読切小説
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刀鍛冶の大蛇
金屋子さん、と呼ばれる女神がいる。
極東にある島の製鉄と鍛冶の神だ。どうやら醜女らしく、それゆえにたたらや鍛冶屋は仕事場に女を入れないという。
だがこの女神、古くは男神であったという説が存在する。
なんでも、かつて彼であった金屋子さんを祀っていた巫女が同一視されたからというのだ。
本当はどうだったのか、今は誰も知ることではないだろう。
だが、昔話や伝説には案外元となった話がありふれていたりする、のかもしれない。



「本当だ。この山奥に集落だなんて……」

ジパングの西に位置するイズモの国。そのとある山の中を一人の男が歩いていた。
彼の名はマイト・フレアスティ。髪は白く、眼は深い紫。言うまでもなくジパングにとっては異邦の人である。
山中を進んで少し経ったかという頃だった。丁寧に整地されてこそいないが確かに踏みしめられている、つまりは人が頻繁に通っている道に対して抱いていた違和感の答えが目の前に示された。うっそうとした木々が開けて、一目で人が住んでいるとわかる建物が現れたのだ。わかってはいたものの不可思議な気分を抑えることができない。
集落に入った途端、なんとなく顔に熱を感じた。カン、カンという金属を叩く音がここが目的地であることを伝えてくれる。
先ずこの辺で誰かと話をするべきだろうか──逡巡したマイトだったが、丁寧にアポなど取っていたら場の雰囲気に気圧されそうだと思ってそのまま乗り込んでしまうことにした。
遠く大陸の端の方の生まれである彼がなぜこんな極東の地を訪れたのか。彼の目的とは何なのか。

クレームを入れに来たのである。ありていに言ってしまえば。



マイトには兄がいた。名をアッシュという。貴族であるフレアスティ家当主の息子に生まれた二人は傍目からみてもわかるほど仲の良い兄弟だった。
蒐集癖のあるアッシュは世界各地から珍しい物品を集めていた。周辺の国々はもちろん、砂漠の遺跡から見つかった金の首飾り、霧の大陸に伝わる瑠璃の髪飾り等々。
マイトも兄の蒐集物を見るのが好きだった。いや、蒐集物を眺め心躍らせる兄が好きだった、という方が正しかったかもしれない。マイトにとってはどちらでもよかった。
だが、ある日それは現れた。
今から三年も前になるだろうか。いつにも増して嬉しそうな兄の手にそれは握られていた。

「とある筋にジパングの剣を売ってもらったんだ。かの地ではこれをカタナというらしい。見てくれマイト。言い表せないくらい美しいよ」

二つ、油紙の包みがあった。アッシュはその一つを用心深く開いた。
兄の言うとおりだった。生まれたばかりの月のような反りを持つ片刃の姿は近辺ではまず見かけない。刃のない、恐らく持ち手の部分には読めない文字が刻まれている。
わずかに傾けて跳ね返る光の具合はそれぞれに異なり、ある意味ではそう、色気のようなものを感じ取った。これは、本当に。誇張でもなんでもなく言い表せない。
よいものを手に入れましたね、とマイトは笑った。笑っていた。
事件が起きたのはその夜だった。なぜだかマイトは寝付けなかった。廊下に出て夜の空を眺めながら館の中を歩く。ふと、兄の部屋の前で足が止まった。
分厚い扉越しでよくは聞き取れないが、うめき声のようなものが聞こえる。
まさか病だろうか。最後に見たときまではすこぶる元気だったが大事があってはいけないと扉を開いた。
そして、それが視界に入った。
寝台の上で兄が女を抱いている。うめき声だと思っていたそれは欲に濡れた嬌声であり、同時に甲高い女のものも交じる。
どこから紛れ込んだとある種の現実逃避が頭を支配する中で、嫌に生々しく映るものがあった。
女の身体と一体であるかのようになまめかしくきらめく、あの東洋の剣。その刀身が。

結局、あの剣──の中にいたカースドソードという魔物──は兄の妻となった。
フレアスティの領地は魔物に対して友好的であり、実際魔物と夫婦となった領民の姿も珍しくはない。次代の領主が魔物を妻とするという知らせも温かく、歓声をもって迎えられた。
一人取り残されたのはマイトだった。魔物に恨みはない。それはわかっている。魔物に対する教養だって備えているつもりだ。彼女は悪くない。魔物らしく好色でこそあるが、兄に対する愛情は真実であり彼を支えてくれる良き妻となるだろう。ただ、感情を納得させることはできなかった。
兄が蒐集物に向ける視線はすべて妻のものに。骨董を愛でる時間は妻と交わる時間に置き換わった。マイトが好きだった兄はいなくなってしまった。
マイトは家を出て旅立つことにした。魔物ではなかったもうひと振りの剣を携えて。
魔物学者によればカースドソードとは現在の魔王が即位する前の、どこかの時代の悪しき考えの持ち主だった魔王が人間を害するために作り出したものらしい。その魔力は現魔王の影響下でも変わらず、ひとたび人間の女が振るえばたちまち自他を魔物に変えてしまうのだとか。
だが、彼女は違うように思われた。彼女の刀身にも、片割れのもう一振りにも異国の文字が刻まれていた。兄が言うにはあれは製造者の名前なのだという。で、あれば。あれは過去の魔王によるものではない。魔王か、その直属の職人。それに匹敵するほどの力を持った誰かの作だ。
もう一つマイトには確信があった。初めて彼女を目にした時だ。どこか「らしくない」雰囲気を感じたのだ。カースドソードには不似合いに思える、鱗じみた、後から考えてみると蛇のようだと思える。
あれは蛇に類する何か、まあ十中八九魔物なのだろうが、そういった存在に作られたものなのだろう。ふとマイトはその存在に会ってみたくなった。あって、文句をつけてやりたいと思った。古物だから、もうこの世にはいない可能性もあったけれどそれでも。
幸い作られた土地は割れている。極東の島国ジパング。何年かかってもいい。底へ行って、これを作った者を探そう。兄が魔物を妻に迎えた今、家は安泰だ。次男である自分がいなくてもやっていける。
マイトは身分を捨てて飛び出した。

