お露をくださいな
1
かつて一組の夫婦があった。のらりくらりとする様は人の世の中というものの隘路を好んで進んでいくようで、酔っ払いの千鳥足にも似て。けれどしかと見遣れば、その夫婦の小指は確かに赤い糸で繋がれている、そう根拠のない確信を覚えずにはいられない、まるで夫婦という形に真っ向から挑戦しているような。
どろどろに溶かされた闇夜が透けた、そんな目だった。男の隣で情事の残り香も気にすることなく、煙管をふぅっと吹けば、煙は吹かれたことに嬉しそうに部屋に濃い香りを満たしていく。たわわに実った乳房のかたわれには桃色の胡蝶蘭の入れ墨が鮮やかで、強烈で、まるでその実そのものが庭師が特に丹念に手を入れたそれのよう。
その女にも名はある。
その女にも種族はある。
けれどぬらりひょんははぐらかすことが得意故に、此度の話はこれにてお終いお終い。
2
夏の盛りが過ぎれば次は冬の盛りと、どうにも風が肌えを撫でる感触はじっとりとした愛撫じみたそれではなく、むしろ心身に静かに染みていく冷えていく。宵を迎えた男の家は、そんな風の一撫ででたやすく崩れてしまいそうな、けれど実際にはそうはならない、大工が首を傾げること請け合いの――有り体に言って襤褸家だった。
西洋の童話に三匹の子豚というものがあるというが、それの一番最初の家が、少し骨組みが立派になったくらいだと、男の家を見たものはそう口を揃えて言った。
けれどそんな家でも人の営みの灯りが点けば、暗がりに浮かんだ儚さと寂しさの入り混じった三流絵画程度の趣は出せるよう。
その中にいたのは、家主である男と、女だった。
「当たり前だけど、ずいぶんと最近は冷え込んできたね。どうだい、ほら、お前さん、寒さでやられちゃったりしてないかい」
声だけで男を惑わせる、本能的にそうとれる声だった。それも慣れた動きで客をとる娼妓のような、底には阿諛追従やら我利我利亡者の精神を潜ませたものではなく。ただ一人の男のために、男を誘惑する声だとわかるような。
ともすれば気遣うためだけのその台詞も、声音は秘め事と同義で密やかに男の股座をそっと撫でていく。
「ん、ああ。何せ身体の頑丈さとタフさぐらいがせいぜいの取柄だからな俺ぁ。それまで役立たずになったらどうすりゃいいのかさっぱりわからん」
「お前さんは相変わらず自分にあまり自信がない様子。でも過ぎた謙遜は逆に心に毒というもの」
言って、自然に男を後ろから抱きつく女の仕草の一切に不自然はなく、当たり前にそばに寄り添う夫婦の図は、誰もが羨むような円満のそのもの。囁くような擽ったい言葉に男は身じろぎするも、すぐに背中に押し付けられた柔らかな感触におとなしくなった。
服の上からでもわかる量感の兵器が、染入る隙間風の冷たさよりも速やかに男の血を熱く巡らせていく。
「まだ人の身なれ、私に一晩付き合えるお前さまを、どうして取柄がないなど言えましょうな」
「人の……？はは、おかしな物言いをするなあ、志野。俺はこの通り頭のさきからつま先までお天道様に顔向けできる人間さ」
「ええ。ええ。そうでしょうとも」
「それに、こんな別嬪な嫁さんなんだ。ついつい張り切るというものだろう」
「ええ。ええ。そうでしょうとも。『私たちは夫婦なのですから。毎夜愛し合うのは当然というもの』です」
当然の営みとして、当然のことが。男と女がいれば、そこからは口にするのも野暮ったい、愛だ恋だの沙汰のカタチが。
しかしこの夫婦の場合、それは殊更濃密に見えてしまいそうな。
より密着の度合いを深いものにすると、いよいよ衣の中の鞠は縦に潰れて蠱惑的にその姿を歪ませていき、背中に押し当てられる感触だけでもどのようになっているかが、いや、見えないからこそ却って興奮を煽るようで。
いよいよ幹のように隆起した男の存在は下着を突き破ろうとする勢いで、先走りが早くも淫靡な染みをはしたなく作ってはいたけれど。
その染みすら愛しそうに志野と呼ばれた女は指先で掬うように撫で、にんまりと口元に笑みを浮かべてから下着をずらした。
