読切小説
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SXIOA
1

 お酒は好きだった。身体の渇きも心の餓えも全てを癒してくれる命の水。傭兵稼業に身を置くようになってから、それが前にも増して殊更わかるようになった。剣と剣をぶつけ、一瞬の判断が自分の人生を左右する、なるほどそれはある者が聞けばどこか刺激的で一種の甘美性さえたずさえているとも感じ取れるだろう。
 ただ、私の場合はそこまで複雑な事情ではなかった。
 単に、これくらいしかおまんまの種がなかったのだ。自分の腕っぷしくらいしとお酒くらいしか頼れるものがないと、ふとある時に気づいてからはとんとん拍子でこの世界に溶け込んでいった。そして収入が入れば、胃の腑にお酒を沁みこませて生きていることを実感する。実に合理的なサイクルが、いつの間にか私の中で完成されていた。
 しかし、このサイクルは時々奇妙な音を立てる。女の胎から鳴り響く、切なくいじらしい音が。お酒に身を任せても火照りは治まらず、どうしようもなく行き場を持て余してしまった時は、仕方なく自分で発散するか、行きずりの男か女と火照りを冷まし合う。決してそれは嫌いではなかったけれど、切なさだけは私の中で延々と滞留していた。
 当然、行きずりでよければ誰であろうと構わない節操なしではない。私にだって好みというものはあるし、何より雰囲気を楽しまない相手と肌を重ねるなんて真っ平ごめんだった。だからどうしても相手が見つからない時には、無理にでもお酒の力を借りるしかない。今日がそんな日だった。
 今拠点にしている国はそこそこの規模だが、嗜好品の豊富さでは大国にも引けをとらない。本心からそう思う。酒場のお酒とつまみが美味しいのが何よりの証拠だった。美味しいものがなければ、まずお酒の力を借りようとも思わない。自分で慰める手もあるが、できればあまりしたくはなかった。激しい自己嫌悪に陥るのは、男女大して差は無いのだから。
「もう一杯」
 ジョッキの中身を空にして、つまみのピーナッツを貪りながら頼むと酒場の女将さんは苦笑いを浮かべながら言った。
「羨ましい呑みっぷりだねえ。でも酒に呑まれないようにね」
「大丈夫よ、強いから。それにここのお酒、美味しいし」
 軽く受け流し、ついでに思っていたことを口にすると満更でもないような顔をした。意外と愛嬌のある女将さんの表情に、邪な考えが脳裏を過ぎって慌てて打ち消した。いくらなんでもがっつきすぎる。何より同性の場合、ある程度気を遣ってしまう。
 一気にジョッキのおかわりを呷ると、いい塩梅に火照りが治まってきた。というより、感覚が麻痺してきたと言った方がおそらく正しいのだろう。この状況で暴漢に襲われても撃退する自信はあるが、しかしここまで酒精に頼らないと治められない疼きの方が強敵に思えた。
 しかもそれはおそらく、自分の根っこに絡みついているものだと思えるものだからして性質が悪い。
 思い直すようにまたジョッキを呷り、ピーナッツを口に運ぶ。この組み合わせは悪魔的だった。
「ああ、そうそう。もう一つ注意することがあったんだった」
 と、ヤブカラボウに女将さんは言った。
「?」
「あんたみたいに、お酒飲んでる女性に声をかける奴がいるんだよ。これが結構な遊び人でねえ。一応気をつけといた方がいいかもしれないよ?」
「遊び人ねえ。まあそういう輩は嫌いじゃないよ。あいつらは一番雰囲気をわかってる」
「雰囲気?」
 と、首を傾げる女将さん。なんとなくだけど、遊び人は空気を読める奴が多い気がするのだ。そもそも、雰囲気を読めていないと遊び人としての生は謳歌できていないのだから。相手を不快にさせずに自身も楽しむ術に関しては、あの手の人種はトップクラスの能力を有している……という持論はだいたいの野郎の傭兵たちからそりゃねえよと断言されてしまった。
「どうも、そんな遊び人だよ」
「うひゃぁ!」
 急に隣から声をかけられ、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。そちらを向くと、いかにもな格好をした人物が実に堂々と私の隣の席に腰掛けていた。いくらなんでも隣に座られれば気づくはずなのに、気づけなかった。思っているよりも酒精が回っていたのかと疑問を抱く一方で、女将さんはどこか達観した顔をしていた。
