獣牙『シュマリ・シキテヘ』
【彼女は特別な存在であった
生まれながらにしてヒトの言葉を理解し、怪しげな妖術を使役することもできた
人々はそんな彼女を化物だと虐げ誰一人として受け入れてはくれなかったが、
ただ一人だけ彼女を認めてくれる男がいた。
男は彼女の全てであった。
狼のように勇ましくもなく、犬のように従順でもないそんな自分を
認めてくれて彼女はこの上なく嬉しかった。
当然男は村の中でも化物と内通する者として人々から避けられるようになったが
男はまったく気にしていなかった。
人間と獣という種を超えた信頼があったのだ。
男もまた彼女に惹かれていたのである。
だから男が病に倒れた時も村人の誰もが薬も医者も配慮してはくれなかった。
彼女は男のために隣町まで薬を買いに走る。
しかし、彼女が男の元へたどり着く頃には既に男は息を引き取っていた。
誰にも見取られることなく孤独に死んでいた。
彼女は己を絶望した。
人々の冷酷さを絶望した。
己の存在に絶望した。
絶望はやがて憎しみへと変わると、
彼女は己の妖術で人々を次々と呪い殺していった。
そんなことをしても男が戻ってくることはないのはわかっていたが、
それでも彼女は許すことができなかった。
村の全てを滅ぼし荒地にしてしまうと、
彼女は己の牙を引き抜き妖力を全て封じ込めて首飾りにする。
その牙でできた首飾りを地中深く埋め隠し誰にも見つからないようにすると、
彼女は風のように山の中へ消えていった】
「オヤ、それに目をつけるとはお目が高い。
その手にしている首飾り『シュマリ・シキテヘ』はそれはそれは貴重なものです。ええ……
犬神を統べる巫女の呪詛が込められたお守りとも言われていますし、
極寒の地に住まう大妖怪の牙から作られた封印とも伝えられています。
どちらにせよ、非常に強力な妖力を帯びているということには変わりありません。
一度身につければ、実感するでしょう。その恐るべき妖力の力量を。
過去その首飾りを身に着けたものを三人知っていますが、
一人は妖気に負けてしまい廃人となり、
一人は頭がおかしくなり海へ飛び降り、
一人は妖力を従えその有り余る力を存分に堪能しました。
それをどうお使いになられるかはそちらに任せます。
生かすも殺すもアナタ次第、使い方を間違いさえしなければとても良いことが起きるでしょう。
私個人としては大切にしまっておき、機会をうかがうというのが最適かと思われますが、
やはりそれはもうアナタのもの。どう使うかはアナタ次第というものです。
それでは吉報をお待ちしておりますよ。
代金は後払いで結構ですので……」
※※※
波の音が聞こえる。
ハマナスが群生する寂しげな冬の海岸沿いを凍てつく寒気が吹き荒ぶ。
風の音が聞こえる。
生あるものを全て平等に凍らせ凍結させる極寒の地では、眼前に見えるのは茶色に荒れる荒波と舞い上がる雪のみである。
そんな中で少女は一人海岸の中心で呆然と立ち尽くし、瞳を閉じ音を聞いていた。
ざあざあと鳴る波の音
ごうごうと鳴る風と雪の音
少女はその耳でしかと聞き取り、うなずき、返事をし、語りかける。
誰かいるわけでもなく、誰に語りかけるわけでもなく少女は姿形の見えぬ何者かと確かに会話をしていた。
時に楽しみ、時に悲しみ、時に怒り、時に願い。
少女は姿の見えぬ幻影と取り留めのない会話を続けていた。
しかしある時、少女の顔が急に神妙な顔つきとなりはっと目を見開く。
すると何を思ったか少女は高波が荒れる極寒の海を見晴らし、ためらうこともせず海へと走り寄って入った。
ばしゃばしゃと波が音を立てる。
足先からすねの中腹辺りまでが海水に浸る形となり冷たさで感覚がなくなる。
あまりの冷たさに引き返そうかとも思う少女であったが、頭を振り雑念も振り払うと一心不乱に何かを探し続ける。
海の声を頼りに少女は何かを探し続ける。
やがて少女は捜し求めているものを見つける。
それは海岸に打ち上げられる形で海水に半分浸かっており、とても冷たくなっていた。
それを目撃した少女は一瞬うろたえたが、2、3度深呼吸すると意を決する。
少女の小柄な体ではそれを持ち帰るのは非常に困難かと思われたが、それでも少女は冷える体で冷たくなったそれを背負うと一目散に山の方向へと走り戻っていった。
―――――
「………ん……む…」
男は温かい布団の中でその重たい瞼を僅かに開き始めた。
まだ意識が鮮明としない。
聞こえるのは耳元で焚き木がパチパチと燃えている音と外から聞こえてくる吹雪の音のみであり、音から想像するに外は前も見えぬほどの猛吹雪であろうと男は想像する。
そして、しばらくして自分が何者であったかを思い出す。
幸い記憶は失っておらず、五体満足何の支障もなく動かせることに安堵を撫で下ろした。
もしも体のどこか一部が動かなくなっていたとしたらと考えるとぞっとするが、幸いその心配は無用に終わることとなる。
「ここは一体……痛ッッ…」
ここはどこなのかという疑問と同時に、男の体に酷い激痛が走る。
切り傷こそないものの体には打撲痕や捻挫している部位が数箇所ありとてもまともに体を動かせる状況ではなかった。
布団から出ようとしたが、泣く泣く彼は起きたままの状態で横たえる形となる。
彼は室内を軽く見回し、この家が自分の住んでいた地方のものではないと言うことを確信する。
屋根や壁は樹皮と藁葺きを合わせたようなものであり、一般的な住居と言うよりは藁葺きの倉庫と言ったほうがいいだろう。
東北地方の伝統的な住居ではないかとも思ったが、箪笥や提灯、棚や障子、さらには戸すらないことからその地方でもないということがわかる。
変わりにあるとすれば、天井には鮭の乾物が干されていたり、毛皮と言うにはやたら毛並みの粗い無骨な毛皮が衣服になっていたり床に惹かれていたりしていた。
衣服にいたっては全てに特徴的な模様が刺繍されている。
「俺は、助かったのか」
このような状況下でも唯一つ理解できることがあるとすれば、命は失っていないということだ。
肌を抓れば痛いし、自ら物を考えることができる、それを口に発することもできる。
夢や幻は何が起こるかわからない奇想天外な世界であるが、今現在彼が体感するにはそういったことは無さそうである。
ひとまずは安心する。
とりあえず今わかることと言えば、自分は何者かに命救われたということ、外が吹雪いていることからここは北方の地方、または異国であるということ。
それだけであった。
だが、ひとまず命はあると確信しただけで彼は大いに安堵する。
その心の落ち着きからか睡魔が彼を襲い、彼もまたその睡魔に賛同しようと瞳を閉じようとした。
その時である。
『よかった……目が覚められたのですね』
火と吹雪以外の新たな音が彼の耳に入る。
その音の方向を見ると住居の入り口、戸はないが藁で編まれたすだれのようなものが垂れ下がるところを掻い潜り、少女が彼のほうを見つめていた。
手には干し肉や植物の葉や根を抱きかかえている。
「……俺のこと…でいいんだよな」
男は確かに話しかけられたのだと思った。
この小屋には男しかいないし、誰かいた形跡すらも感じ得ないので自分だと思うのは当たり前である。
しかし悲しいかな、男は容易に返事することができなかった。
というのも少女の喋る言語が理解できなかったのである。
洋語のように流暢な舌周りではなく、蛮族や亜細亜地方の言語でも無さそうだ。まさか琉球か、はたまた同じジパングだとしても津軽地方なのか。
まだ寝起きではっきりとしない彼の頭の中では様々な地方の名称が飛び交っていた。
『すみません、私達の言葉じゃわかりませんよね』
「これなら理解できますか?」
「あ、あぁ……それならわかる」
ふすまを潜り外気が入ってこないようにすると、少女は焚き木の側に干し肉と植物を置き布団に横たえる彼の元へと歩み寄ってきた。
枕元へちょこんと座る小さな彼女は彼に再度語りかける。
「お体の様子はどうですか」
「少し痛むがこれくらいなんともない。お主が俺をここまで運んできてくれたのか」
「はい」
「そうか、この身助けて頂きまことに感謝する」
「いえいえ、人が倒れているのならば助けるのが当たり前と言うものです。流石に私の体格で貴方を運ぶのはちょっと辛かったですけどね」
くくくと、小さく笑顔で笑う彼女の顔は毒気も何も知らないただの無邪気な少女そのものであった。
久しく人の笑顔と言うものを目にしていない彼にとって、それはとても心安らぐものとなる。
彼女は焚き木の上に吊るされた土鍋の中に水を張り、手に抱えていた植物を放り投げると、その次に、穀物のようなものとあらかじめ溶いてあった卵を加え木蓋を落とした。
何やら料理を作っているようである。
それから彼女の口からは様々なことが語られた。
彼を救ったのは他でもないこの少女であり、彼が海岸に打ち上げられているところを吹雪の中たった一人でこの住居まで運んで来てくれたとのこと。
親の反対を押し切り、説得の末彼をここで看病しても良いということ。
猛吹雪で極寒であるこの地で海水に濡れたまま外にいるということは、すなわち死に繋がるものである。
少し発見が遅ければ彼の命ももしかしたら無かったのかも知れない。そう考えるとよりいっそう彼女への感謝の思いが大きくなっていった。
自分が海に打ち上げられていたのは驚きで、なぜ自分が海にいたのか思い出そうにも直前の記憶が曖昧なせいか思い出すことはできなかった。
だがそれよりも彼がより驚いたことがあった。
それは他ならない、この極寒の地が蝦夷であったということだ。
ジパングの一番近い島国でありながら未だに開発されていない未開の大地、蝦夷。
その地には蝦夷にしか住まない特殊な民族が生活し支配していると言うのは話には聞いたことがあるが、まさか本当に住んでいるとは思ってもみなかったので彼は驚きを隠せなかった。
「そうか、ここが……蝦夷地なのか」
「はい。私達の言葉ではアイヌモシリと呼んでいます」
「アイヌ……モシリ…変わった名と発音だ」
「ええ、恐らく私達アイヌ民族特有の言語ですので無理もないでしょう」
「ン、では待て。お主はなにゆえ我が国の言葉を話せるのだ」
「あ、それよりもご飯できましたよ。お熱いので気をつけて召し上がって下さいね」
少女が鍋の木蓋を開けると、もわもわと良い香りのする湯気が立ち上がる。
無骨に掘られた木彫りのお椀の中に注がれるのは穀物と恐らく山菜だと思われる植物とを卵で閉じた粥であった。
湯気を纏うと同時に香りを伺う。
何の添加物のない純粋な塩の香りが彼の鼻の奥に心地よく流れてきて、それに反応したのか否か唾液が溢れ腹が急に鳴り出した。
「……面目ない」
「怪我人は食べて寝るのが一番です。さあイペパスイをどうぞ」
「イ……ペペ?」
「あぁすみません、箸という意味です。ジパングの方も端で食事するということは知っておりましたので。
お気に召されませんでしたか」
「いやむしろその逆だ。こんなにも至れり尽くせりで逆に申し訳なく思ってな。
粥、ありがたく頂くとしよう」
自分でも驚くほどに腹が減っていたのか、彼の箸は一向に止まることはなかった。
穀物は米では無さそうであったが十分米の代わりにはなるし、山菜のようなものでもちゃんとしっかりとした歯ごたえと味がある。
粥に喰らいつくその姿は武士というにはあまりにも礼儀作法がなっていなく、さながら田舎者か蛮族の一員にでもなってしまったのではないだろうかと思うくらいだ。
気がつく頃には彼は一人で鍋の中にある粥のほぼ全てを平らげてしまっていた。
「そういえば先ほどの質問のお答えしていませんでしたね。なぜ私がアイヌ語のみならジパング語を話せるのかについてですが、それは私が巫女だからです」
「巫女?巫女といえばあの巫女か」
男は巫女と言われて紅白の衣装を着た女性の姿を想像する。
ジパング本土にいた頃は神社で何度か見ていたので、思い出すのに苦労することはなかった。
「貴方の想像している巫女とは少し違うものなのですが……大まかには同じでしょう。
私は生まれた時からアイヌ巫女としての資格があり、立派な巫女になるよう今まで教育を受けてきました。巫女といえば村を治める象徴ですのでそれなりに学識がなければならないのです」
「つまりはジパングの言葉が話せるのは巫女のための衛生教育の賜物というわけか」
「そう捉えてもらって構いません。この島の地形上、一番攻めてくると考えられるのはジパング本土ですからジパングの者と会話できるようにと……皮肉な話ですよね」
そういう彼女の顔はどこか暗くいかにもしょげているという顔つきであった。
無理もない、まだ齢二十もいっていなさそうな少女に諸外国との通訳を任されることがいかに辛いかは想像に難しくない。
生まれながらにして己の一生を決められているという悲しき運命を悲観するか、巫女という行為の役職に就けるということに喜びを感じるかは人次第である。だが、どうみてもこの目の前の少女は喜びを感じているようではなかった。
彼女は男から食器を受け取ると、空になった鍋のなかに入れ一まとめにしている。
「では、また休んでいて下さい。私は食器を洗いに行きますので」
「本当に隅から隅まで申し訳ない。この体が動けるようになった暁には何か恩を返さなければな」
「恩だなんて……私が好き勝手に介抱しているだけですので結構ですよっ」
彼女はにこりと笑うと再びすだれを潜り雪が吹き荒れる吹雪の中を身軽に駆け出そうとしている。
…とすると彼女は何かを思い出したのか三度すだれを潜ると小屋の中へ戻ってきた。
「そういえばお互い名前を知りませんでしたね。どう呼んでいいかわかりませんので、教えていただけませんか」
「そういうことか。己が名は山代宗右衛門と申す」
「ヤマシロソウエモン……覚えるのが大変そうな名前ですね…」
「あ、あぁお主らは家の名というものがないのか、失礼仕った。宗右衛門と呼んでくれればよい」
「宗右衛門さんですねわかりました。申し送れましたが、私の名はオサピリカと申します。普通にオサピリカと呼んでくださって構いませんよ」
「オサピリカ……わかった、今後はそう呼ばせてもらうとしよう」
互いの名前を知って満足したのか、彼女は小躍りするような足取りで吹雪の中を駆け抜けていった。
宗右衛門は吹雪の中をものともしない彼女に少々驚きつつも後姿を見送ると、上半身を下ろし布団に横たえる形に戻った。
そうして気づかぬうちに深いまどろみの中へと落ちていった。
――――――――
巫女オサピリカは興味津々であった。
というのも、彼の所持する荷物は彼女が今まで見たこともないようなジパングの物が溢れていたからだ。
好奇心旺盛な彼女にとってしたら宗右衛門の荷物はまるで宝の山に見えた。
刀を手に取れば危ないから放せと言われ、衣服を手に取れば民族衣装と比べ見て、硬貨に手を出せばお主らには必要のないものだと言われる始末である。
だが、その中でも一際興味の沸く、否、気にかかるものを見つけたからだ。
それも一際強い気を感じ取ったためである。
「宗右衛門さん、その、無礼を承知の上で言いますが包みの中を見せてもらってよろしいですか」
宗右衛門と呼ばれた男は布団から上半身のみを持ち上げる形で彼女の方を向く。
短髪で顔は整っていなく、かといって不細工ともいえないいわゆる世間一般的に言う「普通」顔であり、体格は元々鍛えてあったのかがっしりとした筋肉が今は見えないが羽織っている寝巻きの下から時たま見える。歳で言うところの二十代中半な男。
彼は自分の荷物から、彼女の指差したあるものを手に取り出した。
薄紫色の包みだ。
滑らかな絹の包みは一目しただけでもそれなりの高級感を醸し出している。淡い光沢を有する薄紫色の包みは厳重に縛れており中の物はうかがい知ることはできない。
所々に文字やら模様やらが描かれているようだが、彼には到底理解できぬものなので今まで無視していたし、これからも知るつもりはないのであろう。
「これが何か」
宗右衛門はさぞ珍しいものを見るかのようにオサピリカと呼ばれた少女の顔色を伺う。
吸い込まれそうなほど真っ黒な黒髪は長くもなく短くもない、少女の肩ほどまでの黒髪が一瞬ふわりと揺れて花のような香りが彼の鼻をつつく。
歳でいうところの十五から二十歳までの間だろうか、まだどこか少女のあどけなさを残しているようで少し大人っぽくもある。そんな年頃の少女だ。
着物でも洋服でもない、特徴的な模様の衣服を身に纏う少女は布団に寝そべる彼のすぐ側に座る彼女は彼が持っている包みをまじまじと凝視していた。
「…まだ何ともいえませんがもしかすると」
「もしかすると……?」
「非常に微々たるものですが妖気を感じるのです」
巫女である彼女には常人には理解できぬような不思議なことが理解できてしまう。
巫女というのは神に仕え神言を授かったり、除霊御払い等を生業とし神社の顔として存在していると処女というのが誰もが知っている巫女としての常識である。
だがしかしオサピリカは、否、アイヌの巫女は違う。
アイヌ巫女は万物の流れを読み取り、自然と調和することのできる存在なのだ。風の流れを知り、木々の言葉を聞き、水と会話する事だってできる、ひとえに言えば自然に特化した能力者なのである。
当然、霊的能力も携えているので退魔も行うことのできる特殊な巫女。
宗右衛門が今まで知っていた巫女とは大きく異なった特性であり、オサピリカもまたそのような特殊な巫女の一人であった。
ゆえに彼の今手にしている薄紫色の包みから感じ取れる妖気も彼女の巫女としての霊感が察知したのである。
「妖気……やはりそうか」
「やはり、と言うことは何か心当たりがあるのですか」
「あるも何もコイツは俗に言う"いわく付き"のシロモノというものだ。オサピリカもあまり見ないほうが良い、目に毒というものだ」
数年前の話である。
かつて山代宗右衛門は名のある大名の家臣として奉公していた。
剣の腕前も、難儀な政治も、全てを容易にこなしてしまう切れ者として、大名からも家臣達からも厚い信頼をよせられている武士であり、充実した毎日を全うしていた。
だが、とある日不気味な骨董屋から例の物品を入手した途端に彼の日常は大きく変わることとなる。
いつも通り仕事をしているはずなのに何故か誤りが生じている。
いつもなら軽く叱られるだけなのに、長期に渡り陰口を言われるようになり始める。
今までよく晩酌をした仲間達が急に疎々しくなる。
しまいには今まで良くしてもらっていた大名から暇を出される始末。
これはおかしいと思った彼は、包みを捨てるが不気味なことに次の日には元の場所に戻っている。中身を解体して四方八方に投げ捨てても元通りになって戻っている。
不気味この上なかった。
ついに彼は巫女やイタコ、除霊師に依頼を託そうと思った。
しかし彼の願い虚しく、一度も御払いを行ってもらうことはできなかった。
というのも彼が請負人に包みの中身を見せるたびに除霊師たちは口を揃えてこう言うのである。
「これは私の手に負えるものではない。他をあたってくれ」
「まだ死にたくない。早く出て行ってくれ、お前は私を呪い殺す気なのか」
「こんな恐ろしいものをもっている貴方の気が知れない」と。
無情に時は進み、依頼が百回断られる頃には既に城から彼の名前は消えており、誰一人として宗右衛門の名を思い出すものはいなかった。
彼は絶望し、しかし半分はこうなることがわかっていたような気がしていたので、家具や武士装束その他要らないものは全て金銭に変える。
そして誰にも告げることな、見送られることもなく、孤独に一人旅立つことを決めたのである。
呪いを解ける人に出会うために。
もしくはあの骨董商を見つけ有無を言わさず返却するために。
どちらにせよ長い旅路になることには変わりなかった。
だからそんな呪われた道具にに興味を持ってほしくなかった。
オサピリカが巫女と言われ一瞬喜んだ自分もいたが、彼女は退魔専門の巫女ではない。こんな危険な物を扱えるわけがないのだ。
それにまだ成人も迎えていないであろう少女が厄払いなどできるわけがないと宗右衛門は思っていた。
そのような者にこれほど危険な物の相手はしてもらいたくなかったのである。
持つ者を不幸に陥れ、捨てても必ず戻ってくるこの物品の恐ろしさは実際に体験した彼にしかわからない。
地の果てでも、世界の果てでも渡り歩きいつの日か完璧に御払いできるときが来るまで彼は誰一人として自分のようにはなって欲しくなかったのである。
「それはとても危険なものだ、長い間見ていいものではない。いくら巫女と言えどそれはあまりにも力が強過ぎるんだよ」
「そうですか、では私がこの手で妖気を御払いさせていただきましょう」
「……いや待て、俺が言ったこと理解してるのか」
危ない物だと言っているのにもかかわらず彼女はその自らの力をもってして浄化しようとしていた。
宗右衛門が包みを取り返そうとすると、彼女はその軽い身のこなしで難なくかわす。
そこから更に二、三歩後ずさりし笑顔でこちらを見返してくる。軽い挑発だ。
宗右衛門は布団から立ち上がり彼女の後を追おうとするが、体中に走る激痛がそれを頑なに否定した。立ち上がることもできずに、床をはいつくばっている彼を見てオサピリカは語る。
「アイヌの巫女を甘く見ないでください。これしきの妖力のものならひと月ほどで完全に御払いできますよ」
「し、しかし俺が今まで御払いをお願いした除霊師は皆口をそろえて恐ろしいものだと言って聞かなかったのだが」
「それはその人たちの力がこれに負けていただけ。私なら対抗することができるのです。信じて下さい……ね?」
彼女は宗右衛門の返事を聞かずして薄紫色の包みを丁寧に取り外していった。
包みをめくるたびに呪文のような言霊と、薄気味の悪い札が貼られていたが、気にする素振りもなくめくっていく。
やがてその全貌が露になった。
包みから出てきたのは、多種多様で美しい宝石と恐らく哺乳類らしき動物の牙でできている輪であった。恐らく大きさから察するに首飾りであろう。
宝石はそれこそ多種多様で、瑠璃、琥珀、珊瑚、瑪瑙、金剛、真珠その他様々……などが全て勾玉状に加工されており牙をはさむように一つずつ規則正しく配列されている。金剛石が使用されている時点で相当高価なものだと窺い知ることができる。
そんな高価なものになぜ牙が組み合わされているかは知る良しもないが、牙は牙で形は立派なものである。
犬歯や裂肉歯があることからまずヒトの歯ではない。恐らくは肉食寄りの哺乳類の牙だと思われる。今にも飛び掛ってきそうなほど活き活きとしている牙は恐ろしさを感じるが、逆に牙だけとなったその姿でも捕食者として威厳を保ったままであることに美しさをも感じさせる。
「き、綺麗……」
「悪いことは言わない、姿を見たなら早く包みに戻すんだ」
相変わらず床上で這い蹲りながらうんうん唸っている宗右衛門はオサピリカに注意を促すが、彼女はそんなことに従うわけもなくただひたすらに首飾りに見とれていた。
それと同時に宗右衛門は若干の違和感を感じていた。オサピリカの様子が先ほどとは違うのである。
何が違うかはまだ出会ったばかりの宗右衛門がわかるはずではないのだが、少なくとも始めて出会ったあの時の様子と比べてみると明らかに何かが違う。
もしかすると彼女の本性は今の状態で、先ほど粥を食べていたときの彼女は本当の彼女ではなかったのだろうか。そう心の中で言い聞かせるが、納得するような答えではなかった。
「そんなにも危ないものなのですか?」
「あぁ、俺の人生を全て奪っていったものだ。持っているだけで災いが起きるかもしれない」
「へぇ……」
そう言ったオサピリカの顔は平然を保ってはいたが、どこか得体の知れないような笑みであり薄気味悪いことこの上なかった。
先ほどまでの少女の面影はどこへやら、首輪を見つめる彼女の気質、気配というものは完全に別のものになってしまったのではないかとも錯覚してしまうほどだ。
いや、錯覚なのではないのかもしれないし、それすらも思い違いなのかもしれない。
ぐちゃぐちゃになる頭の中で、彼女は宗右衛門が一番恐れいていたことを口に出した。
「ひと月の間、私が肌身離さず首飾りをつけることにより御払いが完了いたします。ですのでこの首飾りをその間だけ貸してくれませんか」
「なっ、何を言っている!取り返しのつかないことになるぞ」
「じゃあ逆に聞きますが、宗右衛門さんはこの首飾りから解放されたくないのですか?」
「それは……もちろん今すぐにでも手放したい。だがな、出会った間もない少女にそんな危なげな物を押し付けるほど俺は人間腐ってもいない」
彼がそう言うと、辺りの雰囲気がよりいっそう違和感を感じるようになる。
霊力などないに等しい宗右衛門ですら感じ取れるようになるほど高濃度な妖力、魔力が室内に充満しており、その発生源は言わずもがな首飾りからであった。
オサピリカは依然あどけない少女の笑みのしながら、首飾りを頭上へと持ち上げる。
首飾りをつけるまではあと手を下ろすだけの形となった。
「宗右衛門さんは解放されたい、そして私はそれを開放する手立てを知っている。だったら開放するしかありませんよね」
「そのような安易な考えでどうにかなるものでもないというのはお主も肌で感じるのだろう?ならば尚更、任せるわけにはなるまい」
「私が自らの気持ちをやりたいと言っているのです。武士というのはここまで強情なのですね」
宗右衛門は這い蹲りながらオサピリカの元へ手を必死に伸ばす。
立ち上がることのできぬその体で懸命に手を高く上げ、もう少しで首飾りまで届こうとした。
そうして掴みかかり彼女から取り返そうと思ったのだろう、勢いよく手で掴みかかり首飾りを掴んだ。
はずであった。
「なっ!?」
彼の手が首飾りに触れる瞬間、何か不思議な力で真逆の方向へ跳ね返され、受け身も取れぬまま再び床に叩きつけられた。
反発力のような圧される力が彼の手を弾いたのである。
「宗右衛門さんがどう仰ろうとも、私は貴方の為になりたいのです。どうか、この誠意を受け取ってはくれませんか」
「ぐ……そこまで言われると否定し難くなるというものだが、だが……やはり、出会ったばかりの少女にその首飾りを押し付けるというのは俺の良心が許さんのだよ」
「私ってそういう人間なのですよ。お節介で、無理やりでも人の為になりたくなる。そんな人間に目をつけられてしまった宗右衛門さんが悪いのですから……」
「何を言っている……や、止めろ!!早まるな―――」
彼女の顔は一瞬だけどこか寂しげな顔をすると、勢いよく自らの手を首元まで下ろした。
カタカタと震える首飾りは首を中心にして2、3度回転するとオサピリカの首元に落ち着くと、次に怪しげな光を発光し始める。
宝石は個々が共鳴するように発光し、牙は今にもはち切れんばかりに振動を繰り返している。
青や白、黒に黄色といった様々に光が室内を乱反射し光り輝くその姿はとてもこの世のものとは思えないほど美しく、思わず宗右衛門もこれが今まで自分を苦しめてきた首飾りから発せられているものだというのを忘れてしまうほどであった。
輝きは徐々に光を増し、やがて室内は目も開けられぬほど眩しくなる。
視界がなくなっていくと同時にもう一つ気がつくことがあった。
それは、先ほどまで感じていた違和感がなくなっているということであった。彼の感じていた違和感が妖力、魔力の類のものであったとするならば、それらがなくなるということはつまり力を封じ込めているということだ。
「ぐっ…オサピリカ、まさか……本当に」
―
―
―
―
―
彼は光に包まれる中で僅かながらの希望を抱いた。
もしかしたら彼女は本当に首飾りの妖力を押さえ付けているのではないか、と。今まで誰一人として、まともに対峙すらできなかったあの恐ろしき首飾りを屈服しているのではないか。
いや、まだそう思うのは早い。俺のぬか喜びかも知れぬ。そう心の中で言い聞かせて頭をぶんぶんと左右に振り回す。
やがて光が収まっていき、僅かに室内が見えるようになってくると宗右衛門はうつ伏せで横たえているオサピリカの元へにじり寄っていく。
気を失っているようなので小柄な体をゆすり動かす。
「だ、大丈夫か」
「う……んん。だい、じょうぶ、ですよ…せいこう、です」
「成功、というと」
成功。
その言葉に彼は喜びを隠せなくなるが、まだ確信したわけではない。
だが、既に身の回りの違和感は完全に消失しており今まで感じていた異様な気配は跡形もなく消え去っていた。それが何を意味するかはもはや言わなくてもわかることだ。
彼女の口から全てが語られるまで喜びは隠しておきたいが、その口元が盛大に緩んでいるのは明らかであった。
「成功は成功ですよ宗右衛門さん。もう貴方はこの首飾りに怯えなくて良いのです」
「それは、まことか」
「私を信じて下さい。ひと月後に貴方はもう完全に自由の身となれます」
「自由……俺が自由……」
一瞬の沈黙。
しばらくすると、彼の口の緩みは更に緩み、そうして盛大な笑い声へと変わる。
それは面白おかしい笑いなのではなく、喜びと幸せに満ち溢れた歓喜の笑いであることに間違いなかった。
「は、はははっ!凄い、凄すぎるぞオサピリカ。俺はアイヌの民を甘く見ていたようだ」
「だから言ったじゃないですか、私達を甘く見るんじゃないですよって」
「すまなかった。出会ったばかりの少女の言うことを信頼できなかった俺の理解力がなかったようだ、許してくれ」
「謝る必要なんてありませんよ。私がやりたいからやっているだけですので」
自慢げに微笑む彼女はさぞ満足そうであった。
宗右衛門は彼女の頭をぽんぽんと何度か叩くとその嬉しさを胸に抱き、しみじみと昔を思い出しているようであった。
「しかし、ところで一体その首飾りは何だったのだろうな」
「私にも詳しいことはわかりません。ですが、とても強い念が込められていたということは確かです」
「そうか……元はといえば俺が地位と名声に目が眩み望んだが末にこれを手にしたのだ。欲深き業への罰として捉えておくとしよう」
武士を辞めた今となっては地位や名声などつまらないものは宗右衛門にはまったく必要のないものであった。
彼が一番望んでいた自由は今ここに実現したのである。
身分も戦も世知辛い人間付き合いも何もかもがないこの蝦夷という大地で彼は初めて人生を解き放たれ、自由になった。
その清清しさといったら、心地よいことこの上なかったのだ。俗世を離れた仙人はこのような気持ちになるのだろうか、と他愛もないことに思いを募らせている。
「さて、そうと決まれば今日はご馳走ですね!」
「……俺としては嬉しい限りなのだが、こんなにも尽くされたことがないのでな。素直に喜んでよいのかわからぬ」
「いいんです、いいんです。他人の喜びは自分の喜びというのがアイヌの考え方ですので。宗右衛門さんの喜びは私の喜びなんですよ」
「アイヌというのはそういう者たちなのか。素晴らしいな、ジパングの人々も皆そういった考えを持っていたら戦国乱世などなかっただろうに」
彼女は床の一部分を開け地下へと降りていくと、乾し魚や肉、つみれ団子のようなものを取り出してきて目を輝かせていた。見たこともない食材に宗右衛門も思わず食欲がそそられる。
「カムイチェプのルイベ、チタタプ、そして食後のシト。どれもこれも私の好物です♪
きっと宗右衛門さんも気に入ると思いますよ」
「一体何の食べ物なのかは見当もつかぬが……楽しみだ。何か手伝えることはないだろうか」
「いえいえ、宗右衛門さんは休んでいて下さい。むしろ、ケガ人に手伝わせることなんてできませんよ」
何もすることがない宗右衛門は横になり、考える。
これからどうしようか、いつになったらちゃんと歩けるようになるのか……
など考えあぐねていたが、楽しそうに食材を調理するオサピリカの後姿を見たらそんな考えはどこかに吹き飛んでしまった。
