北の森のマンティスさん
さく…さくっ……ガサ
落ち葉を踏み鳴らす。
木と木の間に刻まれた、歩き慣れた獣道に、乾いた音が立っていた。
それが少々耳に煩い。
らしくないな、と思いはするが、今は別段狩りをしている訳でもない。
足音を消す必要は無いと分かってはいるのだが、やはり普段無いものが有ると落ち着かない。
人の暦では十月も半ば、空の雲も細く、薄い。
だがそれも南側だけで、西の空は真黒い大雲が姿を見せている。
明日は一雨来そうだ。
風が南へと吹き抜けるこの時分。
喰える獲物の数も多いし、どいつもこいつもブクブクと太っているので嫌いではない。
脂ばかりで喰いづらいが。
だが、もうしばしで雪が降る。
そうなれば、今度はゲッソリと痩せ細ったモノか、何も無いかの地獄の二択になるのだが。
その為にも今の内に蓄えておかねば。
今はその一環として、野草を集めている。
アナグラの巣で吊しておけば、肉の保存料や薬草に変わる。
それに肉ばかり食べていては、いよいよ狩りの季節になったと言う所で体調を崩す。
苦みばかりでマズイ草も、摂らぬ訳にはいかんのだ。
「見つけた」
ようやくだ。
赤やら黄色の木葉の下。
やっと見つけた濃緑色の……雑草と見分けの付かないソレを
私は自分の鎌を使って、根本の辺りからバッサリつみ取る。
ああ、そうだ。
言い忘れていたが、私はマンティスと呼ばれるものだ。
この森に一人で住んでいる。
親の顔は知らない。
知りたいとも思わない。
別に良いと思っている。
名など知らない。
名乗る相手も、呼ぶ者もいないのだ。
必要あるまい。
必要が無いことは、普段有るものが無いことよりも嫌いだ。
おっと、そろそろ戻らねば。
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妙な肌寒さで目が覚めた。
「む」
雪が降っている。
幾分、アナグラの内まで潜り込んでいた。
積もっているらしい。
「……こまった」
これは困った。
あと半月はあるだろうと践んでいたが、存外に早い。
いや、早過ぎる。普段より二十日は早い。
「狩りに出なくては」
そうしなければ飢え死にしてしまう。
なにせ備蓄がまったく足りていない。
これでは年を明かした頃にはコロリと逝ってしまう。
それに、この様子では三日もすれば獲物の姿が見えない季節がやってくる。
実質的に今日がたらふく腹を満たせる最後の日だ。
今やらねば私に明日はない。
「こまった」
一日がんばってみたが何も捕まらなかった。
これは由々しい。餓死の可能性に信憑性が出始めた。
このままでは行けない。何か手を打つ必要が有る。
どうする?
@クールでビューティーなマンティスさんは、逆転の発想を思いつく。
A親切な旅人から食料を強請って貰う。 失礼、誤字だ。ゆずってもらう。
B餓死する。現実はヒジョーである。
流石だ、私。
一瞬で三つもの方策を思いつくとは……達成可能かは度外無視して。
まあここは、やはり順当にAを選ぶのが無難だろう。
幸い、この森は山越の際の近道となる場所だ。ニンゲンの姿も時折見かける。
『親切な旅人』が来ることだって十分に考えられる。
それに、ニンゲンを探すついでに獲物が見つかるかもしれない。一石二鳥だ。
うむ、我ながら良い考えではないか。 すごいぞ、私。 流石だ、私!
………ココロガ オレタ
もう、やだもー、もー。ごはん見つかんない、だれも見かけない、なんにも無ーい!!なになに、なんなの。なんなのさ、もー!こんな事いままで一回もなかったのに、なんで今年に限ってユキ降るのはやいのさー。ウサギもタヌキもクマも何にもいなーい!いや、いるけど捕まんなーい!お腹がへって力が………ああ…意識、が、遠退い…て、………
答え―B
答えB
答えB
ハッ!?
……………いかん。
いかんいかん。いかんぞ、私!
何をしているのか、私は。
腹の虫が頭にまで湧き出たか?
