読切小説
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ちびっ子クノイチに襲われて
 町から少し離れた、ぼろい家で俺は畑仕事をしている。
鍬を打ち、雑草を引っこ抜いて今日の作業は終了だ。
地味な作業だがなかなか疲れる。
もうすっかり日は暮れて、辺りは夕日に染まっている。


さて飯にしようかと腰を上げると、畑の先にある小さな木箱が目に付いた。
(はて?あんな物は昼間にはなかったはずだが……)
と、しばし考え込んでいると木箱がゴソゴソと動きだした。
驚いて箱を凝視すると、ピタッと動きを止めた。
よく見ると、箱には小さな細い穴が開いていて、中から俺を見ている者がいる。
あの箱の大きさからして,中に大人が入るのは無理だろう。
となると相手は子供か….さてはいたずらか?

どうやら子供が俺をからかっているようだ。
町からそれなりに離れている所だというのに、物好きな子供がいたものだ。
まあ、もう遅い時間だしほっとけば帰るだろうと、俺は箱を無視して家に戻ることにした。

 箱に背を向け歩き始めたら、

タタタタタタッ

背後から足音がしてきた。
そして、次の瞬間

ズボッ

「アッーーーーー!!」

突然、肛門から全身へ凄まじい衝撃が走った。
俺はその場に崩れ落ち、尻を抑えて悶絶する。
一体なにが起きたというんだ!?
苦しみながら何とか身をよじって後ろを向くと、くノ一らしき格好をした小さな女の子が立っていた。
両手を組み人差し指を突き立てて、俺を見下ろしいる。

「これで“あんさつ“完了でゴザル!さあ、ご飯をよこすでゴザル」

 これが俺と丸との出会いだった。





あの後、俺を襲ってきた謎の子供は、有無も言わさず俺の家に上がり込み、当然のように飯を要求してきた。
無論、俺は追い返そうとしたが全くこちらの話を聞こうとせず、しかも言うことを聞かないなら、またさっきのことをすると脅してきたのだ。
それから散々言い合いをしたが埒が明きそうになかったし、俺ももう面倒になってきたので、とりあえず言う通りに飯を食わしてやることにした。

 
囲炉裏のそばで俺は謎の子供と座り、晩飯の汁物を食べる。
使われている食材はすべて俺の畑からとれた自慢の野菜だ。

子供の話によれば、彼女は人ではなく、魔物で“クノイチ“という存在らしい。
噂には聞いていたが、実際に見るのは初めてだ。
腰からはひょろひょろと尻尾が生えており、子供のくせにやたら淫乱な格好をしている。
ただ、胸に膨らみは全くなく、背丈も俺の腰くらいまでしかない。
長い髪は頭の後ろで結ばれていて、顔はよく見ると意外と可愛い。

「….ったく、なんで俺がいきなり浣腸してくるヤツに飯をやらなくちゃいけないんだ」

俺は愚痴りながら、彼女のお椀に野菜汁を注ぐ。

「もぐもぐ….おぬしは拙者に“あんさつ”されたのだから仕方ないのでゴザル。言うことを聞くのでゴザル」
「なんだよ暗殺って….。暗殺したヤツの家でどうして飯を食うんだよ?」
「クノイチは“あんさつ”した男と一緒になるのでゴザル。それがクノイチの教えでゴザル」

彼女は胸を張って誇らしげに語る。

「何じゃ、そりゃ…。忍びの里とやらではそんな教えをしているのか?」
「そうでゴザル。母上から教わったでゴザル」
「…よくはわからないが、とにかくクノイチは暗殺した男の家で飯を食うというわけだな。それで、その暗殺とやらをなぜ俺にしてきたんだ?大体お前まだ子供じゃないか。暗殺ってのは、普通もっと大人のクノイチがするものじゃないのか?」

俺がそう聞くと、彼女は突然うつむき黙り込んでしまった。

「おい、どうしんたんだよ?」
「…おぬしも拙者を子供あつかいするのでゴザルか?」
「え?」
「母上も同じでゴザル……。拙者がまだ子供だからと忍法もぜんぜん教えてくれないし、“あんさつ”もまだ早いと言うでゴザル」
「まあ、それはそうだろうな…。お前、まだ年端も行かないじゃないか」
「もう子供じゃないでゴザル!どんな木にも登れるし、ひとりで厠だって行けるでゴザル!」

