青い後輩
「イソ君ってあのアオオニの子とどうなの?」
突然そんなことを言われて落ち葉を掃く手が止まってしまう。顔を上げると、キラキラした顔で同じクラスのメロウがこちらを見ていた。俺は再び視線を落として掃除を再開する。
「どうもこうも」
「えー」
でもでも、と彼女が前のめりで食ってかかる。「掃除をしなさい……」とお婆ちゃんのように優しく諭すも、もはやその手には掃除用具が握られてすらいない。
「帰りとかいっつも一緒じゃん。弓道場からよく見かけるんだよねえ」
「弓道部だっけ」
「うん、そう。これでも段持ちなんだから」
「水泳したらいいのに」
「マーメイド種が泳いだらぶっちぎっちゃうじゃん」
「それもそうか」
「あはは、ってそんなことはどうでもいいのっ」
話を逸らすことに失敗し内心ため息をつく。どうやらある程度の申し開きをしないと許してもらえなさそうだ。
「帰り道がいっしょだからだよ、部活で遅くなった時に送ってんの」
「文芸部なのにそんなに遅くまでなにやってるの?」
「なにもやってない……」
「なにそれ」
なにそれと言われても、実際に何もやっていないのだからしょうがない。話題に出てきたそのアオオニや他の部員と仲良くおしゃべりしているだけなのだが、その事を言うと変に曲解されて彼女の野次馬魂に火をつけてしまいそうなので黙っておく。
宙空を見上げ言葉を選んで喋る。
「まあ、よく話はするけど、というかあっちも別になんとも思ってないんじゃないかな」
「そうかなあ、先輩後輩の関係だけには見えなかったけど」
「あれはナメられてるって言うんだよ……」
「あー、イソ君ナメられそうな性格してるもんね」
「ワオ」
軽口を叩いて笑い合っていると、聞き覚えのある声が後ろからかかる。ぽつりとつぶやくような喋り方なのに彼女の声は不思議とよく通る。
「五十(イソ)先輩」
振り向くと、やはりそこにいたのは文芸部の後輩のアオオニ、青目悠(アオメ ユウ)だった。校舎裏は風が強く、彼女の銀の髪が強く撫でられる。青目は髪を手櫛で直す。高校一年の女子にしては背が高く、視線の高さはほぼ俺と同じくらいだ。黒縁のハーフリムの眼鏡を通して、その視線が俺を射抜く。心なしか、いつもより温度が低い気がする。
「部活行きましょう」
その誘いに驚く。彼女がそんなことを行ってきたのは付き合いの中で初めてだったからだ。なにか部で大事な決め事でもあっただろうか、と考えながら言葉を返す。
「あー、うん、掃除終わったら行くよ」
「いいよいいよ、後は私がやっとくから、行ってらっしゃい」
突然横から明るい声が会話に割り込む。見ると、先程までサボる気満々で俺に話しかけていたはずの子が箒片手にせわしなく動いていた。その目はなぜか先程よりも輝きを増している。青目が少し驚いた顔をして、申し訳無さそうにペコリと頭を下げた。二人の間でなんらかのコミュニケーションが成立したようだ。女子はそういうとこがあるなあとぼんやり思っていた俺の制服の襟首がむんずと掴まれる。
「行きましょう」
「いや行くから、引っ張るのやめて……」
「がんばってねー」
特に頑張るような部活でもないのだが、と思うものの、気を抜くと足がもつれそうになって喋れない。引っ張られていく俺の視界で、メロウがよからぬ事を考えている時特有のにやにや笑いがどんどん遠くなっていった。
◆ ◆ ◆
「タップタップ」
そう言って彼女の肩をぽんぽんと叩くと、青目は渋々といった様子で俺を解放してくれた。
「ご先祖様が見えたわ」
「謝ってきましたか?」
「なんで不孝者であることが前提なの?」
ようやく自分の足でちゃんと歩ける事に安心しつつ、青目に並ぶ。部室のある南棟へは渡り廊下を歩かなければならず、冷え込むこの時期は少し辛い。横を見ると青目もニョッキリと生えた二本の角をさすっている。
「角って感覚あるんだ」
「……なんでですか?」
妙な間があり青目が怪訝そうに言う。今ちょうど角に触れている彼女の青く細い右手を指さしながら言った。
「いや、寒そうにさすってるし」
「……ありますけど」
「ふーん」
何気なくするりと撫でてみる、と。
「ふああっ」
青目が聞いたこともない声をあげてびくっとのけぞった。思わぬ反応にパッと手を離す。よく考えてみれば人間の女の子の頭をいきなり撫でるような行為だ。心臓の鼓動が早まるのを感じながら謝る。
「ご、ごめん」
「……」
涙目になった青目に無言で睨まれる。渡り廊下に吹く風がバサバサと彼女のカーディガンをはためかせ、異様なプレッシャーを与える。言葉を探している俺を置いて青目がすたすたと歩いていってしまった。怯えつつ立ち止まってそれを見ていると彼女がくるりと振り返って「早く来てくださいっ」と怒る。すっかり混乱しながらも追いついて声をかけた。
「ちょっとデリカシーというか、なかったな。ごめんね」
「……先輩の弱点も教えてください」
「両腕を破壊すると真ん中のコアが赤く、ちょっと待ってほんとに壊そうとしないで」
関節をこう、などと言いながら俺の腕をぺたぺたと触ってくる青目を慌てて止める。真面目に考えてみたが、弱点と言われてもそうそう思い浮かばない。
「弱点ねえ、パッとは出てこないな」
「梅干しとか苦手でしょう」
「あ、そういうのでいいんだ。ていうかよく知ってるな」
「……」
話したことあったかなと記憶を探る俺の言葉はなぜか無視されてしまった。一階の端にある部室にいつの間にかついていて、青目が先導して引き戸を開けた。
「やー」「どーも」とダンピールの部長と人間の一年の男から声が掛かる。こちらも「うーす」「こんにちは」と二者二様の挨拶を返して定位置に座る。毎日部室に来るのはこの四人くらいで、残りの十人の部員は各々気が向いた時に顔を出すくらいだ。出席が義務になっていないその気楽さが俺は気に入っていた。
話し合いなどで全員が集まった時には狭苦しさを感じる部室も、今はゆったりと使える。大テーブルに鞄を投げ出すと、前にコーヒーが置かれる。ダンピールの部長がニコニコとしながら四人分の紙コップを配っていた。お礼を言ってありがたく頂く。体が冷えていたからか、熱い液体が食道を通って行くのがいつもよりもはっきりと分かった。
席に戻った部長が「そういえば」とまた忙しなく立ち上がる。
「部内誌が刷り上がったよ。明日皆に配るけど、君たちには先に渡しておくね」
そう言って緑色のシンプルな装丁の冊子を俺と青目の二人に渡す。
「しののめ」と題されたその部内誌は、文字通り部員だけに渡される作品集で、部員全員の作品提出が義務付けられている。各々書く内容は自由なので、小説から短歌まで雑多な収録内容となっている。文芸部の少ない活動内容の一つで、他の活動といえば学芸祭に有志で作品集を出すくらいである。
ちなみに今冊子を渡してきたダンピールのこの部長は、学年の中で一番頭がいい生徒らしい。それに比例しているかはわからないが、彼女の書く作品はとても面白い。俺は参加していないからわからないが、学芸祭に彼女の作品目当てでやってくる人も過去にいたそうだ。
しかし、青目は冊子を受け取ると、部長の書いた小説の載せられたページを飛ばし、いそいそと誰かの名前を探している。「伊原喬(イハラ タカシ)」という人物が書いた短い小説を見つけるとページを繰っていた指がピタリと止まる。
伊原喬という名前の生徒はこの文芸部にはいない。いわゆるペンネームというやつだ。十四人の中の誰かではあるが、それを探るのはマナー違反になっている。部内誌では作品提出時にペンネームを使うか実名を使うかがそれぞれの裁量に任されていて、俺はなんとなく恥ずかしいのでペンネームを使っていた。青目は実名を使っていて、今回は短歌を二十首提出していた。前に実名を使う理由を尋ねたところ、「ペンネームを考えるのがめんどくさいから」という答えだった。真面目そうな第一印象に反して、彼女は時々ずぼらというか、大胆な一面を見せる。
小説を読み耽る青目の様子を見て部長が笑う。
「伊原喬、好きだねえ」
「はい、す、きです」
なぜかつっかえながらそう答える青目。俺はその様子を複雑な気分で見ていた。パラパラと読んだが、俺にはその掌編小説がとても面白いとは思えなかったからだ。しかし彼の書く話を読んでいる時の青目の表情はいつもとは違い、とても柔らかなものになる。
それを見ている俺の視線に気付いたのか、青目がじとっとした目で見つめ返してくる。
「なんですか」
「なにも……」
「やるんですか」
