誰が何をしてようが関係ない”な」
「だろう?」
「んで、“特に誰にここにいて欲しいんだ?”」
「そうだね、それは……」
と、笑顔で嘘を付き合いながら、俺たちは仕事の計画を練る。
……まぁ、なんというかあれだ。
ここは師団の時なんかよりもっと面白そうな仕事ができそうで、すっげぇ楽しみだ。
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親愛なるデューナちゃんへ
お元気ですか?
私はそこそこ元気にやってます。
まったく、いなくなってから一回も連絡くれなかったからすっごい心配したんだよ?
まぁでも、いろいろと事情は聞いたから、許してあげます。
大変だったね。
ファリスちゃんを解放してくれて、ありがとう。
手助けできなくて、ごめんね。
デューナちゃんがいなくなったあと、私は部署を異動してのんびりとやってました。
で、その部署にね、デューナちゃんの教え子たちがきたんだ。
なんというか、デューナちゃんらしい育て方したよね。
特にあの子、隊長さんのジン君……だっけ?あの子はすごいわよね。
まぁともかく、あの子たちのことは安心してね。私も私の上司も魔物の敵じゃないから。
とりあえず、今言いたいのはこんなものかな?
また手紙を送るけど、今度はちゃんと返信して欲しいな?
ピアス・クラウス
「……だってさ。とりあえず、丸く収まったようよ」
そう言いながら、私はベットの上で眠ったままのファリスの隣にある物入れに手紙をしまっておく。
今私は、ラインの病院の、ファリスが入院している部屋にいる。
ローランが作りおいてくれたお昼を食べたあと、ファリスと一緒に読もうと、もう一人の同期の天使、ピアスからの手紙を持ってきたのだ。
……と言っても、当のファリスはずっと眠ったままだけどね……
私がファリスを倒してから今まで、この子は一度も目を覚ましていない。なんでも、長い間傀儡輪の影響を受け続けたせいで、彼女自身の精神の復帰に時間がかかるらしい。目を覚ますのにどれくらいの時間がかかるかわからないが、絶対に目を覚ます、とライカは保証してくれた。
「しっかし、返信かぁ……なにを書けばいいかしらね……というか、どうやって書こう……利き手がこれじゃあなぁ……」
そう言いながら、私は包帯に巻かれて固定されている自分の右腕を見た。
なんというか、ファリスの防御術式を破っておいてよくこれで済んだものだ。……いや、よくここまで治したものだ、か……
星村たちが発見した時の私は、半分死んでいるに等しい状態だったらしい。右腕……どころか右半身が直視できない状態だったそうだ。そこから使えるものすべてを使って“体だけでも”治したらしいのだから、彼らの力は恐ろしいものである。
……そう、治ったのは体だけだ。
やはり壊世やそれに至るまでに使った氣の量が多すぎたらしく、体の氣のほとんどを使い切っていたらしい。そのため体は自由が効かず、いつもみたいな激しい運動をすることができなくなってしまっている。右腕にいたっては氣が完全に尽きていて全く動かせない。神奈さんたちは体を治すことはできたが、知識を持たない氣に関しては完全にお手上げだったようだ。
……全治……氣の回復まで最低でも3ヶ月、といったところか……もしかしたら、右腕はもう回復しないかもしれない。
「……まぁ、でもあなたを助けられたんだもの、腕一本なんて、安いものよね?」
言いつつも、たぶんファリスが目を覚ましてたら、安くないわよ馬鹿ね。と怒り出すだろうな、と私は苦笑した。
さてさて、私がファリスに怒られるのと、証拠の隠蔽ができるのは、どっちが先かしらね?
なんて、そんなことを考えていると、不意に部屋の扉がノックされた。
こんな時間にファリスのお見舞い……ライカかしら?