彼女は頬を膨らませて、俺をきっと睨みつける。

「….つまり、あれか?お母さんとケンカでもして家出してきたのか?」
「そうでゴザル。男を“あんさつ”して母上に立派なクノイチとして認めてもらおうと思ったのでゴザル。それで里の山を下りて男をさがしていたら、一人でさびしそうなマヌケ顔の男がいたから、そいつを狙ったわけでゴザル」
「誰が間抜け顔だ!!….でも、そういうことなら俺を暗殺して一応目標は達成できたというわけだよな。それなら明日、里に帰ってお母さんに報告すればいいじゃないか」

とにかく彼女が帰ってくれるのなら、俺は暗殺されたことにされようが何だろうが、もうどうでも良かった。

「う〜ん….その予定だったのでゴザルが、おぬしでは手ごたえがなさすぎて、何だか不安になってきたのでゴザル….」
「つくづく失礼なヤツだな….。だけど、それだったらどうするつもりだよ?何か他にアテでもあるのか?」
「今のところないでゴザル。とりあえず、しばらくここに泊まりながら次の策でも考えることにするでゴザル」

彼女はぬけぬけとそう話した。

「おい、冗談じゃないぞ!いきなり押しかけておいて、その上住み込むつもりか。今日は泊めてやるが、明日はもう帰れ。それ以上の面倒は見られないからな」
「“あんさつ”された身分で何を言うでゴザル!そんなことを言うなら、また“あんさつ”するでゴザルぞ!!それでもいいのでゴザルか!?」
「あ、いや….あれはもうやめてくれ…..」

あの衝撃は思い出すだけで震えるほど恐ろしい。
….まあいいさ、今はおとなしく言うとおりにしておいて、明日町に連れて行って番屋にでも押し付けてしまえばいい。
俺はそう考えて、来客用の布団を彼女に敷いてやり、その日は眠りにつくことにした。





 翌朝、目が覚めるとなぜか俺の布団がこんもりと盛り上がっていた。
布団をどけてみると彼女が俺の上でうずくまり、朝立ちしたムスコをふんどしの上からツンツンしていた。

「おい!何してんだ!」
「つつくとビクンビクンと反応しておもしろいでゴザル」
「人のモノをおもちゃにするんじゃない!!」

上に乗っかっている彼女を持ち上げ、脇にどかす。

「“おとん”も朝はいつもこうなっていたでゴザル。指ではじくと、だるまみたいに揺れていたでゴザル」
「おとん?….おとんってお前のお父さんのことか?」
「そうでゴザル」

クノイチって父親のことを“おとん”と呼ぶのか…..知らなかった。
….いやいや違うだろ、問題はそこではない。
今、聞き捨てならないことを言っていたぞ。

「お前、自分の父親のアレにもいたずらしてるのか…..。そんなことしたらお父さん怒るだろ?」
「え?全然おこらないでゴザル。むしろ気持ちよさそうな顔をするでゴザル」
「…….えぇ」
「それで嬉しそうな顔をしながら、拙者のことを好きだよと言ってくれるでゴザル。“おとん”はいつも拙者に優しくしてくれるから、拙者も“おとん”が大好きでゴザル」
「そうか…それはよかったな…..。今のようなことをしょっちゅうお父さんにやっていたのか?」
「うん、よくやってたでゴザル」
「……」

朝からとんでもないことを聞いてしまった気がする……。
どうやらクノイチというのは、俺の思っていたのとは大分違うらしい。
俺は気が動転していたが自分を落ち着かせ、とりあえず朝食の準備を始めた。





「今日は町に行くぞ。畑で採れた野菜を売りに行くんだ。お前も手伝ってくれ」
「町に行くでゴザルか?やったでゴザル!人間の町に行くのは初めてでゴザル!」

朝食を食べながら今日の予定を話したら、彼女は大喜びだ。
そんな様子を見ると、やっぱり子供らしい可愛いところもあるものだなと思う。

「そういえば、まだ名前を聞いていなかったな。何て名前なんだ?」

俺は彼女の名前を知らなかったことを思い出した。

「う〜ん、名はあるのでゴザルが….母上がつけた名だから、今は名乗りたくないでゴザル」
「本当に強情なヤツだな…..。だけど、名前がないとちょっと呼びづらいな。子供に対して“お前”と呼び続けるのも気が引ける」
「それなら…..“ゴザル丸”なんてどうでゴザルか?」