ジパングに至るまで二年。それから作り手を見つけるまで生涯をかける覚悟もしていたが、手掛かりは意外なまでに早く見つかった。
ジパングは西方の国々より魔物が身近な存在だ。妖怪、あるいは物の怪と呼ばれる彼女たちが人間に紛れて普通に生活を送っているという光景は珍しくない。
その中に刑部狸、という妖怪がいた。商人を生業とする獣の妖怪である。マイトが偶然出会った刑部狸は古物商もしていて、快く件の刀を鑑定してくれた。

「こりゃあ珍しい。いや、あたしらの界隈じゃあ珍しくはないけどね。人の世に出回っているのが珍しいのさ。いったい誰が横流ししたんだか」
「はあ。で、いったい誰が作ったんだ?」
「ああ失礼。お兄さん、漢字はまだ不得手だって言っていたね。ほらこれを見なさい。茎(なかご)のとこに文字が刻んであるだろう。これは『八頭青縄(やずのあおなわ)』と言ってね。蛇を方言で朽ち縄と呼ぶ地域があるからさしずめ八つの頭を持つ青い蛇、といったところかなあ。こんな名前の刀鍛冶はまずいないから見たらすぐわかるよ。人間には贋作も作れないから見かけたらまず本物だねえ」
「作れない、って?」
「あやかしは人殺しが嫌いなんだ。だから武器を作ってもそれは肉体じゃなく精神を傷つけるものになる。兄上を見たらわかるだろう。あやかしの武器に傷つけられるとああなるのさ」

あの夜の、兄の横顔が頭に浮かぶ。何年たっても色あせてくれないそれをあわてて振り払った。

「だからね。八頭は人が人の武器として使おうとしても全く役に立たない。なまくらさあね。だから戦乱の世では人気がなかった、と聞くけれど今の太平の世で刀に求めれるのは切れ味より美しさ。人の世じゃあまず出回らないから八頭と聞けば大名や将軍様がこぞって欲しがるよ。まあ、ちょーっといわくつきではあるけれど」
「いわくなあ。魔物がらみのいわくなんて大体予想はつくけど」
「そうだねえ。八頭は女に見せるなってやつだからね。女子が見ると取り込まれちまうらしい。なんでも、いつのだかは知らないけどある将軍様の世に、後宮になぜだか八頭が持ち込まれて、魅入られた側室か正室かが刀を振るって女たちをあやかしに変えてしまった。あやかしは女の子しか産めないからこれではいけないと、側近たちは将軍様を辞めさせて先に生まれていた男の子に代替わりさせてしまったって話。他に、罪人の死体で試し斬りしようとしたら刃が触れたその瞬間に死体が蛇の化生となって動き出した、とかもあるねえ。どっちも噂じゃないよ。これは本当。兄上さんの奥方も八頭に魅入られた女があやかしになったんだろう」
「うん。僕のと似たケースがジパングにもあったんだな。その八頭さんていうのは生きているのかい」
「生きてる生きてる。ずうっと昔に現れて出雲の山奥に籠りながら今でも刀を作っているよ。ひょっとしてお兄さん、八頭に婿入りでもするつもりかい」
「まさか。冗談はよしてくれ。僕は八頭さんに文句を言いたいだけだよ」
「ふうん。それじゃあ達者でね。あ、そうそう。八頭さんは地元で『金屋子さん』て呼ばれてるらしいよ」



ざかざかと建物の間を縫って奥へ奥へと進んでいく。するとまた、木々が濃く生い茂った。
それでも道は続いている。流石に先の道よりは使い込まれてはいないが、それでもしっかりと道になっている。少し、急な坂道だった。
上がっていく息と共に心臓が高鳴っていく。それは生理的なものだったけれど、錯覚なのか気分が高揚していくような気がした。
自然と腰に下げた刀に手がかかる。あの後、剥き身では見苦しいと刑部狸が拵を売って付けてくれたのだ。品の良いオリーブ色の鞘はマイトもすぐに気に入った。相手が相手とはいえ、兄と過ごしたかつての日々が思い起こされた。
そろそろ頂上に差し掛かるころ合いではないだろうか。そう思ったと同時だった。また、建物が見えた。今度は一軒だけである。やはり、金属を叩く鍛冶の音が響いていた。
扉に手をかける。ふと、仕事の邪魔をしては悪いのではという考えが頭をよぎったが、早々にぬぐってしまうことにした。
がらりと扉を開くと、すさまじい熱気がマイトを襲った。顔が焼けるのではと思うくらいだった。
瞬かせながら目を凝らす。挑みかかるような心持ちで部屋の中を見据える。
そこには蛇がいた。蛇を認めたその時に、カン、カンという音も止まった。

