連載小説
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クッキー
『……友達のところに泊まるから。……もう今日は、店に戻りたくない』

そう言って、美核は雨の中、どこかに行ってしまい、僕は店に戻ってマスターに美核は今日は帰ってこないと伝えてから、再び店の片付けをし、夕食を食べ、その日を終えた。
マスターは、なにも訊かないでいてくれた。美核が突然友人の家に泊りにいくなど、店主としては様々なことを問いただすべきであったにも関わらず、訊かないでいてくれた。
何かを、察してくれたのだろう。
その優しさが、とてもありがたかった。
そして夜が明け、そろそろ店が開くといった時間帯。僕は……

「……星村さん、大丈夫ですか?」
「…………うん、平気平気。なんとも……ないよ?」
「……嘘をつけ。顔色が悪いぞ」
「そんなこと……ないですよ……」
「絶対嘘です!尋常じゃないくらい……まるで死にかけの人みたいな顔をしてますよ!」

演技では誤魔化せないレベルで、弱っていた。
鏡で顔を 見てみたが、たしかに幽鬼のように顔が青かった。
立つのもやっとで、今にも倒れそうである。
マスターと方丈君が僕を止めるが、僕はそれでも仕事をしようとする。
……そうしないと、壊れてしまいそうだから。

「大丈夫だよ……出来る出来る。たしかに体調悪いけど、原因は精神的なものだから。肉体的には平気……」
「じゃありませんって!フラフラじゃないですか!無理ですよ、働くなんて!」
「……俺としても、お前が仕事が出来る状態だとは思えない。邪魔になるだけだから、休め」
「っ……わかりました……」

マスターにまで言われてしまったなら、仕方が無い。
マスターに迷惑はかけられないからな……
渋々と了承しながら、僕は自室へ戻ることにした。
……寝て、幾分か気持ちを楽になればいいんだけど……
そう思いながら、店の奥に行こうとしたその時だった。

ほぉしぃむぅらぁ!!!!

ダンッ!と大きな音を立てながら、聞き覚えのある声が僕の名前を叫んで呼んだ。
ああ、やっぱり来たか……
あの人は美核の味方だからなぁと嬉しく思いながらも、僕は足を止めて、店の入り口にいるその人のことを見る。

「……すまないが、今日は星村は体調が……」
「マスター、いいですよ。どうせ今のこの人に僕の体調は関係ないでしょうから。……ですよね、ルーフェさん?」
「当たり前よ!!あんたは、……あんたは!!」

入り口にいたのは、やはり、ルーフェさんだった。
マスターが止めようとしたが、僕がそれを遮る。
ルーフェさんは、場所をわきまえるだけの理性は残っているらしく、全てをぶちまけようとして、しかし我慢して今はなにもいわなかった。
……よかった。ここでやられたら、無理矢理にでも止めないといけなかったからね……

「……ルーフェさん、とりあえずは、場所を変えましょう。あとは、いくらでも好きにしていいですから……」
「…………わかったわ。ついて来なさい……」
「すみませんマスター。ちょっと、出かけてきます」
「……大丈夫なのか?」
「……さぁ、どうでしょうね?」

マスターの言葉に曖昧に答え、僕はルーフェさんと一緒に店を離れるのだった。


××××××××××××××××××××××××××××××


外でルーフェのことを待っていると、そんなにしない内に、彼女は星村と一緒に店を出てきた。
星村の顔は、なにがあったのか、蒼白だったけど、あまりそこは突っ込んで聞くべきではないと思い、なにも言わないでおく。

「ラキ、移動するわよ。ここじゃ邪魔になっちゃう」
「うん、了解」
「……ああ、ラキ、君もいたのかい。よかった」
「なにがよかったのかはわからないけど……まぁ、付き添いにね。今のルーフェの様子じゃ、やり過ぎちゃうだろうから……」

星村は、僕のことを見ると、少し安心したみたいな顔をした。
ルーフェは無言のまま、どこか……たぶん、自分の店だろうね……に向かった。

「……やっぱり、美核はルーフェさんのところに泊まったんだね」
「一応、どうしてこうなってるのかはわかってるんだね」
「うん。粗方予想は。美核がルーフェさんのところに泊まって、ルーフェさんが怒って、君と一緒に来た、とこんな感じでしょ?」
「まぁ、そんなとこだね」

夜に僕が二人分余計に夕食を作らされたことを追加すれば、大方正解だね。
まぁ、それは関係ないけど。

「……で、君はどうするつもりだい?謝る?土下座する?」
「わからないよ。ルーフェさんの要求次第。……でも、たぶんなにもしないだろうね」
「どういうこと?」
「……それよりも、ラキ、二つ頼みたいんだけどさ……」

星村は、僕の質問には答えずにはぐらかし、代わりに頼みごとをする。

「一つ目、もし僕になにかあったら、ルーフェさんのことを真っ先に守ってあげて」
「……そういうのは普通、君のことを助けるってやつにならないかな……?」
「そうだね。でも今回は僕に完全に非があるし、しばらく夢を見てないから、なにが起こるかわからないんだよ……」
「夢……?」
「あと、君が僕を助けるなんてないと思うし」
「おい」
「二つ目、なにがあっても、僕とは友人でいて欲しい」
「それは、どういう……」
「……これは、頼む必要はなさそうだったね」

僕の質問には答えず、星村は話を押し通す。
……まったく、ほんとにこいつは掴めないな……
信用してると思ったら、全く信用してない。
信用してないと思ったら、全面的に信用してる……
人との距離が常に変わってる様な、そんな、不思議なやつ。
……しょうがないな……
とりあえず僕は、なにも訊かないで、承諾することにした。

「わかったよ。とりあえずは、頼まれてあげるよ」
「ありがとう。今度売れ残ったもの全部買い取るよ」
「いや、そんなに売れ残りとかでないから……」
「え?そうなの?」
「こいつ……!!」

僕が頼みを聞いたからか、星村の顔が、若干ホッとした様になり、気のせいか、顔色も少し良くなった気がする。
……と、そんな話をしている内に、ルーフェのお店の前に到着した。

「……ここなら、大丈夫よね?」
「……そうですね」

星村がルーフェに頷いて、僕たち三人は、今は開いていないルーフェのお店に入るのだった。


××××××××××××××××××××××××××××××


「……星村、要件はわかってるわね?」
「……約束、ですよね」

ルーフェさんのお店……“シルバーファーデン”の中で、僕とルーフェさんは話している。
付き添い兼お目付役?として来ているラキは、特になにも言わず、店の入り口で様子を見ているだけ。
そしてルーフェさんは……静かに、しかし相当怒っていた。