俺は思わずズッコケそうになる。

「どんな名前だよ、まったく!うーむ….そうだな..それなら、いっそ“丸”っていうのはどうだ?」
「丸でゴザルか….。なんだか子供っぽいけど、まあそれにしておいてやるでゴザル」
「じゃあ、とりあえずそれで決まりだな」
「それで、おぬしの名は何というのでゴザル?」
「俺か?俺は又兵衛っていうんだ」
「又兵衛でゴザルか。…何となくパッとしない名でゴザルな」
「人の名前にケチつけるんじゃねぇ!全国の又兵衛さんに謝れ!」

全国の又兵衛さん、本当にごめんなさい。
悪いのは丸です。


まあ、何はともあれ、こうして彼女の名は“丸”に決まった。
朝食を食べ終わり、俺は丸と畑で採れたサツマイモやカボチャ、キュウリなどをどっさりと荷車に乗せて町へと向かった。
俺はときどき、こうして野菜を売りそれで得た金で必要なものを買って生活しているのだ。

町へと向かう道中、俺は荷車を引きながら、上ではしゃいでいる丸から色々と話を聞いた。

彼女の言葉遣いは“おとん”から影響を受けたらしい。
話を聞くたびに“おとん”というのは一体どんな父親なのか気になってくる。
もしかすると相当アレな父親なのかもしれない。

それから、彼女が言う“あんさつ”というのは男を打ち負かすことらしい。
彼女は母親から教わったと言っていたが、実は何となくしか話を聞いておらず、彼女が勝手に推測したそうだ。
さらに“あんさつ”に成功すれば、男を自分の好き勝手にできるらしい。(絶対にどこかで話をねじ曲げているに決まっている)
そして、あれこれと考えた末に、“あんさつ”に最も効果的な技として編み出されたのが、あの浣腸だったということだ。

しかし、暗殺という言葉はクノイチ達の間で、本来どういう意味で使われているのだろうか?
少なくとも俺の知っている暗殺とは違う意味を持っているはずだ。
暗殺がどんなものかは知らないが、まさか丸の“おとん”もあれを喰らったわけではあるまい….。
だが、俺の頭の中の“おとん”像では、そんなこともあり得そうだから困る。
話を聞けば聞くほど、俺は混乱してきた。





やがて、目的地の町に着いた。
この町は俺の家から2里ほど離れたところにある小さな港町だが、漁業が盛んで交易もいくらか行われており、それなりに活気のある町だ。
丸は興味津々で町並みを眺めている。

 店が立ち並ぶ通りのはずれまで来たら、俺は荷車を止めて古びた御座を地面に敷いた。
ここは俺がいつも野菜を売る場所だ。
御座の上に野菜をならべて、通りがかる人々に呼びかける。

「野菜はいらないかーい、どれもおいしいよ。お安くするよ」

ちらっと見る者はいるが、なかなか立ち止まってくれる者はいない。
まあ、いつも大体こんな感じなのだが。
すると、俺の様子を見ていた丸が荷車から降りて、俺の隣にちょこんと座ると、一緒に声をかけ始めた。

「みんな見ていくでゴザル!この男、身なりは汚らしいでゴザルが、作る野菜の味はたしかでゴザル。拙者が保証するでゴザル!だまされたと思って買ってみるでゴザル」

小さいのに俺よりも大きく、良く通る声だ。
彼女の声に反応して、立ち止まる人が増えてきた。
そして、俺の横に座る珍しい存在に気づくと人が人を呼び、たちまち人だかりとなった。

「まあ、何て可愛いらしい子なの」
「この子ってもしかしてクノイチってやつかしら?尻尾あるわよ」
「お嬢ちゃん、頑張ってて偉いわねぇ。ほら、お饅頭あげるわ」

買い物に来た女性たちが、丸を取り囲んでちやほやする。
丸は笑顔で受け答えして、いっぱしの商売人みたいだ。
(なんだあれは?俺に対しての態度と全く違うじゃないか)
全く要領のいいヤツである。



「あら又兵衛!一体この子どこで拾ってきたの?まさか、さらってきたんじゃないでしょうね?」

通りがかった魚屋の女将が出てきて、俺たちの様子を見て驚き、俺を問い詰めてきた。
この女将の魚屋は俺の馴染みの店だ。

「いや、いくら俺でもそんなことはしないですよ、女将さん」
「違うでゴザル。拙者が又兵衛を“あんさつ”したでゴザル」

丸が横から口をはさんできた。

「え?暗殺ですって!?」
「ち、違うんです!ちょっと訳が合って、一時的に預かっているだけなんですよ」
「何をいっているでゴザル!又兵衛は拙者が..んぐぅ!んぅーんぅー!」