 なるほど、こやつが。
 遊び人は女将さんに手早く注文を済ませると、私の方を見、
「ついでにこの人にも同じヤツを」
「はいはい。まったくあんたはもう」
 ぶつぶつと文句を言っているあたり、こういうことは一度や二度ではなさそうなことが窺えた。
「いやあ、お酒はいいよねえ。まさに命の水だ」
「それは同感だけど、何頼んだの?」
「ウイスキイ。嫌いだったかな?」
「いいや全然。好物」
 こうして自然に口説こうとしてくる姿勢が垣間見えるやつは、嫌いじゃない。寧ろこんな場末酒場の場合は、風情じみたものさえ感じられて、背景と溶け込んでとても自然なものに見えてくる。ある程度の喧騒と、ある程度の洒落っ気は酒に加える調味料としてはこの上ないものだ。
 やがて遊び人と私の前にタンブラーになみなみ注がれたウイスキイが出され、取りあえずは乾杯をしてからは、物言わず二人とも一気に中身を呑みほした。
 強烈な酒精が後頭部をガツンと殴り、それでいて灼熱感が喉から胃の腑まで甘い余韻を残して下りていく。鼻から突き抜けていく香気も、何もかも。
 一切の混じり気のない、味だった。
「はぁ……」
思わず溜息が洩れる。なぜか火照りが身を潜め、その代わりに身体を炙るのは酒精の心地よい篝火で。それが、独り酒でないものによることだとすぐに気づいた。そうだ。そういえば私は、久々に誰かとお酒を嗜んだ。
いや、嗜んだなんてお上品なものではないにせよ。こんな心地にさせるのも、遊び人の気質というものだろうか?
 少しだけ考える私の前に、どんと皿に添えられたのはカラスミで。驚いて遊び人の方を見ると、ただ微笑んでいるだけにも関わらず、その笑みは多くの意味を含んでいるのが見て取れた。
「奢りだよ」
「いいの?」
「綺麗なお姉さんにお酒。これだけ揃ってるのに言葉がいるのかい?」
 その言葉で了承を得た私はすぐにカラスミへと手が伸びた。ねっとりとした感触が口に広がり、ウイスキイで灼けた香気と渾然一体となって舌に絡みつく。普段ならやや強いと感じる塩っ気も、強い酒精と合わせるならば話は別だ。
 私が二回目の幸福な溜息を吐くのにそう時間はかからなかった。
「小洒落たものもいけるクチかい?」
「なんでも」
「ならホットバタードラムを」
 名前も知らない遊び人から出されたお酒を、私はとことん呑んだ。向こうも向こうとて同じくらいに杯は進み、美味佳肴にさらに酒を呷る。決して不快ではない、久々に味わう楽しく呑むという感覚に、私は夢中になっていた。ちびりちびりと啜るように呑むも善し、喇叭呑みをするも善し。どう呑んだって誰かと一緒に呑むお酒は美味い。
 鴨の肝とかいう珍味も野趣ある旨味とコクが舌を悦ばせ、貝柱の干物も海の風味濃くキリリとした冷酒とよく合った。よくもまあ、これだけの組み合わせをこの遊び人は知っているものだと感心しながら、いよいよ酒場も店じまいの時間が近づいてきた。人もまばらになり、懐を涼しくさせて去っていく男や、中には口説いた女を連れて一時の止まり木を探す風な者も見える。
 私も、これからあの仲間入りとなる。
 不意におとずれた自覚に、ちらりと遊び人の顔を窺うと、ただ微笑むだけだった。それが余計に秘め事の符号に思えてしまって、慣れたはずなのに羞恥の熱が顔を熱くするのがわかった。
 それが何より厄介だったのは、どうして羞恥が湧いたのかの理解が追いつかなかったことだ。
「いいお酒だった。やっぱり誰かと呑むのはいいものだね」
 ぽつりと、遊び人の口からそんな言葉が洩れた。
「……そうだね。こんなのは久しぶりだった」
 特に否定することもなく、私も応えた。が、遊び人は意外そうに私の方に顔を向けると、「へえ」と眼を細めた。
「お姉さん、結構呑みなれてるから誰かと結構呑んでるのかと思ったよ」
「偶にはそういう時もあるけど……まあ、滅多にないよ」
「それはまたどうして?」
 純粋な好奇心の眼差しを向けられ、視線を合わせるのが少しだけ躊躇われた私は自然と手元にあったジョッキに行き場を求めた。いたずらに甘い香りが鼻腔を弄び、胸の内が熱を孕むのを微かに知覚しながら、「私なんの仕事してるように見える?」と尋ねてみる。
 遊び人は少し考える素振りを見せてから、
「女性士官ってところかな?」
「はずれ」
「答えは?」
「傭兵」