今は彼女の誠意に答えるとしよう。俺の命の恩人とも、生涯の恩人とも言える彼女の気遣いに甘えてみるのも一興か。
彼はそう思い、ゆっくりと彼女を見守っていた。
――――――――
それから一週間後。
宗右衛門はまだ歩けるようになるには到底達してはいないが、それでも僅かながら回復の兆しが見えてきていた。
一日中家の中で寝そべっているのは、普段勤勉に働いていた宗右衛門にとっては思ってもない休暇であったが、それも二、三日も限度であり今では暇で暇で仕様がなくなってくる。
そんな暇をもてあましている彼が唯一暇でない時といえばもちろん、唯一彼の面倒を見てくれるオサピリカとの会話の時である。
今日も彼女は首飾りをつけながら山菜や肉を採りに家の外へ出て行く。
オサピリカ曰く、この小屋はオサピリカ達が住み暮らしている集落で丁度最近空き家になった家らしく、誰のものでもなかったらしい。そこで彼女は親に頼み込み、見ず知らずのジパング人である宗右衛門を寝かしつけるために小屋を借りたということであった。
別に食事の提供だけしてくれれば宗右衛門一人でも十分に過ごせるはずなのだが、なぜかオサピリカも四六時中付きっ切りで看病してくれていることに若干に疑問を抱いていた。朝の目覚めから夜の就寝まで常に付きっ切りで、看病というには少し世話しすぎと思えるほど彼女と生活を共にしていた。
宗右衛門は彼女に「家に帰らなくてよいのか。親が心配しているぞ」と何度か聞いたことがあったら、ことあるごとに彼女に「いいんです、許可は取ってますから」の一点張りで聞かなかった。
いくら親が良いといっても男、それも素性の知れぬ男と共に一つ屋根の下で衣食住を共に過ごしてよいものなのかと良心が揺れ動く時期もあったが、何度聞いても同じように返してくるだけなので次第に彼はオサピリカが実家に帰らないことを何とも思わなくなっていた。
「―――ぇもんさん」
彼女に首輪を託してから一週間が経つが驚くことに彼女には何も変化が訪れていなかった。
あれほど恐るべき力が封じられている物だ、いくら彼女が凄腕の巫女だとしても絶対何らかの支障は来たすであろうと考えていた宗右衛門であったが、予想外に何事も起こることはなく平穏に過ごしていた。
このままひと月が過ぎて自由の身となれたらと考えると彼の心は小躍りする。
「宗右衛門さん!」
「ん―ああ、すまない。少し考え事を」
「もう……何度も呼んでいたんですよ。どれだけ自分の世界に没頭しているのですか」
衣服を折りたたみながら頬を膨らましながら彼女はこちらを睨み付けている。
宗右衛門が始めに着ていた衣服は既に荒波に揉まれボロ雑巾のように酷い有様であったので早々に捨て、今はアイヌの男性用の衣装を借りている。
意外にも着心地がよく、特徴的に民族模様をあしらった衣装は着るだけでアイヌ民族になれたような気がする。
「ええとなんだっけ……ああ、どうして俺が海に流されていたかって?」
直前まで彼女と話していた内容を思い出す。
助けられた当日は記憶が混雑していて、なぜ自分が海に飲まれていたかという直前の記憶がはっきりとしていなかったが、ある程度落ち着いた彼は海にいた理由を思い出しオサピリカに語った。
彼は海に流されていた経緯を語るに至って、それまでの自分の経歴も全てひっくるめてさらけ出した。
ジパングでは大名の家臣として奉公していたこと。
首飾りのせいで全てをめちゃくちゃにされたこと。
その首飾りの恐ろしさ。
自由になるために一人旅をしていたこと。
彼は一人旅をしてジパング各地の霊所、寺院を巡り御払いを願ったがどこも受け入れてはくれなかった。
絶望に打ちひしがれる中、彼は悩みに悩み一つの決断をする。
「ジパングでは駄目だ。海を渡ろう。遠い異国の地ではもしかしたらどうにかできるかもしれない。そう思ったのだ」
彼は人知れず貿易船に乗り込み、行く当てもない目的地へ航海したのである。
だがしかし、彼はここでも運が悪かった。
貿易船は大嵐のど真ん中に飲み込まれてしまい転覆、命からがら木片を掴んだ彼は波の流れるままに流され知らぬ間に意識を失っていたという。
「そこで流れ着いたのが……」
「そう、蝦夷だったというわけだ。言葉が通じるのが幸いだと思ったほうがいいかも知れないな」
「随分と大変な目にあっていたのですね…恐れ入ります」
「前も言ったが、あのまま海岸に打ち上げられていたままだと間違いなく俺は凍死していただろう。俺の命を救ったのはオサピリカ、お主なのだよ。
今度礼をさせてくれ。嫌だといっても無理やり恩返しするからな!」
「………そ、そんな私が宗右衛門さんとだなんて…分不相応ですよ…」
オサピリカは両手を頬に当てて頭を左右に振りながら悶えているようであった。
行動は明らかに否定をしているのだが、表情は明らかに喜んでいるのは見え見えである。
そんなに恩返しされることが恥ずかしいことなのかと思う宗右衛門であったが、特に気にすることもなく他愛もない雑談をし続けていた。
夕食の時間。
今日は飯は山菜と鹿肉を入れた鍋のようなものであった。
焚き木の前に宗右衛門は座り、その隣にオサピリカが密着して座る。
宗右衛門の右側にオサピリカが座る形となっている。
「オサピリカ、少し近くないか」
「そうですか?アイヌの民は寒さから逃れるためにこうやって肌を寄せ合いながら食べるんですよ」
「そ、そうなのか。ならいいが」
それにしても明らかに密着し過ぎである。と、彼は思う。
太腿は互いに絡ませあい、時おり腕すらも絡ませてくる。
食事とはかけ離れた行動に宗右衛門は疑問に思うほかなく、だがしかし、アイヌのしきたりと思えば仕方のないことと頭の中で無理やり納得するようにしていた。
鍋の中の具を取ろうと箸を伸ばすと、ふいにその手が動かなくなりピタリと止まった。
「……オサピリカ、なんのつもりだ。取られたくない具でもあったのか」
宗右衛門の手はオサピリカの両手が強めに絡み合っており、いやおう無しに止められていた。
強めに抑えられているせいか両者の体の密着はより強固なものとなりそのわき腹に当たるやわらかなものが何を意味するかは考えるまでも無かった。
年頃の少女の乳房の半分が今この瞬間、自分の胸板に押し付けられていると考えるだけで彼の脳裏には一時の興奮と背徳を覚えるが、ごく一般的な成人男性の良心がそれを押さえ付ける。
「お体に障るますので宗右衛門さんはじっとしていてください。具は私が直接運びますので」
「お、俺なら大丈夫だ。手を放してはくれないか」
「いえ、アイヌのしきたりですので」
「これはしきたりの度を過ぎているとしか考えられないのだが」
こうも強情になってしまった彼女はそう簡単には折れてくれない。
この一週間で宗右衛門が学んだことだ。とても華奢で礼儀正しい少女であるが、一度頑固になると徹底的に頑固であることを彼は知っていた。
一体何のためにこんな肌を密着させ食事をするというのか理解できないし、具を取る動作だけで体に障るとも到底考えられなかった。
だが、いくら説得したとして彼女がこうなってしまったら彼には従うしかなかった。
宗右衛門はオサピリカに命を助けてもらったという莫大な恩があるので若干負い目を感じていたのだ。
「しょうがないな…では白菜を貰おうか」
「白菜ですね、わかりました」
オサピリカが鍋に箸を入れ白菜を掴むと、宗右衛門は白菜を貰おうとお椀を差し出す。
だが、彼女はその白菜を彼のお椀には入れず彼のほうを振り向くと言った。
とても嬉しそうに。
とても艶っぽく。
「はい、お口を開けて下さい。熱いから気をつけてくださいね。あーん……」
「あー………んん?いやいや待て待てしばし待てこれは違うだろう。まさかこれもアイヌのしきたりだとか言うのではないだろうな」
「だとしたらどうしますか」
「こういうのはジパングからしたら恋人同士だとか遊女とかが行なうものだ。オサピリカが俺にするものではない」
「……そんな…さっきから宗右衛門さんは酷いです…こんないたいけな少女の要望も聞いてくださらないというのですね……御払いをしているというのに…あんまりです」
「うぐ……な、泣くな泣くでない。わかった、ほら、口開けるから」
「……!」
宗右衛門も男である。
少女の泣き寝入りには勝てるはずもなく、疑問を抱いたままあっけなく口を開けることになった。
口の中に白菜が入ってくる。
噛むごとに白菜のしゃきしゃきという野菜の噛み音が耳に入り、噛むごとに野菜の水分が口の中を潤す。
他人に食べさせられるこの何ともいえぬ感覚が普段よりもより味を鮮明に浮かび上がらせる。
「ふふっ、どうですか宗右衛門さん」
「んむ…まぁ美味しいことには変わりない」
「本当ですか?では私にもお願いします。あーん……」
「!?」
いや、どういうことなのだろうさっぱりわけがわからない。宗右衛門の頭の中ではこの言葉が何度も反響していたに違いない。
怪我人だから食べ物を食べさせてもらうというのは百歩譲って理解はするが、その怪我人が健常人に食べさせてもらうということが理解できなかった。
先ほどオサピリカが語っていた怪我に障るという点においてはまったくの矛盾である。
もう何が何だか、彼は疑問を抱くことを通り越して若干の呆れを感じてしまっていた。
また否定しようとも考えたが、そうするとまた彼女の泣き寝入りが発揮させられるのだろう。そう考えると彼には従う他方法がなかった。
彼女に聞こえないように少しため息を吐くと、宗右衛門は鍋へと箸を伸ばし白菜を掴む。
「ほら、あーん」
「ん…ぁむ…」
箸を彼女の口前に持ってくると彼女は舌を箸に絡ませ、舐め取るように白菜と箸を口の中へ引き込んでいった。
ものを食すときの舌の動きではなかったが、彼女は瞳を閉じ白菜を堪能しているようだ。
宗右衛門が食べている時と同じように室内には白菜を咀嚼するときのしゃきしゃきという音のみが響き渡っている。
彼女の幸せそうな表情を見ていると思わず自分自身もはにかんでしまそうであった。
「どうだ」
「……おいし♪」
その途端彼の背筋にとてつもない悪寒が走る。今まで感じたこともないほどその悪寒は彼の心をざわつかせた。
上目遣いで見つめる彼女の顔は妖艶の他なく、押し付けられる胸はよりいっそう強く明らかに故意だと思えるほどになっていた。
要はオサピリカがこの上なく可愛いと思ってしまったのだ。
もともと顔立ちは美少女と言っても差し控えない顔つきで、民族衣装の外からではわからないが確実に太っている部類ではない。
そして極めつけは彼女の若干はだけた上着であろう。押し付けられたことによりそのやや成長途中で膨らみかけの胸は人為的に谷間が形成されていた。その谷間の艶かしさたるや、ただ胸の大きい女性の谷間よりもよほど格別なものと思えるほどであった。
こんな二十歳もいっていない少女を好む性癖ではなかったのだがと、宗右衛門は独りでに考える。
「宗右衛門さんの嘘つき。美味しいことには変わりないだなんて嘘、他人に食べさせてもらったほうが格別美味しいですよ」
「そうか、悪かったな。そういうには少し疎いんだ」
「いいんですよ、それならわかるまでやればいいだけですから。では、次は何を食べますか?」
「いやいい。そ、そろそろ腹も膨れたことだし今日は寝ることにする」
宗右衛門は四つん這いになりながら早々に焚き木から離れると、自分の布団へと潜りこんだ。
これ以上あの場にいては危険だ。気がおかしくなってしまう。よからぬことをことを考えてしまう前に寝てしまおう。
そう自分に言い聞かせ布団の中で度々浮かんでくるオサピリカの幻影を頭の中で打ち消す作業を繰り返していた。
年頃の少女を好いてしまうことなど武士の中ではあってはならないことであったのだ。いや、武士と言わず普通の男性ならば皆がそう思うはずである。
その中でも宗右衛門は特にその思想が強い者であり、そう考えている自分が許せなかった。
「ごちそうさまですか。では私も片付けたら寝るとしましょう」
そう彼女の台詞が聞こえると、宗右衛門は知らぬ間に眠りについてしまっていた。
しかし、彼の苦悩の日々はここから始まったのである。
深夜。
虫も草も生えそろわぬこの豪雪地帯では夜になると聞こえてくるのは風の音と動物の鳴き声のみである。
今夜は風も穏やかで雪も降っていないせいか完全に無音の夜となっていた。
「………」
ふと、彼は目を覚ます。
家の入り口から光が差し込んでいないところを見ると未だ夜のようである。
彼は一度伸びをしてからもう一度眠りにつこうと思った、その時である。
「………!!?」
異変に気が突いたのはこの瞬間であった。
体が一寸たりとも動かないのである。
かろうじて動くのは眼球と心筋と横隔膜だけであろうか。それ以外は何をどうしてもまったく動くことはなかった。
寝返りも打てず、声も発することもできない。
あまりの怪異に錯乱しそうになるがそこは持ち前の冷静さでどうにか落ち着かせ、この様子を少し観察することにした。
恐らくこれは話に聞く金縛りというやつであろう。
そう自分で言い聞かせ納得すると幾分かは心が落ち着く。金縛りは霊的な減少から起こるともされているし、単なる筋肉の緊張から来ているという説もある。
どちらにせよ筋肉の緊張なら単なる生理現象であるし、心霊現象だとしてもあの首飾りのせいで霊よりも恐ろしい現実というものを味わってきたので恐るるに足らなかった。
そして金縛りというものは時間が経つと解消されるということも知っていたので彼は格別取り乱すこともなく、ただ呆然と仰向けに硬直していた。
(そういえばオサピリカは大丈夫なのだろうか)
オサピリカは毎日宗右衛門の隣に布団を敷いて二人並んで寝ている。
これも止めたほうがいいと言ったのだが例の如く「大丈夫です」の一点張りであるのでしぶしぶ隣に寝ることを許している。
寝返りが打てないので動く眼球のみで彼女が寝ている左側へと視界を移すとそこにはとんでもないものが移っていた。
「んっ、はぁ宗右衛門、さぁん…」
彼女は宗右衛門の左半身に抱きついていたのだ。
それもただ抱き枕のように抱きついているのではなく、体全体を絡ませ酷く官能的に絡ませていた。
彼の腕を舐め何度も甘噛みし歯形をつける。時には腕の皮膚に吸い付き内出血の痕もくっきりと残していた。
幸い彼女がことを勤しむのに熱中していたせいか宗右衛門と視線が合うことはなかったが、それでも彼女の視線が熱を帯びていたのははっきりとわかる。吐息も白く靄がかかりいかに熱いかがよくわかる。
「はぁ、宗右衛門さんの視線感じる……もっと、私を見て……」
宗右衛門の左腿は彼女の両股にしっかりと固定されていた。
あろうことかオサピリカはその固定した左腿に自分の股を一心不乱に擦り付けていた。下着も何もつけていない民族衣装ということで当然彼の左腿に擦られるのは彼女の秘部の他なかった。
腰を上下に振り、その度に彼女の吐息が荒く呼応する。
次第に肌を擦る音は、湿っぽくなり水音のようなにちゃにちゃとした音が聞こえてくるようになってきた。
金縛り自体では混乱しなかった宗右衛門だが、流石にこの事態に混乱しないわけがない。
何せあのオサピリカが自分の体を使って自慰をしているのだからどう説明されようとも納得できる気がしない。
「私、どう、しちゃったんだろ………だめなのは、はぁん、わかってるのにっ」
口ではそういっているが行動は間逆であり、次第に腰を振る速度が速くなっていっているのがわかる。
もはや彼の左腿と彼女の股は水浸しだ、もし彼がこのまま動き出したら彼女はどうされてしまうのであろうか。
彼女は内心恐れながらもその腰を休めることはなかった。何故かはわからぬが、彼が動き出さない確信のようなものがあったからだ。
「やめなきゃ……でも、気持ちよくて、あっ……止められ、ない…」
宗右衛門は彼女に事情を問おうとするが、依然口は開かないし体も指先一つ動かせはしない。
太腿の濡れ具合は自分の皮膚から感じ取ることができる。
彼女が自分の体を慰み者にしているということは無頓着な彼でも嫌でもわかった。自分の体で感じている、快楽に浸っている。そう考えると否応無しに高揚感が沸いてきて、もっとオサピリカを感じさせたいと思うようになるが、その反面では少女には手を出してはならぬという良心が拮抗していた。
そしてそれは彼女も同じであることに気が突く。
「ああぁ……入れたい、でも、やっぱり……んんっ」
既に怒張し衣服から盛り上がってしまっている宗右衛門の陰茎を優しく服の上から撫で上げる。
しごいたりはせず恐る恐る触れるように裏筋、亀頭、竿をねっとりと撫でる。
そのような心地よい快楽に彼は声を荒げることもなく、ただひたすらに受け入れることしかできなかった。
体を動かせないのだから無理もない。
「はあぅ、あっ、く……来る、だめなの、にっ……止まら、ない、やだぁ…」
彼女は腰を振る速度を更に速め迫り来るその時まで最後の段階へと移った。
もはや彼女には何も見えない。
宗右衛門しか見えなかった視界は次第にぼやけ、白く霞がかかり時おり電気のようなものもぱちぱちと走る。
愛液が潤滑液となり限りなく抵抗の少なくなった宗右衛門の左腿を自分が一番感じる部位へと押し付け、擦り快感が許す限り彼女は腰を振り続けた。
唾液を飲み込むこともせずたらし続けるその顔は女ではなく雌としか言いようのない顔つきであることに、宗右衛門もオサピリカ自身も気づきはしていなかった。
「っ………クる、あっ、あっ、はっぁ!あぁ……!だめぇっ、だめえ!あぁっ!!」
「やだっ!やめて、とまってよ……はっあああぁぁん!♪♪」
ビクン、ビクン――
まさに音で表わすならこう表現すべきであろうか。
彼女は規則正しい周期で大きく前進が痙攣し、愛液が股から堰を切ったように溢れ出てきた。
目の焦点は宙を泳ぎ、舌は口に収まらずだらりと垂れ唾液を滴らせている。体は収縮と拡張を繰り返し、時間が経つと弱い痙攣が持続している。
体温は熱病患者の如く上昇し体中から汗が滲み出ているところを見ると相当疲弊しているようにも見える。
やがて彼女は宗右衛門の体から離れると、宗右衛門を見つつ自分を行なったことを思い出し独りでに震えるのであった。
「ご、ごめんなひゃい……宗右衛門さん…私なんへことを……
れも、気持ちよくて、きもひよくて……止められ、なかった。貴方が……貴方が悪いのですからね」
彼女は混濁とした意識の中で自分の布団へ戻ると布団にうずくまり、以後何も語ることはなかった。
一部始終を目の当たりにした宗右衛門。
彼の今の心情は混乱を通り越してむしろ逆にとても落ち着いた状態にあった。錯乱や戸惑いなんてものでは到底表現できないほどの異常な情報量が彼の脳の許容量をゆうに越えてしまったのだ。
一種の開き直りのようなものである。
彼は異常に冴えきった頭で先ほどのオサピリカの行為を推理したが、当然その理由はわかるはずもない。
出会って一週間と経つがそのような素振りなど何一つなかったのだからむしろそれでわかるということの方がおかしいのだ。
もう少し様子を見てみよう。それからでもまだ遅くはないはずだ。
そう考え、彼は再び眠りに落ちた
……首飾りが淡く輝いていたことも知らずに。
翌朝。
宗右衛門が目を覚ますと、いつも通り既に朝飯の仕度は整っておりオサピリカが起床する宗右衛門を待つという形になっている。
声にならない唸り声で伸びをすると彼は依然立てないままであるので、四つん這いで這い蹲りながら彼女の方へと移動する。
今日も良い寝起きだ、一度も起きることなく完璧に熟睡していたのだからな。と、宗右衛門は心の中で清清しく言う。
毎朝の事ながらとても良い匂いだ。
穀物に焼き魚、それと汁物というごくごく一般的な食事であるがそれでも宗右衛門にとっては心から美味しいと思えるものであることには間違いない。
「おはよう」
「おはようございます宗右衛門さん。さぁ熱いうちにどうぞお召し上がり下さい」
彼女の側に座る宗右衛門。
すると彼女は自ら移動し、宗右衛門の隣へとちょこんと座った。
脚と脚を絡ませ、腕を腰に回し酷く密着している状態である。
「なぁオサピリカ」
「はい、なんでしょう」
「………いや何でもない。食べるとしようか」
彼はオサピリカに何か問おうとしていたのだが、何を問おうとしていたのか忘れてしまっていた。
忘れるということはたいしたことではないのだろう。
そう思い宗右衛門とオサピリカは共にいただきますと言う。
そうして彼はいつものように無意識に穀物を箸で取るとオサピリカの口へと運び、彼女もまた無意識に穀物を箸で取ると宗右衛門の口の中へと運んでいった。
習慣化されたあたり前の行動のように何の疑問も抱くことはなく、互いが飯を食べ合わせていた。
――――――――
「それではまた食料を調達しに行ってきます。何度も言うようですが勝手に外には出ないでくださいね」
約二週間が経過しようとしていた頃。
宗右衛門にとっては待ちに待ち焦がれたこの日がついにやってきた。
というのも時はさかのぼり、二日ほど前のことだ。
宗右衛門は起床するとまず始めにいつもの習慣で伸びをするのだが、その時身体の調子がいつもと違っていた。どう違うのかというと、今までは多少なりとも伸びをすると身体の筋肉や腱といったものが痛みを生じていたはずなのに今日はその痛みが完全に消失していたのだ。
身体の内側から絞られれるような鈍痛独特な、今まで身体を蝕み続けていたあの痛みがない。
宗右衛門はまさかと思い急ぎ食事の用意をしているオサピリカを呼びつけると、彼女はとても嬉しそうな様子で彼の話を聞く。
もはやここまできたら、彼の傷が完全に癒えたと感じないものはいないだろう。
オサピリカの体を支えに宗右衛門は恐る恐る立ち上がろうとする。しかし、約2週間もの間一度も立ち上がることもせず生活してきたおかげで脚の筋力は著しく低下、自らの力では立ち上がることはできなくなっていた。
それでも彼は懸命に、再び己の二本の脚で地を踏み締めたいという強い思いが彼の限界を越えた。
オサピリカを支えに、まるで生まれたての子鹿のように下半身を震えさせながらも宗右衛門は自らの力で立ち上がることができたのであった。
痛みはもう何も感じない。
まだ完全にとはいえないものの、何か物につかまりながらであれば歩行もすることができる。何日かすれば以前のように健常者として歩くこともできるだろう。
宗右衛門は嬉しくてこの上なかった。いつかは治るとは思っていたが予想外に治りが遅く、結局2週間近くも待つハメになってしまったのだから無理もない。
たった一人の少女に身の回りの世話を全て任せてしまうという彼の意地や自負心といったものたちが許さなかったのだ。
滾る気持ちを抑えつつ彼はオサピリカと共に朝食を共にする。
これからはどうしようか。
その考えが本格的になり始めたときであった。
「足が治って嬉しいのはこちらも同じことですが、まだ外には絶対に出ないでくださいね。雪道は滑って危ないです、宗右衛門さんにはまだ外は厳しいでしょう。
滑って転んで、また怪我でもされたら困りますから。絶対ですよ?」
「わかっている、わかっているさ。俺とてそこまで愚かではない」
「ならいいのですが……」
ずず……と汁物をすするオサピリカ。
それとは対照にまったく雪道を恐れていなさそうといった感じで飯を食らう宗右衛門。
ふと、宗右衛門はあることを思い出したかのように急に顔を上げると彼女に問いただした。
「そういえばその首飾り、調子はどうだ。半月は経ったがどこかおかしい所は無いか」
「これですか。始めの方は大分辛かったですけど、今は沈静化しています。順調に事は進んでいますよ。心配して下さらなくても大丈夫です」
「ならいいのだが……」
「もう宗右衛門さんったら、私と同じこと言って」
「ん?ああ、まったくそうだな」
というのが二日前のこと。
今家にいるのは宗右衛門だけである。
オサピリカは食料がなくなりそうな頃になるとどこかふらっと出かけてきては調達してくるというのは既に長いこと一つ屋根の下で暮らしてきた宗右衛門には当たり前に知っていることであった。
そしてその日が今日なのである。
一度彼女は食料調達に出かけると帰ってくるのは夕刻辺りであり、日が沈む少し前に戻ってくるということも彼は知っていた。
宗右衛門は思わず一人笑いしてしまう。
「オサピリカには悪いが、やはり俺は外に出たい。この眼で一時も早く蝦夷の大地を目の当たりにしたい」
そう、宗右衛門はオサピリカのいない瞬間を見計らって一人勝手に外に出ようとしていたのである。
いざ歩けるようになり家から出られるようにもなったのにもかかわらず、オサピリカには固く外出することを禁じられていたので今の今まで外の風景すら拝むことすらさせてもらえなかった。
蝦夷というジパングの者なら一度は訪れてみたい秘境を目の前にして見てはいけないというお預けを長いことくらっていたのだ、我慢できないのも無理はない。
「一目見るだけ、見るだけだ。それなら誰も咎めはしないだろう」
宗右衛門はそう自らに言い聞かせる。
と言っても咎める者がいるとしたらオサピリカしかいないのだが。
もはや溢れる好奇心は引き下がることを知らず、宗右衛門の背中を後押ししているようにも感じられる。
考えてもみよう。
世界的絶景を目前にしてここから先は立ち入り禁止言われたら。
恐らく多くの人はそんなものはお構いなくに先に足を踏み入れるだろう。どんな危険があっても構わないから見てみたいという気持ちのほうが勝るはずである。それが命の危険となればまた話は別だが、今回の宗右衛門もまさしくその状況であった。
格別足を滑らせたといっても命の危機があるわけではない。最悪、治療期間が延びるだけで実際はそんなにたいしたリスクなんてものはないのだ。
「さてアイヌの集落というのはどういった感じなのだろうか。想起するだけで心が躍る」
ジパング人の一般的な蝦夷の印象としては、未開の島、島流しの場、極寒くらいの印象でしかなく、はっきりと言えば、蝦夷とはあまり良い印象ではないのだ
だが、宗右衛門の場合その中に好奇心が追加されることになる。
ジパングの目と鼻の先にある巨大な未開の島国には未知なる民族が暮らしている。どのような身なりで、どのような文化で、どのような歴史があるのか。
そう考えるだけで彼の純粋な好奇心は心躍るのだ。
ゆえに好奇心に駆られた宗右衛門の行動に制限をかけるものなどとうの昔になくなっていた。
両手と両足をふんだんに使いながら彼は立ち上がり、焚き付け用の長い木の棒を一つ取るとそれを杖にし歩き出した。
よたよたとゆっくり家の中を歩き、出入り口であるすだれの目の前までたどり着き宗右衛門は想像する。
住居はどんな形をしているのだろう。恐らく白川郷のような巨大な藁葺きの住居かはたまた縄文のような高床なのか。
集落で人々はどのようなことをしているのだろうか。
子供はどのような遊びをしているのだろうか。寺子屋もないのだ、子供達の交流の場はどういったものなのだろう。
男女差はジパングと比べてどうなのだろう。
想像は止まらない。
宗右衛門は未知なる文化への期待に溢れながら、すだれを大きくくぐった。
「うっ……ま、まぶし…」
瞬間、宗右衛門はあまりの眩しさで目が開けなくなる。
今の今までずっと薄暗い家の中にいたのだ、暗い屋内から真っ白な銀世界へといきなり飛び出したものだから眩しくなるのも当然である。
そして外に出たのだから当たり前の如く極寒の冷気が宗右衛門の体を包み込む。幸い吹雪いておらず風もそんなに強くはない日であったのでさほど寒さを感じることはないが、極寒であることには変わりない。
だが、彼にはそれすらもまた新たな体験であるのでなんら臆することはなかった。
それよりも早く目が慣れてアイヌ集落の風景を目の当たりにしたいという気持ちで頭の中はいっぱいであった。
オサピリカには悪いが俺は我慢できなかった、蝦夷という圧倒的好奇心に俺は負けてしまったよ。
そう独りでに呟く宗右衛門。
そしてそんなことを言っている間に眼が徐々に慣れてくると宗右衛門は固く閉じていた瞳を少しずつ、少しずつ開く。
まだ若干眼が明るさでちらついてはいるが、完全に瞼が開く頃には視界は全て見渡せるようになる。
そこにはとても満足げで達成感溢れた自分が辺りを右往左往見回しては、初めて目の当たりにする建造物や景色に心から感動している姿があった。
………はずであった。
「…………なっ……」
そこには何もなかった。
見たこともない住居も。
働く人々も。
遊びまわる子供達も。
見知らぬ自分に興味を示すアイヌの人々も。
何もなかった。
「一体……どういう………」
そこには、アイヌの集落そのものが存在していなかった。
彼の周りを取り囲むのは山のように積もり積もった雪と、四方八方に生え広がる樹木のみであったのだ。
家などない。
人などいない。
彼は絶対的孤立した森林の中でたった一人呆然と立ち尽くしていた。
「……」
あまりの衝撃的真実に彼の脳が自体を理解するのには一瞬では足りなかった。
呆然と立ち尽くし、肌に染み入る寒さが少しずつ己の思考を回復させてくる。
彼の想像していた集落は期待を裏切るというよりも、期待すら抱かせない形で現実を突きつけたのであった。
集落はなかった。
今彼がいる場所は言うならば、蝦夷という大地の名もなき地方の名もなき森林の中の名もなき人の住居の目の前ということになる。
いや、そもそも蝦夷なのかすら怪しいところである。
「……オサピリカ……そうだ、オサピリカだ。あの娘は俺を騙していたのだろうか……」
少し冷静な判断ができるようになってきた宗右衛門はふと思い出すように呟く。
宗右衛門は今まで彼女の嘘に踊らされていたというのであろうか。
彼女からしてみれば身動きの取れぬ見知らぬ人間を騙すには絶好過ぎる場所であるからに、宗右衛門は最適な条件であった。
蝦夷ではなくもしかしたら本当の異国なのかもしれない。そう思うとより外気が身に染みて寒くなるような気がした。
しかし、そんなことを嘘をつく理由がわからないし、そもそも彼女は嘘をついていないのかもしれない。
命まで助けれてくれたあの彼女がそのようなことをするわけがない、これは俺の妄言だと宗右衛門は雑念を振り切る。
積もる雪の中に頭を突っ込んで自らを冷やす宗右衛門。
「この先に彼女が……」
ふと、足元を見ると森林の奥へと一本の獣道ができており、そこには人間の足跡が奥の方へと続いてるのを発見した。
恐らく、いや確実にオサピリカのものであろうと確信する。
自分とオサピリカしかいないこの家の入り口から真っ直ぐと森の奥へと進んでいるのだから間違いはないであろう。
宗右衛門は真実を突き止めるために、木の棒を片手に一人足跡を辿っていった。
――――――――
『オサピリカ様、これが最後の通達です。これ以上あの男と関わりを持つのを止めて下さい』
『それが掟だから?』
『そうです。我々アイヌは穢れなき純潔の誇り高き北の民なのです。戦にしか興味のないジパング人などと関わりを持つなという酋長からの通達です』
『ですからオサピリカ様。あの男を私達に引き渡してはくれませんか。最後の通達なのです、我々とて事は穏便に進めたい限りです』
森林の奥地にある少し木々が開けた場所、そこでは三人の大人の男と一人の少女が対面し会話していた。
三人は全員体格のよさそうな男性でありそれぞれが特別な民族衣装を拵えて物騒な装備までしている始末である。
男たちと少女の話し合いの雰囲気は芳しくない様子だ。
『はぁ……お父様はなーんにもわかってない。考えが古いのよあの懐古じじいは』
『オサピリカ様』
『こんな島国でちびちび暮らしている私達がジパングの侍たちと戦ってみなよ。あっという間に征服させられちゃうよ?