「──お客人か」
「……はい」
「人間にはいない見てくれだな。鬼の子か」
「外つ国から参りました。異人です」
「異人さんか。そうか」

蛇はこちらに振り返った。沈むような暗い緑色のまなこと目が合う。
やはり魔物なのだろう。過ぎるほどに整った顔立ちをしている。黒い髪に紛れて七匹の蛇がマイトに警戒の視線を向けていた。八頭、という名前の意味を瞬時に理解する。
女の上半身に蛇の下半身。ラミア種であることは確かだ。それに蛇の髪とくればメドゥーサか、エキドナか。マイトは指先に力を入れた。よかった。ちゃんと動く。身体が動かせる、石になっていないようだからエキドナなのだろう。
刀よりも何よりも珍しいな、と思った。エキドナなんて最上位の魔物、西の方でもまず見ない。ましてや顔ぶれの異なるジパングにおいて彼女を目にするなんて、普通のラミアならともかく考えてもみなかった。
マイトはしばらく、何もできないでその場に立っていた。石化の術などではない。高位の魔物が生まれながらにして備えている気高さに圧倒されたのだ。

「土間で立ち話もなんだろう。上がりなさい」

緊張を解いたのは彼女の声だった。ぷつんと、張り詰めた糸が切れるように体の力が抜ける。
エキドナ、いや。八頭、なのか。彼女は蛇の身体を器用に動かしながら隣の部屋に上り、彼を手招きした。
まるで繰り人形のように彼の身体は動いていく。
招かれた先は質素な部屋だった。端の方に文机と積みあがった本がある。本は真新しいものも、ぼろぼろに擦り切れているものもあった。半開きの押し入れからはたたんだ布団と蚊帳が覗き見れる。それ以外にめぼしいものと言えば、網かごに山ほど乗った柑橘くらいか。あとは何もない。必要最低限の生活ができる設備だけだった。

「座布団もなくて申し訳ないな。適当なところに座ってくれ」
「ああ……はい」
「茶の一つも出せないであれだが、これでも食べていただけると嬉しい。うまいぞ」

八頭と思わしき女性が網かごから柑橘を一つ取り差し出してくる。マイトの知るオレンジよりいくらか小さかった。皮むきのナイフがないのかあたりを探っていると、彼女は首をかしげて食い方がわからないかとつぶやいた。
彼女も一つ柑橘を手に取った。下のへこんだところに両の親指を乗せる。するとぱかりと柑橘が割れた。手で破れるほど皮が薄いのかと驚く。

「こうして食える。白いのが邪魔ならその都度取ればいい。私もよく知らないが、みかんという橘の仲間らしい」
「ありがとうございます。あの、貴女は八頭さん……ですよね」
「うむ。私が八頭だ。本名は別にあるが。それで、異人さんが何の用だ」

マイトは腰に下げていた刀を取った。向かい合って座る八頭と自分の間、自分より少し手前気味にそれを置く。畳張りの床に音は響かなかった。

「僕の兄が手に入れたものです。貴女の作品と聞いてこちらを訪ねました」
「少し、待っていなさい」

八頭は一言断ると、先ほどまでいた土間に行った。作業場らしいそこから何やら取って戻ってくる。
取ってきたのは小箱だった。そこから白い布と細い棒が取り出された。
八頭の手が刀を手に取る。伝え聞いたエキドナとは異なる、血色の良い人の肌だった。
拵を外し、剥き身となったそれを黙って確認する。しばらくするとまた元通りにして、そうしてやっと彼女は口を開いた。

「確かに私の作だ。これを作ったのはざっと百年ほど前だったかな。日付を刻んでいないので私にも正確なところはわからないが」
「僕の話、聞いていただけますか」
「はるばる来ていただいたんだ。喜んで」

マイトは己の身の上を語った。兄が珍しい品々を集めていたこと、その中で、八頭の刀を二振り手に入れたこと、そのうちの一つが魔物となっていて、兄が襲われたこと……。
最後に、狸の商人から八頭の存在を聞いてここを訪れたのだと言って、彼は話を終えた。

「成程。つまり貴方は、私に文句を言いに来たのだな」
「行ってしまえばそういうことです」
「それは災難だった。だが、私の手を離れた刀がどうなったのかは私の及ぶところではない。私には、せいぜいよい持ち主の下に行ってほしいと祈ることしかできないんだ。だから、貴方の言ったことも、どうかしてやることはできない。すまないな」
「それは……」

それはそう、だ。あの魔物は彼女の刀を手にした人間の女がそうなっただけで、彼女は素質のある刀を作っただけに過ぎない。筋違いと言えば筋違いなのだ。それはわかっていたはずだったのに、こうして顔を合わせるまで飲み込むことができなかった。顔を合わせて、初めて自分がどれだけ子供じみた我が儘を言っているのか気づいた。

「貴女が謝ることではない、です。申し訳ありません。ただ、これを作った人に会ってみたかった。これほどまでの魔剣を打てるとはいったいどんな方なのだろう、と思って」
「そうか。……なんだ、私はあやかしにしか売っていないはずなのに人の世ではそのようないわれを受けていたのだな。誇らしいような、申し訳ないような」

八頭は口元に右手を寄せ苦笑した。瞬間、どきりと胸が高鳴る。別段魅力的なしぐさというわけでも、彼女自身が意図してそれを行ったわけでもないのに。やはり魔物なのかという事実を思い知らされる。

