余罪
――数年後――
「だぁーー!!!ミック先輩まーた靴脱いでない!!!何度言ったらわかるんスか!」
けたたましい怒号が響く。
静寂と沈黙に包まれているはずの看守室には相応しくない、甲高い女の声が反響していた。
「あー?ほれ、今脱いだ。これでいいだろ」
「んがあああそういう問題じゃないッス!ああしかも犬のフン踏んでるし!きったね!うーわきたねえ!!」
「おめーいちいちリアクションでけえんだよ。少しはレディーらしくしてろっての」
ミックは脱いだ靴をテーブルの上に乗せ、いつも通り煙草をふかしている。もちろんテーブルの上に犬のフンが付着するわけで、それを見た女性はまた喚き散らすのであった。
ロズがいなくなってから数年の月日が流れた。
ミックはあの後、死刑囚の脱獄と死刑執行人の職務放棄という二つの責任をとり、いくらか階級降格の処分を受けてしまっていた。幸いなことに階級降格の処分だけということはミックが脱獄の援助をしたことは発覚していなかったようである。もし発覚していたならば、彼はここにいられるような立場ではないはずだからだ。
階級が落ちたミックであったが、もともとが有能であったために元の階級に戻るまでそう長い時間はかからなかった。
今ではこうして、新たに配属された新人の執行人を携え煙草を吸う毎日である。
「というかいい加減先輩っつーのやめろよ。俺ァもういい歳したオッサンだぜ?レミラ、おめーまだ20かそこらだろ」
「なんかミックさん、って言いにくいんスよね。それに先輩はアタシにとって人生の先輩みたいなもんなんですから先輩でいいのです!」
「さいですか」
レミラと呼ばれた彼女は、つい先日この部署に配属された新米執行人である。ミックとはかなり年が離れているのだが、なぜか上司であるにもかかわらず先輩と呼びやたら馴れ馴れしい小柄な女性だ。
もともと執行人はそれなれに給料をもらえる部署らしいが、その環境が最悪なため志願はほぼ無く、ロズがいなくなってからはミック一人で切り盛りしていたという。
「先輩。今日の書類です」
「おーサンキュ。ったく最近は骨のある犯罪者がいねぇなぁ。これじゃ俺らの仕事何もねぇじゃねーか」
「平和なのが一番ッスよ。あ、後、コレ、先輩宛に手紙あるんスけど……差出人が書かれてないみたいで」
「あ?んだこりゃ?」
ミックはレミラから一通の手紙を受け取り表紙を確認する。
手紙には【ミック・ハインリヒ執行官へ】という宛名だけが書かれており、誰が書いたものなのかわからなかった。
びりびりと包みを破き、中の紙面を取り出すミックはおもむろに読み始める。
「……ん、いや待て、この字はまさか」
見おぼえのある字。
几帳面で、枠にピタリとはまりそうなぐらい正確な筆跡は筆者の几帳面さを物語っている。
手紙には少し長い文章でこう書かれていた。
『久しぶりだな。ロズだ。俺はそっちの国じゃ脱獄共謀者だから差出人を書くと届かないと思ってな。すまんがこういう風にさせてもらった。
本当はお前に手紙なんざ書くつもりはなかったんだがカティアが書け書けうるさくてな。簡単に俺らの近況でも綴っておくとする。
俺らは今、お前が教えてくれた南の果てのとある国で孤児院を開いている。驚いたか?正直言うと俺も驚いているのだ。
孤児院を開こうと提案してきたのはカティアなのだから。アイツは自分のような子をこれ以上つくりたくない、孤児というのはあってはならない。そう言っていた。それにカティア自身、子供の扱いが上手でな。今では町中から頼られる母さんのような立ち位置になっている。頼もしいものだ。
俺はその裏方だ。子供の世話もたまにしたりはするが、どうにも俺の顔を見るなりガキ共はビビっちまって逃げてしまうからな……いや、別に傷ついているわけではない。断じて、傷ついてはいない。
