反魔物領でお茶会を(前編)
ある土曜日の午後、僕達はある喫茶店でお茶をいただいていた。
「どうだい、ここのお茶は?」
「あ、はい。とてもおいしいです」
「気に入ってもらえてよかったよ。ここのオーナーとは知り合いでね。いつか君をここに連れて来ようと思っていたんだ」
僕の名前は、九字 高遠(くじ たかとお)。ジパングでも比較的僻地と言われる、K県T市に住む平凡な高校生だ。
そして、僕と向かい合わせに座っているこの人物は、真戸原 竹子(まどはら たけこ)さん。名前は古風だが、れっきとした妙齢の美女である。T市で帽子店を経営している、僕の知り合いだ。お店の営業のためなのか、女性なのに燕尾服にシルクハットという、ちょっと奇抜なファッションをトレードマークにしている。服装に加えてかなりの長身なので、その豊満なバストの膨らみが見えなければ、男性に間違える人もいるかも知れない。
それはさておき、僕は以前、竹子さんのお店をたまたま訪れたときに話しかけられて連絡先を交換し、それ以来たまに会ってお茶などを一緒にする間柄になっていた。その気になれば彼氏なんていつでも作れるだろうに、何故僕みたいな子供を相手にしているのか分からないが、竹子さんとの会話はいつも楽しく、誘われると大抵応じていた。
ただ、この日ばかりはいつもと事情が違っていた。当たり障りのない会話が一通り終わった後、竹子さんは「さて……」と神妙な面持ちになった。
「N町が親魔物領宣言をしたのは知っているか?」
「あ、はい。ニュースで見ました」
「そうか。なら話は早い。実は魔物が、次にこのT市を狙っているという情報があるんだ」
N町というのは、T市と同じくK県に属する自治体で、T市とは境界を接している。
長い間、K県は全域が反魔物領であり、隣のS県が親魔物領と、棲み分けがなされていた。ところが、最近になって魔物達がK県への侵攻を始め、まずS県に接しているY市、続いてN町と、親魔物領になってしまったのである。
魔物は人間の敵であり、人間を好んで殺傷、捕食すると教えられている僕達一般市民にとって、自分が住む町の親魔物領化は恐怖でしかない。それが目前に迫っているのを認識して、僕は背筋が凍りそうになった。
「そのお話。本当ですか……?」
「確かな筋からの情報だ」
断言した竹子さんは、紅茶を一口飲むと、ティーカップを持ったまま、さらに続けた。
「魔物の脅威は、すぐそこまで迫ってきている。魔物に侵略されたN町の人々は今、命の危機に怯えながらひっそりと暮らすことを強いられているそうだ。今のままでは、魔物がジパング全域に広がるのは時間の問題だ。そうなったらジパングそのものが滅びてしまう。そうなる前に、誰かがどこかで食い止めないといけない。つまりはこのT市で魔物を撃退しなければいけないんだ」
「そ、そうですね」
僕は、竹子さんの言葉に賛同した。ジパング全域云々はともかくとして、T市はK県の県庁所在地であるK市にも接している。県庁所在地が人間と魔物の戦いの場になったら、勝っても負けても影響が大きいだろう。このT市を防波堤にするのがベストだ。
「分かってくれるかい? 魔物によってこのT市が飲み込まれることを思うと、私は不安で胸が破裂しそうになるんだ。このようにね」
そう言うと竹子さんは、ごく自然な手つきで僕の手を取り、自分の胸に押し当ててしまった。大きな肉の感触を掌に感じて、僕は思わず手を引っ込めようとしたが、竹子さんの力は意外に強く、解放してくれない。
「や、やめてください。他のお客さんが……」
「何? 人目がなければいいのかな? つまりは2人きりの場所で、じっくり私の胸の鼓動を確かめたいと……」
「そ、そうじゃなくて、触らなくても竹子さんの不安は分かりましたから……」
「それなら、直に触れることで一層私の不安を感じ取ってほしいんだ。それとも、私の胸に触れることができない合理的な理由でもあるのかな?」
「も、もう勘弁してください……」
多分、僕の顔は真っ赤になっていたと思う。竹子さんは綺麗な女性なのだが、ときどきこんな風に、強引な体の接触をしてくるのが気恥ずかしかった。
大分経ってから、ようやく竹子さんは僕の手を放してくれた。案の定、見ていた人がいたらしく、「末永く、お幸せに……」なんて冷やかす声が聞こえてきたので、また顔面に血液が集中してしまう。
「そ、それで一体どうしたらいいんでしょうか……?」