だったらジパングの人たちを邪険にしないで、一緒に協力し合うようになった方が良いに決まってるのに。あのじじいったら「ジパング人は風の声も聴けぬ野蛮人ぞ」とか言っちゃってさ。野蛮なのは明らかにアイヌ人だってのに可笑しい話だよね』
『オサピリカ様!いくら父君だとしても酋長をじじい呼ばわりしてはいけません。酋長はアイヌを統治する偉大なる方なのですよ』
オサピリカは髪をいじりながらつまらなさそうに対話している。
時おり首飾りを見つめては、その牙を自らの皮膚に突き刺して恍惚としている姿もあった。
『じゃあ貴方達に問うけど、本当にアイヌはこのままで良いと思ってる?年々生まれる子供の数も減ってってるし、自然と会話できる人達も生まれなくなってきている。そんな衰退の道を辿るしかない私達がこの先始まるであろう世界の流れに付いていけると思っているの?』
『それは……』
『ホラ、貴方達もわかってるんでしょう。もう私達は古いんだって。古い者が生き残るには新しい者に取り込まれるしか道は残されていないんだよ』
『しかし……我々には酋長と巫女の命令に従うしか他ないのです…ですからオサピリカ様。我々にあの男を引き渡して下さい。我々にはそれしかできないのです』
『我々は従うことしかできない、それが生まれながらに決められている我々の運命なのです。元巫女のオサピリカ様には一生わからぬことなので……あっっ!』
男の一人は最後まで言おうとして思わず口を塞いでしまう。恐らく自分でも言ったことに驚いているのだろう。
いたたまれないような様子が辺りを覆う。
先の男の発言によりオサピリカの纏う雰囲気が少し違うものとなる。
同じアイヌの民である彼らにもその雰囲気がわからないわけではなかった。
『……どうするの』
『どうするの、とは』
『あの人を引き渡したらあの人はどうするのと聞いてるの』
『……』
『言わなければ私はあの人を渡しません。絶対に』
『お、恐らくは…酋長と巫女様の権限により……処分されるか、と』
『そう、じゃあいずれにしても私はあの人を渡すはできない。むざむざ殺されるのを知っておきながら引き渡せると思っているの?』
『オ、オサピリカ様!!これが最後の通達なのですよ!』
『酋長は抵抗するなら生死は問わぬから無理やりにでも連れて来いと仰りました。我々とて乱暴な真似はしたくありません!わかってくださいオサピリカ様!』
『生死は問わぬ……そう、そうなのね。くふ、ふふふふふっ……』
そう言うとオサピリカは俯きながらクスリ、と笑う。
肩を上下に揺らす不気味なほど怪しい笑いが木々を反響し広間に響き渡り、まるで木々すらも薄ら笑いをしているようであり、気味が悪いことこの上ない。
と、その瞬間彼女の身体から全方位に向けて強い突風が吹き荒れ、男たちは強く打ち付けられる。
その薄気味の悪い笑いと突如起きた突風に男らはただならぬ雰囲気を感じ取り、風のように素早く後ずさりすると、短剣、長剣、弓をそれぞれ取り出し様子を伺う。
『ふふふふ……あはははははっっ!!やっぱりそうだったのねあのくそじじいは!私なんて!巫女になりそこなったただの娘なんて何とも思っていないんだ!死んでも何とも思わないんだ』
『そんなことはありませんオサピリカ様!酋長はいつだって貴女のことを何よりも大事に』
『じゃあなにさ生死は問わないって。結局私が死んでもいいから、ジパングの男がアイヌモシリに入るってことが気に食わないだけなんでしょ?結局私の価値って、巫女じゃない私っていなくてもいいんでしょ?』
『オサピリカ様落ち着いてください!!確かに酋長はそう仰っていましたが、きっと何か考えがあるのでしょう。でなければ実の娘を殺してでもいいから男を連れてこいだなんて言うわけがありません』
オサピリカの周囲の雪は彼女から発せられる波動のようなもので吹き飛んでおり、服や髪も風がないのにもかかわらずばさばさと煽られて荒れている。
首飾りはガタガタと震えており、宝玉は彼女の気質に呼応するかのように淡く光り輝いており、牙は彼女が手を加えていないのにもかかわらず、独りでに皮膚に深く突き刺さり血を垂れ流しているようであった。
彼女の息が荒くなり、目つきは獣の様に鋭く威嚇するようなものとなっている。
『ふっ……くふふ……結局私は一人ぼっち。生きてて死んでる一人ぼっち』
『オサピリカ様……』
『おい、やはり予想通りだ。オサピリカ様には妖の類が憑いている』
『ではどうするっ…集落につれて帰り巫女様に除霊してもらうのか』
『いや、それでは我々の誰かが憑かれてしまうかもしれない。やはりここは仕方ないが……』
『待て!本当にオサピリカ様を殺してしまうのか!?』
『……では他に何か方法があるのか?ないだろう!こうするしか他ないんだよ……』
男たちが考えあぐねている間にもオサピリカは薄気味悪い笑みをし続けているのみである。
逆さ三日月のように鋭く曲がった笑みはあどけない少女の顔にはあまりにも不釣合いで、よりいっそう奇怪さを醸し出している。
短剣を持った男が一歩前に足を踏み入れる
『汚れ役は俺一人で十分だ。お前達はただ見ているだけでいい』
『し、しかし……それではお前が』
『年頃の少女を大の大人三人で襲いかかるのはあまりにも忍びないだろう。万が一があったら……頼む』
一人の男はオサピリカの目の前に出ていき、短剣を逆手に構えている。
体勢を低くし今にも飛び掛りそうなその姿勢はまさしく狩人と言っても差し控えないだろう。
その狩りの対象は動物ではなく人間であるのが唯一の違うところである。
『オサピリカ様。我々は酋長の命に従い貴女を亡き者にします。痛みはなく一瞬で終わらせますので、どうか安らかに眠り下さい……』
『くそじじいに味方する奴らはみんな敵。宗右衛門さんに仇なす者もみんな敵。つまり貴方達も敵なのね』
『……最後にもう一度だけいいますオサピリカ様、どうか考え直してはくれないでしょうか』
『それは無理。もう私には彼しか見えないんですもの。もう一人ぼっちにはなりたくないんですもの』
『それがオサピリカ様の意志と言うならば、我々は全力で阻止せねばなりません』
『ならば私は私の意志を貫き通すまでです。さようなら皆さん。貴方達はアイヌの中でも少しいい人たちでした』
『酋長、お許し下さい。貴女の娘をこれから殺めますので……』
そう言うと短剣を持った男は雪を踏みきり、驚くべき速度でオサピリカに切りかかった。
吹き荒れる風を逆らう逆流のように彼は刃を振りはじめる。
刃の軌跡の行き当たる先は寸分の狂いなく彼女の喉元を切断する軌跡だ、彼女は死んだということも気がつかぬまま首を落とされるだろう。
肉の切り裂く触感。
骨を断つ触感。
狩りの中で幾度となく感じてきた獲物を切り裂くこの感触を、まさか人間で味わうことがあるとは思ってもみなかった彼は切り裂きながら心の中で深く懺悔すると勢いよく首を断ち切った。
『すみませんオサピリカ様、どうかやすら――』
血が白銀の世界を真っ赤に染め上げていく。
首元から吹き出る鮮血は血飛沫というにはあまりにも多量であり、白い純白の雪を塗り潰すかのごとく赤色に変えていった。
ここで一つ彼は不思議に思う。
彼は血塗られた短剣を鞘に戻そうとするが戻せないのである。鞘は腰に腰掛けているので、短剣をいつものように腰に戻そうとするのだが腕が動かないのだ。
いや、腕だけではない。身体全身が言うことを聞かない。
オサピリカを切り捨てた時の体勢のまま体が硬直してしまったかのごとく不動している。
まるで身体がなくなってしまったかのようであり、彼は驚きを隠せなかった。
なぜ自分が自分の身体を見上げているのかも彼には理解することができぬまま、急に意識は途絶えた。
『う……うわあああああ!!』
『何だ!何が起きた!?』
残された長剣の男と弓の男は目の前で起きている理解不能な現状にただただ恐れおののく事しかできなかった。
"首を切りにかかった男の首が切り落とされていたのである"
短剣の男の首からは噴水の如く血液が吹き出ており、頭は赤くなった雪の上にごとりと落ちていた。
目を見開きながらまるでなぜ自分が死んでいるのかも気が付いていないまま、その瞳孔の開いた目は自分の身体をじと見つめている。
二人は半狂乱になりながらもオサピリカの方を見ると、彼女はさも何事もなかった同然に笑いながらも目を細めながら男二人を睨んで離さない。
もはやオサピリカには短剣の男などまるで宙に浮く埃の如く眼中には映らなかった。
『くそっ……よくも、よくもおぉぉ!!』
『ま、待て!!早まるな!』
長剣の男は両手で剣を握ると後先何も考えずにオサピリカの方へと突進していった。
弓の男は呼び止めるがもはや彼の耳にはその声は届かない。
目の前で同僚がわけもわからず死に絶えた不気味さと、怒りに身を任せて走る彼にもはや正常な思考などできるわけがなかったのだ。
先ほどの短剣の男と比べれば動きは幾分かは遅く見えるがそれでも風に生きるアイヌの民である。長剣を手に走る男はみるみるうちにオサピリカとの距離を縮め始める。
それを見た彼女はさぞ呆れた様子で大きなため息をつくと、男の方へ人差し指を突き立て空中で何かを描き始めた。
それは呪詛のような類が込められているものなのか、淡く紫色に輝くとすぐに消え空中へと消える。
それにふっ、と優しく息を吹きかけると、
「熱い男は嫌いなの。彼のように冷静なヒトじゃないと」
パァン!!
それは一瞬だった。
この場の雰囲気に見合わないような軽快な音と共に彼は断末魔を上げる間もなく爆ぜたのだ。
風船のように全身がボコボコと腫れあがると、彼が人間であった原形を留めないほどに爆発した。
血や肉片、臓器の全てが四方八方全域に飛び散り赤く染まったこの場が、更に血みどろな真紅へと染まり行く。木々の枝には肉片が引っかかり垂れ下がっている。
血が弾けたおかげで全身血まみれになったオサピリカは衣服に付着した血を手で拭いひと舐めすると、妖艶な様子でがくがくと全身を震わせ恍惚に酔い痴れているようであった。
首飾りの牙は更にズブズブと首元に突き刺さり血を流しているようにも、彼女の血を吸っているようにもみえる。
「宗右衛門さぁん……早く来て」
などとうわ言をいいながら彼女は残りの弓の男の方へと自ら足を進め出しす。
ゆっくり、ゆっくりとこちらに向かってくる少女は弓の男からして見たらオサピリカの皮を被った化物としか見えない。
―殺される。まもなく俺は死ぬ
もはや弓の男は目の前の少女の皮を被った化物に恐れを抱くほかなく、尻餅をつきながら必死に近づいてくる彼女から遠ざかることしかできなかった。
涙鼻水を垂らしながら、必死に命乞いする男もまた先ほどのような面影はない。
『ヒトを陥れるってたのしっ♪』
くふふと笑いながら指で輪を作ると彼女は大きく息を吸って笛を吹き鳴らした。
その笛は木々を木霊し森全体に行き渡るほど大きく響き、長い間鳴り止むことはなく甲高い音を立てながら彼の耳にも入っている。
男は戦意喪失しつつも正気を保ち辺りの様子を伺うと彼は気が付いた。
先ほどとは違う言いようのない謎の気配、視線のようなものを感じるのだ。
更なる不安と恐怖に駆られた彼は絶望の表情で彼女に問いただすが、彼女は飄々とした風貌で男の話などまともに聞いている様ではなかった。
『今の笛は何だ……何なのだ化物っ!』
『化物だなんてひどいです、私はちゃんとオサピリカのままですよ♪
そんなひどいことを言う貴方には私の可愛い下僕が相手してくれます』
『げ、下僕だと……』
よくよく目を凝らして見ると、こちらを黙視してくる謎の視線は周囲の木々の間から全域にわたり恐らく百はゆうに下らない数へと増加していた。
全身をくまなく舐めるように見回され逃げる場もないほど包囲された彼はもはや命乞いすることも忘れ呆然と虚空を見つめることしかできなくなっていた。
獣の声が聞こえる。
空腹に飢え、唾液を滴り垂れ流す湿っぽい唸り声が見渡す限り全域から聞こえてくる。
男も今まで幾度となく見たことがある、黄土色の奴らは狼よりも脆弱で犬よりも狡猾な森の狩人。
犬歯を剥き出しにし今すぐにでも飛び掛らんとするように奴らは身構えていた。
『貴方は別に悪くないよ。古いしきたりに囚われている偉い人たちが悪いんだから。
……じゃあ、さようなら』
彼女がパチンと指を鳴らすと木々の奥から男を睨みつけていた無数の狐たちが一斉に男へと飛び掛った。
その数十、二十、五十、百、二百……夥しい数の狐の群れが捕食者となり、目の前のちっぽけな一人の獲物目がけて狂うように襲いかかる。狐一匹ではなんのことはなく男一人でも対処は軽々とできるのだが、大群ともいえるこの量ではどうすることもできず、受け入れたくなくとも受け入れるしか他なかった。
男は瞬く間に黄土色の波の飲み込まれ姿が見えなくなると、その中で金切り声とも言えるような断末魔を上げる。
『あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!やめっ、があああぁあ"あ"ぁぁ……』
ぐちゅり
『ぎゃあ"あ"ぁぁあ"あ"あ"ぁあ"あ"!!!や"、やめ、でぐれ……いだい"、おねが…………』
みちちっ
血と肉に飢えた狐はその鋭い牙で男の皮膚を意図も簡単に引き裂き、千切り、捻じ切る。
無数の肉食獣に囲まれた男はただひたすら己の肉を奴らに引き渡すことしかできず、狐たちにとっては新鮮な餌だとしか思っていないのだろう。
無慈悲なるその食事は自然界ではごくごく普通に行なわれている生か死かの命がけな弱肉強食そのものである。
今まで食物連鎖の頂点に立つ人間が、自分より下の存在に捕食されることなど考えてもみなかったものだから、彼を襲う恐怖や痛みといったものは想像を絶するものとなるであろう。
だが、彼が蹂躙され肉を削げ落とされる姿を見てオサピリカは細い目でくふふと笑いながら見下しており、その目つきはもはや人間が人間に向けていい視線ではなかった。
『これでみんな私と同じ一人ぼっちになれたんだから、やっと同じ土俵で話せるね。
――って思ったけどもうみんなダメになっちゃったか♪あはぁ……』
オサピリカは自らの手で首飾りの牙を自らの皮膚に刺しては抜いて刺しては抜いてをひたすら繰り返し、その度に身体をぶるぶると震わせ迫り来るナニカを懸命に堪えているようであった。
もはや彼女の首元は先ほど破裂した長剣の男の血ではなく、自らの出血による血液で赤黒く塗り潰されている。
自らを痛めつけるその行為が何を意味するかは彼女自身も理解していなかったのだが、そうすることで身を悶えさせるほどの快感が走るという事は自らの身体で確認済みであり、抑え切れない欲求が無意識のうちにそうさせているのであった。
正常だとか異常だとかそんな範疇で語られる行動ではない。
狂気。圧倒的な純粋なる狂気である。
息は荒く呼吸をするたびに白いもやが吹き出る。熱っぽくなった身体は全身汗だくになり誰が見ても興奮、いや発情しているのは明らかであった。
そんな彼女の中ではある一つの言葉がひっきりなしに反響し続けている。
「あぁ……宗右衛門さん、私の宗右衛門さん……今行きますからね」
宗右衛門と自分でその名前を発するだけで身体がきゅうっと熱くなるのが自分でもわかる。
そして、それは今に始まったことではないのも彼女はわかっていた。
なぜ自分が宗右衛門を欲しているのか。
今まで耐えてきた欲求を受け入れたことでわかることもあった。
だから彼女はその全てを確認するために、彼の元へと戻る。
彼女は気が付いていないわけではなかったのだ。
一部始終を草陰から見つめていた者がいたこと、そしてその者はオサピリカの姿に恐れ一目散に家に戻っていく姿を。
彼女は卑しく舌を舐めずるともう一度指をパチンと鳴らしその者が逃げて言った方向、もとい宗右衛門が待つ家へと戻っていく。
そして戻る彼女の背後は先ほどの惨劇が嘘であったかのように何事もなくなっていた。
雪は純白に染まり、狐など初めからいなかったかのように。
その下で男三人が白目を向きながら気絶しているだけであった。
――――――――
一部始終を全て草陰から目の当たりにしてしまった宗右衛門はそのあまりの残虐性と恐ろしさから、彼女に問おうとしていたことなど全て忘れ一目散に自らのいた家へと駆け戻っていた。
人というのは凄いもので、命の危機を感じるほど危機的状況下に陥ると自らの身体能力を遥かに上回る行動ができるようになる。宗右衛門はオサピリカに感じた危険性を察知し杖も使わず一心不乱に森の中を駆け巡りもといたこの家へ戻ってきたのであった。
―あれはまやかしだったのだ、そうだ全て俺の見た幻覚だったのだ。そうでなければ恐ろしすぎてこの震えが収まるわけがない。
布団の中で蹲りながら震える宗右衛門は先ほど目撃した出来事は全て夢であったとそう自分の言い聞かせていた。
純粋無垢な少女であるオサピリカが大人三人、あろうことか同じアイヌの民を摩訶不思議な奇術で虐殺していたという考えたくもない出来事である。だが、間違いなく事実であるのだ。
なぜ今まで嘘をついていたのかを問おうと彼女の足跡を追っていくと、森の奥で彼が目撃したものは今まで見たこともないような憂いの表情で男三人を嬲っているオサピリカの姿であった。
オサピリカは男三人に対し虫けら同然、いや塵を扱うかのと同じくらいあれは酷い扱いで容易く絶命さていた。
信じられることであろうか。
宗右衛門はそのようなことをしているオサピリカを認めたくはなく、必死に頭の中で先ほどの記憶を消し去ろうとするがあまりの衝撃的な出来事であるがために脳裏に焼きついて離れる事はない。
「ただいま戻りました宗右衛門さん。……宗右衛門さん?」
彼女が帰ってきた。
いつもならば彼はこの寒い中一人で食料を調達しに行ってくれる彼女を迎え入れ暖めてあげるのだが、今回はそうはいかない。
彼女の見てはならない知られざる裏を目の当たりにしてしまった宗右衛門はそんなことをする余裕すらなかった。
当然彼女はいつものように温かく迎え入れてくれる宗右衛門の姿がないことに疑問と不満を覚え、その不自然に盛り上がる布団の方へと歩み寄って行く。
「ふーっ、ふーっ……宗右衛門さぁん、いつものように暖めて下さい」
今この布団の目の前に彼女がいる。
いつもより随分と荒い息をしながら彼女は宗右衛門の潜っている布団の元へとやってくる。
はたしてこの布団越しに聞こえる声の主は本当にオサピリカなのか、それともオサピリカの声をした別の何かなのか。
彼には確かめるすべはない、しかし格別確かめる必要もないと瞬時に頭の中で判断してしまうのであった。
なぜか彼女が近づいてくるほどに部屋全体に甘ったるい匂いが充満し、頭の奥に不思議な浮遊感を感じさせる。
そのおかげで彼の判断力が鈍ってしまっていた。
頭が少しぼーっとする。
「ふふ♪宗右衛門さんみーっけ♪」
がばと掛け布団をひっぺ剥がされると布団の中で丸まった体勢のままの宗右衛門がいた。
彼は半ばぎくしゃくした様子で仰向けになり彼女の方を恐る恐る振り向く。
そこにはまるで先ほどの姿が嘘であったかのように平然とした様子のオサピリカが彼の枕元に正座していた。
よかった、彼女はやはり彼女のままだ。と、深く安心する。
ある一部分を除いては。
「オ、オサピリカ!?その首一体どうした!!」
宗右衛門が首元を指差すと、そこには血まみれで今なお血を垂れ流している首と首飾りがそこにあった。
先ほどの惨状を忘れたわけではなかったが、彼は目撃したのは一瞬であったためオサピリカが怪我をしていることなどまったく予想もしていなかったのだ。
宗右衛門はなぜ先ほどあのような事をしていたのか、そもそもあの男たちは何物なのかを問おうとしていたが、それよりもまず彼女の怪我を手当てすることを優先させようとした。
「ちょっと待っていろ、今治療道具を持ってく、うおっ!?」
「いいんです宗右衛門さん、これはもう治療する必要なんてありませんから」
立ち上がろうとする彼をオサピリカは手で掴んで放そうとしない。
本当に治療しようとしていたのだが彼女の言葉がいやに脳まで染み渡り、まるでそう命令させられているかのような、そう実行させられているような不可解な感覚がした。
どう考えても血は垂れ流れているし今すぐにでも治療したほうがいい傷なのは明らかである。
しかし、彼女にいいと言われれば本当にいいような気がして彼もまた彼女の言葉を鵜呑みにするのみであった。なぜなのかは彼はわからない。
首飾りの牙が皮膚に刺さっていることも本来ならば異常この上ない出来事なのだが、なぜか然程気にするほどのことでもなくなっておりむしろこの甘ったるい空気をひと時でも味わっていたいという思いのほうが強まってきている。
彼を掴む手の力が強くなる。
「ねぇ宗右衛門さん、どうして今日はいつものように暖めてくれなかったの?」
「それは――あれ、俺はどうして――!!?!
いや、そうだ思い出した、俺はオサピリカに聞かなければならないことが」
自分でも驚いた。
先ほどまで彼女に聞こう聞こうと思っていたとても大事なことをこんな短時間で忘れかけてしまうとは一体どうしたというのだ。
心の中で驚きつつも思い出したので安堵をつく。
彼女が帰ってきてから匂うこの甘ったるい香り。いや、彼女から発せられるこの匂いのせいで宗右衛門の理解判断力は極めて低下してしまっていた。
「聞きたいことって……なに?」
「それは、その……だな……」
今すぐにでも聞きたい。
しかし、どう話を切り出してよいのかわからなかった。
いきなり先ほどのことを問うのか、それともなぜ今まで嘘をついていたのか。聞きたいことが山ほどありすぎて、その聞きたいことがどれも重そうな内容であるのでなかなか切り出し方がわからなかった。
「宗右衛門さん」
「何だ」
「私知っているんです。宗右衛門さん、さっきの見ていたんでしょう?」
「……!」
図星だった。
今まさに彼女に問おうとしていることを的確に問われてしまった彼はたじろぐ他ない。
「……ああ、一部だけなら見た。俺は恐ろしくなって急いで戻ってきたんだ。
オサピリカ、お主は一体何物なのだ。俺はお主が怖くて、でも命を助けてくれた恩人でもあるから大切なのだ。どうしていいかわからない」
「ごめんなさい宗右衛門さん、貴方を苦しめるようなことをしてしまって。
少し長くなります。お隣よろしいですか」
「ああ、かまわん」
そういうと彼女は布団で寝そべっている宗右衛門の隣に共に寝そべる形となる。
宗右衛門一人では少し大きめであった布団は、小柄なオサピリカが入り込むことで丁度いい具合に互いが寄り添い一つの布団の中に入り込んだ。
若干顔を赤らめる両者だが2週間片時も離れることなく生活を共にしてきた二人にとって、なんら気にすることはなかった。
〜〜〜〜〜
「どこから話したらよいのでしょうか……そうですね、まずはアイヌについて理解してもらわなければなりません。
ご存知かとは思いますが私達アイヌの民はアイヌモシリに住まう民族です。自然と共に暮らし自然と共に死ぬ、自然との調和を何よりも尊重する風と大地の民と言えばいいでしょう。そのアイヌの民は一人の酋長と一人の巫女によって治められており、自由に暮らしながらもしっかりとした文化を持ち長らく平和に暮らしてきたのです。
私のくそじ――父上はその酋長です。昔は有能な戦士であったと聞いておりますが、そのような勇姿は私が生まれる前の話なので真相は定かではありません。
そしてその娘である私は巫女でした。
父上は酋長という身分と娘が巫女ということもあってか、実質アイヌを支配していましたが決して民を厳かにすることなく指導者として民のことを第一に考えている人でした。私もそんな父上を尊敬していた頃もあります。
しかし、そこから私の人生は大きく転落します。
私より後に生まれた妹が私よりも遥かに上回る巫女の素質を持って生まれてきたからです。
自分のため、そして民のためを第一に考える父上はより力の強い巫女、私の妹に興味を向けるのは考えるまでもない話でした。
巫女は一人でなければならない決まりがあります。力の強い巫女が一つの場所に二人も留まると、それは自然の摂理を大きく捻じ曲げ、大いなる災害が起きてしまうからと考えられております。もちろん考えられているだけなので実際はどうなのかはわかりませんが。
当然成長した妹は私から巫女の権利を剥奪し巫女になります。父上は私のことなど見向きもせず、妹を立派な巫女に仕立て上げることしか考えておりませんでした。
権利を剥奪されたからといって巫女の力がなくなるわけではありません。そのため私は災害を引き起こしてはならないようにとこの人里離れた偏狭に追放されるはめとなったのです。
そこで私は始めて理解しました。
自分という存在は巫女であるための器でしかなかったと。巫女であるために生まれ、巫女であるために特別扱いされてきたのであるということを。
ならば巫女でなくなった私は厄介者以外の何物でもないということに気が付いてしまったのです。
それが今から五年前の話です。私は十歳という一番人生で楽しむべきであろう瞬間から一生孤独に生きていかなければならない宣告をされたのです。
それから語れる事は何もありません。
それは孤独というよりも、ほぼ無に近い毎日でした。
起きる時間も寝る時間も何をしようと何を考えようと何を食べようと完全に自由でした。同時に何をしても無意味な虚無でもあります。
三日に一回は集落の方が森の奥の広間に食料とたまに衣服を置いてってくれるだけです。偶然鉢合わせになったとしても彼らは顔も合わすことなく食料を置いて風のように立ち去っていくのみでした。
生きていても何の意味もない毎日を365日のうのうを過ごしているだけの堕落よりも辛い毎日を私は虚無のままに生きていました。何度か死のうとも思いましたが直前で躊躇って死ぬことも適いませんでした。
そうして五年の歳月を意味もなく過ごしてた私の人生に転機が迎えます。
いつものように海岸に出て海の向こうについて考え事を耽っていたとき、一人の男が流されてきたのです。
アイヌでは見たこともない服装に装飾品、道具の数々。私はすぐにこの男が巫女である頃学んだことがあるジパング人だと理解し、家へと引き込み看病しました。
その男こそがそう、宗右衛門さん貴方です。
それからというのも私の生活は大きく変わりました。だってそうでしょう、今まで話す相手すらいなかった孤独な生活に生きている人間がもう一人加わるのですから嬉しいことこの上ありません。
話をすれば返事が返ってくることがどれほど素晴らしいことか……私にしかわからないでしょう。
まして今まで会ったこともないジパング人です、聞く話全てが新鮮で楽しく、また話をする貴方の顔が本当に楽しそうで私はやっぱり生きてて良かったなとその時初めて思えました。
ですが、宗右衛門さんのことを喜ばしく思わない奴らがいるのも事実です。
宗右衛門さんがアイヌモシリに流れ着いたことはすぐに集落の奴らにも知れ渡りました。アイヌの民は風のにおいでそういうのには敏感に察知することができるのです。
宗右衛門さんが来てから数日後、森の奥の広場に食物を取りに行くとそこには酋長の使いを名乗る者がいて宗右衛門さんを引き渡せと迫ってきました。当然宗右衛門さんを奴らに渡すことなどできないので何度も断ってはいましたが、ついに奴等も痺れを切らしたのか無理やり私を殺して宗右衛門さんを拉致していこうと強行手段に出たのです。
ですので私はちょっと軽い幻覚のようなもので脅かしてあげたのですが……私自身も気が付かないうちに霊力が向上していたようで加減が効かなくあのようなちょこっと酷い幻覚になってしまったのです。
少々長くなってしまいましたが、これが私の真実です。
私は宗右衛門さんの為なら全てを差し出します。失うものなんて何もないのですから」
〜〜〜〜〜
「辛かったのだな……」
彼女の過去を全て聞いた彼は隣で寄り添う彼女の頭をひと撫でする。
愛玩動物のように目を細めながら撫でられる彼女はとても気持ちよさそうに宗右衛門の手のひらを堪能しているようであった。
「うん……とっても辛かった、寂しかった」
「何もない人生ほど辛いものはない。大切なものを失うことは恐ろしいが、その大切なものを得ることすら許されないことの方がずっと辛いだろう」
宗右衛門は彼女の頭を撫でながら自分の過去を思い出していた。
自分は彼女のように孤独ではなかった。
友人もいたし、上司も後輩もいた。なにより、第三者が普通に町の中にいた。
これが当たり前の生活だと思い込んでいたのだ。
だが、この当たり前の生活すらも許されることのない人が今実際にこの目の前にいる。