子供も一人できた。デュラハンの子はデュラハン、というのはわかっていたがいざ分娩するとなると先に頭だけ生まれてきたときは心底驚いたものだ。あれは心臓に悪い。
二人目も今はカティアの腹の中にいる。まぁ、魔物を嫁にしたならこれぐらいは普通なのだろう。カティアはまだたくさん作る気でいるらしく、毎晩枯れるほど絞りつくしてくる。惚気ではないぞ。
俺の近況はこんなところだ。お前の近況は……聞くまでもなさそうだな。おおかた、毎日適当に過ごして煙草をふかしている毎日だろう。お前らしい。
返信はしてもしなくてもかまわない。そもそも俺宛に手紙が出されたとして、届くか定かではないからな。俺たちは向こうで元気に暮らしている、それだけ伝えたかった。
最後になるが……例の斧、免罪斧をそのまま放置してしまってすまない。俺らにはもう必要のないものだから撤去してくれて構わん……撤去できるのなら、の話だが。
俺らのことは心配するな、うまくやっていける』
「…………ふーん、そうかい」
ミックは全文読み、鼻息ひとつ吹くとそう呟く。
さも興味なさそうにして、手紙を折りたたむと机の奥底にしまい込んだ。
「誰からの手紙でした?」
「んー?あー、イタズラだイタズラ。お前には関係ねぇ」
「怪しい……いつもの先輩なら読み終わった紙はぐしゃぐしゃに丸めて暖炉に突っ込むというのに」
「違う違う。最近こういうイタズラ多いから、後で筆跡確認して犯人突き止めようって算段よ。そうすれば業務妨害だか何だか罪状つけて、俺らの仕事が増えるってワケ。アンダースタン?」
「わかっ……たようなわからないような」
首を傾げ考え込むレミラ。
どうやら彼女はミックに美味いこと言いくるめられたようだ。単純な彼女はミックからすればとても扱いやすい女性である。
「……ま、いいや!さあさあ、今日は死刑執行室の掃除ッス!はりきっていきましょう!!」
「おう、がんばれよ」
「なーに言ってるんスか。先輩も一生に掃除するんスよ!!!」
深く考え込むのをやめて、大声を張り上げる彼女はミックを連れて死刑執行室へと向かうのであった。
綺麗好きで几帳面なロズがいなくなってからというもの、地下牢はひどい荒れようになっている。
錆水はヘドロのようになっており、いたるところに蜘蛛の巣が作られている。視界にネズミが映らないことがなく、見たこともないような羽虫も飛行しているようだ。
不衛生の極みである。
「お前、他人のテリトリーに無断で足踏み入れるタイプだろ。土足で、ズケズケきやがる」
「先輩が靴脱がないから悪いんス。アタシが土足で入っても文句言えないッスよね?」
ひどく荒れているが、これでもまだ地下牢全域はマシになったほうなのだ。彼女が配属され、煙草ばかり吸うミックに鞭を入れ、どうにか掃除をするようになり始めたらしい。
以前のような光景に戻るにはまだまだ時間はかかるだろう。
「んしょ……よいしょ……うわぁ、これは」
「おーこりゃひでぇや。って全部俺が片づけてないからなんだがな、ハッハ!」
「ひぇぇ、血塗れ、糞便だらけ、肉片も飛び散って腐ってる。正直言って最低ッス。でもこれだけ汚いと逆に掃除し甲斐があるッスね」
レミラは腕まくりをし、水入りバケツやら雑巾やらモップをてきぱきと準備し始める。
そんな彼女を尻目に、一方ミックはというと、未だ死刑執行室の奥に放置されたままである錆びついた斧を見つめていた。
免罪斧。
ミックの目立てからしてこの斧は呪われた道具に間違いないのだろう。彼はその道のマニアに売り捌いて大金を手に取ろうとしたが、まず持ち上げることすら不可能だったので諦めるていたのだ。
