魔物討伐隊、始動！ 〜Human Side〜
「す、すみません……」
ボーイさん達に床を拭いてもらっている間にも、親父と記者達の質疑応答は続いていた。
『昌道さんが、討伐隊の隊長になってＫ県から魔物を追い払うというわけですね？』
『そうでございます！ 言うまでもありませんが、自分の息子だからという理由で昌道を隊長に選んだのではありません。Ｋ県内で最も隊長にふさわしい人材を探した結果が、たまたまそうなっただけのことでございます』
『失礼ですが、昌道さんには魔物と戦う力があるのでしょうか？』
『昌道は米の国に留学中、地下格闘技のチャンピオンになっております。魔物も軽くひねるでしょう』
チャンピオンをやっていたのは事実だが、“地下格闘技”の“地下”って“マイナー”って意味だぞ親父よ。
大体、素手の格闘技で魔物をどうにかできるはずがない、魔物がそんな簡単な相手なら、駒川さんや九字君がああも易々とは負けていないだろう。
『昌道さんにお話を伺いたいと思いますが、昌道さんは今どちらに？』
『昌道は今ここにはおりません。討伐隊の人員確保のためにＫ県武道連盟、およびＫ県主神教会と接触しております。近いうちに本人から会見があるでしょう』
「！？」
勝永や時定と会ってるって、何で親父が知ってるんだよ！？ 背中に汗がにじんだ。感じる２人の視線が痛い。
食事が終わり、ボーイさん達が退出すると、勝永が俺の肩に、ガッ、と手をかけてきた。
「昌道ぃ……」
「はい……」
「他人の討ち入りは止めておいて、自分は親の七光りで討伐隊の隊長様か？ いい身分だなオイ」
俺は慌てて弁解した。
「違う違う！ あれは親父が勝手に言ってるだけ！！ 俺は何も聞いてないから！！」
「そうか？ 親父さん、昌道が俺達と会ってるのを知ってたみたいだが……」
「それはなんでか分からないけど……とにかくさっきも言った通り、今の段階でこっちからＴ市やＮ町に打って出るつもりはないから。今夜にでも親父を説得して、討伐隊はやめてもらう」
「いや、しかし……」
時定が口を挟んだ。
「親父さんが本当に昌道の知らないところで討伐隊の件を進めてたんだったら、今更説得しても聞く耳持たないんじゃないかな……？ 隊長になるのだけは断れるかも知れないが……」
「それは何とも言えないけど……とにかく２人とも、まだ討伐隊には応募しないでくれ。武道連盟や主神教会の人達も、なるべく応募させないでほしい」
「分かった……Ｋ県主神教会は討伐隊への参加を検討中ということで様子を見よう。それでいいよな？」
「ああ……勝永も頼む」
「……いいだろう。Ｋ県武道連盟もとりあえず言う通りにしてやる。だが昌道、もし討伐隊の隊長になるんだったら、必ず俺達も招集しろよ。抜け駆けをしたら……斬る！」
「はいぃ……」
…………………………………………………………………………………………………………
「何考えてるんですかッ！！！」
午後、市役所に戻り、報告のために市長室に向かうと稲生さんが待ち構えていた。そして大喝一声。
「い、稲生さん、廊下で大声は……」
「これが大声を出さずにいられますか！ 私言いましたよね？ Ｔ市に行っちゃ駄目だって。増して討伐隊なんか連れて行ったら、１００パーセント魔物に食べられちゃいますよ！」
「違うんだ。聞いてくれ……」
弁解しようとしたところで、市長室から市長が顔を出した。
「昌道坊ちゃま、今お戻りに？」
「ええ……」
そのまま俺達は市長室に移動した。そして、勝永や時定にしたのと同じ説明をもう一度２人に繰り返す。
「ふーん。つまり、お父様が勝手に決めただけで、昌道さんは何も聞いていないんですね？」
「そ、そうだよ」
「市長、県知事とは言え市の助役を勝手に何かに任命する権限はありませんよね？」
「え？ ああ……法的にはそうだが……」
「良かった。それなら今ここでお断りの電話をしましょう」
そう言うと、稲生さんは市長の席にある電話を勝手に取って番号をプッシュした。
「あ、もしもし。県庁ですか？ こちらＫ市役所です。市長が魔物討伐隊隊長の件で県知事にガツンと物申したいと……」
「「わああ！！」」
俺は慌てて稲生さんから受話器を取り上げ、「失礼しました。何でもありません！」と言って電話を切った。
「昌道さん、何をするんですか！？」
「まあまあ稲生さん、落ち着いて……」
稲生さんを宥める俺。市長が親父の意向に逆らえるわけがないのだ。それができるなら、そもそも俺が助役になってないし。
俺は２人に言った。
「討伐隊の隊長を引き受けるつもりはありません。とは言え、隊長を他の人に代えてもらうだけじゃ意味がない。討伐隊自体を取りやめにしてもらわないと。今夜親父、いや県知事と話してみます」
「よしよし。それでいいんですよ。昌道さんは魔物と人間さん達の決着が付くまで、ここで大人しーく待っていましょうねえ」
俺の頭をナデナデする稲生さん。何故か、あまり嫌な気持ちはしなかった。とは言っても、彼女の言う通りに大人しく魔物の侵攻を待っているわけには行かないのだが……
…………………………………………………………………………………………………………
その夜、俺は郡堂の本家に出向き、居間で親父とサシで向かい合った。
「来ると思っていたぞ、昌道。魔物討伐隊の話だな？」
