連載小説
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終末期
「あれから約3年の月日が流れた。
 いま、この地球上にはどれだけ真の「人間」といえる者が残っているだろうか。これを書いている時点、私は中東の山岳地帯に避難しているところだ。しかしここも恐らく近いうちに堕とされるだろう。
 私は「人間」の数少ない生き残りとしてこの記述を残そうかと思う。
 願わくばこれを読んでいるあなたが「人間」であれば喜ばしい。

 





 今から約3年前”それ”は起こった。
 始まりはたった一人の変化だった。たった一人の人物が変化し、その変化を人へ人へと伝搬していったのだ。恐るべき早さだった。
 ”それ”は東の島国から発生し、アジア諸国を巻き込むと爆発的に流行していった。現時点での人類の化学力ではどうあがいたとしても防げるものではなかったのだ。
 細菌でもなくウイルスでもない。未知なる感染症に対抗しうる手段など持ち得ていなかった。何もかもが常識外の出来事だった。
 周囲の環境すらも変化させ、動植物は禍々しい姿となり、空は紅色に染まり分厚い雲に覆われている。日の光はほとんど見ることができなくなった。理解の範疇を超えているのだ。

 ”それ”に感染……いや感染といえるのかどうかすら定かではない。ともかく便宜上感染という表現をしておこう。
 感染するとたちまち強烈な性的欲求が体を蝕み、それ以外のことは考えられなくなる。一時的に知能指数が低下し性的欲求のみを求める危険な状態に陥るのだ。すでにこの状態になってしまった時点で手遅れである。
 異性を発見するとおよそ人間とは思えぬ速度で襲いかかり性行を始めるだろう。
 
 そして一番厄介なことに襲われた人間は逃げるどころか逆に喜々として受け入れてしまうのだ。ヤツら……女性型のヤツらは男性の精液の目的とし、男性型のヤツらは女性と交わることを目的としている。多少の差異さえあれど、要するに男女とも交われば目的が達成してしまうのだ。
 一度襲われた人間は”それ”に感染し、感染因子をばらまきながら移動し続けるだろう。

 ”それ”の感染ルートは多岐にわたる。屍型のヤツらに噛まれたり引っ掻かれたりするだけで容易に感染してしまうだろう。霊体型のヤツらに至っては触れられるだけでアウトだ。ヤツらは壁を通り抜けるし銃弾や刃物なんてのは全くの無意味である。触れられた瞬間精神を乗っ取られ、瞬く間にヤツらと同じ眷属と化してしまう。
 また、非常に稀な個体だが翼鬼型のヤツらは下位の者どもを使役し国一つ堕とすことすらやってのける。恐らくヤツにとってはただの遊びなのだろう。嬌声の阿鼻叫喚が聞こえるたびにヤツの白い牙がギラリと光るのだ。

 ”それ”に感染したものの末路はむごたらしいありさまである。
 ある者は皮膚がただれ落ち、真っ赤な肉が肉眼で確認できるようになる。
 またある者は何かに誘われるように自死し、数時間ののち高笑いを挙げながらむくりと再び動き始める。
 悪夢だ。いや、夢であった方がまだマシだ。これは現実なのである。逃げようのない今の世界の姿そのものなのである。
 その者たちは皆、顔が恍惚に満ち溢れ、まるで体の変化を待ちわびていたかのようにその身を震わせる。
そうして完全に発症するのである。
ある者は首がもげても歩いていたり、ある者は骨だけになっても優雅に立ち尽くしていたり……とてもじゃないが言葉で表現することができない。
 その後に繰り広げられるのは男と女の肉欲だけだ。互いの身体をむさぼり、快感に従うだけの宴がありとあらゆる場所で行われる。
 精液と愛液が四方八方から飛び散り、むせ返るような淫靡臭が辺りを漂う。液に触れるだけでも感染し、その臭いを嗅ぐだけでも強い渇望に襲われる。
 ……本当に。本当にこの世界は変わってしまったのだ。
 人間に許された安住の地など存在しない。断言しよう。






 私は元々ジャーナリストだった。各国の戦地に赴きその国々の情勢を一人でも多く者に知ってもらうために日々奔放する毎日だった。
 そのための活動拠点がこの中東の山岳地帯にある小さな町なのだ。異国民のジャーナリストといういかにも素性の怪しい私を疑うことなく受け入れてくれたこの町は本当に素晴らしい場所だと思う。私の第二の故郷にしている。