音は立てずとも勢いよく臍まで反り返ったその逸物は女泣かせと知らぬものはいない、などといった話は全くないものの、それでも男を知らない女ならば大そう手こずりそうな代物ではあった。が、わかりきったこと。男の背後にある女はそんな愛くるしい娘時分の頃合いなど疾うに過ぎた、手練れの。
「ほぅれ」
「おおう……」
片手で握られただけでも感嘆の息を吐く男の愚息は既に白魚のような手の中でびくびくと暴れ、魚籠に入れられた鮮魚のほうがまだおとなしいかと思うくらい。
もうこうした奉仕は何度されたかわからないというのに、未だに男は慣れることがない。日頃の刺激ならばもうすでに慣れ切って、下手をすれば萎えてしまうようなものでもあるのに。その手加減は精緻で絶妙で、やわやわと揉むように肉棒を掴んでいたかと思えばいたずらに裏筋に爪を立てる。飽きることのない手淫に励む女の声はどこか弾み。
「もうこんなにおっ立てて……指が回りきらないほど。それでもこの暴れん坊は、聞かん坊よりかは聞き分けがある様子。鈴口をこうしてくりくりしてやれば」
不意に訪れた、一層強い刺激があった。腰のあたりを痛烈に走っていったそれは男の陰嚢を震わせて、たらりと精液混じりの我慢汁を垂らさせる。まるで掌から吸性されているかのような錯覚は、下手をすれば錯覚ではなく現実となりそうで溜まらず精を吐き出しかけたけど。
「おっといけない。せっかくの濃いお汁、出すなら口にたんと食べさせてくださいな」
蜜をぶちまけたように空気は重く、どろりと粘度を帯びて男の手足に絡みつき、自然と体は倒れていくその様はひどく緩慢で幸せそうな。言葉の一つ一つが男を惑わせる色気――なら可愛げがあるがこの場合は一切合切を呑み込んでしまう魔物の胎の中か、という感想もあながち間違いでもなく。
臈長けた志野はいつのまにやらするすると男の剥き出しになった下腹部へと移り、肉棒を宝物でも扱うかのように目を潤ませ優しく手でつかんでそして頬張って。
じゅぷ、と音がした瞬間には腰が溶けてしまいそうな快感があった。生温かく、けれどどこかほっと安堵もしてしまうぬらりひょんの口内。吸って、咥えて、舌で何度もつついて弾いて、玩具で遊ぶ子どものような無邪気さが、けれどその挙措の一つ一つに途方もない快感が襲い来る。
たとえばそっと力加減を心得て指で包むようにやんわりと睾丸を揉むその手つきは背筋に刺激を走らせて愚息の屹立をさらに逞しいものにしたし。
たとえばその息子の裏筋を幾度も素早く、横笛でも吹くように咥えて舌先と同時に動かす奉仕は男に野太い声を洩らさせるにとどまらず腰を浮かせて音を上げさせ根を上げさせたし。
たとえば眉を顰めることなく根本まで逸物を咥えて頭を上下に揺り動かす様などは一動作一動作で甘やかな香りを振り撒き淫靡な水音で鼻腔も耳朶も犯しぬき、顎を少し上げれば舌で根本をぬらりと舐め上げたし。
たとえばはちきれんばかりにたわんだ乳房で挟まれた肉槍は乳圧だけでも文字通り胸の内で歓喜の脈動を繰り返し、先走りの露だけでその滑りをよくして粘膜の摩擦を滑らかなものにしていったし。
「う……おぉぉ、相変わらず凄まじい……」
「ん、ぢゅぶ…ずずっ、れろっ……ちゅぷっ、ぁ。いつでも、いつでも出して。たんと濃い迸り、あるのでしょう」
快感に塗れた神経が白旗をあげるのにそう時間はかからず、合図代わりに一際胸中で肥大した肉棒の先端を咥えると、遠慮なく口内にぶちまけられたその子種の勢いといったら、水鉄砲じみで志野の喉を叩き、粘液を通り越してダマにすらなっているであろう濃密さ。その精液を全て口の中で受け止めきると、それだけに留まらずこくりと喉をならし、ちゅぽんと音を鳴らして唇尖らせペニスを解放して浮かべた笑みといったら。
もともとがメラメラと熱気を伝えていた性欲の熾火が、さらにそこに燃料を投下されたようで、夥しい吐精を経てなお、男の肉棒は逞しく天を衝いて次の快感を待ちわびて、あるいは己が貫く獲物を求めて反り返って。
「はぁ……相変わらず人でありながら濃厚な精を放つ方。それはそれとして、やはりまだまだ満足できていない様子。本当に相手をしているのが私でよかったというものです。生娘やそこらの娘っ子未亡人人妻では持て余すどころか壊れているでしょう」
