僕と言葉のうちのどちらが相手の主人になるかということ
1
落ちてしまえばそれはもう元に戻らない。それは卵を落としたことがある人ならわかるだろう。殻が砕けてしまえば飛び出すのは中身だ。どろどろの、粘性のある中身。だからと言って過剰に落とすことを心配しても、それは羹に懲りて膾を吹く様なものなので誰も気にしない。
だけどここでは違う。この狂った世界ではその卵に注意し過ぎて決して損をする、なんてことはない。卵の中からあいつはやってくる。
僕がこの世界に落ちてきてから、丸々一日が経過しているけれど、我ながらよく理性を保てていることがわかる。聞こえて来るのは姦しい声と嬌声、視界に入るのは裸体、茸、紅茶に蜂蜜、シルクハットにトランプ。
落下してきて直後に僕に話しかけてきた猫は言っていた。ここは不思議の国だと。最初はその猫についている耳も尻尾も飾りと思っていたのに、それを信じるしかなくなってしまった。僕以外の男が落下してきたと思ったら、その上に重なり合うように卵が降ってきた。卵なのだから、中身がある。その中身が人外の化け物だとしたら、それはもう信じるしかない。
ただ、信じてはいても、僕はこの世界にいるつもりはさらさらなかった。早く帰らなくちゃ家族がきっと心配するだろう。
だから猫に案内を頼んで出口までの道のりをせっせと歩いている真っ最中だけど。
「それにしても本当に帰りたいのかにゃあ?」
「うん。家族が心配するからね。そのハートの女王様に頼めば、元の世界へ帰れるんだろ?」
「たぶんにゃ」
「よかった。光明だよ」
「そうかにゃ。まあ、私自身自分を巧妙だとは思うにゃあ」
時々会話のずれを感じるのは、この世界が不思議の国だからだろうか。子どもの頃にアニメで大よそのあらすじを知ったけれど、確か原作は凄く言葉遊びの技巧を凝らした作品だと小耳に挟んだことがある。だとしたら、まさに今僕はその世界の一端と同化していることになる。文学人からすれば、血の涙を流して羨ましがるかもしれない。
それでも。
「いささか退廃に過ぎるとは思うけどね」
けれどそれはとても――
「にゃ?」
蠱惑的でも、ある。
「あ、ごめん、こっちの話だよ」
首を傾げるだけで、猫はまた前を向いて歩きだした。道中色々と説明をされ、その一つ一つが実に淫靡で退廃的なものだと知ってしまうと、多少なりともげんなりとせざるをえない。
自然物でも人工物でも、もちろん不思議の国の住人であっても。子どもが仕掛けた悪戯の方がまだ可愛げがあるようなものだ。
例えばすぐ傍を流れている紅茶の川。一口啜れば甘美な芳香が広がり、至福のひと時を味わえるそうだ。ただし時間が経つと視界に変化が出てくる。見るものすべてが帽子屋に見えてしまうそうで、最後にはふらふらと自分から紅茶の川に飛び込んでしまう。そして待ち構えているのは帽子屋。つまるところ一口でも口にした時点で帽子屋の番になるしかない。
空から降る飴にしたって雨にしたって。その味を知れば次第に身体は疼き女なら不思議の国の住人に、男は見境なく女を襲うほどの媚薬。身体を濡らせばその匂いでたちどころに住人たちに囲まれる。
ぞっとする話だった。
その中でも一番僕が興味をひかれ、そして同時に恐ろしく思ったのは卵だった。空から降る卵。その中身は、スライムのような魔物。割れると同時に目に入った男をすぐに夫と認識して性交を図るのだそうだ。ちょうど、親ガモと小ガモの関係に似ている。もっとも鴨の親子はそこまで淫靡な関係ではないが。
「そう言えばまだ名前を聞いてなかったけど、君の名前は?」
「チェシャ猫にゃ。名前はまだにゃい」
「チェシャ猫って名前じゃねえか」
それでもこの猫に付いて行ってると比較的安全な道程が保障されるのは安心できた。何より機知に富んだ話し相手というのはそれだけで退屈しない。もはや道端で男女がまぐわっているのを見るのに慣れてしまった(感覚が麻痺してしまったとも言う)僕は、若干退屈を催していたところだ。それを適度に紛らわしてくれる存在というのは、とてもありがたいものだった。それを油断と言い切ってしまうと、そこまでだが。
「それにしてもこれだけの光景を見て、性欲を持て余したりはしないのかにゃ?」
「しないね」
嘘だ。どだい僕が理性的な人間だとしても、本能に準ずる欲求を堪えられるはずもない。だけど、抑えられはするしそれを悟られるつもりは毛頭ない。