 自分でも、躊躇うことなく口にできた。私の職を聞いて、遊び人もどこか合点がいったような表情をしていた。ただ、その合点もおそらくは想像の産物でしかなく、リアルではない。私が味わってきたものとは、きっとまた別のものだ。そう考えるとなぜか、悲しくなった。さすがに呑みすぎたかもしれない、今度は注意しようと自戒してもそれが今に反映されるはずはなく、滔々と、口からは言葉がこぼれていた。
「魔物相手にね。戦力差がありすぎてジリ貧の一方だと、そうした仕事が山ほど転がるようになってくる。もちろんタッパが良いか、腕っぷしに自信がなければできない仕事ではあるけどね。私は後者。とは言っても毎回撤退するばっかだけど」
 普通の人間と比べて、相手は規格外すぎるせいもある。
「まあどこも敗戦するばかりだとはよく聞くね」
 やはり戦いの話となると実感がないのか、どことなく言葉の余韻も遊び人は不安定になっていた。
 ただ、それよりももっと。
 私が撤退する理由はもっと別のところにあった。毎回、戦いながら見ているとふと思うのだ。彼女たちは、男を求めて、あるいは帰りを待つ者のために力を振るう彼女たちの姿は私にとっては毒すぎる。
 根本的に、戦う理由がずれていて。
 本能的に、戦う理由がずれていて。
 女としての格が違う。女としての核も違う。
 そんな彼女たちを戦場で見ていると、否が応でも思い知らされるのだ。
「勝てないよ。あいつらには」
「え?」
 傭兵風情が発していいセリフでは決してなかった。けれど、私以外にも武器を手に取った女ならきっとわかるのではないのだろうか。同じ武器を取って相対して、鈍っていた勘が告げるのではないだろうか。武器を取ってさえ、勝てない。武器を取り、幸せを勝ち取り。
 もしかしたらあんな未来が自分にも、もっとまともな女になれていたのかもしれないと思わせる姿を見てしまった時点で、敗北を知った。
「強すぎる」
 ダブルミーニングで。
 とここまで考えて、ふと話がずれていることに気づいた私はふっと酒精が身体から急速に抜けていく感覚を味わった。
「まあ兎も角、そんな危なっかしい仕事をしてるから一緒に呑むやつなんて滅多にいないって話さ。寝る奴はそこそこにいるけどね?」
 取り繕ったような挑発的な視線を向けると、遊び人はそれを軽く受け流す。本当に慣れているんだなと場違いな感慨に浸ったのも一瞬、私はいよいよ今日の閨事の相手が決まったと思っていた。どれほどテクがあるのか定かではないけれど、遊び人なのだ。不器用じゃ遊び人はつとまらない。少しは楽しめるか。
 刹那的な快楽の予感に、酒精とは別の熱が下腹部で疼きだした瞬間。
「じゃあ、飲み友達になろうか」
「……は?」
 予想外の言葉に、私は凍り付いた。構うことなく、いいでしょ?と視線で告げる遊び人に返す言葉が見つからず、私はただ黙りこくるしかなかった。
 いきなり何を言い出す?こいつは。もともと私と寝るために隣に座って声をかけたのだろうに。酒もつまみも、それまでを焦らし期待を昂ぶらせるための道具に過ぎないはずだろうに。少なくとも私は、遊び人にとってはそういうものなのだと思っていたのに、こいつの目は――語っていて。
 ふっさりとおろされた睫毛の翳りに、優しく哀しくしまわれたような感情の澱があり、何か私の語彙では説明しようもない目の不穏な紅さに不覚にも、生娘のようにどぎまぎとしてしまって。
「明日も待ってるよ。ずっと」
 言って立ち上がる遊び人の袖を思わず掴もうとした手は肝心な時に限って宙を空振り、空気を掴む感触だけが手の平にひんやりと伝わった。
 え、あ、と言葉を絞り出そうにもなんと言っていいのかがわからず、とりあえず待ってと声をかけると遊び人は振り返った。
「なに?」
「あ、あんた私を抱くつもりだったんだろう!?だったら何でさ。躊躇うことなんて、いや、躊躇うとは違うような気もするけど、でもだからってさ!」
 そこまで言うと、散歩でもするような足取りで遊び人は近づいてきた。距離をどんどん縮め、お互いの吐息が混ざり合うほどに近く、近い。そこまで接近されるとは思ってなかった私は思わず後退り、そのせいで揺らいだ空気に微かな甘い香りがするのがわかった。
 男がよくつける香水の香りではない。もっと甘い、自分に近いような匂い。女性が漂わせるそれに似た――
「あ」