孤独の限りを尽くし心の底から無になってしまった彼女。決して心折れることなくこうやって死ぬことなく生きている芯の強さ。
俺がそういう立場になったら長く耐える事はできないだろう。
彼女が感じた孤独の辛さに比べれば、自分が体験した辛さなどたいしたものではないと思っていた。
「オサピリカ、よく頑張ったなぁ」
「え、へへ♪そうでしょ、そうでしょ?」
布団の上できゃっきゃと喜ぶオサピリカは正真正銘可愛い少女そのものであった。
であると同時に汗ばんだ身体に火照った体温、さらには少しはだけて民族衣装から露出する素肌のその官能さは男ならば誰でも劣情を抱くもので間違いない。
しかし宗右衛門は年頃の少女にそのような思いを抱いてしまって良いのか、はたまたオサピリカ自身の意志で布団に自分の身体に寄り添ってきているのでこれはもはや任意の証なのではないかと一人悶々とするのみである。
これではいけない。
そう思った宗右衛門はすかさず話題を切り出し何とか間を持とうとしていた。
「オサピリカは凄いな。たった一人で五年も生活しているのだから」
「って言っても食料とか衣服はちゃんと給付されるのだけれどもね」
「いや、それでも凄いさ。俺だって助けてもらったのだし、やはりいつか必ず恩を返そうと思う」
恩を返す。
そういうと彼女の瞳が今までにないくらい輝きこちらを見つめていることに宗右衛門は気が付いた。
その目つきは期待を前に心躍らせているようにも見えるし、獲物を見つけた獣のような目つき、そして潤った瞳は夜の女を思い出させるようであった。
思わず目をそらしたくなるが、その圧倒的な迫力というか切迫感が背けるなと言っているような気がしたので宗右衛門は見つめ返す。
「ウチャ、ロ、ヌンヌン……してほしいな」
「うちゃ……え?」
――――――――
彼女の視線は依然宗右衛門の両の瞳を捉えたままだ。
ウチャロヌンヌンという聞いたこともない―恐らくアイヌ語―言葉に面食らった様子になるがオサピリカはそんな様子の彼を一切笑うことなく真剣そのものの表情で見つめていた。
彼女の切ないような女の表情を目の当たりにして宗右衛門はもはや理性良心ぎりぎりのところで持ちこたえているようなところであろう。
隣に寄り添っていたオサピリカは宗右衛門と密着するような体勢になる。
「ウチャロヌンヌン……いいよね……もう我慢できない」
彼女との顔の距離が徐々に近づいてくる。
彼女の荒い吐息が自分の顔全体に吹きかけられているが、とても甘い甘美な香りで心地よかった。
もはやお互いの顔の距離は鼻と鼻が擦れ合うほどの距離で、宗右衛門はもう彼女が何をしようとしているのか完全に理解した。
その上で最後にもう一度彼女に問う。
「意味は」
「ウチャロヌンヌン……アイヌ語で」
「接吻、違うか?」
「…………♪」
彼女は一瞬満面の笑みをすると宗右衛門の唇に自身の唇を重ね合わせる。
それは大人が交わすような深いものではなく唇と唇が触れるだけの、とても少女らしい接吻であった。
十秒ほど唇を合わせオサピリカはやや顔を引き離すと震えた唇で言葉を発する。
「始めて、あげちゃった。くふ♪」
「初めてが俺なんかでよかったのか」
「宗右衛門さんだからいいの。ねぇ……もっと、いい……?」
宗右衛門は言葉なくうなずくと、オサピリカはすかさずもう一度唇を合わせに来た。
今度はただの浅い接吻ではなく、大人の深い接吻である。
宗右衛門が彼女の上唇を吸うと、オサピリカは彼の下唇に吸い付き舌先でれろれろと舐め上げる。
「んちゅ…♪ちゅ…♪」
「はぁ、じゅる……ちゅっ」
お互いが歯の裏側、舌裏、頬など口腔内を舐め回し恍惚とした行動に酔いしれている。
彼女にとって初めての相手と言える宗右衛門はもはや愛を通り越して依存している域まで達しているのだ、そんな人生を劇的に変えてくれた相手との接吻を幸せに感じないわけがなかった。
それは宗右衛門とて同じことであった。
見知らぬ大地でたった一人放り投げられ最悪死に至っていたかもしれない状況を助けてくれて付きっ切りで看病してくれた少女に愛おしさを覚えないはずがない。
しかし、宗右衛門は自分が見知らぬジパング人だということと、オサピリカがまだ少女であるという面から心から気を許しているわけではなかった。
「んぷっ…♪宗右衛門さん、私は貴方が好き。心から貴方を愛しています。では貴方はどうなのですか?」
「俺か、俺は――」
―俺も彼女のことが好き、なのかもしれない。だが、なぜ言葉に発することができないのだ。
宗右衛門の心の中では最後の最後まで理性と良心が鍵をかけていた。この鍵の向こうにはとても幸せな未来が待っているのだろう、そうは思っても鍵を解くことができなかった。
もはや鍵が障害に変わっていることなど当に理解していた。
しかし彼自身がかける鍵を自分で解くことができなくなっていたのだ。
心の中で苦悩する彼にオサピリカはとろんと呆けた表情で彼に問い続ける。
「生まれだとか年齢だとか、私はそんなの何にも気にしていないよ。私は宗右衛門さんの嘘偽りのない本音が聞きたいの」
―俺だって言いたいさ。だけど言ってしまえば何か取り返しのつかないことになってしまうような気がしてならないのだ。
なにかを言いた気にあたりをきょろきょろと見回すが、何も答えが見つかるわけではない。
彼女は待っている。
俺の返事を待っている。
そう考えるほど心の鍵は大きくなりよりいっそう自分を苦しめているのは明確であった。
「ジパングという封建的な考えが貴方を苦しめているんだね。可哀想……
今楽にしてあげるからね。私の目を見て」
「…………」
言われるがままに宗右衛門は彼女の目を見つめる。
彼女の瞳は怪しげな紫色の輝きを帯びており、ずうっと見つめているとなんだか心をさらけ出しているような、心が表れるような気がしてとても心地よかった。
ガラガラガラ……と音が聞こえる。
宗右衛門の心の中の鍵が、いや壁が崩れ去っていく音であった。
今まで言いたくとも言えずに封じ込めてきたもの、心の内に閉まっていたもの、それら全てが崩れると同時に少しずつ彼の中に言いたい言葉が構築されてくる。
心の壁の崩壊は理性と良心の崩壊とほぼ同義であった。
「俺は……」
気が付けば彼はまた接吻させられており、ねっとりと貪る彼女の唾液がとても熱く感じた。
唾液ではない得体の知れない何かも一緒に流し込まれているようでその熱は口内から食道、胃を劣情の炎で燃やし尽くしてしまうほど熱かった。
彼女の身体はほぼ完全に宗右衛門と密着しており、その小さい身体はいとも容易く覆いかぶされそうなほどである。
「俺はオサピリカが……」
唇と唇の間に一本の線ができるとオサピリカはそれを指で掬い取ると、彼の胸板にねっとりと擦りつける。
にちゃ、にちゃ、と鳴るその音は紛れもなくお互いの生体から出たものであり。その音を聞くたびに二人は接吻を行なっていたという証明になる。
オサピリカはもう一度彼を強く見つめると彼の心の壁は盛大に吹き飛んだ。
「俺はオサピリカが好きだ。俺はオサピリカが好きだ!!今まで己を隠しこの言葉を言うのを恐れていた。だけどもうそんなものはどうでもいい、俺はオサピリカを愛しているんだ」
そう言って宗右衛門は両手で強く彼女を抱きしめた。
背中と腰に手を回し、強く強く、けれど苦しくならないように彼女を心のままに抱きしめた。
そうしてまた、今度は口周りが唾液でべとべとになるほど激しい接吻を互いが行なう。
オサピリカが舌を突き出すと宗右衛門は口をすぼめ彼女の舌をしごいてやるように何度も何度も上下させる。
次は私の番といわんばかりに、オサピリカも対抗して彼の舌を吸い上げるのだ。
オサピリカは宗右衛門の首裏に両手を抱きかかえるようにして回しお互い決して離れられぬような体勢になる。
「んんんんんんっっ♪♪!!」
するとしばらくして、宗右衛門は彼女の聞いたこともないような嬌声を聞く。
接吻しているだけなのにこんなに感じるものなのか。
それにしては異常なほどの感じ方に少し不安を覚え、宗右衛門は抱きかかえていた手を放すと彼女の様子が先ほどとは違うものに気が付いた。
布団の上で何かに悶え苦しむかのように震えていたのだ。
「オサピリカ……どうした、どこか痛むのか」
「ち、違うの…………首が、首が……ああんっ♪♪」
彼女は宗右衛門に回していた手を取り外すと、今度は自分の首を一心不乱に掻き毟りだした。
布団の上で自分の首を掻き毟りながら痙攣する彼女の様子はただならぬものがある。
首がどうかしたのか彼はオサピリカの首元を見るとそこには更に仰天するものがあった。
「く、首飾りが!?」
宗右衛門の見た首飾り、いやかつては首飾りと呼ばれていたものはいつの間にか紐はちぎれていた。牙と宝石はばらばらになっている。
その牙と宝石は一つ一つが宙に浮き不気味に振動していた。
やがてばらばらになった牙は牙で、宝石は宝石でひと塊になる。
一方オサピリカはというと、まるで発作が起きてしまったかのごとく激しい呼吸で全身汗だくとなり朦朧とした様子で布団の上で震えているのみであった。
「オサピリカ!大丈夫か!!」
「わ、わらひなら大丈夫……それよりも、はぁ……ごめんなひゃい」
「喋るんじゃない、安静にしているんだ!」
「ごめん……首飾り、あんっ……御祓い失敗しちゃ……ひゃ」
「そんなものはどうでもいい!!俺はオサピリカだけいればもうそれでいいんだ…………」
「ありがとう……わたひが、私でなくなる前に……言えてよかった…………んああああっ!!♪」
彼女が最後に大きく喘ぐと、塊となった宝石は強く白く光り輝き光の球となると彼女の背中に飛んでいく。
輝きながら彼女の尾てい骨の辺りに飛来するとそのままずぶずぶと体の中へと入っていった。
牙の塊はというと空中でドロドロに溶け、真っ黒な粘性の液体になると彼女の口目がけて勢いよく飛び込んでいく。
「んむぅ!?……げほっげほっ……」
いきなり液体が飛び込んできたものだから彼女は吐き出す間もなく一口で飲み込んでしまう。
その液体は今まで生きてきた中で最上級とも言える甘さのものであり、彼女はあまりの美味しさに飲み込んだ瞬間たちまち表情が恍惚とする。
しかし、次に襲いかかるのはこれもまた感じたこともない強力な快感。
まるで全身が性器になってしまったのかと錯覚するほどにびりびりと身体を走る電撃は彼女の脳内を桃色に染め上げることくらい造作もないことであった。
「きゃううううん♪♪き、きもひ…………おかひくなっちゃ……うああぅ♪」
「なんなのだ、これは……」
「宗右衛門さぁん、好きって、しゅきって言ってぇ♪」
喘ぎ息づく彼女はその苦しそうな呼吸の中でそう言った。
もう己を取り巻く良心をを消しさった宗右衛門にとって彼女のその願いは造作もないことである。
「好きだ」
「あふぅ」
「好きだ」
「んんっ」
「好きだ!」
「あっ……ああぁぁああんっ!!♪♪」
宗右衛門は力強く最後に彼女へ嘘偽りない言葉を投げかけると、彼女は心底満足し昂揚した表情で宗右衛門にしがみつく。
そんな彼女を宗右衛門は拒むことなくやんわりと受け入れ正体不明の快感に苦しむオサピリカを撫でてあげるのだ。
「み、みみぃ♪」
「耳?」
「そう、みみにゃめてぇ……わらひのみみぺろぺろひてぇ♪」
上目遣いでそうねだる彼女の可愛さといったら言葉では説明できないほどに犯罪的、欲情的、圧倒的さを兼ねそろえていた。
そんな恐ろしく可愛らしいものに宗右衛門が敵うはずもない。
宗右衛門でなくとも世の男なら即虜になってしまうものであろう。
言われたとおり耳を舐めてあげようと彼はオサピリカの髪を掻き揚げる。
が、そこには彼の予想を遥かに上回る現象があった。
「?!み、耳が……ない……」
口角の一直線上。
目の水平横。
うなじの斜め上。
どこをどう見回しても耳らしき器官は存在していなかったのだ。
そこに耳があったという痕跡さえもまるっきりなくなっており、ただ髪の毛の付け根と平坦な皮膚が広がっているのみで、穴などどこにも開いていない。
「オサピリカ……お主耳が、なく、なって」
「あはぁ〜♪みみならこっちだよ……こっち
んっ♪もうすぐで……生えそ、んきゅぅ!♪♪」
彼女はこっちだよと言わんばかりにその震える体で指差しをする。
その指差す方向とはまさに頭、耳など到底ある場所ではない頭頂部であった。
恐るおそる宗右衛門は指差す方向を覗いてみると、確かに彼女の頭頂部はなにやらもぞもぞと蠢いているようである。
もはや驚きの連発でこれしきのことでは然程衝撃ではなくなった彼は言われたとおり彼女が耳であると主張する部位に口づけをする。
「あああっ!!みみ、みみ生えるぅ!♪んんうううぅぅぅん!♪♪!」
めりめりめりっ……
そんな生々しい音を立てながら頭頂部の皮膚が隆起し始めると、驚くことにその膨らみは左右二点に均等に集中し、小高い丘のように盛り上がってきた。
それでも彼は彼女の要望に応えるようにと懸命にその皮膚の盛り上がりを口づけし舐め続けると、更に皮膚がせり上がってきて破裂してしまうのではないかと懸念する。
しかし、ある一定の高さまで上がるとその盛り上がりは止まり、次は徐々に薄く薄く形が変化していった。
底の方はびっしりと毛で覆われよく観察することはできないが恐らく穴が開いているのだろう、彼は本能的にそこには手を触れないでおいて、薄くなった皮膚の盛り上がりを指で挟んで擦ってあげる。
始めは皮膚のしこりのように固かったその出っ張りは薄くなるにつれふにふにと柔らかくなり、ついには軽く指で折り曲げることすらも出来るようになってしまった。
「んふぅ〜……はい、出来上がり♪どう、かな……」
「これは、紛れもない……」
耳であった。
彼女の頭頂部から生える三角形の、その特徴的な柔らかさとぴこぴこ動く愛くるしさ。
間違いなく耳であった。それも人間ではなく、犬のような耳であった。
「可愛い、かわいいよオサピリカ」
「んひひ♪よかった、可愛いんだ……気に入ってもらって」
「お、おいその歯」
にっと彼女が歯を出して笑うと不意に口内から白く落ちてくる何かが見えた。
彼はすかさず手で捕まえるとそれは歯であり、硬く抜け落ちる要素すらない健康的な歯である。
捕まえたは四本。
彼はオサピリカの口元を見てよく観察してみると上と下の犬歯の部分がすっかり新しい歯に生え変わっていることに気がついた。その歯は人間の犬歯と比べると遥かに鋭く尖ったものであり、言うならば肉食獣の犬歯とほぼ差し控えのないものといっていい。
「獣のような耳に獣のような牙……!!まさか、アイヌの民というのは獣人の類であったのか?!」
「あはははっ!違う、違うよぉ宗右衛門さん。これは私だけが特別なの♪」
「では、オサピリカは初めから獣の化生であったと」
「それも違う。くふふ、私はやっぱり宗右衛門さんと出会う運命だったんだ。だからこうやって人間を辞めることができたんだもん」
「いや、俺には何を言っているかまったくわからんのだが……」
「もう鈍いんだから宗右衛門さんったら♪宗右衛門さんが持ってきたあの首飾りね。あれ、やっぱり呪われてたの」
やはりあの恐ろしいものは呪いの類であったのか。
そう納得するも、今更不幸が訪れたとしたもはや俺には何も失うものもない。俺はオサピリカさえいれば後は何もいらないのだと思っていたので彼女とふれあっているうちに首飾りの興味は薄れていっていた。
そういえばあれほど自由になるために躍起になっていた自分であったが、ここに流されてからというものその思いはほとんど考えていなかったなと思い返してみる。
「呪いは呪いでもとっても強い念が込められた呪いだったの。外そうと試みてみたんだけども、どう頑張っても外すことはできなかったし、外そうとするたびに呪いが強まる仕組みになってて……
その……男性が恋しく……というか、ええと……ご奉仕して、もらいたくなる……というか」
「なるほど」
「だから夜中に何度も襲おうとしたことだってあった。毎晩宗右衛門さんの身体で自らを慰めている毎日で……宗右衛門さんには目を覚ました時には忘れてしまうようおまじないをかけているので身に覚えがないのはそのためだよ」
「お主は毎晩そんなことをしていたのか……驚いた」
「すみません、どうしても宗右衛門さんの身体でないと慰められなくて……切ないのです」
宗右衛門は彼女の新しい耳をやんわりと揉みながら話を聞いている。
まるでその手つきは、そんなものは気にしていないと言いたげであり、その意志は少なからず彼女にも伝わっているようであった。
彼女は以前より二回りも大きくなったその乳房を宗右衛門の胸板に押し付けると、色っぽい息づかいで宗右衛門を誘惑し自身もこの仕草に酔いしれている。
「宗右衛門さん……わたし、今でも切ないんですっ。貴方が欲しくて欲しくてたまらない」
「オサピリカ、俺で……良いのか」
「はい、初めから答えは決まってます。私にはもう本当に貴方しか残されていないのです、貴方の存在が私の生きる意味。だから……貴方の証を私に刻み込んで下さい」
「…………もちろんだ、もとより俺に拒む理由などない。俺にももうオサピリカしか残されていないのだから」
そういってお互いがよりいっそう強く抱きしめあう。
宗右衛門、オサピリカ共に自身を纏っていた民族衣装を脱ぎ捨てると二人は素肌を明かし肌色へと変わった。
少女の姿をしていながら、頭頂からは獣の耳が可愛らしく膨らんでおり時おりピクピクと動く。
胸は少女の姿とは不釣合いなほどに大きく成長しており、しかしそれでいて垂れていなく先端は薄桃色の突起が若芽のように元気よく突っ立っている。
宗右衛門は宗右衛門で、流石は元武士というだけあり鍛えられたその肉体は傷が多く目立つもののそれがまた男らしさを醸し出している。
今のオサピリカにとって、その男らしいにおいというのがたまらなく劣情を催す危険なにおいであった。
宗右衛門の愚息は自分自身見たこともないぐらいに怒張しており、これが何を意味するかは用意に理解できる。
「綺麗な身体だ、美しいよ本当に」
「宗右衛門さんこそ逞しくって素敵……クラクラしそう」
お互い見る初めての裸体に興奮を隠せない。
これから行なわれるであろう生命の営みを想像するだけで脈は速くなり体温は上昇する一方である。
宗右衛門は彼女を布団に仰向けに押し倒そうとする……が、すんでのところで彼女に止められてしまい、何ぞと言う。
「まだ、最後にやることがあるよ♪宗右衛門さん、私のお尻、この尾てい骨のところに手を……」
彼女は宗右衛門に背を向き尾てい骨の方を見せる。
そこは先ほどの宝石の塊が飛んで沈んでいったところであり、未だに白く光り輝いていた。
美しいくびれとは対照にとても大きく張り出た臀部は女性特有の形態であり、思わず彼も見とれてしまうところだ。
宗右衛門はごくりと唾を飲むと彼女の臀部の割れ目より少し上部、尾てい骨の辺りに手を置く。
すると――
「んああああっっ!!!入っ……て、きたぁ♪♪」
「手が沈っ!?」
宗右衛門の腕は手首辺りまでが彼女の体内に沈んでしまったのだ。
ずぶずぶと入るその感触はまるで体内を遮二無二犯しているかのようで、愚息を挿入するとはまた違った感覚である。
その体内とも言えるような言えないような奇妙な異次元空間の中で手を泳がせていると、彼は何か不思議な触感のものを手にする。
「そ、それぇ♪それを引っ張って外に出して、お願い♪初めてのものは貴方に生やしてもらいたいの……」
「痛くは、ないのか」
「だいじょうぶぅ、らから……はやく♪ずるずるって出してぇ♪!」
何かはよくわからないが彼はしっかりとその片手で柔らかい何かを掴む。
そして放すまいと確信したら、ふぅっと一度深呼吸をし盛大に息を吸い込んだ。
「では抜くぞ。いっせーの…………せっ!!」
ず、ずずずるるずるるる!
「ひゃあああああんんん!!!♪」
彼女のさぞ気持ちよさそうな叫び声と共に宗右衛門は思いっきり何かを引っ張り出す。
それはまさしく尻尾であった。
全体が黄土色で先端だけはやや色素の薄く、柔らかい芯がある細長いもの。
毛並みはどんな毛皮よりも上質なものであり、いつまで撫でていても決して飽きのこなさそうな軽い中毒性すらありそうなふわふわの尻尾だ。
獣の耳に獣の牙、そして獣の尻尾。どこをどう見ても獣人そのものであった。
と同時に、彼女の尻尾を引き上げた途端彼女から発せられる甘い香りが数倍にも強まり、彼の欲情心は限界まで沸き立てられる。
もう我慢ならん、そう言いたげな彼の愚息は先走り汁を垂らしながら震えている。
「はぁぁぁ……やっと、人間じゃなくなった♪♪これからもよろしくね宗右衛門さん♪」
「獣人、いや妖怪か。姿形変われども、オサピリカはオサピリカだ変わらないさ」
「そう、多分私は妖狐っていう妖怪。乱れることが大好きな淫乱な妖怪。
宗右衛門さん……我慢できないのでしょう?わたしも、もうできない」
そういうと彼女は自ら仰向けで布団に倒れこむ形となり両手両足を大きく開く。
両手は宗右衛門の身体を受け止めるために、両足は宗右衛門の愚息を受け入れるために開くその姿はどんな可憐な女性よりも愛おしいほどに可愛らしく、どんな娼婦よりも狂おしいほどに艶かしかった。
宗右衛門は始めてみるオサピリカのあられもない姿をみて愚息がはち切れそうなほどに膨らみ固くなっているのがわかる。
心臓の脈と同期するかのようにドクドクと愚息も脈打つ。
「何もしていないのにこんなにも濡れて……本当に淫乱だな」
「やぁん……言わないで♪ずっと待っていたんだから、あっ……」
宗右衛門は自らの亀頭を彼女の入り口にあてがい、その潤滑液を愚息全体に染みこませる。
ぬらぬらとてかり、ヒクつく彼女はとても淫靡であり、その彼女を上から見下ろしているというこの体勢が男の本能に更なる火をともす。
今からこの魔性の壷に己の分身を無慈悲にも突き立てると想起しただけでよりいっそう先走り汁が溢れてくる気がした。
「いいよ……一気に挿れて」
「いいのか、初めてなのだろう、痛いと聞くぞ」
「大丈夫、今の私なら……多分痛くないと思う……だから早く、して♪♪」
じゅぷ……♪
興奮に興奮を重ねもはや理性も全て捨て去った彼はオサピリカの言葉を全て聞く間もなく、一気に奥まで己を挿しこんだ。
彼女入れたと理解する間もないまま、その圧倒的な快感を全身が支配される。
「あああああああああぁぁあああっ♪♪!♪」
それは痛みなんて一瞬で吹き飛ぶほどの恐るべき快感。
熱を持った硬い何かが入ってきたと思ったら、奥まで押し広げられ、蹂躙され、膜のような何かを破ったような気がしたがそんな痛みなど初めからなかったのように立て続けに襲ってくる快感が痛みを消滅させてしまった。
「ふーっ……ふーっ、らめぇ……ひもひよすぎてばちばちするぅ♪」
「凄っ……しめつけが凄すぎて、はぁ、まるで吸い込まれているかのようだ」
入れただけでこの快感である。
あまりの気持ちよさにオサピリカは一度腰を引こうと思ったが、それは身体が許してはくれなかった。
尻尾は無意識のうちに宗右衛門の腰周りを包むように縛り付けており、両足はシッカリと宗右衛門の背中に固定して決して離れることのない姿勢になっていたのだ。
「よし、じゃあ動かすぞ……」
「やああぁぁぁ♪動いちゃやああぁぁ♪♪」
彼はゆっくりと腰を引き抜き、モノが出て行くか行かないかの所まで持っていくと再び彼女の奥へと腰を打ち付ける。
その度に彼女に途方もない快楽の波を呼び瞬く間に彼女を覆いつくす。
抵抗しようと頭では考えるけれども、体はまったくその逆の行動をしているようでもがく度に気持ちのいい場所へと誘おうとする。その快感に妖狐である彼女が勝てるわけがなかった。
「あああああまたきちゃう♪きもひいのきちゃうぅ!♪♪」
再び彼が奥へと愚息を打ち付けると今度は全身が雷に打たれたかのように刺激が走る。
手先から足先の末端にかけて、髪の毛一本余すとこなく走るその感覚はまるで天災そのものであった。
もはや抵抗など無意味。
魔物娘としての本能がそう告げると彼女は自分でも驚くほどの順応さでこの身を蝕み犯す快楽に身を任せようと決めたのであった。
「オサピリカっ……きもち、よすぎるっ……はぁっ!はぁ……」
「んみゅぅっ♪♪よ、かったぁ♪はああああんん!ダメっ、そこだめぇっ♪」
一度突く度に彼女は一度達しているようであった。
徐々に早まるピストンは即ち連続して絶頂させられているようなものであり、つい先ほどまで人間であったオサピリカにとってそれは天国、そして良い意味での地獄そのものである。
そしてがくがくと痙攣するたびに愚息と膣内が擦れ合い、その刺激でまた更なる高みへと昇ってしまう循環になってしまっていた。
「はぁあああああああっ♪そ、そうえも、宗右衛門さぁん♪好きっ、れすぅ!」
「はっ……うっ……俺もす、きだ。オサピリカが……好き……はぐっ!」
絶頂するたびきゅうきゅうと締め付ける彼女の膣は彼女を苦しめると同時に、宗右衛門にも深刻な快感を引き起こしていた。
もともと少女の身体なので小さい膣穴はこの上ない締付けを誇る名器であり、挿入するだけでとてつもない快感を襲うのだ。それに不規則に蠢きながら締付けを強める魔性の力が加わったとなれば、それはもう計り知れない破壊力を伴うことになる。
「も、もうっ、何回イっちゃて……るか♪わからなぁい♪んああっ♪」
「そう、か……俺は嬉しいぞ、はぁ、こんなに可愛らしい者と……まぐわえるの、だから」
仰向けになりながらでも形崩れず上下に揺れる胸は以前の彼女ならば考えられぬものであった。
それを宗右衛門は両手で掴み乳首を人差し指で跳ねるように刺激する。
そうすると彼女からは更に潤滑液が分泌されるのがお互い感じ取ることができよりいっそう興奮し、腰の動きも早くなる。
家の中は彼女の嬌声と、潤滑液と皮膚が擦れる水音、そして彼のふぐりが彼女の股に勢いよく打ち付けられる三つの音に支配されていた。
もはや彼らを止めるものなど何もない。
ただ己の欲望のままに互いを貪りあい、快感を求め合い性交に溺れていく。それがいかに良くないことなのかは一般的な価値観ではそうなるであろう。
しかし、すでに心の壁を打ち砕いた宗右衛門と、妖狐となったオサピリカにはそれが悪いことだと思うことはなくなっていた。むしろ快感に身を任せるのは良いことであると、そう思うように思考が切り替わっていた。
「ひゅ…ぅ♪また大きくなったほよぉ♪」
「わかるか……俺ももう、だいぶ辛いからな……はぅっ!」
もうこれ以上快感が強くならないだろうと思っていた彼の予想は外れ。
宗右衛門が達しようとしていると聞いた彼女はたった今見に付けた技、もしくは魔物娘としての本能なのか宗右衛門がもっとも感じる弱い部分を攻めるかのように膣の形状を変えたようであった。
ひだの一つ一つが狭い膣の中で複雑に絡み合い、集中的に攻める。
「れそうなの?じゃあ……いつでも出していいよ♪宗右衛門ひゃんの……あつーい子種ほしひっ!!♪」
「そ、んな変態みたいなこと……言うようになってよお!はぁっ、はぁーっ!」
「うんっ、うんっ♪一緒にきもひよくなるから……孕ませてぇ♪♪宗右衛門さん、のあかひゃん♪」
自分とオサピリカの子供。
そう脳裏に想像するだけで訪れる多幸感は彼の思ってもみない香辛料であったらしく、射精への道を一気に近づけるものとなった。
もはや出す出さないという次元ではなく、出さなければならない、彼女の子宮に自分の種を存分に蒔きたいという雄としての本能が彼の腰を動かしていた。
気持ち良いという言葉ではもう表すことができない域まで突入してしまっている。まるで自分の性器と相手の性器が一つに融けてしまっているのではないか。
お互いがそんなことを考えていた。
「くりゅ!イきます♪イッてくださひっ魔物オマンコ孕ませてくだしゃいっ♪」
「あああっ!オサピ、リカ……もう、だめだ、出……!!」
彼女はそう聞くや否や、彼の身体に巻きつけてあった尻尾と両足を更に強め絶対に離れられないようにした。つまりこれは、このまま奥以外には出してはいけないという意思表示である。
ああ、来る。あの電撃が、一際大きいあの電撃が来る。
オサピリカは半ばうわ言のようにそう呟く。
白く染まる視界のなかでしっかりと宗右衛門だけは鮮明に見えていた。
宗右衛門もまたばちばちと靄がかかる視界、徐々に消えていく音の中でオサピリカの姿と声だけは鮮明に認識することはできていた。
最後にお互い一度目を見合わせると、一度だけちゅっ……と優しい口づけを交わし。
そして最高の瞬間に二人同時で果てた。
ドクンッ!!
どぷっ、どぷっ!
