世界のパン祭りinアールデー・イグニス(前編)
世界のパン祭りinアールデー・イグニスの開催日まであと1週間の日。ブラウンとアーデントはパン職人としての修行の旅をひと段落付けて、二人の故郷たるアールデー・イグニスへと帰ってきていた。
―――――これからはパン祭りの日までお互い会うのはやめましょう?・・・多分ウチが貴方の邪魔をしちゃいそうだから。
都市の入り口エントランスホールにてそう強がって見せるアーデントをブラウンは力強く抱きしめる。愛しいこの香りも、ぬくもりも、柔らかさも・・・しばらくはお預けになる。旅の最中は毎晩くたびれ果てるまでアーデントとセックスしていたから辛い禁欲の予感に・・・おそらくこの先の人生でこれ程の苦難は待ち受けていないだろうとブラウンは一人苦笑いする
それにしてもパン作りの心配よりも性欲の方を不安がるとは・・・自分も随分と変わったものだ・・・これ以上は名残惜しすぎるからもう離れなければ・・・
―――――必ず勝って見せる
そう一言力強く誓いの言葉を彼女へ捧げながら軽くキスをひとつ、そして二人は今はまだ別々の場所へと帰り着いたのだった。
「ただいま親父、姉さんも・・・二人とも元気そうで良かったよ」
「おう!また一段と精悍な顔つきになりやがって・・・ほんと・・・怠けてた頃のお前が信じられないぜ」
「ふふふ・・・聞いたわよブラウン、世界のパン祭りにベーカー・ベーカリー名義じゃなくて貴方個人の名義で出店するんでしょう?」
世界のパン祭りには個人名義から店名義から当日の飛び入り参加まで認められている。もちろん我らがベーカー・ベーカリーも出店する訳だが・・・ブラウンは自分の名を伏せて・・・個人名義で参加しようと考えていたのだ。
世界のパン祭りのルールは単純明快で、会場入り口ゲートで手渡されるアンケート用紙にお気に入りのパンを2種類記載し出口ゲートで渡すだけ・・・このアンケートを記載することでパンのお代は全て都市持ちになる・・・だから皆、気軽に会場を訪れて、好きなパンを心ゆくまで楽しんでほしい・・・そうアーデントからの公式発表に都市は沸き立ったのだった。
ブラウンの姉たるブルネットの努力もあるがブラウンの旅路の影響で評判がうなぎのぼりだったベーカー・ベーカリーなのだから勝利のためには人気票集めにもなるベーカー・ベーカリー名義で出店するのが当然なのだろう。
なにせブラウンは1位にならねばならない、ブラウンだってベーカーの血筋なのだから実家の名を語っても何ら文句の付け所もないはずなのに・・・それでもブラウンはその名を借りようとはしなかった。
―――――この身一つで証明して見せなければならない、アーデントの望む最上級さえも越えて見せるために。
燃え盛るブラウンの決意は硬く、親父も姉さんもあとは応援することしか出来なかったのだ。
「まったくお前のためにベーカー・ベーカリーを増築してキッチンを広々と二人で使えるようにしたんだから感謝しろよブラウン!」
「あら、お父さんったらお金を出したのはオーナーの私なのよ?これから先の営業のためにはどうしたってパンを焼く場所が足りなかったもの」
「はは・・・当日もここは使わせてもらうからさ、よろしく頼むよ」
ひとまず久しぶりに再会した家族達との団らんを楽しんだブラウンは実家のベッドに横たわり、アーデントの事を想った。たった一日傍にいないだけでここまで寂しさが心を満たすとは・・・いや、だからこそ自分は彼女のために勝つのだ。
寂しさは確かに身を裂くように辛かったが、ブラウンの足を止めるには到底及ばない障害でしかなかった。
そして開催日までの間ブラウンは真摯にパンと向き合い、心を込めて一つ一つの生地を捏ね、焼き上げ続けた。親父もうなる程の出来栄えのパンを焼き、お客様へ提供する。
日々の小さな一つ一つの進歩を積み重ねていくだけ・・・ブラウンが最上級へ至る道は傍から見れば恐ろしく地味で・・・単調で・・・それでもブラウンはその一つを重ね続けた。
そして世界のパン祭り前日のこと、パン職人としては朝寝坊をできると姉さんが喜んでいるのは・・・ベーカー・ベーカリーは世界のパン祭りの材料を使っては意味が無いからと臨時休業の札をかけてあるから。
にもかかわらず店の扉をノックする誰かの音で皆は店の扉を開いた。
「申し訳ございません、本日は臨時休業しておりまして」
「あぁ・・・そこをどうにかパンを・・・パンを焼いてはいただけませんか?都市中の他のパン屋は全て断られてしまっていて・・・」
困った様子の来訪者はホルスタウロスの・・・近所の幼稚園の先生だった。事情を聴けば今日の給食に出すパンが・・・トラブルで配送できないことになってしまったのだ。他のパン屋は明日の準備のために臨時休業しているし、なにより明日のお祭りのために都市中の店も小麦粉を押さえてあるからどこにも売っていないというものだった。
この広いアールデー・イグニス中を駆けまわり、最後の希望としてドアを叩いたという訳らしい。
―――――壁掛けの時計をちらりと見れば午前10時前・・・今からすぐに準備すれば・・・お昼には間に合うか・・・
「足りないパンはいくつですか?」
「ちょ!ブラウン・・・本気・・・?明日は貴方の人生を賭けた・・・」
「良いんだ姉さん、俺はパン職人なんだから・・・お客様がパンを焼いてほしいとお願いするのならばその腕を以って答えるだけさ」
足りないパンの数はブラウンが用意した材料のほとんどを使いつぶす程の量だった。この材料を使えば明日までに材料を調達できる見込みは限りなく薄い・・・それでもブラウンに迷いは無かった。
「姉さん、パンを焼こう!手伝ってくれるかい?」
「もう・・・知らないからね!」
文句を言いながらもエプロンを後ろ手に結ぶ姉さん、心底ほっとした表情の先生にひとまず水を渡してからベーカー・ベーカリーは特別営業を始めるのだった。
「本当に・・・ありがとうございました!」
―――――ありがとうございました!!