「私、頼んだわよね?彼女のこと泣かせないで頂戴よって」
「…………はい」
「私の家に来てあの子、泣いてたわよ。……意味は詳しくは知らないけど……私は誰かの代わりにしかなれないのかなって、空理は私のことを見てないのかなって、そう言って、泣いてた」
「………………」

誰かの代わり……模造品、か……
きっと、美核と立宮先輩の名前が一緒だからって、そう思ったんだろうか……
……まったく、なんて皮肉だ……
美核は誰の模造品でも、代わりでもない。
でも……
そんなことを考えながらしかし、僕はなにも言わない。
僕のその様子に、ルーフェさんは失望したような顔になる。

「……なにも言わないのね。貴方は、あの子を泣かせないって、そう思ってたんだけどね……どうやら、私の思い違いだったようね」
「…………」
「そこまで言われて、まだなにも言わない、か……ねぇ星村、貴方、本当に美核のこと、好きなの?」
「……もちろん、好きですよ……」
「…………なら、なんであの子を泣かせるようなことをしたのかしら……!?」

僕が始めて答えると、ルーフェさんの冷静で平坦であった声に怒気が混じり出してきた。
しかし、そんな彼女の言葉に、僕はなるべく感情を動かさないようにしながらも、少しずつ、答えていく。

「あれは……時期が、悪かったんです」
「……時期?時期ってなによ!?」
「…………」
「……またなにも答えないのね……貴方は、隠し事が多すぎるわ」
「……そんなこと、ないですよ……」
「なら、教えて頂戴。貴方はなんで、あの子の好意に応えられないの?」
「………………」
「ほら、答えない!」

話すごとにルーフェさんの怒気は増し、そして臨界を超えて、彼女は僕の首を掴んだ。
ラキが止めようと動くけど、僕は、まだ止めなくていいよ、と彼を止めた。
そんな僕の様子を無視して、ルーフェさんは叫ぶ。

「あんたはいったいなんなの!?あの子のことは好きだと言うくせに、告白しないどころか、あの子の好意にさえ応えない!!あんた口では好きだって言ってるけど、あの子のこと好きでもなんでもないんじゃないの!?」
違う!!
「ならあの子の好意に少しでも応えてあげなさいよ!なに、それともそう出来ない理由があるの!?」
「…………」
「応えられないわよね!あんたは口だけであの子のこと好きなんかじゃないんだから!」
「違う!僕は……!!」
「もういいわよ嘘は!あんたはあの子を幸せになんか出来ない!あの子はマスターに言って私が引き取る!そしてもうあんたには二度と合わせないわ!」
「……嫌だ!嫌に決まってる!僕は美核を…………!!」

…………あれ?
感情が昂ぶり、言葉を発している途中で、僕の思考が一瞬止まる。
あれ……?
“こういう時、どんな顔をすれば良いんだっけ?”
そんな一つの疑問が浮かんだ瞬間、僕は何かが弾けたように、次々と疑問が浮かんできた。
ルーフェさんにどんなものをぶつけているんだっけ?
僕はなにを感じているんだ?
ルーフェさんの言葉に、僕はなにを感じたんだ?
こういうときはどうすればいいんだっけ?

「……あ……うぁぅ……」
「……星村?」

次々と疑問が浮かび、僕は他の思考をすることが出来なかった。
誰かの声が聞こえたような気がしたけど、わからない。
そしてたくさんの疑問に溺れながら、僕は悟った。
……ああそっか。離れ過ぎちゃったか……
悟った瞬間、体の力が徐々に抜けていくような感覚を感じる。

……どうでもいい……

……そんな声が心の奥底で聞こえたのが、僕が最後に感じたことだった。


××××××××××××××××××××××××××××××

「……あ……うぁぅ……」
「……星村?」

突然、星村はカチッと機械のように動きを止めたかと思ったら、今度は頭を抱えてうめき出した。
いったいなんなんだ?と思い、私は掴んでいた首を離して星村の様子を見る。
しばらく呻いてると思ったら、今度は、カクン、と首だけが落ちるように下を向く。
と、その瞬間、なにかが変わったのを、私は感じた。
なにかはわからないけど、決定的ななにかが、さっき変わった。

「……まったく、あんな模造品の為にこんなになるなんて、馬鹿だなぁ……」
「え……?」
「まぁ、どうでもいいことか……」

わけのわからないことをつぶやきながら、星村は首を上げ、そして信じられないことに……店を出て行こうとした。

「っ!待ちなさい星村!」
「……どうかしましたか?」
「まだ話は終わってないわよ!勝手に出て行かないで頂戴!」

私の制止に、星村はなんだかわからないような顔をして、首を傾げた。

「話って、いったいなんの話です?」
「あの子のことよ!!」
「あの子?」
「立宮美核!まさかあんたさっきの変な反応でおかしくなったんじゃないでしょうね?」
「…………はぁ、そうだった……あいつもまた面倒なところで……」

私の言葉に、いちいちなにも知らないといった感じの星村は、最終的には、深いため息をつき、そして一言、私に殺意を持たせるのに十分な言葉を放った。

「はぁ……あいつはわかんないけど、別に僕はあんな模造品好きでもなんでもないですよ。まったく、どうでもいい……」
「……どうでもいい、ですって……!!」
「っ!?」

その言葉を聞いた瞬間、私は星村の首を再度掴み、そして壁に押しつけた。

「好き嫌いをはっきりさせるのはいい。それがあの子の為になるから。でも……どうでもいいですって……!?それに、あの子のこと、模造品なんて呼んだわね……!?」
「事実は事実ですよ。あいつは立宮先輩の模造品です。まぁ、先輩に似てるだけで、本当の模造品じゃないですけど。そして僕は本物の立宮先輩じゃないからどうでもいい。それだけです」
「お、前……!!」

なにを言ってるかはわからないけど、こいつはあの子の好意を、こいつを想ってきた時間を、嘲笑ったことはわかった。
怒りが頂点に達し、私はギリギリと星村の首を締め上げる。
こいつは殺す。
あの子の前には二度と出さない。
偶然も許さないし、目に触れることも許さない。
殺す。
私は明確な殺意を持って星村の首を締める。
しかし星村は、殺されようとしてるにもかかわらず、ひどく無感情な顔で、一言言うだけだった。