移動もすることができない、使用することもできない、今となってはこの斧はただの邪魔でしかなかった。
「うっわ、なんスかこのバカでかい斧。ぼろっぼろじゃないスか」
白銀の輝きは今は昔。黒ずみ、所々は刃こぼれし、かろうじて斧と言える形状を保っているほどに朽ち果てていた。
しかしそれでもなお重さは健在であり、持ち上げようとしてもピクリとも動くことはない。
ただただ死刑執行室に鎮座し、そこにあり続けているだけであった。
「曰くつきの斧でよ。俗に言う呪われた道具ってヤツだ」
「呪われた道具……?人間を魔物に変えるっていう、アレすか?」
「ああ。俺は確かに見た」
「ふぅん……ま、アタシには関係なさそうッスけどね!」
「違いねぇ」
彼はあの日を思い出し再び煙草を吸う。煙草の煙に纏われながら彼は自らの行為を思い返していた。
あの日、あの時、打たなくてよかった、と。
きっと、打っていたら彼は一生後悔し続けただろう。同僚であり悪友を自らの手で殺めてしまったことを悔い続けていただろう。
「さーて、それじゃ面倒くせぇけど掃除でもしますかね、っと」
彼は笑う。不敵に、そして適当に。その背中に映るのは罪を罰する法と秩序。
彼こそはミック。ミック・ハインリヒ。
地下監獄統括管理者及び執行官。
今日も彼は仕事に取り掛かる。
「あれっ。先輩、この斧意外と軽いッスね!簡単に持てちゃいました!」
「………………………………は?」
今日も彼は仕事に取り掛かる……かも知れない。
―――――
「罪、そして罰。
それは生物が知性を得た代償に生じてしまったペナルティの他なりません。
人間とは生まれた瞬間から罪を抱き、死をもって罰を清算するもの。私はそう思います……エエ……
彼の犯した罪は実のところ罪ではありません。なるべくしてなったものであり、逃れられない運命でした。しかし彼は自らの運命を認められなかった。だから罪の意識を負うことにより運命から目を背けたのです。あるはずのない罪を意識として生み出し、許しのない懺悔をし続ける……その所業はまるで地獄のようでしょう。
彼女もまた運命に翻弄された人間の一人にほかなりません……惨殺された家族、誤殺してしまった大臣、身勝手な恋路。いずれも防げるものではありません。特に恋路を防げるものなどこの世には存在しないのですから……
二人は己の心が生み出したかたちのない”罪”に苛まされ、”罰”によって壊れてしまいそうになっていた……”免罪”の必要があったのです……
あの斧は、罪を悔い改め乗り越えようとする者に奇跡をもたらす。罪を受け入れず反逆し続ける者に破滅をもたらす……そういうものです。
結果は見てのとおり…………説明する必要はございません。
……【免罪斧】は元々倉庫を圧迫していたので在庫処理しようとしていたところでした。そんなときに彼がこの『ぬけがら屋』の近くを通りかかったのは、それこそ奇跡なのかも……しれませんね。
逃亡する彼らの活き活きとした表情、あれを見れただけで何物にも代えがたい金貨となりましょう……エエ……ハイそうです……
先日、彼らの経営する孤児院に訪れたのですが……子供たちの笑顔よりも彼らの笑顔の方が眩しくて、私のような日陰者には多少辛い記憶があります。
もう彼らは大丈夫でしょう。罪を受け入れ、罰を耐え、奇跡の祝福を授かった彼らにはこの先幸福のみが残されています。実に喜ばしいものですね……ハイ……
さて……それでは私はそろそろ去るとしましょうか。孤児院は輝かしいばかりですが私は明るすぎるのが苦手でしてね……
ではまたいずれどこかで会いましょう。荷物も軽くなりましたし……次は素敵なところへ赴けそうです」