「なんでトップギアでキレてんだよ……」
小競り合いをする俺たちを部長と後輩がまあまあとなだめる。いつもの部活の風景を繰り広げながら放課後が過ぎていった。
◆ ◆ ◆
部室の前で部長と後輩の男と別れる。一緒に帰っていくのを見るとどうやら二人は付き合っているらしい。後輩の男は目立つタイプではないが、気配りができて、いつもニコニコと笑っている。いい奴だ。さすが見る目があるといったところだろうか、とマフラーを巻いたり帰る準備をしながら上から目線で考えていると、くいと服の裾を引っ張られた。
青目が人差し指と親指で俺の服をつまんでいる。
「帰りましょう」
「うー」
「うーって……」
「あー」と声にならない声をあげながら青目と並んで歩く。バラバラに帰ることもあるが、暗くなるのが早くなった最近では彼女を送って行くことが多くなった。それに今日は家に寄って貸す約束をしたものもある。校門を抜けると日はすでに落ちていた。部活帰りの生徒たちが、風が吹くたびに悲鳴をあげている。
「寒い」
「寒いですね」
珍しくまともに同意してくれたな、と思っていると、彼女がリュックからカイロを出して俺に差し出す。
「どうぞ」
「いいよ、使いな」
「もう一個ありますから」
「そっか……ありがとう」
頑なに断ってもしょうがない、とお礼を言って受け取る。包装を破りカサカサと袋を振ると中の鉄が冷たい空気を奪い、じんわりと熱を帯びていった。両手で熱源を握りしめていると青目がその代わり、と言ってきた。
「マフラーと交換しましょう」
「へっ」
「開けましたよね?」
「開けたけど……」
「返品不可能です」
「フェアなトレードじゃない……」
そう言いつつもしゅるしゅるとマフラーを解いて彼女に渡す。女の子が体を冷やすといけないし、という理屈で自分を納得させようと苦心している間にも、彼女はその首にマフラーを巻いていく。
自分が先ほどまで巻いていたものを身につけて嫌じゃないのだろうかと思い、見てみると、青目は珍しく機嫌が良さそうに笑っていた。カイロ一個でマフラーを手に入れることができたのだからまあ機嫌も良くなるのだろうか。
文芸部らしく、絶版になってたあれが、新訳であれが、短篇集で収録作品が被っててあっちのほうが、などという会話をしながら夜道を歩いて行く。しばらくすると俺の家が見えてきた。
「取ってくるから、ちょっとここで待っててな」
「はい」
そう言ってドアノブを開けようとした瞬間、こちらに向かって扉が迫ってくる。慌てて飛び退くと玄関から母親が出てきた。
「あぶっ」
「あら、お帰り」
悪びれもせずにそう言ってくる母、ちらと青目の方を見るとにんまりと笑って彼女に話しかける。青目が慌てて頭を下げた。
「あらあ、こんばんは」
「は、初めまして、部活の後輩の青目といいます」
「私出かけるからお構いできないけどごめんねえ、ゆっくりしていってね」
「へっ」
驚く青目を尻目に母はこちらに話しかけてくる。
「母さん友達とご飯食べてくるから。お茶の場所わかるよね?」
「いや、わかるけど……外で待っててもらうつもりだったんだけ痛い」
やんわりと説明しようとした俺の頭がすぱんと叩かれる。
「あんたこの寒い中女の子を外で待たすってどういうつもりなの。ほら上がってもらいなさい」
一理ある説教をされて何も言い返せなくなってしまう。俺と青目を玄関に押し込み、母は車に乗って行ってしまった。
残されてしまった俺と青目が目を合わせる。ここで突っ立ていてもしょうがない。俺は廊下の明かりをつけてスリッパを出し、段差のある玄関を上がるように促す。
「まあ、お茶くらいは出すよ、どうぞ」
「お邪魔します……」
居間に通すと、貸したマフラーを解いて畳んでいる青目から「あの、お母さまはなんで」という疑問の声が上がった。「なんで男一人の家に女の子を上げることを許したのか」という意味だろう。戸棚からカチャカチャとティーポットを出しながら言葉を探すが、そのままに言うしかないことに気づいた。それは、多分。
「彼女だと思ったんじゃないかな」
「彼女」
「……悪いね」
「い、え……」
気まずくて顔を見ることができないが、残念ながらお茶の準備が終わってしまった。ソファに座っている青目に紅茶を差し出すと、彼女は俯きながらそれを一口飲んで、また置いて、また飲んで、もじもじと手をすり合わせている。俺が貸すべきものを貸そうと二階の自分の部屋に行こうとしたのを察したのか、彼女がパッと顔を上げた。
「あ、の」
「おお、本取ってくるから待ってて」
「先輩の部屋を、見て、みたいんですけど……」
「いや、それは」
「駄目ですか?」
さすがにそれはまずいのでは、と断ろうとしたが、眼鏡の奥の瞳が気弱げに揺れているのを見て言葉が詰まる。見られては困るものはないよな、と一瞬で思考を巡らして、彼女のティーカップをお盆に乗せる。再び俯いていた青目の顔が上がる。ついでに高そうなチョコレートが台所にあったのでそれもお茶うけにとお盆に乗せる。
「面白いものはなんもないよ?」と行って立ち上がった彼女に先導する。階段を上がって右側にある扉を開ける。
「座布団とかないから床でごめんな」
「大丈夫です」
お盆を床に置き、制服をベッドに脱ぎ捨て、シャツも脱ぎ、Tシャツと学生ズボンという服装になる。適当に座ってくれればいいのだが、と立ったままの青目を見ると、じっとこちらを見ている。なんとなく気恥ずかしくなって、冗談めかして言う。
「これ以上は脱がないよ」
「……」
無言でぷいと目を逸し、背中で組んだ手を開いたり閉じたりしている。いつもならば罵声の一つや二つ飛んできてもいい場面で、この反応は明らかにおかしい。気まずい空気を変えようと目当ての本を本棚から取り出した。
「ほい、これ」
「あ、ありがとうございます」
渡したのは青目が入学する以前に出された「しののめ」のバックナンバー、伊原喬の作品が載っているものだ。そのファン精神のようなものに思わず呆れてしまう。
「ほんとに好きだな」
「は、はい。好き、です」
またどもりながらも俺の言葉を肯定する青目。その口調で言われるとなぜだかドキドキしてしまうのでやめてほしいのだが、当の彼女はそんな事に気づくはずもなくようやく床に座り、本を大事そうにリュックにしまいこむ。封を開けて差し出すと、おずおず個別の包みを剥がしてチョコを食べながら青目が尋ねてきた。
「先輩は好きじゃないんですか?」
「……んー、まあ、そんなに、というか」
言葉を濁しながらそういえば、と思い出す。
「そういや咲原(サキハラ)さんにしののめ見せたら面白いって言ってたな、今日校舎裏で会ったメロウの。魔物娘にうける作風なのか、ね……」
「恋愛小説じゃないからアレだけど」という括弧付きだったことを思い出しながら苦笑して青目を見ると、その雰囲気が先ほどまでと一変していた。じとっとした目でこちらを見つめるその視線は限りなく冷たい。いつも通りといえばいつも通りで少しほっとしたのだが、「デレデレしちゃって……」と言われてしまっては黙っているわけにもいかない。
「してないよ」
「してました」
「俺は心を持たない冷たいマシーンなのでやましい気持ちを持ったことは一度もありません」
「……」
ぺたんと女の子座りをしていた青目がするするとスカートをたくしあげる。
「うわー!エロ!い……」
露わになっていく艶めかしく青い彼女の太ももからはっと目を上げると、呆れたような顔でこちらを見ている後輩と目があった。しばしの間があって言う。
「ソウカ、コレガ……『ココロ』……」
「……おめでとうございます」
祝福の言葉とは裏腹に、彼女の表情は未だに不機嫌なものであった。いや、それだけではない。よく見るとその青い顔に微かに朱が差しているような。
「……恥ずかしがるくらいならやるなよ」
「……」
指摘され、自分の顔が赤くなっていることに気付いたのか、ますます彼女の顔が真っ赤になり眼鏡が曇らんばかりになる。冗談で流そうとしたが、普段の彼女ならこんなことは絶対にしない。重なる違和感にとうとう声を出す。
「お前、今日なんか変だぞ、風邪?」
ここで風邪くらいしか理由が思いつかない自分のボキャブラリーが情けなくもあるのだが、対する青目もこの言葉が気に入らなかったようだ。はああ〜とため息をついてチョコを一気に口に放り込む。
「なんでもないです」
「そ、そうか……」
気付けば彼女の前には開けられた包み紙が二枚三枚と重ねられていた。気難しい猛獣を餌付けしている気分になり、「たんとお食べ……」と思いながらザラザラと彼女の前に新たにチョコを追加してやる。
