黒い少女の恋物語
「はぁ…。」
都会の真ん中に設けられた広場の噴水に腰掛け、私はため息をついた。
周りには高級店が立ち並び煌びやかなネオンの看板が光り、客引きはしきりに通りかかるものに声をかけ、夜中だというのに街は買い物客で賑やかさを増して行く。
私は一人…店に入るわけでもなく、誰かを待つ訳でもなくこうして眺めているだけ。
嫌な事があると私はいつもここにくる。
「…ふぅ。」
気持ちも落ち着いたところで私は街の通りにへと歩き出した。
煌びやかなネオンが私を出迎えてくれる。
そしてまた今日も私の一日が始まった。
「…。」
一人通りを歩いていた。
帰宅途中のサラリーマンや買い物途中のセレブとすれ違いながらも私はあても無く歩き続ける。
ここを歩くのも何度目だろう。
ここには魔物娘と呼ばれる存在がいる。
昔は分からないが今となっては見かけるのも特に珍しくも無い。
それどころか今や世界の人口の半分が魔物娘になっていると言われているぐらいに魔物娘は沢山居る。
私もその一人。
でも違うのはこの街に居る魔物娘は皆、私よりも格段に綺麗で魅力的な人ばかりだ。
私がこの街に居るのが疑問と思えるほどに…。
通りの向こうを見てみれば…赤いドレスに身を包み、何人もの男を引き連れたヴァンパイア。
道路を挟んで向こうの通りには…清楚な着物に身を包み、団体で歩くゆきおんな。
公園の方には…カップルでイチャつく可愛い顔したワーキャット。
テレビジョンには今売れているALS(アリス)48が映し出されている。
誰もが魔物娘としての魅力を持ち、最高のパートナーと出会い幸せに暮らしている。
それに引き換え私は…。
「…はぁ。」
ウインドウに映る自分の姿を見て、またため息をついた。
黒くて地味な色合い、怪しく光る赤い目、出るとこも無い幼児体系。
こんな魅力の無い私に誰が振り向いてくれるのだろうか?
「いる訳…無いよね…。」
それでも私は魔物娘、人間の精を貰わなければ餓死してしまう。
そんな私がどうやってここまで生きてきたか?
その答えは私が今ここであても無く歩いているのに関係している。
ある特定の人間、ある状況に苦しめられている男性に会うため。
それは、『最近振られた』男性。
私はその人の記憶や思考を読み取って、その人の思い人になる事が出来る。
記憶も能力もそのままにその人の理想の女性にへと変わる事が出来る私は、その人に成りすまして姿を現し、あたかも帰ってきた恋人のように振舞う。
騙された事も知らず男性は成りすました私を愛し、性交をする。
そうして私は生きる源の精を貰い、生きてきた。
これが私、『ドッペルゲンガー』の能力。
でもそれは偽りの愛、私の仮の姿を愛しているに過ぎない。
私に能力にも限界はあり、月が見えない夜や極度のストレスが掛かると変身は解けてしまう。
私の本当の姿を見た男性は皆、同じ目をしていた。
「騙された」「心を踏み躙られた」と失望と憎しみを含む目。
あんなに愛してくれたのに、あんなに尽くしたのに外見が変わると皆他人のように私を追い出した。
それがトラウマになって私はこの前、せっかく分かり合えた男性を見つけても月が隠れた夜に逃げ出してしまい…この場所へと戻ってきていた。
何日もそれを繰り返していくうちに…私は決心した。
『次に見つけた男性が駄目なら…この街を出よう。』
ここを出たところで当ても無いけど、もうここには居たくない。
たとえ行き倒れてもそれでいいとすら思えてしまっていた。
次が駄目なら…。
「うーん。」
交差点、公園、広場、色々な場所を回っているけどそれらしい男性はいない。
普段はこの辺りで見かけるのだけど…。
「最後だし…気分を変えてもっと静かな所にしてみよう。」
そうして、暗い路地裏の方へと足を進めた。
「こんな所あったんだ…。」
路地裏の方は先ほどの大通りの賑やかな印象が消え、辺りを暗く静かに存在させていた。
まるで違う世界に入り込んでしまったかのような錯覚に陥ってしまう。
「少し怖いけど…大丈夫だよね?」