「じゃあ帰ったら愛しい娘を襲うとかそういうこともないのかにゃ」
「ないね」
「勿体無いにゃあ。有名な歌の歌詞には、ヤりたい娘とヤったもん勝ち、なんて歌詞もあるくらいにゃのに」
「子ども忍者が奮闘する話って、そこまで淫靡なものだったっけ?」
というか、なんで違う世界の歌を知ってる。迷い込んだ別の人が伝えたのだろうか。
くだらない話に花を咲かせながらも、歩くことは止めない。いや歩くことを止めてしまっても構いはしない。しかしそうすることでどうなってしまうかは、わかりきっている。
何度か卵が僕の前に落下しかけ、その度に惚れ惚れするようなサマーソルトキックでその卵をチェシャ猫が吹っ飛ばす。これだけ卵が落ちてくるのだから、上空もさぞ阿鼻叫喚というか、発情した人外のテリトリーになっているのだろうと空を見上げても、不思議なことに桃色の空があるだけだ。常識が通用しないと頭の隅で理解しながらも、僕は首を傾げずにはいられなかった。思わず気になって、チェシャ猫に問いかける。
「ねえ、この卵ってどこから来るの?」
「どこって、そりゃあ塀からだにゃあ」
「でも空には何もいない」
「何もないから空なんだにゃ」
「塀なんてものも見当たらないよ?」
「ハンプティ・ダンプティが落っこちるのは塀と相場が決まってるにゃ」
機知に富んでいたはずのチェシャ猫が急に頓珍漢なことを言い出すので、僕は理解に苦しんだ。もしかしたら見落としているのかもしれないと思い、周囲をよくよく見渡してみても塀らしきものは見当たらない。ただただ淫靡な建築物と卑猥な自然が広がるだけだった。
塀のへの字もない。
「「塀」というのは何かの比喩かい?僕には君がどういう意味で「塀」という言葉を使っているのか、よくわからない」
チェシャ猫はこっちを見て、小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら言った。
「そりゃわからないだろうにゃ。私が説明しない限り。私は「いずれこの世界の住人になるんだから意味はない」という意味で塀と言ったんだにゃ」
「……?いや、塀って名詞にそんな意味はないって」
今度は嘲るようにしてチェシャ猫は口を開く。なんだか楽しそうなのが少し癪だった。
「ひょっとして真に受けやすいタイプかにゃ?言葉なんて使う時使う場所で姿を変えてこっちをおちょくってくる奴にゃ」
「じゃあ君の「塀」にはさぞかし素敵な意味合いの「塀」もあるんだろうね」
ちょっとした嫌味のつもりだったけど、チェシャ猫はどこ吹く風といった様子で言った。
「なんでもござれだにゃ」
急にこちらを煙に巻く発言をするチェシャ猫の真意が読み取れず、僕は胸に雨雲を作られた気分になった。その心情が顔にまで出ていたのか、じっとこちらを見つめて来るのが恥ずかしくなって思わず俯くと、実におかしい風な笑い声だけが耳朶を打つ。
「ひょっとして気づいてないかにゃ?ハンプティダンプティのやり取りのつもりだったんだがにゃあ」
「えっ」
言われて、そこから数秒の間があり、ようやく頓馬の頭が理解を追いつかせた。不思議の国の話にあった、アリスとハンプティダンプティのやり取りを今までなぞっていたと。だとしたら最初から言って欲しい。
文句の一つでも垂れかけた時に、それは不意に落ちてきた。猫も気が緩んでしまっていたのか、完全に間隙を縫う形で落ちてきた卵。暗夜の礫ならぬ暗夜の卵は今まで通りなら、驚異的な身体能力から繰り出されるサマーソルトが一つの例外も許すことなく、どこか彼方へと卵を吹っ飛ばしていただろう。
だからこれは、一つの例外だった。
そこからはまるで演劇の一連の動きをなぞるように鮮やかに進んだ。僕の手はまるであらかじめそうする事が決まっていたかの如く自然に、落ちてきた卵を受け止めると、衝撃で割れてしまわないように細心の注意を払いながらがっちりと抱え込んだ。
「は?」
「にゃ?」
何が起こったのか自分でも理解の外になり、思考からも慮外者となった。いや、でもだってけれどもそれでも。
ハンプティダンプティは落っこちたらどうやっても元に戻せないじゃないか。王様と家来でも戻せないものを落としてしまったら、どうやって僕が戻すっていうんだ?