 3年前、東の島国「ジャパン」で起きた異変の情報はすぐに私の耳にも飛び込んできた。当時ジャーナリストだった私はその情報を仕入れるといてもたってもいられず、同じジャーナリスト仲間とともにジャパンへと旅立つことになったのだ。
 しかし私たちが行動するのは少し遅かったようだ。いや……違うな、感染が早すぎたのだ。
 ジャパンへ向かうためにまず我々はコリアを目指したのだが、すでにそこら一帯は荒廃してしまっていた。
 ビル街は見たこともないような植物に覆い尽くされ、電気系統はすべて使用不可になっていた。逃げ惑う現地の人々も目に生気が宿ってなく、逆に頬を紅潮させ我々を肉欲の餌としてしか見ていないようであった。
 ここに来て初めて我々はなにかただならぬことが起きているのだと実感したものだ。だからといって怖気づいてはいなかった。我々の行うことは何一つ変わりないのだ。
 ジャーナリズム精神にのっとりありのままを伝えるために我々は進み続けた。
 ……今思えばここで引き返しておけばまだ少しは希望が見えていたのかもしれない。いや、人類の希望というよりは個々人の生存、という意味でのことだが。


 空港はすべて潰されていたのでやむなく海でジャパンへと向かうことにした我々だが、この時すでに半数以上の者が”それ”に感染、もといヤツらと同じようになってしまっていた。
 だが、こんなものはまだ序の口だというのを我々は身をもって痛感することとなる。
 荒れ狂う海を船で渡り、何とかジャパンのとある港町へたどり着いた我々。
 船はヤツらに襲われても耐えれるように頑丈な鋼鉄で補強しており、陸に上がるまでは外の様子などうかがい知ることはできなかった。
 だからジャパンへ上陸した途端、目に映った景色が見るに堪えない状況であっても言葉がうまく出てこなかったのはそのためだろう。

 あそこは……ジャパンはもう地球ではない。土地という概念がない。
 あれは異界だ。この地球のどんな場所よりも深く、暗く、禍々しく、この世のすべての死という存在を一か所に集めた澱みのような場所だった。
 降りしきる雨は鮮血のようで、道端に生えるキノコはドクロ模様が描かれており、枯れ木には得体のしれない肉片がひっついている。

 ……これ以上ジャパンのことは書きたくない。思い出すだけで自ら死にたくなってしまう暗示をかけられてしまうような、そんな気がするからだ。
 だが私は書かなければならない。見たことを、ありのままに。それが私が人生をかけて築きあげてきたジャーナリストとしての誇りなのだから。せめて最期くらいは私のやりたいようにやらせてもらいたい。

 我々はジャパンの首都であるトウキョウになんとか潜入することができた。
 トウキョウへ近づくにつれ体を蝕む死への渇望。気を強く持っていないと自らの舌を噛み切りたくなってしまい、それを抑えるのに必死だ。
 仲間は一人、またひとりと自ら死にに行ったり、ヤツらの中へ飛び込んでいった。仲間たちは皆笑顔だった。その笑顔が脳裏にこびりついて離れない。

 そして……その様子を見ている我々は何を思っていたと思う?
 かわいそう、無念、懺悔、後悔?
 違う。私は、我々は”うらやましい”と思うようになっていたのだ。それがどんなに恐ろしいことかは語るに及ばない。
 他者の死を祝福し自らも仲間に入りたい。そう思うことの倫理観、理性、恐怖、残酷、常識……まともな精神を保つので精いっぱいだった。




 …………それから先のことはあまり覚えていない。
 気が付けば我々はジャパンを脱出し、とにかく遠くへ逃げるかのように遠ざかっていたのだ。
 トウキョウの中心で何を見たのか……手掛かりはこの手元に残る一枚の写真のみだろう。
 残念ながらこれを見ることはできない。この写真を見た者は、例外なく1時間以内に死ぬからだ。写真そのものに呪詛のようなものがかかっているのか、被写体に恐るべきパワーが込められているのか定かではないが……私の仲間たちは全てヤツらと同じになった。
 最後にこの写真を見た仲間のメモには「女子 翼鬼型」とだけ書かれていた。恐らくその人物が映っているのだろう。





 私が元ジャーナリストとして書けるのはここまでだ。
 こういうのは政治家が描くべきなのだと思うが……今になって、なぜ人類がこんなにも早く陥落してしまったのか少しわかったような気がする。
 ヤツらには……”愛”が満ち溢れていたからではないだろうか。
 度重なる戦争、貧困、核開発、人種差別、宗教問題……そう、人間は疲弊しきっていた。ぬくもりに飢えていたのだ。
 そこへ突如として現れたヤツら。人間の持ちえない、博愛の心をヤツらは持っている。
 愛に飢えた人間が、愛を振りまくヤツらに堕とされるのは必然ともいえたのだろう。
 
 我々人間は感染を防ぐと躍起になっていたが、もしかすると心の奥底、無意識のうちではヤツらを受け入れていたのではないだろうか。
 これは私の憶測に過ぎないのであくまでも仮説、ということにしておく。













 ジャパンの異界は少しずつ広がりつつある。
 その浸食はとても遅くはあるが、近い未来必ずこの地球を覆い尽くすだろう。
 そうなったとき、完全に「人間」は終わりを迎える。
 私はその瞬間を見ることはかなわないだろう。