「イッくぅぅうううううううううううううううう♪」
「はああああああああぁぁぁっ!!!!」
宗右衛門の先端から鉄砲水の如く精液が吐き出される。
どぷん―どぷん―と彼女のほうからでもわかるほどの脈打ち方で、大量に出される種は子宮に直接送り込まれ止まることがない。
彼女は決して尻尾と両足の固定を外すことなく彼から送られてくる種を一心不乱に受け止めており、その人間の男性にしては規格外な量のものを一滴も溢すこととなくすべて自分の中に入れていった。
知らぬ間にオサピリカは潮も吹いていたらしく、布団は破瓜の赤と潮の水浸しになってしまっていた。
申し訳ないと思う気持ちはあるけれど、そんな言葉を言う余裕なんてものはなく彼女はうめき声を上げることしかできない。
「ふぅぅう……あはあぁぁ♪」
「ふーっ……くっ、ふぅぅ……」
やがてかなり長い間精を出し続けた宗右衛門は彼女の上に倒れこむ。
彼は喋るどころか身体を動かす力も使い果たし、身体を支えていられなくなったのか倒れこみ眠りについていた。これでも初めての魔物相手、それも性欲の極めて強い妖狐が相手なのだから宗右衛門はよくもったほうなのだろう。
オサピリカは彼と繋がったまま、彼の上半身だけを横にずらすと自分もまた身体を動かす余裕がなくなっていたことに気が付く。
これから自分達は誰にも邪魔されることなく、二人で一生幸せと快感に塗れた生活を送っていくんだ。
子供も何人かできたらいいな。
そう幸せな未来を想像するとふいに強い睡魔が襲ってきたので、彼女は宗右衛門に寄り添いながら深いまどろみに落ちていくのであった。
――――――――
「俺としては手荒なまねはしたくないんだが……まぁいい、捕虜は何人だ」
「二人、いずれも女です」
「女ねぇ……どうするピリカ?」
「んー話ぐらい聞いてあげてもいいんじゃないかな」
「だそうだ、よしその捕虜をここに連れてこい」
「はっ、今ここに」
祭壇のような大きめの社の中では重々しい雰囲気の中、民族衣装を着た一組の男女が一人の男に命令しているようであった。
命令された男は後方に合図を出すと、後方からは更に二人の男がそれぞれ捕虜と呼ばれた人を連れてやってくる。
「よし、ごくろう。お前たちは戻っていいぞ」
男女一組のうちの男の方が先ほど報告をしていた男と捕虜を連れてきた二人の男、計三人の男に命令を出しているようである。
三人の男は一人が短剣、一人が長剣、一人が弓を装備している男であり、命令された三人は部屋の奥の方へと去っていった。
連れられてきた捕虜二人は、共に縄で身動きが取れないように拘束されている。
「で、捕まったお二人。何か言いたいことはあるか」
「私達としてもできるだけ穏便にしたいの、素直に受け入れてくれると嬉しいのだけれど……」
男女一組がそれぞれ捕虜に言葉を投げかけると、彼女らは堰を切ったかのように球に怒鳴り散らす。
「何が穏便だ、ふざけるな!!我々の村を侵略してきたのはお前達であろう!?」
「そ、そうだ!お前達さえ来なければ……こんなことには……」
やれやれまたか、そういわんばかりの表情で二人を見つめる宗右衛門とオサピリカは二人そろってため息をつくと二人同士で何かを話し合っている。
やがて話し合いが終わったのか、捕虜二人のほうを見るオサピリカ。
懐から何やら呪文のようなことが書かれた札を二枚取り出すと、ふぅっと空中に拭きかけひらひらと舞わせる。すると札はそれぞれ一枚ずつ捕虜の方へ飛んでいき、捕虜の口をぺったりと覆ってしまった。
「これで貴女たちは二時間の間言葉を発することができません。あ、呼吸はできますのでご安心下さい♪
貴女たちは勘違いをしている。私達は侵略したのではなくて取り返したのです。アイヌをあるべき姿に戻すために、より良い文化の発展のために……」
「前の酋長と巫女のことなら心配しなくていいぞ。よっぽどあのおっさん巫女のことが大事だったらしいからな、娘を魔物にしてやったら泣きながら交尾してたってものだ」
捕虜が青筋を立てながら唸り怒っているが、彼らからして見たらただの無力な人間二人が呻いているようにしか見えない。
「私達が新酋長と巫女になってからというもの、人々は活気が戻りました。いくら働いても以前より疲れの来ない肉体、夜遅くまで聞こえる愛おしい夫婦の営み。
これらが意味する事はすなわち、前酋長と巫女の統率は誤っていたという事に他なりません」
「お前たちは見たか?街行く人々のあの充実した顔つき、あれは真に満足している者でなければできない顔だ」
捕虜たちは抗議の唸りを止め、いつしか二人の話を真剣に聞いているようになっていた。
まるで何者かにそうさせられているように。
「というわけで古い思想に囚われている貴女たちも私たちの一員にさせてあげます♪
っと言ってももう聞こえてないのですが♪♪くふふっ」
捕虜は虚ろな目で虚空を見つめているだけであり、ひたすらハイハイと頷いているだけであった。
これもまたオサピリカの奇術が関係しているのは明確である。
「今日もまた新しい仲間が増えることに風の神、大地の神、火の神、水の神、並びに自然を司る全ての神々に感謝の念を込めて」
「願い奉る所、今ここに二つの狐火に期待の念を込めて」
オサピリカの手のひらにそれぞれ一つずつ狐火が乗っかると、彼女は意識も朦朧としている捕虜の前に立ち狐火を彼女達の中に押し込んだ。
こうしてまた二人の人間がいなくなり、二人の狐憑きがこの世に生を受けたのであった。
北方都市「N.O.R」
ジパングの最北に位置する巨大な島国であり、一人のインキュバスと一人の八尾の妖狐が領主を務めている魔界である。
自然豊かなこの地は四季折々様々な名産品に恵まれ、冬は厳しいけれど魔界の観光名所としても有名な場所である。
その実態は、全人口の八割が狐憑きと狐火で構成されている極めて偏りのある都市である。そのなかで稲荷、妖狐といったものは数えるほどしか存在していなくN.O.Rにおいて稲荷、妖狐は何よりも尊敬され、自身の夫の次に従うべき存在として認知されている。
敵に攻められたとしても妖狐たちに幻術により戦っていることを忘れられてしまうのでもれなく都市の一員と化してしまうのが関の山である。しかし、普段は乱れて性交を行なうことしか考えていないので彼女達が本気を出すことなどほぼない。
「「ただいまー」」
「おかえりー!!でね、私言ってやったのよ。『私と付き合いたいならチンポで釘打てるくらい硬くしてから出直して来な!』ってね」
「すげー!やっぱ姉ちゃんはすげぇや!!うちもいつかそんな人があわられると良いなぁ……」
「ほんと、おねえちゃんすごいねー。おとなのよゆーってやつ?」
どこか豪華な雰囲気のする佇まいで狐娘三人が和気藹々と猥談をしている。
実にほほえましい風景だ。
その様子を見守るのは更にほほえましい表情をしている妖狐と一人の男。
「うふふ♪あの子達ったら……将来が楽しみね。そう思わない?」
「そうだな、まぁ俺はどんな彼氏を連れてくるのか気が気でないんだがな」
「大丈夫だよ。だって私と宗右衛門の娘なんだもん。顔が怖い怖い♪」
「いや、いくらピリカと俺の娘だとしても相手はまったくの他人なわけだし……」
いつの時代も娘の彼氏をよく思わない父親というものはつきもので。
「じゃあママはこれからパパとプロレスごっこするからまたね〜」
「「「ハ〜イ。パパ、今日は負けないように頑張ってね」」」
「娘にまで心配されるとは……かつての武士山代宗右衛門が泣いてるぞ……」
「ふふ♪あなた、私の夢は尻尾の数だけ子供が欲しいの。今日もいっぱい種付けてね♪」
「子供ができる前に九尾になりそうだけどな」
「気にしない気にしない♪♪くふふっ♪」
―可愛らしく笑う妻の犬歯は綺麗に光り輝いていた―
※※※
「オヤオヤ、お待ちしておりましたよ。
貴方は成功した方でしたか。
騙したようですみません。しかし、それほどに『シュマリ・シキヘテ』は強力な力を持っているものなのです。
力が手に入るとは言いましたが、ただで手に入るほど世の中上手くはできておりません。
それ相応の力を得たいのならば、それ相応の試練というものがあるのです。
貴方にとってそれは"固執した集団からの決別"。
狐という生物は狼や犬のように群れで行動することはありません、唯一行動するとされているのは家族です。貴方は『シュマリ・シキヘテ』を手にしたその瞬間から孤独に、もしくは家族と行動する道しかなかったのです。
そこで貴方は孤独を選び、そして最終的に家族を手に入れた。
それはとても、とても辛い道のりだったことでしょう。苦労したことでしょう。
ですがその苦労があるからこそ、今の幸せがあるというものなのです。
人間は苦労した分必ずいつかは報われるようになっているのです。しかし、悲しいことにその真実に気が付いていない人がいるのもまた事実。
ですから貴方はそんな悲しい人にならぬよう、これからも妻を愛し家族を愛して下さい。
それが魔物娘を夫に持つ者の死ぬまで守らなければならない義務なのですから……
あぁ代金は結構ですよ。商品も破損してしまいましたが、いいものをみさせて頂きましたのでね。エエ、エエ……
……では私はそろそろ去るとしましょうか。良い国ですが私には些か寒すぎるようです。
ではまたいずれどこかで会いましょう。そのときはもっと今以上に淫らで素敵な家族になってることを願っております」
生まれながらにしてヒトの言葉を理解し、怪しげな妖術を使役することもできた
人々はそんな彼女を化物だと虐げ誰一人として受け入れてはくれなかったが、
ただ一人だけ彼女を認めてくれる男がいた。
男は彼女の全てであった。
狼のように勇ましくもなく、犬のように従順でもないそんな自分を
認めてくれて彼女はこの上なく嬉しかった。
当然男は村の中でも化物と内通する者として人々から避けられるようになったが
男はまったく気にしていなかった。
人間と獣という種を超えた信頼があったのだ。
男もまた彼女に惹かれていたのである。
だから男が病に倒れた時も村人の誰もが薬も医者も配慮してはくれなかった。
彼女は男のために隣町まで薬を買いに走る。
しかし、彼女が男の元へたどり着く頃には既に男は息を引き取っていた。
誰にも見取られることなく孤独に死んでいた。
彼女は己を絶望した。
人々の冷酷さを絶望した。
己の存在に絶望した。
絶望はやがて憎しみへと変わると、
彼女は己の妖術で人々を次々と呪い殺していった。
そんなことをしても男が戻ってくることはないのはわかっていたが、
それでも彼女は許すことができなかった。
村の全てを滅ぼし荒地にしてしまうと、
彼女は己の牙を引き抜き妖力を全て封じ込めて首飾りにする。
その牙でできた首飾りを地中深く埋め隠し誰にも見つからないようにすると、
彼女は風のように山の中へ消えていった】
「オヤ、それに目をつけるとはお目が高い。
その手にしている首飾り『シュマリ・シキテヘ』はそれはそれは貴重なものです。ええ……
犬神を統べる巫女の呪詛が込められたお守りとも言われていますし、
極寒の地に住まう大妖怪の牙から作られた封印とも伝えられています。
どちらにせよ、非常に強力な妖力を帯びているということには変わりありません。
一度身につければ、実感するでしょう。その恐るべき妖力の力量を。
過去その首飾りを身に着けたものを三人知っていますが、
一人は妖気に負けてしまい廃人となり、
一人は頭がおかしくなり海へ飛び降り、
一人は妖力を従えその有り余る力を存分に堪能しました。
それをどうお使いになられるかはそちらに任せます。
生かすも殺すもアナタ次第、使い方を間違いさえしなければとても良いことが起きるでしょう。
私個人としては大切にしまっておき、機会をうかがうというのが最適かと思われますが、
やはりそれはもうアナタのもの。どう使うかはアナタ次第というものです。
それでは吉報をお待ちしておりますよ。
代金は後払いで結構ですので……」
※※※
波の音が聞こえる。
ハマナスが群生する寂しげな冬の海岸沿いを凍てつく寒気が吹き荒ぶ。
風の音が聞こえる。
生あるものを全て平等に凍らせ凍結させる極寒の地では、眼前に見えるのは茶色に荒れる荒波と舞い上がる雪のみである。
そんな中で少女は一人海岸の中心で呆然と立ち尽くし、瞳を閉じ音を聞いていた。
ざあざあと鳴る波の音
ごうごうと鳴る風と雪の音
少女はその耳でしかと聞き取り、うなずき、返事をし、語りかける。
誰かいるわけでもなく、誰に語りかけるわけでもなく少女は姿形の見えぬ何者かと確かに会話をしていた。
時に楽しみ、時に悲しみ、時に怒り、時に願い。
少女は姿の見えぬ幻影と取り留めのない会話を続けていた。
しかしある時、少女の顔が急に神妙な顔つきとなりはっと目を見開く。
すると何を思ったか少女は高波が荒れる極寒の海を見晴らし、ためらうこともせず海へと走り寄って入った。
ばしゃばしゃと波が音を立てる。
足先からすねの中腹辺りまでが海水に浸る形となり冷たさで感覚がなくなる。
あまりの冷たさに引き返そうかとも思う少女であったが、頭を振り雑念も振り払うと一心不乱に何かを探し続ける。
海の声を頼りに少女は何かを探し続ける。
やがて少女は捜し求めているものを見つける。
それは海岸に打ち上げられる形で海水に半分浸かっており、とても冷たくなっていた。
それを目撃した少女は一瞬うろたえたが、2、3度深呼吸すると意を決する。
少女の小柄な体ではそれを持ち帰るのは非常に困難かと思われたが、それでも少女は冷える体で冷たくなったそれを背負うと一目散に山の方向へと走り戻っていった。
―――――
「………ん……む…」
男は温かい布団の中でその重たい瞼を僅かに開き始めた。
まだ意識が鮮明としない。
聞こえるのは耳元で焚き木がパチパチと燃えている音と外から聞こえてくる吹雪の音のみであり、音から想像するに外は前も見えぬほどの猛吹雪であろうと男は想像する。
そして、しばらくして自分が何者であったかを思い出す。
幸い記憶は失っておらず、五体満足何の支障もなく動かせることに安堵を撫で下ろした。
もしも体のどこか一部が動かなくなっていたとしたらと考えるとぞっとするが、幸いその心配は無用に終わることとなる。
「ここは一体……痛ッッ…」
ここはどこなのかという疑問と同時に、男の体に酷い激痛が走る。
切り傷こそないものの体には打撲痕や捻挫している部位が数箇所ありとてもまともに体を動かせる状況ではなかった。
布団から出ようとしたが、泣く泣く彼は起きたままの状態で横たえる形となる。
彼は室内を軽く見回し、この家が自分の住んでいた地方のものではないと言うことを確信する。
屋根や壁は樹皮と藁葺きを合わせたようなものであり、一般的な住居と言うよりは藁葺きの倉庫と言ったほうがいいだろう。
東北地方の伝統的な住居ではないかとも思ったが、箪笥や提灯、棚や障子、さらには戸すらないことからその地方でもないということがわかる。
変わりにあるとすれば、天井には鮭の乾物が干されていたり、毛皮と言うにはやたら毛並みの粗い無骨な毛皮が衣服になっていたり床に惹かれていたりしていた。
衣服にいたっては全てに特徴的な模様が刺繍されている。
「俺は、助かったのか」
このような状況下でも唯一つ理解できることがあるとすれば、命は失っていないということだ。
肌を抓れば痛いし、自ら物を考えることができる、それを口に発することもできる。
夢や幻は何が起こるかわからない奇想天外な世界であるが、今現在彼が体感するにはそういったことは無さそうである。
ひとまずは安心する。
とりあえず今わかることと言えば、自分は何者かに命救われたということ、外が吹雪いていることからここは北方の地方、または異国であるということ。
それだけであった。
だが、ひとまず命はあると確信しただけで彼は大いに安堵する。
その心の落ち着きからか睡魔が彼を襲い、彼もまたその睡魔に賛同しようと瞳を閉じようとした。
その時である。
『よかった……目が覚められたのですね』
火と吹雪以外の新たな音が彼の耳に入る。
その音の方向を見ると住居の入り口、戸はないが藁で編まれたすだれのようなものが垂れ下がるところを掻い潜り、少女が彼のほうを見つめていた。
手には干し肉や植物の葉や根を抱きかかえている。
「……俺のこと…でいいんだよな」
男は確かに話しかけられたのだと思った。
この小屋には男しかいないし、誰かいた形跡すらも感じ得ないので自分だと思うのは当たり前である。
しかし悲しいかな、男は容易に返事することができなかった。
というのも少女の喋る言語が理解できなかったのである。
洋語のように流暢な舌周りではなく、蛮族や亜細亜地方の言語でも無さそうだ。まさか琉球か、はたまた同じジパングだとしても津軽地方なのか。
まだ寝起きではっきりとしない彼の頭の中では様々な地方の名称が飛び交っていた。
『すみません、私達の言葉じゃわかりませんよね』
「これなら理解できますか?」
「あ、あぁ……それならわかる」
ふすまを潜り外気が入ってこないようにすると、少女は焚き木の側に干し肉と植物を置き布団に横たえる彼の元へと歩み寄ってきた。
枕元へちょこんと座る小さな彼女は彼に再度語りかける。
「お体の様子はどうですか」
「少し痛むがこれくらいなんともない。お主が俺をここまで運んできてくれたのか」
「はい」
「そうか、この身助けて頂きまことに感謝する」
「いえいえ、人が倒れているのならば助けるのが当たり前と言うものです。流石に私の体格で貴方を運ぶのはちょっと辛かったですけどね」
くくくと、小さく笑顔で笑う彼女の顔は毒気も何も知らないただの無邪気な少女そのものであった。
久しく人の笑顔と言うものを目にしていない彼にとって、それはとても心安らぐものとなる。
彼女は焚き木の上に吊るされた土鍋の中に水を張り、手に抱えていた植物を放り投げると、その次に、穀物のようなものとあらかじめ溶いてあった卵を加え木蓋を落とした。
何やら料理を作っているようである。
それから彼女の口からは様々なことが語られた。
彼を救ったのは他でもないこの少女であり、彼が海岸に打ち上げられているところを吹雪の中たった一人でこの住居まで運んで来てくれたとのこと。
親の反対を押し切り、説得の末彼をここで看病しても良いということ。
猛吹雪で極寒であるこの地で海水に濡れたまま外にいるということは、すなわち死に繋がるものである。
少し発見が遅ければ彼の命ももしかしたら無かったのかも知れない。そう考えるとよりいっそう彼女への感謝の思いが大きくなっていった。
自分が海に打ち上げられていたのは驚きで、なぜ自分が海にいたのか思い出そうにも直前の記憶が曖昧なせいか思い出すことはできなかった。
だがそれよりも彼がより驚いたことがあった。
それは他ならない、この極寒の地が蝦夷であったということだ。
ジパングの一番近い島国でありながら未だに開発されていない未開の大地、蝦夷。
その地には蝦夷にしか住まない特殊な民族が生活し支配していると言うのは話には聞いたことがあるが、まさか本当に住んでいるとは思ってもみなかったので彼は驚きを隠せなかった。
「そうか、ここが……蝦夷地なのか」
「はい。私達の言葉ではアイヌモシリと呼んでいます」
「アイヌ……モシリ…変わった名と発音だ」
「ええ、恐らく私達アイヌ民族特有の言語ですので無理もないでしょう」
「ン、では待て。お主はなにゆえ我が国の言葉を話せるのだ」
「あ、それよりもご飯できましたよ。お熱いので気をつけて召し上がって下さいね」
少女が鍋の木蓋を開けると、もわもわと良い香りのする湯気が立ち上がる。
無骨に掘られた木彫りのお椀の中に注がれるのは穀物と恐らく山菜だと思われる植物とを卵で閉じた粥であった。
湯気を纏うと同時に香りを伺う。
何の添加物のない純粋な塩の香りが彼の鼻の奥に心地よく流れてきて、それに反応したのか否か唾液が溢れ腹が急に鳴り出した。
「……面目ない」
「怪我人は食べて寝るのが一番です。さあイペパスイをどうぞ」
「イ……ペペ?」
「あぁすみません、箸という意味です。ジパングの方も端で食事するということは知っておりましたので。
お気に召されませんでしたか」
「いやむしろその逆だ。こんなにも至れり尽くせりで逆に申し訳なく思ってな。
粥、ありがたく頂くとしよう」
自分でも驚くほどに腹が減っていたのか、彼の箸は一向に止まることはなかった。
穀物は米では無さそうであったが十分米の代わりにはなるし、山菜のようなものでもちゃんとしっかりとした歯ごたえと味がある。
粥に喰らいつくその姿は武士というにはあまりにも礼儀作法がなっていなく、さながら田舎者か蛮族の一員にでもなってしまったのではないだろうかと思うくらいだ。
気がつく頃には彼は一人で鍋の中にある粥のほぼ全てを平らげてしまっていた。
「そういえば先ほどの質問のお答えしていませんでしたね。なぜ私がアイヌ語のみならジパング語を話せるのかについてですが、それは私が巫女だからです」
「巫女?巫女といえばあの巫女か」
男は巫女と言われて紅白の衣装を着た女性の姿を想像する。
ジパング本土にいた頃は神社で何度か見ていたので、思い出すのに苦労することはなかった。
「貴方の想像している巫女とは少し違うものなのですが……大まかには同じでしょう。
私は生まれた時からアイヌ巫女としての資格があり、立派な巫女になるよう今まで教育を受けてきました。巫女といえば村を治める象徴ですのでそれなりに学識がなければならないのです」
「つまりはジパングの言葉が話せるのは巫女のための衛生教育の賜物というわけか」
「そう捉えてもらって構いません。この島の地形上、一番攻めてくると考えられるのはジパング本土ですからジパングの者と会話できるようにと……皮肉な話ですよね」
そういう彼女の顔はどこか暗くいかにもしょげているという顔つきであった。
無理もない、まだ齢二十もいっていなさそうな少女に諸外国との通訳を任されることがいかに辛いかは想像に難しくない。
生まれながらにして己の一生を決められているという悲しき運命を悲観するか、巫女という行為の役職に就けるということに喜びを感じるかは人次第である。だが、どうみてもこの目の前の少女は喜びを感じているようではなかった。
彼女は男から食器を受け取ると、空になった鍋のなかに入れ一まとめにしている。
「では、また休んでいて下さい。私は食器を洗いに行きますので」
「本当に隅から隅まで申し訳ない。この体が動けるようになった暁には何か恩を返さなければな」
「恩だなんて……私が好き勝手に介抱しているだけですので結構ですよっ」
彼女はにこりと笑うと再びすだれを潜り雪が吹き荒れる吹雪の中を身軽に駆け出そうとしている。
…とすると彼女は何かを思い出したのか三度すだれを潜ると小屋の中へ戻ってきた。
「そういえばお互い名前を知りませんでしたね。どう呼んでいいかわかりませんので、教えていただけませんか」
「そういうことか。己が名は山代宗右衛門と申す」
「ヤマシロソウエモン……覚えるのが大変そうな名前ですね…」
「あ、あぁお主らは家の名というものがないのか、失礼仕った。宗右衛門と呼んでくれればよい」
「宗右衛門さんですねわかりました。申し送れましたが、私の名はオサピリカと申します。普通にオサピリカと呼んでくださって構いませんよ」
「オサピリカ……わかった、今後はそう呼ばせてもらうとしよう」
互いの名前を知って満足したのか、彼女は小躍りするような足取りで吹雪の中を駆け抜けていった。
宗右衛門は吹雪の中をものともしない彼女に少々驚きつつも後姿を見送ると、上半身を下ろし布団に横たえる形に戻った。
そうして気づかぬうちに深いまどろみの中へと落ちていった。
――――――――
巫女オサピリカは興味津々であった。
というのも、彼の所持する荷物は彼女が今まで見たこともないようなジパングの物が溢れていたからだ。
好奇心旺盛な彼女にとってしたら宗右衛門の荷物はまるで宝の山に見えた。
刀を手に取れば危ないから放せと言われ、衣服を手に取れば民族衣装と比べ見て、硬貨に手を出せばお主らには必要のないものだと言われる始末である。
だが、その中でも一際興味の沸く、否、気にかかるものを見つけたからだ。
それも一際強い気を感じ取ったためである。
「宗右衛門さん、その、無礼を承知の上で言いますが包みの中を見せてもらってよろしいですか」
宗右衛門と呼ばれた男は布団から上半身のみを持ち上げる形で彼女の方を向く。
短髪で顔は整っていなく、かといって不細工ともいえないいわゆる世間一般的に言う「普通」顔であり、体格は元々鍛えてあったのかがっしりとした筋肉が今は見えないが羽織っている寝巻きの下から時たま見える。歳で言うところの二十代中半な男。
彼は自分の荷物から、彼女の指差したあるものを手に取り出した。
薄紫色の包みだ。
滑らかな絹の包みは一目しただけでもそれなりの高級感を醸し出している。淡い光沢を有する薄紫色の包みは厳重に縛れており中の物はうかがい知ることはできない。
所々に文字やら模様やらが描かれているようだが、彼には到底理解できぬものなので今まで無視していたし、これからも知るつもりはないのであろう。
「これが何か」
宗右衛門はさぞ珍しいものを見るかのようにオサピリカと呼ばれた少女の顔色を伺う。
吸い込まれそうなほど真っ黒な黒髪は長くもなく短くもない、少女の肩ほどまでの黒髪が一瞬ふわりと揺れて花のような香りが彼の鼻をつつく。
歳でいうところの十五から二十歳までの間だろうか、まだどこか少女のあどけなさを残しているようで少し大人っぽくもある。そんな年頃の少女だ。
着物でも洋服でもない、特徴的な模様の衣服を身に纏う少女は布団に寝そべる彼のすぐ側に座る彼女は彼が持っている包みをまじまじと凝視していた。
「…まだ何ともいえませんがもしかすると」
「もしかすると……?」
「非常に微々たるものですが妖気を感じるのです」
巫女である彼女には常人には理解できぬような不思議なことが理解できてしまう。
巫女というのは神に仕え神言を授かったり、除霊御払い等を生業とし神社の顔として存在していると処女というのが誰もが知っている巫女としての常識である。
だがしかしオサピリカは、否、アイヌの巫女は違う。
アイヌ巫女は万物の流れを読み取り、自然と調和することのできる存在なのだ。風の流れを知り、木々の言葉を聞き、水と会話する事だってできる、ひとえに言えば自然に特化した能力者なのである。
当然、霊的能力も携えているので退魔も行うことのできる特殊な巫女。
宗右衛門が今まで知っていた巫女とは大きく異なった特性であり、オサピリカもまたそのような特殊な巫女の一人であった。
ゆえに彼の今手にしている薄紫色の包みから感じ取れる妖気も彼女の巫女としての霊感が察知したのである。
「妖気……やはりそうか」
「やはり、と言うことは何か心当たりがあるのですか」
「あるも何もコイツは俗に言う"いわく付き"のシロモノというものだ。オサピリカもあまり見ないほうが良い、目に毒というものだ」
数年前の話である。
かつて山代宗右衛門は名のある大名の家臣として奉公していた。
剣の腕前も、難儀な政治も、全てを容易にこなしてしまう切れ者として、大名からも家臣達からも厚い信頼をよせられている武士であり、充実した毎日を全うしていた。
だが、とある日不気味な骨董屋から例の物品を入手した途端に彼の日常は大きく変わることとなる。
いつも通り仕事をしているはずなのに何故か誤りが生じている。
いつもなら軽く叱られるだけなのに、長期に渡り陰口を言われるようになり始める。
今までよく晩酌をした仲間達が急に疎々しくなる。
しまいには今まで良くしてもらっていた大名から暇を出される始末。
これはおかしいと思った彼は、包みを捨てるが不気味なことに次の日には元の場所に戻っている。中身を解体して四方八方に投げ捨てても元通りになって戻っている。
不気味この上なかった。
ついに彼は巫女やイタコ、除霊師に依頼を託そうと思った。
しかし彼の願い虚しく、一度も御払いを行ってもらうことはできなかった。
というのも彼が請負人に包みの中身を見せるたびに除霊師たちは口を揃えてこう言うのである。
「これは私の手に負えるものではない。他をあたってくれ」
「まだ死にたくない。早く出て行ってくれ、お前は私を呪い殺す気なのか」
「こんな恐ろしいものをもっている貴方の気が知れない」と。
無情に時は進み、依頼が百回断られる頃には既に城から彼の名前は消えており、誰一人として宗右衛門の名を思い出すものはいなかった。
彼は絶望し、しかし半分はこうなることがわかっていたような気がしていたので、家具や武士装束その他要らないものは全て金銭に変える。
そして誰にも告げることな、見送られることもなく、孤独に一人旅立つことを決めたのである。
呪いを解ける人に出会うために。
もしくはあの骨董商を見つけ有無を言わさず返却するために。
どちらにせよ長い旅路になることには変わりなかった。
だからそんな呪われた道具にに興味を持ってほしくなかった。
オサピリカが巫女と言われ一瞬喜んだ自分もいたが、彼女は退魔専門の巫女ではない。こんな危険な物を扱えるわけがないのだ。
それにまだ成人も迎えていないであろう少女が厄払いなどできるわけがないと宗右衛門は思っていた。
そのような者にこれほど危険な物の相手はしてもらいたくなかったのである。
持つ者を不幸に陥れ、捨てても必ず戻ってくるこの物品の恐ろしさは実際に体験した彼にしかわからない。
地の果てでも、世界の果てでも渡り歩きいつの日か完璧に御払いできるときが来るまで彼は誰一人として自分のようにはなって欲しくなかったのである。
「それはとても危険なものだ、長い間見ていいものではない。いくら巫女と言えどそれはあまりにも力が強過ぎるんだよ」
「そうですか、では私がこの手で妖気を御払いさせていただきましょう」
「……いや待て、俺が言ったこと理解してるのか」
危ない物だと言っているのにもかかわらず彼女はその自らの力をもってして浄化しようとしていた。
宗右衛門が包みを取り返そうとすると、彼女はその軽い身のこなしで難なくかわす。
そこから更に二、三歩後ずさりし笑顔でこちらを見返してくる。軽い挑発だ。
宗右衛門は布団から立ち上がり彼女の後を追おうとするが、体中に走る激痛がそれを頑なに否定した。立ち上がることもできずに、床をはいつくばっている彼を見てオサピリカは語る。
「アイヌの巫女を甘く見ないでください。これしきの妖力のものならひと月ほどで完全に御払いできますよ」
「し、しかし俺が今まで御払いをお願いした除霊師は皆口をそろえて恐ろしいものだと言って聞かなかったのだが」
「それはその人たちの力がこれに負けていただけ。私なら対抗することができるのです。信じて下さい……ね?」
彼女は宗右衛門の返事を聞かずして薄紫色の包みを丁寧に取り外していった。
包みをめくるたびに呪文のような言霊と、薄気味の悪い札が貼られていたが、気にする素振りもなくめくっていく。
やがてその全貌が露になった。
包みから出てきたのは、多種多様で美しい宝石と恐らく哺乳類らしき動物の牙でできている輪であった。恐らく大きさから察するに首飾りであろう。
宝石はそれこそ多種多様で、瑠璃、琥珀、珊瑚、瑪瑙、金剛、真珠その他様々……などが全て勾玉状に加工されており牙をはさむように一つずつ規則正しく配列されている。金剛石が使用されている時点で相当高価なものだと窺い知ることができる。
そんな高価なものになぜ牙が組み合わされているかは知る良しもないが、牙は牙で形は立派なものである。
犬歯や裂肉歯があることからまずヒトの歯ではない。恐らくは肉食寄りの哺乳類の牙だと思われる。今にも飛び掛ってきそうなほど活き活きとしている牙は恐ろしさを感じるが、逆に牙だけとなったその姿でも捕食者として威厳を保ったままであることに美しさをも感じさせる。
「き、綺麗……」
「悪いことは言わない、姿を見たなら早く包みに戻すんだ」
相変わらず床上で這い蹲りながらうんうん唸っている宗右衛門はオサピリカに注意を促すが、彼女はそんなことに従うわけもなくただひたすらに首飾りに見とれていた。
それと同時に宗右衛門は若干の違和感を感じていた。オサピリカの様子が先ほどとは違うのである。
何が違うかはまだ出会ったばかりの宗右衛門がわかるはずではないのだが、少なくとも始めて出会ったあの時の様子と比べてみると明らかに何かが違う。
もしかすると彼女の本性は今の状態で、先ほど粥を食べていたときの彼女は本当の彼女ではなかったのだろうか。そう心の中で言い聞かせるが、納得するような答えではなかった。
「そんなにも危ないものなのですか?」
「あぁ、俺の人生を全て奪っていったものだ。持っているだけで災いが起きるかもしれない」
「へぇ……」
そう言ったオサピリカの顔は平然を保ってはいたが、どこか得体の知れないような笑みであり薄気味悪いことこの上なかった。
先ほどまでの少女の面影はどこへやら、首輪を見つめる彼女の気質、気配というものは完全に別のものになってしまったのではないかとも錯覚してしまうほどだ。
いや、錯覚なのではないのかもしれないし、それすらも思い違いなのかもしれない。
ぐちゃぐちゃになる頭の中で、彼女は宗右衛門が一番恐れいていたことを口に出した。
「ひと月の間、私が肌身離さず首飾りをつけることにより御払いが完了いたします。ですのでこの首飾りをその間だけ貸してくれませんか」
「なっ、何を言っている!取り返しのつかないことになるぞ」
「じゃあ逆に聞きますが、宗右衛門さんはこの首飾りから解放されたくないのですか?」
「それは……もちろん今すぐにでも手放したい。だがな、出会った間もない少女にそんな危なげな物を押し付けるほど俺は人間腐ってもいない」
彼がそう言うと、辺りの雰囲気がよりいっそう違和感を感じるようになる。
霊力などないに等しい宗右衛門ですら感じ取れるようになるほど高濃度な妖力、魔力が室内に充満しており、その発生源は言わずもがな首飾りからであった。
オサピリカは依然あどけない少女の笑みのしながら、首飾りを頭上へと持ち上げる。
首飾りをつけるまではあと手を下ろすだけの形となった。
「宗右衛門さんは解放されたい、そして私はそれを開放する手立てを知っている。だったら開放するしかありませんよね」
「そのような安易な考えでどうにかなるものでもないというのはお主も肌で感じるのだろう?ならば尚更、任せるわけにはなるまい」
「私が自らの気持ちをやりたいと言っているのです。武士というのはここまで強情なのですね」
宗右衛門は這い蹲りながらオサピリカの元へ手を必死に伸ばす。
立ち上がることのできぬその体で懸命に手を高く上げ、もう少しで首飾りまで届こうとした。
そうして掴みかかり彼女から取り返そうと思ったのだろう、勢いよく手で掴みかかり首飾りを掴んだ。
はずであった。
「なっ!?」
彼の手が首飾りに触れる瞬間、何か不思議な力で真逆の方向へ跳ね返され、受け身も取れぬまま再び床に叩きつけられた。
反発力のような圧される力が彼の手を弾いたのである。
「宗右衛門さんがどう仰ろうとも、私は貴方の為になりたいのです。どうか、この誠意を受け取ってはくれませんか」
「ぐ……そこまで言われると否定し難くなるというものだが、だが……やはり、出会ったばかりの少女にその首飾りを押し付けるというのは俺の良心が許さんのだよ」
「私ってそういう人間なのですよ。お節介で、無理やりでも人の為になりたくなる。そんな人間に目をつけられてしまった宗右衛門さんが悪いのですから……」
「何を言っている……や、止めろ!!早まるな―――」
彼女の顔は一瞬だけどこか寂しげな顔をすると、勢いよく自らの手を首元まで下ろした。
カタカタと震える首飾りは首を中心にして2、3度回転するとオサピリカの首元に落ち着くと、次に怪しげな光を発光し始める。
宝石は個々が共鳴するように発光し、牙は今にもはち切れんばかりに振動を繰り返している。
青や白、黒に黄色といった様々に光が室内を乱反射し光り輝くその姿はとてもこの世のものとは思えないほど美しく、思わず宗右衛門もこれが今まで自分を苦しめてきた首飾りから発せられているものだというのを忘れてしまうほどであった。
輝きは徐々に光を増し、やがて室内は目も開けられぬほど眩しくなる。