俺は丸の口を慌ててふさいだ。

「そ、それはともかく、どうですか野菜?何か買っていかないですか?どれも自信作です」
「そうねぇ..じゃあ、キュウリをいただこうかしら」
「はいどうぞ、ありがとうございました」



丸のおかげで、今日は野菜をあっという間に売り切ることができた。
完売できたのは久しぶりだ。
いつもはほぼ同じ顔ぶれの人にしか売れないのに、今回は足を止めた人がほとんど買ってくれた。

「今日はすごい売れ行きだったなあ」
「拙者をほめるでゴザル!全部拙者のおかげでゴザル!」
「ああ、それは認めるよ」

俺は手元に入った銭を勘定して、思わず顔がにやけてしまう。

「拙者に感謝しているなら、ちゃんと態度でしめすでゴザル」
「おう、甘い物でもごちそうしてやるよ」
「いやっほーでゴザル!甘いの大好きでゴザル!里ではあまり食べさせてくれなかったから、今日は食べまくるでゴザル!」」

丸は飛び上がって喜んでいる。
いつもこんな感じだったら可愛いのだが…..





 茶屋の前の長いすに座り、丸にご褒美の団子をごちそうする。
みたらし団子や餡団子をばくばく食べ、またたく間に6本も平らげてしまった。

「いくら何でも食べ過ぎじゃないのか?」
「ゲフっ……久しぶりだったから、つい食べ過ぎたでゴザル」

丸は腹をさすって、お茶を飲む。

彼女の隣で俺は今後のことを考えていた。
昨日はとっとと彼女を番屋に押し付けて、おさらばしようと考えていた。
しかし、短い時間ながら彼女と一緒に過ごすことで、俺の心は揺れ動いていた。
正直いくらか情も移っている。
それに野菜売りを手伝わせておいて、用がすんだら“はいさよなら”というのもさすがに薄情ではないか。
だが、俺のような甲斐性なしの男といるよりも、やはり親の元に帰してやるのがいいのではないだろうか。
俺は判断を決めかねていた。

「…なあ、丸」
「ん?何でゴザルか?」
「やっぱり里の家に帰った方がいいんじゃないのか?」
「な、突然何を言うでゴザル!?」
「俺みたいなのと一緒にいたってどうにもならないぞ….。それに丸の親御さんだって、今頃心配しているはずだ」
「まだ帰るのは早いでゴザル!わからず屋の母上を見返してやりたいでゴザル!」

予想通り、彼女はかたくなに嫌がる。

「少なくとも丸のお父さんは心配していると思うぞ」
「うぅ…“おとん”はそうかもしれないでゴザルが….」
「丸、一緒に行ってやるから里に帰ろう」

丸は昨日のようにうつむき、しばらくの間黙り込んだ。

「………結局、拙者のことをじゃま者と思っているのでゴザルな」
「え?いや…..そんなことは思ってないぞ」
「うそでゴザル!拙者を追い出したいだけでゴザル!野菜を売るのも手伝ってあげたのにひどいでゴザル!もう知らないでゴザル!」

丸はいすから下りると

「ゴザァァァァァー!!」タタタタタッ

泣き叫びながら、すごい速度で人ごみの方へ走り去っていった。

「あ、待ってくれ丸!」

俺は急いで丸の後を追いかけようとする。

「お客さん、お代はちゃんと払っていってね」

走りだそうとしたその時、俺は茶屋の店主に腕をつかまれて止められてしまった。

「あ、忘れてた。ってこんなことしている場合じゃないんだよ!ほら、釣りはいらねえからな!」

俺は銭を置いて丸の後を追おうとするが、もう彼女の姿は見えなかった。





「くそっ……一体どこに行っちまったんだ…..」

俺は町をくまなく探して人にも聞き込んだが、なかなか彼女を見つけられない。

「こうなったら徹底的に探すぞ」

俺は誰も入らない細い路地裏に入っていった。
物陰も確認してみるが、丸はいない。

困り果てていたその時、隅っこの方に小さな木箱があることに気が付いた。
近づいてみると、中からかすかにすすり泣く声が聞こえてくる。
俺は箱の前でしゃがみ、声をかけてみた。