「いやそこまで褒められると男冥利にはつきるが、俺は誰彼構わず手を出す節操なしじゃないからな？」
「さて、どうだか。私がこうして相手をしていなければそのふぐりはとうの昔に破裂していたかも」
「さらりと怖えこと言わねえでくれる？萎えるぞ？割と本気で萎えちゃうぞ？」
「おやそれは困ります。萎えぬうちに、いただくとしましょうか」
女性上位の騎乗位という体位であっても男は不快に思うことはなく、むしろ身体にのしかかる重みはどこか落ち着くようで、同時に肉の槍の先端が女口を割って肉襞の一部に触れた瞬間、危うく二度目の射精を迎えそうになったのをどうにか男の矜持でぐっとこらえたところ。
奉仕が素晴らしいのならこの妖怪、持ち合わせているものも名器とくれば、その素晴らしさたるや、襞の一つ一つが別の生き物のように纏わりついてくるのはまだ序の口。根本まで挿入を果たせば途端にほどよく締め付けられる横溢と志野の妖しい腰の動きらが合わさって気持ちいいやら呻き声をあげるやらで忙しくなるほど。何よりも自分に跨りながら表現しがたい表情を浮かべる志野の魅力といったら。
身体にしっとりと降った優しさのこもった重みに、幼子の母の記憶が思い起こされ、滲み込んでいく熱は互いをどこまでも火照らせて、志野に至ってはその朱唇の端に法悦の笑みをそっと溜めて見せるほど。
たかが肌を重ねること、されど肌を重ねること。
「相変わらず凄いな……熱くうねって、とろけてっ、気を抜けばすぐに果てちまいそうだ」
「そも、持ちこたえている時点で大したものと思いなされな」
「そりゃこんな極上の身体、長く味わいたくなるのはもう仕方ないって」
甘えるように身体を密着させる志野の仕草は年ごろの娘がすればよりどころを求める猫にも見えて愛らしいもの、けれどこの女の場合は自分の上で舌なめずりし、獲物を定める蟒蛇もいいところ。
押し当てられて歪む乳房は娘時分よりは張りというものを失ってはいるだろうけれど、それを補って余りある婀娜の曲線を描き、こぼれんばかりの果実にしゃぶりつきたくなる。ああ確かにその中身にはみっちりと柔らかな肉が詰まっているだろうし、男が手を伸ばして悪戯に一揉みしたところで志野は気をよくするだけだろうけど。それよりも優先されたのはもっぱら下半身をひたすらに苛め抜く蜜壺の扱いで。
激しくは、ない。
ナメクジの交尾のようにねっとりと絡みつき、緩やかに締め付けて根本から上へ上へと子種をせぐり上げていくような動き……かと思えば、亀頭が、付け根が、中腹が駄々をこねるように蠢いて気まぐれに。
志野という女――ぬらりひょんの――気質をままにしたような女陰のもてなしは、逞しい棍棒でさえその中では赤子も同然。
いや、動こうと思えばいつだってその腰は力強い律動ができるだろうし、女の身体を突き上げて子袋を押し上げて悦びを与えることだってできるだろう。
それをしないのは、愉しみたいから。
「うぁ……欲張りだな」
「えぇ、ですから、お前さま。早く下さいな。おかわりは自由と聞きました」
「そんなに底無しじゃねえんだが……そろそろだ」
紅をひいているわけでもないのに冴えて赤い唇が、確かに歪んだ。それはきっと男女の情事の一番上がもうすぐだという嬉しさやら、何もしなくてもその肉鰓で自分の気持ちいいところをずっと擦っている暴れん坊への慈しみにも似た感情だとかそういうものが抑えきれなくなった証左で。
すう、っと志野は息を呑み込んだ。そこで息を止めて、つん、つん、と。ねだるように子宮口を鈴口に半ば埋没させるようにして、ちょうだい、と目で訴えるような。さらに濃密な口付けをして、上でも下でも交合の度合いを深いものにした瞬間に、互いの限界は訪れた。
まず志野が感じたのは、重い、という感覚。胎の底が、物理的に重い。噴火のような射精を直接受け止めた子宮に注がれていったのは、生々しい温かさというものを過ぎて熱いとすら錯覚するようなマグマの奔流だ。もっともそれと違うのは陶然とするような快蕩を与えるところで。
「あぁ……いい。やはりお前さまの種は満たされて、うっとりしてしまうようで、いいお味」