ゆっくりと辺りを見ながら歩いていると、小さなお店が目に入った。
看板を見てみると、『BAR Dandy』と書かれている。
お酒を飲む所らしい…“私”は飲んだこと無いけど。
じっとみていると扉が開き、中から人が出てきた。
ひげを生やし、すこしぽっちゃりしたおじさん、エプロンをしているから多分お店の人だろう。
「お嬢ちゃん、こんな時間にどうしたんだい?」
「え?!あ、えっと…その…。」
いきなり声をかけられた私はしどろもどろになり上手く言葉が出なかった。
普段“私”の姿で話したことが無いから余計に落ち着かない。
どうしよう…どうしよう…。
おじさんはさらに言葉を続ける。
「ここはお嬢ちゃんのような子が来る所じゃないぞ?早くお母さんの所に…。」
そう言い掛けておじさんは言葉を止めた。
私が泣きそうになってるのを見てしまったせいだ。
泣き出しそうな私を見ておじさんは途端に慌てた様子で話し始める。
「お、おいおいどうしたんだよ…、急に泣き出して?」
「ひっ…えっく…。」
「わ、わかった、何かあったかは知らんが…とにかく入んな、な?」
そう言っておじさんは扉を開け、私を店の中にへと入れてくれた。
「お腹空いてるかい?何か作ってやろうか?」
「ううん…。」
「そうか…、なら暖かいミルクを入れてやろう、ちょっと待ってな?」
そういっておじさんは厨房へと入っていった。
私はカウンターの席にちょこんと座り、店内を見渡した。
「すてき…。」
今までは派手な音楽やらの店や高級な店しか見た事が無いから、こういった静かで落ち着いた雰囲気の店は初めてだった。
スピーカーから流れる音楽はレトロを感じさせ、私はとろける思いだった。
ここにずっといられたら良いのに…。
そう思いふけっていると目の前にミルクが置かれた。
「どうぞ、冷めないうちに。」
「あ、ありがと。」
カップを手に持って口を近づけてみる。
ほんのり湯気が立ち、口の中に程よい甘みが広がった。
「…おいしい。」
心からそう思った一言だった。
今まで飲んだ飲み物で一番美味しいと思えるほど。
「で、お嬢ちゃんは何処から来たんだい?」
「え、えーっと…。」
おじさんはまだ私が魔物娘に気づいてないみたいだけど…言ってもいいのかな?
でも…また追い出されたら…。
私が黙っているとおじさんは察してくれたのか優しく笑ってくれた。
「いや、話したくないならそれで良いさ。」
「…ごめんなさい。」
「いいってことよ、とりあえず今日はここでゆっくりしていきな?」
「え、でもお金…。」
「どうせ持ってねぇんだろ?初めてのご来店って事で、特別にタダにしといてやるよ。」
「…ありがとう、ございます。」
人にこんな優しくされたのは生まれて初めてだった。
この人が私のパートナーだったらどんなによかっただろう。
でも駄目、私の能力が反応しない。
多分この人はすでに結婚して幸せな家庭を築いてる。
案の定、店の棚に妻と思しき人と笑って映っている写真があった。
はぁ…最後の望みも外れか…。
地味な私らしい結果だ、それだけに踏ん切りもつけそう。
この人には悪いけど…朝早くに黙ってここを出て行こう。
そう決心したときだった。
カランカラン。
後ろで扉の開く音がした。
「おぉ、待っていましたよ?」
おじさんが私の後ろのほうへと声をかけた。
無意識に私も振り向いてしまう。
そこには…。
ドクン…。
「!」
扉の前に立っている人物、歳は20代後半ぐらいのすこし痩せた感じの男性。
その男に対して不意に身体が反応し、私の能力がある知らせを伝えた。
そう…知らせというのは私が捜し求めていたある条件。
この人は最近、思い人に振られたか別れている。
まだ私にも希望は残っていたみたいだ…。
私の横側に男性は立ち、カウンター越しにおじさんと話した。
「どうだった?」
「なんとか手に入りましたよ、すこし時間が掛かっちまいやしたがね。」
「いや、問題ない…ありがとう。」
そうしておじさんは男性に長細い箱を手渡しした。
形から見て多分お酒じゃないかな?
