いつまでも
コンコンコンっ
(ん?なんだ?全く…)
その日、お気に入りのレコードを聴いていた博士はまゆを顰めながらゆっくりと立ち上がる。
窓から外を見るとそこには数台の無骨な軍用車両が止まっていた。
コンコンコンっ
「ったく」
彼はドアへ急ぐ。
「お待たせしました。ええと、どちら様でしょうか。」
そこにはたいそうな軍服を着た男が一人いた。その横には2名の部下と思しき人物を連れている。
「私はリュートというものです。貴殿の家に検閲の手配がかかっています。」
「はぁ。」
よくわからない。かれの家にはどこかの国の工作員などいない。なにせ一人暮らしなのだ。
「いや、何かの間違いではないかと…」
「では早速改めさせていただく。」
「あ、ちょ、待っ」
彼らは私の家に入ってくる。
台所、浴室、寝室、書斎、
「おや、これは…」
「ああ、それはついこの間手に入ったもので、」
「いけませんな。」
「はい?」
「これは我が国の優秀な学者たるあなたにはふさわしくない。このようなもの。」
「いえ、待ってください…!何を言ってるのか」
ヒュッ、バキィッ!
「え?」
目の前で飛び散る黒い雨に固まる。
「あなたにはよりふさわしい音楽がある。」
「何をするんだ!このレコードを探し当てるのにどれだけ、」
「そのような苦労はもはや必要ではありません。我が国の作曲家の作り出した素晴らしい曲があるのですから。」
パリィン、パリィン、パリィン、パリィン
私の音楽がどんどん砕けていく。床にたまった黒い山はもはや、何も奏でない。何も歌わない。何も叫ばない。
それを見ていた私もまた、何も感じない。
「…はい、…はい、浄化は完了しました。それでは。…よし、帰るぞ!」
「はっ!」
何も響かなくなった家から、人型の何かが出て行った。
「そうだ…町だ…」
あそこにはレコード店が…と思って考え直す。こんな町はずれにある家まで探しにくる始末なら、いや、でも
彼はふらふらと立ち上がる。が、すぐに倒れる。
足を見ると、くるぶしのあたり紫色になっていた。そうだ、止めようとしたんだ。止めようとして、そして
思い出すのをやめる。そんなことはどうでもいい。近くにあった親だか祖父だかの杖をつかむ。身なりこそきっちりとしていたが、その姿は浮浪者のようにも見えた。
予想どうり。
そこには聞いたこともないような曲のレコードが並んでいた。
なじみの店員が血相を変えてこちらに来る。
「先生、先生、どうしたんですか!?」
「ああ、すまないが前に買った…」
「だめです。」
決定的な言葉に彼は断ち切られる。
「な、ぜ・・」
「なんかうちの国の奴らがまとめて持ってって、代わりにコレです。まるで金になりませんよ。ていうか、この曲、なんて曲ですか?うちの国のなんか扱ったこともないんですよ?」
店内には私の聞いたことのない雑音が流れていた。
「それより店の奥に!なんですか、顔にあざがありますよ?何かあったんですか?」
その後、足首に包帯を巻かれて、小脇には聞いたことのない曲のレコードを抱え、自宅に帰った。
体に染みついた動作でレコードをかける。
30秒で叩き落とした。
書斎で外を眺める。
いつもこの時間にはレコードをかけていた。
学生時代から持っていた最初の1枚。
あの店でわざわざ取り寄せてもらったあの曲。
すべて、今日、失った。
…………………ザァッ…
そとから潮騒と風の音が聞こえる。私に残されたレコードはもはやこれだけだった。
瞼を閉じる。
……
ザア… …… ♪ッ
♪ …♪♪〜…
遠くから何か聞こえる。潮騒でも風でもなく。
歌でもない。
曲だ。
海のほうから、曲が聞こえる。徐々に接近してるのがわかる。
(あぁ、そうだ。これは…)
彼のいちばん好きな曲。初めてのレコード。
優しく軽やかに、優雅に繊細に。
彼の頬に涙が通った。
(ん、あ?)