「いま何考えてますか」
「気難しい猛獣を餌付けしている気分になっている」
「……正直なのは先輩のいいところです」
そう言いながらチョコを次々に放り込む青目。美味しそうだったので俺も一つ食べてみたのだが、なにか癖のある味に顔をしかめる。
「あ、ウイスキー入ってんのかこれ」
苦手な味で、恐らく家族の中にも好んで食べる者はいないだろう。長らく家に置かれていた理由に思い至り、青目に全部食べてもらうか、と考えていると、横から「ひっく」というしゃっくりのような声が聞こえてきた。
「あはは」
「……おい?」
見ると、青目が花の咲くような満開の笑顔でにこにことしている。初めて見る表情だった。それだけならば「いいものが見れた」で済むのだが、明らかに彼女の様子がおかしい。首まで紅潮して、目がとろんとなって、これは。
「……弱すぎない?」
「弱くないですよお〜強い……強い!とう!」
「なんて厄介なんだ……」
コミュニケーションがうまくいかない。青目は明らかに酔っていて、じりじりとこちらに寄ってきて「てい!」と言いながら脇腹をぐりぐりとこすってくる。力が入っているわけではないので痛くはないが、くすぐったい。そしてやめてくれない。
しばらく手をどけてはまた脇腹を撫でられて、というやりとりを繰り返していたが、突然俺の手がぱし、と青目に握られる。暖かい。にへらと笑ってこちらを見る青目のその肌は上気していて、色っぽいと思ってしまった。ぶんぶんと首を振って、介抱をしようと席を立つ。
「とりあえず水か……?どうすりゃいいんだこれ」
「うう〜ん」
『これ』呼ばわりされても怒ることはなかったが、力が抜けたように青目が横になってしまった。もぞもぞとカーディガンとブレザーを脱ぎ捨てる。膝を立てるのでスカートの中身が覗きそうになる。
「ばか、おまえ……」
「ばかじゃないですぅ〜ばかなのはせんぱいです……」
とりあえず毛布を掛けようとしたが、このまま寝てしまうようなら硬い床だとよくないのではと、あわあわしながらも考えて彼女に声をかける。
「おい、寝るならベッド貸してやるからそこで寝ろ、起こすぞ」
「ふぅ〜……?」
だらんとした彼女の腕を首に回し、膝のしたに手を通す、いわゆるお姫様だっこだ。彼女の体は思ったよりもずっと軽く、ひょいと持ち上がってしまう。「んぅ〜♪」と青目が顔を胸にこすりつけてきて、思わず鳥肌が立つ。普段近くにいると香る彼女の匂いがいつも以上に濃い。
思わず反応しかけた愚息をいさめ、彼女をベッドに横たえた。毛布をかけようとそこから離れようとすると、いきなり彼女にグイと右手を引っ張られた。
体勢を崩し、彼女に覆いかぶさる形になってしまう。手をついたので衝突は免れたが、これ以上ないというほど彼女の顔が近くにある。金色の瞳が潤み、湖に映る月のように揺れている。
「……近い!」
ジョークですまして離れようとしたが、いつの間にか彼女の腕が俺の背中に回っていた。引き寄せるように力が込められる。
「こうすると、もっと近いですよ……」
アオオニの力に人間が勝てるはずもない。つっかえ棒の役割を果たしていた俺の腕が力に従って曲がり、彼女の大きく育った胸の谷間の部分に顔が押し込められてしまう。シャツ越しとはいえ、その柔らかさがはっきりと伝わる。
「さすがに……酔いすぎ!離せ!」
「んっ、あっ……んん……」
俺の言葉を無視してもぞりもぞりと青目が身をよじる。もしかしたら、胸に息が当たることに微かな快感を覚えているのかもしれない。しかし息をしないわけにもいかず、そのままの姿勢で説得じみたことを言う。
「お前な、後で後悔するのはお前……」
「ふふっ」
ぎゅう、と俺の顔を胸におしつけぐりぐりと動く青目、いつもより上擦った声で彼女が言う。
「酔ってますけど……んっ、これをチャンスだと思うくらいには、ふう……酔ってないです」
「……?」
彼女の匂いに当てられて鈍りつつある思考を回転させる俺を見て、クスクスと青目が笑う。出来の悪い生徒に答えを教えてあげるような口調で言った。
「先輩に、気持ちを伝えるチャンスです……」
「は!?」
突然圧迫から解放され俺は体を起こす。青目はずりずりと体を動かし、俺の顔と自分の顔が同じ位置にくるように調整した。そっと両手で頬を包まれる。はっ、はっと荒い吐息が顔に当たる。
「なんで、私が伊原喬の小説が好きなのか教えてあげましょうか」
「あ、ああ」
「好きな人の書いた小説だからです」
「なんで、おまえそれいつから……んむぅっ!?」
「んんっ……ちゅぅっ…んっ…んふふっ…」
ほぼ無いに等しかった俺と青目の距離が今度こそゼロになった。彼女の唇はぷにぷにと柔らかく、俺の下唇を挟むように何度も啄んでくる。青目の目が嬉しそうに歪んで、微かな甘みが俺の口内に広がる。チョコの味だろうか。青目の味だろうか。ぺろ、と唇を舐めて青目が言う。
「なんでかと言われたら……んっ、なんとなくです、好きな人の書く話くらい、ちゅっ、わかります……いつからかは、最初からです」
言葉の最中にも何度か口づけをされる。情報量が多すぎて蕩けそうになってしまっている脳ではなかなか処理できないが。それはつまり。
酔っていても冷静さのかけらは残っているのか、青目が俺の考えを先回りする。
「そうです、初めて会った時から、先輩が好きです……好き……大好き…」
抱きしめられてすりすりと頬ずりをされる。眼鏡のフレームがカチャカチャと当たるが彼女はそれがまったく気にならないくらい夢中になっているようだ。未だ混乱からは抜け出せていないが、俺の体の奥からじわじわと喜びが沸き上がってきていた。
俺も青目のことが好きだったからだ。しかし彼女の態度は脈ありの男に見せるものとはとても思えず、友達の関係を続けられていけばいいと思っていた。自分が伊原喬だと名乗らなかったのも、彼女をがっかりさせてしまうのが申し訳なかったから。
ハッと気付き身を起こす。彼女はそれを嫌がるように腕に力を込めたが、俺の目を見て放してくれた。言わなければならないことがある。
「青目さん、俺もあなたのことが好きで」
す、と言い切る前に視界の天地が逆転していた。一瞬の衝撃の後、俺は馬乗りになった青目を見上げる姿勢になっていた。蕩けた笑顔だが、目からは涙がぽろぽろと溢れていて、不思議な表情だった。俺はそれを綺麗だと思った。ふふ、と笑いながらネクタイを解いてシャツのボタンをぷちぷちと外していく。オレンジのチェックの柄のブラジャーが見えたが、後ろに回された手でそれもすぐに外される。弾かれたように青く大きな二つの果実がぷるんと揺れた。パサ、とブラを脱ぎ捨てる。残った白いシャツが微かに胸を隠し、それが逆に卑猥さを助長していた。
ごくり唾を飲んで彼女の肢体に魅入られる、が、それと同時に気になることがあった。
「いまのどうやったの……」
「ふふ、ふふふ……」
「ふふふって……」
もはや言葉も通じていないようだった。彼女の目は欲望に染まりきっていて、頬はアルコールとは別の理由のために紅潮している。彼女の体がゆっくりと倒れてくる。顔が近づき、唇が触れる。しかしそれは先程の口づけとはまったく違ったものだった。
「じゅるるっ」
「!? んんっ〜〜!」
彼女の舌がにゅるりと俺の口の中に入ってきた。ぐちゅぐちゅと中を掻き回される。舌同士が触れ合うと、青目は目当てのものを見つけたかのように好色気に顔を歪め、それを絡ませ合う。時折、じゅっ、じゅっという音が響く。俺の唾液が吸われているのだろうか。いつしか俺も彼女の水を欲して、積極的に舌を動かすようになっていた。お返しのように彼女の口に舌を入れ、上顎を舐めると、彼女の体がブル、と震える。
口づけを続けながら、青目の右手が俺のTシャツをまくりあげる。直接胸をこすりつけるようにもぞもぞと動く。彼女の膨らみの頂点にある突起が硬くなっていく。快感が増したのか、青目から鼻にかかった甘い声が漏れるようになっていた。
ふと、体中を這いまわっていた彼女の手が俺の乳首に触れ体が跳ねてしまう。一瞬きょとんとした青目だったが、どういうことか理解し、にいと喜色に顔を歪める。
「ちゅっ」
「うあ゛っ」
「……弱点、みつかりましたね」
彼女に乳首を舐められ思わず声が出る。にやにやと笑いながら、彼女は乳首のまわりをくりくりと舌でなぞった。猫のようにぴちゃぴちゃと舐められるたび悶えるような快感が体を走り、自分でも戸惑うくらいだった。彼女が動く度にぺたぺたと当たる眼鏡のレンズの感触さえ今は不思議と快感に変わっていく。