「離してください」

そのたった一言で、冷淡な、感情すら感じない機械的な一言で、私は違和感を感じて、急速に興奮を冷まし、冷静な思考をとった。
待て、こいつは私の知っている星村とは確実に違っていないか?
私の知っている星村なら、あんな突然店を出て行こうとしないし、あんな言葉を放つような愚かなことはしない。
やるんだったら、たぶんあんなまっすぐは言わず、誤魔化すだろう。
それが星村の本性だと言われたらそれまでだけど、でも、それにしてもかけ離れすぎている。
……こいつは、星村じゃない?
そんな結論に至った私は、手の力を少し緩め、星村に問いかける。

「あなた、本当に星村なの?」
「そうですよ?僕は星村空理です」

答えは、是だった。
しかし……

「こんなの、私の知ってる星村空理じゃないわ」
「あたりまえですよ。いつもいる星村空理は消えてるんですから」
「……え?」

星村の言葉に、私は疑問符を浮かべた。

「なら、あんたはいったいなんなのよ?」
「僕はあなたの知らない星村空理です」
「……私は、謎々をしたいわけじゃないんだけど……」
「僕もこんなつまらない会話はしたくないです。では、事実だけ言いましょう」

無表情に言いながら、星村はさらに理解出来ないことを言う。

「あなたとあの模造品のせいで、あなた達のよく知る星村空理は消えました」
「え……?」
「離してください」
「あ……」

そう言うと星村は私の腕を手で払い、そしてスタスタと店を出て行ってしまった。

「……どういう、意味なの……?」
「……追わなくても、いいのかい?」

星村の言葉の意味がわからず、呆然としている私に、ラキがそう訊いてくる。
ラキの言葉に、私はハッと星村がここを出て行ったことに気がついた。

「っ!!追わないと……!!」

私は星村を追いかけようとしたけど、ラキがそれを止めた。

「ルーフェ、今は追わないほうがいいよ」
「なんなのよ、追わなくていいのかって訊いたくせに、止めるなんて……」
「…………君は、気がつかなかったのかい?」
「……気がつかなかったって、なにが?」

ラキがわけのわからないことを訊いてきたが、私はなにも気がつかなかった為、首を傾げる。
そもそも、なにに気がつくと言うんだろう……?
そんな私の様子を見て、ラキはそう、それならいいんだ。と言って、話を誤魔化してしまった。

「さて、とりあえず今は落ち着く時間が必要だね。いくら怒っていてまともな判断が出来なかったとはいえ、殺そうとしたのは駄目だよ」
「う……わかったわ、少し、落ち着く時間を取りましょう」
「うん、じゃあ奥で座ろっか。星村ほど美味しくはないけど、紅茶でも淹れよう」
「……一応言っておくけど、ここはあんたの家じゃないわよ?」
「わかってるよ。さ、行こう」

そんな会話をしながら、私はラキにおされて店の奥へ向かう。
…………こころなしか、私の背中を押すラキの手は、小刻みに震えているように感じた。


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『今日はお店を休みなさい。……と言っても、無断欠勤は駄目よね。そしたら、一旦店に戻って、マスターに伝えてから、またここに戻ってきなさいな。あ、あとついでに買い物も頼んでいいかしら?』

ルーフェにそう言われて、私は、たしかに今日はまともに仕事が出来るとは思えなかったから、とりあえず買い物をしてから、店に戻ってきた。
ガチャッ、と裏口の扉を開けて、私は店の中に入る。

「……美核か、おかえり」
「……ただいま、マスター」

と、注文が入っていたのか、厨房で料理をしていたマスターが私に気がついた。
挨拶を交わし、あとはなにも言わない。
空理から事情を聞いてるから、なにも訊かないでくれてるのかな?
……いや、マスターのことだ、事情を知らなくても、なにも訊きはしないだろう。
……優しい人だ。
でも私は、そのマスターの優しさに、もう少し頼る。

「あのね、マスター。今日から少しの間、お休みが欲しいんだ……いいかな?」
「……そうか、わかった」

マスターの答えは、一言。
その一言だけで、私は少しホッとした。
……と……

「マスター、また注文で……って、美核さん!?遅かったですね、どうしたんですか!?」
「あ、いや、ちょっとね……」

今日もバイトに来てくれていた方丈君が注文をマスターに伝えようと来たところで私に気がつき、驚いていた。
……そういえば、少し意識して探さないようにしてたけど……

「空理の姿が見えないわね?向こうで誰かと話してるのかしら?」
「あ、いえ、それが……ルーフェさんに連れて行かれちゃって……」
「……ルーフェが?」

ルーフェが、空理のことを……?

「ええ、そうなんですよ。すごく怒ったような感じで……星村さん、すごく体調が悪そうだったんで、倒れてなければいいんですけど……」
「………………」

……そういえば、買い物で買うものが妙に多かった気がする。
もしかして、店に早くこさせないために……?
それに、怒ってるようなって……
そういえば、私がルーフェのところで泣いてた時、ルーフェたしか……

『あいつ、約束守らなかったわね……!!」

って、すごく怒った声でつぶやいていた気がする。
…………嫌な予感がした。
もしかしたら、ルーフェ、空理に酷い事してるんじゃ……!!

「……っ!!」
「あっ、美核さん!?どこに行くんですか!?」

心配になった私は、いても立ってもいられず、店を出てルーフェのいるだろう彼女の店へ向かう。
今から急いで行けば、止められるかもしれない。
和服を着ているから走りづらいけど、出来うる限りの全力を出す。
空理に今会うのはすごく怖い……けど、でも……
空理に酷い事は、して欲しくない。
もし私の事が好きじゃないとしても、私は好きな人には、傷ついて欲しくないから……
私は全力で走った。
行きは買い物をしていったから時間がかかったけど、帰りはまっすぐだからさほど時間をかけずに、私はルーフェのお店に到着し、扉を勢い良く開けた。

「ルーフェ、いる!?」
「ああ、立宮さん、いらっしゃい……じゃないね、この場合はお帰りなさい、かな?」

お店にルーフェの姿はなく、代わりにラキさんがルーフェの家でもあるお店の、生活スペースである奥の部屋から顔をヒョコッと顔を出してきた。

「ああ、ラキさん、おはようございます。……あの、ルーフェはどこですか?」
「ああ、ルーフェなら今そこで紅茶を飲んでるよ。立宮さんも飲むかい?」
「あー、いえ、いいです」