「丸、いるのか?」
「……」

反応はないが、わずかに動いている。
彼女に間違いないだろう。

「丸、さっきは悪かった。丸の気持ちも、もっと考えるべきだった。反省しているよ」
「…..本当に悪いと思っているでゴザルか?」
「ああ、本当にごめんな丸。一緒に俺たちの家に帰ろう」
「….反省しているなら態度でしめしてほしいでゴザル」
「わかっているよ。お詫びにほら、これをやるよ」

俺は懐からあるものを取り出してみせた。

「そ、それは!?」
箱がゴソッと動く。

「手裏剣だよ。クノイチが使うものだろう?これでどうか許してくれないか?」

俺は丸を探して聞き込みに入ったよろず屋で、たまたまこの手裏剣が売られているのを見つけたのだ。
箱を上げて、丸が姿を見せた。
手の上の手裏剣にくぎ付けになっている。

「手裏剣はずっと欲しかったのでゴザルが、母上が危ないからと持たせてくれなかったのでゴザル」
「そうだったか。でも、これで丸も大人のクノイチの仲間入りだな」
「ありがとうでゴザル!ありがたく頂戴するでゴザル!」

丸は手裏剣を手に取り、ぴょんぴょん飛び跳ねている。
どうやら機嫌も直ったようだ。
俺はほっと胸をなでおろした。





 それから魚屋でイワシやカツオを買い、ほかに米や味噌を買うと俺たちは家路についた。
買った物と丸を乗せて、ぎこぎこと音をならしながら俺は荷車を引く。
丸はまだ手裏剣に夢中なようで、手に取って眺めている。

ポツッポツッ

「あ、やばい。雨が降ってきやがった」

空を見上げると、いつの間にか雨雲が立ち込めている。
俺は急いで荷物と丸に御座をかぶせて、雨の中を全速力で進んでいった。






 翌朝、俺は熱を出して寝込んでしまっていた。
昨日の雨にやられたらしい。
(くそっ、体は丈夫だったはずなのに)

丸は俺のために台所で調理をしている。
箱を踏み台にして、慣れない手つきで必死におかゆを作ろうとしている。

「できたでゴザル。ゆっくり食べるでゴザル」
「ああ、ありがとう」

ざく切りされた野菜がごろごろ入ったおかゆを丸が俺に差し出す。
お米も野菜も少し硬いが、ちゃんと食べられる。

「拙者はこれから山に行って、風邪に効く薬草を取ってくるでゴザル。又兵衛はおとなしく眠っているでゴザル」
「ただの風邪なんだから大丈夫だよ。そんな大変なことしなくていいよ」
「全然大変じゃないでゴザル。母上から薬草のことは教わっているから、心配いらないでゴザル。ちょっとだけ待っているでゴザル」

俺の心配をよそに、丸は風呂敷を手にして家の裏にある山へ走っていった。

「まるーー!無理しないですぐ帰って来いよ」

俺は家を出る丸の背中に向けて、精いっぱいの声で叫んだ。








トン..トン..

ウトウトしていると家の戸が叩かれる音で、俺は目を覚ました。

「ごめんください」

女性の声が聞こえる。
俺はよろめきながら立ち上がり、のろのろと歩いて戸を開けた。
そこには丸と同じような格好をしたクノイチが立っていた。
今まで見たこともないような美人だ。
どことなく丸と似ているようにも見える。
ただ、何だか疲れ切ったような顔をしていた。

「このあたりで小さな女の子を見かけませんでしたか?私の娘なのですが、一昨日から帰ってこなくて……..。それで、山の中を探し回ったのですが見つからないのです。夫も心労で寝込んでしまいまして」
「そうでしたか….すみません、私は見ていないです」
「そうですか….あら、お体の具合が悪いのですか?誰か人を呼びましょうか?」

彼女は俺の体調が悪いことに気づき、気を遣ってくれる。

「お心遣いありがとうございます。でも、心配はいらないですよ。あの…..私の弟が今、医者を呼びに行っているところですから。きっと、もうじき帰ってきます」
「…わかりました。大変な時にすみませんでした。どうぞお大事に」

彼女は戸を閉めて、去っていった。
彼女の足音が遠ざかるのを確認すると、俺はドサッと床に尻をつき、息を吐く。
危ないところだった….もう少しで丸と鉢合わせするところだった。
しかし、俺は彼女に嘘をついてしまった。
家出をした子供を心配して、必死に探している親に対して俺はなんてことをしてしまったのか….
俺は強い罪悪感に苛まれたが、頭が痛くなりそれ以上考えるのをやめた。