私がじっと見ていると男性は視線に気づき、私を見た。
私は顔を隠そうと下を向く。
「マスター…この子は?」
「あぁ、なんか訳ありらしくてね…一晩ここに泊めようと思ってるんですわ。」
「訳あり…ねぇ。」
私がずっと下を向いていると、頭にそっと手を置かれた。
「君も、苦労してるんだね…僕と一緒だ。」
頭を撫でながら男性はポツリと呟いた。
触れられている手から男性の情報が私に入って来た。
そして…思い人の情報も。
「じゃあマスター、ありがとう。」
「えぇ、たまにはここで飲んでくださいよ?」
そう言って男性は店を後にした。
マスターはうんと背伸びし、声をかけた。
「と、もう客も来ないだろうし…店閉めちまうか。…さて嬢ちゃん、部屋なんだが−」
マスターがカウンター越しに少女に話しかけた。
しかし…。
「あ、あれ?お嬢ちゃん??」
少女の姿は無く、代わりに少し冷めてしまったミルクだけが残されていた。
「ここだ…。」
店から少し離れ、ある高層マンションの前で私は立ち止まった。
情報だとここの最上階に男性はいる。
恋人の名前は…『真莉』
男性から得た情報を頼りに、私は姿を変えた。
ウェーブのかかった黒髪の長髪、整った身体、そして美顔。
私が求めていたようなスタイルだ。
情報もほぼばっちり、ただ…少しだけ記憶が曖昧だった。
別に珍しい事でもないし…べつにいいか。
「これが…最後。」
そう自分に言い聞かせ、私は“彼”の所へと向かった。
マンションの自動扉が開き、中へと入る。
リビングの扉を開けると彼が居た。
彼は丸いガラステーブルの前に座り、がくんとうな垂れている。
テーブルの上には先ほど購入していたお酒と、錠剤の入ったビン、それと白い箱が置かれていた。
彼は小さく呟くようにして何かを言っている。
「僕は…君がいないと…。」
母性本能だろうか、こういう状態の男性に私はドキッとしてしまう。
多分ドッペルゲンガー自体がこういう男性が好みなのだろう、私もそうだ。
…そろそろ出てきてあげよう。
「?」
彼が気配に気づいたのだろうか力なくこちらを見た。
虚ろな目が私を捉えると、徐々に彼の目に光が宿っていった。
彼は目を見開いて、驚いたようにじっとこちらを見ている。
時が止まったかのようにぴくりともしない。
しばらく間が空いた後、彼の口から言葉が漏れた。
「そん…な…。」
彼の目からボロボロと涙が溢れてきた。
私は優しく微笑みかける。
「真莉!!!」
彼は私を強く抱きしめ、胸の中でわんわんと泣きじゃくった。
泣く子をあやす様にやさしく彼の頭を撫でてあげる。
よほど…居なくなったのがショックだったのだろう。
「真莉…真莉…。」
「大丈夫…もうずっといっしょだから。」
彼は私の中で子供のように泣き続けた、苦しかった想いを全て吐き出すように。
「まだ…信じられないよ、君が戻ってくるなんて。」
少し落ち着いた後、二人で椅子に座りながら彼が言った。
興奮がまだ冷め切らないのか少しそわそわして、目も腫らしたままだ。
それほど愛していたのにどうして別れたのだろう?
人間の女性ってもったいない。
「そうだ!君の好きだったワインを取り寄せたんだ、今開けるよ。」
そう言って彼はテーブルの上の箱を開け、赤ワインを取り出した。
ワイングラスになみなみと赤い液体が注がれていく。
「苦労したんだけどなんとか手に入ったよ、僕が飲もうと思ってたんだけどね。」
「そんな…いいの?」
「君のためにあるようなワインさ?…さぁ。」
「…はい。」
ワイングラスを持ち、チンッと綺麗な音を鳴らした。
「「再会に…。」」
一口飲むと上品な味わいが口の中でふんわりと広がった。
ワインを飲む私を見て彼が微笑む。
「…どうしたの?」
「いや…とても嬉しくて…つい。」
「フフフ…可愛い人。」
彼はとても嬉しそうだった。
今まで会ったどの人よりも嬉しそうにしている。
この人なら…。
「…。」
「?」
この人となら…と思ったけどやはり不安になる。
これほど愛している人がもし別人だったと分かったら?