いや、それも訳が分からん。
しかし何にせよ、やはり何とかしなければ。
差し当たり何か策を、この凍結した状況を打破する方策を考えねば。
そう例えば、狩り以外の方法。もっと確実に人間から食糧を……そうか。
略奪、という手があるじゃあないか。
この両の手にある鎌は、何も野の獣を狩るためだけにあるのでは無い。
なに、すぐだ。すぐに終わる。ちょっと行って、とって戻ってくるだけだ。
なんだ簡単な事だったじゃないか。
どうして最初からそうしなかったんだろう……ふ、ふふふ、うふ、うふふふふふふふ、オナカヘッタなー。うふふ……
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さて、そうは言ったものの。
直接ヒトを襲おうにも、そのヒトがいないのだからどうしようも無い。
と、言う訳で山を下りて人里まで来た。
記憶の片隅の母さまが、来てはいけない場所だと言っていた。
だが今は緊急事態。背に腹は変えられず、言い付けで腹が膨れる訳でも無い。
仕方ない、仕方ない。私は悪くない……はず
着いた。
ヒト共は、もう眠っているらしい。
……静かだ。本当に、静かな夜だ
この辺りもユキに降りしきられている。
藁吹き屋根の木製建築物や、足跡だらけの小さな広場。
見渡す限りの全てが皆、白銀に包まれて、鋭い月光を跳ね返している。
触れたら、身を切り裂かれてしまいそうだ……アカギレやらヒビワレやらで。
(さて、適当な家から干し肉の一つでも…いや、二つ三つは欲しいかも)
そうこう考えてる内に、侵入には成功。
裏口の戸を勝手に(切り)開くと、丁度そこが貯蔵所か何からしい。
天井から吊されたカゴの中に、干された草。見覚えが有る。例のニッガイ奴だ。
壁には八本もの大型のナイフ……包丁、とか言う物だったか?
まあ良い。
今はそんな刃物などには興味ない。私には不要だしな。
それと、いくら空腹でも、腹も膨れんニガイ草をわざわざ喰う気にはならない。
必要なのは肉だ、肉。乾燥途中の脂の匂いがするから、多分ある。
ん。ここか?
香りを便りに、木箱を一つ見つけ出す。
足付きで、底が高くなっている多層構造。
蓋にはスリットが入っていて、そこから香りが立ち昇っている。
それにしても、いい匂いだ
一体なんの肉なのだろう?
脂の匂いはするから、何かの肉ではあるのだろう。
しかし、こんな匂いの肉は覚えがない。ニンゲン共だけが知るような、特別な物?
まぁ良い。何はともあれ、今はコレを頂くとしよう。
「いただきます」
あぐ、んん。あむ……うっ!?
「う……ま、いぃぞぉ〜〜ッッッ!!!」
ドーーン!!
ハッ!?…しまった、私とした事がついうっかり声に出してしまった。だがしかし、それほどにコレは美味い!なんなのだこれは、どうすれば……もとい、一体なんだこれは!旨い、美味いぞ、美味過ぎる!!口に含んだ瞬間に、舌先に広がったこの心地の良い刺激は何だ!?苦み……酸味、そうか…辛み。辛みだ!前にゴブリンどもが寄越してきたタカノツメとやらを喰った時と同じ……いや、あんな物とは比べ物にならん上品な辛さ。そう……まるで舌の上で春風が舞い踊っているよう!!! それだけでは無い。この肉厚な塊に歯を立て、固い皮を割り裂き、口の中を転がすだけで、なんとその味の行き渡ることか!!すり潰すように臼歯で一噛みする毎に、口いっぱいに満たされる肉の旨味のなんと味わい深いことか!噛む程に薄れるどころか、より一層強くなっていく!!……おお、辛みが舌の感覚を鋭敏に変え、その上に流れ込む極上の旨味!素晴らしい。ああ、素晴らしい!人間とはなんと旨いものを持っているのか!旨い、なんと美味い!こんな味わい深い肉があるなど、今までまるで知らなかった!ああ、素晴らしい。もいっこ食ーべよっと。
「おい」
「うぅんまぁぁああ〜〜いぃぃぃ〜〜〜〜!!!」
ドドーーン!!
そうか先程は気付かなかったが、この香り。これは煙で燻したにお
「おいっての!!」
はて?
今何か声がしたような。
どれ右見て、左見て、ちょっと振り向い……て。
………。
よし何もおかしな事は無い。
さて、もう一切れ食べたらコレもって山にかえ
「ううぉい!!」
げ、幻聴……かな?
「違ぇ!」
「ふひゃん!?」
あ、あいたたた………ぶたれた。
「つーか今見渡したよな!?目ぇ合ったよな!?