視界がなくなっていくと同時にもう一つ気がつくことがあった。
それは、先ほどまで感じていた違和感がなくなっているということであった。彼の感じていた違和感が妖力、魔力の類のものであったとするならば、それらがなくなるということはつまり力を封じ込めているということだ。
「ぐっ…オサピリカ、まさか……本当に」
―
―
―
―
―
彼は光に包まれる中で僅かながらの希望を抱いた。
もしかしたら彼女は本当に首飾りの妖力を押さえ付けているのではないか、と。今まで誰一人として、まともに対峙すらできなかったあの恐ろしき首飾りを屈服しているのではないか。
いや、まだそう思うのは早い。俺のぬか喜びかも知れぬ。そう心の中で言い聞かせて頭をぶんぶんと左右に振り回す。
やがて光が収まっていき、僅かに室内が見えるようになってくると宗右衛門はうつ伏せで横たえているオサピリカの元へにじり寄っていく。
気を失っているようなので小柄な体をゆすり動かす。
「だ、大丈夫か」
「う……んん。だい、じょうぶ、ですよ…せいこう、です」
「成功、というと」
成功。
その言葉に彼は喜びを隠せなくなるが、まだ確信したわけではない。
だが、既に身の回りの違和感は完全に消失しており今まで感じていた異様な気配は跡形もなく消え去っていた。それが何を意味するかはもはや言わなくてもわかることだ。
彼女の口から全てが語られるまで喜びは隠しておきたいが、その口元が盛大に緩んでいるのは明らかであった。
「成功は成功ですよ宗右衛門さん。もう貴方はこの首飾りに怯えなくて良いのです」
「それは、まことか」
「私を信じて下さい。ひと月後に貴方はもう完全に自由の身となれます」
「自由……俺が自由……」
一瞬の沈黙。
しばらくすると、彼の口の緩みは更に緩み、そうして盛大な笑い声へと変わる。
それは面白おかしい笑いなのではなく、喜びと幸せに満ち溢れた歓喜の笑いであることに間違いなかった。
「は、はははっ!凄い、凄すぎるぞオサピリカ。俺はアイヌの民を甘く見ていたようだ」
「だから言ったじゃないですか、私達を甘く見るんじゃないですよって」
「すまなかった。出会ったばかりの少女の言うことを信頼できなかった俺の理解力がなかったようだ、許してくれ」
「謝る必要なんてありませんよ。私がやりたいからやっているだけですので」
自慢げに微笑む彼女はさぞ満足そうであった。
宗右衛門は彼女の頭をぽんぽんと何度か叩くとその嬉しさを胸に抱き、しみじみと昔を思い出しているようであった。
「しかし、ところで一体その首飾りは何だったのだろうな」
「私にも詳しいことはわかりません。ですが、とても強い念が込められていたということは確かです」
「そうか……元はといえば俺が地位と名声に目が眩み望んだが末にこれを手にしたのだ。欲深き業への罰として捉えておくとしよう」
武士を辞めた今となっては地位や名声などつまらないものは宗右衛門にはまったく必要のないものであった。
彼が一番望んでいた自由は今ここに実現したのである。
身分も戦も世知辛い人間付き合いも何もかもがないこの蝦夷という大地で彼は初めて人生を解き放たれ、自由になった。
その清清しさといったら、心地よいことこの上なかったのだ。俗世を離れた仙人はこのような気持ちになるのだろうか、と他愛もないことに思いを募らせている。
「さて、そうと決まれば今日はご馳走ですね!」
「……俺としては嬉しい限りなのだが、こんなにも尽くされたことがないのでな。素直に喜んでよいのかわからぬ」
「いいんです、いいんです。他人の喜びは自分の喜びというのがアイヌの考え方ですので。宗右衛門さんの喜びは私の喜びなんですよ」
「アイヌというのはそういう者たちなのか。素晴らしいな、ジパングの人々も皆そういった考えを持っていたら戦国乱世などなかっただろうに」
彼女は床の一部分を開け地下へと降りていくと、乾し魚や肉、つみれ団子のようなものを取り出してきて目を輝かせていた。見たこともない食材に宗右衛門も思わず食欲がそそられる。
「カムイチェプのルイベ、チタタプ、そして食後のシト。どれもこれも私の好物です♪
きっと宗右衛門さんも気に入ると思いますよ」
「一体何の食べ物なのかは見当もつかぬが……楽しみだ。何か手伝えることはないだろうか」
「いえいえ、宗右衛門さんは休んでいて下さい。むしろ、ケガ人に手伝わせることなんてできませんよ」
何もすることがない宗右衛門は横になり、考える。
これからどうしようか、いつになったらちゃんと歩けるようになるのか……
など考えあぐねていたが、楽しそうに食材を調理するオサピリカの後姿を見たらそんな考えはどこかに吹き飛んでしまった。
今は彼女の誠意に答えるとしよう。俺の命の恩人とも、生涯の恩人とも言える彼女の気遣いに甘えてみるのも一興か。
彼はそう思い、ゆっくりと彼女を見守っていた。
――――――――
それから一週間後。
宗右衛門はまだ歩けるようになるには到底達してはいないが、それでも僅かながら回復の兆しが見えてきていた。
一日中家の中で寝そべっているのは、普段勤勉に働いていた宗右衛門にとっては思ってもない休暇であったが、それも二、三日も限度であり今では暇で暇で仕様がなくなってくる。
そんな暇をもてあましている彼が唯一暇でない時といえばもちろん、唯一彼の面倒を見てくれるオサピリカとの会話の時である。
今日も彼女は首飾りをつけながら山菜や肉を採りに家の外へ出て行く。
オサピリカ曰く、この小屋はオサピリカ達が住み暮らしている集落で丁度最近空き家になった家らしく、誰のものでもなかったらしい。そこで彼女は親に頼み込み、見ず知らずのジパング人である宗右衛門を寝かしつけるために小屋を借りたということであった。
別に食事の提供だけしてくれれば宗右衛門一人でも十分に過ごせるはずなのだが、なぜかオサピリカも四六時中付きっ切りで看病してくれていることに若干に疑問を抱いていた。朝の目覚めから夜の就寝まで常に付きっ切りで、看病というには少し世話しすぎと思えるほど彼女と生活を共にしていた。
宗右衛門は彼女に「家に帰らなくてよいのか。親が心配しているぞ」と何度か聞いたことがあったら、ことあるごとに彼女に「いいんです、許可は取ってますから」の一点張りで聞かなかった。
いくら親が良いといっても男、それも素性の知れぬ男と共に一つ屋根の下で衣食住を共に過ごしてよいものなのかと良心が揺れ動く時期もあったが、何度聞いても同じように返してくるだけなので次第に彼はオサピリカが実家に帰らないことを何とも思わなくなっていた。
「―――ぇもんさん」
彼女に首輪を託してから一週間が経つが驚くことに彼女には何も変化が訪れていなかった。
あれほど恐るべき力が封じられている物だ、いくら彼女が凄腕の巫女だとしても絶対何らかの支障は来たすであろうと考えていた宗右衛門であったが、予想外に何事も起こることはなく平穏に過ごしていた。
このままひと月が過ぎて自由の身となれたらと考えると彼の心は小躍りする。
「宗右衛門さん!」
「ん―ああ、すまない。少し考え事を」
「もう……何度も呼んでいたんですよ。どれだけ自分の世界に没頭しているのですか」
衣服を折りたたみながら頬を膨らましながら彼女はこちらを睨み付けている。
宗右衛門が始めに着ていた衣服は既に荒波に揉まれボロ雑巾のように酷い有様であったので早々に捨て、今はアイヌの男性用の衣装を借りている。
意外にも着心地がよく、特徴的に民族模様をあしらった衣装は着るだけでアイヌ民族になれたような気がする。
「ええとなんだっけ……ああ、どうして俺が海に流されていたかって?」
直前まで彼女と話していた内容を思い出す。
助けられた当日は記憶が混雑していて、なぜ自分が海に飲まれていたかという直前の記憶がはっきりとしていなかったが、ある程度落ち着いた彼は海にいた理由を思い出しオサピリカに語った。
彼は海に流されていた経緯を語るに至って、それまでの自分の経歴も全てひっくるめてさらけ出した。
ジパングでは大名の家臣として奉公していたこと。
首飾りのせいで全てをめちゃくちゃにされたこと。
その首飾りの恐ろしさ。
自由になるために一人旅をしていたこと。
彼は一人旅をしてジパング各地の霊所、寺院を巡り御払いを願ったがどこも受け入れてはくれなかった。
絶望に打ちひしがれる中、彼は悩みに悩み一つの決断をする。
「ジパングでは駄目だ。海を渡ろう。遠い異国の地ではもしかしたらどうにかできるかもしれない。そう思ったのだ」
彼は人知れず貿易船に乗り込み、行く当てもない目的地へ航海したのである。
だがしかし、彼はここでも運が悪かった。
貿易船は大嵐のど真ん中に飲み込まれてしまい転覆、命からがら木片を掴んだ彼は波の流れるままに流され知らぬ間に意識を失っていたという。
「そこで流れ着いたのが……」
「そう、蝦夷だったというわけだ。言葉が通じるのが幸いだと思ったほうがいいかも知れないな」
「随分と大変な目にあっていたのですね…恐れ入ります」
「前も言ったが、あのまま海岸に打ち上げられていたままだと間違いなく俺は凍死していただろう。俺の命を救ったのはオサピリカ、お主なのだよ。
今度礼をさせてくれ。嫌だといっても無理やり恩返しするからな!」
「………そ、そんな私が宗右衛門さんとだなんて…分不相応ですよ…」
オサピリカは両手を頬に当てて頭を左右に振りながら悶えているようであった。
行動は明らかに否定をしているのだが、表情は明らかに喜んでいるのは見え見えである。
そんなに恩返しされることが恥ずかしいことなのかと思う宗右衛門であったが、特に気にすることもなく他愛もない雑談をし続けていた。
夕食の時間。
今日は飯は山菜と鹿肉を入れた鍋のようなものであった。
焚き木の前に宗右衛門は座り、その隣にオサピリカが密着して座る。
宗右衛門の右側にオサピリカが座る形となっている。
「オサピリカ、少し近くないか」
「そうですか?アイヌの民は寒さから逃れるためにこうやって肌を寄せ合いながら食べるんですよ」
「そ、そうなのか。ならいいが」
それにしても明らかに密着し過ぎである。と、彼は思う。
太腿は互いに絡ませあい、時おり腕すらも絡ませてくる。
食事とはかけ離れた行動に宗右衛門は疑問に思うほかなく、だがしかし、アイヌのしきたりと思えば仕方のないことと頭の中で無理やり納得するようにしていた。
鍋の中の具を取ろうと箸を伸ばすと、ふいにその手が動かなくなりピタリと止まった。
「……オサピリカ、なんのつもりだ。取られたくない具でもあったのか」
宗右衛門の手はオサピリカの両手が強めに絡み合っており、いやおう無しに止められていた。
強めに抑えられているせいか両者の体の密着はより強固なものとなりそのわき腹に当たるやわらかなものが何を意味するかは考えるまでも無かった。
年頃の少女の乳房の半分が今この瞬間、自分の胸板に押し付けられていると考えるだけで彼の脳裏には一時の興奮と背徳を覚えるが、ごく一般的な成人男性の良心がそれを押さえ付ける。
「お体に障るますので宗右衛門さんはじっとしていてください。具は私が直接運びますので」
「お、俺なら大丈夫だ。手を放してはくれないか」
「いえ、アイヌのしきたりですので」
「これはしきたりの度を過ぎているとしか考えられないのだが」
こうも強情になってしまった彼女はそう簡単には折れてくれない。
この一週間で宗右衛門が学んだことだ。とても華奢で礼儀正しい少女であるが、一度頑固になると徹底的に頑固であることを彼は知っていた。
一体何のためにこんな肌を密着させ食事をするというのか理解できないし、具を取る動作だけで体に障るとも到底考えられなかった。
だが、いくら説得したとして彼女がこうなってしまったら彼には従うしかなかった。
宗右衛門はオサピリカに命を助けてもらったという莫大な恩があるので若干負い目を感じていたのだ。
「しょうがないな…では白菜を貰おうか」
「白菜ですね、わかりました」
オサピリカが鍋に箸を入れ白菜を掴むと、宗右衛門は白菜を貰おうとお椀を差し出す。
だが、彼女はその白菜を彼のお椀には入れず彼のほうを振り向くと言った。
とても嬉しそうに。
とても艶っぽく。
「はい、お口を開けて下さい。熱いから気をつけてくださいね。あーん……」
「あー………んん?いやいや待て待てしばし待てこれは違うだろう。まさかこれもアイヌのしきたりだとか言うのではないだろうな」
「だとしたらどうしますか」
「こういうのはジパングからしたら恋人同士だとか遊女とかが行なうものだ。オサピリカが俺にするものではない」
「……そんな…さっきから宗右衛門さんは酷いです…こんないたいけな少女の要望も聞いてくださらないというのですね……御払いをしているというのに…あんまりです」
「うぐ……な、泣くな泣くでない。わかった、ほら、口開けるから」
「……!」
宗右衛門も男である。
少女の泣き寝入りには勝てるはずもなく、疑問を抱いたままあっけなく口を開けることになった。
口の中に白菜が入ってくる。
噛むごとに白菜のしゃきしゃきという野菜の噛み音が耳に入り、噛むごとに野菜の水分が口の中を潤す。
他人に食べさせられるこの何ともいえぬ感覚が普段よりもより味を鮮明に浮かび上がらせる。
「ふふっ、どうですか宗右衛門さん」
「んむ…まぁ美味しいことには変わりない」
「本当ですか?では私にもお願いします。あーん……」
「!?」
いや、どういうことなのだろうさっぱりわけがわからない。宗右衛門の頭の中ではこの言葉が何度も反響していたに違いない。
怪我人だから食べ物を食べさせてもらうというのは百歩譲って理解はするが、その怪我人が健常人に食べさせてもらうということが理解できなかった。
先ほどオサピリカが語っていた怪我に障るという点においてはまったくの矛盾である。
もう何が何だか、彼は疑問を抱くことを通り越して若干の呆れを感じてしまっていた。
また否定しようとも考えたが、そうするとまた彼女の泣き寝入りが発揮させられるのだろう。そう考えると彼には従う他方法がなかった。
彼女に聞こえないように少しため息を吐くと、宗右衛門は鍋へと箸を伸ばし白菜を掴む。
「ほら、あーん」
「ん…ぁむ…」
箸を彼女の口前に持ってくると彼女は舌を箸に絡ませ、舐め取るように白菜と箸を口の中へ引き込んでいった。
ものを食すときの舌の動きではなかったが、彼女は瞳を閉じ白菜を堪能しているようだ。
宗右衛門が食べている時と同じように室内には白菜を咀嚼するときのしゃきしゃきという音のみが響き渡っている。
彼女の幸せそうな表情を見ていると思わず自分自身もはにかんでしまそうであった。
「どうだ」
「……おいし♪」
その途端彼の背筋にとてつもない悪寒が走る。今まで感じたこともないほどその悪寒は彼の心をざわつかせた。
上目遣いで見つめる彼女の顔は妖艶の他なく、押し付けられる胸はよりいっそう強く明らかに故意だと思えるほどになっていた。
要はオサピリカがこの上なく可愛いと思ってしまったのだ。
もともと顔立ちは美少女と言っても差し控えない顔つきで、民族衣装の外からではわからないが確実に太っている部類ではない。
そして極めつけは彼女の若干はだけた上着であろう。押し付けられたことによりそのやや成長途中で膨らみかけの胸は人為的に谷間が形成されていた。その谷間の艶かしさたるや、ただ胸の大きい女性の谷間よりもよほど格別なものと思えるほどであった。
こんな二十歳もいっていない少女を好む性癖ではなかったのだがと、宗右衛門は独りでに考える。
「宗右衛門さんの嘘つき。美味しいことには変わりないだなんて嘘、他人に食べさせてもらったほうが格別美味しいですよ」
「そうか、悪かったな。そういうには少し疎いんだ」
「いいんですよ、それならわかるまでやればいいだけですから。では、次は何を食べますか?」
「いやいい。そ、そろそろ腹も膨れたことだし今日は寝ることにする」
宗右衛門は四つん這いになりながら早々に焚き木から離れると、自分の布団へと潜りこんだ。
これ以上あの場にいては危険だ。気がおかしくなってしまう。よからぬことをことを考えてしまう前に寝てしまおう。
そう自分に言い聞かせ布団の中で度々浮かんでくるオサピリカの幻影を頭の中で打ち消す作業を繰り返していた。
年頃の少女を好いてしまうことなど武士の中ではあってはならないことであったのだ。いや、武士と言わず普通の男性ならば皆がそう思うはずである。
その中でも宗右衛門は特にその思想が強い者であり、そう考えている自分が許せなかった。
「ごちそうさまですか。では私も片付けたら寝るとしましょう」
そう彼女の台詞が聞こえると、宗右衛門は知らぬ間に眠りについてしまっていた。
しかし、彼の苦悩の日々はここから始まったのである。
深夜。
虫も草も生えそろわぬこの豪雪地帯では夜になると聞こえてくるのは風の音と動物の鳴き声のみである。
今夜は風も穏やかで雪も降っていないせいか完全に無音の夜となっていた。
「………」
ふと、彼は目を覚ます。
家の入り口から光が差し込んでいないところを見ると未だ夜のようである。
彼は一度伸びをしてからもう一度眠りにつこうと思った、その時である。
「………!!?」
異変に気が突いたのはこの瞬間であった。
体が一寸たりとも動かないのである。
かろうじて動くのは眼球と心筋と横隔膜だけであろうか。それ以外は何をどうしてもまったく動くことはなかった。
寝返りも打てず、声も発することもできない。
あまりの怪異に錯乱しそうになるがそこは持ち前の冷静さでどうにか落ち着かせ、この様子を少し観察することにした。
恐らくこれは話に聞く金縛りというやつであろう。
そう自分で言い聞かせ納得すると幾分かは心が落ち着く。金縛りは霊的な減少から起こるともされているし、単なる筋肉の緊張から来ているという説もある。
どちらにせよ筋肉の緊張なら単なる生理現象であるし、心霊現象だとしてもあの首飾りのせいで霊よりも恐ろしい現実というものを味わってきたので恐るるに足らなかった。
そして金縛りというものは時間が経つと解消されるということも知っていたので彼は格別取り乱すこともなく、ただ呆然と仰向けに硬直していた。
(そういえばオサピリカは大丈夫なのだろうか)
オサピリカは毎日宗右衛門の隣に布団を敷いて二人並んで寝ている。
これも止めたほうがいいと言ったのだが例の如く「大丈夫です」の一点張りであるのでしぶしぶ隣に寝ることを許している。
寝返りが打てないので動く眼球のみで彼女が寝ている左側へと視界を移すとそこにはとんでもないものが移っていた。
「んっ、はぁ宗右衛門、さぁん…」
彼女は宗右衛門の左半身に抱きついていたのだ。
それもただ抱き枕のように抱きついているのではなく、体全体を絡ませ酷く官能的に絡ませていた。
彼の腕を舐め何度も甘噛みし歯形をつける。時には腕の皮膚に吸い付き内出血の痕もくっきりと残していた。
幸い彼女がことを勤しむのに熱中していたせいか宗右衛門と視線が合うことはなかったが、それでも彼女の視線が熱を帯びていたのははっきりとわかる。吐息も白く靄がかかりいかに熱いかがよくわかる。
「はぁ、宗右衛門さんの視線感じる……もっと、私を見て……」
宗右衛門の左腿は彼女の両股にしっかりと固定されていた。
あろうことかオサピリカはその固定した左腿に自分の股を一心不乱に擦り付けていた。下着も何もつけていない民族衣装ということで当然彼の左腿に擦られるのは彼女の秘部の他なかった。
腰を上下に振り、その度に彼女の吐息が荒く呼応する。
次第に肌を擦る音は、湿っぽくなり水音のようなにちゃにちゃとした音が聞こえてくるようになってきた。
金縛り自体では混乱しなかった宗右衛門だが、流石にこの事態に混乱しないわけがない。
何せあのオサピリカが自分の体を使って自慰をしているのだからどう説明されようとも納得できる気がしない。
「私、どう、しちゃったんだろ………だめなのは、はぁん、わかってるのにっ」
口ではそういっているが行動は間逆であり、次第に腰を振る速度が速くなっていっているのがわかる。
もはや彼の左腿と彼女の股は水浸しだ、もし彼がこのまま動き出したら彼女はどうされてしまうのであろうか。
彼女は内心恐れながらもその腰を休めることはなかった。何故かはわからぬが、彼が動き出さない確信のようなものがあったからだ。
「やめなきゃ……でも、気持ちよくて、あっ……止められ、ない…」
宗右衛門は彼女に事情を問おうとするが、依然口は開かないし体も指先一つ動かせはしない。
太腿の濡れ具合は自分の皮膚から感じ取ることができる。
彼女が自分の体を慰み者にしているということは無頓着な彼でも嫌でもわかった。自分の体で感じている、快楽に浸っている。そう考えると否応無しに高揚感が沸いてきて、もっとオサピリカを感じさせたいと思うようになるが、その反面では少女には手を出してはならぬという良心が拮抗していた。
そしてそれは彼女も同じであることに気が突く。
「ああぁ……入れたい、でも、やっぱり……んんっ」
既に怒張し衣服から盛り上がってしまっている宗右衛門の陰茎を優しく服の上から撫で上げる。
しごいたりはせず恐る恐る触れるように裏筋、亀頭、竿をねっとりと撫でる。
そのような心地よい快楽に彼は声を荒げることもなく、ただひたすらに受け入れることしかできなかった。
体を動かせないのだから無理もない。
「はあぅ、あっ、く……来る、だめなの、にっ……止まら、ない、やだぁ…」
彼女は腰を振る速度を更に速め迫り来るその時まで最後の段階へと移った。
もはや彼女には何も見えない。
宗右衛門しか見えなかった視界は次第にぼやけ、白く霞がかかり時おり電気のようなものもぱちぱちと走る。
愛液が潤滑液となり限りなく抵抗の少なくなった宗右衛門の左腿を自分が一番感じる部位へと押し付け、擦り快感が許す限り彼女は腰を振り続けた。
唾液を飲み込むこともせずたらし続けるその顔は女ではなく雌としか言いようのない顔つきであることに、宗右衛門もオサピリカ自身も気づきはしていなかった。
「っ………クる、あっ、あっ、はっぁ!あぁ……!だめぇっ、だめえ!あぁっ!!」
「やだっ!やめて、とまってよ……はっあああぁぁん!♪♪」
ビクン、ビクン――
まさに音で表わすならこう表現すべきであろうか。
彼女は規則正しい周期で大きく前進が痙攣し、愛液が股から堰を切ったように溢れ出てきた。
目の焦点は宙を泳ぎ、舌は口に収まらずだらりと垂れ唾液を滴らせている。体は収縮と拡張を繰り返し、時間が経つと弱い痙攣が持続している。
体温は熱病患者の如く上昇し体中から汗が滲み出ているところを見ると相当疲弊しているようにも見える。
やがて彼女は宗右衛門の体から離れると、宗右衛門を見つつ自分を行なったことを思い出し独りでに震えるのであった。
「ご、ごめんなひゃい……宗右衛門さん…私なんへことを……
れも、気持ちよくて、きもひよくて……止められ、なかった。貴方が……貴方が悪いのですからね」
彼女は混濁とした意識の中で自分の布団へ戻ると布団にうずくまり、以後何も語ることはなかった。
一部始終を目の当たりにした宗右衛門。
彼の今の心情は混乱を通り越してむしろ逆にとても落ち着いた状態にあった。錯乱や戸惑いなんてものでは到底表現できないほどの異常な情報量が彼の脳の許容量をゆうに越えてしまったのだ。
一種の開き直りのようなものである。
彼は異常に冴えきった頭で先ほどのオサピリカの行為を推理したが、当然その理由はわかるはずもない。
出会って一週間と経つがそのような素振りなど何一つなかったのだからむしろそれでわかるということの方がおかしいのだ。
もう少し様子を見てみよう。それからでもまだ遅くはないはずだ。
そう考え、彼は再び眠りに落ちた
……首飾りが淡く輝いていたことも知らずに。
翌朝。
宗右衛門が目を覚ますと、いつも通り既に朝飯の仕度は整っておりオサピリカが起床する宗右衛門を待つという形になっている。
声にならない唸り声で伸びをすると彼は依然立てないままであるので、四つん這いで這い蹲りながら彼女の方へと移動する。
今日も良い寝起きだ、一度も起きることなく完璧に熟睡していたのだからな。と、宗右衛門は心の中で清清しく言う。
毎朝の事ながらとても良い匂いだ。
穀物に焼き魚、それと汁物というごくごく一般的な食事であるがそれでも宗右衛門にとっては心から美味しいと思えるものであることには間違いない。
「おはよう」
「おはようございます宗右衛門さん。さぁ熱いうちにどうぞお召し上がり下さい」
彼女の側に座る宗右衛門。
すると彼女は自ら移動し、宗右衛門の隣へとちょこんと座った。
脚と脚を絡ませ、腕を腰に回し酷く密着している状態である。
「なぁオサピリカ」
「はい、なんでしょう」
「………いや何でもない。食べるとしようか」
彼はオサピリカに何か問おうとしていたのだが、何を問おうとしていたのか忘れてしまっていた。
忘れるということはたいしたことではないのだろう。
そう思い宗右衛門とオサピリカは共にいただきますと言う。
そうして彼はいつものように無意識に穀物を箸で取るとオサピリカの口へと運び、彼女もまた無意識に穀物を箸で取ると宗右衛門の口の中へと運んでいった。
習慣化されたあたり前の行動のように何の疑問も抱くことはなく、互いが飯を食べ合わせていた。
――――――――
「それではまた食料を調達しに行ってきます。何度も言うようですが勝手に外には出ないでくださいね」
約二週間が経過しようとしていた頃。
宗右衛門にとっては待ちに待ち焦がれたこの日がついにやってきた。
というのも時はさかのぼり、二日ほど前のことだ。
宗右衛門は起床するとまず始めにいつもの習慣で伸びをするのだが、その時身体の調子がいつもと違っていた。どう違うのかというと、今までは多少なりとも伸びをすると身体の筋肉や腱といったものが痛みを生じていたはずなのに今日はその痛みが完全に消失していたのだ。
身体の内側から絞られれるような鈍痛独特な、今まで身体を蝕み続けていたあの痛みがない。
宗右衛門はまさかと思い急ぎ食事の用意をしているオサピリカを呼びつけると、彼女はとても嬉しそうな様子で彼の話を聞く。
もはやここまできたら、彼の傷が完全に癒えたと感じないものはいないだろう。
オサピリカの体を支えに宗右衛門は恐る恐る立ち上がろうとする。しかし、約2週間もの間一度も立ち上がることもせず生活してきたおかげで脚の筋力は著しく低下、自らの力では立ち上がることはできなくなっていた。
それでも彼は懸命に、再び己の二本の脚で地を踏み締めたいという強い思いが彼の限界を越えた。
オサピリカを支えに、まるで生まれたての子鹿のように下半身を震えさせながらも宗右衛門は自らの力で立ち上がることができたのであった。
痛みはもう何も感じない。
まだ完全にとはいえないものの、何か物につかまりながらであれば歩行もすることができる。何日かすれば以前のように健常者として歩くこともできるだろう。
宗右衛門は嬉しくてこの上なかった。いつかは治るとは思っていたが予想外に治りが遅く、結局2週間近くも待つハメになってしまったのだから無理もない。
たった一人の少女に身の回りの世話を全て任せてしまうという彼の意地や自負心といったものたちが許さなかったのだ。
滾る気持ちを抑えつつ彼はオサピリカと共に朝食を共にする。
これからはどうしようか。
その考えが本格的になり始めたときであった。
「足が治って嬉しいのはこちらも同じことですが、まだ外には絶対に出ないでくださいね。雪道は滑って危ないです、宗右衛門さんにはまだ外は厳しいでしょう。
滑って転んで、また怪我でもされたら困りますから。絶対ですよ?」
「わかっている、わかっているさ。俺とてそこまで愚かではない」
「ならいいのですが……」
ずず……と汁物をすするオサピリカ。
それとは対照にまったく雪道を恐れていなさそうといった感じで飯を食らう宗右衛門。
ふと、宗右衛門はあることを思い出したかのように急に顔を上げると彼女に問いただした。
「そういえばその首飾り、調子はどうだ。半月は経ったがどこかおかしい所は無いか」
「これですか。始めの方は大分辛かったですけど、今は沈静化しています。順調に事は進んでいますよ。心配して下さらなくても大丈夫です」
「ならいいのだが……」
「もう宗右衛門さんったら、私と同じこと言って」
「ん?ああ、まったくそうだな」
というのが二日前のこと。
今家にいるのは宗右衛門だけである。
オサピリカは食料がなくなりそうな頃になるとどこかふらっと出かけてきては調達してくるというのは既に長いこと一つ屋根の下で暮らしてきた宗右衛門には当たり前に知っていることであった。
そしてその日が今日なのである。
一度彼女は食料調達に出かけると帰ってくるのは夕刻辺りであり、日が沈む少し前に戻ってくるということも彼は知っていた。
宗右衛門は思わず一人笑いしてしまう。
「オサピリカには悪いが、やはり俺は外に出たい。この眼で一時も早く蝦夷の大地を目の当たりにしたい」
そう、宗右衛門はオサピリカのいない瞬間を見計らって一人勝手に外に出ようとしていたのである。
いざ歩けるようになり家から出られるようにもなったのにもかかわらず、オサピリカには固く外出することを禁じられていたので今の今まで外の風景すら拝むことすらさせてもらえなかった。
蝦夷というジパングの者なら一度は訪れてみたい秘境を目の前にして見てはいけないというお預けを長いことくらっていたのだ、我慢できないのも無理はない。
「一目見るだけ、見るだけだ。それなら誰も咎めはしないだろう」
宗右衛門はそう自らに言い聞かせる。
と言っても咎める者がいるとしたらオサピリカしかいないのだが。
もはや溢れる好奇心は引き下がることを知らず、宗右衛門の背中を後押ししているようにも感じられる。
考えてもみよう。
世界的絶景を目前にしてここから先は立ち入り禁止言われたら。
恐らく多くの人はそんなものはお構いなくに先に足を踏み入れるだろう。どんな危険があっても構わないから見てみたいという気持ちのほうが勝るはずである。それが命の危険となればまた話は別だが、今回の宗右衛門もまさしくその状況であった。
格別足を滑らせたといっても命の危機があるわけではない。最悪、治療期間が延びるだけで実際はそんなにたいしたリスクなんてものはないのだ。
「さてアイヌの集落というのはどういった感じなのだろうか。想起するだけで心が躍る」
ジパング人の一般的な蝦夷の印象としては、未開の島、島流しの場、極寒くらいの印象でしかなく、はっきりと言えば、蝦夷とはあまり良い印象ではないのだ
だが、宗右衛門の場合その中に好奇心が追加されることになる。
ジパングの目と鼻の先にある巨大な未開の島国には未知なる民族が暮らしている。どのような身なりで、どのような文化で、どのような歴史があるのか。
そう考えるだけで彼の純粋な好奇心は心躍るのだ。
ゆえに好奇心に駆られた宗右衛門の行動に制限をかけるものなどとうの昔になくなっていた。
両手と両足をふんだんに使いながら彼は立ち上がり、焚き付け用の長い木の棒を一つ取るとそれを杖にし歩き出した。
よたよたとゆっくり家の中を歩き、出入り口であるすだれの目の前までたどり着き宗右衛門は想像する。
住居はどんな形をしているのだろう。恐らく白川郷のような巨大な藁葺きの住居かはたまた縄文のような高床なのか。
集落で人々はどのようなことをしているのだろうか。
子供はどのような遊びをしているのだろうか。寺子屋もないのだ、子供達の交流の場はどういったものなのだろう。
男女差はジパングと比べてどうなのだろう。
想像は止まらない。
宗右衛門は未知なる文化への期待に溢れながら、すだれを大きくくぐった。
「うっ……ま、まぶし…」
瞬間、宗右衛門はあまりの眩しさで目が開けなくなる。
今の今までずっと薄暗い家の中にいたのだ、暗い屋内から真っ白な銀世界へといきなり飛び出したものだから眩しくなるのも当然である。
そして外に出たのだから当たり前の如く極寒の冷気が宗右衛門の体を包み込む。幸い吹雪いておらず風もそんなに強くはない日であったのでさほど寒さを感じることはないが、極寒であることには変わりない。
だが、彼にはそれすらもまた新たな体験であるのでなんら臆することはなかった。
それよりも早く目が慣れてアイヌ集落の風景を目の当たりにしたいという気持ちで頭の中はいっぱいであった。
オサピリカには悪いが俺は我慢できなかった、蝦夷という圧倒的好奇心に俺は負けてしまったよ。
そう独りでに呟く宗右衛門。
そしてそんなことを言っている間に眼が徐々に慣れてくると宗右衛門は固く閉じていた瞳を少しずつ、少しずつ開く。
まだ若干眼が明るさでちらついてはいるが、完全に瞼が開く頃には視界は全て見渡せるようになる。
そこにはとても満足げで達成感溢れた自分が辺りを右往左往見回しては、初めて目の当たりにする建造物や景色に心から感動している姿があった。
………はずであった。
「…………なっ……」
そこには何もなかった。
見たこともない住居も。
働く人々も。
遊びまわる子供達も。
見知らぬ自分に興味を示すアイヌの人々も。
何もなかった。
「一体……どういう………」
そこには、アイヌの集落そのものが存在していなかった。
彼の周りを取り囲むのは山のように積もり積もった雪と、四方八方に生え広がる樹木のみであったのだ。
家などない。
人などいない。
彼は絶対的孤立した森林の中でたった一人呆然と立ち尽くしていた。
「……」
あまりの衝撃的真実に彼の脳が自体を理解するのには一瞬では足りなかった。
呆然と立ち尽くし、肌に染み入る寒さが少しずつ己の思考を回復させてくる。
彼の想像していた集落は期待を裏切るというよりも、期待すら抱かせない形で現実を突きつけたのであった。
集落はなかった。
今彼がいる場所は言うならば、蝦夷という大地の名もなき地方の名もなき森林の中の名もなき人の住居の目の前ということになる。
いや、そもそも蝦夷なのかすら怪しいところである。
「……オサピリカ……そうだ、オサピリカだ。あの娘は俺を騙していたのだろうか……」
少し冷静な判断ができるようになってきた宗右衛門はふと思い出すように呟く。
宗右衛門は今まで彼女の嘘に踊らされていたというのであろうか。
彼女からしてみれば身動きの取れぬ見知らぬ人間を騙すには絶好過ぎる場所であるからに、宗右衛門は最適な条件であった。
蝦夷ではなくもしかしたら本当の異国なのかもしれない。そう思うとより外気が身に染みて寒くなるような気がした。
しかし、そんなことを嘘をつく理由がわからないし、そもそも彼女は嘘をついていないのかもしれない。
命まで助けれてくれたあの彼女がそのようなことをするわけがない、これは俺の妄言だと宗右衛門は雑念を振り切る。
積もる雪の中に頭を突っ込んで自らを冷やす宗右衛門。
「この先に彼女が……」
ふと、足元を見ると森林の奥へと一本の獣道ができており、そこには人間の足跡が奥の方へと続いてるのを発見した。
恐らく、いや確実にオサピリカのものであろうと確信する。
自分とオサピリカしかいないこの家の入り口から真っ直ぐと森の奥へと進んでいるのだから間違いはないであろう。
宗右衛門は真実を突き止めるために、木の棒を片手に一人足跡を辿っていった。
――――――――
『オサピリカ様、これが最後の通達です。これ以上あの男と関わりを持つのを止めて下さい』
『それが掟だから?』
『そうです。我々アイヌは穢れなき純潔の誇り高き北の民なのです。戦にしか興味のないジパング人などと関わりを持つなという酋長からの通達です』
『ですからオサピリカ様。あの男を私達に引き渡してはくれませんか。最後の通達なのです、我々とて事は穏便に進めたい限りです』
森林の奥地にある少し木々が開けた場所、そこでは三人の大人の男と一人の少女が対面し会話していた。
三人は全員体格のよさそうな男性でありそれぞれが特別な民族衣装を拵えて物騒な装備までしている始末である。
男たちと少女の話し合いの雰囲気は芳しくない様子だ。
『はぁ……お父様はなーんにもわかってない。考えが古いのよあの懐古じじいは』
『オサピリカ様』
『こんな島国でちびちび暮らしている私達がジパングの侍たちと戦ってみなよ。あっという間に征服させられちゃうよ?