「もうやめっ」
「じゅるるるるっ」
はしたない音を立てて乳首が吸われる。「ぷは」と顔を上げた青目の唇は俺の胸と同じく唾液にまみれてぬるぬると光っている。
すでに俺の愚息は限界を迎えそうになっていた。青目も似たような状態なのか時々俺の股間の膨らみをさすり、物欲しそうに目を覗きこんでくる。頷くと、ジィとチャックを開けた。跳ねるように飛び出したものを掴むと蕩けた表情になる。
やわやわと全体を形を確かめるように触った後、身を起こし、右手でスカートをたくしあげる。ブラと同じ柄のショーツが覗いた。くち、と音がする。ブラと違うのは、青目からあふれた淫液で濡れ、その色を濃くしていることだ。
左手でショーツをずらすと、ぬらぬらと光る秘裂が見えた。俺の亀頭の先端に触れようとしている。ぐじゅ、と性器同士がこすれる音がする。青目が目をつむって耐えるように震えた。フゥゥ、と熱っぽい息をついて俺に言う。
「いき、ますね」
「お、お」
青目がこちらを見ながらゆっくりと腰を下ろす。その表情は、俺の書いた小説を読むときの優しい彼女の顔に似ていた。引っ掛かりに触れ、胸に置かれた彼女の両腕が震えた。一瞬の躊躇の後、一気に腰を下ろした。
「ぐ、あっ……!」
「ふっ、あっあっんんんんっ」
膜を破る感触の後にやって来たのは今までの人生で経験したことのないような快感だった。亀頭が奥の肉にくちゅりと触れた瞬間、熱い膣肉が一気にすぼまって、ペニス全体を揉み込むようにうごめく。
その凄まじさは、青目を気遣うべきだということを一瞬忘れかるけるほどであった。胸に置かれた手がぎり、と動くその痛みで我に返り、彼女の顔を見る。目の焦点が俺を見ているようで、どこにも合っていない。口は半開きになっていて、見ているだけで男の興奮を誘うような淫靡な表情だった。
「……だいじょう、ぐっ!?」
「あっ、うごいちゃ、だめ、あっあああっ」
青目が自分の体を両腕で抱きしめるようにして震えると同時に媚肉も激しくペニスを刺激する。どうやら青目は絶頂のさなかにいるようだった。肉ひだが竿をぐじゃぐじゃと撫で、子宮口に亀頭が触れる。とうに限界を超えていたが、今の衝撃で本当の限界が訪れる。
「で、るっ」
「だめえ!いまだしちゃ、あ!でてる、でてるぅっ、うあっ!んんんっ」
とくとくと彼女の膣内に精液が注がれる。ビクビクと痙攣して、力が入らず腕で支えることもできないのか青目がこちらに倒れてくる。俺が背中に腕を回すと、彼女も俺の肩を握り、お互いにしがみつくようにして絶頂の波に呑まれた。青目に触れている肌から彼女の体が脈打つのが伝わる。何度か震えた後、くたりと全身の力を抜いた彼女は俺に身を預けながら「しあわせ……」とぽつりと呟いた。
俺は息があがっているため声も出せないが、彼女の髪を撫でることでそれに同意してやる。青目が俺の胸に頬ずりをすると髪の先がすれてくすぐったい。
確かに幸せな体験だった、快感が強すぎるため何度もやると脳が焼き切れてしまうかもとすらおもえ「まだいけますよね」まだいけますよね。
青目がむくりと体を起こす、その瞳には先程まであったはずの理性のかけらのようなものすらなく情欲で濁りきっている。獲物を見る捕食者のようなその顔は初めて見るもので、まだまだ知らない彼女の顔がたくさんあるなと人事のように思っていると、ぱん、と肌同士がぶつかりあう音がした。
ぱんっぱんっと青目が上下に腰を動かす。挿入するだけで射精にまで導かれた魔物の膣肉で激しくペニスがしごかれる。先ほど予想した通りの脳の神経が焼き切れるような快楽がそこにはあった。
「……!!」
「あはあっ、き、きもちっ、きもちいいっ!おちんちん!すごいっ!おちんちんもっとぉ!」
あの青目があんな淫らな言葉を、と脳のまだ機能している部分が考えるが、快感が許容量を超えて声を出すこともできない。青目の腰はいまやぐちゅぐちゅと水音を立てながら上下左右にグラインドを繰り返し自由自在にくねくねと動いている。
このままでは本当に死んでしまうかも、という恐怖が頭をよぎった。逃れるためには死ぬより先に彼女を満足させるしかないと考え、力を振り絞り身を起こして、対面座位のような体勢をとった。夢中で俺を貪っていた青目の瞳にわずかに理性が戻る。
「せんぱ……?あっやっツノ!ツノだめぇ、ほんとにおかひく、は、あ゛っ」
角にカリと歯を立てた。彼女になにか言う間も与えず尻を持って揺するように腰を振る。
「あああっ、ひ、しんじゃうっきもちよすぎえっ、ひんじゃうぅ」
呂律も回らなくなり、ぽろぽろと涙を流しながら口からは涎をぽたぽたと落とす青目。こんな姿を見れるのは俺だけだと思うと、優越感と、彼女に対する深い慕情の念が湧き上がる。歯を立てるだけでなくやさしく舐めあげると、彼女の膣はさらにきゅうきゅうと締り、嬌声がひときわ高く大きくなる。無理をした俺にも、限界が間近に訪れていた。
「げん、かい……!でるっ……!」
「なかぁっ、なかにだしてぇっ!ツノ、いじめられながら、おまんこにせーしほしいっ」
言われた通り彼女のツノを甘噛みしてやる。こちらを抱きしめる青目の力が強くなった。尿道を精液が駆け上るのを感じる。
「ぐ、あっ……」
「あああっ、ツノ、きもちっ、す、すきっだいすきっ、せいえきびゅーびゅーされて、イっちゃうぅ!」
先ほどよりも量の多い精液が出ているのがわかる。青目はぎゅうっと俺の体を抱きしめていたが、やがてその力が抜ける。彼女を支えながらゆっくりと仰向けに倒れる。揺らぐ視界が焦点を結ぶ。俺の体をよじ登るようにずりずりと動いてきた青目と軽い口づけを交わす。お互い照れたように笑い合って、ああ、忘れられそうにない最高の初体験だったと「さっきのもういっかい……」さっきのもういっかい。
青目がむくりと起き上がる。半笑いになって俺が言う。
「死んじゃう死んじゃう」
「私も死んじゃうくらい愛してます……」
「ちょっと意味が……あ…ほんとに死ぬかも……」
ゆるゆると青目が腰を振り始める。すき、だいすきと耳元で囁かれる愛の言葉を聞きながら俺の意識は薄れていった。
◆ ◆ ◆
ベッドの上に毛布でできた巨大な饅頭がある。それを前にして俺はどうしたものかと頭を捻っていた。
好き同士であったことがわかり、初めてを捧げあった俺達は、そのまま意識がなくなるまでお互いの体を貪りあった。というより俺の意識は早々に青目に刈り取られていたが。
目が覚めると彼女を家にあげてから三時間ほど経っていて、俺は親が帰ってきていないことにほっとしつつ横で俺の手を握り幸せそうに眠っていた青目を起こした。
その後気恥ずかしい雰囲気のままシャワーを一緒に浴びて、部屋を片付け、さて親御さんも心配しているだろうし青目を送っていこうという段になって、青目が毛布をもそもそとまとめ始めて、なにをするかと思っていたらその中に篭ってしまった。
声をかけてもうんともすんとも言わず、それから二十分が経つ。
「……鬼入り饅頭」
『……銘菓みたいに言わないでください』
中からくぐもった声が返ってきた。コンタクトに成功したことに驚きつつ声をかける。
「出てきてよ」
『もうこのまま一生を過ごします……』
「ここ俺の部屋なんだけど……」
嫌な同棲だなと言うと、同棲という言葉に反応したのかピクンと球体が震えた。どうやら酔っ払っていた先ほどの記憶をすべて覚えていて、それを恥じているらしい。はあとため息をつき言った。
「出てこないとデートもできないけど」
ガバ、と青目が跳ね起きた。ぼさぼさになっている髪を手櫛で整える。
「デート……」
「付き合ってるんだから、そのうちどっか行こう」
「付き合ってる……」
「嬉しかったよ、好きって言ってもらえて」
オウム返しのように単語を呟く彼女に言葉を返す。胸の前で手を組んでいた青目が意を決したようにこちらを見る。
「あ、の」
「ん?」
「酔ってない時にも言っとかなきゃ、と思って」
「うん」
「好き、です」
「うん、俺も好きです」
「……!!」
青目がウイスキー入りのチョコを一つ口に入れこちらに抱きついてきた。
「ちょっと待ってなんで今アルコール入れたの」
「こっちのほうが素直になれるからです。先輩好き!大好き!」
一個程度ならば乱れる心配もなさそうだと、ほっと胸を撫で下ろした。
幸せそうに目をつぶり、青目が顔を寄せてくる。彼女の髪を撫でながら俺たちは甘い口づけを交わした。