…追い出されるだけじゃ済まないかも。
そう考えるとすこし顔が青ざめた。
「ど、どうしたの…顔色悪いけど?」
「ううん…なんでもないの。」
「きっと疲れてるんだよ、今日は遅いしもう寝よう?」
「…じゃあ、そうするわ。」
私は彼に付き添われながら寝室へと入っていった。
大きいベッドに二人で腰掛ける。
「大丈夫?」
「ええ大丈夫、それより…。」
「?」
「貴方が…欲しい。」
「え?!」
私は彼をベッドに押し倒し、自分の服を脱ぎ捨てた。
「そんな…来ていきなり。」
「お願い…私を…抱いて?」
「真莉…。」
彼は少し恥ずかそうにしたが、ゆっくりと頷き私を抱きしめた。
「真莉…愛してるよ。」
そうして私は彼と交わり、精を貰った。
私にとって…満たされる思いだった。
朝の光が部屋に差し込み、私は目を覚ました。
横に彼の姿は無く、リビングから生活音が聞こえた。
時計を見てみると短い針が7時を指していた、こんな時間に目を覚ましたのは久しぶりだ。
でもこれは『真莉』の習慣、彼女はどうやら早起きのようだ。
とりあえずリビングへ行ってみよう。
「おはよう。」
「おはよう、よく眠れたかい?」
リビングに入ると彼がエプロン姿で出迎えてくれた。
朝食の香ばしい匂いがし、テーブルに座るとハムエッグが乗った皿を置いてくれた。
「もう少しでパンも焼きあがるから待ってて?」
「ありがとう。」
私は彼にお礼を言って待つことにした。
何気なしにテレビを見ると情報番組をやっていた。
『今人気の魔物娘を調査』という題材で芸能リポーターが街の人に聞いていくという内容だ。
内容が内容だけに少し気になったので見てみる。
「魔物娘といえばやっぱりサキュバスですね、あのスタイルが堪んない!」
「ホルスタウロスの妻が居ます、彼女の胸は最高ですよ?」
「なんつってもドラゴンだろ?懐いた時の可愛さはマジやばいって。」
「ア、アリスたんが、い、いい一番萌えます、ALSのライブもか、欠かさず行ってます。」
「メドゥーサの彼女が居るんだけど、結構可愛いとこあるよ?浮気したら殺されるけど…。」
「バフォ様しかありえないな、サバト教万歳!!」
色んな魔物娘の名前が出る中、当然私の名前は出る事は無かった。
分かってはいたものの、こう断言されると少し寂しい。
私がテレビに釘付けになっているのをトーストを置いた彼が聞いてきた。
「彼女達(魔物娘)の中に知り合いでも居たの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど…。」
私は少し思い切って彼に聞いてみる事にした。
「もし…ね、私が魔物娘だったらどうする?」
「君が…かい?」
「なんとなく、でどうなの?」
「そうだね…。」
彼は少し考えるふりをして答えてくれた。
「別に彼女達は嫌いじゃないし、君がそうなったとしても変わらないんじゃないかな?」
「姿形が変わってしまっても?」
「その時に寄るけど、大丈夫じゃないかな。」
彼の言葉に私は安心と同時にすこし落胆した。
魔物娘自体は嫌いではないものの、それはあくまで『真莉』であるから。
私を好きになったわけじゃない。
だとしたら…私の姿を見て彼はどんな反応をするのだろう。
「さ、それより早く朝食を食べよう。」
「…はい。」
そうして彼と楽しく話しながら朝食を摂った。
「それでね、会社の皆が−」
「フフフ、それはあなたが−」
それから私達は休日の日には街に出歩き、他愛ない事を彼と話し合う。
彼は私と居るときはいつも喋りっぱなしだ。
とても嬉しそうに話してくれている。
「どう?…似合うかな?」
「ええ、とっても素敵よ。」
洋服店に行った時に彼の服を選んであげた。
「貴方はどんな服を着ても似合うすばらしい人よ。」私がそう言うと彼は照れくさそうに微笑んだ。
意外と可愛い人なのかもしれない。
「どうしたの…?そんなに息を切らして?」
「いや、君と離れると何処かに行ってしまうんじゃないかと思って…。」
「フフフ、私は何処にも逃げないわよ?」
「そ、そっか。」
アイスクリームを買うだけでも彼は息を切らして走ってくれる。
そんなに急がなくても良いのにいつも私のことになると必死だ、それほど彼女が大事なのだろう。
『真莉』はどうしてこんなにいい人を捨ててしまったんだろう?
そういえば…彼女と彼が別れた時の記憶が無いけど、何か関係してるのかな?