だったらジパングの人たちを邪険にしないで、一緒に協力し合うようになった方が良いに決まってるのに。あのじじいったら「ジパング人は風の声も聴けぬ野蛮人ぞ」とか言っちゃってさ。野蛮なのは明らかにアイヌ人だってのに可笑しい話だよね』
『オサピリカ様!いくら父君だとしても酋長をじじい呼ばわりしてはいけません。酋長はアイヌを統治する偉大なる方なのですよ』
オサピリカは髪をいじりながらつまらなさそうに対話している。
時おり首飾りを見つめては、その牙を自らの皮膚に突き刺して恍惚としている姿もあった。
『じゃあ貴方達に問うけど、本当にアイヌはこのままで良いと思ってる?年々生まれる子供の数も減ってってるし、自然と会話できる人達も生まれなくなってきている。そんな衰退の道を辿るしかない私達がこの先始まるであろう世界の流れに付いていけると思っているの?』
『それは……』
『ホラ、貴方達もわかってるんでしょう。もう私達は古いんだって。古い者が生き残るには新しい者に取り込まれるしか道は残されていないんだよ』
『しかし……我々には酋長と巫女の命令に従うしか他ないのです…ですからオサピリカ様。我々にあの男を引き渡して下さい。我々にはそれしかできないのです』
『我々は従うことしかできない、それが生まれながらに決められている我々の運命なのです。元巫女のオサピリカ様には一生わからぬことなので……あっっ!』
男の一人は最後まで言おうとして思わず口を塞いでしまう。恐らく自分でも言ったことに驚いているのだろう。
いたたまれないような様子が辺りを覆う。
先の男の発言によりオサピリカの纏う雰囲気が少し違うものとなる。
同じアイヌの民である彼らにもその雰囲気がわからないわけではなかった。
『……どうするの』
『どうするの、とは』
『あの人を引き渡したらあの人はどうするのと聞いてるの』
『……』
『言わなければ私はあの人を渡しません。絶対に』
『お、恐らくは…酋長と巫女様の権限により……処分されるか、と』
『そう、じゃあいずれにしても私はあの人を渡すはできない。むざむざ殺されるのを知っておきながら引き渡せると思っているの?』
『オ、オサピリカ様!!これが最後の通達なのですよ!』
『酋長は抵抗するなら生死は問わぬから無理やりにでも連れて来いと仰りました。我々とて乱暴な真似はしたくありません!わかってくださいオサピリカ様!』
『生死は問わぬ……そう、そうなのね。くふ、ふふふふふっ……』
そう言うとオサピリカは俯きながらクスリ、と笑う。
肩を上下に揺らす不気味なほど怪しい笑いが木々を反響し広間に響き渡り、まるで木々すらも薄ら笑いをしているようであり、気味が悪いことこの上ない。
と、その瞬間彼女の身体から全方位に向けて強い突風が吹き荒れ、男たちは強く打ち付けられる。
その薄気味の悪い笑いと突如起きた突風に男らはただならぬ雰囲気を感じ取り、風のように素早く後ずさりすると、短剣、長剣、弓をそれぞれ取り出し様子を伺う。
『ふふふふ……あはははははっっ!!やっぱりそうだったのねあのくそじじいは!私なんて!巫女になりそこなったただの娘なんて何とも思っていないんだ!死んでも何とも思わないんだ』
『そんなことはありませんオサピリカ様!酋長はいつだって貴女のことを何よりも大事に』
『じゃあなにさ生死は問わないって。結局私が死んでもいいから、ジパングの男がアイヌモシリに入るってことが気に食わないだけなんでしょ?結局私の価値って、巫女じゃない私っていなくてもいいんでしょ?』
『オサピリカ様落ち着いてください!!確かに酋長はそう仰っていましたが、きっと何か考えがあるのでしょう。でなければ実の娘を殺してでもいいから男を連れてこいだなんて言うわけがありません』
オサピリカの周囲の雪は彼女から発せられる波動のようなもので吹き飛んでおり、服や髪も風がないのにもかかわらずばさばさと煽られて荒れている。
首飾りはガタガタと震えており、宝玉は彼女の気質に呼応するかのように淡く光り輝いており、牙は彼女が手を加えていないのにもかかわらず、独りでに皮膚に深く突き刺さり血を垂れ流しているようであった。
彼女の息が荒くなり、目つきは獣の様に鋭く威嚇するようなものとなっている。
『ふっ……くふふ……結局私は一人ぼっち。生きてて死んでる一人ぼっち』
『オサピリカ様……』
『おい、やはり予想通りだ。オサピリカ様には妖の類が憑いている』
『ではどうするっ…集落につれて帰り巫女様に除霊してもらうのか』
『いや、それでは我々の誰かが憑かれてしまうかもしれない。やはりここは仕方ないが……』
『待て!本当にオサピリカ様を殺してしまうのか!?』
『……では他に何か方法があるのか?ないだろう!こうするしか他ないんだよ……』
男たちが考えあぐねている間にもオサピリカは薄気味悪い笑みをし続けているのみである。
逆さ三日月のように鋭く曲がった笑みはあどけない少女の顔にはあまりにも不釣合いで、よりいっそう奇怪さを醸し出している。
短剣を持った男が一歩前に足を踏み入れる
『汚れ役は俺一人で十分だ。お前達はただ見ているだけでいい』
『し、しかし……それではお前が』
『年頃の少女を大の大人三人で襲いかかるのはあまりにも忍びないだろう。万が一があったら……頼む』
一人の男はオサピリカの目の前に出ていき、短剣を逆手に構えている。
体勢を低くし今にも飛び掛りそうなその姿勢はまさしく狩人と言っても差し控えないだろう。
その狩りの対象は動物ではなく人間であるのが唯一の違うところである。
『オサピリカ様。我々は酋長の命に従い貴女を亡き者にします。痛みはなく一瞬で終わらせますので、どうか安らかに眠り下さい……』
『くそじじいに味方する奴らはみんな敵。宗右衛門さんに仇なす者もみんな敵。つまり貴方達も敵なのね』
『……最後にもう一度だけいいますオサピリカ様、どうか考え直してはくれないでしょうか』
『それは無理。もう私には彼しか見えないんですもの。もう一人ぼっちにはなりたくないんですもの』
『それがオサピリカ様の意志と言うならば、我々は全力で阻止せねばなりません』
『ならば私は私の意志を貫き通すまでです。さようなら皆さん。貴方達はアイヌの中でも少しいい人たちでした』
『酋長、お許し下さい。貴女の娘をこれから殺めますので……』
そう言うと短剣を持った男は雪を踏みきり、驚くべき速度でオサピリカに切りかかった。
吹き荒れる風を逆らう逆流のように彼は刃を振りはじめる。
刃の軌跡の行き当たる先は寸分の狂いなく彼女の喉元を切断する軌跡だ、彼女は死んだということも気がつかぬまま首を落とされるだろう。
肉の切り裂く触感。
骨を断つ触感。
狩りの中で幾度となく感じてきた獲物を切り裂くこの感触を、まさか人間で味わうことがあるとは思ってもみなかった彼は切り裂きながら心の中で深く懺悔すると勢いよく首を断ち切った。
『すみませんオサピリカ様、どうかやすら――』
血が白銀の世界を真っ赤に染め上げていく。
首元から吹き出る鮮血は血飛沫というにはあまりにも多量であり、白い純白の雪を塗り潰すかのごとく赤色に変えていった。
ここで一つ彼は不思議に思う。
彼は血塗られた短剣を鞘に戻そうとするが戻せないのである。鞘は腰に腰掛けているので、短剣をいつものように腰に戻そうとするのだが腕が動かないのだ。
いや、腕だけではない。身体全身が言うことを聞かない。
オサピリカを切り捨てた時の体勢のまま体が硬直してしまったかのごとく不動している。
まるで身体がなくなってしまったかのようであり、彼は驚きを隠せなかった。
なぜ自分が自分の身体を見上げているのかも彼には理解することができぬまま、急に意識は途絶えた。
『う……うわあああああ!!』
『何だ!何が起きた!?』
残された長剣の男と弓の男は目の前で起きている理解不能な現状にただただ恐れおののく事しかできなかった。
"首を切りにかかった男の首が切り落とされていたのである"
短剣の男の首からは噴水の如く血液が吹き出ており、頭は赤くなった雪の上にごとりと落ちていた。
目を見開きながらまるでなぜ自分が死んでいるのかも気が付いていないまま、その瞳孔の開いた目は自分の身体をじと見つめている。
二人は半狂乱になりながらもオサピリカの方を見ると、彼女はさも何事もなかった同然に笑いながらも目を細めながら男二人を睨んで離さない。
もはやオサピリカには短剣の男などまるで宙に浮く埃の如く眼中には映らなかった。
『くそっ……よくも、よくもおぉぉ!!』
『ま、待て!!早まるな!』
長剣の男は両手で剣を握ると後先何も考えずにオサピリカの方へと突進していった。
弓の男は呼び止めるがもはや彼の耳にはその声は届かない。
目の前で同僚がわけもわからず死に絶えた不気味さと、怒りに身を任せて走る彼にもはや正常な思考などできるわけがなかったのだ。
先ほどの短剣の男と比べれば動きは幾分かは遅く見えるがそれでも風に生きるアイヌの民である。長剣を手に走る男はみるみるうちにオサピリカとの距離を縮め始める。
それを見た彼女はさぞ呆れた様子で大きなため息をつくと、男の方へ人差し指を突き立て空中で何かを描き始めた。
それは呪詛のような類が込められているものなのか、淡く紫色に輝くとすぐに消え空中へと消える。
それにふっ、と優しく息を吹きかけると、
「熱い男は嫌いなの。彼のように冷静なヒトじゃないと」
パァン!!
それは一瞬だった。
この場の雰囲気に見合わないような軽快な音と共に彼は断末魔を上げる間もなく爆ぜたのだ。
風船のように全身がボコボコと腫れあがると、彼が人間であった原形を留めないほどに爆発した。
血や肉片、臓器の全てが四方八方全域に飛び散り赤く染まったこの場が、更に血みどろな真紅へと染まり行く。木々の枝には肉片が引っかかり垂れ下がっている。
血が弾けたおかげで全身血まみれになったオサピリカは衣服に付着した血を手で拭いひと舐めすると、妖艶な様子でがくがくと全身を震わせ恍惚に酔い痴れているようであった。
首飾りの牙は更にズブズブと首元に突き刺さり血を流しているようにも、彼女の血を吸っているようにもみえる。
「宗右衛門さぁん……早く来て」
などとうわ言をいいながら彼女は残りの弓の男の方へと自ら足を進め出しす。
ゆっくり、ゆっくりとこちらに向かってくる少女は弓の男からして見たらオサピリカの皮を被った化物としか見えない。
―殺される。まもなく俺は死ぬ
もはや弓の男は目の前の少女の皮を被った化物に恐れを抱くほかなく、尻餅をつきながら必死に近づいてくる彼女から遠ざかることしかできなかった。
涙鼻水を垂らしながら、必死に命乞いする男もまた先ほどのような面影はない。
『ヒトを陥れるってたのしっ♪』
くふふと笑いながら指で輪を作ると彼女は大きく息を吸って笛を吹き鳴らした。
その笛は木々を木霊し森全体に行き渡るほど大きく響き、長い間鳴り止むことはなく甲高い音を立てながら彼の耳にも入っている。
男は戦意喪失しつつも正気を保ち辺りの様子を伺うと彼は気が付いた。
先ほどとは違う言いようのない謎の気配、視線のようなものを感じるのだ。
更なる不安と恐怖に駆られた彼は絶望の表情で彼女に問いただすが、彼女は飄々とした風貌で男の話などまともに聞いている様ではなかった。
『今の笛は何だ……何なのだ化物っ!』
『化物だなんてひどいです、私はちゃんとオサピリカのままですよ♪
そんなひどいことを言う貴方には私の可愛い下僕が相手してくれます』
『げ、下僕だと……』
よくよく目を凝らして見ると、こちらを黙視してくる謎の視線は周囲の木々の間から全域にわたり恐らく百はゆうに下らない数へと増加していた。
全身をくまなく舐めるように見回され逃げる場もないほど包囲された彼はもはや命乞いすることも忘れ呆然と虚空を見つめることしかできなくなっていた。
獣の声が聞こえる。
空腹に飢え、唾液を滴り垂れ流す湿っぽい唸り声が見渡す限り全域から聞こえてくる。
男も今まで幾度となく見たことがある、黄土色の奴らは狼よりも脆弱で犬よりも狡猾な森の狩人。
犬歯を剥き出しにし今すぐにでも飛び掛らんとするように奴らは身構えていた。
『貴方は別に悪くないよ。古いしきたりに囚われている偉い人たちが悪いんだから。
……じゃあ、さようなら』
彼女がパチンと指を鳴らすと木々の奥から男を睨みつけていた無数の狐たちが一斉に男へと飛び掛った。
その数十、二十、五十、百、二百……夥しい数の狐の群れが捕食者となり、目の前のちっぽけな一人の獲物目がけて狂うように襲いかかる。狐一匹ではなんのことはなく男一人でも対処は軽々とできるのだが、大群ともいえるこの量ではどうすることもできず、受け入れたくなくとも受け入れるしか他なかった。
男は瞬く間に黄土色の波の飲み込まれ姿が見えなくなると、その中で金切り声とも言えるような断末魔を上げる。
『あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!やめっ、があああぁあ"あ"ぁぁ……』
ぐちゅり
『ぎゃあ"あ"ぁぁあ"あ"あ"ぁあ"あ"!!!や"、やめ、でぐれ……いだい"、おねが…………』
みちちっ
血と肉に飢えた狐はその鋭い牙で男の皮膚を意図も簡単に引き裂き、千切り、捻じ切る。
無数の肉食獣に囲まれた男はただひたすら己の肉を奴らに引き渡すことしかできず、狐たちにとっては新鮮な餌だとしか思っていないのだろう。
無慈悲なるその食事は自然界ではごくごく普通に行なわれている生か死かの命がけな弱肉強食そのものである。
今まで食物連鎖の頂点に立つ人間が、自分より下の存在に捕食されることなど考えてもみなかったものだから、彼を襲う恐怖や痛みといったものは想像を絶するものとなるであろう。
だが、彼が蹂躙され肉を削げ落とされる姿を見てオサピリカは細い目でくふふと笑いながら見下しており、その目つきはもはや人間が人間に向けていい視線ではなかった。
『これでみんな私と同じ一人ぼっちになれたんだから、やっと同じ土俵で話せるね。
――って思ったけどもうみんなダメになっちゃったか♪あはぁ……』
オサピリカは自らの手で首飾りの牙を自らの皮膚に刺しては抜いて刺しては抜いてをひたすら繰り返し、その度に身体をぶるぶると震わせ迫り来るナニカを懸命に堪えているようであった。
もはや彼女の首元は先ほど破裂した長剣の男の血ではなく、自らの出血による血液で赤黒く塗り潰されている。
自らを痛めつけるその行為が何を意味するかは彼女自身も理解していなかったのだが、そうすることで身を悶えさせるほどの快感が走るという事は自らの身体で確認済みであり、抑え切れない欲求が無意識のうちにそうさせているのであった。
正常だとか異常だとかそんな範疇で語られる行動ではない。
狂気。圧倒的な純粋なる狂気である。
息は荒く呼吸をするたびに白いもやが吹き出る。熱っぽくなった身体は全身汗だくになり誰が見ても興奮、いや発情しているのは明らかであった。
そんな彼女の中ではある一つの言葉がひっきりなしに反響し続けている。
「あぁ……宗右衛門さん、私の宗右衛門さん……今行きますからね」
宗右衛門と自分でその名前を発するだけで身体がきゅうっと熱くなるのが自分でもわかる。
そして、それは今に始まったことではないのも彼女はわかっていた。
なぜ自分が宗右衛門を欲しているのか。
今まで耐えてきた欲求を受け入れたことでわかることもあった。
だから彼女はその全てを確認するために、彼の元へと戻る。
彼女は気が付いていないわけではなかったのだ。
一部始終を草陰から見つめていた者がいたこと、そしてその者はオサピリカの姿に恐れ一目散に家に戻っていく姿を。
彼女は卑しく舌を舐めずるともう一度指をパチンと鳴らしその者が逃げて言った方向、もとい宗右衛門が待つ家へと戻っていく。
そして戻る彼女の背後は先ほどの惨劇が嘘であったかのように何事もなくなっていた。
雪は純白に染まり、狐など初めからいなかったかのように。
その下で男三人が白目を向きながら気絶しているだけであった。
――――――――
一部始終を全て草陰から目の当たりにしてしまった宗右衛門はそのあまりの残虐性と恐ろしさから、彼女に問おうとしていたことなど全て忘れ一目散に自らのいた家へと駆け戻っていた。
人というのは凄いもので、命の危機を感じるほど危機的状況下に陥ると自らの身体能力を遥かに上回る行動ができるようになる。宗右衛門はオサピリカに感じた危険性を察知し杖も使わず一心不乱に森の中を駆け巡りもといたこの家へ戻ってきたのであった。
―あれはまやかしだったのだ、そうだ全て俺の見た幻覚だったのだ。そうでなければ恐ろしすぎてこの震えが収まるわけがない。
布団の中で蹲りながら震える宗右衛門は先ほど目撃した出来事は全て夢であったとそう自分の言い聞かせていた。
純粋無垢な少女であるオサピリカが大人三人、あろうことか同じアイヌの民を摩訶不思議な奇術で虐殺していたという考えたくもない出来事である。だが、間違いなく事実であるのだ。
なぜ今まで嘘をついていたのかを問おうと彼女の足跡を追っていくと、森の奥で彼が目撃したものは今まで見たこともないような憂いの表情で男三人を嬲っているオサピリカの姿であった。
オサピリカは男三人に対し虫けら同然、いや塵を扱うかのと同じくらいあれは酷い扱いで容易く絶命さていた。
信じられることであろうか。
宗右衛門はそのようなことをしているオサピリカを認めたくはなく、必死に頭の中で先ほどの記憶を消し去ろうとするがあまりの衝撃的な出来事であるがために脳裏に焼きついて離れる事はない。
「ただいま戻りました宗右衛門さん。……宗右衛門さん?」
彼女が帰ってきた。
いつもならば彼はこの寒い中一人で食料を調達しに行ってくれる彼女を迎え入れ暖めてあげるのだが、今回はそうはいかない。
彼女の見てはならない知られざる裏を目の当たりにしてしまった宗右衛門はそんなことをする余裕すらなかった。
当然彼女はいつものように温かく迎え入れてくれる宗右衛門の姿がないことに疑問と不満を覚え、その不自然に盛り上がる布団の方へと歩み寄って行く。
「ふーっ、ふーっ……宗右衛門さぁん、いつものように暖めて下さい」
今この布団の目の前に彼女がいる。
いつもより随分と荒い息をしながら彼女は宗右衛門の潜っている布団の元へとやってくる。
はたしてこの布団越しに聞こえる声の主は本当にオサピリカなのか、それともオサピリカの声をした別の何かなのか。
彼には確かめるすべはない、しかし格別確かめる必要もないと瞬時に頭の中で判断してしまうのであった。
なぜか彼女が近づいてくるほどに部屋全体に甘ったるい匂いが充満し、頭の奥に不思議な浮遊感を感じさせる。
そのおかげで彼の判断力が鈍ってしまっていた。
頭が少しぼーっとする。
「ふふ♪宗右衛門さんみーっけ♪」
がばと掛け布団をひっぺ剥がされると布団の中で丸まった体勢のままの宗右衛門がいた。
彼は半ばぎくしゃくした様子で仰向けになり彼女の方を恐る恐る振り向く。
そこにはまるで先ほどの姿が嘘であったかのように平然とした様子のオサピリカが彼の枕元に正座していた。
よかった、彼女はやはり彼女のままだ。と、深く安心する。
ある一部分を除いては。
「オ、オサピリカ!?その首一体どうした!!」
宗右衛門が首元を指差すと、そこには血まみれで今なお血を垂れ流している首と首飾りがそこにあった。
先ほどの惨状を忘れたわけではなかったが、彼は目撃したのは一瞬であったためオサピリカが怪我をしていることなどまったく予想もしていなかったのだ。
宗右衛門はなぜ先ほどあのような事をしていたのか、そもそもあの男たちは何物なのかを問おうとしていたが、それよりもまず彼女の怪我を手当てすることを優先させようとした。
「ちょっと待っていろ、今治療道具を持ってく、うおっ!?」
「いいんです宗右衛門さん、これはもう治療する必要なんてありませんから」
立ち上がろうとする彼をオサピリカは手で掴んで放そうとしない。
本当に治療しようとしていたのだが彼女の言葉がいやに脳まで染み渡り、まるでそう命令させられているかのような、そう実行させられているような不可解な感覚がした。
どう考えても血は垂れ流れているし今すぐにでも治療したほうがいい傷なのは明らかである。
しかし、彼女にいいと言われれば本当にいいような気がして彼もまた彼女の言葉を鵜呑みにするのみであった。なぜなのかは彼はわからない。
首飾りの牙が皮膚に刺さっていることも本来ならば異常この上ない出来事なのだが、なぜか然程気にするほどのことでもなくなっておりむしろこの甘ったるい空気をひと時でも味わっていたいという思いのほうが強まってきている。
彼を掴む手の力が強くなる。
「ねぇ宗右衛門さん、どうして今日はいつものように暖めてくれなかったの?」
「それは――あれ、俺はどうして――!!?!
いや、そうだ思い出した、俺はオサピリカに聞かなければならないことが」
自分でも驚いた。
先ほどまで彼女に聞こう聞こうと思っていたとても大事なことをこんな短時間で忘れかけてしまうとは一体どうしたというのだ。
心の中で驚きつつも思い出したので安堵をつく。
彼女が帰ってきてから匂うこの甘ったるい香り。いや、彼女から発せられるこの匂いのせいで宗右衛門の理解判断力は極めて低下してしまっていた。
「聞きたいことって……なに?」
「それは、その……だな……」
今すぐにでも聞きたい。
しかし、どう話を切り出してよいのかわからなかった。
いきなり先ほどのことを問うのか、それともなぜ今まで嘘をついていたのか。聞きたいことが山ほどありすぎて、その聞きたいことがどれも重そうな内容であるのでなかなか切り出し方がわからなかった。
「宗右衛門さん」
「何だ」
「私知っているんです。宗右衛門さん、さっきの見ていたんでしょう?」
「……!」
図星だった。
今まさに彼女に問おうとしていることを的確に問われてしまった彼はたじろぐ他ない。
「……ああ、一部だけなら見た。俺は恐ろしくなって急いで戻ってきたんだ。
オサピリカ、お主は一体何物なのだ。俺はお主が怖くて、でも命を助けてくれた恩人でもあるから大切なのだ。どうしていいかわからない」
「ごめんなさい宗右衛門さん、貴方を苦しめるようなことをしてしまって。
少し長くなります。お隣よろしいですか」
「ああ、かまわん」
そういうと彼女は布団で寝そべっている宗右衛門の隣に共に寝そべる形となる。
宗右衛門一人では少し大きめであった布団は、小柄なオサピリカが入り込むことで丁度いい具合に互いが寄り添い一つの布団の中に入り込んだ。
若干顔を赤らめる両者だが2週間片時も離れることなく生活を共にしてきた二人にとって、なんら気にすることはなかった。
〜〜〜〜〜
「どこから話したらよいのでしょうか……そうですね、まずはアイヌについて理解してもらわなければなりません。
ご存知かとは思いますが私達アイヌの民はアイヌモシリに住まう民族です。自然と共に暮らし自然と共に死ぬ、自然との調和を何よりも尊重する風と大地の民と言えばいいでしょう。そのアイヌの民は一人の酋長と一人の巫女によって治められており、自由に暮らしながらもしっかりとした文化を持ち長らく平和に暮らしてきたのです。
私のくそじ――父上はその酋長です。昔は有能な戦士であったと聞いておりますが、そのような勇姿は私が生まれる前の話なので真相は定かではありません。
そしてその娘である私は巫女でした。
父上は酋長という身分と娘が巫女ということもあってか、実質アイヌを支配していましたが決して民を厳かにすることなく指導者として民のことを第一に考えている人でした。私もそんな父上を尊敬していた頃もあります。
しかし、そこから私の人生は大きく転落します。
私より後に生まれた妹が私よりも遥かに上回る巫女の素質を持って生まれてきたからです。
自分のため、そして民のためを第一に考える父上はより力の強い巫女、私の妹に興味を向けるのは考えるまでもない話でした。
巫女は一人でなければならない決まりがあります。力の強い巫女が一つの場所に二人も留まると、それは自然の摂理を大きく捻じ曲げ、大いなる災害が起きてしまうからと考えられております。もちろん考えられているだけなので実際はどうなのかはわかりませんが。
当然成長した妹は私から巫女の権利を剥奪し巫女になります。父上は私のことなど見向きもせず、妹を立派な巫女に仕立て上げることしか考えておりませんでした。
権利を剥奪されたからといって巫女の力がなくなるわけではありません。そのため私は災害を引き起こしてはならないようにとこの人里離れた偏狭に追放されるはめとなったのです。
そこで私は始めて理解しました。
自分という存在は巫女であるための器でしかなかったと。巫女であるために生まれ、巫女であるために特別扱いされてきたのであるということを。
ならば巫女でなくなった私は厄介者以外の何物でもないということに気が付いてしまったのです。
それが今から五年前の話です。私は十歳という一番人生で楽しむべきであろう瞬間から一生孤独に生きていかなければならない宣告をされたのです。
それから語れる事は何もありません。
それは孤独というよりも、ほぼ無に近い毎日でした。
起きる時間も寝る時間も何をしようと何を考えようと何を食べようと完全に自由でした。同時に何をしても無意味な虚無でもあります。
三日に一回は集落の方が森の奥の広間に食料とたまに衣服を置いてってくれるだけです。偶然鉢合わせになったとしても彼らは顔も合わすことなく食料を置いて風のように立ち去っていくのみでした。
生きていても何の意味もない毎日を365日のうのうを過ごしているだけの堕落よりも辛い毎日を私は虚無のままに生きていました。何度か死のうとも思いましたが直前で躊躇って死ぬことも適いませんでした。
そうして五年の歳月を意味もなく過ごしてた私の人生に転機が迎えます。
いつものように海岸に出て海の向こうについて考え事を耽っていたとき、一人の男が流されてきたのです。
アイヌでは見たこともない服装に装飾品、道具の数々。私はすぐにこの男が巫女である頃学んだことがあるジパング人だと理解し、家へと引き込み看病しました。
その男こそがそう、宗右衛門さん貴方です。
それからというのも私の生活は大きく変わりました。だってそうでしょう、今まで話す相手すらいなかった孤独な生活に生きている人間がもう一人加わるのですから嬉しいことこの上ありません。
話をすれば返事が返ってくることがどれほど素晴らしいことか……私にしかわからないでしょう。
まして今まで会ったこともないジパング人です、聞く話全てが新鮮で楽しく、また話をする貴方の顔が本当に楽しそうで私はやっぱり生きてて良かったなとその時初めて思えました。
ですが、宗右衛門さんのことを喜ばしく思わない奴らがいるのも事実です。
宗右衛門さんがアイヌモシリに流れ着いたことはすぐに集落の奴らにも知れ渡りました。アイヌの民は風のにおいでそういうのには敏感に察知することができるのです。
宗右衛門さんが来てから数日後、森の奥の広場に食物を取りに行くとそこには酋長の使いを名乗る者がいて宗右衛門さんを引き渡せと迫ってきました。当然宗右衛門さんを奴らに渡すことなどできないので何度も断ってはいましたが、ついに奴等も痺れを切らしたのか無理やり私を殺して宗右衛門さんを拉致していこうと強行手段に出たのです。
ですので私はちょっと軽い幻覚のようなもので脅かしてあげたのですが……私自身も気が付かないうちに霊力が向上していたようで加減が効かなくあのようなちょこっと酷い幻覚になってしまったのです。
少々長くなってしまいましたが、これが私の真実です。
私は宗右衛門さんの為なら全てを差し出します。失うものなんて何もないのですから」
〜〜〜〜〜
「辛かったのだな……」
彼女の過去を全て聞いた彼は隣で寄り添う彼女の頭をひと撫でする。
愛玩動物のように目を細めながら撫でられる彼女はとても気持ちよさそうに宗右衛門の手のひらを堪能しているようであった。
「うん……とっても辛かった、寂しかった」
「何もない人生ほど辛いものはない。大切なものを失うことは恐ろしいが、その大切なものを得ることすら許されないことの方がずっと辛いだろう」
宗右衛門は彼女の頭を撫でながら自分の過去を思い出していた。
自分は彼女のように孤独ではなかった。
友人もいたし、上司も後輩もいた。なにより、第三者が普通に町の中にいた。
これが当たり前の生活だと思い込んでいたのだ。
だが、この当たり前の生活すらも許されることのない人が今実際にこの目の前にいる。
孤独の限りを尽くし心の底から無になってしまった彼女。決して心折れることなくこうやって死ぬことなく生きている芯の強さ。
俺がそういう立場になったら長く耐える事はできないだろう。
彼女が感じた孤独の辛さに比べれば、自分が体験した辛さなどたいしたものではないと思っていた。
「オサピリカ、よく頑張ったなぁ」
「え、へへ♪そうでしょ、そうでしょ?」
布団の上できゃっきゃと喜ぶオサピリカは正真正銘可愛い少女そのものであった。
であると同時に汗ばんだ身体に火照った体温、さらには少しはだけて民族衣装から露出する素肌のその官能さは男ならば誰でも劣情を抱くもので間違いない。
しかし宗右衛門は年頃の少女にそのような思いを抱いてしまって良いのか、はたまたオサピリカ自身の意志で布団に自分の身体に寄り添ってきているのでこれはもはや任意の証なのではないかと一人悶々とするのみである。
これではいけない。
そう思った宗右衛門はすかさず話題を切り出し何とか間を持とうとしていた。
「オサピリカは凄いな。たった一人で五年も生活しているのだから」
「って言っても食料とか衣服はちゃんと給付されるのだけれどもね」
「いや、それでも凄いさ。俺だって助けてもらったのだし、やはりいつか必ず恩を返そうと思う」
恩を返す。
そういうと彼女の瞳が今までにないくらい輝きこちらを見つめていることに宗右衛門は気が付いた。
その目つきは期待を前に心躍らせているようにも見えるし、獲物を見つけた獣のような目つき、そして潤った瞳は夜の女を思い出させるようであった。
思わず目をそらしたくなるが、その圧倒的な迫力というか切迫感が背けるなと言っているような気がしたので宗右衛門は見つめ返す。
「ウチャ、ロ、ヌンヌン……してほしいな」
「うちゃ……え?」
――――――――
彼女の視線は依然宗右衛門の両の瞳を捉えたままだ。
ウチャロヌンヌンという聞いたこともない―恐らくアイヌ語―言葉に面食らった様子になるがオサピリカはそんな様子の彼を一切笑うことなく真剣そのものの表情で見つめていた。
彼女の切ないような女の表情を目の当たりにして宗右衛門はもはや理性良心ぎりぎりのところで持ちこたえているようなところであろう。
隣に寄り添っていたオサピリカは宗右衛門と密着するような体勢になる。
「ウチャロヌンヌン……いいよね……もう我慢できない」
彼女との顔の距離が徐々に近づいてくる。
彼女の荒い吐息が自分の顔全体に吹きかけられているが、とても甘い甘美な香りで心地よかった。
もはやお互いの顔の距離は鼻と鼻が擦れ合うほどの距離で、宗右衛門はもう彼女が何をしようとしているのか完全に理解した。
その上で最後にもう一度彼女に問う。
「意味は」
「ウチャロヌンヌン……アイヌ語で」
「接吻、違うか?」
「…………♪」
彼女は一瞬満面の笑みをすると宗右衛門の唇に自身の唇を重ね合わせる。
それは大人が交わすような深いものではなく唇と唇が触れるだけの、とても少女らしい接吻であった。
十秒ほど唇を合わせオサピリカはやや顔を引き離すと震えた唇で言葉を発する。
「始めて、あげちゃった。くふ♪」
「初めてが俺なんかでよかったのか」
「宗右衛門さんだからいいの。ねぇ……もっと、いい……?」
宗右衛門は言葉なくうなずくと、オサピリカはすかさずもう一度唇を合わせに来た。
今度はただの浅い接吻ではなく、大人の深い接吻である。
宗右衛門が彼女の上唇を吸うと、オサピリカは彼の下唇に吸い付き舌先でれろれろと舐め上げる。
「んちゅ…♪ちゅ…♪」
「はぁ、じゅる……ちゅっ」
お互いが歯の裏側、舌裏、頬など口腔内を舐め回し恍惚とした行動に酔いしれている。
彼女にとって初めての相手と言える宗右衛門はもはや愛を通り越して依存している域まで達しているのだ、そんな人生を劇的に変えてくれた相手との接吻を幸せに感じないわけがなかった。
それは宗右衛門とて同じことであった。
見知らぬ大地でたった一人放り投げられ最悪死に至っていたかもしれない状況を助けてくれて付きっ切りで看病してくれた少女に愛おしさを覚えないはずがない。
しかし、宗右衛門は自分が見知らぬジパング人だということと、オサピリカがまだ少女であるという面から心から気を許しているわけではなかった。
「んぷっ…♪宗右衛門さん、私は貴方が好き。心から貴方を愛しています。では貴方はどうなのですか?」
「俺か、俺は――」
―俺も彼女のことが好き、なのかもしれない。だが、なぜ言葉に発することができないのだ。
宗右衛門の心の中では最後の最後まで理性と良心が鍵をかけていた。この鍵の向こうにはとても幸せな未来が待っているのだろう、そうは思っても鍵を解くことができなかった。