姿勢を直した僕は、紅茶を一口飲んでから、誤魔化すように竹子さんに問いかけた。
竹子さんが答えて言う。
「魔物相手に話し合いは通用しない。有志を集めて実力で阻むしかない。高遠くんにもその手伝いをしてほしいんだ」
「うーん」
僕は考え込んだ。悩む理由があったからだ。
これまでK県側としても、無抵抗でY市、N町を魔物に明け渡してきたわけではない、抵抗はしてきたのだ。それでも勝てなかった。
敗れたのは一般人だけではない。K県の名だたる武道家、格闘家までもが魔物を相手に一敗地に塗れている。
例えば柔道、空手の名手にして、Y市最強の武道家として県外まで名の通っていた海浦仙理(みうら せんり)は、反魔物活動のリーダー候補として期待を集めていた。しかし、あるとき親魔物領のS県に入ったきり、消息が掴めなくなった。噂では、S県の山中に巣食う魔物の龍を退治するために赴き、敗北して喰い殺されたとも言うが、詳細は分からない。ともかく彼が行方不明になった後、間もなくY市は魔物に飲み込まれた。
怪力無尽の名をほしいままにしていたN町の駒川 湊(こまがわ みなと)は、町の男達を100人近くも武装させて率い、侵入してくる魔物を撃退しようとした。だが、町の境界で魔物を迎え撃ったはずの彼らは忽然とかき消すように行方不明になり、全員が生死すら判然としない。
「……これまでに魔物を迎え撃った人達がみんな失敗していますよね。どうやって魔物と戦えばいいのか分かりません。せめて、実際に魔物と戦った駒川さんにお話を聞ければいいんですけど」
「駒川湊は、人としての最期を迎えたよ」
「えっ……?」
「私の得た情報によると、彼はクノイチに暗殺された上、デーモンに地獄まで引きずり下ろされたそうだ」
「そんな……」
僕は愕然とした。駒川さんがそこまで簡単に負けたのであれば、合気道や柔術を少々かじっているだけの僕が太刀打ちできるはずがない。僕自身がT市を守るために戦うのは望むところだが、100%勝つ見込みがないのでは他の人が集まらないだろう。
「心配することはない。手はある」
と、そんな僕の心境を感じ取ったのか、竹子さんが声を低くしてささやいた。
「手ってなんですか?」
「大きな声では言えない。ちょっと失礼するよ」
そう言うと竹子さんは、席を立ち、小柄な僕にのしかかるように隣に腰を下ろした。香水だろうか。いい匂いがして、同時に竹子さんの体温まで感じられる。
「な、なんですか……?」
「いいから、耳を貸したまえ」
「はい……」
僕が頭を傾けると、竹子さんは小声で話し始めた。
「そもそも、海浦仙理や駒川湊が魔物に敗北したのは、それなりの理由があるんだ」
「うっ……」
竹子さんが一言しゃべるたびに、吐息が僕の耳をかすめた。それに気が付いたら体が密着して、バストが僕の肩に接している。恥ずかしいが、重要なことらしいので我慢して話に集中した。
「理由って……?」。
「彼らは、魔物の生態を知らずに戦いを挑んでいった。つまり、魔物の弱点をろくに調べもせずに、己の力を過信して突っ込んでいったんだ。敗れて当然だろう?」
言い終わったとき、故意か偶然か、竹子さんの唇が僕の耳に触れた。
「ひっ……」
「動くな! 話ができないじゃないか」
「す、すみません。それで、魔物に弱点なんてあるんですか……?」
「ある。私は詳しくは知らないんだが、その道の権威がいる」
「そ、その人にお話を聞ければ、魔物に勝てる……?」
一筋の光明が見えたような気がして、僕は竹子さんの方を見ようとした。顔と顔がほとんど密着状態のため、危うく唇同士でキスしそうになったが、寸前で免れた。
「あ、ごめんなさ……」
「ふん。惜しいな」
「そ、それでその権威の人に会うにはどうしたら……?」
すがるような目で僕が竹子さんを見つめると、竹子さんは言った。
「私に任せておきたまえ。伝手をたどって、必ずや彼女を君に紹介しよう」
「女の人、なんですか……?」
「ああ、女性だ。私がその人にコンタクトを取っている間に、君は人を集めてほしい」
「……魔物を迎え撃つ人員、ですね」
「そうだ。多ければ多いほどいい。それとなるべくなら、独身の男性がいい。女性と交際経験のない童貞なら理想的だ」
「え? どうしてですか?」
魔物と戦うのに、童貞も経験者も関係ないだろう。不審に思った僕は、竹子さんに尋ねてみた。
「どうしてって……それは、その……万一のことがあったとき……」
珍しく言い淀む竹子さん。僕は竹子さんに全部続けさせることなく、言った。
