変わらない物変わる物
「Flashももう見れなくなるんだな」
僕はそう呟いた。
自慢では全く無いけれど俺はネットにずっと入り浸っていた。ネットには広大な文章が、作品が、感情があった。友人も何も存在しなかった僕は幼少期よりネットに入り浸った。ネットには色々な作品があったし、文章があった。
でも、それらも消えて無くなってしまう。「ネットの記録は残り続ける」なんて誰がそんな嘘をほざいたのだろうか。あの、栄華を極めたFlashだって無くなった。確かに有名な作品こそ映像やらなにやらで残る。でも、自分が本当に楽しんでいた作品。自分が幼少期に触れて楽しんだ、少しマイナーどころの作品は、もう触れる事すらできなくなり、やがてみんなの記憶から消えて無くなってしまうのだ。
Flashだけじゃない。自分が楽しんだ、勇気づけられた創作物。絵や小説だって、書き手の方の都合で消えてしまう。その人たちの都合もあるから責められる立場も義理も無いけれど、でも、自分は寂しくて、しんみりとした気分になるのだ。
「僕も、ああいう作品みたいに、記憶からも、何から何まで消えて無くなってしまうのかな。でもああいう作品と比べることすらおこがましいよね。僕には何も無いのだから」
そう悲しく呟く。自分は誰にも良い影響を及ぼせなかった。誰かを勇気付ける事も、誰かを楽しませる事もついぞできなかった。そんな人生だった。
「僕、消えて無くなってしまってもいいよね。自分の命の代わりに、あの素晴らしい作品群が残せたならば、そっちの方が人類の為だもの」
僕の願いは届くはずもない。そもそも自分の命の価値は、あの素晴らしき作品群に比べて遥かに軽いのだ。
――
年の瀬、街をあてもなく歩く。街の巨大スクリーンにはこの年の大イベントであった東京五輪の選手の活躍をまとめたVTRが流れていた。
あの東京五輪の歓喜も、日本選手と海外選手のしのぎの削り合いも、国籍関係なく大勢の人が入り乱れ熱狂したあの五輪ですら冷めた目で見つめていた自分。心に大きくぽっかりと穴があいたようなそんな自分。世界から取り残された自分。
街の中にさえ居場所のない自分。
現実は一歩一歩その足を進めているのに、自分は同じところで立ち止まっている。あの消えた作品群は自分に「大人になれ」と言っているのだろうか。そんな事を求められるなら大人になんかなりたくなかったのに。なんだかんだで少し楽しみにしていた選手の活躍すらどうでも良かった自分は大人にすらなれてない。周りはみんな大人になったのに、自分だけ子供のまま。
「どーらもー」
有名な曲の歌詞を口ずさむ。元々は曲の空耳だったのが、ある作者の手により肉付けされたもの。この映像の中で、助けを求められたロボットは世界の様々な問題を解決していく。
自分の問題だって、あのロボットが解決してくれないだろうか。でも、その原作で散々助けてもらった主人公だって、立派に家庭を設けているのだ。主人公の彼はとても優しい人間。その優しさすら無い自分のような人間は誰も助けてくれない。それが当たり前なのだ。
「どーらもーおー」
ふと声が聞こえる。すれ違った女性が自分と同じ曲を口ずさんでいた。
「面白いよね、あれ」
彼女は続けてそう僕に言ってきた。
――
「とにかく、ネット上の遺産が為す術もなく消えていくのを僕は嘆いているわけですよ」
「そうだよね。楽しかったものがなくなるって、悲しいよね」
行くあてのなかった僕は彼女に喫茶店に連れられた。彼女は遠いところからこの街にやってきたらしく、僕に色々話してくれている。ネット文化にも程々に精通しているらしく、僕のネット文化の損失が人類の損失であるという持論を聞いてくれた。
彼女からも話をしてくれる。基本は恋愛話だった。情熱的な恋愛、悲劇を救って幸せになった恋愛、クールな二人が結ばれる恋愛。彼女の話はとても面白かった。それに、彼女はとても話し上手。僕の反応を見ながら、じっくりと話をしてくれた。そんな話をお互い飽きずに、飽きずに。気づけば月がぼんやりと浮かぶ。
「ああいうのいいよね、私も恋愛してみたいな」
「きっとすぐに彼氏もできますよ。貴方ならきっと」
これは紛れもない本心だった。そもそも彼女は美人中の美人だし、スタイルだっていい。その豊満な胸を嫌うのは、ぺったんとした胸を好む人くらいだろう。逆にそんな彼女に彼氏がいないのが不思議だった。
「本当に?えへへ、嬉しいな」
「貴方の彼氏はとても幸せ者でしょうね。こんなにいい人なんだもの」
続けてそう言う。笑顔の彼女をご機嫌にさせようと言葉を紡ぐ。彼女の笑っている姿はとても可愛らしかった。
「そっか、じゃあ君は幸せ者だね」