聞こえる。あの曲だ。彼は窓に飛びつく。遠くから巨大な翼が羽ばたいてくる。そして。
「あら、」
びく、と体が動く。
その姿はまさに異形。
鳥のような足に優雅な翼。美しい、冷たい顔たち。
「なにかあったのかしら?」
彼女は羽毛で頬をなぞる。
「そんなことは…どうでもいい…」
「私に驚かないものね。あなた。」
「ただ、」
「なに?」
「うたってくれ」
「……いいでしょう。」
彼女は数曲歌ってくれた。
「君は?」
「私はセイレーン」
「ああ、あの魔の歌姫か。」
彼は目を覚ました。
「なぜ、こんなところで?」
「私が歌った歌覚えてる?」
「ああ」
「あれ、なんの曲かわかる?」
「ああ」
「でしょうね。あれはあなたのレコードの曲。」
「…な、ぜ知っている?」
「私がこの曲を知っていたのは、あなたが聞いていたレコードから聞いていたからよ。」
「え…」
「歌を多くの人や魔物たちに歌ってきたけれど、私に歌をくれたのはあまりなくて…だからかしら?」
「…」
「あなたを好きになっていた。」
「……もう、きみに曲をあげることはできない。」
「そうね。レコードを見ればわかるわ。……でもいいのよ。あなたに歌を返すことができた。あなたが買ってくる曲の趣味から、あなたが優しくて、音を愛しているのもわかった。わかった以上、私は魔物としてセイレーンとしてあなたを愛さずにはいられない。だから…連れてってあげる。私の夫として。この国から」
「……」
「……」
「君の名は?」
「イリ」
「イリ、ありがとう。」
「……」
「前から……さ、作曲家とかの家を訪ねてみたいなって思ってたんだ。どうかな。君も気に入ると思うけど。」
「……ええ♪」
僕は彼女の歌を聴きながら、
彼女の羽音を聞きながら、
彼女の背の上で…いつまでも。
(ん?なんだ?全く…)
その日、お気に入りのレコードを聴いていた博士はまゆを顰めながらゆっくりと立ち上がる。
窓から外を見るとそこには数台の無骨な軍用車両が止まっていた。
コンコンコンっ
「ったく」
彼はドアへ急ぐ。
「お待たせしました。ええと、どちら様でしょうか。」
そこにはたいそうな軍服を着た男が一人いた。その横には2名の部下と思しき人物を連れている。
「私はリュートというものです。貴殿の家に検閲の手配がかかっています。」
「はぁ。」
よくわからない。かれの家にはどこかの国の工作員などいない。なにせ一人暮らしなのだ。
「いや、何かの間違いではないかと…」
「では早速改めさせていただく。」
「あ、ちょ、待っ」
彼らは私の家に入ってくる。
台所、浴室、寝室、書斎、
「おや、これは…」
「ああ、それはついこの間手に入ったもので、」
「いけませんな。」
「はい?」
「これは我が国の優秀な学者たるあなたにはふさわしくない。このようなもの。」
「いえ、待ってください…!何を言ってるのか」
ヒュッ、バキィッ!