「すみません。気が付かなくて……いくら魔物の弱点を教わっても、危険であることには変わりない。何かあったとき、恋人や奥さんがいたら悲しませちゃいますよね」
「高遠くん……」
僕みたいな独り身の男なら、何かあっても悲しむ人は少なくて済む。そういうことだろう。
「僕、人を集めます。竹子さんはその権威の先生を連れて来てください」
………………………………
その後何日か、僕は魔物からT市を守る人員集めに奔走した。奔走と言ってもたかが高校生のやることである。学校の友達と、通っている道場の人に声をかけるぐらいが精一杯だったが。
それでも、魔物が自分達の町に攻めてくるという恐怖感は、かなりの人が共有していた。僕が声をかけた人が、さらに自分の知り合いに声をかけるという連鎖反応の結果、魔物に勝つ方法があるなら話を聞きたい、というレベルではあるが、二十数人の名前を集めることができたのである。
「第一段階は、こんなところかな……」
自宅のベッドに寝そべって名簿を見ながら、僕は満足していた。全員が全員、魔物と戦う決意を固めているわけではないが、竹子さんが連れてくる権威の先生の話次第では、T市防衛に参加してくれるだろう。
そう思ったとき、竹子さんから電話がかかってきた。
『私だ。例の先生が会ってくれるぞ。今からあの喫茶店に来てくれ』
「分かりました。すぐ行きます」
すでに時刻は夜だったが、事は一刻も早い方がいい。僕は自転車に飛び乗り、あの喫茶店を目指した。
お店に着くと、竹子さんと、もう1人別の女性が奥の方の座席に座っていた。他にお客はいない。僕は2人に近づき、挨拶をした。
「済みません。遅くなりました。九字です」
「ふふっ。遅いことはないよ。こちらが例の先生だ」
「あ、高遠くんですね。初めまして」
竹子さんに紹介された女性は、一度席を立った。銀色の長い髪をした、竹子さんと同年代くらいの女性だった。スーツを着て、知的そうな眼鏡という風貌。胸の膨らみは……竹子さんと同じかそれ以上に自己主張をしている。
女性は、じっと僕を見つめたかと思うと、優雅に頭を下げた。
「白澤 静(しらさわ しずか)と申します。どうぞよろしく」
「どうだい、ここのお茶は?」
「あ、はい。とてもおいしいです」
「気に入ってもらえてよかったよ。ここのオーナーとは知り合いでね。いつか君をここに連れて来ようと思っていたんだ」
僕の名前は、九字 高遠(くじ たかとお)。ジパングでも比較的僻地と言われる、K県T市に住む平凡な高校生だ。
そして、僕と向かい合わせに座っているこの人物は、真戸原 竹子(まどはら たけこ)さん。名前は古風だが、れっきとした妙齢の美女である。T市で帽子店を経営している、僕の知り合いだ。お店の営業のためなのか、女性なのに燕尾服にシルクハットという、ちょっと奇抜なファッションをトレードマークにしている。服装に加えてかなりの長身なので、その豊満なバストの膨らみが見えなければ、男性に間違える人もいるかも知れない。
それはさておき、僕は以前、竹子さんのお店をたまたま訪れたときに話しかけられて連絡先を交換し、それ以来たまに会ってお茶などを一緒にする間柄になっていた。その気になれば彼氏なんていつでも作れるだろうに、何故僕みたいな子供を相手にしているのか分からないが、竹子さんとの会話はいつも楽しく、誘われると大抵応じていた。
ただ、この日ばかりはいつもと事情が違っていた。当たり障りのない会話が一通り終わった後、竹子さんは「さて……」と神妙な面持ちになった。
「N町が親魔物領宣言をしたのは知っているか?」
「あ、はい。ニュースで見ました」
「そうか。なら話は早い。実は魔物が、次にこのT市を狙っているという情報があるんだ」
N町というのは、T市と同じくK県に属する自治体で、T市とは境界を接している。
長い間、K県は全域が反魔物領であり、隣のS県が親魔物領と、棲み分けがなされていた。ところが、最近になって魔物達がK県への侵攻を始め、まずS県に接しているY市、続いてN町と、親魔物領になってしまったのである。
魔物は人間の敵であり、人間を好んで殺傷、捕食すると教えられている僕達一般市民にとって、自分が住む町の親魔物領化は恐怖でしかない。それが目前に迫っているのを認識して、僕は背筋が凍りそうになった。
「そのお話。本当ですか……?」
「確かな筋からの情報だ」
断言した竹子さんは、紅茶を一口飲むと、ティーカップを持ったまま、さらに続けた。