突然そんなことを言われて落ち葉を掃く手が止まってしまう。顔を上げると、キラキラした顔で同じクラスのメロウがこちらを見ていた。俺は再び視線を落として掃除を再開する。
「どうもこうも」
「えー」
でもでも、と彼女が前のめりで食ってかかる。「掃除をしなさい……」とお婆ちゃんのように優しく諭すも、もはやその手には掃除用具が握られてすらいない。
「帰りとかいっつも一緒じゃん。弓道場からよく見かけるんだよねえ」
「弓道部だっけ」
「うん、そう。これでも段持ちなんだから」
「水泳したらいいのに」
「マーメイド種が泳いだらぶっちぎっちゃうじゃん」
「それもそうか」
「あはは、ってそんなことはどうでもいいのっ」
話を逸らすことに失敗し内心ため息をつく。どうやらある程度の申し開きをしないと許してもらえなさそうだ。
「帰り道がいっしょだからだよ、部活で遅くなった時に送ってんの」
「文芸部なのにそんなに遅くまでなにやってるの?」
「なにもやってない……」
「なにそれ」
なにそれと言われても、実際に何もやっていないのだからしょうがない。話題に出てきたそのアオオニや他の部員と仲良くおしゃべりしているだけなのだが、その事を言うと変に曲解されて彼女の野次馬魂に火をつけてしまいそうなので黙っておく。
宙空を見上げ言葉を選んで喋る。
「まあ、よく話はするけど、というかあっちも別になんとも思ってないんじゃないかな」
「そうかなあ、先輩後輩の関係だけには見えなかったけど」
「あれはナメられてるって言うんだよ……」
「あー、イソ君ナメられそうな性格してるもんね」
「ワオ」
軽口を叩いて笑い合っていると、聞き覚えのある声が後ろからかかる。ぽつりとつぶやくような喋り方なのに彼女の声は不思議とよく通る。
「五十(イソ)先輩」
振り向くと、やはりそこにいたのは文芸部の後輩のアオオニ、青目悠(アオメ ユウ)だった。校舎裏は風が強く、彼女の銀の髪が強く撫でられる。青目は髪を手櫛で直す。高校一年の女子にしては背が高く、視線の高さはほぼ俺と同じくらいだ。黒縁のハーフリムの眼鏡を通して、その視線が俺を射抜く。心なしか、いつもより温度が低い気がする。
「部活行きましょう」
その誘いに驚く。彼女がそんなことを行ってきたのは付き合いの中で初めてだったからだ。なにか部で大事な決め事でもあっただろうか、と考えながら言葉を返す。
「あー、うん、掃除終わったら行くよ」
「いいよいいよ、後は私がやっとくから、行ってらっしゃい」
突然横から明るい声が会話に割り込む。見ると、先程までサボる気満々で俺に話しかけていたはずの子が箒片手にせわしなく動いていた。その目はなぜか先程よりも輝きを増している。青目が少し驚いた顔をして、申し訳無さそうにペコリと頭を下げた。二人の間でなんらかのコミュニケーションが成立したようだ。女子はそういうとこがあるなあとぼんやり思っていた俺の制服の襟首がむんずと掴まれる。
「行きましょう」
「いや行くから、引っ張るのやめて……」
「がんばってねー」
特に頑張るような部活でもないのだが、と思うものの、気を抜くと足がもつれそうになって喋れない。引っ張られていく俺の視界で、メロウがよからぬ事を考えている時特有のにやにや笑いがどんどん遠くなっていった。
◆ ◆ ◆
「タップタップ」
そう言って彼女の肩をぽんぽんと叩くと、青目は渋々といった様子で俺を解放してくれた。
「ご先祖様が見えたわ」
「謝ってきましたか?」
「なんで不孝者であることが前提なの?」
ようやく自分の足でちゃんと歩ける事に安心しつつ、青目に並ぶ。部室のある南棟へは渡り廊下を歩かなければならず、冷え込むこの時期は少し辛い。横を見ると青目もニョッキリと生えた二本の角をさすっている。
「角って感覚あるんだ」
「……なんでですか?」
妙な間があり青目が怪訝そうに言う。今ちょうど角に触れている彼女の青く細い右手を指さしながら言った。
「いや、寒そうにさすってるし」
「……ありますけど」
「ふーん」
何気なくするりと撫でてみる、と。
「ふああっ」
青目が聞いたこともない声をあげてびくっとのけぞった。思わぬ反応にパッと手を離す。よく考えてみれば人間の女の子の頭をいきなり撫でるような行為だ。心臓の鼓動が早まるのを感じながら謝る。
「ご、ごめん」
「……」
涙目になった青目に無言で睨まれる。渡り廊下に吹く風がバサバサと彼女のカーディガンをはためかせ、異様なプレッシャーを与える。言葉を探している俺を置いて青目がすたすたと歩いていってしまった。怯えつつ立ち止まってそれを見ていると彼女がくるりと振り返って「早く来てくださいっ」と怒る。すっかり混乱しながらも追いついて声をかけた。
「ちょっとデリカシーというか、なかったな。ごめんね」
「……先輩の弱点も教えてください」
「両腕を破壊すると真ん中のコアが赤く、ちょっと待ってほんとに壊そうとしないで」
関節をこう、などと言いながら俺の腕をぺたぺたと触ってくる青目を慌てて止める。真面目に考えてみたが、弱点と言われてもそうそう思い浮かばない。
「弱点ねえ、パッとは出てこないな」
「梅干しとか苦手でしょう」
「あ、そういうのでいいんだ。ていうかよく知ってるな」
「……」
話したことあったかなと記憶を探る俺の言葉はなぜか無視されてしまった。一階の端にある部室にいつの間にかついていて、青目が先導して引き戸を開けた。
「やー」「どーも」とダンピールの部長と人間の一年の男から声が掛かる。こちらも「うーす」「こんにちは」と二者二様の挨拶を返して定位置に座る。毎日部室に来るのはこの四人くらいで、残りの十人の部員は各々気が向いた時に顔を出すくらいだ。出席が義務になっていないその気楽さが俺は気に入っていた。
話し合いなどで全員が集まった時には狭苦しさを感じる部室も、今はゆったりと使える。大テーブルに鞄を投げ出すと、前にコーヒーが置かれる。ダンピールの部長がニコニコとしながら四人分の紙コップを配っていた。お礼を言ってありがたく頂く。体が冷えていたからか、熱い液体が食道を通って行くのがいつもよりもはっきりと分かった。
席に戻った部長が「そういえば」とまた忙しなく立ち上がる。
「部内誌が刷り上がったよ。明日皆に配るけど、君たちには先に渡しておくね」
そう言って緑色のシンプルな装丁の冊子を俺と青目の二人に渡す。
「しののめ」と題されたその部内誌は、文字通り部員だけに渡される作品集で、部員全員の作品提出が義務付けられている。各々書く内容は自由なので、小説から短歌まで雑多な収録内容となっている。文芸部の少ない活動内容の一つで、他の活動といえば学芸祭に有志で作品集を出すくらいである。
ちなみに今冊子を渡してきたダンピールのこの部長は、学年の中で一番頭がいい生徒らしい。それに比例しているかはわからないが、彼女の書く作品はとても面白い。俺は参加していないからわからないが、学芸祭に彼女の作品目当てでやってくる人も過去にいたそうだ。
しかし、青目は冊子を受け取ると、部長の書いた小説の載せられたページを飛ばし、いそいそと誰かの名前を探している。「伊原喬(イハラ タカシ)」という人物が書いた短い小説を見つけるとページを繰っていた指がピタリと止まる。
伊原喬という名前の生徒はこの文芸部にはいない。いわゆるペンネームというやつだ。十四人の中の誰かではあるが、それを探るのはマナー違反になっている。部内誌では作品提出時にペンネームを使うか実名を使うかがそれぞれの裁量に任されていて、俺はなんとなく恥ずかしいのでペンネームを使っていた。青目は実名を使っていて、今回は短歌を二十首提出していた。前に実名を使う理由を尋ねたところ、「ペンネームを考えるのがめんどくさいから」という答えだった。真面目そうな第一印象に反して、彼女は時々ずぼらというか、大胆な一面を見せる。
小説を読み耽る青目の様子を見て部長が笑う。
「伊原喬、好きだねえ」
「はい、す、きです」
なぜかつっかえながらそう答える青目。俺はその様子を複雑な気分で見ていた。パラパラと読んだが、俺にはその掌編小説がとても面白いとは思えなかったからだ。しかし彼の書く話を読んでいる時の青目の表情はいつもとは違い、とても柔らかなものになる。
それを見ている俺の視線に気付いたのか、青目がじとっとした目で見つめ返してくる。
「なんですか」
「なにも……」
「やるんですか」
「なんでトップギアでキレてんだよ……」