時刻はちょうどお昼ごはんの時間・・・屈託のない笑顔でパンにかじりつく子供たちの笑顔を見ながらブラウンは誇らしげにしていた。
「本当に何とお礼を言ったらいいのか・・・」
「良いんですよ、お代はしっかりと頂きましたし・・・子供たちの笑顔も見られましたから」
―――――ブラウンお兄ちゃんもたべていかないの?
―――――お昼ごはんが終わったら一緒に遊ぼうよ!
―――――まだ私たちもお礼できてないもん!
「すっかりなつかれているじゃないブラウン・・・もうちょっと一緒にいてあげなさいな」
「そうしたいのはやまやまだけどさ・・・パンの材料を探しに行かないと・・・」
ピキリと先生が固まる。賢そうな先生の事だ、こちらの大方の事情が何となく伝わってしまったようだ。
「それでは名残惜しいですが僕らはこの辺で・・・では今後も御贔屓に!」
幼稚園を後にしたブラウンとブルネットはひとまずベーカー・ベーカリーへと戻ってきた。今回の一件で新たに足りなくなってしまった分の材料を見積もるためだ。
「私が用意した分を分けてあげれば小麦粉は足りるけれど・・・そうねえミルクだけはどうしようもないわねぇ」
今回ブラウンが出店しようとしているパンはちぎりパンで、材料としては小麦粉をホルスタウロスミルクと合わせて捏ねるシンプルながら奥深い味わいになる・・・初めてアーデントにご馳走した思い出のパンだ。
そのホルスタウロスミルクがミルク缶にして2本分ほど・・・足りなくなってしまったのだ。
「まだ時間はあるし、あの先生は小麦は無かったって言ったけれどミルクは言っていなかっただろう?探せばきっと見つかるはずさ!だから探しに行こう、手伝ってくれるかい姉さん?」
「まったく人使いの荒い弟だこと・・・いいわよこうなったらとことん付き合ってあげようじゃないの!ほらお父さんも!」
「あいよ、俺は都市の外で当たれる伝手を当たってみる・・・時間はかかるかもしれねえが明日の朝までには間に合わせてみるさ」
車を飛ばしてゆく父を見送った二人は手分けをしてアールデー・イグニス中のお店を巡った。ホルスタウロスミルク・・・またはそれに準ずる高品質のミルクを求めて。
そもそもホルスタウロスミルクはそれ自体が希少かつ高品質なミルクであり、近場に牧場でもあればまだ一般の店先に並ぶことも多いのだが・・・あいにくここは火山が名所の炎の街・・・ホルスタウロスミルクは何時も特注で仕入れていることを二人は知っていた。
それでも二人はあきらめずに店を巡り、都市中を駆け巡った。
辺りはすっかり夜の帳が下りた頃・・・あたりの店も店じまいを始める中でブラウンは最後の店へと駆けこんだ。
「すいません!ミルクは・・・ホルスタウロスミルクか何かはありませんか?」
「んん〜兄ちゃんすまないね、あるにはあるんだが明日の大会のために押さえてあってね、売り切れなんだよ」
「そうですか・・・わかりました、失礼しました」
参ったなと肩を落とすブラウン、ひとまずベーカー・ベーカリーへと帰ろうとする道すがら、幼稚園の傍を通りすがった時、女性から・・・くだんの幼稚園の先生から声をかけられた。
「ああ!ようやくお会いできました!ブラウンさんですよね?」
「ええ、先生こそ僕をお探しになられていたようで・・・そうか今は店に誰もいなかったからか・・・」
「どうも私たちのために明日のためのパンの材料を使わせてしまったのですよね?」
「ええ・・・事情としてはそうなんです、小麦粉は大丈夫なのですがホルスタウロスミルクが・・・どうしても手に入らなくて」
やっぱりそうだったかと先生が申し訳なさげに肩を落とす。
「あ!?パンを焼いたことに対しては何ら後悔は無いのですから大丈夫なんですよ?ご心配なさらずに・・・」
「でも・・・え?今足りないのは・・・ホルスタウロスミルクっておっしゃいましたよね?」
「ええ。ホルスタウロスミルクが足りなくて・・・あ・・・そういえばあなたは・・・」
「私だってホルスタウロスではありませんか!・・・今から旦那様にいっぱい絞ってもらえば・・・どれだけあれば足りるのですか?」
「ミルク缶で2缶ほどあれば・・・それによろしいのですか?ミルク缶2缶といえば結構な量です、何よりもホルスタウロスミルクはパートナーとの同意の上で頂ける大切なものでは・・・」
「何を言っているのです!困って駆け込んだ私と子供たちのために迷わずパンを焼いてくださった貴方ならば喜んで差し上げますとも!!」
親父からの連絡はまだなかった、おそらくこれが最後の機会だろうとブラウンは頷いた。
「明日の午前7時・・・それまでに頂ければなんとか出店が間に合うかと・・・頼めますか?」
「ええもちろん!それでは、急いで絞らなければ・・・」
風のように去ってゆく先生を見送ったのち、ブラウンはどうにかミルクが手に入ったと一安心してベーカー・ベーカリーへと帰り着いた。その背後から見つめる一人の存在に気が付かないまま・・・。