「それで……貴方の目的とは私に会って文句を言う、ということだったが。これから先はどうするつもりなんだ。見たところ、この地には縁がないのだろう」

彼女に指摘されて考えた。そういえば、自分はどうするつもりだったのだろう。文句を言うといったって、それはどうのしようもないことである。言って終わってしまうことだ。そして、つい先ほど終わってしまった。
どうするべきか。自分が聞きたいくらいだった。マイトはすがるように八頭の顔を見た。
そして、自分の中に思い浮かぶ感情に気づいた。

「しばらく、ここにいてもいいですか。ただでとは言いません。僕に手伝えることがあるのなら何でもやります。貴女のその腕前を近くで見てみたくなりました」

マイトの目的、この刀を作ったやつに文句を言ってやるという目的の下にはどうして過去の魔王に匹敵するほどの剣が打てたのかという疑問が広がっていた。目的がなくなってしまった今、それが表に出てきた。見てみたい。神に並ぶ魔王、その魔王に並ぶほどの鍛冶の腕を持つこのエキドナの技術というものを。

「……飯の用意はできないぞ。昼間こちらに来るのは結構だが、寝起きは弟子の家に頼みなさい」
「弟子、というのはあの集落の」
「私が一人でいたらいつの間にか集まってきたんだ。どうやら鍛冶屋らしいから、たまに下りて指導していた。そのうちにどこから噂が漏れたのか人が増えてきてな。山奥に男ばかりが集まっているというのであやかしが嫁に来たりもする。皆、気立ての良い娘たちだ。飯も作れるだろう。私も共に行く。頼めば居候させてくれるはずだ」
「わかりました。あの、貴女はひとりなんですか?」
「そう、だな。もうずっと……いつのころからかずっと独りだよ」



この山に来て七日が経とうとしていた。
一番弟子だという集落の男性と、その妻である稲荷は快く居候を受け入れてくれた。
金屋子さんの頼みなら、と(八頭さんはその呼び名が納得いかないらしいけれど)異邦人であるにも関わらずよくしてもらっている。
朝起きて、稲荷のお嫁さん(小幡という名前らしい)が作ってくれた飯を食べる。そうしてすぐ奥の方へ向かい、八頭さんの仕事を見て暗くなったら居候先に帰る、というのがここ数日の生活だった。
仕事を手伝うと申し出たが、長年一人で作業しているらしい八頭さんはいきなり人手が増えても扱いに困るらしい。なものでずっと彼女が動くさまを見ているだけだったが、これが意外なまでに面白くあっという間に日が暮れてしまう。
西方の剣とこの土地の刀は鍛え方が異なる。鉄を何回か折り返して、巻いて、層ができるようにしていく。大きなものを作ろうとしたが、具合が悪かったので切ってもう少し小さくしようと思う、と言って延ばした原型の断面を見せてもらったが、まるで繊維のようだった。

「パイ生地みたいですね」
「なんだそれは?」
「小麦の粉をこねたものと、牛の乳から作った脂を層にした食べ物です。肉を包んで焼けば食事に、果物ならば菓子になります。加熱すると脂が溶けて空洞ができるんですよ」
「それはまた面白い食い物だな。しばらく飯らしい飯を食っていないが、舶来の食い物か。口にしてみたい気もする」

彼女は本当に、仕事以外頭にないようだった。奥の方にある台所は埃をかぶっていた。口にするものといえば、弟子たちが採って置いてくれるみかんくらいらしい。
ジパングのあやかしは穏やかな者が多いが、それはエキドナも同じようだった。固有の種族だからというわけではなく風土によるものなのだろうか。だが、彼女も口ぶりからしてジパングの生まれらしいからよくはわからない。
エキドナと言えば魔物の母、古くは母なる大地の女神として信仰があったといわれ、それ故真っ先に主神教団による迫害と排除を受けたほどの好色ぶりだと聞く。しかし八頭は色事に興味がない。というより頭から抜け落ちているように見えた。子を作ることが行動原理にないエキドナとはまた面妖だ。と、最初は思い込んでいたのだが。
八頭さんは確かに子を成しているのだろう、と一週間共に過ごして考えるようになった。今、ここで彼女は一人、自分の子を産みだしている。彼女が自分の作品に向けるまなざしは温かく、触れる手は優しい。それは決して一般的な生殖ではないけれど、でも確かに刀たちは彼女の子供だった。
──私には、せいぜいよい持ち主の下に行ってほしいと祈ることしかできないんだ。
最初に会った時のあの言葉は母としての祈りだったのだろう。
だから、あれだけ弟子を抱えていながらその誰とも結ばれる道を選ばなかった。もちろん自分が邪魔してよいことではない。マイトは、ただ見ていた。

二週間経って仕事を任された。炭切りである。炭切り包丁を用いてよく火が通るようにと丁寧に木炭を切っていくのだ。特に手本などは見せられなかったが、八頭の見よう見真似をして筋がよいと褒められたのは嬉しかった。
刀鍛冶に弟子入りしたものは多くがまずここで脱落するという。
鼻の穴に細かな炭の粉が入る作業はきつく、単調に手を動かす時間が続く。人間はそれを苦痛だと感じる。実際そうなのだが、弟子入りしていないにもかかわらずなぜだかマイトは投げだそうだなんて一つも思わなかった。