「だぁーー!!!ミック先輩まーた靴脱いでない!!!何度言ったらわかるんスか!」
けたたましい怒号が響く。
静寂と沈黙に包まれているはずの看守室には相応しくない、甲高い女の声が反響していた。
「あー?ほれ、今脱いだ。これでいいだろ」
「んがあああそういう問題じゃないッス!ああしかも犬のフン踏んでるし!きったね!うーわきたねえ!!」
「おめーいちいちリアクションでけえんだよ。少しはレディーらしくしてろっての」
ミックは脱いだ靴をテーブルの上に乗せ、いつも通り煙草をふかしている。もちろんテーブルの上に犬のフンが付着するわけで、それを見た女性はまた喚き散らすのであった。
ロズがいなくなってから数年の月日が流れた。
ミックはあの後、死刑囚の脱獄と死刑執行人の職務放棄という二つの責任をとり、いくらか階級降格の処分を受けてしまっていた。幸いなことに階級降格の処分だけということはミックが脱獄の援助をしたことは発覚していなかったようである。もし発覚していたならば、彼はここにいられるような立場ではないはずだからだ。
階級が落ちたミックであったが、もともとが有能であったために元の階級に戻るまでそう長い時間はかからなかった。
今ではこうして、新たに配属された新人の執行人を携え煙草を吸う毎日である。
「というかいい加減先輩っつーのやめろよ。俺ァもういい歳したオッサンだぜ?レミラ、おめーまだ20かそこらだろ」
「なんかミックさん、って言いにくいんスよね。それに先輩はアタシにとって人生の先輩みたいなもんなんですから先輩でいいのです!」
「さいですか」
レミラと呼ばれた彼女は、つい先日この部署に配属された新米執行人である。ミックとはかなり年が離れているのだが、なぜか上司であるにもかかわらず先輩と呼びやたら馴れ馴れしい小柄な女性だ。
もともと執行人はそれなれに給料をもらえる部署らしいが、その環境が最悪なため志願はほぼ無く、ロズがいなくなってからはミック一人で切り盛りしていたという。
「先輩。今日の書類です」
「おーサンキュ。ったく最近は骨のある犯罪者がいねぇなぁ。これじゃ俺らの仕事何もねぇじゃねーか」
「平和なのが一番ッスよ。あ、後、コレ、先輩宛に手紙あるんスけど……差出人が書かれてないみたいで」
「あ?んだこりゃ?」
ミックはレミラから一通の手紙を受け取り表紙を確認する。
手紙には【ミック・ハインリヒ執行官へ】という宛名だけが書かれており、誰が書いたものなのかわからなかった。
びりびりと包みを破き、中の紙面を取り出すミックはおもむろに読み始める。
「……ん、いや待て、この字はまさか」
見おぼえのある字。
几帳面で、枠にピタリとはまりそうなぐらい正確な筆跡は筆者の几帳面さを物語っている。
手紙には少し長い文章でこう書かれていた。
『久しぶりだな。ロズだ。俺はそっちの国じゃ脱獄共謀者だから差出人を書くと届かないと思ってな。すまんがこういう風にさせてもらった。
本当はお前に手紙なんざ書くつもりはなかったんだがカティアが書け書けうるさくてな。簡単に俺らの近況でも綴っておくとする。
俺らは今、お前が教えてくれた南の果てのとある国で孤児院を開いている。驚いたか?正直言うと俺も驚いているのだ。
孤児院を開こうと提案してきたのはカティアなのだから。アイツは自分のような子をこれ以上つくりたくない、孤児というのはあってはならない。そう言っていた。それにカティア自身、子供の扱いが上手でな。今では町中から頼られる母さんのような立ち位置になっている。頼もしいものだ。
俺はその裏方だ。子供の世話もたまにしたりはするが、どうにも俺の顔を見るなりガキ共はビビっちまって逃げてしまうからな……いや、別に傷ついているわけではない。断じて、傷ついてはいない。