端麗典雅な美貌に蠱惑的な妖気を孕ませて言う志野の表情は天の美酒でも口にしたように満ち満ちて、色事でそうなったというのに蓮の花めいた気品すらふっと漂わせ、天女の交わりとはこれほどまでかと詩人が謡いそうなもの、そうならないのはこの場に詩人がいないからではなく、当然この志野が天女ではなく妖そのものだから。
ぬたりぬらりと男の肉棒に女の口で纏わりついて、ぬるりぬらりと逞しい雄の精を搾り取る妖だから。
それに食われている男は、満足そうにしながらもまだまだ物足りない風で、志野もすでに承知しているのか慣れたように身体を動かして体勢を変えた、その拍子に。
とぽん。と。
水面に石礫の一つでも投げうった音だった。でもそれにしたって淫靡に過ぎて、胸板を指先でなぞるような艶めかしさは古池には相応しくない。股座からうっかりと結合を解かれた雄の器官は勢いのままに臍まで反り返り、愛液やら精液やらでぬらぬらと卑猥な光沢を放っておぞましく、それよりも目をひいたのは志野の雌口からこぼれていく夥しい白濁の。
淫猥な染みを布団に作るにしたって、一滴二滴垂れていくのが精々のところを内股からつたっていくものまであるとなればこの男、どこまで注いだのか本当に子宮を満たしきったのではないかと疑いたくなるほど。
が、肝心の本人は得も言われぬ興奮に捕らわれるので忙しい。自分がこの玉の肌をいやらしく彩ったのだ。耐えきれず僅かな理性が爆発した瞬間に、肉付きのいい尻をこちらに向ける志野の腰をがっちりと掴むと、そのまま勢いよく女体を己が棍棒で貫いた。
「んっ……荒々しいのも嫌いではありません。ありません、が。お前さま、少々乱雑にかまけた様子」
「無茶言うな。我慢できるはずがないだろう」
「そう言われるのは悪い気はしませんが……ああ、もう男根がきゅうきゅう疼いているので。ならば仕方ないで、んっ……しょうね」
志野の声を途切れさせるほどにしたたかに腰を打ち付けて、より深い箇所へ、下手をすれば本当に扉をこじ開けて侵入を果たしてしまいそうなほど。
腰を引き、うちつけ、腰を引き、うちつけの繰り返しなのにそれが狂おしいほどに満たされる淫戯で、男の脳裏を過ったのは自身の初体験の、あの手技も情緒もないただただ強烈な衝撃とそこから湧き上がる獣じみた性の宴のような、精根尽き果てても食らいつきたくなる――
「うぁっ！？」
と、そこで男が音をあげたのは、下半身に強烈な引き攣れを覚えたから。それも引き攣れではなく、やや痛いくらいの隘路の愛撫だと気づいても抗議の声を上げることは…できなかった。
志野は、笑っていた。
「お前さま？今、何か別のことを考えなさんだか？」
「い、イヤベツニ」
どろりと渦巻いた、食われるという実感が形に現れるとこうなのかしらんと、あまりの危機にはついつい現実逃避に走ろうとする男の脳内すらがっしりと片手で鷲掴みにされたような感覚は、なるほどぞっとしなくて習いもしていない念仏でも唱えたい心地になったけど。
「まあそう言うならそうなのでしょう」
「あ、ああそうだとも。だから、そんなことを言って俺を搾り取る腹積もりなのは勘弁を」
そもそもとして、ぬらりひょんに抱かれていながら他の事を一瞬でも過ってしまうことなどないはずで、そうなってしまったこの男、念仏を唱えることすら坊主も放棄してしまいそう。
「そうでもありますが、諦めなさいな」
その後の部屋の情事の香りは、万が一にも生娘の鼻先に届いたならたちまち性の芽生えを起こさせるような苛烈なもので、言わずもがなそれほど男がこってりと志野に搾り取られた証左ということであったそうな。
3
中空を墨汁で染めたような深い闇が深々と身に染みていく。その隣にいるのは男がただただ愛した女だ。愛した妖怪だ。
女は言う。いずれ百鬼夜行となるでしょう。
男は言う。そりゃ大変そうだ。
どうにも淫蕩で艶美が凝集してみせたような女と寄り添いながら、男は今日も夜を生きる。その後の話も積もるところ何せいずれ百鬼夜行！となれば浮ついた話や義侠溢れる話の一つや二つ、いずれ星の数ほど増えるとも、それらをぬらりくらりと躱すのもぬらりひょんのお手の物、朝飯前とくれば、此度の話は一度これにてお終いお終い。