「いったい何してるにゃ?」
「大丈夫だよ。いたって冷静そのものだから。まずは落ち着いて居酒屋で一杯ひっかけた後に奇怪な黒い家に足を運んでオオカミを飼いならそう」
「動揺しすぎだにゃ」
今まで、多少の緊張感はありながらもちょっとした散歩程度のものだった場の空気が一瞬にして戦場と化した。僕の手にある卵はもはや核弾頭と同レベルの代物となっている。ちょっとでも小石に躓いてしまえばそれで僕の人生は終わってしまうのだ。おそらく家族の顔を拝むことは一生ないだろう。
「大丈夫だよ。牡丹餅は米、辛抱は金とも言うじゃないか。この程度の困難どうってことないね。おはぎ食べながらだって僕にはできる」
「映画の評論で最近忙しそうなあの人かにゃ」
「それオスギ」
「ヒーハーとか叫んでる」
「それコスギ」
「冬になってくると最近辛くなってくるにゃあ」
「それ薄着。違う僕が言いたいのはそんなことじゃないし漫才がしたいわけでもないんだ。違うそうじゃない」
そういうことを言いたいんじゃない。そうじゃなくって、僕はこの卵のことを話したいし、離したいんだ。
じっと手元の卵を見つめると、若干震えていた。中で何かが、いやそれは紛れもなく魔物であるハンプティ・エッグが胎動している証拠であり、僕の現実へ帰るためのタイムリミットでもあった。
最早一刻の猶予もない。チェシャ猫に先を急がせようと顔を上げるとそこにやつはいなかった。いや、輪郭はいるのだ。確かにそこに妖艶なシルエットを残して。ただ、それだけだ。輪郭があるだけで中身がない。まるで僕の一言一言が彼女に血を巡らせていたような、そんな空っぽさだった。
そんな空洞が言う。
「三十六計」
「逃がすかド屑」
跳躍の姿勢を取った輪郭に対して僕は素早く足払いをかけたのだが、まるで盛大な一人演技でもしているかのごとく、それは空ぶった。すり抜けるという形で。その時の僕はよほど間抜けな顔をしていたのか、にんまりと顔あたりの輪郭が歪む。もはや線だけで構成されたチェシャ猫は僕を現実に帰す気はないらしい。
「僕を帰すって話はどこへ消えたんだよ」
「帰すつもりなんてないにゃ。もっとも、孵すつもりならあるけどにゃあ」
「お前さては最初から狙ってたな」
「そんなこと話すなんて、鶏が先か卵が先かくらい不毛な議論だにゃ」
からからと、さもチャップリンのキネマでも拝んだかのような呵々大笑。
「まあもっとも、その卵が魔物となるのは卵からか、卵が割れてからかは私も知らないけどにゃ。それに慌てながらだって、対処は簡単にゃ。なのにどうしてそれをお前はしないのかにゃ」
心の奥を見透かして、さらに深部をくすぐるような声だった。その声に若干の不快感を覚えながらも、確かに僕はあるジレンマを抱えていた。
この畢竟八方塞がりに見える状況の打開策は極めて単純。この卵をどこか遠くへとぶん投げてしまえばそれで解決する。そうすればどこか遠くで卵は割れるだろうし、たとえ中身が僕を狙ってきたとしても距離があるのだから走ればいい。運が良ければ出口まで辿り付いてめでたしめでたしだ。
けれどそれをしない。
仮にもこれは卵で、しかも命が宿っていて、そしてもうすぐ呱々の声をあげようとしているのだ。生まれてきた瞬間は誰だって祝福されるべきだと僕は思う。それが魔物であろうと、生を受けた瞬間に悪な奴がいないのと同じだ。歪みだす心は歪ませるものがあってこそ歪む。それに遭遇するのは今じゃない。
つまるところ、僕の甘っちょろい偽善者ぶった考えと心が邪魔をしている。道程が永遠に続いているかもしれないだとか、必ずしも手段が成功するとは限らないとかいう不確定要素に揺れ動かされているわけじゃない。
「なんていうのは建前だよ」
「にゃ?」
輪郭だけで器用に首を傾げるチェシャ猫。こいつの関節や筋肉はどうなってるのかと観察したくなるけども、それをいちいち気にしていれば日が暮れる。何しろここでは常識は通用しないのだから。
「とっくに気づいてるよ」
「何がかにゃ?」
「僕が塀だって話だよ」
ハンプティダンプティは塀から落っこちる。そして落っこちれば誰にも元の卵へは戻せない。けどそれは逆説的に考えれば塀以外からは落っこちないということだ。そしてチェシャ猫は塀の意味なんてたくさんあると言っていた。つまり、塀が必ずしも建築物の塀を指してはいないということになる。そして道中降ってきた卵。
いくら不思議の国といったって、ここまでピンポイント爆撃を受けるものだろうか?それはさすがにないだろう。ならどうしてか。
「塀からしか落ちないのがハンプティダンプティと考えたら、そりゃ僕のところに落ちて来るもんだよ。僕がイコール塀なんだから。おおかた蹴り飛ばした卵も、また僕のところへ降って来るようになるんだろ?」
「喋り過ぎたかにゃ」
「いや、もう気にしてないよ。言葉遊びにしては結構凝ってて面白かったし」