…まさかね。
「はぁ〜、とても楽しかった!」
「あぁ、僕もだ。」
二人して夕焼けが綺麗に見える建物の屋上で並んで立っていた。
こんなに充実した日を送ったのは初めてなのかもしれない。
こんな日が一生続けばいいのに…。
「そうだ、下のフロアに美味しいレストランがあるからそこで夕食にしよう!」
「…。」
「そこはね、この前偶然見つけたんだ、きっと君に…。」
「…。」
「…真莉?」
「え?あ…ごめん」
「…どうしたの?もしかして…疲れてた?」
「ううん、考え事…さ、行きましょ?」
そうして私は彼の手を引っ張って言った。
ううん、きっと続く。
こんなに素敵な男性なんだもの、きっと理解してくれる。
私はそう自分に言い聞かせた。
幸せな日々が続き、私は彼に幸せと精を貰いながら過ごしていた。
ある時は二人で遊園地に行ったり、彼の仕事場に見学しに行ったり、家でのんびりしたり…。
そんな幸せが続いたある晩の事だった。
その日は私の一生が決まるかもしれない程の出来事になった。
「DANDY?」
「僕がいつも行ってるお気に入りの店さ。」
夕食ぐらいの時間になったときに彼が急に提案した。
彼と始めてあったあのおじさんの居るBARで紹介と共に食事をしたいと言ったのだ。
私には断る理由も無かったのだが、一つだけ気になる事があった。
「紹介…って?」
「あぁ、マスターにはお世話になってたからね…自分の『妻』ぐらい紹介したいじゃないか。」
「え?…それって?」
私がそう聞くと彼はポケットから小さな小箱を取り出した。
中を開けてみるとそこには…。
「…嘘。」
綺麗な指輪が入っていた。
そして彼は言葉を私にくれた。
「僕と…結婚してくれないか?」
「?!」
心臓がどうにかなりそうだった。
とりあえず深呼吸して心を落ち着かせる。
彼は今なんと言った?
結婚?
私と??
夢じゃないだろうか???
「わ、私と?」
「あぁ。」
「私で…良いの?」
「あぁ。」
「ほんとに…いいの?」
「あぁ!!君を愛している。」
そう言って彼は私を抱きしめた。
天にも昇れる気分とはこの事かもしれない。
『真莉』の事だとしてもこの際どうでも良かった。
彼と一緒にいれるなら…それで…。
「さ、行こうか?」
「…えぇ。」
半ば泣きそうになりながら家を出ようとしたとき、彼が急に止まり思い出したかのように叫んだ。
「しまった!!重要な書類を会社に忘れてきたままだった!!でも、どうしよう…。」
彼にしては珍しいミスだ、うっかりなところもあるんだなーっと私は少し微笑ましく想い、
慌てる彼を落ち着かせるように言った。
「大丈夫、家で待っててあげるから取りに行って?」
「で、でも…。」
「貴方の妻になった以上、何処にも行かないわよ?」
「!!…分かった、すぐ戻るからね!!」
そういって彼は風を巻き起こすほどに家を出て行った。
相変わらず必死な人…。
「フフフ…。」
まだ興奮が冷め切らないほどだった。
ボロを出さないように落ち着かないと…。
私はいつも彼が座っている椅子に腰掛けた。
「ん?」
ふとテーブルを見てみると最初のときに見た白い箱が置かれていることに気が付いた。
この箱はいつも大事なものが入ってるから触らないようにと彼がいつも言っていたものだ。
「…。」
この中に何が入ってるんだろう?
もしかしたら真莉が別れたことについての何かが分かるかもしれない。
彼に聞いてもいつもはぐらかされてしまうから分からなかったけれど…。
「結婚したし…別に良いよね?」
私は箱の中身を開ける事にした。
ふたを開けてみると中には日記が入っていた。
「日記か…どれどれ?」
私は最初の方から見ていく事にする。
〇月×日
僕に彼女と出会ってから二年が立とうとしていた、彼女はとても気の良い人で僕と話していていつも楽しそうにしてくれている、こんなにも僕を好きになってくれる人はもういないだろう…真莉、愛してるよ。
〇月×日
明日はピクニックに行く予定だ、お弁当も作ったし準備は万端だ、今日は早めに寝てしまおう、明日が楽しみだ。
「フフ、子供みたい。」
その後は楽しそうな文面が書き連なっていた。
何処にも別れる原因がありそうな部分は無い。
しばらく見ていたとき、すこし状況が変わった。
△月◇日
最近、彼女を好きすぎて堪らない、一緒にいるときでも心臓が出でしまいそうだ。ああ、真莉…君はどうしてこんなに美しいんだ?君を食べてしまいたいほどに。
△月◇日
彼女が最近太ったとダイエットしたいと言い出した、とんでもない事をいうんじゃない!せっかくのきれいな身体が台無しになってしまうじゃないか、むしろもっと肉付きがいいほうが僕好みだ、弾力があった方が切り(ここから解読不能)
△月◇日
寝ている無防備な姿がとても堪らない、性行為だけではもう治まりが効かない。
彼女の頬を撫でるだけでもその想像が駆り出されて行く。
はぁ…はぁ…、真莉…どうして君はこんなに素敵なんだ?