かつて一組の夫婦があった。のらりくらりとする様は人の世の中というものの隘路を好んで進んでいくようで、酔っ払いの千鳥足にも似て。けれどしかと見遣れば、その夫婦の小指は確かに赤い糸で繋がれている、そう根拠のない確信を覚えずにはいられない、まるで夫婦という形に真っ向から挑戦しているような。
どろどろに溶かされた闇夜が透けた、そんな目だった。男の隣で情事の残り香も気にすることなく、煙管をふぅっと吹けば、煙は吹かれたことに嬉しそうに部屋に濃い香りを満たしていく。たわわに実った乳房のかたわれには桃色の胡蝶蘭の入れ墨が鮮やかで、強烈で、まるでその実そのものが庭師が特に丹念に手を入れたそれのよう。
その女にも名はある。
その女にも種族はある。
けれどぬらりひょんははぐらかすことが得意故に、此度の話はこれにてお終いお終い。
2
夏の盛りが過ぎれば次は冬の盛りと、どうにも風が肌えを撫でる感触はじっとりとした愛撫じみたそれではなく、むしろ心身に静かに染みていく冷えていく。宵を迎えた男の家は、そんな風の一撫ででたやすく崩れてしまいそうな、けれど実際にはそうはならない、大工が首を傾げること請け合いの――有り体に言って襤褸家だった。
西洋の童話に三匹の子豚というものがあるというが、それの一番最初の家が、少し骨組みが立派になったくらいだと、男の家を見たものはそう口を揃えて言った。
けれどそんな家でも人の営みの灯りが点けば、暗がりに浮かんだ儚さと寂しさの入り混じった三流絵画程度の趣は出せるよう。
その中にいたのは、家主である男と、女だった。
「当たり前だけど、ずいぶんと最近は冷え込んできたね。どうだい、ほら、お前さん、寒さでやられちゃったりしてないかい」
声だけで男を惑わせる、本能的にそうとれる声だった。それも慣れた動きで客をとる娼妓のような、底には阿諛追従やら我利我利亡者の精神を潜ませたものではなく。ただ一人の男のために、男を誘惑する声だとわかるような。
ともすれば気遣うためだけのその台詞も、声音は秘め事と同義で密やかに男の股座をそっと撫でていく。
「ん、ああ。何せ身体の頑丈さとタフさぐらいがせいぜいの取柄だからな俺ぁ。それまで役立たずになったらどうすりゃいいのかさっぱりわからん」
「お前さんは相変わらず自分にあまり自信がない様子。でも過ぎた謙遜は逆に心に毒というもの」
言って、自然に男を後ろから抱きつく女の仕草の一切に不自然はなく、当たり前にそばに寄り添う夫婦の図は、誰もが羨むような円満のそのもの。囁くような擽ったい言葉に男は身じろぎするも、すぐに背中に押し付けられた柔らかな感触におとなしくなった。
服の上からでもわかる量感の兵器が、染入る隙間風の冷たさよりも速やかに男の血を熱く巡らせていく。
「まだ人の身なれ、私に一晩付き合えるお前さまを、どうして取柄がないなど言えましょうな」
「人の……？はは、おかしな物言いをするなあ、志野。俺はこの通り頭のさきからつま先までお天道様に顔向けできる人間さ」
「ええ。ええ。そうでしょうとも」
「それに、こんな別嬪な嫁さんなんだ。ついつい張り切るというものだろう」
「ええ。ええ。そうでしょうとも。『私たちは夫婦なのですから。毎夜愛し合うのは当然というもの』です」
当然の営みとして、当然のことが。男と女がいれば、そこからは口にするのも野暮ったい、愛だ恋だの沙汰のカタチが。
しかしこの夫婦の場合、それは殊更濃密に見えてしまいそうな。
より密着の度合いを深いものにすると、いよいよ衣の中の鞠は縦に潰れて蠱惑的にその姿を歪ませていき、背中に押し当てられる感触だけでもどのようになっているかが、いや、見えないからこそ却って興奮を煽るようで。
いよいよ幹のように隆起した男の存在は下着を突き破ろうとする勢いで、先走りが早くも淫靡な染みをはしたなく作ってはいたけれど。
その染みすら愛しそうに志野と呼ばれた女は指先で掬うように撫で、にんまりと口元に笑みを浮かべてから下着をずらした。
音は立てずとも勢いよく臍まで反り返ったその逸物は女泣かせと知らぬものはいない、などといった話は全くないものの、それでも男を知らない女ならば大そう手こずりそうな代物ではあった。が、わかりきったこと。男の背後にある女はそんな愛くるしい娘時分の頃合いなど疾うに過ぎた、手練れの。