ラキさんの紅茶はとりあえず断って、私は店の奥に行って、ルーフェのところへ。
私をみると、ルーフェはなにもなかったかのように、お帰り〜、と呑気に言った。
しかし私は、そんなルーフェの挨拶を返す事もなく、単刀直入に訊く。

「ルーフェ、空理のこと連れてったそうね?」
「……え?なんのことかしら?」
「話は方丈君から聞いてるから、言い逃れはできないわよ?」
「…………ええと、それは……」

裏が取れてることを伝えると、ルーフェは気まずそうな顔をして、私から顔をそらす。

「いったい、私に内緒でなにをしたのかしら?」
「え、えと、その……少し、注意、よ。そう、星村さんにちょっと注意をしたのよ!」
「注意?」
「ええ、えと……自分の気持ちくらいちゃんとはっきりさせなさいよとか、そんな風な感じに……」
「……本当に、それだけ?」
「え、ええ……それ以外は、なにもしてないわ……」

はっきりと、ルーフェはなにもしていないと言った。
それを聞いた私は、とても、悲しかった。
まただ。また……

「…………お願いルーフェ、嘘、つかないで……いまは、どんなに私のことを思っていても、嘘はついて欲しくない。お願い、本当のことを、言って……!」
「…………ごめん……」

ルーフェには、昨日の出来事はだいたい教えているから、私の言葉を理解して、申し訳なさそうに謝った。
しかし、それでも、ルーフェは気まずそうな顔をしたまま、その続きを言わない。
なにか、言いづらい理由でもあるんだろうか……?
そう思ってると、ラキさんが、そりゃ、言い難いよね……とつぶやきながら、ルーフェがなにをしたのか、簡単に説明をしてくれた。

「ルーフェはね、星村のことを危うく殺しそうになっちゃったんだよ」
「え……?それ、本当……なの?」
「……そう、ね……本当よ。殺す気も、あった。でも、言い訳させて頂戴」
「大丈夫、あなたが理由がない限り人を傷つけないことはわかってるから。……空理が、何か言ったのね?」
「……そうよ。あいつ、“どうでもいい”って言ったの」
「どうでもいい……?」

……嫌な予感が膨らんでいく。
その言葉は……もしかして……
ないとは思っても、私は最悪の可能性を考えてしまう。

「そうなの。あなたのことを、どうでもいいって、それに、模造品とかって言ってもいた。それを聞いて、意味はわからなかったけど、ああ、こいつはあなたのこと好きでもなんでもないんだって、そう思って……」
「……そっか、私のために怒ってくれたんだ……ありがと、ルーフェ」

どうでもいい、それに、私を模造品と呼ぶ……
最悪な可能性が、ほぼ確定した。
経過も理由もわからないけど、その事実だけ、私は理解した。
でも、とりあえずそれについて考えるのは、次のルーフェの誘いによって、保留することになった。

「……ねぇ美核、あのお店を出て、ずっと私と一緒に暮らさない?私は、あいつをあなたに合わせるべきじゃない、そう思うわ」
「……気持ちは嬉しいけど……ごめん。それでも私は、空理やマスター達と一緒に住んでいたい」
「……なんで?あなたを泣かせるような男のいるところなのよ?」
「……そうだね、泣いちゃったね。でもねルーフェ、あそこは、私が生まれてから初めて、安心できた場所で、二人は、ずっと家族みたいに過ごしてきた、恋愛感情を抜きにしても、大切な人なんだ。だからさ、わたしからあそこを奪わないで欲しいの」

そう。マスターもそうだけど、空理は、恋愛感情を抜きにしても、私のことを助けてくれた、とてもとても大切な人なんだ。
それに……

「それにね、ルーフェ。私が泣いたのは、空理のせいじゃなくて、あの人の言葉を信じることが出来なかった、自分のせいなんだよ」
「……それは……どういう意味かしら?」
「あの夜ね、空理、私のこと好きって、そう言ってくれたんだ。でも、私はその言葉を信じられなかったんだ。状況が状況だったからね……だから、本当は、空理が悪いわけじゃないんだ。ただ、私が勝手に空理のことを疑って、そして泣いちゃっただけ」
「……それでも、そのことを踏まえて、今日のことを除いても、私は、疑わせるような原因を作ったあいつが悪いと思うわ。自分のことはなにも話さないで、自分の都合だけを押し付ける。だから、あなたが泣くようなことになったんじゃないの」
「……それは……たしかにそうだけど……」

言われて、改めて気がつく。
そういえば、私、空理のこと、あんまり知らないんだよね……
どういうやつか知ってるのに、あの先輩のことだってそうだし、なにをしていたのか、どこにいたのか……いろんなことを知らない。空理は、話そうとしない。
ルーフェは空理が悪いって言ってるし、私も正直空理の方が悪いと思う。
でも、なんで空理があんなにも好意から逃げていたのかその理由は知っておきたい。
少し図々しい言い方かもしれないけど、許す為に。
一緒に、なにも気にせずに暮らしていく為に。
恋人とか、そういうのじゃなくてもいい、家族としてでいいから、知りたい。

「だから、あなたにあいつを合わせたくないのよ。あいつはあなたを不幸にするから……」
「それは違うよ」

ルーフェの言葉を、私は即座に否定した。

「私は、空理と一緒にいて、悲しいこともたくさんあったけど、それでも、不幸だなんて思ったことは一度もないよ。だって……」

その言葉は、魔物としての本能か、女としての本能か、はたまたその両方か……
私にはわからないけど、自然にその言葉を紡いでいた。

「好きな人と一緒にいることが、一番幸せなことなんだから」

……私の言葉に、ルーフェはしばらく沈黙して、そして、大きなため息をついた。

「本当に、あなたは星村が好きなのね……」
「うん。好きだよ」

ルーフェの言葉に、私は少しだけ誇らしそうに答える。
と、ルーフェは呆れたような、でも少し羨ましそうな顔をして、またため息をつく。

「そう、そしたら、もう私はあなた達の関係についてとやかく言うのはやめにしておくわ。でも、私はずっとあなたの味方でいるから、それだけは、忘れないでちょうだい」
「……うん、ありがとう」

ルーフェの言葉を聞いて私は、やっぱり彼女は私の一番の友人なんだな……と、安堵した。

「……そしたら、ちょっと、行ってくるね」
「星村のところに、ね?」
「……うん、いろいろと、話を訊きに」
「……そう。行ってらっしゃい。……今日は、うちに泊まって行きなさいよ?」
「……そうだね、今日は、お世話になるわ」

じゃあ、行くね。と私は部屋を出て、空理を探そうと店の扉に手をかける。

「立宮さん、今の星村には会いにいかない方がいい」

と、後ろから、ラキさんが声をかけてくる。
会いにいかない方がいい……ということは、やっぱりラキさんもルーフェと同じ考えだったのかしら……?