僕は面食らう。彼女(話相手の女性という意味だ、勿論)が僕の事を彼氏だと言ってくるのだ。当然、僕はあてもなく年の瀬の街を放浪するくらいろくでもない人間であり、全くもって惚れられる要素なんてない。でも、彼女みたいな人が本当に彼女だったら。恋愛相手という意味合いでの彼女だったら。自分の人生も、いくらばかりか意味が見いだせると言えるのだろう。でも、
「そんな、からかわないでくださいよ」
そんな事なんて、あるはずがない。自分と彼女では、何もかもが釣り合わない。彼女が望んでいる恋愛は、自分相手では不可能である。彼女は、そんな僕を苦笑いをしながら見ていた。
――
「見て見て!観覧車!真上になったときにプロポーズするのって素敵だと思わない?」
「公園から見える夕日ってロマンチックだよね!」
「私もあの映画のヒロインみたいな恋愛してみたいな〜!ねえ、君はどう思った?」
喫茶店で連絡先を交換してしまったのが運の尽きだろうか。彼女は事あるごとに僕を連れ出し、色々な場所に連れ出した。今日だって、彼女発案で「美味しい物を食べ尽くそう作戦」を実行してきたところなのだ。
彼女は決まって恋人繋ぎで僕をエスコートし、後には僕の感想を求めた。僕が出したつまらない感想を、彼女はまるで高名な人物の発言を仰ぐかのように聞き取る。そして、会話が盛り上がるように誘導してくれた。
何もそこまでしなくてもいいのに。何も、そこまで、自分に、関わらなくても、いいのに。何を、そこまで。
要領も取り柄も無い頭も良くない学歴も良くない友人もいない金もない何もかもない過去にすがりついてばかりで未来を見ていない地に足すらついてない現実逃避ばかりしていて何もかもがだめでクズでグズでクソで無茶苦茶にバカでノロマでドジでマヌケで…
何を、そこまで、自分に何かを求めるのか。そもそも彼女はなにかを求めているのだろうか。
自分が彼女に与えられるものは何もない。
「今日楽しかった?」
彼女がSNSで聞いてくる。さっきも対面で聞かれたというのに、また聞いてくる。
「楽しかったよ」
「よかった!君が楽しいと私だって物凄く楽しくなっちゃうんだもの」
彼女は平気でそんな言葉を紡ぐ、天性の男たらしのよう。そんな事を言われたら、誰だって本気にしてしまうじゃないか。でも、僕は本気にはしない。そもそも美人局の可能性だってあるし、壮大なドッキリの可能性だってある。
哀れな僕をみんなが嘲笑っているのかもしれない。僕の事をみんなが嫌いで、こんなに壮大な罠を張っているのかもしれない。
もし、仮に何かの間違いで、彼女が僕の事を好きだったのだとしても、それは間違い。あってはいけない事。僕と過ごした時間がひたすら無駄になるだけ。
「ねえ、今度秘密の場所に連れてってあげるよ!」
別れ話を切り出そうと思ったけれど、その前にお誘いが来てしまう。僕は「別れ話ってやはり会ってからやったほうが良いのかな」と迷いつつ、この誘いを受けてしまった。
――
「あ、来た来た!じゃ、早速行こうか!」
「えっ、ちょっと、えっ?!」
話を切り出す間もなく連れて行かれる。駅の改札を抜け、ホームに付き、電車に乗って、ぶらりぶらり。
道中の彼女はとてもご機嫌だった。まるでこの世に不幸がないかのような、不幸が身に起きてもなんとかなるという確信があるのか。そんなような堂々とした立ち振る舞い。僕のような人間とは違う。やはり一緒に過ごすべきではない。
「ご機嫌だね」
皮肉交じりにいう。僕自身のダメさ加減が半分、彼女に対する呆れが半分。そんな問いかけ。
「勿論、君がそばにいてくれるなら機嫌も良くなるさ」
曇りすら無い、汚れも無い、真っ向勝負のストレートが返ってくる。でも、僕のどこにそんな価値を見出しているかは不明のまま。
僕は微笑を返す事しかできず、電車は尚も目的地に向かって走り続ける。
「とうちゃーく!ここから少し歩くよ!」
目的の駅についてからも、彼女はご機嫌だった。
駅の周辺にはテナントが立ち並ぶが、基本は住宅街。僕たちはそんな住宅街を歩く。時折通りすがる子供や家族連れを、彼女は幸せそうに眺めていた。
「じゃーん!ここが私の住んでいるアパートでーす!」
彼女は道すがらのアパートで立ち止まって僕に目的地到着を告げる。そして、ニコニコして僕に語りかけてくる。
「とうとうお家デートだね!ね!」
そんなご機嫌な彼女を前に、僕はいつ別れを告げるか機を伺っていた。
「どう?私のアパート」
「えっと、綺麗じゃないかな」
「でしょ!ここ、結構古かったんだけれど、最近新しくしたんだって!ほら、リノベーションってやつでさ、それで綺麗なんだよね!」
僕の右腕を両手でブンブン振り回して語りかける彼女。ますます、どうして僕の事でそれほど盛り上がれるか不思議になる。
「あの」
「レッツゴー!」
「あのっ」
別れ話を唐突に切り出そうとしたものの、強引にアパートの一室に連れ込まれてしまう。僕は内心頭を抱えていた。
「はい、お茶だよ」