 そこで私は視線を動かした。よっぽど酒が回っていたのか気づかなかったが、服の上から僅かな膨らみがある胸部に、この香り。そして男性にしては曲線美が過ぎる身体の線。
「あんた、おん――」
 言いかけて、そこで口を噤んだ。いや、女だろうとも抱いたことも抱かれたこともあるし、どっちかわからないことなんて偶にはあった。だからこそ、珍しいことでもないし、動揺することもなかったけど。
 口は噤まれたのではなく、正確には塞がれた。
 彼女の唇で。
 子ども同士がするような、唇を押し付け合うだけの陳腐なキスだった。ねっとりと舌を絡ませ合うこともなく、官能の火にくべる薪にもならないキス。なのに柔らかい唇の感触はやたらと鮮明に刻まれる。
 一秒か、二秒。
 それくらい経って、彼女は離れてから少しだけ笑った。
「そのつもりだったんだけどね。気が変わっちゃった」
 聞いていて、心地いい声だった。
 また背を向けてくてくと歩き出す彼女を呼び止めようとしたが、呑気にバイバイと振られる手が返事の代わりとなって、私はその場に佇む形となった。
『明日も待ってるよ』
 彼女の声と、唇の感触だけが残滓となって、私の感覚の中に入っていった。行き場を失った熱が腹の底で蠢いていたけれど、一人で慰める気分にもならず私はただ手を握りしめた。
「なんなのさ」
 自分で呟いた言葉に酒の香気が混ざり、噎せそうだった。

2

 酒場へ向かう足は、自分でもよくわからない重さを携えていた。嫌とも好きともつかない足を、半ば自棄になりながら動かすとすぐに酒場の喧騒は耳に届いた。野郎どもの下卑た笑い声、ジョッキが子気味よく打ち鳴らされる音、それらが聞こえてもその中で小洒落た空気を出すやつが視界に入っても、私はどう対応すればいいのかがわからなかった。相手の目的も自分の気持ちも読み取れないまま呑む酒は、果たして美禄になるのだろうか。まだ躊躇いながらも、やることがない私はそいつの隣に腰掛けた。
「こんばんは。待ってたよ」
 氷だけが入ったグラスをカラカラと鳴らすと、少しだけ顔の赤い遊び人は屈託のない笑みを見せた。その笑顔の下に何が潜んでいるのかを見抜くことはできず、私は悶々としながらビールを注文する。
 なみなみビールが注がれたジョッキから泡が垂れるが、それも構わず私は一気に中身を呷った。酒の力を借りなければ、情けないことに話の一つもできそうな状態ではなかった。
 一気に鼻腔を酒精が突き抜け、気分もある程度はマシになる。酒の力は偉大なり。
「あんた、昨日はなんで」
「あ、もう一杯ちょうだい。できればなみなみ注いでね」
「話を聞けよ!」
 くっくっと笑いを漏らし、こいつは楽し気にしていた。何がそこまで楽しいのか。私は今日は怒るつもりで訪ねてきたのだから、そのぶんは怒らないと割に合わない。
 だからこいつの頭をむんずと掴んでやりたい気分にもなったけれど、それはしないでおいた。なんというか、手を出したら負ける気がしたから。
 そんな私の心中を察することなく、隣で酒を美味しそうに呷るこいつは本当に憎たらしい。
「まあまあ、そんな顔してたら美味しいお酒も美味しくなくなるよ?」
「誰のせいだと思ってるのさ」
「?」
「あんた、なんで昨日私を抱こうとしなかったのさ」
 真っ直ぐに、私は問うた。どうして、なぜ。別に意固地になって聞いているわけではなく、聞くべき理由があって聞いている。明らかに昨日のこいつは、私を抱く目をしていたのだ。男がよく私に注ぐ、頭のてっぺんからつま先まで品定めするような視線をしていたのに。気がつけばその視線は身を潜め、代わりにあったのはどこか慈しむようなものだった。
 一瞬だったけれど、断じて見間違いなどではないあの目。もし憐憫の情にでも駆られたのなら、それはこっちを惨めにさせているだけで、腹立たしいことだった。
 いや、それ以前に、劣等感を抱きかねない。
 あの目は、慈しみの目は、剣を交える魔物たちと同じ目だから。
「折角なんだから名前で呼んでほしいなあ」
 こっちの話などどこ吹く風といったようで、私は相手にするのも馬鹿馬鹿しい気持ちになりながら
「ミア。ミア・U・マンハッタン」
 そう言った。馬鹿正直に名乗ってしまった私は、それ以上の馬鹿だろうか。
「オーケー。ミア、ね。私はベラ。ベラ・B・ディビナン」
「じゃあ話を戻すけど、ベラ。昨日はどうして」
「彼女にテキーラ一杯お願い」
「一発殴っていいか?」