「どうして、空理に会いにいかない方がいいんですか?ラキさんも、ルーフェとの話、聞いてたでしょう?」
「うん、聞いてた。だからこそ、止めるんだ」

聞いてたから、止める……?

「……今のあの星村は、僕達の知ってる星村じゃない」
「私たちの知ってる……?」

ラキさんの言葉で、思い出す。
そうだった。そのことを忘れてた……

「僕も詳しくはわからないけど、星村が……なんか、他の人になったみたいな……そんな感じになったんだ」
「他人……ね……気のせいじゃ、ないんですか?」

確認を取ると、ラキさんはふるふると首を横に振る。

「いや、気のせいじゃない。あれは、星村じゃない。もっと危険ななにかなんだ……」
「危険?」
「あいつ……“僕達のことを、少しも認識してなかったんだよ。見ているのに、見られてる感じがしない。話をしているのに、独り言を言っているよう”……まるで、僕達が、背景の一つのようにしか思ってない感じだったよ……」
「…………」

……もしかしたら違うかもって期待してたんだけど、その期待は、やっぱり裏切られた。
……確実に、あいつがきている。
なんであいつが……いや、そもそもあいつがなんなのかすら知らないのだ。なにを考えてもまだ理解出来ないだろう。
とりあえず、今すべきことは……

「でも、私は空理に話を訊きにいきます」
「……だから、今の星村は星村じゃ無いって。それに、下手にあいつに近づいたら……」
「わかってます」

空理じゃ無い空理っていうのが、私の知っているあいつなら、あいつに近づくことがどれだけ恐ろしいかわかっている。
自分がいるのに、その全てを認識されていないかのような、世界に拒絶されたかのようなあの感覚を、感じることになるんだ。怖くないわけがない。
でも……

「あれについては、私もよく知ってます。だから大丈夫です。もう……慣れましたから」
「え……?」
「じゃあ、もう行きますね」

そう言って私は少し呆然としているラキさんを放っておいて店を出る。
そして、空理を探しに回る。
……闇雲に探しても時間がかかるだけだし、ここはフィスちゃん達に教えてもらった魔力での捕捉法を使うか……
あ、でも探す前にちょっとあそこ寄ってこっと……


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『……こう、ですか?』
『違う違う。なんかそれは怪しい感じがする!』

……それは、過去の残滓。
僕が僕となった、ほんのちょっとのきっかけ。

『まったく、作り笑いは上手いのに、なんで怒ったり泣いたりする顔は出来ないのかなぁ……?』
『笑ってた方が楽だからじゃないですか?』
『いやまぁそれはそうなんだけどさ……まぁいいや。もうちょっと練習しよっか』

先輩と僕の、二人だけの特訓。
無理やりに巻き込まれただけだったけど、でも、それでも。
楽しかったと、僕は思っていた。


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街から出てすぐ近くの、草原にポツンと立っている木の近く。
そんな、なるべく人と関わらないような場所に、私は居る。
私の目の前の木の下には、探していた人……空理が、寝転がっていた。
……いや、正確には違うわね……
そう思いながら、私は空理の寝転がってるその後ろで、声をかけた。

「……空理、こんなところにいたのね」
「……ああ、立宮先輩の模造品か」

その一言で、私は目の前に居るこの男が、私達が普段接していた星村空理とは違う者だと理解した。
それでも、こいつが空理であることに変わりはない。
こいつは、私の好きな空理とは違う。
こいつは……

「……なんで、あんたがこっちにきてるのよ。あんたは……空理の夢の中の存在でしょう?」

そう、こいつは
“私が空理の夢で出会った空理ではない何者か”
なのである。
私が空理の過去を知ろうと彼の記憶を探る時に、こいつはよく現れた。
夢の中では何度か会っているが、こっちではまったく会っていない。
だからこいつは空理の夢の中の産物。
そう思っていた。

「……違いますよ。僕は夢の住人ではありません。ちゃんとした現実の人間です」
「……なら、あんたは、いったい空理の、なんだっていうのよ?」

問いながらも、私は、溢れ出る不安や不快感を抑え、込み上げる吐き気を堪える。
“自らの存在を認められてないような空間にいる”んだ。こうなるのは無理もない。
立宮美核の模造品が来た、という事実を知っただけで、それ以上のことに関心は持たれていない。
話しているように感じても、実際は掛けられた声に答えてるだけ。
どこまでも、“私”という存在を認識していない。まるで私が風景の一部であるかのように。
それが、こいつなのだ。
だからこそ、見られているのに見られていない、といった矛盾した感覚を感じ、気分を悪くする。
怖い。
人を肯定するにしても、否定するにしても、まずその人を認識することから始まる。
だからこそ相手は喜びや不快感を感じる。
でも、こいつには大前提であるその認識からない。
事実の確認、そして人として生きるために必要な反応……
それしか持たないこいつが、私はたまらなく怖かった。
私がそんなことを思ってるのもやはり無関心に無視し、あいつはただ質問に答える。

「逆です。僕は星村空理のなにかではありません。僕が星村空理です」
「それは……二重人格かなにかということかしら?」
「違います。そんな優しいものじゃないです」
「……どういうこと?」
「だから、僕が星村空理なんです」
「……言ってる意味が、わからないわ」

そういいながらも、私は薄々嫌な真実を察していた。
あの四人……たしか、アネット傭兵団さん達が来た時の占いの話……
空理が自分を占った時に必ず出てくるカード、月。
その象徴がたしか……現実逃避、不安定、過去の蒸し返し、そして……妄想。
当たって欲しくないその予想が当たっているのなら……
そしてこいつは、私の予想した最悪の答えを、なんでもないように言った。

「だから、本来の星村空理が僕で、あなた達の知るあいつは、偽物なんですよ」
「…………」

やっぱり、そうか。
でも……

「それなら、なんであなたが主人格じゃないのかしら?偽物なら、まず主人格ではいられないと思うんだけど?」

我ながら冷静な思考をして切り返すけど、こいつはやはりなんでもないように答える。

「そんなの、こんな世界どうでもいいからに決まってるじゃないですか」
「……それならなおさらおかしいわ。どうでもいいのなら、なんで今空理じゃなくてあなたがいるのかしら?」