「にゃ?意外とあっさり諦めるんだにゃ」
「誰のせいだと」
言いながら、僕はこっそりとほくそ笑んだ。
チェシャ猫は輪郭から次第に元の姿へと戻ってきている。けれどもう少し考察を深めるべきだと僕は思う。
そもそもこんなことに気づく奴はよっぽどの捻くれ者か、いい性格をしたやつしかいないし、何よりこの不思議の国の光景を見て「慣れる」やつに、ロクな奴はいやしないということに早いとこ気づいておくべきだった。
それに家族のところへ帰れないなら仕方ない。家族のもとへお邪魔すればいい話だ。
自分でも苦笑いを浮かべながら、卵を真上に放る。放物線など当然描くはずもなく、一定の高さまで到達した後は真っ直ぐ地面に落下する卵を僕は――
「どっせい!」
実際蹴りを入れるときに、どっせいなんて言葉を発する人は絶滅危惧種だとは思うけど、気分でそんな声を発しながらチェシャ猫目掛けて卵を蹴り飛ばした。
当然不意打ちに対応できないチェシャ猫は顔面でその卵を受け止め、殻は四散した。同時に中から出てきたのは現実の卵の中身と酷似した、可愛らしい少女だった。身体の半分がチェシャ猫にべっとりと張り付いたまま、とても欲望に純粋な目をキラキラさせてこちらを見つめている。黄身の本体も気味が悪いなんてことはなく、むしろ無自覚の愛らしさを振りまいている節すらある。案外好みかもしれない。
僕は産まれたばかりの彼女に歩み寄ると、黙ってその唇を奪ってみた。なるほど嫌がる素振りすら見せず、むしろ喜んで舌を受け入れる彼女の頭は、もうピンク色らしい。
しっかり快感も感じ入るらしく、時折ぷるぷると官能的な震えが黄身だけでなく回りの白身にも伝わっている。人の肌とはまた違うキスの感触は、確かに人を堕落させてしまう魔があった。キスだけで幸福感が胸の中から湧き上がり、ずっとこうしていたいと大げさでなく思う。万が一にも、この世界のものを口にでもしていたらこの感覚はさらに、空と同じような広がりをもって甘美と耽美を沁みこませるのだろう。
ゆっくりと彼女の未熟な肢体を撫でながら、ふと気になったことがあった。
「そういえば、名前は?」
「……?」
「そりゃそうか。生まれたばかりで、産まれたばかりだもんね。じゃあプティとかどうかな」
「……!」
他人が見たなら、狂っていると後退ること請け合いの、この会話。さっきまでこの世界から帰ろうとしていたやつの口から飛び出す言葉とは思えない。ただ僕にとってはたかがそれだけのことだった。純情だろうが殉情だろうがお似合いにこしらえられたわけじゃない。醇風美俗なんてそこらの紅茶の川にでも捨てられればそれでいいし、何よりチェシャ猫にきつい意趣返しができればいい。そして、目の前でくぐもった喘ぎ声を出す彼女は可愛い。
ならそれで僕の全ては満たされたも同然で、それ以外のものを背負込むなんてことはしたくなかった。
正体不明の高揚に上機嫌になりながら、プティの秘核をそっと摘んだ。もともとスライムみたいなせいか、愛液との区別がつかずにぬらついたそれは淫靡な音を奏でて耳を愉しませてくれる。
「きゃっ」
甲高い声に、鼻腔を擽る女性特有の甘く花の蜜めいた香りがのせられて、官能の薪をさらにくべていく。滑らかで粘っこく、いくら触れていても飽きない肌の質感はさすがハンプティ・エッグといったところなのか。
口をぱくぱくと開閉し、存分に快楽を享受している様子の彼女に、ちょっとした悪戯心が芽生えたので、片手でそっとプティの目を覆った。
「ふにゃ……ふぐぅっ!?」
ほとんど不意打ち同然にプティの入り口から陰茎を突き入れると、瞬時に生の温かさが伝わってきた。お互いに生きているという存在証明が、こうしてできていう。プティの中はキツすぎず緩すぎず丁度いい窄まりで、彼女の全てに纏わりつかれているせいか、思わず声が洩れ出そうになるほどだった。
ああ、セックスって最高だ。
貪り合って、求めあって舐め合って。こんなこと向こうじゃ絶対できやしない。
本当に目をハート型にしているプティを見ながら、ふとそんなことを思った。それもすぐに快感の濁流に流されて跡形もなくなってしまい、痕になるのは獣の欲求がつける傷だけになる。
膣が別の生き物のように蠢き、その許容外の快楽に思わず腰を浮かせると、プティの腹が少し盛り上がる。透明性があまり高くない彼女の身体でも、僕の男槍がうっすらとシルエットを浮かばせているのがかえって秘匿な淫靡さを醸し出していた。
眉は下がり、すっかり口の端から涎を垂らしながらも懸命に腰を動かしてくる彼女の姿が、愛玩動物のそれにも似ていてほの昏い悦びが少しだけ顔を出した。今プティがしている表情は現実であれば、その歳の少女がしていてはいけない顔で、覚えてはいけない味であるはずなのだ。それを、今、僕が覚えさせている。この僕が!この僕がだ!
気分がいい!ああ気分がいい!