もはや鍵が障害に変わっていることなど当に理解していた。
しかし彼自身がかける鍵を自分で解くことができなくなっていたのだ。
心の中で苦悩する彼にオサピリカはとろんと呆けた表情で彼に問い続ける。
「生まれだとか年齢だとか、私はそんなの何にも気にしていないよ。私は宗右衛門さんの嘘偽りのない本音が聞きたいの」
―俺だって言いたいさ。だけど言ってしまえば何か取り返しのつかないことになってしまうような気がしてならないのだ。
なにかを言いた気にあたりをきょろきょろと見回すが、何も答えが見つかるわけではない。
彼女は待っている。
俺の返事を待っている。
そう考えるほど心の鍵は大きくなりよりいっそう自分を苦しめているのは明確であった。
「ジパングという封建的な考えが貴方を苦しめているんだね。可哀想……
今楽にしてあげるからね。私の目を見て」
「…………」
言われるがままに宗右衛門は彼女の目を見つめる。
彼女の瞳は怪しげな紫色の輝きを帯びており、ずうっと見つめているとなんだか心をさらけ出しているような、心が表れるような気がしてとても心地よかった。
ガラガラガラ……と音が聞こえる。
宗右衛門の心の中の鍵が、いや壁が崩れ去っていく音であった。
今まで言いたくとも言えずに封じ込めてきたもの、心の内に閉まっていたもの、それら全てが崩れると同時に少しずつ彼の中に言いたい言葉が構築されてくる。
心の壁の崩壊は理性と良心の崩壊とほぼ同義であった。
「俺は……」
気が付けば彼はまた接吻させられており、ねっとりと貪る彼女の唾液がとても熱く感じた。
唾液ではない得体の知れない何かも一緒に流し込まれているようでその熱は口内から食道、胃を劣情の炎で燃やし尽くしてしまうほど熱かった。
彼女の身体はほぼ完全に宗右衛門と密着しており、その小さい身体はいとも容易く覆いかぶされそうなほどである。
「俺はオサピリカが……」
唇と唇の間に一本の線ができるとオサピリカはそれを指で掬い取ると、彼の胸板にねっとりと擦りつける。
にちゃ、にちゃ、と鳴るその音は紛れもなくお互いの生体から出たものであり。その音を聞くたびに二人は接吻を行なっていたという証明になる。
オサピリカはもう一度彼を強く見つめると彼の心の壁は盛大に吹き飛んだ。
「俺はオサピリカが好きだ。俺はオサピリカが好きだ!!今まで己を隠しこの言葉を言うのを恐れていた。だけどもうそんなものはどうでもいい、俺はオサピリカを愛しているんだ」
そう言って宗右衛門は両手で強く彼女を抱きしめた。
背中と腰に手を回し、強く強く、けれど苦しくならないように彼女を心のままに抱きしめた。
そうしてまた、今度は口周りが唾液でべとべとになるほど激しい接吻を互いが行なう。
オサピリカが舌を突き出すと宗右衛門は口をすぼめ彼女の舌をしごいてやるように何度も何度も上下させる。
次は私の番といわんばかりに、オサピリカも対抗して彼の舌を吸い上げるのだ。
オサピリカは宗右衛門の首裏に両手を抱きかかえるようにして回しお互い決して離れられぬような体勢になる。
「んんんんんんっっ♪♪!!」
するとしばらくして、宗右衛門は彼女の聞いたこともないような嬌声を聞く。
接吻しているだけなのにこんなに感じるものなのか。
それにしては異常なほどの感じ方に少し不安を覚え、宗右衛門は抱きかかえていた手を放すと彼女の様子が先ほどとは違うものに気が付いた。
布団の上で何かに悶え苦しむかのように震えていたのだ。
「オサピリカ……どうした、どこか痛むのか」
「ち、違うの…………首が、首が……ああんっ♪♪」
彼女は宗右衛門に回していた手を取り外すと、今度は自分の首を一心不乱に掻き毟りだした。
布団の上で自分の首を掻き毟りながら痙攣する彼女の様子はただならぬものがある。
首がどうかしたのか彼はオサピリカの首元を見るとそこには更に仰天するものがあった。
「く、首飾りが!?」
宗右衛門の見た首飾り、いやかつては首飾りと呼ばれていたものはいつの間にか紐はちぎれていた。牙と宝石はばらばらになっている。
その牙と宝石は一つ一つが宙に浮き不気味に振動していた。
やがてばらばらになった牙は牙で、宝石は宝石でひと塊になる。
一方オサピリカはというと、まるで発作が起きてしまったかのごとく激しい呼吸で全身汗だくとなり朦朧とした様子で布団の上で震えているのみであった。
「オサピリカ!大丈夫か!!」
「わ、わらひなら大丈夫……それよりも、はぁ……ごめんなひゃい」
「喋るんじゃない、安静にしているんだ!」
「ごめん……首飾り、あんっ……御祓い失敗しちゃ……ひゃ」
「そんなものはどうでもいい!!俺はオサピリカだけいればもうそれでいいんだ…………」
「ありがとう……わたひが、私でなくなる前に……言えてよかった…………んああああっ!!♪」
彼女が最後に大きく喘ぐと、塊となった宝石は強く白く光り輝き光の球となると彼女の背中に飛んでいく。
輝きながら彼女の尾てい骨の辺りに飛来するとそのままずぶずぶと体の中へと入っていった。
牙の塊はというと空中でドロドロに溶け、真っ黒な粘性の液体になると彼女の口目がけて勢いよく飛び込んでいく。
「んむぅ!?……げほっげほっ……」
いきなり液体が飛び込んできたものだから彼女は吐き出す間もなく一口で飲み込んでしまう。
その液体は今まで生きてきた中で最上級とも言える甘さのものであり、彼女はあまりの美味しさに飲み込んだ瞬間たちまち表情が恍惚とする。
しかし、次に襲いかかるのはこれもまた感じたこともない強力な快感。
まるで全身が性器になってしまったのかと錯覚するほどにびりびりと身体を走る電撃は彼女の脳内を桃色に染め上げることくらい造作もないことであった。
「きゃううううん♪♪き、きもひ…………おかひくなっちゃ……うああぅ♪」
「なんなのだ、これは……」
「宗右衛門さぁん、好きって、しゅきって言ってぇ♪」
喘ぎ息づく彼女はその苦しそうな呼吸の中でそう言った。
もう己を取り巻く良心をを消しさった宗右衛門にとって彼女のその願いは造作もないことである。
「好きだ」
「あふぅ」
「好きだ」
「んんっ」
「好きだ!」
「あっ……ああぁぁああんっ!!♪♪」
宗右衛門は力強く最後に彼女へ嘘偽りない言葉を投げかけると、彼女は心底満足し昂揚した表情で宗右衛門にしがみつく。
そんな彼女を宗右衛門は拒むことなくやんわりと受け入れ正体不明の快感に苦しむオサピリカを撫でてあげるのだ。
「み、みみぃ♪」
「耳?」
「そう、みみにゃめてぇ……わらひのみみぺろぺろひてぇ♪」
上目遣いでそうねだる彼女の可愛さといったら言葉では説明できないほどに犯罪的、欲情的、圧倒的さを兼ねそろえていた。
そんな恐ろしく可愛らしいものに宗右衛門が敵うはずもない。
宗右衛門でなくとも世の男なら即虜になってしまうものであろう。
言われたとおり耳を舐めてあげようと彼はオサピリカの髪を掻き揚げる。
が、そこには彼の予想を遥かに上回る現象があった。
「?!み、耳が……ない……」
口角の一直線上。
目の水平横。
うなじの斜め上。
どこをどう見回しても耳らしき器官は存在していなかったのだ。
そこに耳があったという痕跡さえもまるっきりなくなっており、ただ髪の毛の付け根と平坦な皮膚が広がっているのみで、穴などどこにも開いていない。
「オサピリカ……お主耳が、なく、なって」
「あはぁ〜♪みみならこっちだよ……こっち
んっ♪もうすぐで……生えそ、んきゅぅ!♪♪」
彼女はこっちだよと言わんばかりにその震える体で指差しをする。
その指差す方向とはまさに頭、耳など到底ある場所ではない頭頂部であった。
恐るおそる宗右衛門は指差す方向を覗いてみると、確かに彼女の頭頂部はなにやらもぞもぞと蠢いているようである。
もはや驚きの連発でこれしきのことでは然程衝撃ではなくなった彼は言われたとおり彼女が耳であると主張する部位に口づけをする。
「あああっ!!みみ、みみ生えるぅ!♪んんうううぅぅぅん!♪♪!」
めりめりめりっ……
そんな生々しい音を立てながら頭頂部の皮膚が隆起し始めると、驚くことにその膨らみは左右二点に均等に集中し、小高い丘のように盛り上がってきた。
それでも彼は彼女の要望に応えるようにと懸命にその皮膚の盛り上がりを口づけし舐め続けると、更に皮膚がせり上がってきて破裂してしまうのではないかと懸念する。
しかし、ある一定の高さまで上がるとその盛り上がりは止まり、次は徐々に薄く薄く形が変化していった。
底の方はびっしりと毛で覆われよく観察することはできないが恐らく穴が開いているのだろう、彼は本能的にそこには手を触れないでおいて、薄くなった皮膚の盛り上がりを指で挟んで擦ってあげる。
始めは皮膚のしこりのように固かったその出っ張りは薄くなるにつれふにふにと柔らかくなり、ついには軽く指で折り曲げることすらも出来るようになってしまった。
「んふぅ〜……はい、出来上がり♪どう、かな……」
「これは、紛れもない……」
耳であった。
彼女の頭頂部から生える三角形の、その特徴的な柔らかさとぴこぴこ動く愛くるしさ。
間違いなく耳であった。それも人間ではなく、犬のような耳であった。
「可愛い、かわいいよオサピリカ」
「んひひ♪よかった、可愛いんだ……気に入ってもらって」
「お、おいその歯」
にっと彼女が歯を出して笑うと不意に口内から白く落ちてくる何かが見えた。
彼はすかさず手で捕まえるとそれは歯であり、硬く抜け落ちる要素すらない健康的な歯である。
捕まえたは四本。
彼はオサピリカの口元を見てよく観察してみると上と下の犬歯の部分がすっかり新しい歯に生え変わっていることに気がついた。その歯は人間の犬歯と比べると遥かに鋭く尖ったものであり、言うならば肉食獣の犬歯とほぼ差し控えのないものといっていい。
「獣のような耳に獣のような牙……!!まさか、アイヌの民というのは獣人の類であったのか?!」
「あはははっ!違う、違うよぉ宗右衛門さん。これは私だけが特別なの♪」
「では、オサピリカは初めから獣の化生であったと」
「それも違う。くふふ、私はやっぱり宗右衛門さんと出会う運命だったんだ。だからこうやって人間を辞めることができたんだもん」
「いや、俺には何を言っているかまったくわからんのだが……」
「もう鈍いんだから宗右衛門さんったら♪宗右衛門さんが持ってきたあの首飾りね。あれ、やっぱり呪われてたの」
やはりあの恐ろしいものは呪いの類であったのか。
そう納得するも、今更不幸が訪れたとしたもはや俺には何も失うものもない。俺はオサピリカさえいれば後は何もいらないのだと思っていたので彼女とふれあっているうちに首飾りの興味は薄れていっていた。
そういえばあれほど自由になるために躍起になっていた自分であったが、ここに流されてからというものその思いはほとんど考えていなかったなと思い返してみる。
「呪いは呪いでもとっても強い念が込められた呪いだったの。外そうと試みてみたんだけども、どう頑張っても外すことはできなかったし、外そうとするたびに呪いが強まる仕組みになってて……
その……男性が恋しく……というか、ええと……ご奉仕して、もらいたくなる……というか」
「なるほど」
「だから夜中に何度も襲おうとしたことだってあった。毎晩宗右衛門さんの身体で自らを慰めている毎日で……宗右衛門さんには目を覚ました時には忘れてしまうようおまじないをかけているので身に覚えがないのはそのためだよ」
「お主は毎晩そんなことをしていたのか……驚いた」
「すみません、どうしても宗右衛門さんの身体でないと慰められなくて……切ないのです」
宗右衛門は彼女の新しい耳をやんわりと揉みながら話を聞いている。
まるでその手つきは、そんなものは気にしていないと言いたげであり、その意志は少なからず彼女にも伝わっているようであった。
彼女は以前より二回りも大きくなったその乳房を宗右衛門の胸板に押し付けると、色っぽい息づかいで宗右衛門を誘惑し自身もこの仕草に酔いしれている。
「宗右衛門さん……わたし、今でも切ないんですっ。貴方が欲しくて欲しくてたまらない」
「オサピリカ、俺で……良いのか」
「はい、初めから答えは決まってます。私にはもう本当に貴方しか残されていないのです、貴方の存在が私の生きる意味。だから……貴方の証を私に刻み込んで下さい」
「…………もちろんだ、もとより俺に拒む理由などない。俺にももうオサピリカしか残されていないのだから」
そういってお互いがよりいっそう強く抱きしめあう。
宗右衛門、オサピリカ共に自身を纏っていた民族衣装を脱ぎ捨てると二人は素肌を明かし肌色へと変わった。
少女の姿をしていながら、頭頂からは獣の耳が可愛らしく膨らんでおり時おりピクピクと動く。
胸は少女の姿とは不釣合いなほどに大きく成長しており、しかしそれでいて垂れていなく先端は薄桃色の突起が若芽のように元気よく突っ立っている。
宗右衛門は宗右衛門で、流石は元武士というだけあり鍛えられたその肉体は傷が多く目立つもののそれがまた男らしさを醸し出している。
今のオサピリカにとって、その男らしいにおいというのがたまらなく劣情を催す危険なにおいであった。
宗右衛門の愚息は自分自身見たこともないぐらいに怒張しており、これが何を意味するかは用意に理解できる。
「綺麗な身体だ、美しいよ本当に」
「宗右衛門さんこそ逞しくって素敵……クラクラしそう」
お互い見る初めての裸体に興奮を隠せない。
これから行なわれるであろう生命の営みを想像するだけで脈は速くなり体温は上昇する一方である。
宗右衛門は彼女を布団に仰向けに押し倒そうとする……が、すんでのところで彼女に止められてしまい、何ぞと言う。
「まだ、最後にやることがあるよ♪宗右衛門さん、私のお尻、この尾てい骨のところに手を……」
彼女は宗右衛門に背を向き尾てい骨の方を見せる。
そこは先ほどの宝石の塊が飛んで沈んでいったところであり、未だに白く光り輝いていた。
美しいくびれとは対照にとても大きく張り出た臀部は女性特有の形態であり、思わず彼も見とれてしまうところだ。
宗右衛門はごくりと唾を飲むと彼女の臀部の割れ目より少し上部、尾てい骨の辺りに手を置く。
すると――
「んああああっっ!!!入っ……て、きたぁ♪♪」
「手が沈っ!?」
宗右衛門の腕は手首辺りまでが彼女の体内に沈んでしまったのだ。
ずぶずぶと入るその感触はまるで体内を遮二無二犯しているかのようで、愚息を挿入するとはまた違った感覚である。
その体内とも言えるような言えないような奇妙な異次元空間の中で手を泳がせていると、彼は何か不思議な触感のものを手にする。
「そ、それぇ♪それを引っ張って外に出して、お願い♪初めてのものは貴方に生やしてもらいたいの……」
「痛くは、ないのか」
「だいじょうぶぅ、らから……はやく♪ずるずるって出してぇ♪!」
何かはよくわからないが彼はしっかりとその片手で柔らかい何かを掴む。
そして放すまいと確信したら、ふぅっと一度深呼吸をし盛大に息を吸い込んだ。
「では抜くぞ。いっせーの…………せっ!!」
ず、ずずずるるずるるる!
「ひゃあああああんんん!!!♪」
彼女のさぞ気持ちよさそうな叫び声と共に宗右衛門は思いっきり何かを引っ張り出す。
それはまさしく尻尾であった。
全体が黄土色で先端だけはやや色素の薄く、柔らかい芯がある細長いもの。
毛並みはどんな毛皮よりも上質なものであり、いつまで撫でていても決して飽きのこなさそうな軽い中毒性すらありそうなふわふわの尻尾だ。
獣の耳に獣の牙、そして獣の尻尾。どこをどう見ても獣人そのものであった。
と同時に、彼女の尻尾を引き上げた途端彼女から発せられる甘い香りが数倍にも強まり、彼の欲情心は限界まで沸き立てられる。
もう我慢ならん、そう言いたげな彼の愚息は先走り汁を垂らしながら震えている。
「はぁぁぁ……やっと、人間じゃなくなった♪♪これからもよろしくね宗右衛門さん♪」
「獣人、いや妖怪か。姿形変われども、オサピリカはオサピリカだ変わらないさ」
「そう、多分私は妖狐っていう妖怪。乱れることが大好きな淫乱な妖怪。
宗右衛門さん……我慢できないのでしょう?わたしも、もうできない」
そういうと彼女は自ら仰向けで布団に倒れこむ形となり両手両足を大きく開く。
両手は宗右衛門の身体を受け止めるために、両足は宗右衛門の愚息を受け入れるために開くその姿はどんな可憐な女性よりも愛おしいほどに可愛らしく、どんな娼婦よりも狂おしいほどに艶かしかった。
宗右衛門は始めてみるオサピリカのあられもない姿をみて愚息がはち切れそうなほどに膨らみ固くなっているのがわかる。
心臓の脈と同期するかのようにドクドクと愚息も脈打つ。
「何もしていないのにこんなにも濡れて……本当に淫乱だな」
「やぁん……言わないで♪ずっと待っていたんだから、あっ……」
宗右衛門は自らの亀頭を彼女の入り口にあてがい、その潤滑液を愚息全体に染みこませる。
ぬらぬらとてかり、ヒクつく彼女はとても淫靡であり、その彼女を上から見下ろしているというこの体勢が男の本能に更なる火をともす。
今からこの魔性の壷に己の分身を無慈悲にも突き立てると想起しただけでよりいっそう先走り汁が溢れてくる気がした。
「いいよ……一気に挿れて」
「いいのか、初めてなのだろう、痛いと聞くぞ」
「大丈夫、今の私なら……多分痛くないと思う……だから早く、して♪♪」
じゅぷ……♪
興奮に興奮を重ねもはや理性も全て捨て去った彼はオサピリカの言葉を全て聞く間もなく、一気に奥まで己を挿しこんだ。
彼女入れたと理解する間もないまま、その圧倒的な快感を全身が支配される。
「あああああああああぁぁあああっ♪♪!♪」
それは痛みなんて一瞬で吹き飛ぶほどの恐るべき快感。
熱を持った硬い何かが入ってきたと思ったら、奥まで押し広げられ、蹂躙され、膜のような何かを破ったような気がしたがそんな痛みなど初めからなかったのように立て続けに襲ってくる快感が痛みを消滅させてしまった。
「ふーっ……ふーっ、らめぇ……ひもひよすぎてばちばちするぅ♪」
「凄っ……しめつけが凄すぎて、はぁ、まるで吸い込まれているかのようだ」
入れただけでこの快感である。
あまりの気持ちよさにオサピリカは一度腰を引こうと思ったが、それは身体が許してはくれなかった。
尻尾は無意識のうちに宗右衛門の腰周りを包むように縛り付けており、両足はシッカリと宗右衛門の背中に固定して決して離れることのない姿勢になっていたのだ。
「よし、じゃあ動かすぞ……」
「やああぁぁぁ♪動いちゃやああぁぁ♪♪」
彼はゆっくりと腰を引き抜き、モノが出て行くか行かないかの所まで持っていくと再び彼女の奥へと腰を打ち付ける。
その度に彼女に途方もない快楽の波を呼び瞬く間に彼女を覆いつくす。
抵抗しようと頭では考えるけれども、体はまったくその逆の行動をしているようでもがく度に気持ちのいい場所へと誘おうとする。その快感に妖狐である彼女が勝てるわけがなかった。
「あああああまたきちゃう♪きもひいのきちゃうぅ!♪♪」
再び彼が奥へと愚息を打ち付けると今度は全身が雷に打たれたかのように刺激が走る。
手先から足先の末端にかけて、髪の毛一本余すとこなく走るその感覚はまるで天災そのものであった。
もはや抵抗など無意味。
魔物娘としての本能がそう告げると彼女は自分でも驚くほどの順応さでこの身を蝕み犯す快楽に身を任せようと決めたのであった。
「オサピリカっ……きもち、よすぎるっ……はぁっ!はぁ……」
「んみゅぅっ♪♪よ、かったぁ♪はああああんん!ダメっ、そこだめぇっ♪」
一度突く度に彼女は一度達しているようであった。
徐々に早まるピストンは即ち連続して絶頂させられているようなものであり、つい先ほどまで人間であったオサピリカにとってそれは天国、そして良い意味での地獄そのものである。
そしてがくがくと痙攣するたびに愚息と膣内が擦れ合い、その刺激でまた更なる高みへと昇ってしまう循環になってしまっていた。
「はぁあああああああっ♪そ、そうえも、宗右衛門さぁん♪好きっ、れすぅ!」
「はっ……うっ……俺もす、きだ。オサピリカが……好き……はぐっ!」
絶頂するたびきゅうきゅうと締め付ける彼女の膣は彼女を苦しめると同時に、宗右衛門にも深刻な快感を引き起こしていた。
もともと少女の身体なので小さい膣穴はこの上ない締付けを誇る名器であり、挿入するだけでとてつもない快感を襲うのだ。それに不規則に蠢きながら締付けを強める魔性の力が加わったとなれば、それはもう計り知れない破壊力を伴うことになる。
「も、もうっ、何回イっちゃて……るか♪わからなぁい♪んああっ♪」
「そう、か……俺は嬉しいぞ、はぁ、こんなに可愛らしい者と……まぐわえるの、だから」
仰向けになりながらでも形崩れず上下に揺れる胸は以前の彼女ならば考えられぬものであった。
それを宗右衛門は両手で掴み乳首を人差し指で跳ねるように刺激する。
そうすると彼女からは更に潤滑液が分泌されるのがお互い感じ取ることができよりいっそう興奮し、腰の動きも早くなる。
家の中は彼女の嬌声と、潤滑液と皮膚が擦れる水音、そして彼のふぐりが彼女の股に勢いよく打ち付けられる三つの音に支配されていた。
もはや彼らを止めるものなど何もない。
ただ己の欲望のままに互いを貪りあい、快感を求め合い性交に溺れていく。それがいかに良くないことなのかは一般的な価値観ではそうなるであろう。
しかし、すでに心の壁を打ち砕いた宗右衛門と、妖狐となったオサピリカにはそれが悪いことだと思うことはなくなっていた。むしろ快感に身を任せるのは良いことであると、そう思うように思考が切り替わっていた。
「ひゅ…ぅ♪また大きくなったほよぉ♪」
「わかるか……俺ももう、だいぶ辛いからな……はぅっ!」
もうこれ以上快感が強くならないだろうと思っていた彼の予想は外れ。
宗右衛門が達しようとしていると聞いた彼女はたった今見に付けた技、もしくは魔物娘としての本能なのか宗右衛門がもっとも感じる弱い部分を攻めるかのように膣の形状を変えたようであった。
ひだの一つ一つが狭い膣の中で複雑に絡み合い、集中的に攻める。
「れそうなの?じゃあ……いつでも出していいよ♪宗右衛門ひゃんの……あつーい子種ほしひっ!!♪」
「そ、んな変態みたいなこと……言うようになってよお!はぁっ、はぁーっ!」
「うんっ、うんっ♪一緒にきもひよくなるから……孕ませてぇ♪♪宗右衛門さん、のあかひゃん♪」
自分とオサピリカの子供。
そう脳裏に想像するだけで訪れる多幸感は彼の思ってもみない香辛料であったらしく、射精への道を一気に近づけるものとなった。
もはや出す出さないという次元ではなく、出さなければならない、彼女の子宮に自分の種を存分に蒔きたいという雄としての本能が彼の腰を動かしていた。
気持ち良いという言葉ではもう表すことができない域まで突入してしまっている。まるで自分の性器と相手の性器が一つに融けてしまっているのではないか。
お互いがそんなことを考えていた。
「くりゅ!イきます♪イッてくださひっ魔物オマンコ孕ませてくだしゃいっ♪」
「あああっ!オサピ、リカ……もう、だめだ、出……!!」
彼女はそう聞くや否や、彼の身体に巻きつけてあった尻尾と両足を更に強め絶対に離れられないようにした。つまりこれは、このまま奥以外には出してはいけないという意思表示である。
ああ、来る。あの電撃が、一際大きいあの電撃が来る。
オサピリカは半ばうわ言のようにそう呟く。
白く染まる視界のなかでしっかりと宗右衛門だけは鮮明に見えていた。
宗右衛門もまたばちばちと靄がかかる視界、徐々に消えていく音の中でオサピリカの姿と声だけは鮮明に認識することはできていた。
最後にお互い一度目を見合わせると、一度だけちゅっ……と優しい口づけを交わし。
そして最高の瞬間に二人同時で果てた。
ドクンッ!!
どぷっ、どぷっ!
「イッくぅぅうううううううううううううううう♪」
「はああああああああぁぁぁっ!!!!」
宗右衛門の先端から鉄砲水の如く精液が吐き出される。
どぷん―どぷん―と彼女のほうからでもわかるほどの脈打ち方で、大量に出される種は子宮に直接送り込まれ止まることがない。
彼女は決して尻尾と両足の固定を外すことなく彼から送られてくる種を一心不乱に受け止めており、その人間の男性にしては規格外な量のものを一滴も溢すこととなくすべて自分の中に入れていった。
知らぬ間にオサピリカは潮も吹いていたらしく、布団は破瓜の赤と潮の水浸しになってしまっていた。
申し訳ないと思う気持ちはあるけれど、そんな言葉を言う余裕なんてものはなく彼女はうめき声を上げることしかできない。
「ふぅぅう……あはあぁぁ♪」
「ふーっ……くっ、ふぅぅ……」
やがてかなり長い間精を出し続けた宗右衛門は彼女の上に倒れこむ。
彼は喋るどころか身体を動かす力も使い果たし、身体を支えていられなくなったのか倒れこみ眠りについていた。これでも初めての魔物相手、それも性欲の極めて強い妖狐が相手なのだから宗右衛門はよくもったほうなのだろう。
オサピリカは彼と繋がったまま、彼の上半身だけを横にずらすと自分もまた身体を動かす余裕がなくなっていたことに気が付く。
これから自分達は誰にも邪魔されることなく、二人で一生幸せと快感に塗れた生活を送っていくんだ。
子供も何人かできたらいいな。
そう幸せな未来を想像するとふいに強い睡魔が襲ってきたので、彼女は宗右衛門に寄り添いながら深いまどろみに落ちていくのであった。
――――――――
「俺としては手荒なまねはしたくないんだが……まぁいい、捕虜は何人だ」
「二人、いずれも女です」
「女ねぇ……どうするピリカ?」
「んー話ぐらい聞いてあげてもいいんじゃないかな」
「だそうだ、よしその捕虜をここに連れてこい」
「はっ、今ここに」
祭壇のような大きめの社の中では重々しい雰囲気の中、民族衣装を着た一組の男女が一人の男に命令しているようであった。
命令された男は後方に合図を出すと、後方からは更に二人の男がそれぞれ捕虜と呼ばれた人を連れてやってくる。
「よし、ごくろう。お前たちは戻っていいぞ」
男女一組のうちの男の方が先ほど報告をしていた男と捕虜を連れてきた二人の男、計三人の男に命令を出しているようである。
三人の男は一人が短剣、一人が長剣、一人が弓を装備している男であり、命令された三人は部屋の奥の方へと去っていった。
連れられてきた捕虜二人は、共に縄で身動きが取れないように拘束されている。
「で、捕まったお二人。何か言いたいことはあるか」
「私達としてもできるだけ穏便にしたいの、素直に受け入れてくれると嬉しいのだけれど……」
男女一組がそれぞれ捕虜に言葉を投げかけると、彼女らは堰を切ったかのように球に怒鳴り散らす。
「何が穏便だ、ふざけるな!!我々の村を侵略してきたのはお前達であろう!?」
「そ、そうだ!お前達さえ来なければ……こんなことには……」
やれやれまたか、そういわんばかりの表情で二人を見つめる宗右衛門とオサピリカは二人そろってため息をつくと二人同士で何かを話し合っている。
やがて話し合いが終わったのか、捕虜二人のほうを見るオサピリカ。
懐から何やら呪文のようなことが書かれた札を二枚取り出すと、ふぅっと空中に拭きかけひらひらと舞わせる。すると札はそれぞれ一枚ずつ捕虜の方へ飛んでいき、捕虜の口をぺったりと覆ってしまった。
「これで貴女たちは二時間の間言葉を発することができません。あ、呼吸はできますのでご安心下さい♪
貴女たちは勘違いをしている。私達は侵略したのではなくて取り返したのです。アイヌをあるべき姿に戻すために、より良い文化の発展のために……」
「前の酋長と巫女のことなら心配しなくていいぞ。よっぽどあのおっさん巫女のことが大事だったらしいからな、娘を魔物にしてやったら泣きながら交尾してたってものだ」
捕虜が青筋を立てながら唸り怒っているが、彼らからして見たらただの無力な人間二人が呻いているようにしか見えない。
「私達が新酋長と巫女になってからというもの、人々は活気が戻りました。いくら働いても以前より疲れの来ない肉体、夜遅くまで聞こえる愛おしい夫婦の営み。
これらが意味する事はすなわち、前酋長と巫女の統率は誤っていたという事に他なりません」
「お前たちは見たか?街行く人々のあの充実した顔つき、あれは真に満足している者でなければできない顔だ」
捕虜たちは抗議の唸りを止め、いつしか二人の話を真剣に聞いているようになっていた。
まるで何者かにそうさせられているように。
「というわけで古い思想に囚われている貴女たちも私たちの一員にさせてあげます♪
っと言ってももう聞こえてないのですが♪♪くふふっ」
捕虜は虚ろな目で虚空を見つめているだけであり、ひたすらハイハイと頷いているだけであった。
これもまたオサピリカの奇術が関係しているのは明確である。
「今日もまた新しい仲間が増えることに風の神、大地の神、火の神、水の神、並びに自然を司る全ての神々に感謝の念を込めて」
「願い奉る所、今ここに二つの狐火に期待の念を込めて」
オサピリカの手のひらにそれぞれ一つずつ狐火が乗っかると、彼女は意識も朦朧としている捕虜の前に立ち狐火を彼女達の中に押し込んだ。
こうしてまた二人の人間がいなくなり、二人の狐憑きがこの世に生を受けたのであった。
北方都市「N.O.R」
ジパングの最北に位置する巨大な島国であり、一人のインキュバスと一人の八尾の妖狐が領主を務めている魔界である。
自然豊かなこの地は四季折々様々な名産品に恵まれ、冬は厳しいけれど魔界の観光名所としても有名な場所である。
その実態は、全人口の八割が狐憑きと狐火で構成されている極めて偏りのある都市である。そのなかで稲荷、妖狐といったものは数えるほどしか存在していなくN.O.Rにおいて稲荷、妖狐は何よりも尊敬され、自身の夫の次に従うべき存在として認知されている。
敵に攻められたとしても妖狐たちに幻術により戦っていることを忘れられてしまうのでもれなく都市の一員と化してしまうのが関の山である。しかし、普段は乱れて性交を行なうことしか考えていないので彼女達が本気を出すことなどほぼない。
「「ただいまー」」
「おかえりー!!でね、私言ってやったのよ。『私と付き合いたいならチンポで釘打てるくらい硬くしてから出直して来な!』ってね」
「すげー!やっぱ姉ちゃんはすげぇや!!うちもいつかそんな人があわられると良いなぁ……」
「ほんと、おねえちゃんすごいねー。おとなのよゆーってやつ?」
どこか豪華な雰囲気のする佇まいで狐娘三人が和気藹々と猥談をしている。
実にほほえましい風景だ。
その様子を見守るのは更にほほえましい表情をしている妖狐と一人の男。
「うふふ♪あの子達ったら……将来が楽しみね。そう思わない?」
「そうだな、まぁ俺はどんな彼氏を連れてくるのか気が気でないんだがな」
「大丈夫だよ。だって私と宗右衛門の娘なんだもん。顔が怖い怖い♪」
「いや、いくらピリカと俺の娘だとしても相手はまったくの他人なわけだし……」
いつの時代も娘の彼氏をよく思わない父親というものはつきもので。
「じゃあママはこれからパパとプロレスごっこするからまたね〜」
「「「ハ〜イ。パパ、今日は負けないように頑張ってね」」」
「娘にまで心配されるとは……かつての武士山代宗右衛門が泣いてるぞ……」
「ふふ♪あなた、私の夢は尻尾の数だけ子供が欲しいの。今日もいっぱい種付けてね♪」
「子供ができる前に九尾になりそうだけどな」
「気にしない気にしない♪♪くふふっ♪」
―可愛らしく笑う妻の犬歯は綺麗に光り輝いていた―
※※※
「オヤオヤ、お待ちしておりましたよ。
貴方は成功した方でしたか。
騙したようですみません。しかし、それほどに『シュマリ・シキヘテ』は強力な力を持っているものなのです。
力が手に入るとは言いましたが、ただで手に入るほど世の中上手くはできておりません。
それ相応の力を得たいのならば、それ相応の試練というものがあるのです。
貴方にとってそれは"固執した集団からの決別"。
狐という生物は狼や犬のように群れで行動することはありません、唯一行動するとされているのは家族です。貴方は『シュマリ・シキヘテ』を手にしたその瞬間から孤独に、もしくは家族と行動する道しかなかったのです。
そこで貴方は孤独を選び、そして最終的に家族を手に入れた。
それはとても、とても辛い道のりだったことでしょう。苦労したことでしょう。
ですがその苦労があるからこそ、今の幸せがあるというものなのです。
人間は苦労した分必ずいつかは報われるようになっているのです。しかし、悲しいことにその真実に気が付いていない人がいるのもまた事実。
ですから貴方はそんな悲しい人にならぬよう、これからも妻を愛し家族を愛して下さい。
それが魔物娘を夫に持つ者の死ぬまで守らなければならない義務なのですから……
あぁ代金は結構ですよ。商品も破損してしまいましたが、いいものをみさせて頂きましたのでね。エエ、エエ……
……では私はそろそろ去るとしましょうか。良い国ですが私には些か寒すぎるようです。
ではまたいずれどこかで会いましょう。そのときはもっと今以上に淫らで素敵な家族になってることを願っております」
17/02/26 13:47更新 / ゆず胡椒