子供も一人できた。デュラハンの子はデュラハン、というのはわかっていたがいざ分娩するとなると先に頭だけ生まれてきたときは心底驚いたものだ。あれは心臓に悪い。
二人目も今はカティアの腹の中にいる。まぁ、魔物を嫁にしたならこれぐらいは普通なのだろう。カティアはまだたくさん作る気でいるらしく、毎晩枯れるほど絞りつくしてくる。惚気ではないぞ。
俺の近況はこんなところだ。お前の近況は……聞くまでもなさそうだな。おおかた、毎日適当に過ごして煙草をふかしている毎日だろう。お前らしい。
返信はしてもしなくてもかまわない。そもそも俺宛に手紙が出されたとして、届くか定かではないからな。俺たちは向こうで元気に暮らしている、それだけ伝えたかった。
最後になるが……例の斧、免罪斧をそのまま放置してしまってすまない。俺らにはもう必要のないものだから撤去してくれて構わん……撤去できるのなら、の話だが。
俺らのことは心配するな、うまくやっていける』
「…………ふーん、そうかい」
ミックは全文読み、鼻息ひとつ吹くとそう呟く。
さも興味なさそうにして、手紙を折りたたむと机の奥底にしまい込んだ。
「誰からの手紙でした?」
「んー?あー、イタズラだイタズラ。お前には関係ねぇ」
「怪しい……いつもの先輩なら読み終わった紙はぐしゃぐしゃに丸めて暖炉に突っ込むというのに」
「違う違う。最近こういうイタズラ多いから、後で筆跡確認して犯人突き止めようって算段よ。そうすれば業務妨害だか何だか罪状つけて、俺らの仕事が増えるってワケ。アンダースタン?」
「わかっ……たようなわからないような」
首を傾げ考え込むレミラ。
どうやら彼女はミックに美味いこと言いくるめられたようだ。単純な彼女はミックからすればとても扱いやすい女性である。
「……ま、いいや!さあさあ、今日は死刑執行室の掃除ッス!はりきっていきましょう!!」
「おう、がんばれよ」
「なーに言ってるんスか。先輩も一生に掃除するんスよ!!!」
深く考え込むのをやめて、大声を張り上げる彼女はミックを連れて死刑執行室へと向かうのであった。
綺麗好きで几帳面なロズがいなくなってからというもの、地下牢はひどい荒れようになっている。
錆水はヘドロのようになっており、いたるところに蜘蛛の巣が作られている。視界にネズミが映らないことがなく、見たこともないような羽虫も飛行しているようだ。
不衛生の極みである。
「お前、他人のテリトリーに無断で足踏み入れるタイプだろ。土足で、ズケズケきやがる」
「先輩が靴脱がないから悪いんス。アタシが土足で入っても文句言えないッスよね?」
ひどく荒れているが、これでもまだ地下牢全域はマシになったほうなのだ。彼女が配属され、煙草ばかり吸うミックに鞭を入れ、どうにか掃除をするようになり始めたらしい。
以前のような光景に戻るにはまだまだ時間はかかるだろう。
「んしょ……よいしょ……うわぁ、これは」
「おーこりゃひでぇや。って全部俺が片づけてないからなんだがな、ハッハ!」
「ひぇぇ、血塗れ、糞便だらけ、肉片も飛び散って腐ってる。正直言って最低ッス。でもこれだけ汚いと逆に掃除し甲斐があるッスね」
レミラは腕まくりをし、水入りバケツやら雑巾やらモップをてきぱきと準備し始める。
そんな彼女を尻目に、一方ミックはというと、未だ死刑執行室の奥に放置されたままである錆びついた斧を見つめていた。
免罪斧。
ミックの目立てからしてこの斧は呪われた道具に間違いないのだろう。彼はその道のマニアに売り捌いて大金を手に取ろうとしたが、まず持ち上げることすら不可能だったので諦めるていたのだ。