「魔物の脅威は、すぐそこまで迫ってきている。魔物に侵略されたN町の人々は今、命の危機に怯えながらひっそりと暮らすことを強いられているそうだ。今のままでは、魔物がジパング全域に広がるのは時間の問題だ。そうなったらジパングそのものが滅びてしまう。そうなる前に、誰かがどこかで食い止めないといけない。つまりはこのT市で魔物を撃退しなければいけないんだ」
「そ、そうですね」
僕は、竹子さんの言葉に賛同した。ジパング全域云々はともかくとして、T市はK県の県庁所在地であるK市にも接している。県庁所在地が人間と魔物の戦いの場になったら、勝っても負けても影響が大きいだろう。このT市を防波堤にするのがベストだ。
「分かってくれるかい? 魔物によってこのT市が飲み込まれることを思うと、私は不安で胸が破裂しそうになるんだ。このようにね」
そう言うと竹子さんは、ごく自然な手つきで僕の手を取り、自分の胸に押し当ててしまった。大きな肉の感触を掌に感じて、僕は思わず手を引っ込めようとしたが、竹子さんの力は意外に強く、解放してくれない。
「や、やめてください。他のお客さんが……」
「何? 人目がなければいいのかな? つまりは2人きりの場所で、じっくり私の胸の鼓動を確かめたいと……」
「そ、そうじゃなくて、触らなくても竹子さんの不安は分かりましたから……」
「それなら、直に触れることで一層私の不安を感じ取ってほしいんだ。それとも、私の胸に触れることができない合理的な理由でもあるのかな?」
「も、もう勘弁してください……」
多分、僕の顔は真っ赤になっていたと思う。竹子さんは綺麗な女性なのだが、ときどきこんな風に、強引な体の接触をしてくるのが気恥ずかしかった。
大分経ってから、ようやく竹子さんは僕の手を放してくれた。案の定、見ていた人がいたらしく、「末永く、お幸せに……」なんて冷やかす声が聞こえてきたので、また顔面に血液が集中してしまう。
「そ、それで一体どうしたらいいんでしょうか……?」
姿勢を直した僕は、紅茶を一口飲んでから、誤魔化すように竹子さんに問いかけた。
竹子さんが答えて言う。
「魔物相手に話し合いは通用しない。有志を集めて実力で阻むしかない。高遠くんにもその手伝いをしてほしいんだ」
「うーん」
僕は考え込んだ。悩む理由があったからだ。
これまでK県側としても、無抵抗でY市、N町を魔物に明け渡してきたわけではない、抵抗はしてきたのだ。それでも勝てなかった。
敗れたのは一般人だけではない。K県の名だたる武道家、格闘家までもが魔物を相手に一敗地に塗れている。
例えば柔道、空手の名手にして、Y市最強の武道家として県外まで名の通っていた海浦仙理(みうら せんり)は、反魔物活動のリーダー候補として期待を集めていた。しかし、あるとき親魔物領のS県に入ったきり、消息が掴めなくなった。噂では、S県の山中に巣食う魔物の龍を退治するために赴き、敗北して喰い殺されたとも言うが、詳細は分からない。ともかく彼が行方不明になった後、間もなくY市は魔物に飲み込まれた。
怪力無尽の名をほしいままにしていたN町の駒川 湊(こまがわ みなと)は、町の男達を100人近くも武装させて率い、侵入してくる魔物を撃退しようとした。だが、町の境界で魔物を迎え撃ったはずの彼らは忽然とかき消すように行方不明になり、全員が生死すら判然としない。
「……これまでに魔物を迎え撃った人達がみんな失敗していますよね。どうやって魔物と戦えばいいのか分かりません。せめて、実際に魔物と戦った駒川さんにお話を聞ければいいんですけど」
「駒川湊は、人としての最期を迎えたよ」
「えっ……?」
「私の得た情報によると、彼はクノイチに暗殺された上、デーモンに地獄まで引きずり下ろされたそうだ」
「そんな……」
僕は愕然とした。駒川さんがそこまで簡単に負けたのであれば、合気道や柔術を少々かじっているだけの僕が太刀打ちできるはずがない。僕自身がT市を守るために戦うのは望むところだが、100%勝つ見込みがないのでは他の人が集まらないだろう。
「心配することはない。手はある」
と、そんな僕の心境を感じ取ったのか、竹子さんが声を低くしてささやいた。
「手ってなんですか?」
「大きな声では言えない。ちょっと失礼するよ」
そう言うと竹子さんは、席を立ち、小柄な僕にのしかかるように隣に腰を下ろした。香水だろうか。いい匂いがして、同時に竹子さんの体温まで感じられる。