「ごめんなさいブラウン!ミルクは見つからなかった・・・」
出迎えたのは姉さん、申し訳なさそうにしている所に先程の話を伝える。
「ああ・・・良かったわブラウン、これで何とかなりそうね」
「ああ、姉さんもありがとう、いろいろトラブルもあったけど・・・これで明日も大丈夫そうだ」
ほっと一息ついてから二人で椅子に崩れ落ちた・・・今更になって生きた心地がしなかったと思う。一世一代を賭けた大勝負の前日に僕はいったい何をやっているのやらだ。
親父にミルクが見つかったと連絡している姉さんを見ながらブラウンは机に突っ伏して心底ホッとしたため息をつくのだった。
―――――翌朝・・・
ブラウン・ベーカーにとって運命の日、世界のパン祭りinアールデー・イグニスの開催日当日の朝を迎えた。
身体の調子は・・・結構な欲求不満気味だが良好と言える。
「おはようブラウン・・・風邪は引いてなさそうね」
「おはよう姉さん、調子は万全さ!」
軽めの朝食を食べた二人はそれぞれパンの準備に取り掛かる。オーブンたちの調子も良好・・・あとは先生に頼んだホルスタウロスミルクが届くのを待つだけだ・・・
先生とその旦那様はちょうど午前7時前に訪れた。なんだか胸元を庇うように押さえながら顔を赤らめて、しっとりと汗ばんでいるのはつい先ほどまでミルクを絞っていたからなのだろうか。
「お・・・おまたせ・・・ひぐっ・・・しましたぁ♥」
「ああ・・・先生ありがとうございます!ミルク缶2缶なんて沢山・・・無理をさせてしまったようで」
「い・・・いいんですぉ・・・それにとっても気持ち良かったですし・・・♥」
筋肉ムキムキ屈強な旦那様が抱えていたミルク缶を降ろした。途端に鼻先へ濃厚で芳醇な甘い香りが抜けてゆく。まだミルク缶の封すら開けていないのに・・・まさかこれって・・・
「メグは・・・家内は妊娠しているのです、ちょうど4か月目くらいでお腹はまだ目立つほど膨らんではいないので気が付かれなかったと思うのですが」
「ええ?!妊婦さんのホルスタウロスミルクなんて・・・とんでもなく大切なミルクじゃないですか!?・・・こういうのもなんですが・・・本当にいいのですか?」
「ええ、家内も納得していますし・・・何より私も、貴方の心意気に心を打たれたのです、このミルクはそのお礼・・・存分に使ってやってください」
今にも腰砕けになりそうなメグさんは旦那様にお姫様抱っこをされながら去ってゆくのを見送ってから・・・姉さんと二人で顔を見合わせる。一難去ってまた一難・・・だったからだ。
さて何が困ったことになったかといえば・・・妊娠しているホルスタウロス族から絞ったミルクは通常の比にならない程の濃厚かつ甘くて魔力のこもった絶大に栄養満点なミルクとなるのだが・・・これに合わせる小麦の格が圧倒的に劣ってしまっているのだ。
このまま生地と捏ね合わせても甘ったるすぎるパンになる・・・かといってミルクの量を減らせばパンとして成り立たなくなってしまう。
準備していた小麦も「春風一番」だから高級品なのは違いないのだが・・・これほどのミルクに負けない小麦といえば思い当たるのは伝説の小麦である「黄金の豊穣」くらいだが・・・それこそそんなものどうやって今から手に入れれば・・・
「はーーっはっはっはっはっ!ようやく出番が来たようね!」
アーデントが・・・何やらドミノマスクを被ってそれらしい黒のマントを身に着けたアーデントが店先へと現れた。
「私の名前はアーデ・・・こほん、ルビー仮面よ!そこのお困りのパン職人さんに朗報を持ってきてあげたわよ!」
「ええ・・・アーデ・・・ルビー仮面さん、一体その朗報とはいったい何なのでしょう?」
「あなたの助けた幼稚園の園長先生・・・刑部狸さんなんだけど、なんとその人が持てる伝手を使って黄金の豊穣を調達してくれたのよ!もうそろそろ届くころじゃないかしら?」
アーデントがそう言った直後に配送のトラックが店先へと止まった。姉さんが受領のために店を飛び出してゆく。
「ブラウン、これは私の力で手に入れた物じゃないわ、あの園長先生が完全なご厚意で調達してくださったもの・・・もちろんそのきっかけは貴方の心意気から始まっているわ」
「・・・うん、ありがとうアーデント、これなら・・・最上級の・・・いいや、言葉にできない程のパンが焼けるよ」
―――――頑張って・・・応援しているわ
お互い名残惜しくなる前に、我慢できずに押し倒してしまう前にアーデントはその残り香だけを残し去っていった。
色々とトラブルもあったけれど・・・材料は集まった。後は自分次第・・・全身全霊を発揮するのみ。
伝説の小麦たる黄金の豊穣なんて初めて使うが臆することなくブラウンは濃厚ホルスタウロスミルクと合わせ、捏ね始めた。真心を込めて、魂を込めて捏ねる。愛しのアーデントにふさわしい伴侶であると世界に知らしめるために。