「帰ってきたでゴザル。又兵衛、無事でゴザルか?」

勢いよく戸が開き、丸が入ってくる。
手には膨らんだ風呂敷が握られている。

「ちょっと待っているでゴザル。すぐに風邪薬をつくるでゴザル」

家に入るなり丸は風呂敷を広げて薬草を手に取ると、台所で作業を始めた。
薬草を洗った後に、すりつぶしたり焙ったり、何やら色々やっている。
そして、出来上がったものを急須の中に茶葉のように入れるとお湯を注ぎ、湯飲みに入れて俺のところに持ってきた。
見た目は普通のお茶だ。

「クノイチの秘伝の方法で作った特製の風邪薬でゴザル。さあ、飲むでゴザル」

丸は俺の頭と背を抱きかかえて持ち上げると、尻尾を器用に湯飲みに巻き付けて俺の口元へ持ってきた。

「んぐ..んぐ…..はぁー、味は悪くないな」
「しっかり飲みやすくしたでゴザル。あとは寝ていれば治るはずでゴザル」

丸はゆっくりと俺の頭を枕の上に乗せてくれた。
横になっていると、薬の効き目なのか体がぽかぽかしてきた。


丸は水で冷やした布を持ってくると額に置いて、俺の寝ている横に座った。

「拙者がそばにいるから、安心して寝ているでゴザル」
「丸….ありがとうな」

俺は丸に見守られながら眠りに落ちた。





 翌日、俺の体はすっかり回復していた。
腹が減っていたので、朝食をモリモリ食べる。
丸はそんな俺の様子を見て、喜んでいる。

俺は昨日のことを丸に話すことにした。

「丸、そういえば昨日、丸のお母さんがここに来たんだよ」
「ええ!?いつの間に来ていたのでゴザルか!?」
「丸が薬草を取りに行っている間に来てな、それで丸のことを聞かれたよ。嘘ついてごまかしちゃったけど。….すごく心配している様子だったよ」
「そうだったでゴザルか…..」
「たぶん、ここだとばれるのも時間の問題だな。町の人間に話を聞かれたら、すぐにわかる」

丸は少し黙っていたが、意を決したような表情になった。

「…..わかったでゴザル。母上がまたここに来たら、一緒に里に帰ることにするでゴザル。なかなか来ないようなら、拙者から里に帰るでゴザル」
「…いいのか?」
「母上からいつまでも逃げ続けることはむりでゴザル。心配もかけているようで申し訳ないに気持ちになったでゴザル。それにもうこれ以上、又兵衛にめいわくをかけるわけにはいかないでゴザル」
「いや、迷惑だなんて思ってないよ。むしろ、感謝しているし楽しかったよ」
「拙者も楽しかったでゴザル。家出してよかったと思っているでゴザル。あと少しだけ居させてもらうでゴザル」

丸がにこっと笑ってみせた。





朝食をとったら、丸は俺の畑にある大きな木に向かって手裏剣の練習を始めた。
初めのうちはうまく狙いを定められていなかったが、何度か練習をするとすぐに木に刺さるようになった。
なんだかんだ言っても、クノイチとしての素質はしっかりあるようだ。

(あれだけ大口をたたくだけのことはあるのかもな…..)
彼女の背中を見ながら、俺はそう思った。



昼頃になると丸の母親が家に現れた。
町の者に話を聞いてきたのだろう、もう言い逃れをすることはできない。
丸は母親を見ると素直に彼女の元へ行った。
母親は俺が嘘をついたことは攻めず、娘の面倒を見たことに対して丁重にお礼を言ってくえた。

母親が丸を呼ぶときに本当の彼女の名前を知ったが、それでも俺にとって彼女は丸であることに変わりなかった。
別れ際、丸は俺を見て寂しそうな顔をしていたが、俺は努めて笑顔で見送った。


これでまた一人の暮らしか……
まあ、これが今生の別れというわけでもあるまい。
会いたくなったら、忍びの里とやらを探し出して乗り込めばいいのだ。
俺は自分にそう言い聞かせていた。





 丸が帰ってから1週間ほどが過ぎたとき、丸がひょっこり俺の家に現れた。
母親から許しを得て、俺に会いに来てくれたらしい。

それから丸はちょこちょこと家に遊びに来るようになった。
新しい忍法ができるたびに家に来て、俺に披露してみせたり、時には俺を実験台にしたりした。

ある時、彼女特製の煙玉を喰らったことがあった。

「又兵衛、見るでゴザル!忍びに必須の煙玉でゴザル!拙者が一人で作ったでゴザル」
「へぇー、すごいじゃないか!お母さんに作り方を教わったのか?」
「いや、母上が作っているところをみて、マネしてみたでゴザル」
「…..なんか危ない雰囲気がするのだが」
「さっそく試してみるでゴザル。ていっ!!」

ボンッ!