あ、おい、目逸らすな!今更になって胡麻かそうとするな!
なんだその、たまたま通り掛かっただけですよー的なアピールは!?
たまたまで人の家に魔物が入ってくるか!!」
「うぐ……
くっ、しまった。見つかってしまったか。
かくなる上は脅すなり怪我させるなりして逃走を…いや、その前にコレの作成方を聞いてからにするか? いやいや。
いやだが、それはそれで中々に捨て難い事な訳で。…むぅ。
だがしかし何故ばれたのだ?全く理由が思い付かん。
「あんな大声出されりゃ誰だって気づくわ!!!」
む?
今、このニンゲン、まさか私の心を読んだのか?
ばかな、そんな高等魔法、たかが片田舎の村人風情に使える訳が………」
「いや、全部声に出てるぞ」
「む。おや?」
「おや?、じゃねぇよ! おや?、じゃよう!
つーか何でウチで干し肉かっ喰らってんだよアンタ!?」
「だってお腹へってたんだもん」
「即答!? もうちょいオブラートに包んだ言い方しろよ!」
「そんな物、不必要だ。我々マンティスは、そういう物を好まない」
「いや、そりゃ知ってるがさ……マンティスって、こんなんだったかなぁ……」
「違うのか?」
私の知る限り、マンティスは私くらいしか知らない。
種族の上では、きっと母もそうだったのだろうが、生憎よく覚えていない。
だがきっと、私のような立派なマンティスであったのだろう。うむ。
「いやもう……なんかもう、どうでもいいや」
「賢明だな」
無意味に言葉を続けるよりは余程良い。
そういう態度は中々好ましい。
「はぁ……で、アンタはどうしてくれるんだ?」
「何がだ?」
男はこれが本題だ、とでも言いたげに聞いてきた。
……さりげなく出入口の方を塞がれる。
まずい。閉じ込められた。
「タダ食いは、立派な犯罪だぜ?」
「む」
「おっと、無理に逃げようとはしてくれるな。これでも、腕っ節には自信がある。
不意を打たれるなら兎も角、こうして正面合ってなら逃がしゃしない」
「むむ」
ふむ、なるほど確かに。
こうして改めて……落ち着いてみてみれば、まったく隙のない体構えをしている。
しかし、これほどの使い手ならば、近くに来れば気付きそうなものだが……もしや気配を消してい……いえ。はい、認めます。さっきまで思いっきりテンパってました。私が気付いて無かっただけです。はい。
だってコレ美味しいんだもん。仕方ないじゃん。
「別に、不法侵入と干し肉一個ぐらいで自警団に突き出す気はないさ。
だが落とし前はつけて欲しい訳だな、コッチとしては。
それで、アンタは何をしてくれる?」
「………」
何を、と言われても、正直困る。
森暮らしの私に、ヒトの世のことを言われても分からない。
何をすれば良いのか、まるで分からないのだ。
まあ、何かをしようとは思う。
ヒトに借りを作ったままは嫌だ。
ついでに、コレもうちょっと食べてたい。
「そう黙ってくれるな……って、おい。さりげに人ん家の保存食かじってんじゃねえ!
あーもう…別に釣り合うなら何でもいいんだ。
なんなら、住み込みの家事手伝いでもするか?」
「んぐ…む。……家事手伝い?」
「そう。掃除、洗濯とか、食事の用意とかな。出来る?」
ああ、それくらいなら
「……うん、出来る」
「そうかい。 それじゃ、これから頼むよ。
俺はカル。カルッティア・ミラン。今は、この村で調理師やってる」
男はカルと名乗って、簡単な事故紹介をした。
そして私の方に、手を差し伸べてきた。……これは知っている。握手という奴だ。
この手を握りかえせば契約成立なのだと、前にゴブリンの商人が言っていた。
「覚えた。これからよろしく、カル」
「おお、よろしく。
一先ず差し当たって知っておきたいんだが、アンタの名前は?」
「無い」
「また即答かよ! 無いってこたぁねーだろ!?」
そう言われても、無いものは無いのだから仕様がない。
そもそも、私を呼んだ事が分かれば良いのなら、別に名など必要あるまい。
この近辺に他のマンティスはいないだろうし。なんなら、コレだの、アンタでも通じるではないか。
ニンゲンは奇妙な事を言う。どうして必要性の欠けることにそうこだわるのだろう?