「ああ……よくも俺に無断で勝手に話を進めてくれたな。おかげで友達からの信用が微妙に失われたぞ。いや、そんなことはもういい。親父、魔物っていうのはそんな簡単な相手じゃねえんだ」
俺はＮ町やＴ市の防衛戦の顛末について、分かっている限りのことを話して親父に警戒を促す。
「……というように、Ｋ県で一流どころの喧嘩師や武術家が魔物にやられてる。生存者が１人もいないぐらい完膚なきまでにな。Ｔ市のときに至っては、防衛隊の待ち構えてる場所が魔物に漏れていたらしい。悔しいが、あいつらは情報収集の腕前も上々だ。百歩譲って人数を集めるのはいい。でもこちらから攻め込むのは時期尚早だ」
親父はしばらく俺の話を黙って聞いていたが、やがて言った。
「昌道、臆したか？」
「何？」
「魔物と戦うのが怖くなったのか、と聞いているのだ」
俺は額に手をやり、苦笑した。
「ははっ……勇気と無謀は違うって俺に教えたのは、親父じゃなかったっけ？」
「Ｎ町やＴ市で起きたことは、わしも聞いておる。お前の言う駒川湊や九字高遠とやらは確かに多少強かったのかも知れん。だが、所詮は百や二百の数を集めただけだ。そんな小勢ではどうにもなるまい」
「何だと……」
俺は少々苛立ちを覚えた。郷土を守るために必死の思いで立ち上がった九字君達が、揶揄されたような気がしたからだ。
「……それで、五千なら勝てるって言うのかよ？」
「ただの五千ではない。Ｋ県の全面的な支援を受ける五千だ。Ｎ町やＴ市の防衛隊とは根本的に違う。魔物など、その姿を見ただけで逃げ出すに違いないわ！ ハッハッハ……」
「どうして……」
どうしてそこまで、魔物を軽視できるのか。俺には理解することができなかった。
「……本当に五千で十分かなんて、分かるわけないだろ。魔物が三万とかいたらどうするんだ？」
「……なぜ、魔物が三万だと？」
親父がほんのわずか、体をのけ反らせた。かすかに動揺しているように見えるのは、俺の気のせいだろうか。
「いや、適当に言っただけだけど……」
「そ、そうか……」
親父は姿勢を戻して言った。
「ともかく、マスコミを通して既に発表したし、今日の午後、反魔物条例は県議会を通過した。お前が隊長になろうがなるまいが、討伐隊を編成して親魔物領宣言をした自治体に攻め込む予定は変わらん」
「どうしても、中止にはできないのか？」
「ああ、どうしてもだ。今わしらがこうしている間にも、Ｙ市、Ｎ町やＴ市など、魔物に侵略された地域の人々は死の恐怖に怯えておる。一刻も早くわしらの手で解放せねば」
よく言うよ、と俺は思った。Ｙ市やＮ町が陥落したときには何のアクションも起こさなかった癖に。大方、Ｔ市が落ちて次は自分の住むＫ市だから尻に火が着いた、といったところか。
しかし困った。このまま俺が席を蹴って立てば、討伐隊の隊長にはならなくて済む。
だが、その代わりに別の誰かが隊長になる。そして何の対策も立てないままＴ市に攻め込み、全滅する可能性は高い。それは避けなくては。
「待てよ……」
ふと気が付いた。俺が隊長になれば、少しは時間を稼げる。
募集をおざなりにして人数が集まるのを遅らせられるかも知れないし、人数が集まった後も訓練やら何やらで出撃を先延ばしにできる。あんまり引き延ばしたら解任されるだろうが、そうすぐではないはずだ。そして、それまでの間に魔物と戦う方法を突き止められるかも知れない。
「……俺が隊長になるかならないか、いつまでに決めたらいい？」
「今ここで腹を決めろ、昌道」
「分かった。俺がやろう」
「Ｋ県からの魔物一掃はもう一刻の猶予もないのだ。いつまでもお前を悩ませておける余裕は……ん？ 今何と言った？」
「聞こえなかったのか？ 俺がやると言った」
「本当にやるんだな？ もう後戻りはできんぞ？」
「ああ……」
「良かったあ〜〜これで次の選挙も……」
何故か、急に胸を撫で下ろす親父。
「おいどうした？ 大丈夫か？」
「ゴホン！ いや、何でもない。大丈夫だ。期待しておるぞ、昌道」
「おう。じゃあ、俺帰るわ。いろいろ準備も必要だし」
「待て。今日はここに泊まったらどうだ？ 明日はわしと一緒に県庁で打ち合わせをしよう。市長にはわしから言っておく」
「そういうわけには行かないよ。明日も助役の仕事があるし、今から人員集めに動きたい。知ってたよな？ 俺がＫ県武道連盟やＫ県主神教会に接触してたって」
「そ、そうか……」
俺は立ち上がり、居間を出るためにドアに向かった。だが途中でふと思った。どうせ攻め込まないとは言え、集める人数は少なくして巻き込まれる者を減らした方がいいのではないかと。立ち止まって言う。
「……別に、討伐隊は五千人でなくてもいいよな？ もっと少数精鋭と言うか人数を絞った方が……」
「それはいかんッ！！」
「？？」
突然親父が大声を出したので、俺は驚いて振り返った。
「どうした？」
「あの……その……あれだ。直接戦う者以外にも人員は必要だろう？ ええと何だっけ、軍隊で荷物運びとかする……」
「輜重（しちょう）隊か？」
「そう、それだ。そのシチョウで人数がいるだろう？」
「おいおい親父……Ｋ市中心街とＴ市中心街は直線距離で２０キロしか離れてないんだぞ？ 一週間も二週間も敵地に留まるような戦いになるわけがねえ。輜重隊はいらないよ」
「うっ、しかし……それでは選挙が……と、ともかく、県議会の予算は五千人で通しているのだ。討伐隊は五千人だ。分かったな？」
「ああ……」