生地が捏ね上がる・・・アーデントの耳たぶの柔らかさを思い出す・・・早く彼女を抱きしめたい・・・彼女のぬくもりが・・・まったくどれだけ欲求不満なのか人生を賭けたパン作りの途中なのになまっているしっかりしろブラウン・・・頭をブンブン左右に振り、気を取り直して発酵の工程へ。
発酵を待ちながら次のパン生地を捏ね、ちょうど捏ね終わり頃で先発で捏ねた生地の発酵も終わる。生地を一口サイズの丸にまとめて星型やハート型の型枠へ並べて予熱済みのオーブンへ入れる、発酵器へ捏ねた生地を入れて新たな生地を捏ねる・・・手際よくお祭り用のパンをひたすらに焼くブラウンの心はいつしか雑念は消え、無心となっていた。
気が付けばちぎりパンが番重3つ分にぴったりと収まった・・・時刻は午前8時50分。世界のパン祭りの出店受付は9時30分からだから今のうちに身なりを整えることにする。
髭を剃り、寝ぐせの残っていた髪を櫛で整える。ベーカー・ベーカリーと刻印されたエプロンは・・・出自がバレるので無地の白エプロンへ付け替えて、変装するためにサングラスとマスクを付けていざ準備完了だ。
姉さんは一足先に会場へパンを運んでいるとのこと、こちらも番重を台車に乗せて一路会場へ・・・世界のパン祭りの会場は大きな円形の形をしているアールデー・イグニスの中心部に設営されているから会場はとても広く、一般入場者の時間もまだだというのに辺りはすっかりお祭りムードで盛り上がっていた。
「えーと・・・貴方のお名前と出店名をこちらの魔法契約書にお願いします・・・偽名でも可能ですからご安心くださいませ」
流石にサングラスにマスクといった変装をしているブラウンにちょっと苦笑いする受付のお姉さん・・・肩身も狭いが・・・とりあえず名前をどうしようか・・・よし、出店名は「アンバー・ベーカリー」で出店者は「アンバー・ベーカー」でいいだろう。
「なんて安直ななま・・・こほん、受領いたしました、貴方のスペースは・・・Bの14番ですね、会場の案内図はこちらです」
案内図とテント前に掲げる許可証を受け取り、ブラウン改めアンバーはあてがわれた出店テントへと向かった。
世界のパン祭りと大きく描かれた入場ゲートの先はきらびやかなメインステージを取り囲むように出店者用テントが輪になるように設営されていた。そしてBの14は・・・ちょうどメインステージの対面真正面に位置していた。
テントの中には接客のためのスタッフさんが2名ずつ待っており、保温用の魔法をかけられた大きなショーケースがあり、ここに入れている限り焼き立てのパンは冷めることがなくお客様へ提供できる仕組みになっていた。番重内の全てのパンをショーケースへ入れ、会場から見える時計塔の針は一般入場開始時刻の20分前だった。
改めて会場内をぐるりと見渡すと見渡す限りどの店舗も老舗中の老舗なパン屋ばかり、世界から集められた猛者たちの作る艶やかなパンたちと甘い香りが会場を包み込んで、入場者ゲートの列から空腹に鳴ったお腹の音まで聞こえるほどだった。
「ブラウン!お疲れ様!・・・ホントにその格好でやるのね・・・」
「ああ、今はブラウンじゃなくてアンバーだよ姉さん」
「どっちでもいいわよ・・・ふふふ・・・やっぱり貴方の勝負するパンはちぎりパンよね・・・」
「ああ、やっぱり思い出深いからね」
そんなことを話しているとメインステージ上にアーデントが現れるのが見えた。このお祭りの開催の挨拶を述べている・・・漆黒のドレスに赤い飾り布がシックながら壮麗なデザインに落ち着いた気品あふれる姿に思わず見とれてしまう。
「今日という日、世界のパン祭りを開催できることを光栄に思います・・・みなさんもお腹ペコペコでしょうから挨拶はこの辺で・・・それでは世界のパン祭りの開催を此処に宣言いたします!!!」
紆余曲折あったが遂に・・・僕らの運命の大勝負が始まったのだった。
―――――これからはパン祭りの日までお互い会うのはやめましょう?・・・多分ウチが貴方の邪魔をしちゃいそうだから。
都市の入り口エントランスホールにてそう強がって見せるアーデントをブラウンは力強く抱きしめる。愛しいこの香りも、ぬくもりも、柔らかさも・・・しばらくはお預けになる。旅の最中は毎晩くたびれ果てるまでアーデントとセックスしていたから辛い禁欲の予感に・・・おそらくこの先の人生でこれ程の苦難は待ち受けていないだろうとブラウンは一人苦笑いする
それにしてもパン作りの心配よりも性欲の方を不安がるとは・・・自分も随分と変わったものだ・・・これ以上は名残惜しすぎるからもう離れなければ・・・
―――――必ず勝って見せる
そう一言力強く誓いの言葉を彼女へ捧げながら軽くキスをひとつ、そして二人は今はまだ別々の場所へと帰り着いたのだった。
