交叉する夜 1
『ガンくれる』という言葉がある。
普通の人は使わないだろうが、これをあしかがりにして生きている奴もいる。目の前の奴のように。
「てめぇさっきからチョーシくれてんじゃねぇぞコラァ!」
何をどうチョーシくれたのか説明をしてほしいところだ。そう思いながら御神透は買い物袋を足元に置いた。
そしていやだったが前にいる三人に向き直る。
ここは、この地域の裏通りとも言える場所の西端、建設会社の開発計画から外された古い雑居ビル群の中心。
一般人はけっして近づかない場所。
何でこんなめんどくさいことになったかな……。透はそう思いながら、二分前に出会った人々を見た。
不良だ。
百人に聞いたら百人がそう答えそうな三人である。
紙は赤かったり緑だったりと鮮やか。耳ピアスは当たり前のこと、さっき口を開いた奴はしたピアスまでしていた。そして手には装飾用というよりもメリケンサックといったほうが正しい気がする指輪。肩が露出している奴はタトゥーだか刺青だかが毒々しく描かれていた。
家への帰り道にこの道か近道だからといっても、こんな奴らに絡まれて時間を浪費するのなら、普通の道を通るべきだった、そう後悔しても何も進展しない。
それにしても一瞬見ただけでこれほどの勢いで絡んでくるとは予想外だった。こんな風に絡まれたことは一回も無かったので、良い(悪い?)勉強になったかもしれない。
「聞いてんのかぁ?あぁ!?」
さっき口を開いた不良――見分けがつかないので不良太郎君(仮名)とする――がまた怒鳴りつけてきた。どうやら三人のリーダー格らしい。
さて。
このまま黙ってたら不良太郎君(仮名)は不良次郎君(同じく仮名)と不良三郎君(右に同じ)
と共に殴りかかってくるのは明白。しかしながら、何か言っても許してくれるとは思えない。最悪、火に油を注ぐことになるのかもしれない。
さて、どうする黒上透。
そんな深刻なことを俺が考えていると、業を煮やした不良太郎君(仮名)が近づいてきた。
「てめぇ黙っていりゃあ付け上がりやがって……!」
いや、黙ってないから。さっきから怒鳴りつけてるのを早くも忘れたのか?
そう言うべきか否か、さらなる選択肢が増えたために透の頭はフル回転していた。どうすれば無駄な体力を使わずにすむのか、導き出すために。
そんな透の耳に不吉な音が聞こえてきた。
グチャッ
「……は?……」
買い物袋が、正確に言うならば姉に頼まれたバナナ一房(148円)が、
踏み潰されていた。
………。
「ほら、何とか言ってみろよ。まぁ次こうなるのはお前――」
バキィッ!
確かな頬の感触。そして。
ドサァァァァッ
不良太郎君(仮名)改めクズ一号が空に舞う。
「「んなっ……!」」
クズ二号と三号が息を呑むのが分かった。そして、とっさに構えたのも。
「お前等のせいで……!」
それは心の底から生じたような暗い声。
「……ヒッ……」
その声に怯える二人を、思いっきり殴り飛ばした。
「姉ちゃんに殺されるかもしれねぇだろうがぁ!」
「……知るかよ……」
クズ1号が何かを言っていたが、それはもう透の耳には入らなかった。なぜなら。
「……とりあえず買いなおすか」
姉に殺されない方法を編み出すために頭をフル回転させていたからだ。
坂本竜馬。透が一番感情移入するのはその人物だった。
土佐藩を脱藩し、勝海舟の教えを受け、薩長同盟を結ぶ西郷隆盛らを後押しした。
時代の風雲児、坂本竜馬。
しかし、もっとも共感できるのは――姉の存在だった。
竜馬の姉、乙女。幼少時、土佐の仁王と呼ばれるほどの豪傑だったらしい。体が弱く、周りからいじめられていた竜馬を助けていた、という弟思いでもあったが、弟には優しいだけでなく厳しく、なかなか理不尽なこともしていたらしい。
そう、理不尽な。
「理不尽だぁぁぁぁぁあ嗚呼ああ!!!」
「よく声の出ますね」
「なぜ人事のように!? というか人としてこの状況をみたら心配すべきだよね!?」
透は今、のたうちまわっていた。姉である御神鈴香にすねを本気で蹴られて。
「うぅ……すねが……すねがぁ……」
「……では、続けてもいいですか?」
「まだ続ける気!?」
「まだ始まったところですよ……?そんなことも分からないんですか?」
「いや、その認識は姉さんだけだと思う……」
なぜ自分の姉はこんな人間になってしまったのだろう。透は真剣に考えたが、まったく答えが見つからない。
「いや、ちょっと遅れただけじゃん! 理由も言ったしどこに問題があっ」
ミシッ ベアークローされた。
「あだだだだっ!弁解してるんだから一応聞こうよ人とし」
ミシミシミシッ
「いや、ちょ、そろそろ頭蓋がっ」
「大丈夫です。掛かりつけの病院の診察券と保険証は持っていますから。」
「怪我するのが前提!?」
さて、どうやってこの魔手から逃れるべきか。
「あの、そろそろバナナでも……。早く食べないと傷むよ?」
「ふむ、そうですね……」
よし、この調子で話題をバナナに移していけば俺の命と心は失われないだろう。透はここぞとばかりに攻めたてる!
「そうだよ、傷んだらお終いだって!バナナも人も!」
「……人も?」
しまった。つい傷んでしまった人を見ていたら本音が。
「まぁ良いでしょう、バナナは透をシバイてからでいいです」
「落ち着こう。そしてシバくって言ってる時点でそれは単なる暴力だということに気付こう。というかそろそろ本気でまずいから手を離し」
ピキッ
「なぜだろう。力が緩むどころか意識が遠のくほどになってる気が―――」
ガスッゴスッガッ 鳩尾に直撃×3。
「……っぁがっ……!」
ああ、なぜだろう、幼きころの記憶があふれてきた。ああ、あのころはよかったなぁ……。
ってちょっと待て、これは走馬灯か!?