「え?」
目の前で飛び散る黒い雨に固まる。
「あなたにはよりふさわしい音楽がある。」
「何をするんだ!このレコードを探し当てるのにどれだけ、」
「そのような苦労はもはや必要ではありません。我が国の作曲家の作り出した素晴らしい曲があるのですから。」
パリィン、パリィン、パリィン、パリィン
私の音楽がどんどん砕けていく。床にたまった黒い山はもはや、何も奏でない。何も歌わない。何も叫ばない。
それを見ていた私もまた、何も感じない。
「…はい、…はい、浄化は完了しました。それでは。…よし、帰るぞ!」
「はっ!」
何も響かなくなった家から、人型の何かが出て行った。
「そうだ…町だ…」
あそこにはレコード店が…と思って考え直す。こんな町はずれにある家まで探しにくる始末なら、いや、でも
彼はふらふらと立ち上がる。が、すぐに倒れる。
足を見ると、くるぶしのあたり紫色になっていた。そうだ、止めようとしたんだ。止めようとして、そして
思い出すのをやめる。そんなことはどうでもいい。近くにあった親だか祖父だかの杖をつかむ。身なりこそきっちりとしていたが、その姿は浮浪者のようにも見えた。
予想どうり。
そこには聞いたこともないような曲のレコードが並んでいた。
なじみの店員が血相を変えてこちらに来る。
「先生、先生、どうしたんですか!?」
「ああ、すまないが前に買った…」
「だめです。」
決定的な言葉に彼は断ち切られる。
「な、ぜ・・」
「なんかうちの国の奴らがまとめて持ってって、代わりにコレです。まるで金になりませんよ。ていうか、この曲、なんて曲ですか?うちの国のなんか扱ったこともないんですよ?」
店内には私の聞いたことのない雑音が流れていた。
「それより店の奥に!なんですか、顔にあざがありますよ?何かあったんですか?」
その後、足首に包帯を巻かれて、小脇には聞いたことのない曲のレコードを抱え、自宅に帰った。
体に染みついた動作でレコードをかける。
30秒で叩き落とした。
書斎で外を眺める。
いつもこの時間にはレコードをかけていた。
学生時代から持っていた最初の1枚。
あの店でわざわざ取り寄せてもらったあの曲。
すべて、今日、失った。
…………………ザァッ…
そとから潮騒と風の音が聞こえる。私に残されたレコードはもはやこれだけだった。
瞼を閉じる。
……
ザア… …… ♪ッ
♪ …♪♪〜…
遠くから何か聞こえる。潮騒でも風でもなく。
歌でもない。
曲だ。
海のほうから、曲が聞こえる。徐々に接近してるのがわかる。
(あぁ、そうだ。これは…)
彼のいちばん好きな曲。初めてのレコード。
優しく軽やかに、優雅に繊細に。
彼の頬に涙が通った。
(ん、あ?)
聞こえる。あの曲だ。彼は窓に飛びつく。遠くから巨大な翼が羽ばたいてくる。そして。
「あら、」
びく、と体が動く。
その姿はまさに異形。
鳥のような足に優雅な翼。美しい、冷たい顔たち。
「なにかあったのかしら?」
彼女は羽毛で頬をなぞる。
「そんなことは…どうでもいい…」
「私に驚かないものね。あなた。」
「ただ、」
「なに?」
「うたってくれ」
「……いいでしょう。」
彼女は数曲歌ってくれた。
「君は?」
「私はセイレーン」
「ああ、あの魔の歌姫か。」
彼は目を覚ました。
「なぜ、こんなところで?」
「私が歌った歌覚えてる?」
「ああ」
「あれ、なんの曲かわかる?」
「ああ」
「でしょうね。あれはあなたのレコードの曲。」
「…な、ぜ知っている?」
「私がこの曲を知っていたのは、あなたが聞いていたレコードから聞いていたからよ。」
「え…」
「歌を多くの人や魔物たちに歌ってきたけれど、私に歌をくれたのはあまりなくて…だからかしら?」
「…」
「あなたを好きになっていた。」
「……もう、きみに曲をあげることはできない。」
「そうね。レコードを見ればわかるわ。……でもいいのよ。あなたに歌を返すことができた。あなたが買ってくる曲の趣味から、あなたが優しくて、音を愛しているのもわかった。わかった以上、私は魔物としてセイレーンとしてあなたを愛さずにはいられない。だから…連れてってあげる。私の夫として。この国から」
「……」
「……」
「君の名は?」
「イリ」
「イリ、ありがとう。」
「……」
「前から……さ、作曲家とかの家を訪ねてみたいなって思ってたんだ。どうかな。君も気に入ると思うけど。」
「……ええ♪」
僕は彼女の歌を聴きながら、
彼女の羽音を聞きながら、
彼女の背の上で…いつまでも。
11/09/14 19:43更新 / 蒼い舌