「ほぅれ」
「おおう……」
片手で握られただけでも感嘆の息を吐く男の愚息は既に白魚のような手の中でびくびくと暴れ、魚籠に入れられた鮮魚のほうがまだおとなしいかと思うくらい。
もうこうした奉仕は何度されたかわからないというのに、未だに男は慣れることがない。日頃の刺激ならばもうすでに慣れ切って、下手をすれば萎えてしまうようなものでもあるのに。その手加減は精緻で絶妙で、やわやわと揉むように肉棒を掴んでいたかと思えばいたずらに裏筋に爪を立てる。飽きることのない手淫に励む女の声はどこか弾み。
「もうこんなにおっ立てて……指が回りきらないほど。それでもこの暴れん坊は、聞かん坊よりかは聞き分けがある様子。鈴口をこうしてくりくりしてやれば」
不意に訪れた、一層強い刺激があった。腰のあたりを痛烈に走っていったそれは男の陰嚢を震わせて、たらりと精液混じりの我慢汁を垂らさせる。まるで掌から吸性されているかのような錯覚は、下手をすれば錯覚ではなく現実となりそうで溜まらず精を吐き出しかけたけど。
「おっといけない。せっかくの濃いお汁、出すなら口にたんと食べさせてくださいな」
蜜をぶちまけたように空気は重く、どろりと粘度を帯びて男の手足に絡みつき、自然と体は倒れていくその様はひどく緩慢で幸せそうな。言葉の一つ一つが男を惑わせる色気――なら可愛げがあるがこの場合は一切合切を呑み込んでしまう魔物の胎の中か、という感想もあながち間違いでもなく。
臈長けた志野はいつのまにやらするすると男の剥き出しになった下腹部へと移り、肉棒を宝物でも扱うかのように目を潤ませ優しく手でつかんでそして頬張って。
じゅぷ、と音がした瞬間には腰が溶けてしまいそうな快感があった。生温かく、けれどどこかほっと安堵もしてしまうぬらりひょんの口内。吸って、咥えて、舌で何度もつついて弾いて、玩具で遊ぶ子どものような無邪気さが、けれどその挙措の一つ一つに途方もない快感が襲い来る。
たとえばそっと力加減を心得て指で包むようにやんわりと睾丸を揉むその手つきは背筋に刺激を走らせて愚息の屹立をさらに逞しいものにしたし。
たとえばその息子の裏筋を幾度も素早く、横笛でも吹くように咥えて舌先と同時に動かす奉仕は男に野太い声を洩らさせるにとどまらず腰を浮かせて音を上げさせ根を上げさせたし。
たとえば眉を顰めることなく根本まで逸物を咥えて頭を上下に揺り動かす様などは一動作一動作で甘やかな香りを振り撒き淫靡な水音で鼻腔も耳朶も犯しぬき、顎を少し上げれば舌で根本をぬらりと舐め上げたし。
たとえばはちきれんばかりにたわんだ乳房で挟まれた肉槍は乳圧だけでも文字通り胸の内で歓喜の脈動を繰り返し、先走りの露だけでその滑りをよくして粘膜の摩擦を滑らかなものにしていったし。
「う……おぉぉ、相変わらず凄まじい……」
「ん、ぢゅぶ…ずずっ、れろっ……ちゅぷっ、ぁ。いつでも、いつでも出して。たんと濃い迸り、あるのでしょう」
快感に塗れた神経が白旗をあげるのにそう時間はかからず、合図代わりに一際胸中で肥大した肉棒の先端を咥えると、遠慮なく口内にぶちまけられたその子種の勢いといったら、水鉄砲じみで志野の喉を叩き、粘液を通り越してダマにすらなっているであろう濃密さ。その精液を全て口の中で受け止めきると、それだけに留まらずこくりと喉をならし、ちゅぽんと音を鳴らして唇尖らせペニスを解放して浮かべた笑みといったら。
もともとがメラメラと熱気を伝えていた性欲の熾火が、さらにそこに燃料を投下されたようで、夥しい吐精を経てなお、男の肉棒は逞しく天を衝いて次の快感を待ちわびて、あるいは己が貫く獲物を求めて反り返って。
「はぁ……相変わらず人でありながら濃厚な精を放つ方。それはそれとして、やはりまだまだ満足できていない様子。本当に相手をしているのが私でよかったというものです。生娘やそこらの娘っ子未亡人人妻では持て余すどころか壊れているでしょう」
「いやそこまで褒められると男冥利にはつきるが、俺は誰彼構わず手を出す節操なしじゃないからな？」