「貴方の切った炭を使うとな。不思議と調子がいいんだ」

ふと、彼女に言われたあの言葉と、その時の笑顔があの夜の兄以上に頭から離れなかったからかもしれない。



「そういえば、『金屋子さん』てなんですか? お弟子さんたちがそう呼んでいるけど」
「ああ、それなんだが……私にもよくわからない。この近くには金屋と呼ばれるたたらの地がある。一番弟子もそこの出身だ。そこで信仰されている神様なんだろう。私がこの地に入った時には既に呼ばれていた。製鉄と、鍛冶の神なんだが……決して女神ではなかったはずなんだ」
「でも、こんな山奥でひとりあやかしが刀を作っていたら、それって人間から見たら神様にみえてもおかしくないんじゃないのかな」
「んむ、そうなのかなあ。実は自分があやかしになったという実感がなくてな。確かにそうなのかもしれないが、神様と言われても困ってしまう」
「え、っと。八頭さん、元は人間?」
「……まあ。なぜこのような、蛇の身体を持ったのかは知らないけれど」

せっかくだから、と彼女は語って聞かせてくれた。自分自身の生い立ちだった。



八頭さんはここから遠く離れたジパングの雪国に生まれたらしい。人間の、驚くことに男だったようだ。親は早くに亡くなり鍛冶屋の養子になった。その家では鎌や鍬などの農具を作っていたらしいが、当時の世が乱れ始めていたというのもあって刀を作ろうと思った。
刀鍛冶に弟子入りして、何年かたって独り立ちした。妻も持ち、腕はそこそこで無理をしなければ十分に食っていけた。ささやかだが幸せな人生だった。
だが、ある日悲劇が降りかかった。出産で、妻も子も亡くしてしまった。
多少は減ったとはいえ人間のお産が危険であることは今も昔も変わりない。もちろん彼だった彼女も覚悟はしていた。だが、突きつけられた現実は耐え難かった。
八頭さんは住み慣れた土地を離れ、各地を巡りながら刀を打った。刀を作ることだけが妻子を失った悲しみを癒せる唯一の手段だった。同時に、何もできなかった自分ができる償いのように思われたらしい。癒せるとはいえ、悲しみは彼の心を蝕んでいった。次第に彼は人を避けるようになった。
やがて、出雲の山奥。今の彼女がいるここにたどり着いた。地元のたたらから鉄を買っては刀鍛冶にのめりこむ。そんな生活に余生をささげ、何十年が経った。
七十の齢になってしばらくした頃、よく床に伏せるようになった。足腰が悪くなった。火を見続けていたせいで片目が見えづらくなった。それでもなお、刀を作っていたかった。まだ自分はできることをすべて終えていない。これでは妻子に会えたとして顔を合わせられない、と。
まもなく死んだと思った。が、生きていた。あやかしの身を得てこの世に戻っていた。身体が軽いのはいつぶりだろう。目に映るなにもかもが子供のころに戻ったように輝いている。八頭さんになった男はすぐさまやり残した仕事の続きに取り掛かった。蛇の身体こそ最初は苦労したが、すぐに慣れた。

一振り、作り終えてすぐのことだった。うっかり刃に触れてしまった。
指が飛んだと思った。思ったが、なぜだか傷の一つもなかった。代わりにじくじくと、傷ができるはずのあたりから身体が熱くなる。
なまくらだったのか。これではいけない。彼女は作用場を飛び出し、偶然行き倒れて亡くなった女の死体を見つけた。
申し訳ないと思いつつ、女の死体で試し斬りを行った。すると女の半身は自分と同じ蛇に変わり立ち上がる。あやかしとなった女は自分を一目見るとどこかへ消えていった──。



「蛇の身体に慣れるより、あやかしの研師とか、売ってくれる者を見つける方が苦労した。今は弟子たちがやってくれるから楽だな」

悲しい話のわりに八頭さんは笑っていた。苦い、という形容詞が付くけれどあやかしとなったからか、人の身では過ごすことのない時間の流れのおかげか。悲しい記憶も当時よりかはいくらか和らいできたのだろう。
こちらの方がどういう反応を返せばよいのかわからない、とマイトは思った。
ただ、言えることは。

「八頭さん、やっぱり金屋子さんなんですよ」
「女の金屋子さんは醜女だ。と、年に一度集まってくる諸国の鍛冶屋が言っていたらしいんだが」
「見る目がないか、八頭さんが姿を見せないから誰も知らないだけじゃないですか」
「まあ、な。女嫌いとも言われているらしいがそれは人間の女が立ち入らないからかもしれないな。あやかしの嫁は普通にいるし、私も女嫌いというわけじゃない」

一つ目小僧など、製鉄や鍛冶で片目が潰れやすかったことから来たという話もあるからな。人だった頃の私もそうだったし、意外とこんなものなのかもしれない。
八頭さんはぽつりとつぶやいた。その言葉が、なぜだかすっとマイトの胸の内に落ちてくる。