玉がはじけて、あたりに煙が立ち込める。

「げほっ..げほっ..すごい煙だ….ん?なんかこの煙、妙に粉っぽくないか?….これ小麦粉じゃないか!?」
「ゴザル!ゴザル!く、くしゃみが止まらないでゴザル」
「どんなくしゃみしてるんだよ!…げほっ」
「小麦粉が足りないから、コショウも少しまぜたでゴザル….ゴザル!」
「めちゃくちゃすぎるだろ!」

こんな感じで俺は何度もひどい目にあわされた。





 二人で何度も会っているうちに、やがて月日が経ち、丸はどんどん成長していった。
あの奇妙な言葉遣いも、いつの間にかやめていた。
大人になるにつれ、丸は可愛いというよりきれいな女性へと変わっていき、彼女の美しい母親とそっくりになってきている。
俺はそんな丸を女性として意識しそうになっている自分に戸惑っていた。
それを知ってか知らずか、丸が俺をじっと見つめることが多くなっていた気がする。






丸とどう接していいのかわからなくなった頃、丸は姿をしばらく見せなくなった。

(病気にでもなったのだろうか..)
だが、忍びの里がどこにあるのかわからない以上、こちらからは連絡をすることもできない。
彼女を心配する日々が続いたが、俺にはどうすることもできなかった。




不安が大きくなってきて、本当に探しに行こうかと思うようになっていた頃のことだ。
ある夜、そろそろ布団を敷いて眠ろうかと思っていたら、戸が開く音がした。
驚いてそちらを向くと、そこには妖艶な姿になった丸が立っていた。

「丸なのか!?びっくりしたぞ….一体どうしたんだ?こんな遅い時間に」
「ふふ、久しぶりね又兵衛……今日は改めてあなたを“暗殺”しに来たの」
「へ?あ、暗殺だって?」




….
………
……………
…………………………………

「あひぃぃぃぃぃぃーー!!」

俺は完膚なきまでに彼女に“暗殺”され、ついでに童貞を失った。








 初体験を終えて、俺は丸に忍びの里に連れていかれた。
元々独り身で、人付き合いも大して無かったから、俗世を離れることには抵抗もない。

里で俺は彼女と婚姻の儀を結び、晴れて夫婦になった。
それから程なくして、俺たちの間に子供が生まれた。
子供の名前は俺たちにとって特別な名である“丸”だ。






 そして、今俺は新しい我が家で畑仕事をしている。
畑仕事は俺の生きがいで、これだけはやめられない。


いつの間にか、後ろで娘の丸が、俺の様子を見ていることに気が付いた。
娘はかつての俺の妻にそっくりだ。
最近では、俺の昔の話を妻から聞いているらしい。
….全く、何を話しているのやら。


….なんというか、さっきから娘の目がやけに真剣な気がする。
畑仕事に興味があるのだろうか。
ならば、俺は男の背中をしっかり娘に見せてやろう。
俺はいつにも増して、気合を入れて鍬を打つ。

すると突然背後から

タタタタタタっ

と足音がしてきた。
そして、次の瞬間

ズボッ

「アッーーーーー!!」

突然、肛門から全身へ凄まじい衝撃が走った。
俺はその場に崩れ落ち、尻を抑えて悶絶する。
一体何が起きたというんだ!?
俺は苦しみながら何とか身をよじり後ろを向くと、丸がそこに立っていた。
両手を組み人差し指を突き立てて、俺を見下ろしいる。


「これで“あんさつ”完了でゴザル!おとん!」

18/08/12 20:19更新 / 犬派

■作者メッセージ
読んでくださって、ありがとうございます。

本当はもっと短めで、おバカな話にするつもりだったのですが、
書いているうちにどんどん長くなってしまいました。

次はもっとおバカな話が書きたいです。

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