小競り合いをする俺たちを部長と後輩がまあまあとなだめる。いつもの部活の風景を繰り広げながら放課後が過ぎていった。
◆ ◆ ◆
部室の前で部長と後輩の男と別れる。一緒に帰っていくのを見るとどうやら二人は付き合っているらしい。後輩の男は目立つタイプではないが、気配りができて、いつもニコニコと笑っている。いい奴だ。さすが見る目があるといったところだろうか、とマフラーを巻いたり帰る準備をしながら上から目線で考えていると、くいと服の裾を引っ張られた。
青目が人差し指と親指で俺の服をつまんでいる。
「帰りましょう」
「うー」
「うーって……」
「あー」と声にならない声をあげながら青目と並んで歩く。バラバラに帰ることもあるが、暗くなるのが早くなった最近では彼女を送って行くことが多くなった。それに今日は家に寄って貸す約束をしたものもある。校門を抜けると日はすでに落ちていた。部活帰りの生徒たちが、風が吹くたびに悲鳴をあげている。
「寒い」
「寒いですね」
珍しくまともに同意してくれたな、と思っていると、彼女がリュックからカイロを出して俺に差し出す。
「どうぞ」
「いいよ、使いな」
「もう一個ありますから」
「そっか……ありがとう」
頑なに断ってもしょうがない、とお礼を言って受け取る。包装を破りカサカサと袋を振ると中の鉄が冷たい空気を奪い、じんわりと熱を帯びていった。両手で熱源を握りしめていると青目がその代わり、と言ってきた。
「マフラーと交換しましょう」
「へっ」
「開けましたよね?」
「開けたけど……」
「返品不可能です」
「フェアなトレードじゃない……」
そう言いつつもしゅるしゅるとマフラーを解いて彼女に渡す。女の子が体を冷やすといけないし、という理屈で自分を納得させようと苦心している間にも、彼女はその首にマフラーを巻いていく。
自分が先ほどまで巻いていたものを身につけて嫌じゃないのだろうかと思い、見てみると、青目は珍しく機嫌が良さそうに笑っていた。カイロ一個でマフラーを手に入れることができたのだからまあ機嫌も良くなるのだろうか。
文芸部らしく、絶版になってたあれが、新訳であれが、短篇集で収録作品が被っててあっちのほうが、などという会話をしながら夜道を歩いて行く。しばらくすると俺の家が見えてきた。
「取ってくるから、ちょっとここで待っててな」
「はい」
そう言ってドアノブを開けようとした瞬間、こちらに向かって扉が迫ってくる。慌てて飛び退くと玄関から母親が出てきた。
「あぶっ」
「あら、お帰り」
悪びれもせずにそう言ってくる母、ちらと青目の方を見るとにんまりと笑って彼女に話しかける。青目が慌てて頭を下げた。
「あらあ、こんばんは」
「は、初めまして、部活の後輩の青目といいます」
「私出かけるからお構いできないけどごめんねえ、ゆっくりしていってね」
「へっ」
驚く青目を尻目に母はこちらに話しかけてくる。
「母さん友達とご飯食べてくるから。お茶の場所わかるよね?」
「いや、わかるけど……外で待っててもらうつもりだったんだけ痛い」
やんわりと説明しようとした俺の頭がすぱんと叩かれる。
「あんたこの寒い中女の子を外で待たすってどういうつもりなの。ほら上がってもらいなさい」
一理ある説教をされて何も言い返せなくなってしまう。俺と青目を玄関に押し込み、母は車に乗って行ってしまった。
残されてしまった俺と青目が目を合わせる。ここで突っ立ていてもしょうがない。俺は廊下の明かりをつけてスリッパを出し、段差のある玄関を上がるように促す。
「まあ、お茶くらいは出すよ、どうぞ」
「お邪魔します……」
居間に通すと、貸したマフラーを解いて畳んでいる青目から「あの、お母さまはなんで」という疑問の声が上がった。「なんで男一人の家に女の子を上げることを許したのか」という意味だろう。戸棚からカチャカチャとティーポットを出しながら言葉を探すが、そのままに言うしかないことに気づいた。それは、多分。
「彼女だと思ったんじゃないかな」
「彼女」
「……悪いね」
「い、え……」
気まずくて顔を見ることができないが、残念ながらお茶の準備が終わってしまった。ソファに座っている青目に紅茶を差し出すと、彼女は俯きながらそれを一口飲んで、また置いて、また飲んで、もじもじと手をすり合わせている。俺が貸すべきものを貸そうと二階の自分の部屋に行こうとしたのを察したのか、彼女がパッと顔を上げた。
「あ、の」
「おお、本取ってくるから待ってて」
「先輩の部屋を、見て、みたいんですけど……」
「いや、それは」
「駄目ですか?」
さすがにそれはまずいのでは、と断ろうとしたが、眼鏡の奥の瞳が気弱げに揺れているのを見て言葉が詰まる。見られては困るものはないよな、と一瞬で思考を巡らして、彼女のティーカップをお盆に乗せる。再び俯いていた青目の顔が上がる。ついでに高そうなチョコレートが台所にあったのでそれもお茶うけにとお盆に乗せる。
「面白いものはなんもないよ?」と行って立ち上がった彼女に先導する。階段を上がって右側にある扉を開ける。
「座布団とかないから床でごめんな」
「大丈夫です」
お盆を床に置き、制服をベッドに脱ぎ捨て、シャツも脱ぎ、Tシャツと学生ズボンという服装になる。適当に座ってくれればいいのだが、と立ったままの青目を見ると、じっとこちらを見ている。なんとなく気恥ずかしくなって、冗談めかして言う。
「これ以上は脱がないよ」
「……」
無言でぷいと目を逸し、背中で組んだ手を開いたり閉じたりしている。いつもならば罵声の一つや二つ飛んできてもいい場面で、この反応は明らかにおかしい。気まずい空気を変えようと目当ての本を本棚から取り出した。
「ほい、これ」
「あ、ありがとうございます」
渡したのは青目が入学する以前に出された「しののめ」のバックナンバー、伊原喬の作品が載っているものだ。そのファン精神のようなものに思わず呆れてしまう。
「ほんとに好きだな」
「は、はい。好き、です」
またどもりながらも俺の言葉を肯定する青目。その口調で言われるとなぜだかドキドキしてしまうのでやめてほしいのだが、当の彼女はそんな事に気づくはずもなくようやく床に座り、本を大事そうにリュックにしまいこむ。封を開けて差し出すと、おずおず個別の包みを剥がしてチョコを食べながら青目が尋ねてきた。
「先輩は好きじゃないんですか?」
「……んー、まあ、そんなに、というか」
言葉を濁しながらそういえば、と思い出す。
「そういや咲原(サキハラ)さんにしののめ見せたら面白いって言ってたな、今日校舎裏で会ったメロウの。魔物娘にうける作風なのか、ね……」
「恋愛小説じゃないからアレだけど」という括弧付きだったことを思い出しながら苦笑して青目を見ると、その雰囲気が先ほどまでと一変していた。じとっとした目でこちらを見つめるその視線は限りなく冷たい。いつも通りといえばいつも通りで少しほっとしたのだが、「デレデレしちゃって……」と言われてしまっては黙っているわけにもいかない。
「してないよ」
「してました」
「俺は心を持たない冷たいマシーンなのでやましい気持ちを持ったことは一度もありません」
「……」
ぺたんと女の子座りをしていた青目がするするとスカートをたくしあげる。
「うわー!エロ!い……」
露わになっていく艶めかしく青い彼女の太ももからはっと目を上げると、呆れたような顔でこちらを見ている後輩と目があった。しばしの間があって言う。
「ソウカ、コレガ……『ココロ』……」
「……おめでとうございます」
祝福の言葉とは裏腹に、彼女の表情は未だに不機嫌なものであった。いや、それだけではない。よく見るとその青い顔に微かに朱が差しているような。
「……恥ずかしがるくらいならやるなよ」
「……」
指摘され、自分の顔が赤くなっていることに気付いたのか、ますます彼女の顔が真っ赤になり眼鏡が曇らんばかりになる。冗談で流そうとしたが、普段の彼女ならこんなことは絶対にしない。重なる違和感にとうとう声を出す。
「お前、今日なんか変だぞ、風邪?」
ここで風邪くらいしか理由が思いつかない自分のボキャブラリーが情けなくもあるのだが、対する青目もこの言葉が気に入らなかったようだ。はああ〜とため息をついてチョコを一気に口に放り込む。
「なんでもないです」
「そ、そうか……」
気付けば彼女の前には開けられた包み紙が二枚三枚と重ねられていた。気難しい猛獣を餌付けしている気分になり、「たんとお食べ……」と思いながらザラザラと彼女の前に新たにチョコを追加してやる。