リビングの椅子に座ると、お茶を出された。ひとまず深呼吸をして、彼女を見つめる。
「あのさ」
「何?」
ニコニコとした、なんの汚れもない彼女の笑顔。
「別れよう。そもそも付き合っているかもわからないけどさ」
「どうして?」
そう問いかけた彼女は、さっきとは打って変わって表情も、声も、何もかもが曇っていた。しかし、目だけは、僕をはっきり見据えていた。
「だって、僕と付き合っても何も楽しくないでしょ」
「楽しいよ?」
問い詰めるような、ぶっきらぼうな返答。
「そもそもなんで僕を好きなのさ、こんな僕を」
「好きだよ?」
答えになっていない答え。
「だからなんで好きなのさ。僕を」
「好きだからだよ。決まってるじゃん」
問い詰めてもはぐらかされる。
「なら、僕以外でも好きになるんだよね、僕以外にもさ、顔がいい人とか、お金を持っている人とか、夢を持っている人とか、地位を持っている人なんて、この世にごまんといるのに」
「ならないよ」
問いが悪かったと、具体例を出したのに、一言で全否定された。
「なんでならないと証明できるの?確かに今は僕と過ごしていて幸せかもしれないよ?でも、そのうち、そのうちにだよ、僕のダメなところがいっぱい見えてくるはずだよ。そうなったら手遅れなんだよ。無駄な時間だよ」
「証明はできないかもだけれど、ならないよ。ダメなところが見えても気にしないよ。無駄な時間じゃないよ」
「だから、なんでそれを言い切れるのさ」
「そんな事にはならないからだよ」
意味の無い問答。僕の言った事を否定しなかった彼女が、この瞬間には全否定をしている。何も意味がない。
「この世を見渡したらさ、いっぱいいい人がいるんだよ。僕より優しい人だって、僕よりお金を持っている人だって、なんだって、僕の上位互換なんてごまんといて、かといって僕にはなんの取り柄もなくて、そんな人間と付き合っていたらみんな嫌気がさすんだ。僕には友人と呼べる人も、お金も、経験も、何もかもがなくてさ、本当に何もないんだよ。何もないならさ、愛想をつかして他の人のところに行くでしょ。それが当然なんだよ。当然、人間はそうするんだよ。人間なんだから当然なんだよ。何もない人と付き合いたくなんてないんだからね。だからさ、僕なんかと過ごして無駄な時間を過ごすよりはさ――
「ならないよ、そんなことには、絶対、絶対に、ならないよ。私は生涯を君を愛する為に捧げるし、君は私に一生を捧げるんだよ。もし君が私と別れようとしても無駄だよ。私がそんな事をさせないから。そして私達は素敵なお伽噺のように、幸せな一生を過ごして、老いて、死んでいくんだよ。死ぬ間際だって、お互いの一生を思い返して、『幸せな一生だったね』とお互いに語り合うんだよ。他の人なんてどうでもいいんだよ。他の人なんて、私達以外の誰かが幸せにしたりさせたりするんだから、見守ってあげればいいんだよ」
目を見据えたまま、将来が見える占い師の如く、淀みなく彼女ははっきりと言い切った。ここまで言い切られてしまうと、正直僕も納得しかけてしまうけれど、やっぱりおかしい。
「不安なんだよね。自分は誰にも愛されないからって、愛される事を拒否しているんじゃないかな。それでも私みたいな人が現れて君の事を愛してくれたとしても、それがいつ壊れて無くなってしまうかわからないから、愛される状況を避けようとする。そんなふうに思った。あたってるかな?」
続けてそう聞かれる。確かにそうかもしれない。愛されないなら、最初から何も求めない方がマシなのだもの。ただ、それが何だというのだ。
「だとしても、僕が愛されるに足りる根拠が無いと不気味だよ」
「それは君だからだよ。他の誰でもなくて、君だから」
「それがおかしいんだよ。僕以外にいっぱい僕の上位互換の人たちがいるし、彼らの方がよほど僕より素晴らしいよ」
「じゃあ君は、私より可愛くて頭が良くてお金持ちの女の子がいたら、その人に鼻の下伸ばして近づくの?」
「僕と貴方では人の作りが違うんだよ。僕は、ダメな人間だから」
「じゃあ君は、可愛くて有能な私がダメダメのダメ人間な君の事を好きになったのが間違いだったと思うの?」
「うん」
「そっか」
そして訪れる静寂。彼女は相変わらず僕の目を見据えている。こうしていると学校で先生に叱られている時を思い出す。先生に言われた事を、僕はついぞ治す事ができなかった。周りからは白い目で見られていた。そんなこんなからも、僕が平均以下の人間であることは正しいだろう。だからもう帰ろう。彼女だってわかってくれたはず。ここに用はない。
「帰っていい?」
「ダメ」
「どうしたら帰れる?」
「私が『ダメダメのダメ人間』である君のありのままが大好きなんだって、それをわかってくれるまで帰さないよ」
そう言うと彼女は立ち上がって、僕の方に向かってくる。
「わからないよ、そんなの」