やはり、おかしい。
どうでもいい。それがこいつの口癖だ。
行動もその言葉になぞられ、自分から何かをするような奴じゃない。
なのに、空理に代わってこっちに来ている。
その疑問の答えは、まったく予想していないものだった。

「なんでって……あなた達があいつを壊したんじゃないですか」
「……え……?壊したって、なにが、どういうこと……?」
「ですから、あなたがあいつを追い詰めて、僕を引き止めていた2人組が壊したんです。……そうですね、普通の人らしく反応するなら、僕は怒ってます。あいつのことはどうでもいいですけど、そのせいで先輩との約束が守れなくなるのは迷惑です」
「ちょっと待って……どういうこと?空理が、壊れた?私たちが壊した?え……?」

言葉の意味を理解できない……いや、しようとしない私に、こいつは残酷な事実だけを伝えた。

「ですから、あなた達があいつを……あなた達が普段ともに過ごしていた“星村空理”を、壊したんですよ。もっと簡単に言うなら、あなた達があいつを“殺した”んですよ」
「え……嘘、なんで……?私が、空理を?どうやって……?おかしいよ……」
「……あいつは、立宮先輩のくれた、泣き方、怒り方、笑い方や、その基準……それらを組み込み形作られた、仮そめの感情の塊……仮面みたいなものです。そしてそれは決められた感情しか発露出来ない。それ以外の感情を強く持てば、もともとあった感情の基準がなくなり、感情そのものがなくなってしまう」
「……なにが言いたいのか、わからないわ……」
「……そうですね、先輩の約束を守るために、少しは普通の人のようになれるように努力しましょう」

そう言って、あいつは立ち上がり、私のことを見た。
いまだに私のことを認識してないようだけど、いくらか気持ち悪さが緩和された。
そして、私から視線を外して木に寄りかかり、話を続ける。

「……要するに、あいつは先輩から教えられていない、使えないはずの感情を抱いていた。でも、それを強く表にだし続ければ、何もかも分からなくなって消えてしまうから、ずっと隠してきたんです。そしていつか、仮面じゃない本当の人格になって隠さないようにしたいと、あいつはそう願っていました。今まで通りに過ごしていたなら、もしかしたらあいつの考えていた通りに、ちゃんとした人になって、普通の人間らしくどんな気持ちでも表に出せたでしょうね」
「その、使えないはずの感情って……?」

すごく不謹慎だけど、私は、空理が隠してきた感情に、期待をしていた。
もしかしたら、空理は本当に、私と同じ気持ちだったのかもしれない。
そう考えると、好きな人に想われていたと考えると、やっぱり、期待してしまう。
そして答えは、私の期待した……望んでいると同時に、そうであって欲しくなかったものだった。

「恋……ですよ。あいつは、あなたに恋していた。だから必死に気持ちを隠して道化を演じて恋しても壊れない様にするための、時間を稼いでいた。でも、あなたのせいでそんな時間はなくなってしまった。あなたがあいつに気持ちを隠せなくして、そしてあの二人があいつを追い詰めて、無理矢理感情を引き出させて、そして壊したんです」

もしかしたら……
私は、焦ってたのかもしれない。
このまま待ってた方が、よかったのかもしれない。
少なくとも、あの夜みたいなことは起こらなかったはず。
今の話を信じるなら、空理は、私のことを想ってくれていた。
いつか、私にその気持ちを伝えられるように、頑張ってた。
……私は、なにもわからなかった。
空理が嘘をついてることばかり気にして、隠しごとしてることばかり気にして、何も知ろうとしなかった。
今でも、空理の方が悪いと、そう思ってる。
それならそうと、言って欲しかった。
でも、もう遅い。
もう私は空理に気持ちを伝えてしまったし、私の知りたかった空理は、もう……
もう……?
そこで、私はようやく感覚が現実に戻ってきた。
……そうだ、こいつは、空理は壊れたと言った。
つまり、空理は……

「……ねぇ、空理に、また会えるよね?」
「…………」
「ねぇ、黙ってないでよ。質問には全部答えてたじゃない」

去来してきた感情は、喪失感。
話してる間ずっと気づかないで……
いや、そんな現実認めたくなくて、空理の体はここにあると否定して、気づかないふりをした、恐怖。

「お願い……答えてよ……!空理には、また会えるよね……?」
「…………」
「……答えてってば……ねぇ!!」

空理にもう会えない。
そう考えただけで、私の頭の中が真っ白になってしまいそうになる。
だから私は、空理じゃない星村に、すがる。

「もう会えないなんてやだよ……!まだ空理のことたくさん知りたいよ!だから、お願い……」
「…………」

すがる私を、星村は無機質な目でジッと見る。
……そして、しばらく様子を見たあと、深い、本当に深い、ため息をついた。

「……どうやら、僕もそれなりに普通の人らしくなったみたいですね。まさか、同情するなんて……」
「…………?」
「……よかったですね、あいつが仮面で」
「……それは……あえ、るの……?空理に、また会えるの?」
「……会えないのは嫌だと言ったのはあなたですよ……はぁ……あいつのいる場所に、案内します。……あなたが僕のところまできた、あの術、今から使えますか?」
「あんたのところに行った術……ああ、あれか」

空理に、また会える。
私は安堵したと同時に、疑問に思った。
なんで空理に会うために夢の中に行く必要があるんだろうか……?まぁいっか。
空理の過去を知るために、夢にはいるために使ったあの方法。こいつはなにかの魔術だと勘違いしてるけど……

「あれは魔術じゃないわよ。あれは、リースが作ってくれた“夢魔薬”の効果よ。ナイトメアの能力を一時的に発現できるの」
「……リース……?まぁ、どうでもいいですね。となると、今はなにも持ってなさそうなので、無理、ということですね?」
「うん、まぁ」
「……わかりました。そしたら方法は僕が用意します……」
「……?そういう魔術使えるの?」
「……魔術でもいいでしょうけど、既存のものを“再現”した方が効率がいいですね……“執筆用意”」

意図のわからない言葉に私は首を傾げていると、あいつの前にふわっと突然白い紙が現れた。
私が驚くのも無視して、あいつはなにか説明のような言葉をつらつらと機械的に述べていく。
……と、その言葉に反応して、なにか黒く蠢くなにかが紙の前に現れて、白紙に小さな文字を書き入れ始めた。