「『男に子は産めない。だから私は刀を作る』」
「え?」
「……師匠が言っていた言葉だ。今となってはあまりにも重い言葉だ、な」

別に、顔ごと向けて見ればいいはずの彼女の横顔がなぜだか盗み見ることしかできなかった。



異邦の男、マイトが来訪してから月が三つほど経っただろうか。
この頃彼の体調が思わしくないように見える。
帰って休めと幾ら言い聞かせても彼は聞こうとしなかった。そうまでして自分の仕事が見たいというのは気恥ずかしくもあるが嬉しい。だが、倒れられでもしたら自分には看病の心得がない。心配だった。
今日もまた、彼はここを訪れる。熱にうかされたように目がとろけているのを見るといたたまれない。だというのに、炭切りの腕はむしろ冴えるようになって自分をしのぐのではないのかと思うほどだった。炭切り三年、というが既に十年はこなしたと見紛うくらいだ。
何より、彼がいると自分の腕まで良くなったような気がしてならない。だからつい、強く押し返すことができず居させてしまうのだった。
なぜ弟子や小幡たちは何も言わないのだろう。山を下りて医者に見せるとかあるじゃないか。私がそばに置いているので遠慮しているということなら遠慮なく言ってくれて構わないのに。
どうしようもないな、と思いながら本日の作業に取り掛かる。原型を作る素延べを終えるのが目標だった。そこまで大きくはない脇差を予定しているし、素延べとは速さが重要であるからすぐに終わる。そろそろ暇を出してやった方がいい。
作業中も、たまにだがマイトの様子をうかがった。炭切りは外で行うからいつも彼に目をやっているわけにはいかないのがもどかしい。今日はいつにも増して口数が少ないように見られた。最初はただの風邪か、とたかをくくっていたがこれは本当にまずいのではないだろうか。
いつもより手早く熱した鉄を延ばしていく。丁寧さは欠くが、この際仕方がない。一通りが終わり彼のいる外に出たのと同時だった。
かたん、と炭切り包丁が落ちた。

「マイトっ!!」

体温が妙に高く、息が荒い。
あわてて駆け寄り次の間まで抱えていく。布団を敷いてそこに寝かせた。みすぼらしいが、何もしないよりはましだと信じたかった。それで、つぎは、助けを呼びに行かなければ。目を離すことはためらわれたが自分に看病はできない。それよりかは他の者たちの方が詳しいだろう。
八頭は坂を駆け下りた。村まで下りて一番弟子の家の扉を叩く。しばらくして家内の小幡が出てきた。

「あら。金屋子さん。最近はよくこちらに顔を見せてくれますのね」
「のんきに話をしている場合じゃない! マイト、マイトがおかしいんだ! 先ほど、倒れてしまった。なぜ面倒を見ていたお前が気づかなかった? 医者を呼ばなければ……」
「落ち着いて金屋子さん。あれは病気ではありませんから、安心して」
「そんなことを言われたって」
「でも、倒れたということは……フフフ。貴女も相当焦らしたのですね。それとも気づかなかったのかしら。どちらにせよ私に構っている時間はありませんよ? 早く彼の下へ帰って相手をしてあげないと」
「し、しかし。私に看病は……。来てもらうことはできないのか?」
「私が行っても邪魔になるだけですよう。さあ行った行った」

やんわりと、けれど力強く扉が閉じられる。完全に締め出されてしまった。
諦めて自分の家に帰るしかなかった。

「……マイト」

彼の様子は変わらない。悪化していないのが幸いだが、浅い息遣いがこちらの不安を掻き立ててくる。
額にそっと手を置いた。おもむろにマイトの目が開く。わずかに唇が動いてこちらの名を呼んだ。

「寒いか」

訪ねると、か細い声がはいと答える。温めてやろうにもここで暖を取れるものといえば作業場しかなかった。
しばらく考えて、布団の中に潜り込む。蛇の身で体温は心元ないかもしれないがもう何もかもないよりはましだと思うしかない。彼の身体を抱きしめて巻き取った。

「っ、あ。やず……さん?」
「お前のそばにいろと言われてしまった。嫌だろうが、我慢してくれ」
「……ぇ、いやあ。うれしい、です」

マイトがすり寄ってきた。こうしてみると彼は我が子のようだと思ってしまう。
ああ。確か、死んでしまったあの子も男の子だったか。もしも無事に生まれて成長していたら、このくらいの年頃までなっていたら。自分の仕事に興味を持ってくれただろうか。炭切りの手伝いをしてくれただろうか。もしそうだったら、果たして自分の人生とはどのようなものだったのだろう。今はもう、想像すら及ばない。

昔はよく泣いていた。悔いていた。妻は身体が弱かった。わかっていたはずなのに。せめて変わってやれたのなら、と思い始めてしまえば決して子を孕むことのできない男の身体が恨めしくて恨めしくて仕方がない。だからこそ、刀が打てるのも男であるからこそという考えに縋りつくしかなかった。
それがどうだ。この身を得てそれが幻想でしかないことを知った。この仕事は男の特権ではない。誰に禁じられるでもなく、多くの人間が自分の腕を認めて慕ってくる。
では、なぜ。なぜ、私は男だったのだろう。男に生まれてしまったのだろう。
誰も責められない後悔の中で、涙を流しながら八頭は意識を落とした。



目の前に白い鬼がいた。

「地獄の使いか。迎えに来たのか」
『いいえ。でも、貴方の感情に強く引き寄せられたのは事実よ』
「……なぜ?」
『悔やんでいるじゃない。奥さんと、赤ちゃんのことを』
「なぜおまえが知っているんだ、と聞きたいが野暮なんだろう。それは」
『ええ。……貴方、まだ子供が欲しいのね。幾ら作っても、作っても満たされない。地獄に行くまでもなく貴方の生きざまそのものが地獄よ。それでも子供が欲しい?』
「そう。だな。どちらかと言えば産んでやりたかった。男である自分が憎いんだ。このままでは、妻にも子にも合わせる顔がない」
『これは……そうねえ。ヘルちゃんに任せてもいいけどあたしの仕事かしら。ここまで男であることを憎悪されてはねえ。幸い死に際の今なら精の破壊も上手くいくでしょう』
「何を言っているんだ?」
『え? いやいやこっちの話。というわけでおじいちゃん、今度こそお・し・あ・わ・せ・に・ね♡』
「は、あ? おい! なんだこれ……はっ……!」