「これから納得させてあげる」
そして、彼女は強引に僕にキスをしてきた。
とても濃厚なキス。何もかもが、不安が、恐怖が、何もかもが溶けて無くなっていくような。僕の頭の中が目の前の彼女で埋め尽くされるような、ただでさえ起きていた彼女への欲情がますます唸りを上げるような。
そんな濃厚なキス。一秒ごとに彼女への想いが増し、唇が離れる頃には彼女の事で頭の中がいっぱいになっていた。
彼女は、いつもしていたように僕を恋人繋ぎで引っ張る。寝室に連れ込まれた僕は、そこで彼女に衣服を脱がされる。
「本当はね?魅了なんか使わないでさ、サキュバス以外の自分自身の魅力で勝負できたらなって思ったの。でも、そのせいで君が苦しんでいるなら、これは悪いことだったんだよね。ごめんね。サキュバスらしく全力で君の事を落としにいくから、安心して」
そんな事を言われた。なんで彼女が僕に謝らないといけないんだろう。
「謝るのは僕だよ。君の夢を叶えてあげられなくて」
「謝らなくていいよ。二人の馴れ初めなんて波乱含みの方が楽しいからさ」
僕たちは笑いあった。まるで二人にどんな困難が降りかかろうとも、難なく蹴っ飛ばす事がわかりきっているように、笑いあった。
一通り笑った後、僕は背中に翼と尻尾が生えた彼女に触る。彼女だって、僕に触れる、そしてお互いキスをする。再び長いキスを。その後、僕たちは快楽に沈んでいったのだった…
――
彼女と出会ってから、性に奔放になった。当然、その奔放を吐き出すのは彼女ただ一人。自分の事を愛してくれる人がいる事で、自分の人生に彩りが出てくるようになった。そして、変わった事がもう一つ。
「ねえねえ、何書いてるの?」
「物語だよ」
「私リャナンシーじゃないから、物語の事何もわからないなあ」
「映画見たときは目を輝かせていたくせに」
「そりゃあいいものはわかるよ、君の物語だっていいものだよ」
「じゃあわかってるじゃん」
僕は創作をし始めた。先人達が残していった物と同等に素晴らしい物を作れるかというと作れない。でも、僕の書いた物語が、誰かの、前の僕のような境遇にいる誰かの心の支えになるのなら、そして今の僕くらい幸せな人を楽しませられるなら、こんなに嬉しい事はない。実際に、好意的な感想を受け取るたびに、僕の心は踊る。批判のコメントが来たら彼女に慰めてもらうのだが。
そんなこんなで、充実した毎日を過ごしているのだ、けれど。
「ねえ、最初に僕たちが喫茶店で会った時にした話覚えてる?」
「ネット上の優れた作品が消えていくって話だよね」
「そう。僕はその作品群に影響を受けて物語を書いているけれど、思うんだよ。ああいった作品が消えてなければ、僕の物語なんかより出来がいいからさ、みんなにとってもその作品を見れるし、そっちの方がいいんじゃないかって」
かねがね思っていた事。自分の物語を見返すと、どこの作品から影響を受けたかが手に取るようにわかってしまう。そのたびに、僕の書いた作品がそれらに一歩も及んでいないように思えて、落ち込んでしまうのだ。
「でも、消えちゃってるんでしょ?その作品」
「勿論そうだよ」
「消えちゃってるなら気にしなくてもいいんじゃない?」
「身も蓋もないなあ」
「実際そうだよ、君の物語を見て影響されて書き始める人もいるかもしれないしさ、その人にとっては君の作品が偉大になるんだよ。それに、案外、影響元の人だって、君の作品に感激するかもしれないからね」
それも確かにそうかもしれない。
「自分の作品が誰かに影響を与えるなんて、そんなことできるかなあ」
「できるよ、きっと」
やっぱり彼女に言われたら、やっぱりその気になってしまう。
「そうと決まれば早速性欲処理だ!私が机の下に潜って処理をしてあげるからね!」
「ああ、うん。助かるよ」
当然物語を書いている間は彼女もご無沙汰であり、彼女は「性欲処理」と称して僕にかまってくるのだ。書いている間正直ムラムラしてくるのでとても助かっている。そしてその分を夜のベッドでお返しするのが休日のルーティーンとなっている。
僕のモノを処理し始めた彼女に感謝しつつ、目の前の文章とにらめっこ。
消えた作品群に別れを言う事が大人になる事なら、僕はついぞ大人になる事はできなかった。でも、そんな子供のままで過ごしている人生でも幸せになってしまった。
もしかしたら消えた作品群の幻影を追い続ける子供のままの僕が、幸せになって他の誰かの記憶に残る事ができるのだろうか。彼女と過ごしている事以外依然として価値を残せていない自分が、他の人に物語を通じて人生を揺るがす影響を与える事ができるのだろうか。そんな思いで埋め尽くされて、文章どころではなかった。
「できるよ、君ならきっと」
机の下でモノを咥えている彼女の言葉が聞こえた気がした。僕は安心して、物語を紡いでいった。