「な、なんですか……?」
「いいから、耳を貸したまえ」
「はい……」
僕が頭を傾けると、竹子さんは小声で話し始めた。
「そもそも、海浦仙理や駒川湊が魔物に敗北したのは、それなりの理由があるんだ」
「うっ……」
竹子さんが一言しゃべるたびに、吐息が僕の耳をかすめた。それに気が付いたら体が密着して、バストが僕の肩に接している。恥ずかしいが、重要なことらしいので我慢して話に集中した。
「理由って……?」。
「彼らは、魔物の生態を知らずに戦いを挑んでいった。つまり、魔物の弱点をろくに調べもせずに、己の力を過信して突っ込んでいったんだ。敗れて当然だろう?」
言い終わったとき、故意か偶然か、竹子さんの唇が僕の耳に触れた。
「ひっ……」
「動くな! 話ができないじゃないか」
「す、すみません。それで、魔物に弱点なんてあるんですか……?」
「ある。私は詳しくは知らないんだが、その道の権威がいる」
「そ、その人にお話を聞ければ、魔物に勝てる……?」
一筋の光明が見えたような気がして、僕は竹子さんの方を見ようとした。顔と顔がほとんど密着状態のため、危うく唇同士でキスしそうになったが、寸前で免れた。
「あ、ごめんなさ……」
「ふん。惜しいな」
「そ、それでその権威の人に会うにはどうしたら……?」
すがるような目で僕が竹子さんを見つめると、竹子さんは言った。
「私に任せておきたまえ。伝手をたどって、必ずや彼女を君に紹介しよう」
「女の人、なんですか……?」
「ああ、女性だ。私がその人にコンタクトを取っている間に、君は人を集めてほしい」
「……魔物を迎え撃つ人員、ですね」
「そうだ。多ければ多いほどいい。それとなるべくなら、独身の男性がいい。女性と交際経験のない童貞なら理想的だ」
「え? どうしてですか?」
魔物と戦うのに、童貞も経験者も関係ないだろう。不審に思った僕は、竹子さんに尋ねてみた。
「どうしてって……それは、その……万一のことがあったとき……」
珍しく言い淀む竹子さん。僕は竹子さんに全部続けさせることなく、言った。
「すみません。気が付かなくて……いくら魔物の弱点を教わっても、危険であることには変わりない。何かあったとき、恋人や奥さんがいたら悲しませちゃいますよね」
「高遠くん……」
僕みたいな独り身の男なら、何かあっても悲しむ人は少なくて済む。そういうことだろう。
「僕、人を集めます。竹子さんはその権威の先生を連れて来てください」
………………………………
その後何日か、僕は魔物からT市を守る人員集めに奔走した。奔走と言ってもたかが高校生のやることである。学校の友達と、通っている道場の人に声をかけるぐらいが精一杯だったが。
それでも、魔物が自分達の町に攻めてくるという恐怖感は、かなりの人が共有していた。僕が声をかけた人が、さらに自分の知り合いに声をかけるという連鎖反応の結果、魔物に勝つ方法があるなら話を聞きたい、というレベルではあるが、二十数人の名前を集めることができたのである。
「第一段階は、こんなところかな……」
自宅のベッドに寝そべって名簿を見ながら、僕は満足していた。全員が全員、魔物と戦う決意を固めているわけではないが、竹子さんが連れてくる権威の先生の話次第では、T市防衛に参加してくれるだろう。
そう思ったとき、竹子さんから電話がかかってきた。
『私だ。例の先生が会ってくれるぞ。今からあの喫茶店に来てくれ』
「分かりました。すぐ行きます」
すでに時刻は夜だったが、事は一刻も早い方がいい。僕は自転車に飛び乗り、あの喫茶店を目指した。
お店に着くと、竹子さんと、もう1人別の女性が奥の方の座席に座っていた。他にお客はいない。僕は2人に近づき、挨拶をした。
「済みません。遅くなりました。九字です」
「ふふっ。遅いことはないよ。こちらが例の先生だ」
「あ、高遠くんですね。初めまして」
竹子さんに紹介された女性は、一度席を立った。銀色の長い髪をした、竹子さんと同年代くらいの女性だった。スーツを着て、知的そうな眼鏡という風貌。胸の膨らみは……竹子さんと同じかそれ以上に自己主張をしている。
女性は、じっと僕を見つめたかと思うと、優雅に頭を下げた。
「白澤 静(しらさわ しずか)と申します。どうぞよろしく」
16/06/27 22:25更新 / 水仙鳥
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