「ただいま親父、姉さんも・・・二人とも元気そうで良かったよ」
「おう!また一段と精悍な顔つきになりやがって・・・ほんと・・・怠けてた頃のお前が信じられないぜ」
「ふふふ・・・聞いたわよブラウン、世界のパン祭りにベーカー・ベーカリー名義じゃなくて貴方個人の名義で出店するんでしょう?」
世界のパン祭りには個人名義から店名義から当日の飛び入り参加まで認められている。もちろん我らがベーカー・ベーカリーも出店する訳だが・・・ブラウンは自分の名を伏せて・・・個人名義で参加しようと考えていたのだ。
世界のパン祭りのルールは単純明快で、会場入り口ゲートで手渡されるアンケート用紙にお気に入りのパンを2種類記載し出口ゲートで渡すだけ・・・このアンケートを記載することでパンのお代は全て都市持ちになる・・・だから皆、気軽に会場を訪れて、好きなパンを心ゆくまで楽しんでほしい・・・そうアーデントからの公式発表に都市は沸き立ったのだった。
ブラウンの姉たるブルネットの努力もあるがブラウンの旅路の影響で評判がうなぎのぼりだったベーカー・ベーカリーなのだから勝利のためには人気票集めにもなるベーカー・ベーカリー名義で出店するのが当然なのだろう。
なにせブラウンは1位にならねばならない、ブラウンだってベーカーの血筋なのだから実家の名を語っても何ら文句の付け所もないはずなのに・・・それでもブラウンはその名を借りようとはしなかった。
―――――この身一つで証明して見せなければならない、アーデントの望む最上級さえも越えて見せるために。
燃え盛るブラウンの決意は硬く、親父も姉さんもあとは応援することしか出来なかったのだ。
「まったくお前のためにベーカー・ベーカリーを増築してキッチンを広々と二人で使えるようにしたんだから感謝しろよブラウン!」
「あら、お父さんったらお金を出したのはオーナーの私なのよ?これから先の営業のためにはどうしたってパンを焼く場所が足りなかったもの」
「はは・・・当日もここは使わせてもらうからさ、よろしく頼むよ」
ひとまず久しぶりに再会した家族達との団らんを楽しんだブラウンは実家のベッドに横たわり、アーデントの事を想った。たった一日傍にいないだけでここまで寂しさが心を満たすとは・・・いや、だからこそ自分は彼女のために勝つのだ。
寂しさは確かに身を裂くように辛かったが、ブラウンの足を止めるには到底及ばない障害でしかなかった。
そして開催日までの間ブラウンは真摯にパンと向き合い、心を込めて一つ一つの生地を捏ね、焼き上げ続けた。親父もうなる程の出来栄えのパンを焼き、お客様へ提供する。
日々の小さな一つ一つの進歩を積み重ねていくだけ・・・ブラウンが最上級へ至る道は傍から見れば恐ろしく地味で・・・単調で・・・それでもブラウンはその一つを重ね続けた。
そして世界のパン祭り前日のこと、パン職人としては朝寝坊をできると姉さんが喜んでいるのは・・・ベーカー・ベーカリーは世界のパン祭りの材料を使っては意味が無いからと臨時休業の札をかけてあるから。
にもかかわらず店の扉をノックする誰かの音で皆は店の扉を開いた。
「申し訳ございません、本日は臨時休業しておりまして」
「あぁ・・・そこをどうにかパンを・・・パンを焼いてはいただけませんか?都市中の他のパン屋は全て断られてしまっていて・・・」
困った様子の来訪者はホルスタウロスの・・・近所の幼稚園の先生だった。事情を聴けば今日の給食に出すパンが・・・トラブルで配送できないことになってしまったのだ。他のパン屋は明日の準備のために臨時休業しているし、なにより明日のお祭りのために都市中の店も小麦粉を押さえてあるからどこにも売っていないというものだった。
この広いアールデー・イグニス中を駆けまわり、最後の希望としてドアを叩いたという訳らしい。
―――――壁掛けの時計をちらりと見れば午前10時前・・・今からすぐに準備すれば・・・お昼には間に合うか・・・
「足りないパンはいくつですか?」
「ちょ!ブラウン・・・本気・・・?明日は貴方の人生を賭けた・・・」
「良いんだ姉さん、俺はパン職人なんだから・・・お客様がパンを焼いてほしいとお願いするのならばその腕を以って答えるだけさ」
足りないパンの数はブラウンが用意した材料のほとんどを使いつぶす程の量だった。この材料を使えば明日までに材料を調達できる見込みは限りなく薄い・・・それでもブラウンに迷いは無かった。
「姉さん、パンを焼こう!手伝ってくれるかい?」
「もう・・・知らないからね!」
文句を言いながらもエプロンを後ろ手に結ぶ姉さん、心底ほっとした表情の先生にひとまず水を渡してからベーカー・ベーカリーは特別営業を始めるのだった。
「本当に・・・ありがとうございました!」
―――――ありがとうございました!!