「きゃっ、くぅぅ……ひぁっ」
結合部から聞こえる音はもはやなんの音かわからなくなるくらい原型を留めていない。身体も心ももみくちゃになった果てに、白い閃光が視界を遮った気がした。限界にまで膨張した男性器は夥しいと言えるほどの量の精液を吐き出し、一度、二度と打ち震えてはまた尿道を駆け上ってくる得も言われぬ感覚に脳髄がじりじりと焼かれる。
この狂喜が一度の吐精で萎えるはずもなく、未だ男根はプティの中で逞しい硬度を保ち続けていた。それどころか、前にも増して太く雄々しくそり返っている錯覚すら覚える。悪魔的な凶器をもう一度律動させようとしたときに、ふとチェシャ猫が視界に入った。
入ったというより、視界にあっても眼中になかっただけだけど、やつは未だに脳天からひよこを数匹住まわせているようで、まだ目覚めそうにはない。
また、ほの昏い悦びが顔を出す。
僕はこっそりとプティに耳打ちした。まだ生まれて間もない彼女が快楽に関すること以外の言葉を理解できるのかは、少し不安だったけど杞憂に終わった。
プティの白身はチェシャ猫ごと僕たちを覆い、硬質化していく。巨大な卵へと、姿を変えていく。
「黄身が悪いんじゃない。君が悪いんだよ」
聞こえているかどうかわからないチェシャ猫の耳元でそう囁いて、僕はまたプティの肢体を抱いた。
新しい自分を見つけた、そんな気分になる。いや、むしろ生まれ変わったとさえ思えるようになった。ぞくぞくする何かに興奮しながら、僕は可愛らしいプティを突き上げた。
落ちてしまえばそれはもう元に戻らない。それは卵を落としたことがある人ならわかるだろう。殻が砕けてしまえば飛び出すのは中身だ。どろどろの、粘性のある中身。だからと言って過剰に落とすことを心配しても、それは羹に懲りて膾を吹く様なものなので誰も気にしない。
だけどここでは違う。この狂った世界ではその卵に注意し過ぎて決して損をする、なんてことはない。卵の中からあいつはやってくる。
僕がこの世界に落ちてきてから、丸々一日が経過しているけれど、我ながらよく理性を保てていることがわかる。聞こえて来るのは姦しい声と嬌声、視界に入るのは裸体、茸、紅茶に蜂蜜、シルクハットにトランプ。
落下してきて直後に僕に話しかけてきた猫は言っていた。ここは不思議の国だと。最初はその猫についている耳も尻尾も飾りと思っていたのに、それを信じるしかなくなってしまった。僕以外の男が落下してきたと思ったら、その上に重なり合うように卵が降ってきた。卵なのだから、中身がある。その中身が人外の化け物だとしたら、それはもう信じるしかない。
ただ、信じてはいても、僕はこの世界にいるつもりはさらさらなかった。早く帰らなくちゃ家族がきっと心配するだろう。
だから猫に案内を頼んで出口までの道のりをせっせと歩いている真っ最中だけど。
「それにしても本当に帰りたいのかにゃあ?」
「うん。家族が心配するからね。そのハートの女王様に頼めば、元の世界へ帰れるんだろ?」
「たぶんにゃ」
「よかった。光明だよ」
「そうかにゃ。まあ、私自身自分を巧妙だとは思うにゃあ」
時々会話のずれを感じるのは、この世界が不思議の国だからだろうか。子どもの頃にアニメで大よそのあらすじを知ったけれど、確か原作は凄く言葉遊びの技巧を凝らした作品だと小耳に挟んだことがある。だとしたら、まさに今僕はその世界の一端と同化していることになる。文学人からすれば、血の涙を流して羨ましがるかもしれない。
それでも。
「いささか退廃に過ぎるとは思うけどね」
けれどそれはとても――
「にゃ?」
蠱惑的でも、ある。
「あ、ごめん、こっちの話だよ」
首を傾げるだけで、猫はまた前を向いて歩きだした。道中色々と説明をされ、その一つ一つが実に淫靡で退廃的なものだと知ってしまうと、多少なりともげんなりとせざるをえない。
自然物でも人工物でも、もちろん不思議の国の住人であっても。子どもが仕掛けた悪戯の方がまだ可愛げがあるようなものだ。
例えばすぐ傍を流れている紅茶の川。一口啜れば甘美な芳香が広がり、至福のひと時を味わえるそうだ。ただし時間が経つと視界に変化が出てくる。見るものすべてが帽子屋に見えてしまうそうで、最後にはふらふらと自分から紅茶の川に飛び込んでしまう。そして待ち構えているのは帽子屋。つまるところ一口でも口にした時点で帽子屋の番になるしかない。
空から降る飴にしたって雨にしたって。その味を知れば次第に身体は疼き女なら不思議の国の住人に、男は見境なく女を襲うほどの媚薬。身体を濡らせばその匂いでたちどころに住人たちに囲まれる。
ぞっとする話だった。
その中でも一番僕が興味をひかれ、そして同時に恐ろしく思ったのは卵だった。空から降る卵。その中身は、スライムのような魔物。割れると同時に目に入った男をすぐに夫と認識して性交を図るのだそうだ。ちょうど、親ガモと小ガモの関係に似ている。もっとも鴨の親子はそこまで淫靡な関係ではないが。
「そう言えばまだ名前を聞いてなかったけど、君の名前は?」