 女性に(魔物は例外として)手をあげるというのは、どうにも気乗りしないではあったがここまで会話が進まないなら一つの手段として殴るというのは理に適っているんじゃないかと思い始めた。ベラ相手なら、なんだったら助走までつけてもいいかもしれない。
「まーまー。呑もう。食べよう!」
 が、ずいっと顔の前に差し出されたジョッキを受け取らない道理はなく、かくして、こうして、私とベラの酒盛りはなし崩し的に始まった。
 テキーラが灼熱感によって食道から胃の腑までを温め、脳髄にじんとした痺れをもたらす。一口呑んでしまえばあとはもうどれだけ呑もうが同じだった。酒精が不満だとか鬱屈したものだとかは全部押し流してしまって、あとに残るのは心地よい酩酊感と酒の香気が充満した身体だけ。あ、流されているなと思っても手は止まらない。もちろん酒精の力というのもあるのだろうが、それよりもベラが本当に美味しそうに、楽しそうにお酒を呑むのがいけなかった。
 目をぎゅっと瞑って、喉が、胃が、身体が酒精で刺激されるのを存分に謳歌している顔。その後に含みのない笑みをこちらに向けて来るのだから、こちらも呑まずにはいられなくなる。笑顔に煽られるように酒を呷ると、ふと身に覚えのない感覚がした。
 なんとなく、ただ、なんとなく落ち着くような感覚。胸の中にあったしこりが抜けていくような感覚。
 酒がそう思わせているのだろうと考えたけど、それにしてはやけに明瞭な感覚だった。落ち着いている、安心している自分がいるのだろうか。そう知覚したのも暫時、頬ずりしてきたベラによって意識は全てもっていかれた。
 美味しいでしょ?と同意を求める視線に対し、無言で杯を呷ることを返事とすると、彼女は嬉しかったのかにんまりとしてみせた。意外と愛嬌もある、とふと思う一方でベラが果たして何を目的としているのかを計りかねている自分もいる。
 一度は、一度は抱こうとしたはずなのに。
 ただそんな疑念も酒の肴にするには苦味が強すぎるので、鉛のような重さをもったそれを酒と一緒に身体の内側へと押し込んだ。
 少なくとも、そんな疑念の種であるベラ本人は今のところ
「あっははー。ミアお酒で顔まっかっかだー。なんで分身してるのー?」
 この調子なので、気にする自分がアホに思えてしかたない。気にならないと言えば嘘になるが、それでも気にするよりは今はお酒だろう。
 互いにおすすめの美禄を語り合い、つまみの品々に舌鼓をうち。気持ちのいい火照りを感じながら酌み交わす酒の味は、悪くはなかった。
 自然と微笑が洩れ、それを見たベラは凄く満足気な顔をしていた。
「うんうん」
 と一人で頷き、どこか得心がいったような様子をしている変なやつ。
「なにを頷いてるのよ?」
 ちょっと気になったので、聞いてしまった。
 少しだけベラは目を細めて、
「やっと美味しそうにお酒を呑んだ」
「え?」
 まったく想定していなかった返事に間の抜けた声が出た。やっと?美味しそうにって、誰が?ほんの数秒の空白の後、その主語はおそらく自分だと理解した頭に降りてくる熱があった。
「酒場にいながら、美味しくなさそうにお酒を呑む人なんて初めて見たから、気になっちゃった。よかった。そんな顔もできるんじゃない」
 ベラの手が私の頬を撫で、しっとりとした肌の感触と温かな他人の熱がゆっくり伝播していくのがわかった。頭に降りた熱とベラの体温が融けあい、私の胸をより深い場所へと誘う感覚にとらわれていく。
 何を言っているのか理解できないと咄嗟に感じながら、同時に胸の中にあったしこりを言い当てられた確信も確かに存在し、その当然の帰結として容量を多分に超過した頭蓋がパンクする音を聞いた。
 絶妙にブレンドされつつある脳内で、しかし酒は嗜好品だと反論をあげる声もあった。多種多様なニーズに応えるべく、その味も酒精の度数も人の数ほど酒があると言っても過言ではない。だから、私の口に合わない酒を呑んでしまえば、苦虫を噛み潰したような顔をしていてもそれはしょうがないことだ、と。
 違う。
 そういう話をベラは、きっとしているのではない。もっと、もっともっと根深いところに根差した私の根幹の話をしている。
 ふと一人酒ほど無意味なものはないと言っていた傭兵仲間の言葉を思い出し、そうかもしれないと一人遅すぎる納得をする。
 ……呑み過ぎているのかもしれない。