何か不自然な気もしたが、俺はあえて親父を追及しなかった。まあいい。募集だけしておいて、戦力になるもの以外は土壇場になって置いて行く、という手もある。
アパートに戻った俺は、『討伐隊の隊長を引き受けたから準備頼む』と、勝永と時定にメールした。すぐに返信が来る。
時定からは、『了解。今から動員をかける』と短い返事。
勝永からは、魔物との戦いに向けてＫ県武道連盟の士気がいかに高いかを記した、べらぼうに長文の返事が来た。
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翌朝、市役所に出勤した俺は市長室に入り、魔物討伐隊の隊長を引き受けることを市長に報告した。
「そうですか坊ちゃま……隊長をお引き受けに……」
「はい、ご迷惑をおかけします」
「とんでもありません。Ｋ市役所職員一同、全力でお助けする所存です。しかしよろしいのですか？ 坊ちゃまのお考えでは、こちらから攻めるのは時期尚早だと……」
「……これは親父には内緒ですが、討伐隊を動かす気はありません。解任されるギリギリまで、先延ばしにします。その間に魔物と戦う方法が分かればいいんですが……」
「分かりました……私は何も聞いておりません。知事には黙っておきましょう」
「ありがとうございます、市長」
市長室を出ようとすると、市長に呼び止められた。
「あ、坊ちゃま……」
「えっ？」
「これをお持ちください」
「？？」
市長が差し出して来たのは、有名外食チェーン店の無料食事券だった。２枚あって、どちらも稲荷寿司ときつねうどんのセットだ。
「これは……？」
「もしかすると、稲生さんが坊ちゃまの出陣にいい顔をしないかも知れません」
「確かに……」
「そのときは、このチケットを使うとよいそうです」
「このチケットで……？」
不思議に思った。言っては何だが、それほど高級な食事が食べられる券ではない。これであの稲生さんを丸め込めるとは思いにくいが……
ともあれ、有り難く受け取っておく。そして市長室を出た俺が隣の助役室に戻ろうとすると、いきなり柔らかいものにぶつかった。
「うわっ、すいませ……稲生さん？」
稲生さんだった。市長室のドアの、すぐ横で待っていたようだ。表情が無い。彼女は何も言わずに俺の手を握ると、いきなり引っ張ってきた。
「…………」
「え……ちょっと！」
「いいから」
稲生さんは、普段あまり使われない倉庫に俺を連れ込むと、ドアを閉めてガチャリと内側から鍵をかけた。そして俺を壁に押し付け、俺の頭を挟むようにドンドンと両手を壁に突く。ダブル壁ドンだ。
「い、稲生さん？」
「昌道さん……」
「はい……」
「約束、破りましたね？ 隊長のお話は断るって言っていたのに……」
「そ、それは……しょうがないんだ。親父の暴走を少しでも止めるにはこうするしか……」
「そんなの関係ありません。約束を守れない悪い子には、お仕置きが必要ですね……」
稲生さんの顔が迫ってくる。薄暗い倉庫の中では、普段以上に、ぞっとするほど美しく思えた。至近距離で彼女の瞳を見つめると、吸い込まれそうな気がして体が動かなくなった。
「ああ……」
「昌道さんがいけないのですよ。この私がいるのに、他の魔物との出会いなんか求めるから……」
「な、何を言って……」
むにゅり
彼女の大き過ぎる乳房が、俺の身体に当たってひしゃげる。
蕾のような唇が、俺の口元から数センチの距離に迫り、吐息がかかった。
何か危険なものを感じる。だがやっぱり動けない。呼吸も苦しくなってきた。
「ま、待って……」
「もう十分に待ちました……これ以上待つ必要もありません」
「うう……」
“喰われる”という表現が頭に浮かんだ。肉食の獣に追い込まれた小動物のような気分。
本当に喰われるわけがないと頭では思うのだが、体が怯えている。
「いただきます……」
稲生さんがうっすらと目を閉じる。これまでか……
そのときである。俺は、市長にもらったチケットのことを思い出した。ポケットにしまう余裕がなかったので、まだ俺の左手の中にあった。
残った意識を集中させ、必死に左手を動かすと、どうにかチケットを顔の高さにまで持ち上げることができた。それに気付いたのだろう。稲生さんの目が開いた。
「それは……？」
「これ、稲生さんに……」
稲生さんはチケットをしげしげと見て、言った。
「これを、私と……？」
「え……？ ああ……」
「コンコン！！」
突然稲生さんが大きな声を上げたので、俺はびくりとした。
「いっ、稲生さん……？」
「嬉しい……昌道さんが私のことをそこまで想っていてくれてたなんて……それじゃ、今から行きましょう！」
「いや、朝飯食べたばっかりだし、今すぐは……」
「それじゃお昼、お昼に行きましょう！」
「わ、分かった……」
「コンコォーン！！」
また大きな声を出す稲生さん。俺の目の錯覚だろうか。彼女の頭の左右の髪が、一瞬三角形に跳ね上がったように見えた。
だが、俺にはもう二度見する気力もなかった。背中が壁を擦ってずるずると滑り落ち、床に座り込んでしまう。
「…………」
稲生さんは体をかがめ、しなやかな指で俺の手からチケットを抜き取ると、こう言った。
「めでたく契りを交わすからには、多少のおイタには目をつぶってあげます。私、とっても心が広いんですよ。でも、だからと言って裏切ったら、どうなるか分かりますね……？」
「あ……あ……」