「チェシャ猫にゃ。名前はまだにゃい」
「チェシャ猫って名前じゃねえか」
それでもこの猫に付いて行ってると比較的安全な道程が保障されるのは安心できた。何より機知に富んだ話し相手というのはそれだけで退屈しない。もはや道端で男女がまぐわっているのを見るのに慣れてしまった(感覚が麻痺してしまったとも言う)僕は、若干退屈を催していたところだ。それを適度に紛らわしてくれる存在というのは、とてもありがたいものだった。それを油断と言い切ってしまうと、そこまでだが。
「それにしてもこれだけの光景を見て、性欲を持て余したりはしないのかにゃ?」
「しないね」
嘘だ。どだい僕が理性的な人間だとしても、本能に準ずる欲求を堪えられるはずもない。だけど、抑えられはするしそれを悟られるつもりは毛頭ない。
「じゃあ帰ったら愛しい娘を襲うとかそういうこともないのかにゃ」
「ないね」
「勿体無いにゃあ。有名な歌の歌詞には、ヤりたい娘とヤったもん勝ち、なんて歌詞もあるくらいにゃのに」
「子ども忍者が奮闘する話って、そこまで淫靡なものだったっけ?」
というか、なんで違う世界の歌を知ってる。迷い込んだ別の人が伝えたのだろうか。
くだらない話に花を咲かせながらも、歩くことは止めない。いや歩くことを止めてしまっても構いはしない。しかしそうすることでどうなってしまうかは、わかりきっている。
何度か卵が僕の前に落下しかけ、その度に惚れ惚れするようなサマーソルトキックでその卵をチェシャ猫が吹っ飛ばす。これだけ卵が落ちてくるのだから、上空もさぞ阿鼻叫喚というか、発情した人外のテリトリーになっているのだろうと空を見上げても、不思議なことに桃色の空があるだけだ。常識が通用しないと頭の隅で理解しながらも、僕は首を傾げずにはいられなかった。思わず気になって、チェシャ猫に問いかける。
「ねえ、この卵ってどこから来るの?」
「どこって、そりゃあ塀からだにゃあ」
「でも空には何もいない」
「何もないから空なんだにゃ」
「塀なんてものも見当たらないよ?」
「ハンプティ・ダンプティが落っこちるのは塀と相場が決まってるにゃ」
機知に富んでいたはずのチェシャ猫が急に頓珍漢なことを言い出すので、僕は理解に苦しんだ。もしかしたら見落としているのかもしれないと思い、周囲をよくよく見渡してみても塀らしきものは見当たらない。ただただ淫靡な建築物と卑猥な自然が広がるだけだった。
塀のへの字もない。
「「塀」というのは何かの比喩かい?僕には君がどういう意味で「塀」という言葉を使っているのか、よくわからない」
チェシャ猫はこっちを見て、小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら言った。
「そりゃわからないだろうにゃ。私が説明しない限り。私は「いずれこの世界の住人になるんだから意味はない」という意味で塀と言ったんだにゃ」
「……?いや、塀って名詞にそんな意味はないって」
今度は嘲るようにしてチェシャ猫は口を開く。なんだか楽しそうなのが少し癪だった。
「ひょっとして真に受けやすいタイプかにゃ?言葉なんて使う時使う場所で姿を変えてこっちをおちょくってくる奴にゃ」
「じゃあ君の「塀」にはさぞかし素敵な意味合いの「塀」もあるんだろうね」
ちょっとした嫌味のつもりだったけど、チェシャ猫はどこ吹く風といった様子で言った。
「なんでもござれだにゃ」
急にこちらを煙に巻く発言をするチェシャ猫の真意が読み取れず、僕は胸に雨雲を作られた気分になった。その心情が顔にまで出ていたのか、じっとこちらを見つめて来るのが恥ずかしくなって思わず俯くと、実におかしい風な笑い声だけが耳朶を打つ。
「ひょっとして気づいてないかにゃ?ハンプティダンプティのやり取りのつもりだったんだがにゃあ」
「えっ」
言われて、そこから数秒の間があり、ようやく頓馬の頭が理解を追いつかせた。不思議の国の話にあった、アリスとハンプティダンプティのやり取りを今までなぞっていたと。だとしたら最初から言って欲しい。
文句の一つでも垂れかけた時に、それは不意に落ちてきた。猫も気が緩んでしまっていたのか、完全に間隙を縫う形で落ちてきた卵。暗夜の礫ならぬ暗夜の卵は今まで通りなら、驚異的な身体能力から繰り出されるサマーソルトが一つの例外も許すことなく、どこか彼方へと卵を吹っ飛ばしていただろう。
だからこれは、一つの例外だった。
そこからはまるで演劇の一連の動きをなぞるように鮮やかに進んだ。僕の手はまるであらかじめそうする事が決まっていたかの如く自然に、落ちてきた卵を受け止めると、衝撃で割れてしまわないように細心の注意を払いながらがっちりと抱え込んだ。
「は?」
「にゃ?」
何が起こったのか自分でも理解の外になり、思考からも慮外者となった。いや、でもだってけれどもそれでも。
ハンプティダンプティは落っこちたらどうやっても元に戻せないじゃないか。王様と家来でも戻せないものを落としてしまったら、どうやって僕が戻すっていうんだ?