鬼が片目を瞑る。
忘れ切っていたと思っていた感覚と共に、この世に突き落とされた。



目が覚めると、ひどく身体が熱かった。優しいやけどだと思った。腹から喉まで火種がこみ上げてきそうなのに不思議と苦痛はない。ただ、欲しかった。
何が欲しいかなんて、そんなもの、決まっているじゃないか。

「マイト……」
「八頭、さん……んぃ、えっ、あの、なにして……!」
「嬉しいと。そう言っていたな。それはこれのことか?」

彼の下半身に手を伸ばす。そこはすでに張り詰めていてとても苦しそうだった。
もうずっと昔の話でおぼろげだが溜め込むつらさはなんとなく覚えている。早く解放してやらなければ。しかし、異国の服というのはこういう時不便だな。脱がしづらい。
マイトは抵抗しなかった。いつの間にか呼吸が穏やかになっている。調子が戻ったのかはわからないが峠を越えたのは確かだろう。ならば遠慮はいらないとようやっと脱がすことができた服の下に触れた。

「っ、その、それは……」
「仕方がないなあ。私でよいならよくしてやろうか」

噛みつくようにマイトの唇と、己のとを重ね合わせた。



幾ら理性的で穏やかでも八頭はあやかし、それもかなり高位のエキドナである。
彼女が意識せずとも男を惹きつける誘惑の力は抑えようと思わない限り出てしまう。つまり、彼女が平気でも彼女のそばで長く過ごしていたマイトが平気である保証はなかった。
マイトの体調不良とは、要は抑え込んだ末の欲求不満の暴発である。彼自身、八頭に惹かれていることを自覚しながらもあくまで自分は客人で、彼女は彼女の仕事に夢中だからという意識から思いを抑えていたのだった。それが、この結果だった。村の魔物夫婦による毎晩の交わりを聞かされていたから、それもあったのだろう。
結果として、双方とも自分の欲求を自覚できたわけなのだが。

「八頭さん……む、はぁ、これ、気持ちいいですか?」
「あっ、あっ、あぁあっ! ひ、いい、もっとぉ……!」

着物の裾を割って、マイトは八頭の秘部に口を寄せていた。とめどなく溢れてくる液体を舐めとるように舌に絡め、指で割れ目を開いて固くなっている陰核を刺激する。すると粗相のように愛液が止まらなくなる。その繰り返しだった。
八頭は背を反らせて快楽に浸っていた。妻がいて、悲しい結末に終わったとはいえ子供もできていたのだから童貞の自分よりは慣れているのだろうに、ぎゅっと目を瞑り頬を赤く染める様は紛れもなく生娘のそれである。あれだけ理知的で、元は男だったという彼女が自分によって女の顔になっている。その事実がマイトにとってはたまらなく愛おしかった。

「ひぃ、いく、いくっ! は、ぁ、あああああっ!」

ぷしゃっと噴き出した潮がマイトの顔をわずかに濡らした。

何百年ぶりの性感だろうか。息を切らしながら八頭は彼に与えられる快楽を享受する。それは蛇に化生した時のあの快感よりずっとずっと深いものであった。知ってしまったら二度と知らぬふりなどできない。
下半身に手を伸ばすとマイトのふわふわとした髪が触れた。柔く、指を櫛にしてそれを梳く。赤子の頭を撫でるように優しく、優しく。

「ねぇ、ねえ八頭さん。もういいですか。ぼく、我慢できない」
「ん、いいぞ……。ほら、私の中に来なさい。奥の、ずうっと深いところまでっ……!」

マイトは甘えた声がうまい。兄がいると聞いていたからそのせいなのだろう。こんな声で懇願されては拒めというのも無理な話である。
彼が開いていたそれを代わり、胎への入り口をよく見えるように示す。
取り出された彼の雄の象徴は手で触れた感触よりもはるかにたくましく映った。
ぬちゅ、と入り口に雄があてがわれる。八頭は彼を一層強く抱きしめた。

「……来てくれ♡」

囁きを合図にして裂けるような痛みが走った。痛みこそ強いが、決して苦痛ではない。
破瓜への気遣いもそこそこに抜き差しが始まる。今の彼女にとっては下手に気を使われるより全力で情をぶつけてくれる方が嬉しかった。
ぐつぐつと女の本懐を押し上げられると気持ちいいのが止まらなくなる。このまま入ってきてほしい。いっぱい注いで、いっぱい孕ませてほしい。
長い時間、独りっきりで己の孤独と罪悪を埋めていた八頭にとって、彼と交わるこの行為はたまらない救いだった。どれだけ作っても拭えなかった。どれだけ慕われても寂しかった。
でも、いまは。

「くぅ、八頭さん、出るっ……!」
「っう〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

びゅく、びゅくとマイトの温い精液が彼女の胎を満たしていく。
あやかしが一番欲しがるものを子宮に直接注がれる快楽はすさまじく、八頭はその身をよじって見悶えた。まだ。まだだ。もっと。それに応えるように彼の雄はまだ硬さを保っていた。
しゅるりと、蛇の這うような音を立てて八頭がたすきを解く。片手で着物の紐も解き布団の上に脱ぎ落した。
マイトの目の前にさらしを巻いただけの素肌が現れる。