「いま何考えてますか」
「気難しい猛獣を餌付けしている気分になっている」
「……正直なのは先輩のいいところです」
そう言いながらチョコを次々に放り込む青目。美味しそうだったので俺も一つ食べてみたのだが、なにか癖のある味に顔をしかめる。
「あ、ウイスキー入ってんのかこれ」
苦手な味で、恐らく家族の中にも好んで食べる者はいないだろう。長らく家に置かれていた理由に思い至り、青目に全部食べてもらうか、と考えていると、横から「ひっく」というしゃっくりのような声が聞こえてきた。
「あはは」
「……おい?」
見ると、青目が花の咲くような満開の笑顔でにこにことしている。初めて見る表情だった。それだけならば「いいものが見れた」で済むのだが、明らかに彼女の様子がおかしい。首まで紅潮して、目がとろんとなって、これは。
「……弱すぎない?」
「弱くないですよお〜強い……強い!とう!」
「なんて厄介なんだ……」
コミュニケーションがうまくいかない。青目は明らかに酔っていて、じりじりとこちらに寄ってきて「てい!」と言いながら脇腹をぐりぐりとこすってくる。力が入っているわけではないので痛くはないが、くすぐったい。そしてやめてくれない。
しばらく手をどけてはまた脇腹を撫でられて、というやりとりを繰り返していたが、突然俺の手がぱし、と青目に握られる。暖かい。にへらと笑ってこちらを見る青目のその肌は上気していて、色っぽいと思ってしまった。ぶんぶんと首を振って、介抱をしようと席を立つ。
「とりあえず水か……?どうすりゃいいんだこれ」
「うう〜ん」
『これ』呼ばわりされても怒ることはなかったが、力が抜けたように青目が横になってしまった。もぞもぞとカーディガンとブレザーを脱ぎ捨てる。膝を立てるのでスカートの中身が覗きそうになる。
「ばか、おまえ……」
「ばかじゃないですぅ〜ばかなのはせんぱいです……」
とりあえず毛布を掛けようとしたが、このまま寝てしまうようなら硬い床だとよくないのではと、あわあわしながらも考えて彼女に声をかける。
「おい、寝るならベッド貸してやるからそこで寝ろ、起こすぞ」
「ふぅ〜……?」
だらんとした彼女の腕を首に回し、膝のしたに手を通す、いわゆるお姫様だっこだ。彼女の体は思ったよりもずっと軽く、ひょいと持ち上がってしまう。「んぅ〜♪」と青目が顔を胸にこすりつけてきて、思わず鳥肌が立つ。普段近くにいると香る彼女の匂いがいつも以上に濃い。
思わず反応しかけた愚息をいさめ、彼女をベッドに横たえた。毛布をかけようとそこから離れようとすると、いきなり彼女にグイと右手を引っ張られた。
体勢を崩し、彼女に覆いかぶさる形になってしまう。手をついたので衝突は免れたが、これ以上ないというほど彼女の顔が近くにある。金色の瞳が潤み、湖に映る月のように揺れている。
「……近い!」
ジョークですまして離れようとしたが、いつの間にか彼女の腕が俺の背中に回っていた。引き寄せるように力が込められる。
「こうすると、もっと近いですよ……」
アオオニの力に人間が勝てるはずもない。つっかえ棒の役割を果たしていた俺の腕が力に従って曲がり、彼女の大きく育った胸の谷間の部分に顔が押し込められてしまう。シャツ越しとはいえ、その柔らかさがはっきりと伝わる。
「さすがに……酔いすぎ!離せ!」
「んっ、あっ……んん……」
俺の言葉を無視してもぞりもぞりと青目が身をよじる。もしかしたら、胸に息が当たることに微かな快感を覚えているのかもしれない。しかし息をしないわけにもいかず、そのままの姿勢で説得じみたことを言う。
「お前な、後で後悔するのはお前……」
「ふふっ」
ぎゅう、と俺の顔を胸におしつけぐりぐりと動く青目、いつもより上擦った声で彼女が言う。
「酔ってますけど……んっ、これをチャンスだと思うくらいには、ふう……酔ってないです」
「……?」
彼女の匂いに当てられて鈍りつつある思考を回転させる俺を見て、クスクスと青目が笑う。出来の悪い生徒に答えを教えてあげるような口調で言った。
「先輩に、気持ちを伝えるチャンスです……」
「は!?」
突然圧迫から解放され俺は体を起こす。青目はずりずりと体を動かし、俺の顔と自分の顔が同じ位置にくるように調整した。そっと両手で頬を包まれる。はっ、はっと荒い吐息が顔に当たる。
「なんで、私が伊原喬の小説が好きなのか教えてあげましょうか」
「あ、ああ」
「好きな人の書いた小説だからです」
「なんで、おまえそれいつから……んむぅっ!?」
「んんっ……ちゅぅっ…んっ…んふふっ…」
ほぼ無いに等しかった俺と青目の距離が今度こそゼロになった。彼女の唇はぷにぷにと柔らかく、俺の下唇を挟むように何度も啄んでくる。青目の目が嬉しそうに歪んで、微かな甘みが俺の口内に広がる。チョコの味だろうか。青目の味だろうか。ぺろ、と唇を舐めて青目が言う。
「なんでかと言われたら……んっ、なんとなくです、好きな人の書く話くらい、ちゅっ、わかります……いつからかは、最初からです」
言葉の最中にも何度か口づけをされる。情報量が多すぎて蕩けそうになってしまっている脳ではなかなか処理できないが。それはつまり。
酔っていても冷静さのかけらは残っているのか、青目が俺の考えを先回りする。
「そうです、初めて会った時から、先輩が好きです……好き……大好き…」
抱きしめられてすりすりと頬ずりをされる。眼鏡のフレームがカチャカチャと当たるが彼女はそれがまったく気にならないくらい夢中になっているようだ。未だ混乱からは抜け出せていないが、俺の体の奥からじわじわと喜びが沸き上がってきていた。
俺も青目のことが好きだったからだ。しかし彼女の態度は脈ありの男に見せるものとはとても思えず、友達の関係を続けられていけばいいと思っていた。自分が伊原喬だと名乗らなかったのも、彼女をがっかりさせてしまうのが申し訳なかったから。
ハッと気付き身を起こす。彼女はそれを嫌がるように腕に力を込めたが、俺の目を見て放してくれた。言わなければならないことがある。
「青目さん、俺もあなたのことが好きで」
す、と言い切る前に視界の天地が逆転していた。一瞬の衝撃の後、俺は馬乗りになった青目を見上げる姿勢になっていた。蕩けた笑顔だが、目からは涙がぽろぽろと溢れていて、不思議な表情だった。俺はそれを綺麗だと思った。ふふ、と笑いながらネクタイを解いてシャツのボタンをぷちぷちと外していく。オレンジのチェックの柄のブラジャーが見えたが、後ろに回された手でそれもすぐに外される。弾かれたように青く大きな二つの果実がぷるんと揺れた。パサ、とブラを脱ぎ捨てる。残った白いシャツが微かに胸を隠し、それが逆に卑猥さを助長していた。
ごくり唾を飲んで彼女の肢体に魅入られる、が、それと同時に気になることがあった。
「いまのどうやったの……」
「ふふ、ふふふ……」
「ふふふって……」
もはや言葉も通じていないようだった。彼女の目は欲望に染まりきっていて、頬はアルコールとは別の理由のために紅潮している。彼女の体がゆっくりと倒れてくる。顔が近づき、唇が触れる。しかしそれは先程の口づけとはまったく違ったものだった。
「じゅるるっ」
「!? んんっ〜〜!」
彼女の舌がにゅるりと俺の口の中に入ってきた。ぐちゅぐちゅと中を掻き回される。舌同士が触れ合うと、青目は目当てのものを見つけたかのように好色気に顔を歪め、それを絡ませ合う。時折、じゅっ、じゅっという音が響く。俺の唾液が吸われているのだろうか。いつしか俺も彼女の水を欲して、積極的に舌を動かすようになっていた。お返しのように彼女の口に舌を入れ、上顎を舐めると、彼女の体がブル、と震える。
口づけを続けながら、青目の右手が俺のTシャツをまくりあげる。直接胸をこすりつけるようにもぞもぞと動く。彼女の膨らみの頂点にある突起が硬くなっていく。快感が増したのか、青目から鼻にかかった甘い声が漏れるようになっていた。
ふと、体中を這いまわっていた彼女の手が俺の乳首に触れ体が跳ねてしまう。一瞬きょとんとした青目だったが、どういうことか理解し、にいと喜色に顔を歪める。
「ちゅっ」
「うあ゛っ」
「……弱点、みつかりましたね」
彼女に乳首を舐められ思わず声が出る。にやにやと笑いながら、彼女は乳首のまわりをくりくりと舌でなぞった。猫のようにぴちゃぴちゃと舐められるたび悶えるような快感が体を走り、自分でも戸惑うくらいだった。彼女が動く度にぺたぺたと当たる眼鏡のレンズの感触さえ今は不思議と快感に変わっていく。