「いったい何してるにゃ?」
「大丈夫だよ。いたって冷静そのものだから。まずは落ち着いて居酒屋で一杯ひっかけた後に奇怪な黒い家に足を運んでオオカミを飼いならそう」
「動揺しすぎだにゃ」
今まで、多少の緊張感はありながらもちょっとした散歩程度のものだった場の空気が一瞬にして戦場と化した。僕の手にある卵はもはや核弾頭と同レベルの代物となっている。ちょっとでも小石に躓いてしまえばそれで僕の人生は終わってしまうのだ。おそらく家族の顔を拝むことは一生ないだろう。
「大丈夫だよ。牡丹餅は米、辛抱は金とも言うじゃないか。この程度の困難どうってことないね。おはぎ食べながらだって僕にはできる」
「映画の評論で最近忙しそうなあの人かにゃ」
「それオスギ」
「ヒーハーとか叫んでる」
「それコスギ」
「冬になってくると最近辛くなってくるにゃあ」
「それ薄着。違う僕が言いたいのはそんなことじゃないし漫才がしたいわけでもないんだ。違うそうじゃない」
そういうことを言いたいんじゃない。そうじゃなくって、僕はこの卵のことを話したいし、離したいんだ。
じっと手元の卵を見つめると、若干震えていた。中で何かが、いやそれは紛れもなく魔物であるハンプティ・エッグが胎動している証拠であり、僕の現実へ帰るためのタイムリミットでもあった。
最早一刻の猶予もない。チェシャ猫に先を急がせようと顔を上げるとそこにやつはいなかった。いや、輪郭はいるのだ。確かにそこに妖艶なシルエットを残して。ただ、それだけだ。輪郭があるだけで中身がない。まるで僕の一言一言が彼女に血を巡らせていたような、そんな空っぽさだった。
そんな空洞が言う。
「三十六計」
「逃がすかド屑」
跳躍の姿勢を取った輪郭に対して僕は素早く足払いをかけたのだが、まるで盛大な一人演技でもしているかのごとく、それは空ぶった。すり抜けるという形で。その時の僕はよほど間抜けな顔をしていたのか、にんまりと顔あたりの輪郭が歪む。もはや線だけで構成されたチェシャ猫は僕を現実に帰す気はないらしい。
「僕を帰すって話はどこへ消えたんだよ」
「帰すつもりなんてないにゃ。もっとも、孵すつもりならあるけどにゃあ」
「お前さては最初から狙ってたな」
「そんなこと話すなんて、鶏が先か卵が先かくらい不毛な議論だにゃ」
からからと、さもチャップリンのキネマでも拝んだかのような呵々大笑。
「まあもっとも、その卵が魔物となるのは卵からか、卵が割れてからかは私も知らないけどにゃ。それに慌てながらだって、対処は簡単にゃ。なのにどうしてそれをお前はしないのかにゃ」
心の奥を見透かして、さらに深部をくすぐるような声だった。その声に若干の不快感を覚えながらも、確かに僕はあるジレンマを抱えていた。
この畢竟八方塞がりに見える状況の打開策は極めて単純。この卵をどこか遠くへとぶん投げてしまえばそれで解決する。そうすればどこか遠くで卵は割れるだろうし、たとえ中身が僕を狙ってきたとしても距離があるのだから走ればいい。運が良ければ出口まで辿り付いてめでたしめでたしだ。
けれどそれをしない。
仮にもこれは卵で、しかも命が宿っていて、そしてもうすぐ呱々の声をあげようとしているのだ。生まれてきた瞬間は誰だって祝福されるべきだと僕は思う。それが魔物であろうと、生を受けた瞬間に悪な奴がいないのと同じだ。歪みだす心は歪ませるものがあってこそ歪む。それに遭遇するのは今じゃない。
つまるところ、僕の甘っちょろい偽善者ぶった考えと心が邪魔をしている。道程が永遠に続いているかもしれないだとか、必ずしも手段が成功するとは限らないとかいう不確定要素に揺れ動かされているわけじゃない。
「なんていうのは建前だよ」
「にゃ?」
輪郭だけで器用に首を傾げるチェシャ猫。こいつの関節や筋肉はどうなってるのかと観察したくなるけども、それをいちいち気にしていれば日が暮れる。何しろここでは常識は通用しないのだから。
「とっくに気づいてるよ」
「何がかにゃ?」
「僕が塀だって話だよ」
ハンプティダンプティは塀から落っこちる。そして落っこちれば誰にも元の卵へは戻せない。けどそれは逆説的に考えれば塀以外からは落っこちないということだ。そしてチェシャ猫は塀の意味なんてたくさんあると言っていた。つまり、塀が必ずしも建築物の塀を指してはいないということになる。そして道中降ってきた卵。
いくら不思議の国といったって、ここまでピンポイント爆撃を受けるものだろうか?それはさすがにないだろう。ならどうしてか。