「せっかくだ。貴方も脱ぐといい。下は……今は無理だろうから上だけでも」
「いいです、けど。その胸の布は」
「言わせるなよ。……貴方に外してほしいんだ」

洋物のシャツを脱いだマイトはすぐさま八頭のさらしを外しにかかった。ぐるぐるときつく締められたさらしだから結構時間がかかる。その間、繋がったままの下半身が小さく動くので八頭は甘い吐息をこぼすのが止められない。

「わあ。なんで今まで潰してたんですか。こんなにおっきいのに」
「仕事の邪魔になるだろう。だから、胸を見せるのは貴方だけにしたいんだけど……こういうのは好みだろうか」
「もちろんです! 好きなだけ触って、揉んでいいんですよね。。うれしい……」

現れた八頭の胸はとても大きかった。残り僅かになって締め付けが緩んだ時から既に予感はあったが、何も妨げのない状態で目にすると迫力が違う。
仕事の邪魔になるとの言葉通り、八頭は大きいばかりの自分の胸についてあまり良い感情を持っていなかった。だが、まっすぐな目が喜びに満ちているのを見るとこちらまで嬉しく感じてしまう。

「好きなだけ……吸ってもいいんだぞ」
「わぷっ!」

こみ上げる感情のまま彼の頭を寄せて、乳首を口に含ませた。
最初は驚いていたマイトもすぐに慣れたらしい。ちゅうちゅうと赤子のように吸い付いてくる。彼のすべてが自分のものになったような気がした。
そうしているうちにまた腰の動きが速くなった。声さえも重ね合わせて交わる二人の夜は一日では足りないだろう。



「相槌を任されてくれないか」

マイトがこの地へ来て三年が経とうかという頃だった。二人が結ばれた後に、八頭は彼を正式に弟子に取ると言った。それから三年。鍛冶屋としては異例の速さだが元々そちらに才があったのだろう。八頭の指導の成果もあって、小さいものだが刀を打つことを許されている。
このままいけば、しばらく力がいる仕事は彼に任されるだろう。この頃、彼女の下腹がゆるいふくらみを見せていた。
そんな中、彼女に相槌を頼まれた。複数人で鉄を鍛える作業である。師匠が横座という指揮を務め、その指揮の下で弟子が先手という役を務めるのだ。
そもそも刀鍛冶とは一人でやるものではない。八頭は工夫と、あやかしになってからは人が及ばない力や妖術を組み合わせてよほどのことがない限り人の手を借りないような仕組みを整えていたが、元は複数人で行うのが基本である。その最もたるものが鍛えだった。熱した鉄を何度も折り返す、その作業である。一、二回ほど兄弟子の下で行ったことがある。

「久しぶりだから、貴方の腕がよくても私の指示が追いつかない可能性があるが……私たちにやれないことはないだろう。マイト、いいか」
「ええ。喜んで任されます。この子も見守ってくれていることですしね」

合奏のようだと、彼は思った。
指揮者の絶対の指揮に従って奏者は音を響かせる。全体のリズムはどうか、パートごとの強弱はどうかと。それと同じだ。教養として兄と共に家庭教師から楽器を習っていたあの頃を思い出した。
かん、かんという心地の良い音がまさにその証拠だろう。手前を強く打て、そこは加減しなさい。指揮者がタクトを振るうように八頭は小槌を振るい、彼に指示を出していく。
マイトの持つ大槌は重く、軽く動かすだけで汗が滲んでくる。扱い方の練習を重ね、いくつか実際に振るったこともあったとはいえ大変だが、それでも彼はやり遂げた。

「懐かしいな。昔、まだ妻が生きていた頃だ。弟子がいなかったから妻に大槌を振るってもらったんだ。こう、すこん、と一回二回だけ。私がやるよりも不思議とよく鋼が延びたよ」
「も〜。また奥さんの話ばっかり。僕の腕前はどうなんですか」
「これからどんどん上手くなる。だが、あまりうかうかしていると娘に任せてしまうかもな。精進しなさい」

お腹を撫でながら、にこやかに冗談を言う妻につられて彼も笑った。

それから先はまだ八頭の仕事だった。焼き刃土を刀身に塗り、焼き入れを行う。熱されたそれを水につけて一気に冷やせば美しい反りと匂出来の刃文が生まれた。
納得のいく出来だったらしい。彼女は茎にやすりをかけるとマイトを手招いた。

「銘切りだ。貴方もやってくれ」
「日の国の字にはまだ慣れていないんだけど」
「下手でもいい。残すことに意味があるんだぞ」

『八頭 青縄』
『八頭 舞人』
『四月七日』



それから何年かして。彼らがいくつもの刀を生み子供たちが騒がしくなった今でも、その刀はふたりとふたりの家族を見守っていた。

20/10/01 10:14更新 / へびねおじむ

■作者メッセージ
かなりお久しぶりです。蛇ネオジムです。
自創作のネタとして考えていたものがこれ行けるんじゃない? となってこのような形になりました。
何故日本刀が題材になったのかと言うと、ひとつは身内にファンがいるのですがそちらの付き添いで色々見ているうちに興味が……というのと、元々ヘビや地母神が好きでそれを組み合わせたという次第です。
かなり変則的で変態的な中身おじいちゃんのエキドナさんが生まれてしまいましたが……。
作中で八頭さんのお師匠が言っていた台詞はフェイク入っていますが実在の某刀匠さんが言っていたことです。不思議と心に残っていました。

ありがたいコメントとvoteを頂いてしまった武芸サバトシリーズ、年単位で放置してしまい申し訳ないです。実は最新話は推敲するだけなのでまだ待っているよ! という心の広い方がいた時はぜひ読んでいただけると嬉しいです。

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