「なに、やってるの?」

私の問いに、あいつは口を開かず……というか機械的な説明文を呟く口を止めず、しかし空中に文字を浮かすという奇特な方法で答えた。

『あなたの言っていた“夢魔薬”の再現をしてます』
「夢魔薬の再現って、材料なんてどこにもないじゃない」
『そんなもの必要ないです』

そんな文章が出たか否か、あいつは言葉を止めて、紙を掴んだ。
すると、今までは文字を書いていた黒い塊が、今度は紙全体を覆い隠し、漆黒の球体を作り出したあと、カシャンッとガラスが割れるような音を立てて、崩れて消えた。
球体のあった場所……つまり、あいつの手の中には、小さな小瓶が握られていた。

「なんなの……それ?魔術?」
「どうでもいいです。知りたかったらあいつに聞いてください。そんなことより、さっさと飲んでください」
「……わかったわ」

薬が毒薬で、私を殺すかも知れないと一瞬考えたけど、疑ったところでこいつなら、他人の死なんてそんなどうでもいいことに興味ないですよ。と言うだろうからまぁ信用して手渡された薬を飲む。
それから、意識に入る対象を決めるために、あいつのことをしっかりと見、その額にそっと指を当てる。
すると……


××××××××××××××××××××××××××××××


気がつくと私は、壁に本棚がギッシリと詰まった、円形の無機質な部屋にいた。
……空理の、夢の……意識の中だ。
ここ最近、私は薬を使って何度もここに訪れていた。
なんで空理は嘘をついているのか、なんで私を遠ざけているのか、その理由を知る為に。
……結局、ここにきてもわからなかったけどね。
そう思いながら、私は辺りを見渡す。
目にはいるのは、沢山の本が詰まった壁と、ここの住人のような存在だけ。
住人のような存在とは……無表情な空理の姿をしている。
しかもそれは一人ではなく複数人いて、無表情のまま作業をしているから割と怖い。
……まぁ、やっぱりもう慣れたもんだけど。
慣れてもやっぱり怖い彼らは、いつもみたいにバラバラに行動せずに、一箇所、中央に集まって、何かしていた。

「……なにをやってるんだろ?」
「……修復です。あそこに、あいつがいるんですよ」

疑問に思っていると、後ろからあいつが声を掛けてきた。
周りを見た時にみなかったから、さっき来たんだろう。

「修復っていうと?」
「だから、あいつは壊れたと言ったでしょう。それを直してるんです」

そう言って、あいつは中央に歩き出したので、私も中央に行く。
無表情な空理たちに道をあけてもらいながら、彼らが作業を行っているそこに着くと、夢魔薬を再現した時と同じような、しかし大きさの違う黒い球体が鎮座していた。

「……あれが、空理なの?」
「はい。修理中ですが、もうすぐ直ると思います」
「……そっか。ところでさ、ずっと疑問だったんだけど、この人?達はいったいなんなの?」
「まぁ、あいつに似た存在……ですかね?簡単に言えば先輩の教えてくれたものの欠片……と、今までの記憶です。今はそいつらの記憶や経験をあいつに流して、元の状態に戻そうとしてるんです」

……普通の人って、そんなことできないよね?
そう思ってると、黒い球体に変化が起きた。
キシキシと音を立てて、小さなヒビが入る。

「……どうやら、終わったようですね」
「…………」

そのヒビはだんだんとおおきくなり、そして……
カシャンッ!と砕け、中から、空理が出てきた。
私はその姿を見た瞬間、彼の元に飛び込んだ。
姿が同じでも、あいつみたいに中身が違うかもしれないなんて疑いは、一切もっていなかった。
今まで、二年間ずっと一緒にいたんだ。
雰囲気を感じれば、もうわかる。
これは、私のよく知ってる、あの空理だ。
私の大好きな、空理だ。

「空理っ!」
「ヘブァッ!?」

……飛び込んだら、頭が空理のお腹にクリーンヒットして、空理が奇声をあげた。
…………あ、あれ?予想してたのと違う?


××××××××××××××××××××××××××××××


意識が戻った瞬間、鳩尾のあたりになにか凄い衝撃が走り、僕は奇声をあげてしまった。
え?なに?今なに、どんな状況!?
軽く混乱しながらも、僕は比較的冷静な状態で、辺りを見渡す。

「痛つつつ……あれ?ここは……?」
「よかった……空理……」

見覚えが全くないな……と思っていると、聞き覚えのある声を聞いたので、腹の辺りを見る。

「……み、さね……」

そこには、美核がいた。
僕の大好きな人が、泣かせてしまった人が、僕のお腹に顔をうずめていた。
これはいったい、どうなってるんだ……?
そう思いながらも、僕は、美核がいるんだから、ここは美核の知り合いのところかそんな感じの場所なんだろう……
……と、予想を立てたところで、あるものに目が留まって、そんな優しい場所じゃ、ヌルい状態じゃないことを、僕は知った。
僕の目の留まった先には、星村空理が……僕という“仮面”を作り上げた一人がいた。
こいつと、僕と、なんでかわからないけど、美核がここにいる。
その状況と、僕に入れられた情報と、記憶から、悟る。

「……僕の正体、知られちゃったか……」

一番知られたくなかったことを、知られてしまった。
それなのに、僕は絶望よりもむしろ、安堵を感じた。
やっと重い荷を降ろせたような、そんな気分だった。

「そっか、知られちゃったか。一番知られたくなかったんだけどなぁ……」
「……うん、ごめん」

僕の言葉に、美核が謝る。

「……謝ることないよ。どうせいつか知ることだしね」

重い荷物を降ろせたような開放感とは反対に、僕は、美核に知られてしまったという事実に、暗い感情も同時に抱いていた。

「……おかしいよね、僕」
「え……?」
「感情を宿す練習のための偽りの感情が、普通に生きようとして、挙句に恋をして……偽物なのに、本物になろうとして……」
「違う!空理は、空理だよ?」
「違うよ。僕は星村空理の、仮面だ。本物でも、ましてや生き物でもない。ただの、感情の塊」
「それでも、それでも!空理は空理だよ!……偽物とか本物じゃなくて……私の大好きな、ずっと一緒にいた……」
「……ありがとう」

なんとなく、救われた気がした。
僕は本物じゃないけど、居てもいいって、そう言われたような気がした。
……頑張ろう。
頑張って本物の感情を、手に入れよう。
例えそれが叶わないとしても。

「ねぇ美核」
「なに?」
「僕のこと、好き?」
「…………」
「僕はね、美核のこと、好きだよ」

僕の言葉に、美核は驚いたように顔を上げ、僕のことを見た。
昨日伝えた気持ちを、再び伝える。
繋ぎとめるために伝えるのではなく、純粋な気持ちとして、伝える。
……もう、我慢するのはやめよう。
無理すれば、また、今日みたいなことになる。
それに……