君はもう僕のものだ…誰にも渡さない…誰にも…。
「…。」
いくらなんでもちょっと過激すぎない?
彼から想像もつかないような文面が日記には書かれている。
ほんとにこれを書いたのは彼なのだろうか?
もう少し読んでみる。
×月※日
なんと言うことだ、彼女が社員旅行で一週間も会えないと言ってきた。
真莉を七日も見る事が出来ないなんて僕には耐えられない。
七日後には出発してしまう、どうすればいい???
…なら行けなくすればいい、いや…行きたくない様にすれば良い。
僕から離れたくなくなるような日を過ごせば良い…。
そうと決まれば早く準備しよう。
×月※日
あぁ、明日が楽しみだ、準備するものは全て揃えたし後は時間だけだ。
完璧な計画、完璧な用意、そして君への完璧な愛…少し急かしたが構わない。
早く明日になれ、早く早く早く!!!
「この日に一体何があったんだろう…?」
いけないと思いつつも私は先を読み続けた。
ページを捲る指が自然と震えてくる。
■月★日
ははは、君がこんなにも綺麗な声を上げるとは思わなかった、ずっと夢見てきた事がこんなにも早く叶うなんて、今日は二人の記念日にしよう。
明日からが楽しい日になりそうだ。
想像したら堪らない…様子を見てくるか。
■月★日
昨日の夜から彼女の目から涙が止まらない。
そうか、そんなにも僕の愛が気に入ってくれたんだね、「もうやめて」という言葉も僕を誘う言葉なのだろう?
そういうのって僕はすごく興奮するんだ。
やっぱり僕達は気が合うね…。ははは…。
■月★日
最近彼女が何も喋らなくなってきた、“刻む”事に飽きちゃったのかな?
だったら今度は“穴”を開けてみる事にしよう。
出費が嵩むけど良いよね?
だって僕は今満たされているんだから。
■月★日
工具箱から“玩具”を取り出した時の君の反応は最高だった。
今まで出会ってきた女の子達の中でも君は郡を抜いた表情をしていたよ?
今日からまた楽しくしてあげるからね?
真莉…愛してる。
「…。」
段々気持ち悪くなってきた。
ほんとにこれが彼の日記なの?
何かの間違いなんかじゃ…。
次のページから少し文面が乱れていた。
Ю月й日
こんなはずじゃ…こんなことになるなんて…、僕が悪いんじゃない、ただ彼女に僕の愛を伝えたかっただけなのに…、理解もせず僕に向かって汚い言葉を吐いた君が悪いんだ…。そうだ…そうに決まっている…だから、なにか言ってくれよ…、ねぇ?
Ю月й日
君はなぜ何も言わないの?君からなぜ音が聞こえないの?君からなぜぬくもりが伝わらないの?誰か教えて…だれか…。
Ю月й日
かのじょの身体がだんだん黒くなってきた、おふろにも入ってないから仕方ないよね。
でも君のそんな体臭も気になんてならないよ?
でもこのままじゃまりが汚くなっていくばかりだ。
どうしたらいいんだろ?
Ю月й日
どうしてこんなすばらしい事に気が付かなかったんだろう。
まりとずっといられる方法があるじゃないか。
ぼくといっしょになればいい。
ぼくの中でずっと生きてくれればいい。
ぼくの…身体の中で…。
Ю月й日
あれ、まりがいない?
きのうまでそこにいたはずなんだけどな。
にげられないように手足を(解読不能)したはずだからうごけるはずなんてないのに。
あたまも半分(解読不能)にしたはずなのにどこいったんだろう?
なんだかおなかがすいたな、きのうたべたおにくがいちばんおいしかた。
のこりはたしかれいぞうこに…。
あ、こんなところにいたんだね?