やっぱり、彼女が何を言っているのかはさっぱり分からない。ただ、当座の危機は免れたような気がした。
「では、お昼に……」
稲生さんがくるりと向きを変えて、出口に向かったような気がした。彼女のお尻の辺りに、何やらフサフサしたものがいくつも揺れ動く幻覚が見えたのを最後に、俺は意識を失った。
…………………………………………………………………………………………………………
「…………」
意識が戻ると、俺は１人で倉庫の床に倒れていた。部屋の中を見渡すが、稲生さんの姿はどこにもない。
寝ていたのだろうか。俺は狐につままれたような気持で上体を起こした。汗をびっしょりかいていて、ワイシャツが体に貼り付いている。
「さっきのは、夢……？」
いや、夢ではなさそうだった。市長からもらったチケットはなくなっていて、床のどこにも落ちていない。やっぱり稲生さんが持って行ったのだ。
また稲生さんに会うのが、少し怖いと思った。
「おっといけない。こんなことをしてる場合じゃない……」
忘れていた。俺は魔物討伐隊の隊長を引き受けたのだ。やることをやらないと。
俺は壁で体を支えて立ち上がると、倉庫を出た。
…………………………………………………………………………………………………………
「いいかみんな。五千人という数が集まって、組織として機能し始めるには時間がかかる。いや、俺がなんとかして時間を稼ぐ。だからその間に、魔物の情報を集めて戦い方を探るんだ！」
「「「はい！ 昌道さん！」」」
目覚めてから３０分後、俺は市役所の会議室を借り切り、選抜した職員をそこに集めていた。部屋の中には夥しい数のパソコンや電話、資料が運び込まれている。
「ここにある機材を使ってネットの情報を探るのはもちろん、必要とあればジパングでも外国でも出張して構わん。存分に情報収集を行え！」
「「「はい！ 昌道さん！」」」
１人の職員が手を挙げた。
「あの……」
「おう、何でも聞け」
「我々は、魔物討伐隊に応募しなくていいんでしょうか？」
「必要ない。俺は確かに隊長を引き受けたが、今は防御に徹するという方針を変えたわけじゃない。みんなには、親父の目の届かないところから俺をサポートしてほしい」
「「「分かりました！」」」
「よし、とりあえずお茶にしよう。先は長いからな」
そのときである。窓の外から、何やらテンポのよい音楽が聞こえてきた。どうも外で誰かが演奏しているらしい。
１人の職員が何気なく立ち上がって外を見たかと思うと、「ああっ！」と声を上げた。
「どうした？」
「外、外を見てください！」
「何だと……のわっ！！」
俺も仰天した。
見ると目の前の通りに、ド派手なパレードが差し掛かるところだった。色鮮やかで露出の多い衣装を着た女性達が何百人も、踊りながら笑顔とチラシを振り撒いている。女性達はみな、見た目のレベルがとてつもなく高かった。俺の身の回りで対抗できるのは……稲生さんぐらいだろうか。
そして、彼女達が掲げているプラカードや旗には、やたらポップな字体でこんな文字が躍っていた。
“Ｋ県魔物討伐隊、隊員募集中！！”
“来たれ勇者よ！ Ｋ県は君を待っている！！”
“Ｋ県を救うヒーローは君だ！！”
“魔物にＮＯ！！”
「ま、昌道さん、あそこにも……」
別の職員が空を指差している。そちらに視線を向けると巨大な飛行船が飛んでいた。その胴体にはやはり、魔物討伐隊の広告がデカデカと表示されている。しかも一機ではない。視界に入るだけで三機いた。
「親父のやつ、一体どうやってこれだけの宣伝費を……」
俺は唸った。県だから当然市よりは予算があるわけだが、それでもＫ県に無駄金はそうそうないはずだった。ここ最近、Ｋ県の経済は縮小傾向にあるのだ。
「あ！ あ！ 昌道さん、あれ見てください！！」
「え……な、何いっ！！」
美女揃いのパレードの周りには、当然のように多数の男性が集まっていた。ところがよく見ると、パレードしている女性がそれらの男性にクリップボードを渡して何かを書かせている。間違いない。討伐隊の応募用紙に記入させているのだ。パレードの後ろにはワンボックスの車が何台も随伴していて、クリップボードに記入した男性を次々に乗せている。
「ま、まずい……」
このままでは、何日もしないうちに五千人なんて突破してしまう。時間がない。
「い、急げーっ！ 俺もやるぞ！！」
俺は慌てて席に座り、パソコンを操作し始めた。職員達もわらわらと着席する。
そのとき、市長が会議室に入ってきた。
「ま、昌道坊ちゃま……」
「あ、市長、外を見ましたか？ 時間がありません。急いで魔物の情報を集めないと」
「坊ちゃまに、お客様です……」
「え……？」
「失礼するわね」
市長を押しのけるように、スーツ姿の女性が何人も入ってきた。俺は驚いて制止する。
「何ですかあなた方は！？ ここは関係者以外立ち入り禁止……く、蔵江（くらえ）さん？」
先頭の女性を、俺は知っていた。蔵江エリスさん。１年程前から親父の秘書をしている女性である。ハーフなのかクオーターなのか分からないが、ジパング人離れした褐色の肌だ。
「一体に何でここに……？」
「昌道君、迎えに来たわよ」
「迎えに？」
「県庁に魔物討伐隊の本部を作ったのよ。昌道君は今からこっちに常駐してちょうだい」
「え……？」
ボーイさん達に床を拭いてもらっている間にも、親父と記者達の質疑応答は続いていた。