時刻はちょうどお昼ごはんの時間・・・屈託のない笑顔でパンにかじりつく子供たちの笑顔を見ながらブラウンは誇らしげにしていた。
「本当に何とお礼を言ったらいいのか・・・」
「良いんですよ、お代はしっかりと頂きましたし・・・子供たちの笑顔も見られましたから」
―――――ブラウンお兄ちゃんもたべていかないの?
―――――お昼ごはんが終わったら一緒に遊ぼうよ!
―――――まだ私たちもお礼できてないもん!
「すっかりなつかれているじゃないブラウン・・・もうちょっと一緒にいてあげなさいな」
「そうしたいのはやまやまだけどさ・・・パンの材料を探しに行かないと・・・」
ピキリと先生が固まる。賢そうな先生の事だ、こちらの大方の事情が何となく伝わってしまったようだ。
「それでは名残惜しいですが僕らはこの辺で・・・では今後も御贔屓に!」
幼稚園を後にしたブラウンとブルネットはひとまずベーカー・ベーカリーへと戻ってきた。今回の一件で新たに足りなくなってしまった分の材料を見積もるためだ。
「私が用意した分を分けてあげれば小麦粉は足りるけれど・・・そうねえミルクだけはどうしようもないわねぇ」
今回ブラウンが出店しようとしているパンはちぎりパンで、材料としては小麦粉をホルスタウロスミルクと合わせて捏ねるシンプルながら奥深い味わいになる・・・初めてアーデントにご馳走した思い出のパンだ。
そのホルスタウロスミルクがミルク缶にして2本分ほど・・・足りなくなってしまったのだ。
「まだ時間はあるし、あの先生は小麦は無かったって言ったけれどミルクは言っていなかっただろう?探せばきっと見つかるはずさ!だから探しに行こう、手伝ってくれるかい姉さん?」
「まったく人使いの荒い弟だこと・・・いいわよこうなったらとことん付き合ってあげようじゃないの!ほらお父さんも!」
「あいよ、俺は都市の外で当たれる伝手を当たってみる・・・時間はかかるかもしれねえが明日の朝までには間に合わせてみるさ」
車を飛ばしてゆく父を見送った二人は手分けをしてアールデー・イグニス中のお店を巡った。ホルスタウロスミルク・・・またはそれに準ずる高品質のミルクを求めて。
そもそもホルスタウロスミルクはそれ自体が希少かつ高品質なミルクであり、近場に牧場でもあればまだ一般の店先に並ぶことも多いのだが・・・あいにくここは火山が名所の炎の街・・・ホルスタウロスミルクは何時も特注で仕入れていることを二人は知っていた。
それでも二人はあきらめずに店を巡り、都市中を駆け巡った。
辺りはすっかり夜の帳が下りた頃・・・あたりの店も店じまいを始める中でブラウンは最後の店へと駆けこんだ。
「すいません!ミルクは・・・ホルスタウロスミルクか何かはありませんか?」
「んん〜兄ちゃんすまないね、あるにはあるんだが明日の大会のために押さえてあってね、売り切れなんだよ」
「そうですか・・・わかりました、失礼しました」
参ったなと肩を落とすブラウン、ひとまずベーカー・ベーカリーへと帰ろうとする道すがら、幼稚園の傍を通りすがった時、女性から・・・くだんの幼稚園の先生から声をかけられた。
「ああ!ようやくお会いできました!ブラウンさんですよね?」
「ええ、先生こそ僕をお探しになられていたようで・・・そうか今は店に誰もいなかったからか・・・」
「どうも私たちのために明日のためのパンの材料を使わせてしまったのですよね?」
「ええ・・・事情としてはそうなんです、小麦粉は大丈夫なのですがホルスタウロスミルクが・・・どうしても手に入らなくて」
やっぱりそうだったかと先生が申し訳なさげに肩を落とす。
「あ!?パンを焼いたことに対しては何ら後悔は無いのですから大丈夫なんですよ?ご心配なさらずに・・・」
「でも・・・え?今足りないのは・・・ホルスタウロスミルクっておっしゃいましたよね?」
「ええ。ホルスタウロスミルクが足りなくて・・・あ・・・そういえばあなたは・・・」
「私だってホルスタウロスではありませんか!・・・今から旦那様にいっぱい絞ってもらえば・・・どれだけあれば足りるのですか?」
「ミルク缶で2缶ほどあれば・・・それによろしいのですか?ミルク缶2缶といえば結構な量です、何よりもホルスタウロスミルクはパートナーとの同意の上で頂ける大切なものでは・・・」
「何を言っているのです!困って駆け込んだ私と子供たちのために迷わずパンを焼いてくださった貴方ならば喜んで差し上げますとも!!」
親父からの連絡はまだなかった、おそらくこれが最後の機会だろうとブラウンは頷いた。
「明日の午前7時・・・それまでに頂ければなんとか出店が間に合うかと・・・頼めますか?」