とりあえず、なにもしないという選択肢はないため、私は扉を開けてノックした人の姿を見る。
「あれ……ローラン?」
「やっぱりここにいたんだ、姉さん」
そう言いながら部屋に入ってきたのは、ローランだった。
「え、学校は?」
「今日はお昼までだよってちゃんと伝えたよ?」
「あ、そうだったの……ごめん」
「しょうがないよ。姉さん体調悪いんだから。まぁでも予想通りこの人のところにいてくれてよかったよ。手紙でも読みにきたの?」
「うん、まぁそんなところよ」
じゃあ、失礼します。と言いながら、ローランは近くにあった椅子を私の座ってた椅子の隣に引き寄せて座る。まぁ立ってるのもあれだし、私も椅子に座る。
「……よかったね、友達を助けられて」
「……うん、よかったわ。あの子は……」
言いかけて、私は口をつぐむ。
私のせいでこんなことになちゃったからね、と言おうとしたが、その言葉でローランの記憶を刺激することを私は恐れたのだ。
昔の私なら……罪悪感でローランの未来を守ろうとしていた私なら、きっと今ローランに記憶が戻っても構わないと思うだろう。もうこの子は私の力がなくても立派に生きていけるはずだから……
でも今は……
「……ねぇ、姉さん。一つ、伝えておきたいことがあるんだけど、いいかな……?」
「……なにかしら?」
伝えておきたいこと……
少し、嫌な予感がした。
「えっと、なんていうか……記憶、戻ったんだ」
「っ……!」
ローランの言葉に、私は息を飲んだ。
動揺しながらも、確認してみる。
「戻ったって、ここにくる前のを、全部……?」
「うん。村が燃やされてたことも、家族がみんな死んじゃったことも、全部、思い出したよ」
「………………」
全部、思い出したのね……
……そしたらもう、一緒に暮らせない、か……
ローランだって、親の仇と一緒に居たくないでしょう……
「………………」
「姉さん、待って」
ここには居られない。そう思い立ち上がると、ローランが同じく立ち上がって私を止める。
顔は……合わせられない。
「……僕ね、姉さんのこと、恨んでないよ。だって姉さん、僕のことを助けてくれたじゃない」
「……そう、だけど……」
「それにさ、あの頃はともかく、今の僕にとっては、姉さんだけが家族なんだよ。だからさ、いなくなって欲しくないよ。ずっと一緒にいて欲しいよ」
ピクッと、ローランの言葉に私の心が、体が、反応してしまう。
ずっと一緒にいて欲しい。
うん、私も、ローランがそれを許してくれるなら、ずっと一緒にいたい。
罪悪感とか、そういうのじゃなくて、姉として、女として、家族で弟で、そして一番大切な人であるローランと一緒にいたい。
でもまだ私の体は動かない。
何年もの想いが、その先の言葉を求めていた。
……ローランの言葉は、まだ終わらない。
「姉さんはさ、僕にとって、ずっと見守ってくれた家族で、自慢の姉さんで、そして……」
家族で、姉で、そして……!!
期待に胸が高鳴る。
まさか、母、なんてことはないわよね……!!
「僕にとって、一番大切な人だから、だから、ずっと一緒に……」
ローランが言い終わる前に、私はローランの胸に飛び込み、抱きついた。
待ってた。この言葉を待っていた。
ローランが今まではっきりと言ってくれなかったその言葉を、やっと言ってくれた。
「ありがとう、ローラン。私も、ローランのこと、一番好きよ……!!」
目に浮かぶ涙は、ローランの服に吸われ、床に落ちることはない。それくらい、ギュッと抱きしめていた。
嬉しくて嬉しくてたまらない。
罪悪感から自立できるようになるまで育てようと思って
いつの間にかこの子と過ごす日常がすごく楽しいものになっていて
この子の未来をずっと見ていきたいと思って
そして気がつかないうちに、どうしようもないくらいに大切な存在になっていた
……よし。
「……ねぇ、ローラン」
「なにかな、姉さん?」
正直デューナと名前で呼ばれたいけど、今は仕方が無い。いや、すぐにでも呼ばせてやる!
顔を上げ、ガッとローランの手を両手で包むようにして掴みながら、私は言う。
「結婚しよう!」
「あと2、3年待とうね」
……あ、あれ?
スルリと断られたんだけど……
どうして?
「え、なんで?」
「まずライカさんが許可しないでしょ?」
「むぅ……」
よしならば
「ちょっと出かけてくる」
「おい待て病人その体でどこにいくつもりだ」
「えー?なにもしてこないよー。ライカノトコロニイクナンテコトハナイヨー」
「模範みたいな棒読みだね。あと直接話にいっても無理だと思うよ」
「むぅ……」
まぁたしかにそうよね……
一応この街では結婚は男女ともに18歳以上しかできない決まりとなっている。ライカ曰く、きちんと責任を取れる年齢になってから結婚しなさい、とのことだ。
しょうがないわねぇ……
「じゃあ今日はローランといっしょに寝る!」
「……まぁいいけど、襲わないでよ?」
「なんでー?」
「それは……その……」
ぽりぽりと頬を掻きながら、ローランは恥ずかしそうに目を横にそらす。
にゃるほど、これは恥ずかしがってるなぁ〜?
「ローランローラン」
「なに?」
「初めては、優しくしてあげる!」
「それは一般的には男から言う台詞じゃないかな?」
「じゃあ、優しくしてね?」
「……まったく、この姉は……」
呆れたように、または観念したように、ローランはため息をついてうな垂れる。
「とりあえず、陽が暮れる前に買い物しにいこう。今日は……そうだね、少し奮発してステーキとかどうかな?姉さんが外に出歩けるくらいに回復してきてるし」
「お肉!?これは今夜が楽しみね!」
「どうしてそういう方向に話を持っていくかなぁ……」
「よし、すぐ行こう!早くお肉買いに行こう!!」
そう言いながら、私はローランの右腕に抱きついていっしょに部屋をあとにする。抱きつかれたローランは驚いていたものの、満更でもないようだ。
さて、今日はいっしょに寝られるし、ここからどこまでいけるかよね……どうやってローランをオトそうか……
などと、いつものように考えたのだけれど、別にそこまで焦ることはないか、と考え直す。
気持ちは伝えたんだ。あとは少しずつ距離を詰めていくだけ。
急がず、焦らず、私のやりたいようにやっていけばいい。
ローランと結婚するまであと2年くらい……
「ねぇねぇローラン」
「なに?」
「2年後が楽しみね」
「……そうだね」
……ローランに、姉さん、じゃなくて、名前で呼ばれるようになるのは、そう遠くないかもしれない。
12/11/07 18:50更新 / 星村 空理
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