『昌道さんが、討伐隊の隊長になってＫ県から魔物を追い払うというわけですね？』
『そうでございます！ 言うまでもありませんが、自分の息子だからという理由で昌道を隊長に選んだのではありません。Ｋ県内で最も隊長にふさわしい人材を探した結果が、たまたまそうなっただけのことでございます』
『失礼ですが、昌道さんには魔物と戦う力があるのでしょうか？』
『昌道は米の国に留学中、地下格闘技のチャンピオンになっております。魔物も軽くひねるでしょう』
チャンピオンをやっていたのは事実だが、“地下格闘技”の“地下”って“マイナー”って意味だぞ親父よ。
大体、素手の格闘技で魔物をどうにかできるはずがない、魔物がそんな簡単な相手なら、駒川さんや九字君がああも易々とは負けていないだろう。
『昌道さんにお話を伺いたいと思いますが、昌道さんは今どちらに？』
『昌道は今ここにはおりません。討伐隊の人員確保のためにＫ県武道連盟、およびＫ県主神教会と接触しております。近いうちに本人から会見があるでしょう』
「！？」
勝永や時定と会ってるって、何で親父が知ってるんだよ！？ 背中に汗がにじんだ。感じる２人の視線が痛い。
食事が終わり、ボーイさん達が退出すると、勝永が俺の肩に、ガッ、と手をかけてきた。
「昌道ぃ……」
「はい……」
「他人の討ち入りは止めておいて、自分は親の七光りで討伐隊の隊長様か？ いい身分だなオイ」
俺は慌てて弁解した。
「違う違う！ あれは親父が勝手に言ってるだけ！！ 俺は何も聞いてないから！！」
「そうか？ 親父さん、昌道が俺達と会ってるのを知ってたみたいだが……」
「それはなんでか分からないけど……とにかくさっきも言った通り、今の段階でこっちからＴ市やＮ町に打って出るつもりはないから。今夜にでも親父を説得して、討伐隊はやめてもらう」
「いや、しかし……」
時定が口を挟んだ。
「親父さんが本当に昌道の知らないところで討伐隊の件を進めてたんだったら、今更説得しても聞く耳持たないんじゃないかな……？ 隊長になるのだけは断れるかも知れないが……」
「それは何とも言えないけど……とにかく２人とも、まだ討伐隊には応募しないでくれ。武道連盟や主神教会の人達も、なるべく応募させないでほしい」
「分かった……Ｋ県主神教会は討伐隊への参加を検討中ということで様子を見よう。それでいいよな？」
「ああ……勝永も頼む」
「……いいだろう。Ｋ県武道連盟もとりあえず言う通りにしてやる。だが昌道、もし討伐隊の隊長になるんだったら、必ず俺達も招集しろよ。抜け駆けをしたら……斬る！」
「はいぃ……」
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「何考えてるんですかッ！！！」
午後、市役所に戻り、報告のために市長室に向かうと稲生さんが待ち構えていた。そして大喝一声。
「い、稲生さん、廊下で大声は……」
「これが大声を出さずにいられますか！ 私言いましたよね？ Ｔ市に行っちゃ駄目だって。増して討伐隊なんか連れて行ったら、１００パーセント魔物に食べられちゃいますよ！」
「違うんだ。聞いてくれ……」
弁解しようとしたところで、市長室から市長が顔を出した。
「昌道坊ちゃま、今お戻りに？」
「ええ……」
そのまま俺達は市長室に移動した。そして、勝永や時定にしたのと同じ説明をもう一度２人に繰り返す。
「ふーん。つまり、お父様が勝手に決めただけで、昌道さんは何も聞いていないんですね？」
「そ、そうだよ」
「市長、県知事とは言え市の助役を勝手に何かに任命する権限はありませんよね？」
「え？ ああ……法的にはそうだが……」
「良かった。それなら今ここでお断りの電話をしましょう」
そう言うと、稲生さんは市長の席にある電話を勝手に取って番号をプッシュした。
「あ、もしもし。県庁ですか？ こちらＫ市役所です。市長が魔物討伐隊隊長の件で県知事にガツンと物申したいと……」
「「わああ！！」」
俺は慌てて稲生さんから受話器を取り上げ、「失礼しました。何でもありません！」と言って電話を切った。
「昌道さん、何をするんですか！？」
「まあまあ稲生さん、落ち着いて……」
稲生さんを宥める俺。市長が親父の意向に逆らえるわけがないのだ。それができるなら、そもそも俺が助役になってないし。
俺は２人に言った。
「討伐隊の隊長を引き受けるつもりはありません。とは言え、隊長を他の人に代えてもらうだけじゃ意味がない。討伐隊自体を取りやめにしてもらわないと。今夜親父、いや県知事と話してみます」
「よしよし。それでいいんですよ。昌道さんは魔物と人間さん達の決着が付くまで、ここで大人しーく待っていましょうねえ」
俺の頭をナデナデする稲生さん。何故か、あまり嫌な気持ちはしなかった。とは言っても、彼女の言う通りに大人しく魔物の侵攻を待っているわけには行かないのだが……
…………………………………………………………………………………………………………
その夜、俺は郡堂の本家に出向き、居間で親父とサシで向かい合った。
「来ると思っていたぞ、昌道。魔物討伐隊の話だな？」
「ああ……よくも俺に無断で勝手に話を進めてくれたな。おかげで友達からの信用が微妙に失われたぞ。いや、そんなことはもういい。親父、魔物っていうのはそんな簡単な相手じゃねえんだ」