「もうやめっ」
「じゅるるるるっ」
はしたない音を立てて乳首が吸われる。「ぷは」と顔を上げた青目の唇は俺の胸と同じく唾液にまみれてぬるぬると光っている。
すでに俺の愚息は限界を迎えそうになっていた。青目も似たような状態なのか時々俺の股間の膨らみをさすり、物欲しそうに目を覗きこんでくる。頷くと、ジィとチャックを開けた。跳ねるように飛び出したものを掴むと蕩けた表情になる。
やわやわと全体を形を確かめるように触った後、身を起こし、右手でスカートをたくしあげる。ブラと同じ柄のショーツが覗いた。くち、と音がする。ブラと違うのは、青目からあふれた淫液で濡れ、その色を濃くしていることだ。
左手でショーツをずらすと、ぬらぬらと光る秘裂が見えた。俺の亀頭の先端に触れようとしている。ぐじゅ、と性器同士がこすれる音がする。青目が目をつむって耐えるように震えた。フゥゥ、と熱っぽい息をついて俺に言う。
「いき、ますね」
「お、お」
青目がこちらを見ながらゆっくりと腰を下ろす。その表情は、俺の書いた小説を読むときの優しい彼女の顔に似ていた。引っ掛かりに触れ、胸に置かれた彼女の両腕が震えた。一瞬の躊躇の後、一気に腰を下ろした。
「ぐ、あっ……!」
「ふっ、あっあっんんんんっ」
膜を破る感触の後にやって来たのは今までの人生で経験したことのないような快感だった。亀頭が奥の肉にくちゅりと触れた瞬間、熱い膣肉が一気にすぼまって、ペニス全体を揉み込むようにうごめく。
その凄まじさは、青目を気遣うべきだということを一瞬忘れかるけるほどであった。胸に置かれた手がぎり、と動くその痛みで我に返り、彼女の顔を見る。目の焦点が俺を見ているようで、どこにも合っていない。口は半開きになっていて、見ているだけで男の興奮を誘うような淫靡な表情だった。
「……だいじょう、ぐっ!?」
「あっ、うごいちゃ、だめ、あっあああっ」
青目が自分の体を両腕で抱きしめるようにして震えると同時に媚肉も激しくペニスを刺激する。どうやら青目は絶頂のさなかにいるようだった。肉ひだが竿をぐじゃぐじゃと撫で、子宮口に亀頭が触れる。とうに限界を超えていたが、今の衝撃で本当の限界が訪れる。
「で、るっ」
「だめえ!いまだしちゃ、あ!でてる、でてるぅっ、うあっ!んんんっ」
とくとくと彼女の膣内に精液が注がれる。ビクビクと痙攣して、力が入らず腕で支えることもできないのか青目がこちらに倒れてくる。俺が背中に腕を回すと、彼女も俺の肩を握り、お互いにしがみつくようにして絶頂の波に呑まれた。青目に触れている肌から彼女の体が脈打つのが伝わる。何度か震えた後、くたりと全身の力を抜いた彼女は俺に身を預けながら「しあわせ……」とぽつりと呟いた。
俺は息があがっているため声も出せないが、彼女の髪を撫でることでそれに同意してやる。青目が俺の胸に頬ずりをすると髪の先がすれてくすぐったい。
確かに幸せな体験だった、快感が強すぎるため何度もやると脳が焼き切れてしまうかもとすらおもえ「まだいけますよね」まだいけますよね。
青目がむくりと体を起こす、その瞳には先程まであったはずの理性のかけらのようなものすらなく情欲で濁りきっている。獲物を見る捕食者のようなその顔は初めて見るもので、まだまだ知らない彼女の顔がたくさんあるなと人事のように思っていると、ぱん、と肌同士がぶつかりあう音がした。
ぱんっぱんっと青目が上下に腰を動かす。挿入するだけで射精にまで導かれた魔物の膣肉で激しくペニスがしごかれる。先ほど予想した通りの脳の神経が焼き切れるような快楽がそこにはあった。
「……!!」
「あはあっ、き、きもちっ、きもちいいっ!おちんちん!すごいっ!おちんちんもっとぉ!」
あの青目があんな淫らな言葉を、と脳のまだ機能している部分が考えるが、快感が許容量を超えて声を出すこともできない。青目の腰はいまやぐちゅぐちゅと水音を立てながら上下左右にグラインドを繰り返し自由自在にくねくねと動いている。
このままでは本当に死んでしまうかも、という恐怖が頭をよぎった。逃れるためには死ぬより先に彼女を満足させるしかないと考え、力を振り絞り身を起こして、対面座位のような体勢をとった。夢中で俺を貪っていた青目の瞳にわずかに理性が戻る。
「せんぱ……?あっやっツノ!ツノだめぇ、ほんとにおかひく、は、あ゛っ」
角にカリと歯を立てた。彼女になにか言う間も与えず尻を持って揺するように腰を振る。
「あああっ、ひ、しんじゃうっきもちよすぎえっ、ひんじゃうぅ」
呂律も回らなくなり、ぽろぽろと涙を流しながら口からは涎をぽたぽたと落とす青目。こんな姿を見れるのは俺だけだと思うと、優越感と、彼女に対する深い慕情の念が湧き上がる。歯を立てるだけでなくやさしく舐めあげると、彼女の膣はさらにきゅうきゅうと締り、嬌声がひときわ高く大きくなる。無理をした俺にも、限界が間近に訪れていた。
「げん、かい……!でるっ……!」
「なかぁっ、なかにだしてぇっ!ツノ、いじめられながら、おまんこにせーしほしいっ」
言われた通り彼女のツノを甘噛みしてやる。こちらを抱きしめる青目の力が強くなった。尿道を精液が駆け上るのを感じる。
「ぐ、あっ……」
「あああっ、ツノ、きもちっ、す、すきっだいすきっ、せいえきびゅーびゅーされて、イっちゃうぅ!」
先ほどよりも量の多い精液が出ているのがわかる。青目はぎゅうっと俺の体を抱きしめていたが、やがてその力が抜ける。彼女を支えながらゆっくりと仰向けに倒れる。揺らぐ視界が焦点を結ぶ。俺の体をよじ登るようにずりずりと動いてきた青目と軽い口づけを交わす。お互い照れたように笑い合って、ああ、忘れられそうにない最高の初体験だったと「さっきのもういっかい……」さっきのもういっかい。
青目がむくりと起き上がる。半笑いになって俺が言う。
「死んじゃう死んじゃう」
「私も死んじゃうくらい愛してます……」
「ちょっと意味が……あ…ほんとに死ぬかも……」
ゆるゆると青目が腰を振り始める。すき、だいすきと耳元で囁かれる愛の言葉を聞きながら俺の意識は薄れていった。
◆ ◆ ◆
ベッドの上に毛布でできた巨大な饅頭がある。それを前にして俺はどうしたものかと頭を捻っていた。
好き同士であったことがわかり、初めてを捧げあった俺達は、そのまま意識がなくなるまでお互いの体を貪りあった。というより俺の意識は早々に青目に刈り取られていたが。
目が覚めると彼女を家にあげてから三時間ほど経っていて、俺は親が帰ってきていないことにほっとしつつ横で俺の手を握り幸せそうに眠っていた青目を起こした。
その後気恥ずかしい雰囲気のままシャワーを一緒に浴びて、部屋を片付け、さて親御さんも心配しているだろうし青目を送っていこうという段になって、青目が毛布をもそもそとまとめ始めて、なにをするかと思っていたらその中に篭ってしまった。
声をかけてもうんともすんとも言わず、それから二十分が経つ。
「……鬼入り饅頭」
『……銘菓みたいに言わないでください』
中からくぐもった声が返ってきた。コンタクトに成功したことに驚きつつ声をかける。
「出てきてよ」
『もうこのまま一生を過ごします……』
「ここ俺の部屋なんだけど……」
嫌な同棲だなと言うと、同棲という言葉に反応したのかピクンと球体が震えた。どうやら酔っ払っていた先ほどの記憶をすべて覚えていて、それを恥じているらしい。はあとため息をつき言った。
「出てこないとデートもできないけど」
ガバ、と青目が跳ね起きた。ぼさぼさになっている髪を手櫛で整える。
「デート……」
「付き合ってるんだから、そのうちどっか行こう」
「付き合ってる……」
「嬉しかったよ、好きって言ってもらえて」
オウム返しのように単語を呟く彼女に言葉を返す。胸の前で手を組んでいた青目が意を決したようにこちらを見る。
「あ、の」
「ん?」
「酔ってない時にも言っとかなきゃ、と思って」
「うん」
「好き、です」
「うん、俺も好きです」
「……!!」
青目がウイスキー入りのチョコを一つ口に入れこちらに抱きついてきた。
「ちょっと待ってなんで今アルコール入れたの」
「こっちのほうが素直になれるからです。先輩好き!大好き!」
一個程度ならば乱れる心配もなさそうだと、ほっと胸を撫で下ろした。
幸せそうに目をつぶり、青目が顔を寄せてくる。彼女の髪を撫でながら俺たちは甘い口づけを交わした。
13/12/20 21:04更新 / コモン