「さて、どうだか。私がこうして相手をしていなければそのふぐりはとうの昔に破裂していたかも」
「さらりと怖えこと言わねえでくれる？萎えるぞ？割と本気で萎えちゃうぞ？」
「おやそれは困ります。萎えぬうちに、いただくとしましょうか」
女性上位の騎乗位という体位であっても男は不快に思うことはなく、むしろ身体にのしかかる重みはどこか落ち着くようで、同時に肉の槍の先端が女口を割って肉襞の一部に触れた瞬間、危うく二度目の射精を迎えそうになったのをどうにか男の矜持でぐっとこらえたところ。
奉仕が素晴らしいのならこの妖怪、持ち合わせているものも名器とくれば、その素晴らしさたるや、襞の一つ一つが別の生き物のように纏わりついてくるのはまだ序の口。根本まで挿入を果たせば途端にほどよく締め付けられる横溢と志野の妖しい腰の動きらが合わさって気持ちいいやら呻き声をあげるやらで忙しくなるほど。何よりも自分に跨りながら表現しがたい表情を浮かべる志野の魅力といったら。
身体にしっとりと降った優しさのこもった重みに、幼子の母の記憶が思い起こされ、滲み込んでいく熱は互いをどこまでも火照らせて、志野に至ってはその朱唇の端に法悦の笑みをそっと溜めて見せるほど。
たかが肌を重ねること、されど肌を重ねること。
「相変わらず凄いな……熱くうねって、とろけてっ、気を抜けばすぐに果てちまいそうだ」
「そも、持ちこたえている時点で大したものと思いなされな」
「そりゃこんな極上の身体、長く味わいたくなるのはもう仕方ないって」
甘えるように身体を密着させる志野の仕草は年ごろの娘がすればよりどころを求める猫にも見えて愛らしいもの、けれどこの女の場合は自分の上で舌なめずりし、獲物を定める蟒蛇もいいところ。
押し当てられて歪む乳房は娘時分よりは張りというものを失ってはいるだろうけれど、それを補って余りある婀娜の曲線を描き、こぼれんばかりの果実にしゃぶりつきたくなる。ああ確かにその中身にはみっちりと柔らかな肉が詰まっているだろうし、男が手を伸ばして悪戯に一揉みしたところで志野は気をよくするだけだろうけど。それよりも優先されたのはもっぱら下半身をひたすらに苛め抜く蜜壺の扱いで。
激しくは、ない。
ナメクジの交尾のようにねっとりと絡みつき、緩やかに締め付けて根本から上へ上へと子種をせぐり上げていくような動き……かと思えば、亀頭が、付け根が、中腹が駄々をこねるように蠢いて気まぐれに。
志野という女――ぬらりひょんの――気質をままにしたような女陰のもてなしは、逞しい棍棒でさえその中では赤子も同然。
いや、動こうと思えばいつだってその腰は力強い律動ができるだろうし、女の身体を突き上げて子袋を押し上げて悦びを与えることだってできるだろう。
それをしないのは、愉しみたいから。
「うぁ……欲張りだな」
「えぇ、ですから、お前さま。早く下さいな。おかわりは自由と聞きました」
「そんなに底無しじゃねえんだが……そろそろだ」
紅をひいているわけでもないのに冴えて赤い唇が、確かに歪んだ。それはきっと男女の情事の一番上がもうすぐだという嬉しさやら、何もしなくてもその肉鰓で自分の気持ちいいところをずっと擦っている暴れん坊への慈しみにも似た感情だとかそういうものが抑えきれなくなった証左で。
すう、っと志野は息を呑み込んだ。そこで息を止めて、つん、つん、と。ねだるように子宮口を鈴口に半ば埋没させるようにして、ちょうだい、と目で訴えるような。さらに濃密な口付けをして、上でも下でも交合の度合いを深いものにした瞬間に、互いの限界は訪れた。
まず志野が感じたのは、重い、という感覚。胎の底が、物理的に重い。噴火のような射精を直接受け止めた子宮に注がれていったのは、生々しい温かさというものを過ぎて熱いとすら錯覚するようなマグマの奔流だ。もっともそれと違うのは陶然とするような快蕩を与えるところで。
「あぁ……いい。やはりお前さまの種は満たされて、うっとりしてしまうようで、いいお味」