「お酒はとても便利だから、誤魔化しもハッタリも利く代物を嫌がらない人はいないけど、それでも一人の空気を纏ってお酒を呑んでるのはミアが初めてだったよ」
「あんたはどうなのさ」
「見てわからない?」
 ワイングラスを片手にゆらゆらと波立たせて言うベラの姿には有無を言わせぬ説得力があった。問うことすら無粋だった。
 無意識のうちに、酒に逃げていた私と違って。いや、それすらも違うのかもしれない。誰かと呑んでいるつもりはあった。当然行きずりの男女とも酒は交わしたし、そうやって日頃胸中にあった鉛のような重さのしこりは見えなくなっていった。気づけなくなっていったと言った方が、正しいか。
 それは多分、寂しさというしこりだったのだろう。誤魔化しもハッタリも通用する、しかし癒すには難しいしこり。
 ただ、それ以外にも要因は確かにあった。
 戦場で出会うあいつらの女の顔が、
「羨ましいねえ」
「何言ってるの。もうそんな顔できたんだからじゅうぶん!」
「あ、いや、そうじゃなくて」
「?」
「ああ、うん。こっちの話だよ」
 だいぶ呑んだが、もう千鳥足になるような生半可な鍛え方はしていない。代わりに、頭はそこそこの被害を被っているかもしれないけれど。けれど、収穫はあった。
 ずけずけと、人の内側に土足で入ってくるようなやつではあったけれど、不思議と不快にはならなかったのも大きい。そう思えば思うほど、ベラは不思議な女性だった。女としても、人としても魅力的だ。ただ、その魅力というか、私を酒以外の力で惑わせるその雰囲気はまるで、魔物たちによく似た――考えすぎか。
「どう?まだおすすめのお酒はあるけど、呑める?」
 ちょっぴり挑発的な視線を向けてくるベラに対する返事は決まっていた。
「あたぼうよ」

3

 とはいえ、物事には限度というものがある。
「歩けるけど、ちょっときついかな……本当に悪いね。部屋かりちゃって」
「気にしないでよ」
 あの後、久々に、本当に久々に美味しい酒を味わった私は少し、いやかなり調子に乗り過ぎた。さすがに堪える量に到達した酒精の摂取量は私を苛む毒になり、疼痛をじわじわと脳髄から押し広げるようになった。しばらくすれば治まるものとタカをくくっていたが、一向に治まる気配がなく、それを見かねたベラによって、懇切丁寧に介抱されている現在に繋がるのだから情けない。
 傭兵用の兵舎があるからいいと言って一度は断ったが、それでもと言ってくるベラを拒むのも失礼に思えた私が最終的には折れる形になった。家に案内され、ベラの寝室を借りる私の図だ。
「これを飲むといいよ。酒に呑まれた時にはこれが一番」
 と、ベッドに横たわる(至れり尽くせりだ)私にベラは一粒の錠剤を手渡した。真っ白な、どこでも見る様なものだが一応聞いてみる。
「何これ?」
「魔法を込めたあれこれでね。酔いを一瞬で吹っ飛ばしてくれる」
「……怪しいオクスリ?」
「いやいや、効果は保障するよ。しょっちゅうお世話になってるし」
 お世話される側か。
 ならばと口に躊躇わず放り込み、これまたご丁寧に差し出された水で錠剤を飲み込む。一瞬とはいったが、本当にそうではないらしかった。
「実はこう見えてちょっとした魔法を齧っててさ、もっともお酒に関することくらいなんだけど。その産物だよ」
「へえ。魔法使えるんだ。人は見かけによらないもんだねえ」
「見かけだって大切だよ」
「いやでもねえ。どう見たってあんたは遊び人と呑兵衛を足して割らずにおいたような感じだし」
「泣いていい?」
 そんなやり取りをしながら、私はベラの部屋の中を見渡してみる。寝室にも晩酌用か、棚にずらりと並べられたお酒は個人の蓄えにしてはかなりの量だった。しかし目立っているのはそれくらいで、あとは机に椅子、テーブルに私が寝っ転がっているベッドくらい。ちょっと寂しいと思える部屋だった。もっとも兵舎暮らしの私が言えた台詞ではないのだが。
 ただ、ベラらしいといえばらしいかもしれない。会ってまだ二日ばかりしか経っていない相手の部屋をらしいと思うのもおかしな感覚だったが、そうとしか説明できないような腑に落ちた部分もあり、納得するしかない。
 もしくは案外、やましいものは傭兵仲間の男どものようにベッドの下にでも隠してあるのだろうか。以前そこを探そうとすると、途轍もない剣幕で迫られたので深くは追求しないでおいたけれど……女性も同じものだろうか?