「さて、透もこれに懲りて人との約束は守るようにしてくださいね。」
姉さんの手が離れると、俺の体は支えを失い、フローリングの床に転がった。
「………………」
「? どうしたのですか、透?」
まずい、口さえ動かない。走馬灯のほうも高校1年生の思い出が終わりかけだ。終盤である。
まさか俺の人生はここで終わるのか……?
「ハァ……少しやりすぎました……。まさか死んでしまうとは」
あぁ、意識が遠のいていく……。もう疲れたよパトラッ
「あ、そうそう、忘れてました。屋根裏においてあったいかがわしい本はどうします?一緒に棺桶に――」
「ちょっとまてぇぇ―――!!!」
そんな本に覚えは無いが、俺が死んだ場合どこからか調達してきて確実に棺桶に入れるだろう。透は死ぬ気で(すでに死にかけていた気もするが)飛び起き、鈴香のほうを向く。
「生きていましたか、それは何よりです」
「あんたは俺が死んでも辱めるつもりなのか……?」
「……………時と場合によります」
いや、長考の末にそんな曖昧な答えを出されても。即答で否定してほしかった。
「それにしても疲れました。さっさと眠りたいです。透も視界からさっさと消えてください」
「心配しろとは言わないからその罵倒やめてくれませんかねぇ!?」
「あぁ、やっぱり自分で行った方が速かったでしょうか……」
「……じゃ行ってよこれからは」
「けれどめんどくさいですし……出来の悪い弟に頼むしかありません。なんという不幸でしょう……」
「アンタどんだけ自己中なんだ!?」
さすがにキレた。そして思わず透から本音が飛び出てくる。
「姉ちゃん、いい加減にしろよ。俺宿題中断してわざわざ行ってきたんだぞ!自分のことくらい自分でしなきゃ婚期がさらに遅れ」
ガシッ(鈴香が透の腕をつかむ音)
ドスッ(透が一本背負いで床に叩きつけられる音)
ズガガガガガガガガガガッ(そのまま両こぶしをひたすら腹に叩きつける音)
「ハッハッハ……。何を言うんですか透?それでは私が駄目人間みたいではないですか。怒りますよ……?」
「いや怒ってるよね、すでに!殺す気で殴ってきたよね今!?一発一発に様々な思いを込めていたよね怒りとか憎悪とか憎しみとか!!」
ありえない。腕をつかまれたと思ったらすでに床の上でこぶしを叩きつけられていた。どんだけ速いのだろう。
「……もう寝ます……」
悪魔退散。透は寝転がったまま見送る。
「俺も寝るか……」
ゆっくり立ち上がる。そして、節々の痛みに顔をしかめた。最近、徐々にダメージが増えている気がする。
透は歩き出した。
世の中は不条理だと思う。そもそも『天は人の上に人をつくら』なかったら、この世の中にいさかいも犯罪も戦争もないはずだ。
子は親を選べないのと同じで、自分は姉を選べなかった。あの姉も、悪いところばかりではないが、暴力的過ぎる。
さらに、周りは何の変化もない平和な日々を消化するだけ。悲しみもない代わりに、面白みもない。
つまらない。
それが自分のすべてだと思った。
透は自分の部屋の前に立っていた。
目の前にある無機質なドア。このドアを開くのが何回目か、数え切れない。しかし、いつも代わり映えのない日々を無常に彩っていることがこのドアの存在意義ではないか、とさえ思った。
ガチャッ
ドアを開ける。もちろん、目の前に広がっていたのはいつも通り、なんら代わり映えのない自分の部屋、スチールデスク――
――ではなく、床に突っ伏する美女だった。
「……………あ」
バタン!
ドアを猛烈な勢いで閉じる。
落ち着け、落ち着くんだ御神透。シリアスな雰囲気が台無しじゃないか透。
ネガティブになってこの世の心理について考えていたからこうなったんだ。そうだ、幻覚。蜃気楼。あれは蜃気楼だったに違いない。十六年生きてきて『これ、なんてギャルゲ?』的な状況になったことの無かった俺の中の深層心理によって生み出された産物だ。そうでなければ納得がいかない。そうである。あれは幻。ゆえに気にしなくとも良い。いやちょっと待て。幻なら何しても。
「待て」
まずい。それはまずい。いくら姉が寝入っていてももし起きてきた時のリスク――自分には見えない存在と戯れる弟――を考えろ。というか俺はそんな人間だったのか?そんなことをして、後に後悔するのは御免だ。なら、どうすればいいのか。
とりあえず、もう一度。
ガチャッ
慎重にドアノブを押す――。
「……あれ?ここはどこ?」
――美女は、立っていた。そして、喋っていた。
「………!!!」
思わず大声を上げそうになったが、我慢した。鈴香が起きてきたときのことを考えると、ゾッとする。
「もしかして座標入力が違ってたのかしら……」
美女はそういうと、あたりを見渡し、
「……あ」
透を見た。
「……こんにちわ」
「こんにちわ」
「いい天気ですね」
「たしか今日は曇り空では……?」
「そうでしたか?」
「そうでしたね」
これは会話が成り立っているといえるのだろうか。
「なんでここに?」
そう、それが一番の疑問だった。
しかし、美女はその整った顔を少しゆがませて、散々悩んだ挙句に答えた。
「わたしはサキュバスです」
※※※
これが‘彼女’との出会いだった。
10/02/18 15:06更新 / ダイス
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