端麗典雅な美貌に蠱惑的な妖気を孕ませて言う志野の表情は天の美酒でも口にしたように満ち満ちて、色事でそうなったというのに蓮の花めいた気品すらふっと漂わせ、天女の交わりとはこれほどまでかと詩人が謡いそうなもの、そうならないのはこの場に詩人がいないからではなく、当然この志野が天女ではなく妖そのものだから。
ぬたりぬらりと男の肉棒に女の口で纏わりついて、ぬるりぬらりと逞しい雄の精を搾り取る妖だから。
それに食われている男は、満足そうにしながらもまだまだ物足りない風で、志野もすでに承知しているのか慣れたように身体を動かして体勢を変えた、その拍子に。
とぽん。と。
水面に石礫の一つでも投げうった音だった。でもそれにしたって淫靡に過ぎて、胸板を指先でなぞるような艶めかしさは古池には相応しくない。股座からうっかりと結合を解かれた雄の器官は勢いのままに臍まで反り返り、愛液やら精液やらでぬらぬらと卑猥な光沢を放っておぞましく、それよりも目をひいたのは志野の雌口からこぼれていく夥しい白濁の。
淫猥な染みを布団に作るにしたって、一滴二滴垂れていくのが精々のところを内股からつたっていくものまであるとなればこの男、どこまで注いだのか本当に子宮を満たしきったのではないかと疑いたくなるほど。
が、肝心の本人は得も言われぬ興奮に捕らわれるので忙しい。自分がこの玉の肌をいやらしく彩ったのだ。耐えきれず僅かな理性が爆発した瞬間に、肉付きのいい尻をこちらに向ける志野の腰をがっちりと掴むと、そのまま勢いよく女体を己が棍棒で貫いた。
「んっ……荒々しいのも嫌いではありません。ありません、が。お前さま、少々乱雑にかまけた様子」
「無茶言うな。我慢できるはずがないだろう」
「そう言われるのは悪い気はしませんが……ああ、もう男根がきゅうきゅう疼いているので。ならば仕方ないで、んっ……しょうね」
志野の声を途切れさせるほどにしたたかに腰を打ち付けて、より深い箇所へ、下手をすれば本当に扉をこじ開けて侵入を果たしてしまいそうなほど。
腰を引き、うちつけ、腰を引き、うちつけの繰り返しなのにそれが狂おしいほどに満たされる淫戯で、男の脳裏を過ったのは自身の初体験の、あの手技も情緒もないただただ強烈な衝撃とそこから湧き上がる獣じみた性の宴のような、精根尽き果てても食らいつきたくなる――
「うぁっ！？」
と、そこで男が音をあげたのは、下半身に強烈な引き攣れを覚えたから。それも引き攣れではなく、やや痛いくらいの隘路の愛撫だと気づいても抗議の声を上げることは…できなかった。
志野は、笑っていた。
「お前さま？今、何か別のことを考えなさんだか？」
「い、イヤベツニ」
どろりと渦巻いた、食われるという実感が形に現れるとこうなのかしらんと、あまりの危機にはついつい現実逃避に走ろうとする男の脳内すらがっしりと片手で鷲掴みにされたような感覚は、なるほどぞっとしなくて習いもしていない念仏でも唱えたい心地になったけど。
「まあそう言うならそうなのでしょう」
「あ、ああそうだとも。だから、そんなことを言って俺を搾り取る腹積もりなのは勘弁を」
そもそもとして、ぬらりひょんに抱かれていながら他の事を一瞬でも過ってしまうことなどないはずで、そうなってしまったこの男、念仏を唱えることすら坊主も放棄してしまいそう。
「そうでもありますが、諦めなさいな」
その後の部屋の情事の香りは、万が一にも生娘の鼻先に届いたならたちまち性の芽生えを起こさせるような苛烈なもので、言わずもがなそれほど男がこってりと志野に搾り取られた証左ということであったそうな。
3
中空を墨汁で染めたような深い闇が深々と身に染みていく。その隣にいるのは男がただただ愛した女だ。愛した妖怪だ。
女は言う。いずれ百鬼夜行となるでしょう。
男は言う。そりゃ大変そうだ。
どうにも淫蕩で艶美が凝集してみせたような女と寄り添いながら、男は今日も夜を生きる。その後の話も積もるところ何せいずれ百鬼夜行！となれば浮ついた話や義侠溢れる話の一つや二つ、いずれ星の数ほど増えるとも、それらをぬらりくらりと躱すのもぬらりひょんのお手の物、朝飯前とくれば、此度の話は一度これにてお終いお終い。
17/09/14 02:17更新 / 綴