「必要なら適当に付けろ。
それより、一ついいか?」
「んな、なおざりな……まあ、アンタがいいなら別に構わんさ。
それで、何だい?」
「コレの作り方、教えて!!」
握手したのとは反対側、左手で握っていたままの干し肉(かつてないデリシャスさ)をつきだして、叫ぶ。
私の人生において、かつて無いほど輝かしい顔をした瞬間である。
「お、おおぅ? ま、まぁ構わねえぜ?」
カルは目を白黒させながらも、了承してくれた。……よっしゃ。
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あれから私はカルの元で、給仕兼コック見習いとして働いている。
給仕としての仕事は、カルから与えられたもの。
コック見習いは、私がカルに頼んで与えてもらった仕事だ。
カルの料理は、美味しい。
いや…美味しい、などでは言葉が足りない。
この世の物とは思えないほど、旨い。
……語彙の少ない私にはこの程度の表現しか出来ない。
まあ、ともかく物凄くうまいのだ。
おかげで毎朝、毎晩の食事は至上の喜びとなった。
カルが作った時に限り…だが。
「出来た!どうだ!?」
「リコール」
「ぐっ…」
今晩は残念な事に……不幸にも。誠に遺憾ながら・・・!!
私が料理の当番である。カルは指示をするだけで、台所には立たない。
残念である。苦虫を噛みしめる思いである。悲しみの余り、頬に熱い物が伝いだしすらする。
無から転じて生を拾うことすら出来そうだ。(……この表現、一体何処から沸いて出た?)
まあ、そんな詩吟めいた事はどうでもいい。
今のやり取りは、出したスープに作り直しを要求されたワンシーン。
ザラな事。いつもの事だ。毎度のお馴染みだ。最低でも三度は同じ物を作らせられる。
ちなみに、作り直しを要求された失敗料理は、後で私が不美味しく召し上がる事になっている。くそう。
「一体何が悪かったんだ」
「とりあえず全部。」
「ちくしょーーっ!」
追記。
カルは結構ひどい。
「待て待て。落ち着け。一個ずつ言い上げてやるから」
「そっちのがヒドい!」
「まあ、そう言うなよ。まずは火加減な。煮込みが足りない。
森暮らしのせいで火が怖いのは分かるが、火力を抑えすぎ」
う……いやまあ、そりゃ。アレだ。
自覚は、あるんだ。自覚は。治そうとは…思ってんだよ?
「次に、味付け。苦いからって香草を全く使わないのはどうかと思うぞ?
あー、それと、酸っぱくなったからって、甘味で相殺なんざ出来ないからな?」
「む、そうなのか?」
「そうなの。あと最後に切り方。不揃い。
ついでに肉切った包丁で野菜を切るな。脂が移って味が落ちる。
……ていうか、その前にちゃんと包丁使ってるか?
お前さんの鎌だと小回りが効かないし食材傷めるから、料理にゃ使うな……って、コレ言うの何回目だ?」
ん?
えーと、………八、九。
いや、他にアレとアレも有って……おおぅ
「おい。なぜ目を逸らすよ」
え、っと…いや、ね?
うん、忘れてた訳じゃないよ。
うん。言われたら思い出したから。
えと…だから、ね?
その…ね?ちょっっ……と、顔が怖いかなぁ?
な〜んて、ね…?あ、はは。あは、あはは……はは…は……
「なあおい。鎌んトコに微塵にした玉葱ついてるぞ?」
「え!?」
「嘘だ。が……やっぱソレで切ったな、お前」
「な……カマかけたな!?、って、え、や。ちょ、ちょと待って?
べ、べべべ弁解のチャンスを―――ひぎゃん!?」
「とにかくモッペン作り直せぇぇぇええ!!」
「は、はひぃぃ!!?」
その後。
カルの指導の元。
いや……指図とダメ出しの元。
なんとかこんとかマトモな夕飯にありつけた。
何故か味見の時よりショッパかった。
その後、マトモじゃない方の(作ったのは私だが)夕飯も食べた。
舌が潰れるかと思いながらも、完食した。カルがよく頑張ったと頭を撫でてきた。
イラついたので返り討ちにしようとした。反撃された。痛い。
けど口直しにデザートをくれたから、別にいいや。
ちなみに、涙が枯れるほど美味しかった。死んでもいいかとも思った。
早くカルのような、イチリュー料理人になりたい。
11/03/16 21:35更新 / 夢見月