俺はＮ町やＴ市の防衛戦の顛末について、分かっている限りのことを話して親父に警戒を促す。
「……というように、Ｋ県で一流どころの喧嘩師や武術家が魔物にやられてる。生存者が１人もいないぐらい完膚なきまでにな。Ｔ市のときに至っては、防衛隊の待ち構えてる場所が魔物に漏れていたらしい。悔しいが、あいつらは情報収集の腕前も上々だ。百歩譲って人数を集めるのはいい。でもこちらから攻め込むのは時期尚早だ」
親父はしばらく俺の話を黙って聞いていたが、やがて言った。
「昌道、臆したか？」
「何？」
「魔物と戦うのが怖くなったのか、と聞いているのだ」
俺は額に手をやり、苦笑した。
「ははっ……勇気と無謀は違うって俺に教えたのは、親父じゃなかったっけ？」
「Ｎ町やＴ市で起きたことは、わしも聞いておる。お前の言う駒川湊や九字高遠とやらは確かに多少強かったのかも知れん。だが、所詮は百や二百の数を集めただけだ。そんな小勢ではどうにもなるまい」
「何だと……」
俺は少々苛立ちを覚えた。郷土を守るために必死の思いで立ち上がった九字君達が、揶揄されたような気がしたからだ。
「……それで、五千なら勝てるって言うのかよ？」
「ただの五千ではない。Ｋ県の全面的な支援を受ける五千だ。Ｎ町やＴ市の防衛隊とは根本的に違う。魔物など、その姿を見ただけで逃げ出すに違いないわ！ ハッハッハ……」
「どうして……」
どうしてそこまで、魔物を軽視できるのか。俺には理解することができなかった。
「……本当に五千で十分かなんて、分かるわけないだろ。魔物が三万とかいたらどうするんだ？」
「……なぜ、魔物が三万だと？」
親父がほんのわずか、体をのけ反らせた。かすかに動揺しているように見えるのは、俺の気のせいだろうか。
「いや、適当に言っただけだけど……」
「そ、そうか……」
親父は姿勢を戻して言った。
「ともかく、マスコミを通して既に発表したし、今日の午後、反魔物条例は県議会を通過した。お前が隊長になろうがなるまいが、討伐隊を編成して親魔物領宣言をした自治体に攻め込む予定は変わらん」
「どうしても、中止にはできないのか？」
「ああ、どうしてもだ。今わしらがこうしている間にも、Ｙ市、Ｎ町やＴ市など、魔物に侵略された地域の人々は死の恐怖に怯えておる。一刻も早くわしらの手で解放せねば」
よく言うよ、と俺は思った。Ｙ市やＮ町が陥落したときには何のアクションも起こさなかった癖に。大方、Ｔ市が落ちて次は自分の住むＫ市だから尻に火が着いた、といったところか。
しかし困った。このまま俺が席を蹴って立てば、討伐隊の隊長にはならなくて済む。
だが、その代わりに別の誰かが隊長になる。そして何の対策も立てないままＴ市に攻め込み、全滅する可能性は高い。それは避けなくては。
「待てよ……」
ふと気が付いた。俺が隊長になれば、少しは時間を稼げる。
募集をおざなりにして人数が集まるのを遅らせられるかも知れないし、人数が集まった後も訓練やら何やらで出撃を先延ばしにできる。あんまり引き延ばしたら解任されるだろうが、そうすぐではないはずだ。そして、それまでの間に魔物と戦う方法を突き止められるかも知れない。
「……俺が隊長になるかならないか、いつまでに決めたらいい？」
「今ここで腹を決めろ、昌道」
「分かった。俺がやろう」
「Ｋ県からの魔物一掃はもう一刻の猶予もないのだ。いつまでもお前を悩ませておける余裕は……ん？ 今何と言った？」
「聞こえなかったのか？ 俺がやると言った」
「本当にやるんだな？ もう後戻りはできんぞ？」
「ああ……」
「良かったあ〜〜これで次の選挙も……」
何故か、急に胸を撫で下ろす親父。
「おいどうした？ 大丈夫か？」
「ゴホン！ いや、何でもない。大丈夫だ。期待しておるぞ、昌道」
「おう。じゃあ、俺帰るわ。いろいろ準備も必要だし」
「待て。今日はここに泊まったらどうだ？ 明日はわしと一緒に県庁で打ち合わせをしよう。市長にはわしから言っておく」
「そういうわけには行かないよ。明日も助役の仕事があるし、今から人員集めに動きたい。知ってたよな？ 俺がＫ県武道連盟やＫ県主神教会に接触してたって」
「そ、そうか……」
俺は立ち上がり、居間を出るためにドアに向かった。だが途中でふと思った。どうせ攻め込まないとは言え、集める人数は少なくして巻き込まれる者を減らした方がいいのではないかと。立ち止まって言う。
「……別に、討伐隊は五千人でなくてもいいよな？ もっと少数精鋭と言うか人数を絞った方が……」
「それはいかんッ！！」
「？？」
突然親父が大声を出したので、俺は驚いて振り返った。
「どうした？」
「あの……その……あれだ。直接戦う者以外にも人員は必要だろう？ ええと何だっけ、軍隊で荷物運びとかする……」
「輜重（しちょう）隊か？」
「そう、それだ。そのシチョウで人数がいるだろう？」
「おいおい親父……Ｋ市中心街とＴ市中心街は直線距離で２０キロしか離れてないんだぞ？ 一週間も二週間も敵地に留まるような戦いになるわけがねえ。輜重隊はいらないよ」
「うっ、しかし……それでは選挙が……と、ともかく、県議会の予算は五千人で通しているのだ。討伐隊は五千人だ。分かったな？」
「ああ……」
何か不自然な気もしたが、俺はあえて親父を追及しなかった。まあいい。募集だけしておいて、戦力になるもの以外は土壇場になって置いて行く、という手もある。