僕はそう呟いた。
自慢では全く無いけれど俺はネットにずっと入り浸っていた。ネットには広大な文章が、作品が、感情があった。友人も何も存在しなかった僕は幼少期よりネットに入り浸った。ネットには色々な作品があったし、文章があった。
でも、それらも消えて無くなってしまう。「ネットの記録は残り続ける」なんて誰がそんな嘘をほざいたのだろうか。あの、栄華を極めたFlashだって無くなった。確かに有名な作品こそ映像やらなにやらで残る。でも、自分が本当に楽しんでいた作品。自分が幼少期に触れて楽しんだ、少しマイナーどころの作品は、もう触れる事すらできなくなり、やがてみんなの記憶から消えて無くなってしまうのだ。
Flashだけじゃない。自分が楽しんだ、勇気づけられた創作物。絵や小説だって、書き手の方の都合で消えてしまう。その人たちの都合もあるから責められる立場も義理も無いけれど、でも、自分は寂しくて、しんみりとした気分になるのだ。
「僕も、ああいう作品みたいに、記憶からも、何から何まで消えて無くなってしまうのかな。でもああいう作品と比べることすらおこがましいよね。僕には何も無いのだから」
そう悲しく呟く。自分は誰にも良い影響を及ぼせなかった。誰かを勇気付ける事も、誰かを楽しませる事もついぞできなかった。そんな人生だった。
「僕、消えて無くなってしまってもいいよね。自分の命の代わりに、あの素晴らしい作品群が残せたならば、そっちの方が人類の為だもの」
僕の願いは届くはずもない。そもそも自分の命の価値は、あの素晴らしき作品群に比べて遥かに軽いのだ。
――
年の瀬、街をあてもなく歩く。街の巨大スクリーンにはこの年の大イベントであった東京五輪の選手の活躍をまとめたVTRが流れていた。
あの東京五輪の歓喜も、日本選手と海外選手のしのぎの削り合いも、国籍関係なく大勢の人が入り乱れ熱狂したあの五輪ですら冷めた目で見つめていた自分。心に大きくぽっかりと穴があいたようなそんな自分。世界から取り残された自分。
街の中にさえ居場所のない自分。
現実は一歩一歩その足を進めているのに、自分は同じところで立ち止まっている。あの消えた作品群は自分に「大人になれ」と言っているのだろうか。そんな事を求められるなら大人になんかなりたくなかったのに。なんだかんだで少し楽しみにしていた選手の活躍すらどうでも良かった自分は大人にすらなれてない。周りはみんな大人になったのに、自分だけ子供のまま。
「どーらもー」
有名な曲の歌詞を口ずさむ。元々は曲の空耳だったのが、ある作者の手により肉付けされたもの。この映像の中で、助けを求められたロボットは世界の様々な問題を解決していく。
自分の問題だって、あのロボットが解決してくれないだろうか。でも、その原作で散々助けてもらった主人公だって、立派に家庭を設けているのだ。主人公の彼はとても優しい人間。その優しさすら無い自分のような人間は誰も助けてくれない。それが当たり前なのだ。
「どーらもーおー」
ふと声が聞こえる。すれ違った女性が自分と同じ曲を口ずさんでいた。
「面白いよね、あれ」
彼女は続けてそう僕に言ってきた。
――
「とにかく、ネット上の遺産が為す術もなく消えていくのを僕は嘆いているわけですよ」
「そうだよね。楽しかったものがなくなるって、悲しいよね」
行くあてのなかった僕は彼女に喫茶店に連れられた。彼女は遠いところからこの街にやってきたらしく、僕に色々話してくれている。ネット文化にも程々に精通しているらしく、僕のネット文化の損失が人類の損失であるという持論を聞いてくれた。
彼女からも話をしてくれる。基本は恋愛話だった。情熱的な恋愛、悲劇を救って幸せになった恋愛、クールな二人が結ばれる恋愛。彼女の話はとても面白かった。それに、彼女はとても話し上手。僕の反応を見ながら、じっくりと話をしてくれた。そんな話をお互い飽きずに、飽きずに。気づけば月がぼんやりと浮かぶ。
「ああいうのいいよね、私も恋愛してみたいな」
「きっとすぐに彼氏もできますよ。貴方ならきっと」
これは紛れもない本心だった。そもそも彼女は美人中の美人だし、スタイルだっていい。その豊満な胸を嫌うのは、ぺったんとした胸を好む人くらいだろう。逆にそんな彼女に彼氏がいないのが不思議だった。
「本当に?えへへ、嬉しいな」
「貴方の彼氏はとても幸せ者でしょうね。こんなにいい人なんだもの」
続けてそう言う。笑顔の彼女をご機嫌にさせようと言葉を紡ぐ。彼女の笑っている姿はとても可愛らしかった。
「そっか、じゃあ君は幸せ者だね」
僕は面食らう。彼女(話相手の女性という意味だ、勿論)が僕の事を彼氏だと言ってくるのだ。当然、僕はあてもなく年の瀬の街を放浪するくらいろくでもない人間であり、全くもって惚れられる要素なんてない。でも、彼女みたいな人が本当に彼女だったら。恋愛相手という意味合いでの彼女だったら。自分の人生も、いくらばかりか意味が見いだせると言えるのだろう。でも、