ぼくのかわいいまり…。
Ю月й日
まりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなくなったまりがなく−
「!!」
怖くなって日記を落としてしまった。
身体の震えが止まらない、寒気がする。
「こんなことって…。」
頭が上手く回らない、歯もガタガタと音を鳴らしている。
私のどこかでいますぐ逃げろと警報が鳴り響いている。
とにかく、とにかくここから逃げないと…。
震える身体に鞭打ち、なんとか立ち上がれた私は慌てて玄関への扉を開いた。
扉が勢いよく開いた先に…。
「?!」
「何処に…行くんだい?」
私が愛した人がそこに居た。
私をここから出さないように。
「あ…あ…。」
恐怖で上手く言葉が出ない。
足はガクガクと震え、脂汗が止め処なく落ちる。
「せっかく夫婦になれたのに今更何処に行くんだい?僕と一緒にBARで食事するんだろう?」
「い、いや、私、は…。」
彼がじりじりと迫ってくる。
私は踵を返しリビングの奥へ逃げ込んだが追い込まれてる事に変わらない。
背中に壁が当たり、簡単に逃げ場はなくなった。
「どうしたんだい?そんなに怯えて?僕がそんなに怖いかい?」
彼は私に不気味に微笑みかけ、ゆっくりと手を伸ばしてくる。
このままじゃ…どうしよう!
どうすれば…!!
「ちょ、ちょっとまって!ほ、ほんとは、わ、わたし、真莉じゃ−」
「真莉じゃない、だろ?」
「?!」
彼がさも当たり前のように真実を話す。
私が目を見開いていると彼は嬉しそうに語りだした。
「最初は僕も驚いたよ、あの真莉が帰ってくるなんてね…でもそんな訳がない、何故なら真莉はここにいるからね…。」
そう言って彼はお腹の方を摩りだした。
まるで子でも宿してるような優しい手つきで…。
もう嫌だ…、だれか…助けて。
「どっちにしろ真莉そっくりの君が現れたんだ、僕はそれで満足だよ、君は…簡単には死なないでね?」
ゆっくりと近づいてくる。
いや…誰か…助けて!!
私の目から涙が溢れたときだった。
「?!…君は……。」
「…へ?」
途端に彼の動きが止まった。
私が見上げていると彼は信じられないという顔をしている。
…見上げている?
「?!」
気づけば彼より目線が下になっていた。
壁に掛かっている鏡を見ると黒い地味な格好をした子供が映し出されていた。
しまった!変身が…。
「こんな子供が…真莉の姿を…。」
「わ、わたし…。」
やだ、死にたくない、死にたくないよぉ。
せっかく幸せになれたと思ったのに…、こんなのって…あんまりじゃない。
やだ…いやだ…!!
「このっっ!!」
「!!!」
私は彼が手を振りかざすのを見てぎゅっと縮こまった。
頭を抱え、じっと目を瞑る。
暗い闇が…私を…包み込んで…。
さすり…。
「…え?」
不意に私の頭に優しく手が載せられた。
その手はとても心地よくて、ゆっくりと私を撫でてくれる。
驚いて私が見上げると彼はとても優しい表情をしていた。
それは私が普段見る“彼”そのものだった。
「ふふ、ちょっと脅かしすぎたかな…こんな子供だと思わなかったから。」
そう言うと彼は私を抱き起こし、傍に落ちてあった日記を手に取った。
そして可笑しそうに説明し始めた。
「これ…よく出来てるだろ?友人にホラー小説を書いてる奴が居てそいつに頼んだんだ、僕も見たときは背筋がぞくっとしたよ。」
「じゃ、じゃあその日記に書かれているのは…。」
「全部、君を騙すためのでたらめだ。」
彼の言葉で全身の力が抜けていくのが分かった。
同時に緊張の糸も切れて、ぽろぽろと涙が溢れてくる。
「ひっく…ひっく…ふえええええぇん。」
「ごめんね…怖がらせてしまって。」
彼は泣き喚く私の頭を優しく撫でて慰めてくれた。
ずっとずっと、私が泣きやむまで…慰めてくれた。
「でも、どうしてこんなことを…?」
少し落ち着いた私は彼に動機を聞いてみた。
悪戯にしては手が込みすぎていると思ったからだ。
彼はすんなりと答えてくれた。
「君がどうして真莉と偽って僕を騙してるのかを知りたかったんだよ、もし君が僕の財産目当てだったら警察にでも突き出してやろうかと思ったけど君はそうじゃなかった。だから知りたかったんだよ。」
「…どうしてそんなことがわかるの?」
「君は僕を本気で愛してくれていたからさ、真莉と同じ…いや、真莉以上かもしれない程に。」