移動もすることができない、使用することもできない、今となってはこの斧はただの邪魔でしかなかった。
「うっわ、なんスかこのバカでかい斧。ぼろっぼろじゃないスか」
白銀の輝きは今は昔。黒ずみ、所々は刃こぼれし、かろうじて斧と言える形状を保っているほどに朽ち果てていた。
しかしそれでもなお重さは健在であり、持ち上げようとしてもピクリとも動くことはない。
ただただ死刑執行室に鎮座し、そこにあり続けているだけであった。
「曰くつきの斧でよ。俗に言う呪われた道具ってヤツだ」
「呪われた道具……?人間を魔物に変えるっていう、アレすか?」
「ああ。俺は確かに見た」
「ふぅん……ま、アタシには関係なさそうッスけどね!」
「違いねぇ」
彼はあの日を思い出し再び煙草を吸う。煙草の煙に纏われながら彼は自らの行為を思い返していた。
あの日、あの時、打たなくてよかった、と。
きっと、打っていたら彼は一生後悔し続けただろう。同僚であり悪友を自らの手で殺めてしまったことを悔い続けていただろう。
「さーて、それじゃ面倒くせぇけど掃除でもしますかね、っと」
彼は笑う。不敵に、そして適当に。その背中に映るのは罪を罰する法と秩序。
彼こそはミック。ミック・ハインリヒ。
地下監獄統括管理者及び執行官。
今日も彼は仕事に取り掛かる。
「あれっ。先輩、この斧意外と軽いッスね!簡単に持てちゃいました!」
「………………………………は?」
今日も彼は仕事に取り掛かる……かも知れない。
―――――
「罪、そして罰。
それは生物が知性を得た代償に生じてしまったペナルティの他なりません。
人間とは生まれた瞬間から罪を抱き、死をもって罰を清算するもの。私はそう思います……エエ……
彼の犯した罪は実のところ罪ではありません。なるべくしてなったものであり、逃れられない運命でした。しかし彼は自らの運命を認められなかった。だから罪の意識を負うことにより運命から目を背けたのです。あるはずのない罪を意識として生み出し、許しのない懺悔をし続ける……その所業はまるで地獄のようでしょう。
彼女もまた運命に翻弄された人間の一人にほかなりません……惨殺された家族、誤殺してしまった大臣、身勝手な恋路。いずれも防げるものではありません。特に恋路を防げるものなどこの世には存在しないのですから……
二人は己の心が生み出したかたちのない”罪”に苛まされ、”罰”によって壊れてしまいそうになっていた……”免罪”の必要があったのです……
あの斧は、罪を悔い改め乗り越えようとする者に奇跡をもたらす。罪を受け入れず反逆し続ける者に破滅をもたらす……そういうものです。
結果は見てのとおり…………説明する必要はございません。
……【免罪斧】は元々倉庫を圧迫していたので在庫処理しようとしていたところでした。そんなときに彼がこの『ぬけがら屋』の近くを通りかかったのは、それこそ奇跡なのかも……しれませんね。
逃亡する彼らの活き活きとした表情、あれを見れただけで何物にも代えがたい金貨となりましょう……エエ……ハイそうです……
先日、彼らの経営する孤児院に訪れたのですが……子供たちの笑顔よりも彼らの笑顔の方が眩しくて、私のような日陰者には多少辛い記憶があります。
もう彼らは大丈夫でしょう。罪を受け入れ、罰を耐え、奇跡の祝福を授かった彼らにはこの先幸福のみが残されています。実に喜ばしいものですね……ハイ……
さて……それでは私はそろそろ去るとしましょうか。孤児院は輝かしいばかりですが私は明るすぎるのが苦手でしてね……
ではまたいずれどこかで会いましょう。荷物も軽くなりましたし……次は素敵なところへ赴けそうです」
17/03/09 22:54更新 / ゆず胡椒
戻る
次へ