「……美核は、どうかな?」
「……うん、好きだよ」
「……ありがとう」

彼女の言葉が、嬉しかった。
昨日は一切言わなかった、彼女の気持ちを、やっと聞けた。
でも……

「でも、ごめんね。僕はまだ、君のその好意に応えることが難しいんだ」
「……うん、知ってる。教えてもらった」
「……出来れば、応えたいんだけどね」
「ううん、いいよ。私は最初から、別に応えてもらいたかったわけじゃないから。ただ……嘘をつかれるのが、辛かっただけ」
「……そっか。うん、大丈夫。もう嘘はつかない。知られたくなかったことは、全部知られちゃったから。もう、全部話せる」

だから、僕もこの気持ちに、素直になろう。
頑張らない。隠そうとしない。我慢しない。
美核が好きだって気持ちに、素直になろう。
……まだ、美核の好意に全部応えられはしない。
でも、出来るだけ、可能な限り、応えていこう。
そう、僕は決意した。

「……ところで、どうやってここに来たの?たぶんここ、僕の精神世界……みたいなものだよね?」
「あ、それは……こいつに連れて来てもらった」

そう言って美核が指差したのは、僕を作った本体。
……いや、なんというか……

「意外だね。まさか君が美核を連れてくるなんて」
「正直なところ、また壊されるのは嫌なのであわせたくなかったのですが、その、なんというか……」
「…………へぇ……」

こいつの反応を見て、僕は驚いた。
なんというか、変わった。

「……なるほど。どうやら、立宮先輩との約束、少しずつだけど、果たせてるようだね」
「……お陰様で。さて、直ったのならさっさと戻ってください。もう僕はあんなどうでもいい世界に行きたくないので」
「ははは……了解了解。じゃあ、戻ろっか」
「うん!」

本物がそう言っていたどこかに行ってしまったので、僕たちも戻ることにする。
……あいつも、いい意味で、変わったな。
やっぱり、先輩との約束だから……だろうか?
…………僕も、変われるといいな。
そう思いながら、僕は擬似的な出口である扉を開き、美核と一緒にその場を後にしたのだった。


××××××××××××××××××××××××××××××


「……ん……」

目が覚めると、視界には青と白の空と、大きな木の茶色が見えた。
……いや、時期を考えると仕方がないけど、そこは緑の葉が茂って欲しかったな……
などと呑気に考えながら、僕は体を起こす。
と、隣で、美核が寝転がっているのに気がついた。
たぶん、本物があっちに行く前に寝かせたのだろう。
可愛らしい寝顔だな、と思いながら、僕は美核の頭を撫ぜる。
……早く、彼女の好意に全部応えられるようになりたいな。
もしかしたら難しいかも知れない、叶わないかもけど、頑張らなければ。
普通の人のように、本物の感情が欲しい。
その願いは、本物の、立宮先輩に再びあって、あの頃と同じような日々を過ごす、といった無理なものじゃない。
だから、諦めずに、頑張ろう。
わからない感情は、美核から学べばいい。
少しずつ、少しずつ、感情を学んでいこう。
僕は仮面だけど、それでも、人間なのだから。
……と、そんな決意をしていると、やっと美核が起きた。

「……あ、ん……」
「おはよう美核」
「……あ、空理…………よかった。本物だ」
「うん。ただいま」
「……おかえり」

微笑みながら言う僕に、美核は照れたような笑みを浮かべた。

「さて、じゃあ散々心配させてから戻って来たわけだけど……どうしたもんか」
「そうだなぁ……私も空理も今日はお店休むっていってたから、お店はいいとして……」
「……あ、ルーフェさん達に謝らないと。もう大丈夫って伝えるのもあるし……」
「あー、それは明日からのほうがいいかも。ルーフェ達、少しそのことを気まずく思ってるから。……それより、さ」
「……ん?」

それより、と美核がいいながら少し大きめの袋を取り出す。

「それは?」
「えと、クッキー。マスターに焼いてもらったんだ。空理を探す前に、店によって」
「へぇ……マスターのクッキーか。僕大好きなんだよね」
「知ってるわよ。だから仲直りにって、持って来たの」
「……そうなんだ。ありがとね」
「……でさ、これ食べながら、話さない?」
「話すって、なにを?」
「いろいろ。私ね、ルーフェと話して、空理のことあんまり知らないんだって気づいたんだ」
「まぁ、話そうとしなかったからね」
「だからさ、少しでも空理のこと知りたいの」
「……うん、いいよ。なんでも訊いて。もう、答えたくないことは、なにもないから」
「……うん。じゃあ、食べながら」
「そうだね。いただきます」

……クッキーを食べながら、僕と美核は、自分のことや、たわいない話をし始める。
話しながら、僕は気づく。
こんなことでよかったんだ。
こんな普通のことでも美核は喜んでくれるのか。
……まだ、これ以上のことは出来ないけど、それでも……いつか……
クッキーと、好きな人と共にいる時間。
僕は、その二つの甘さを味わいながら、日が暮れ始めるまで、美核と話していたのだった。
11/10/09 14:44更新 / 星村 空理
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■作者メッセージ
いかがだったでしょうか?
楽しく感じていただけたのなら幸いです。
……今回は、まぁ、あれですね。

超展開乙

そんな感じのお話でした。
まったく作者の僕としてもなかなか変な話の進み方だと思いました。
しかし、仲直りはさせましたので、目標は達成できたかと。
しかし反省はしています。
もっと実力さえあればこんな時間がかかることも、へんな感じになることもなかったでしょう。
なんで、今回の感想はキツイ言葉も覚悟してます。
まぁ、自虐はそこまでにして
次回は、順番的にはバーソロミュ様のパスカルさん達なんですが……
折角星村と美核の気持ちが通じあったということで、結婚されたあの方達にいらっしゃってもらおうと思っております!
バーソロミュ様、二度もの順番変更、申し訳ありません……
ということで次回は(いろんない意味で)モテモテ夫婦に来ていただきます!
ちなみに時系列はこの日から少したったところです!
いろいろと省いてますが、楽しみにしていただけたら幸いです!
では、今回はここで。
感想をくださると嬉しい……ですが、たぶん今回は少ないだろうなぁ……
ともかく、星村でした。

追伸アンケート
星村と美核のエロ回、いりますかね?

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