「ええもちろん!それでは、急いで絞らなければ・・・」
風のように去ってゆく先生を見送ったのち、ブラウンはどうにかミルクが手に入ったと一安心してベーカー・ベーカリーへと帰り着いた。その背後から見つめる一人の存在に気が付かないまま・・・。
「ごめんなさいブラウン!ミルクは見つからなかった・・・」
出迎えたのは姉さん、申し訳なさそうにしている所に先程の話を伝える。
「ああ・・・良かったわブラウン、これで何とかなりそうね」
「ああ、姉さんもありがとう、いろいろトラブルもあったけど・・・これで明日も大丈夫そうだ」
ほっと一息ついてから二人で椅子に崩れ落ちた・・・今更になって生きた心地がしなかったと思う。一世一代を賭けた大勝負の前日に僕はいったい何をやっているのやらだ。
親父にミルクが見つかったと連絡している姉さんを見ながらブラウンは机に突っ伏して心底ホッとしたため息をつくのだった。
―――――翌朝・・・
ブラウン・ベーカーにとって運命の日、世界のパン祭りinアールデー・イグニスの開催日当日の朝を迎えた。
身体の調子は・・・結構な欲求不満気味だが良好と言える。
「おはようブラウン・・・風邪は引いてなさそうね」
「おはよう姉さん、調子は万全さ!」
軽めの朝食を食べた二人はそれぞれパンの準備に取り掛かる。オーブンたちの調子も良好・・・あとは先生に頼んだホルスタウロスミルクが届くのを待つだけだ・・・
先生とその旦那様はちょうど午前7時前に訪れた。なんだか胸元を庇うように押さえながら顔を赤らめて、しっとりと汗ばんでいるのはつい先ほどまでミルクを絞っていたからなのだろうか。
「お・・・おまたせ・・・ひぐっ・・・しましたぁ♥」
「ああ・・・先生ありがとうございます!ミルク缶2缶なんて沢山・・・無理をさせてしまったようで」
「い・・・いいんですぉ・・・それにとっても気持ち良かったですし・・・♥」
筋肉ムキムキ屈強な旦那様が抱えていたミルク缶を降ろした。途端に鼻先へ濃厚で芳醇な甘い香りが抜けてゆく。まだミルク缶の封すら開けていないのに・・・まさかこれって・・・
「メグは・・・家内は妊娠しているのです、ちょうど4か月目くらいでお腹はまだ目立つほど膨らんではいないので気が付かれなかったと思うのですが」
「ええ?!妊婦さんのホルスタウロスミルクなんて・・・とんでもなく大切なミルクじゃないですか!?・・・こういうのもなんですが・・・本当にいいのですか?」
「ええ、家内も納得していますし・・・何より私も、貴方の心意気に心を打たれたのです、このミルクはそのお礼・・・存分に使ってやってください」
今にも腰砕けになりそうなメグさんは旦那様にお姫様抱っこをされながら去ってゆくのを見送ってから・・・姉さんと二人で顔を見合わせる。一難去ってまた一難・・・だったからだ。
さて何が困ったことになったかといえば・・・妊娠しているホルスタウロス族から絞ったミルクは通常の比にならない程の濃厚かつ甘くて魔力のこもった絶大に栄養満点なミルクとなるのだが・・・これに合わせる小麦の格が圧倒的に劣ってしまっているのだ。
このまま生地と捏ね合わせても甘ったるすぎるパンになる・・・かといってミルクの量を減らせばパンとして成り立たなくなってしまう。
準備していた小麦も「春風一番」だから高級品なのは違いないのだが・・・これほどのミルクに負けない小麦といえば思い当たるのは伝説の小麦である「黄金の豊穣」くらいだが・・・それこそそんなものどうやって今から手に入れれば・・・
「はーーっはっはっはっはっ!ようやく出番が来たようね!」
アーデントが・・・何やらドミノマスクを被ってそれらしい黒のマントを身に着けたアーデントが店先へと現れた。
「私の名前はアーデ・・・こほん、ルビー仮面よ!そこのお困りのパン職人さんに朗報を持ってきてあげたわよ!」
「ええ・・・アーデ・・・ルビー仮面さん、一体その朗報とはいったい何なのでしょう?」
「あなたの助けた幼稚園の園長先生・・・刑部狸さんなんだけど、なんとその人が持てる伝手を使って黄金の豊穣を調達してくれたのよ!もうそろそろ届くころじゃないかしら?」
アーデントがそう言った直後に配送のトラックが店先へと止まった。姉さんが受領のために店を飛び出してゆく。
「ブラウン、これは私の力で手に入れた物じゃないわ、あの園長先生が完全なご厚意で調達してくださったもの・・・もちろんそのきっかけは貴方の心意気から始まっているわ」
「・・・うん、ありがとうアーデント、これなら・・・最上級の・・・いいや、言葉にできない程のパンが焼けるよ」