「そんな、からかわないでくださいよ」
そんな事なんて、あるはずがない。自分と彼女では、何もかもが釣り合わない。彼女が望んでいる恋愛は、自分相手では不可能である。彼女は、そんな僕を苦笑いをしながら見ていた。
――
「見て見て!観覧車!真上になったときにプロポーズするのって素敵だと思わない?」
「公園から見える夕日ってロマンチックだよね!」
「私もあの映画のヒロインみたいな恋愛してみたいな〜!ねえ、君はどう思った?」
喫茶店で連絡先を交換してしまったのが運の尽きだろうか。彼女は事あるごとに僕を連れ出し、色々な場所に連れ出した。今日だって、彼女発案で「美味しい物を食べ尽くそう作戦」を実行してきたところなのだ。
彼女は決まって恋人繋ぎで僕をエスコートし、後には僕の感想を求めた。僕が出したつまらない感想を、彼女はまるで高名な人物の発言を仰ぐかのように聞き取る。そして、会話が盛り上がるように誘導してくれた。
何もそこまでしなくてもいいのに。何も、そこまで、自分に、関わらなくても、いいのに。何を、そこまで。
要領も取り柄も無い頭も良くない学歴も良くない友人もいない金もない何もかもない過去にすがりついてばかりで未来を見ていない地に足すらついてない現実逃避ばかりしていて何もかもがだめでクズでグズでクソで無茶苦茶にバカでノロマでドジでマヌケで…
何を、そこまで、自分に何かを求めるのか。そもそも彼女はなにかを求めているのだろうか。
自分が彼女に与えられるものは何もない。
「今日楽しかった?」
彼女がSNSで聞いてくる。さっきも対面で聞かれたというのに、また聞いてくる。
「楽しかったよ」
「よかった!君が楽しいと私だって物凄く楽しくなっちゃうんだもの」
彼女は平気でそんな言葉を紡ぐ、天性の男たらしのよう。そんな事を言われたら、誰だって本気にしてしまうじゃないか。でも、僕は本気にはしない。そもそも美人局の可能性だってあるし、壮大なドッキリの可能性だってある。
哀れな僕をみんなが嘲笑っているのかもしれない。僕の事をみんなが嫌いで、こんなに壮大な罠を張っているのかもしれない。
もし、仮に何かの間違いで、彼女が僕の事を好きだったのだとしても、それは間違い。あってはいけない事。僕と過ごした時間がひたすら無駄になるだけ。
「ねえ、今度秘密の場所に連れてってあげるよ!」
別れ話を切り出そうと思ったけれど、その前にお誘いが来てしまう。僕は「別れ話ってやはり会ってからやったほうが良いのかな」と迷いつつ、この誘いを受けてしまった。
――
「あ、来た来た!じゃ、早速行こうか!」
「えっ、ちょっと、えっ?!」
話を切り出す間もなく連れて行かれる。駅の改札を抜け、ホームに付き、電車に乗って、ぶらりぶらり。
道中の彼女はとてもご機嫌だった。まるでこの世に不幸がないかのような、不幸が身に起きてもなんとかなるという確信があるのか。そんなような堂々とした立ち振る舞い。僕のような人間とは違う。やはり一緒に過ごすべきではない。
「ご機嫌だね」
皮肉交じりにいう。僕自身のダメさ加減が半分、彼女に対する呆れが半分。そんな問いかけ。
「勿論、君がそばにいてくれるなら機嫌も良くなるさ」
曇りすら無い、汚れも無い、真っ向勝負のストレートが返ってくる。でも、僕のどこにそんな価値を見出しているかは不明のまま。
僕は微笑を返す事しかできず、電車は尚も目的地に向かって走り続ける。
「とうちゃーく!ここから少し歩くよ!」
目的の駅についてからも、彼女はご機嫌だった。
駅の周辺にはテナントが立ち並ぶが、基本は住宅街。僕たちはそんな住宅街を歩く。時折通りすがる子供や家族連れを、彼女は幸せそうに眺めていた。
「じゃーん!ここが私の住んでいるアパートでーす!」
彼女は道すがらのアパートで立ち止まって僕に目的地到着を告げる。そして、ニコニコして僕に語りかけてくる。
「とうとうお家デートだね!ね!」
そんなご機嫌な彼女を前に、僕はいつ別れを告げるか機を伺っていた。
「どう?私のアパート」
「えっと、綺麗じゃないかな」
「でしょ!ここ、結構古かったんだけれど、最近新しくしたんだって!ほら、リノベーションってやつでさ、それで綺麗なんだよね!」
僕の右腕を両手でブンブン振り回して語りかける彼女。ますます、どうして僕の事でそれほど盛り上がれるか不思議になる。
「あの」
「レッツゴー!」
「あのっ」
別れ話を唐突に切り出そうとしたものの、強引にアパートの一室に連れ込まれてしまう。僕は内心頭を抱えていた。
「はい、お茶だよ」
リビングの椅子に座ると、お茶を出された。ひとまず深呼吸をして、彼女を見つめる。