 くだらないことで自分の思考を弄んでいるうちに、ふと私の意識が次第に明瞭になり始めていることに気づいた。
「おお、凄いね」
 思わず感嘆の声を漏らした。それぐらい、効果がある。もっとも、一瞬という即効性ではないようだがそれもこの効き目からすれば些細な問題だろう。
「ふふん。お酒に関する発明なら負けないさ」
 自慢げに胸を張るベラ。それに連動して胸が揺れ、悩まし気な運動を見せつけてくる。そういえば、ここはベラの部屋、一人暮らし(と聞いた)の女性の部屋だった。遅すぎる実感が胸に降ったが、それでどぎまぎするということは別段ない。
 私は女なのだから。
 こういうのに感慨に浸れるのは、やっぱり男の特権なんだろうか。自分の部屋に招くというのは、向こうからすればもう同意を得たも同然なのだから、感慨も欲望もどっぷりに違いない。
 ただ、ベラにまでそれが適用されるのかは不明瞭なところがある。私を抱こうとしなかった彼女だ。どだいそれが本心を巧妙に韜晦してみせていたのだとしたら、それはそれで恐ろしいものがある。たとえば今だって。
 ベッドに寝転んでいるというのは、些か私が傭兵という身分であったとしても無防備が過ぎるというもので、これも男女間であれば立派な合意の一つには取られるだろう。でも、なんとなくとしか説明できない感覚でわかる。ベラは私を抱こうとはしない。
 せいぜいそっとキスしてくるくらいだ。決して決して決して、身体を貪ったりはしない。少なくとも、今は。
「どうしてわかるんだろうね……」
「ん?何か言った?」
「いんやなんも」
 ぶっきらぼうに返事をする私。
「そう。それじゃあ、今日はもう遅いし寝ていくといいよ」
「お言葉に遠慮なく甘えるよ。おやすみ」
「うん。おやすみ」
 そこで私はすぐにでも瞼を閉じて昏々と眠るはずだった。若干の気怠さが身体にあったのもそうだが、ふと肩の荷が降りて少し解放された感覚を味わっていたのもある。けれどそうしなかった、否、そうできなかったのは。
「よっこいしょっと」
 なんて言いながらとても自然にベラがベッドに入ってきたからだった。
「ん?」
「ん?」
 いやいや、「ん?」じゃない。ついさっきまで抱かれないだろうと理由のない確信を覚えていたそれが、一瞬にして崩壊した瞬間だった。こういう咄嗟の事態にはどうやら私の頭は弱いらしく、説明できない感覚というものはよくよく考えてみればそれはイコール正体不明ということで、欲情にも理性にも捉えることができるのだから一方の尺度で解釈するのは云々とご高説を垂れ流すばかり。
 では身体はどうかとくれば、すごく情けない話でかちこちに硬直していた。心臓が期待に鼓動を早め、きゅっ、と何かが収縮する切なさが腹から胎へと降りていく。
 転瞬、理性が一気にその手で切なさを疼きに変えさせまいとする。馬鹿、反応するんじゃないと。期待するんじゃないと。
「いやなに、生憎とこの家にベッドは一つしかなくてさ。まあ女同士だし特に気遣う必要もないと思うし、勘弁してくれるかな」
 けれど切なさは抵抗も虚しく、子宮へと浸透していく。何を馬鹿なことを。ベラだってこう言ってるのに、何を、何を篝火を見つけた気になっているのか。
 架空のヒンメルライヒにでも飛び込んだつもりでいるのか。だとしたら、そんな錯覚起こすんじゃあない。
「あ、錠剤の効果は安心してくれていいよ。二日酔いなんてさせない」
 私は耐える。
「だからゆっくり、自分のベッドだと思ってくれて構わないから。まあ私もいるんだけど」
 私は耐える。
「ありゃ、さっきから返事がないね」
 私は耐えて。
「おーい、大丈夫?」
 私は耐えて。
 この時私の頭の中ではひたすら色んなことが渦巻いていた。息を吐くそれだけのことでさえ甘い疼きが含まれてしまいそうで、呼吸を止めたくなる。ここまで疼きが身体を支配するのはおかしいと考えた理性も一瞬で媚びた態度を疼きにとりはじめ。錠剤のせい?と思い返しても、いやそうではないと断言する声が聞こえ。ならば何と頭を回すと、結論は至ってシンプルなたった一つのこと。
 結局のところ、お酒なのだ。
 呑まれた、と言えばわかりやすいか。お酒に呑まれた後に、その身体を火照りが目覚めさせ、どうしようもない情欲の種火が燃え盛りそうになるまでに至ってしまった。ある意味、これでもいいのかもしれない。ふとそんなことを思った。
 脈絡のない思考に当惑しても、火照りは消えない種火は静まらない。でもだとしたら、私はベラ以外と今さらお酒を呑めるのだろうか?