「本人だとは…考えなかったの?」
「来れる訳ないよ、だって彼女は…。」
彼は遠い目をしながら私に言った。
「七日前に…交通事故で死んでる。」
「?!」
驚く私を余所に彼はそのまま話してくれた。
「社員旅行の日…彼女が乗ったバスが崖から飛び出し、海へ転落。何人かは助かったものの…彼女は上がってこなかった。」
「…。」
「その知らせを聞いたとき、僕は耳を疑ったよ…警察に何度も問い合わせても彼女は見つからなかった、そして…彼女は死亡扱いになった。」
彼はとても寂しい目をしていた。
だから私が現れたときにあんなに歓んだんだ。
私は…そんなことも知らず…。
「ごめんなさい…私、貴方の気も知らないで…。」
「いや、君が来てくれて…本当は感謝しているんだ。」
「?」
「実を言うとね、あの夜…僕は死のうと思ってたんだ。」
「?!」
そう言うと彼は丸い小瓶を取り出した。
確かあれは…あの夜テーブルの上にあった物だ。
そのラベルには、『睡眠薬』と書かれていた。
「最後に彼女が好きだったワインを飲んで死のうと思ったんだ、彼女のいない世界に耐えられなくなってね…、そんな時に、君が現れたんだよ。」
彼は話しながら私の手を握った。
「あの時、君が来てくれなかったら僕は間違いなく死んでいた…こんな“素敵な女性”に会うこともなく…ね。」
「…え?」
「最後に真莉に会いたいという願いを君は叶えてくれた、そして君は僕を心から愛してくれた、なら今度は…僕が答える番だ。」
彼は私の手を強く握り、そして…。
「改めて…僕と…結婚してくれないか?」
「?!」
心臓がどうにかなりそうだった。
とりあえず深呼吸して心を落ち着かせる。
彼は今なんと言った?
結婚?
私と??
真莉ではなく、“私”と?
「私…と?」
「君と…。」
「私は、黒くて地味な魔物だよ、綺麗なんかじゃないよ?!」
「そんな事ない、君は美しいよ?」
「私は…真莉じゃないんだよ?!」
「真莉の姿をした君と過ごして分かったんだ、彼女は僕のこんな姿を望んではいない、彼女はきっと…僕の幸せを望んでくれるから、それにこれ以上彼女を縛りたくないんだ。」
「だって…私は…!!」
言う前に彼は私を抱きしめてくれた。
これ以上言わせないように、強く抱きしめてくれた。
私は初めて…好きな男性に抱きしめられた。
彼が…私の願いを…叶えてくれた。
「君を絶対…幸せにするよ。」
「…うん。」
私は彼の背中に手を回し、口づけを交わした。
その手には指輪がはめられ、きらきらと光っていた。
「ほんとに良いの?」
「あぁ、これでいいんだ。」
私は彼とある崖の上まで来ていた。
改装されたガードレールの足元には花束が置かれており、その下は崖になっていた。
「これで…彼女も浮かばれるよ。」
そういって彼は睡眠薬のビンを海へ投げ入れた。
続けて、彼女『真莉』の写真も投げ入れる。
「それは…?」
「本当の日記、彼女との思い出が書いてあるよ。」
彼は一瞬目を細めると、その日記を一番遠くへ投げ入れた。
「さようなら…愛した人。」
日記は音を立てて海に落ち、沈んでいった。
それを二人で見えなくなるまで立ち尽くしていた。
「さ、これからどうしようか?」
気を紛らわせるようにして彼は私に聞いた。
私は考えるふりをして提案してみる。
「またあのBARに行こう♪」
「DANDYに?昨日行ったばかりじゃないか?」
「だって…あの時はちゃんと話せてなかったし…。」
昨日約束どおりにBARに行くとおじさんはすごく驚いた顔をしていた。
一晩で消えた少女が今度は常連の妻になっていたのだから当然といえば当然かもしれないが。
だからこんどはちゃんとお話をしに行く。
私と彼の出会いや、思いなんかをいっぱい。
おじさんのおかげで私は素敵な彼と出会う事が出来たんだから…。
「ふふふ♪」
「…どうしたんだい?」
「私は今…幸せだよ?」
「…僕もだよ。」
二人して車に乗り込み、軽くキスをした。
車は紫煙を残し、ゆっくりと坂を下りていった
「?」
あるマーメイドが海の中で沈んでいく物を見つけた、近くで見てみると…それは本の形をしていた。
「…。」
彼女はそれを手に取るとじっと表紙を見つめた。
表紙には『Mari』と書かれている。
「♪」
それを大切に抱きしめ、美しい歌声を奏でながら彼女は自分の住処へと帰っていった。
11/09/19 13:38更新 / ひげ親父