アパートに戻った俺は、『討伐隊の隊長を引き受けたから準備頼む』と、勝永と時定にメールした。すぐに返信が来る。
時定からは、『了解。今から動員をかける』と短い返事。
勝永からは、魔物との戦いに向けてＫ県武道連盟の士気がいかに高いかを記した、べらぼうに長文の返事が来た。
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翌朝、市役所に出勤した俺は市長室に入り、魔物討伐隊の隊長を引き受けることを市長に報告した。
「そうですか坊ちゃま……隊長をお引き受けに……」
「はい、ご迷惑をおかけします」
「とんでもありません。Ｋ市役所職員一同、全力でお助けする所存です。しかしよろしいのですか？ 坊ちゃまのお考えでは、こちらから攻めるのは時期尚早だと……」
「……これは親父には内緒ですが、討伐隊を動かす気はありません。解任されるギリギリまで、先延ばしにします。その間に魔物と戦う方法が分かればいいんですが……」
「分かりました……私は何も聞いておりません。知事には黙っておきましょう」
「ありがとうございます、市長」
市長室を出ようとすると、市長に呼び止められた。
「あ、坊ちゃま……」
「えっ？」
「これをお持ちください」
「？？」
市長が差し出して来たのは、有名外食チェーン店の無料食事券だった。２枚あって、どちらも稲荷寿司ときつねうどんのセットだ。
「これは……？」
「もしかすると、稲生さんが坊ちゃまの出陣にいい顔をしないかも知れません」
「確かに……」
「そのときは、このチケットを使うとよいそうです」
「このチケットで……？」
不思議に思った。言っては何だが、それほど高級な食事が食べられる券ではない。これであの稲生さんを丸め込めるとは思いにくいが……
ともあれ、有り難く受け取っておく。そして市長室を出た俺が隣の助役室に戻ろうとすると、いきなり柔らかいものにぶつかった。
「うわっ、すいませ……稲生さん？」
稲生さんだった。市長室のドアの、すぐ横で待っていたようだ。表情が無い。彼女は何も言わずに俺の手を握ると、いきなり引っ張ってきた。
「…………」
「え……ちょっと！」
「いいから」
稲生さんは、普段あまり使われない倉庫に俺を連れ込むと、ドアを閉めてガチャリと内側から鍵をかけた。そして俺を壁に押し付け、俺の頭を挟むようにドンドンと両手を壁に突く。ダブル壁ドンだ。
「い、稲生さん？」
「昌道さん……」
「はい……」
「約束、破りましたね？ 隊長のお話は断るって言っていたのに……」
「そ、それは……しょうがないんだ。親父の暴走を少しでも止めるにはこうするしか……」
「そんなの関係ありません。約束を守れない悪い子には、お仕置きが必要ですね……」
稲生さんの顔が迫ってくる。薄暗い倉庫の中では、普段以上に、ぞっとするほど美しく思えた。至近距離で彼女の瞳を見つめると、吸い込まれそうな気がして体が動かなくなった。
「ああ……」
「昌道さんがいけないのですよ。この私がいるのに、他の魔物との出会いなんか求めるから……」
「な、何を言って……」
むにゅり
彼女の大き過ぎる乳房が、俺の身体に当たってひしゃげる。
蕾のような唇が、俺の口元から数センチの距離に迫り、吐息がかかった。
何か危険なものを感じる。だがやっぱり動けない。呼吸も苦しくなってきた。
「ま、待って……」
「もう十分に待ちました……これ以上待つ必要もありません」
「うう……」
“喰われる”という表現が頭に浮かんだ。肉食の獣に追い込まれた小動物のような気分。
本当に喰われるわけがないと頭では思うのだが、体が怯えている。
「いただきます……」
稲生さんがうっすらと目を閉じる。これまでか……
そのときである。俺は、市長にもらったチケットのことを思い出した。ポケットにしまう余裕がなかったので、まだ俺の左手の中にあった。
残った意識を集中させ、必死に左手を動かすと、どうにかチケットを顔の高さにまで持ち上げることができた。それに気付いたのだろう。稲生さんの目が開いた。
「それは……？」
「これ、稲生さんに……」
稲生さんはチケットをしげしげと見て、言った。
「これを、私と……？」
「え……？ ああ……」
「コンコン！！」
突然稲生さんが大きな声を上げたので、俺はびくりとした。
「いっ、稲生さん……？」
「嬉しい……昌道さんが私のことをそこまで想っていてくれてたなんて……それじゃ、今から行きましょう！」
「いや、朝飯食べたばっかりだし、今すぐは……」
「それじゃお昼、お昼に行きましょう！」
「わ、分かった……」
「コンコォーン！！」
また大きな声を出す稲生さん。俺の目の錯覚だろうか。彼女の頭の左右の髪が、一瞬三角形に跳ね上がったように見えた。
だが、俺にはもう二度見する気力もなかった。背中が壁を擦ってずるずると滑り落ち、床に座り込んでしまう。
「…………」
稲生さんは体をかがめ、しなやかな指で俺の手からチケットを抜き取ると、こう言った。
「めでたく契りを交わすからには、多少のおイタには目をつぶってあげます。私、とっても心が広いんですよ。でも、だからと言って裏切ったら、どうなるか分かりますね……？」
「あ……あ……」
やっぱり、彼女が何を言っているのかはさっぱり分からない。ただ、当座の危機は免れたような気がした。
「では、お昼に……」