「あのさ」
「何?」
ニコニコとした、なんの汚れもない彼女の笑顔。
「別れよう。そもそも付き合っているかもわからないけどさ」
「どうして?」
そう問いかけた彼女は、さっきとは打って変わって表情も、声も、何もかもが曇っていた。しかし、目だけは、僕をはっきり見据えていた。
「だって、僕と付き合っても何も楽しくないでしょ」
「楽しいよ?」
問い詰めるような、ぶっきらぼうな返答。
「そもそもなんで僕を好きなのさ、こんな僕を」
「好きだよ?」
答えになっていない答え。
「だからなんで好きなのさ。僕を」
「好きだからだよ。決まってるじゃん」
問い詰めてもはぐらかされる。
「なら、僕以外でも好きになるんだよね、僕以外にもさ、顔がいい人とか、お金を持っている人とか、夢を持っている人とか、地位を持っている人なんて、この世にごまんといるのに」
「ならないよ」
問いが悪かったと、具体例を出したのに、一言で全否定された。
「なんでならないと証明できるの?確かに今は僕と過ごしていて幸せかもしれないよ?でも、そのうち、そのうちにだよ、僕のダメなところがいっぱい見えてくるはずだよ。そうなったら手遅れなんだよ。無駄な時間だよ」
「証明はできないかもだけれど、ならないよ。ダメなところが見えても気にしないよ。無駄な時間じゃないよ」
「だから、なんでそれを言い切れるのさ」
「そんな事にはならないからだよ」
意味の無い問答。僕の言った事を否定しなかった彼女が、この瞬間には全否定をしている。何も意味がない。
「この世を見渡したらさ、いっぱいいい人がいるんだよ。僕より優しい人だって、僕よりお金を持っている人だって、なんだって、僕の上位互換なんてごまんといて、かといって僕にはなんの取り柄もなくて、そんな人間と付き合っていたらみんな嫌気がさすんだ。僕には友人と呼べる人も、お金も、経験も、何もかもがなくてさ、本当に何もないんだよ。何もないならさ、愛想をつかして他の人のところに行くでしょ。それが当然なんだよ。当然、人間はそうするんだよ。人間なんだから当然なんだよ。何もない人と付き合いたくなんてないんだからね。だからさ、僕なんかと過ごして無駄な時間を過ごすよりはさ――
「ならないよ、そんなことには、絶対、絶対に、ならないよ。私は生涯を君を愛する為に捧げるし、君は私に一生を捧げるんだよ。もし君が私と別れようとしても無駄だよ。私がそんな事をさせないから。そして私達は素敵なお伽噺のように、幸せな一生を過ごして、老いて、死んでいくんだよ。死ぬ間際だって、お互いの一生を思い返して、『幸せな一生だったね』とお互いに語り合うんだよ。他の人なんてどうでもいいんだよ。他の人なんて、私達以外の誰かが幸せにしたりさせたりするんだから、見守ってあげればいいんだよ」
目を見据えたまま、将来が見える占い師の如く、淀みなく彼女ははっきりと言い切った。ここまで言い切られてしまうと、正直僕も納得しかけてしまうけれど、やっぱりおかしい。
「不安なんだよね。自分は誰にも愛されないからって、愛される事を拒否しているんじゃないかな。それでも私みたいな人が現れて君の事を愛してくれたとしても、それがいつ壊れて無くなってしまうかわからないから、愛される状況を避けようとする。そんなふうに思った。あたってるかな?」
続けてそう聞かれる。確かにそうかもしれない。愛されないなら、最初から何も求めない方がマシなのだもの。ただ、それが何だというのだ。
「だとしても、僕が愛されるに足りる根拠が無いと不気味だよ」
「それは君だからだよ。他の誰でもなくて、君だから」
「それがおかしいんだよ。僕以外にいっぱい僕の上位互換の人たちがいるし、彼らの方がよほど僕より素晴らしいよ」
「じゃあ君は、私より可愛くて頭が良くてお金持ちの女の子がいたら、その人に鼻の下伸ばして近づくの?」
「僕と貴方では人の作りが違うんだよ。僕は、ダメな人間だから」
「じゃあ君は、可愛くて有能な私がダメダメのダメ人間な君の事を好きになったのが間違いだったと思うの?」
「うん」
「そっか」
そして訪れる静寂。彼女は相変わらず僕の目を見据えている。こうしていると学校で先生に叱られている時を思い出す。先生に言われた事を、僕はついぞ治す事ができなかった。周りからは白い目で見られていた。そんなこんなからも、僕が平均以下の人間であることは正しいだろう。だからもう帰ろう。彼女だってわかってくれたはず。ここに用はない。
「帰っていい?」
「ダメ」
「どうしたら帰れる?」
「私が『ダメダメのダメ人間』である君のありのままが大好きなんだって、それをわかってくれるまで帰さないよ」
そう言うと彼女は立ち上がって、僕の方に向かってくる。
「わからないよ、そんなの」
「これから納得させてあげる」