 いや、何を考えているのだろう。でも、ああ、疼いて。思考が意味をなさなくなってきて。
 刹那。
「きぃ〜てる〜?」
 耳元から、電流が走った。甘噛みされたと知覚するよりも先に身体が反応し、背筋に快感がぞくりとひた走るのを止めることは間に合わず。種火を真っ直ぐに目指した快感は、あまりにも軽い音を立てて私の名状し難い何かを引き裂いた。
「ねぇ……」
 ぐるりと身体をベラの方に向け、顔を彼女のすぐ傍にまでもっていく。声は、言葉は自然に洩れていた。
「おねがい」
 自分でもこんな声が出せたのかと思うほど、蕩けそうな甘い声音。この声の主は、本当に自分なんだろうか?と他人事のように思って。それでも言葉の続きが途切れるということはなかった。
「抱いて」
 言った。言ってしまった。
 後悔とも期待ともつかぬ感情が入り混じって、私の顔を熱くするのがわかった。視界は緩慢な速度で歪んでいき、ベラの顔もそれに合わせてぐにゃりと形を変える。ただ、その表情はどうしてだろうか。
 とても、とても優しいものだった。
 ぐずねる子どもをあやすようなもので。
 とても、とても嬉しそうなものだった。
 子どもの成長を微笑んで見守るようなもので。
「うん。おやすみ」
 その言葉を最後に、私の意識は夜の帳よりも深い闇に消失していった。

4

 目覚めはとてもあっさりとしたもので、最初自分がどこにいるのかわからなかった。ただ兵舎でいつもそうしているように視界を闇の中から急速に取り戻し、それを機会に反射的に身体を起こすまでがワンセット。そして冷静になった頭がふと、見覚えのない景色は昨日のせいだと思い出した。
 お酒を呑み過ぎた私。介抱してくれたベラ。そして。
 隣に目をやると、ベラは既に身体を起こしてワインを呷っていた。服は、着たままで。よくもまあ朝からと言うつもりが、口から出てきたのは意図しないものだった。
「意地悪」
「おはよう。よく眠れた?」
「最後の最後で、うんって言ったろ。なのに抱かなかったねこんちくしょう」
 そりゃあ寝ちゃったし、と苦笑を零しながら応えるベラの頬を軽く抓ってその鬱憤を十二分に晴らして、私はベッドから抜け出した。
 恨みがましい視線もついでに注いでやろうと思ったけれど、時間的猶予があまりないのでそれは断念する。決して傭兵稼業に遅刻は許されないのだから、万が一しようものならお給料を減らされてしまう。
「もう行くの?」
「遊び人のベラと違って忙しいからね」
 背を向けたまま答える。ベラの表情は窺えないけど、だいたいどんな顔をしているのかは容易に想像できた。どうせとぼけ面をしているに決まってる。
「じゃあ行くよ。部屋はありがとう」
「ちょっと待った」
 何さと振り返るのと、唇が奪われるのはほぼ同時だった。ぴくん、と突然の出来事に身体が一瞬震え、その間にベラの舌は唇を器用に割って口中までするりと侵入してくる。戸惑っている間に私の歯並びが、歯茎が一通り舌で愛撫される手際のよさに、ああテクニシャンだと今さらの実感が湧いた。
 私も舌を絡め、両手でベラの顔を固定する。混ざり合った唾液が口の隙間からこぼれていったけど、気にしなかった。目を細め、お互いにくぐもった嗚咽を洩らしながら貪り合う。キスってここまで気持ちのいいものだったっけ。もっとしとけばよかった。
快美感が胸中を満たしきったときに、どちらからともなく離れ、透明なアーチが重力によってたらりと垂れた。
「ぷっ。ふふふ。あっはははっはっは」
 この声は誰?いや、私の声だ。でもどうして噴き出してしまったのか。原因はさっぱりだったけど、嫌な気分じゃなかった。
「よし、行ってらっしゃいミア」
「……ったく。行ってきます」
 また会うことが当然のような会話。
「ああ、そうだ」
「まだ何かあんの?悪いけど朝から続きをしてたら遅刻しちゃうよ」
「いや、今晩はうちでどう?美味しいワインがあるんだ。きっと気に入ると思う。君も、もっと変われる。どうかな?」
 そして、また酒を交わすのが当然のような会話でもあった。その返事は決まって
「あたぼうよ」
16/02/27 19:27更新 /

■作者メッセージ
そんなお話でした。楽しんでいただければ幸いです。
珍しい百合ものです。

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