稲生さんがくるりと向きを変えて、出口に向かったような気がした。彼女のお尻の辺りに、何やらフサフサしたものがいくつも揺れ動く幻覚が見えたのを最後に、俺は意識を失った。
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「…………」
意識が戻ると、俺は１人で倉庫の床に倒れていた。部屋の中を見渡すが、稲生さんの姿はどこにもない。
寝ていたのだろうか。俺は狐につままれたような気持で上体を起こした。汗をびっしょりかいていて、ワイシャツが体に貼り付いている。
「さっきのは、夢……？」
いや、夢ではなさそうだった。市長からもらったチケットはなくなっていて、床のどこにも落ちていない。やっぱり稲生さんが持って行ったのだ。
また稲生さんに会うのが、少し怖いと思った。
「おっといけない。こんなことをしてる場合じゃない……」
忘れていた。俺は魔物討伐隊の隊長を引き受けたのだ。やることをやらないと。
俺は壁で体を支えて立ち上がると、倉庫を出た。
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「いいかみんな。五千人という数が集まって、組織として機能し始めるには時間がかかる。いや、俺がなんとかして時間を稼ぐ。だからその間に、魔物の情報を集めて戦い方を探るんだ！」
「「「はい！ 昌道さん！」」」
目覚めてから３０分後、俺は市役所の会議室を借り切り、選抜した職員をそこに集めていた。部屋の中には夥しい数のパソコンや電話、資料が運び込まれている。
「ここにある機材を使ってネットの情報を探るのはもちろん、必要とあればジパングでも外国でも出張して構わん。存分に情報収集を行え！」
「「「はい！ 昌道さん！」」」
１人の職員が手を挙げた。
「あの……」
「おう、何でも聞け」
「我々は、魔物討伐隊に応募しなくていいんでしょうか？」
「必要ない。俺は確かに隊長を引き受けたが、今は防御に徹するという方針を変えたわけじゃない。みんなには、親父の目の届かないところから俺をサポートしてほしい」
「「「分かりました！」」」
「よし、とりあえずお茶にしよう。先は長いからな」
そのときである。窓の外から、何やらテンポのよい音楽が聞こえてきた。どうも外で誰かが演奏しているらしい。
１人の職員が何気なく立ち上がって外を見たかと思うと、「ああっ！」と声を上げた。
「どうした？」
「外、外を見てください！」
「何だと……のわっ！！」
俺も仰天した。
見ると目の前の通りに、ド派手なパレードが差し掛かるところだった。色鮮やかで露出の多い衣装を着た女性達が何百人も、踊りながら笑顔とチラシを振り撒いている。女性達はみな、見た目のレベルがとてつもなく高かった。俺の身の回りで対抗できるのは……稲生さんぐらいだろうか。
そして、彼女達が掲げているプラカードや旗には、やたらポップな字体でこんな文字が躍っていた。
“Ｋ県魔物討伐隊、隊員募集中！！”
“来たれ勇者よ！ Ｋ県は君を待っている！！”
“Ｋ県を救うヒーローは君だ！！”
“魔物にＮＯ！！”
「ま、昌道さん、あそこにも……」
別の職員が空を指差している。そちらに視線を向けると巨大な飛行船が飛んでいた。その胴体にはやはり、魔物討伐隊の広告がデカデカと表示されている。しかも一機ではない。視界に入るだけで三機いた。
「親父のやつ、一体どうやってこれだけの宣伝費を……」
俺は唸った。県だから当然市よりは予算があるわけだが、それでもＫ県に無駄金はそうそうないはずだった。ここ最近、Ｋ県の経済は縮小傾向にあるのだ。
「あ！ あ！ 昌道さん、あれ見てください！！」
「え……な、何いっ！！」
美女揃いのパレードの周りには、当然のように多数の男性が集まっていた。ところがよく見ると、パレードしている女性がそれらの男性にクリップボードを渡して何かを書かせている。間違いない。討伐隊の応募用紙に記入させているのだ。パレードの後ろにはワンボックスの車が何台も随伴していて、クリップボードに記入した男性を次々に乗せている。
「ま、まずい……」
このままでは、何日もしないうちに五千人なんて突破してしまう。時間がない。
「い、急げーっ！ 俺もやるぞ！！」
俺は慌てて席に座り、パソコンを操作し始めた。職員達もわらわらと着席する。
そのとき、市長が会議室に入ってきた。
「ま、昌道坊ちゃま……」
「あ、市長、外を見ましたか？ 時間がありません。急いで魔物の情報を集めないと」
「坊ちゃまに、お客様です……」
「え……？」
「失礼するわね」
市長を押しのけるように、スーツ姿の女性が何人も入ってきた。俺は驚いて制止する。
「何ですかあなた方は！？ ここは関係者以外立ち入り禁止……く、蔵江（くらえ）さん？」
先頭の女性を、俺は知っていた。蔵江エリスさん。１年程前から親父の秘書をしている女性である。ハーフなのかクオーターなのか分からないが、ジパング人離れした褐色の肌だ。
「一体に何でここに……？」
「昌道君、迎えに来たわよ」
「迎えに？」
「県庁に魔物討伐隊の本部を作ったのよ。昌道君は今からこっちに常駐してちょうだい」
「え……？」
18/07/08 23:48更新 / 水仙鳥
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