そして、彼女は強引に僕にキスをしてきた。
とても濃厚なキス。何もかもが、不安が、恐怖が、何もかもが溶けて無くなっていくような。僕の頭の中が目の前の彼女で埋め尽くされるような、ただでさえ起きていた彼女への欲情がますます唸りを上げるような。
そんな濃厚なキス。一秒ごとに彼女への想いが増し、唇が離れる頃には彼女の事で頭の中がいっぱいになっていた。
彼女は、いつもしていたように僕を恋人繋ぎで引っ張る。寝室に連れ込まれた僕は、そこで彼女に衣服を脱がされる。
「本当はね?魅了なんか使わないでさ、サキュバス以外の自分自身の魅力で勝負できたらなって思ったの。でも、そのせいで君が苦しんでいるなら、これは悪いことだったんだよね。ごめんね。サキュバスらしく全力で君の事を落としにいくから、安心して」
そんな事を言われた。なんで彼女が僕に謝らないといけないんだろう。
「謝るのは僕だよ。君の夢を叶えてあげられなくて」
「謝らなくていいよ。二人の馴れ初めなんて波乱含みの方が楽しいからさ」
僕たちは笑いあった。まるで二人にどんな困難が降りかかろうとも、難なく蹴っ飛ばす事がわかりきっているように、笑いあった。
一通り笑った後、僕は背中に翼と尻尾が生えた彼女に触る。彼女だって、僕に触れる、そしてお互いキスをする。再び長いキスを。その後、僕たちは快楽に沈んでいったのだった…
――
彼女と出会ってから、性に奔放になった。当然、その奔放を吐き出すのは彼女ただ一人。自分の事を愛してくれる人がいる事で、自分の人生に彩りが出てくるようになった。そして、変わった事がもう一つ。
「ねえねえ、何書いてるの?」
「物語だよ」
「私リャナンシーじゃないから、物語の事何もわからないなあ」
「映画見たときは目を輝かせていたくせに」
「そりゃあいいものはわかるよ、君の物語だっていいものだよ」
「じゃあわかってるじゃん」
僕は創作をし始めた。先人達が残していった物と同等に素晴らしい物を作れるかというと作れない。でも、僕の書いた物語が、誰かの、前の僕のような境遇にいる誰かの心の支えになるのなら、そして今の僕くらい幸せな人を楽しませられるなら、こんなに嬉しい事はない。実際に、好意的な感想を受け取るたびに、僕の心は踊る。批判のコメントが来たら彼女に慰めてもらうのだが。
そんなこんなで、充実した毎日を過ごしているのだ、けれど。
「ねえ、最初に僕たちが喫茶店で会った時にした話覚えてる?」
「ネット上の優れた作品が消えていくって話だよね」
「そう。僕はその作品群に影響を受けて物語を書いているけれど、思うんだよ。ああいった作品が消えてなければ、僕の物語なんかより出来がいいからさ、みんなにとってもその作品を見れるし、そっちの方がいいんじゃないかって」
かねがね思っていた事。自分の物語を見返すと、どこの作品から影響を受けたかが手に取るようにわかってしまう。そのたびに、僕の書いた作品がそれらに一歩も及んでいないように思えて、落ち込んでしまうのだ。
「でも、消えちゃってるんでしょ?その作品」
「勿論そうだよ」
「消えちゃってるなら気にしなくてもいいんじゃない?」
「身も蓋もないなあ」
「実際そうだよ、君の物語を見て影響されて書き始める人もいるかもしれないしさ、その人にとっては君の作品が偉大になるんだよ。それに、案外、影響元の人だって、君の作品に感激するかもしれないからね」
それも確かにそうかもしれない。
「自分の作品が誰かに影響を与えるなんて、そんなことできるかなあ」
「できるよ、きっと」
やっぱり彼女に言われたら、やっぱりその気になってしまう。
「そうと決まれば早速性欲処理だ!私が机の下に潜って処理をしてあげるからね!」
「ああ、うん。助かるよ」
当然物語を書いている間は彼女もご無沙汰であり、彼女は「性欲処理」と称して僕にかまってくるのだ。書いている間正直ムラムラしてくるのでとても助かっている。そしてその分を夜のベッドでお返しするのが休日のルーティーンとなっている。
僕のモノを処理し始めた彼女に感謝しつつ、目の前の文章とにらめっこ。
消えた作品群に別れを言う事が大人になる事なら、僕はついぞ大人になる事はできなかった。でも、そんな子供のままで過ごしている人生でも幸せになってしまった。
もしかしたら消えた作品群の幻影を追い続ける子供のままの僕が、幸せになって他の誰かの記憶に残る事ができるのだろうか。彼女と過ごしている事以外依然として価値を残せていない自分が、他の人に物語を通じて人生を揺るがす影響を与える事ができるのだろうか。そんな思いで埋め尽くされて、文章どころではなかった。
「できるよ、君ならきっと」
机の下でモノを咥えている彼女の言葉が聞こえた気がした。僕は安心して、物語を紡いでいった。
21/01/12 13:14更新 / 千年間熱愛