 私に残された時間はもう少ない。
 先ほど前記した感染経路についてだが、もう一つ追記しておく必要があったのを忘れていたようだ。
 ヤツらとの物理的接触により感染すると記したが、それとは別にヤツらが多く存在する空間に長時間滞在してしまうと空気感染するというパターンがわかってきた。
 私はジャーナリストとして前線にいすぎたようだ。今は鎮静剤でどうにか抑えているが、これの効能が切れたとき私の性欲と死欲は爆発してしまうだろう。
 そしてその鎮静剤はもう在庫が尽きた。数時間前に使用したものが最後の一個だったのだから。

 私はいま擦り切れそうな精神を振り絞って筆を走らせている。
 股間ははち切れんばかりに膨張し、先走り汁を垂れ流している。もうあと、数分もすれば鎮静剤の効果も切れてしまうだろう。
 それまでに書き終えなければならならい。














 第二の故郷であるこの山岳地帯のとある町。その町はずれにある風車小屋にわたしは籠っている。
 そして窓の外にはサリサという少女が私を待っている。
 彼女は見ず知らずの私に対して分け隔てなく接してくれた少女であり、私が生涯生きてて初めて愛した人物といっても過言ではない。
 その彼女が私を待っている。
 霊体型になってしまったサリサ。その気になれば壁をすり抜けて私のもとへと来ることだってできるのに、彼女は笑顔で私を待ち続けている。
 
 健気だ。
 
 ときおり、秘部を広げ、私に見せびらかすように自慰をしているときもある。
 なんと愛らしくて。妖艶で。犯したいと思わずにはいられない。
 いますぐ彼女のもとへ寄って私のペニスをぶち込みたい。
 精液で、染めて、愛しあって。そして最後に死にたい、死にたい、死にたい。
 私の液を胎いっぱいに満たし、孕ませてやりたい。
 あの小さな身体に精液が注がれると思うと、この上ない背徳感でぞくりと震える。
 もう私はダメだ。
 

 
 まだ書かねばならぬことがのこって、いる。
 だが、もう時間切れのようだ。鼓動が早くなる。喉が渇く。目が血走ってくる。
 こんこんと欲が沸き立ってくるのがわかる。
 これ以上こらえるのは限界だ。


 私のような者がここまで生存できていたのは奇跡に近いだろう。
 これまで私を支えてきてくれた人すべてに感謝をし筆を置こうと思う。


 この世界にあとどれくらい「人間」が残されているのだろうか。
 万か、千か、もしくは百もいかないのかもしれない。
 残された人々はきっと私のように最後まで抵抗し、そして死にゆくのだろう。
 もう人間が復刻するシナリオは想像すらもできなくなってしまった。
 私の頭の中はサリサと交わり、そして死んで皆と同じ仲間になりたいという欲求しかない。私の精神はすでにそちら側に加担してしまっているのだから。
 


 私は人間を謳歌できていただろうか。
 人間として生き、人間として死ぬ。もはやそれは叶わぬ願いとなってしまった。
 だったら今ここで人間として踏ん切りをつけ、私という人間は死んだことにしておこう。
 そうでなければ、私はこれから永遠の時を生きるヤツらの仲間となるのだ、死ぬことができなくなってしまう。
 どうせ失うものなどなにもない。もう失ってしまったのだから。



 
 私は死んだ。たった今、書面上死んだ。




 ……だからもう、自由になっていいだろうか。
 すべてを解き放ち、理性を捨て、本能のみで活動してみてもいいだろうか。
 きっと今の世界なら許してくれる。すべてが死んで、時の止まったこの世界なら……永遠に彼女と愛し続けることも、永遠に友人たちと語りつくすことも。
 やっと……やっと彼女のもとへ逝ける。ずいぶんと待たせてしまったみたいだ、頬を膨らませ怒っているのがわかる。
 舌なめずりをし、透明のスカートをたくし上げている。
 今、逝こう。絶対に死合わせにしてあげよう。
 終わることのない夜を楽しもうではないか。




 では……最期にこれだけ書かせてこの記述を終了させてもらう。
 
 終わりゆく世界に別れを告げ、終わらない世界に足を踏み入れよう。

 この世界はもう終わった。死んでしまったのだ。










 【数億年続く果てしなく長い地球の歴史

 その歴史に比べたら我々人間が活動していた時間というのはほんのわずかな間だったのかもしれない

 しかし、ほんのわずかな間かもしれないが人間はこの地上を支配していた生物であることは間違いないのだ

 ゆえに我々は忘れてはならない

 人間という種族が存在していたということを

 一瞬ではあるが地球を支配していた生物であるということを





 なぜなら、我々は「人間」だったのだから。】」
 

 
 
 
17/04/06 18:20更新 / ゆず胡椒
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■作者メッセージ
3年越しの真ENDということで後日談。

これにて本当の終わり、終焉です。

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