―――――頑張って・・・応援しているわ
お互い名残惜しくなる前に、我慢できずに押し倒してしまう前にアーデントはその残り香だけを残し去っていった。
色々とトラブルもあったけれど・・・材料は集まった。後は自分次第・・・全身全霊を発揮するのみ。
伝説の小麦たる黄金の豊穣なんて初めて使うが臆することなくブラウンは濃厚ホルスタウロスミルクと合わせ、捏ね始めた。真心を込めて、魂を込めて捏ねる。愛しのアーデントにふさわしい伴侶であると世界に知らしめるために。
生地が捏ね上がる・・・アーデントの耳たぶの柔らかさを思い出す・・・早く彼女を抱きしめたい・・・彼女のぬくもりが・・・まったくどれだけ欲求不満なのか人生を賭けたパン作りの途中なのになまっているしっかりしろブラウン・・・頭をブンブン左右に振り、気を取り直して発酵の工程へ。
発酵を待ちながら次のパン生地を捏ね、ちょうど捏ね終わり頃で先発で捏ねた生地の発酵も終わる。生地を一口サイズの丸にまとめて星型やハート型の型枠へ並べて予熱済みのオーブンへ入れる、発酵器へ捏ねた生地を入れて新たな生地を捏ねる・・・手際よくお祭り用のパンをひたすらに焼くブラウンの心はいつしか雑念は消え、無心となっていた。
気が付けばちぎりパンが番重3つ分にぴったりと収まった・・・時刻は午前8時50分。世界のパン祭りの出店受付は9時30分からだから今のうちに身なりを整えることにする。
髭を剃り、寝ぐせの残っていた髪を櫛で整える。ベーカー・ベーカリーと刻印されたエプロンは・・・出自がバレるので無地の白エプロンへ付け替えて、変装するためにサングラスとマスクを付けていざ準備完了だ。
姉さんは一足先に会場へパンを運んでいるとのこと、こちらも番重を台車に乗せて一路会場へ・・・世界のパン祭りの会場は大きな円形の形をしているアールデー・イグニスの中心部に設営されているから会場はとても広く、一般入場者の時間もまだだというのに辺りはすっかりお祭りムードで盛り上がっていた。
「えーと・・・貴方のお名前と出店名をこちらの魔法契約書にお願いします・・・偽名でも可能ですからご安心くださいませ」
流石にサングラスにマスクといった変装をしているブラウンにちょっと苦笑いする受付のお姉さん・・・肩身も狭いが・・・とりあえず名前をどうしようか・・・よし、出店名は「アンバー・ベーカリー」で出店者は「アンバー・ベーカー」でいいだろう。
「なんて安直ななま・・・こほん、受領いたしました、貴方のスペースは・・・Bの14番ですね、会場の案内図はこちらです」
案内図とテント前に掲げる許可証を受け取り、ブラウン改めアンバーはあてがわれた出店テントへと向かった。
世界のパン祭りと大きく描かれた入場ゲートの先はきらびやかなメインステージを取り囲むように出店者用テントが輪になるように設営されていた。そしてBの14は・・・ちょうどメインステージの対面真正面に位置していた。
テントの中には接客のためのスタッフさんが2名ずつ待っており、保温用の魔法をかけられた大きなショーケースがあり、ここに入れている限り焼き立てのパンは冷めることがなくお客様へ提供できる仕組みになっていた。番重内の全てのパンをショーケースへ入れ、会場から見える時計塔の針は一般入場開始時刻の20分前だった。
改めて会場内をぐるりと見渡すと見渡す限りどの店舗も老舗中の老舗なパン屋ばかり、世界から集められた猛者たちの作る艶やかなパンたちと甘い香りが会場を包み込んで、入場者ゲートの列から空腹に鳴ったお腹の音まで聞こえるほどだった。
「ブラウン!お疲れ様!・・・ホントにその格好でやるのね・・・」
「ああ、今はブラウンじゃなくてアンバーだよ姉さん」
「どっちでもいいわよ・・・ふふふ・・・やっぱり貴方の勝負するパンはちぎりパンよね・・・」
「ああ、やっぱり思い出深いからね」
そんなことを話しているとメインステージ上にアーデントが現れるのが見えた。このお祭りの開催の挨拶を述べている・・・漆黒のドレスに赤い飾り布がシックながら壮麗なデザインに落ち着いた気品あふれる姿に思わず見とれてしまう。
「今日という日、世界のパン祭りを開催できることを光栄に思います・・・みなさんもお腹ペコペコでしょうから挨拶はこの辺で・・・それでは世界のパン祭りの開催を此処に宣言いたします!!!」
紆余曲折あったが遂に・・・僕らの運命の大勝負が始まったのだった。
24/09/21 00:02更新 / たっぷりとしたクリーム
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