「塀からしか落ちないのがハンプティダンプティと考えたら、そりゃ僕のところに落ちて来るもんだよ。僕がイコール塀なんだから。おおかた蹴り飛ばした卵も、また僕のところへ降って来るようになるんだろ?」
「喋り過ぎたかにゃ」
「いや、もう気にしてないよ。言葉遊びにしては結構凝ってて面白かったし」
「にゃ?意外とあっさり諦めるんだにゃ」
「誰のせいだと」
言いながら、僕はこっそりとほくそ笑んだ。
チェシャ猫は輪郭から次第に元の姿へと戻ってきている。けれどもう少し考察を深めるべきだと僕は思う。
そもそもこんなことに気づく奴はよっぽどの捻くれ者か、いい性格をしたやつしかいないし、何よりこの不思議の国の光景を見て「慣れる」やつに、ロクな奴はいやしないということに早いとこ気づいておくべきだった。
それに家族のところへ帰れないなら仕方ない。家族のもとへお邪魔すればいい話だ。
自分でも苦笑いを浮かべながら、卵を真上に放る。放物線など当然描くはずもなく、一定の高さまで到達した後は真っ直ぐ地面に落下する卵を僕は――
「どっせい!」
実際蹴りを入れるときに、どっせいなんて言葉を発する人は絶滅危惧種だとは思うけど、気分でそんな声を発しながらチェシャ猫目掛けて卵を蹴り飛ばした。
当然不意打ちに対応できないチェシャ猫は顔面でその卵を受け止め、殻は四散した。同時に中から出てきたのは現実の卵の中身と酷似した、可愛らしい少女だった。身体の半分がチェシャ猫にべっとりと張り付いたまま、とても欲望に純粋な目をキラキラさせてこちらを見つめている。黄身の本体も気味が悪いなんてことはなく、むしろ無自覚の愛らしさを振りまいている節すらある。案外好みかもしれない。
僕は産まれたばかりの彼女に歩み寄ると、黙ってその唇を奪ってみた。なるほど嫌がる素振りすら見せず、むしろ喜んで舌を受け入れる彼女の頭は、もうピンク色らしい。
しっかり快感も感じ入るらしく、時折ぷるぷると官能的な震えが黄身だけでなく回りの白身にも伝わっている。人の肌とはまた違うキスの感触は、確かに人を堕落させてしまう魔があった。キスだけで幸福感が胸の中から湧き上がり、ずっとこうしていたいと大げさでなく思う。万が一にも、この世界のものを口にでもしていたらこの感覚はさらに、空と同じような広がりをもって甘美と耽美を沁みこませるのだろう。
ゆっくりと彼女の未熟な肢体を撫でながら、ふと気になったことがあった。
「そういえば、名前は?」
「……?」
「そりゃそうか。生まれたばかりで、産まれたばかりだもんね。じゃあプティとかどうかな」
「……!」
他人が見たなら、狂っていると後退ること請け合いの、この会話。さっきまでこの世界から帰ろうとしていたやつの口から飛び出す言葉とは思えない。ただ僕にとってはたかがそれだけのことだった。純情だろうが殉情だろうがお似合いにこしらえられたわけじゃない。醇風美俗なんてそこらの紅茶の川にでも捨てられればそれでいいし、何よりチェシャ猫にきつい意趣返しができればいい。そして、目の前でくぐもった喘ぎ声を出す彼女は可愛い。
ならそれで僕の全ては満たされたも同然で、それ以外のものを背負込むなんてことはしたくなかった。
正体不明の高揚に上機嫌になりながら、プティの秘核をそっと摘んだ。もともとスライムみたいなせいか、愛液との区別がつかずにぬらついたそれは淫靡な音を奏でて耳を愉しませてくれる。
「きゃっ」
甲高い声に、鼻腔を擽る女性特有の甘く花の蜜めいた香りがのせられて、官能の薪をさらにくべていく。滑らかで粘っこく、いくら触れていても飽きない肌の質感はさすがハンプティ・エッグといったところなのか。
口をぱくぱくと開閉し、存分に快楽を享受している様子の彼女に、ちょっとした悪戯心が芽生えたので、片手でそっとプティの目を覆った。
「ふにゃ……ふぐぅっ!?」
ほとんど不意打ち同然にプティの入り口から陰茎を突き入れると、瞬時に生の温かさが伝わってきた。お互いに生きているという存在証明が、こうしてできていう。プティの中はキツすぎず緩すぎず丁度いい窄まりで、彼女の全てに纏わりつかれているせいか、思わず声が洩れ出そうになるほどだった。
ああ、セックスって最高だ。
貪り合って、求めあって舐め合って。こんなこと向こうじゃ絶対できやしない。
本当に目をハート型にしているプティを見ながら、ふとそんなことを思った。それもすぐに快感の濁流に流されて跡形もなくなってしまい、痕になるのは獣の欲求がつける傷だけになる。
膣が別の生き物のように蠢き、その許容外の快楽に思わず腰を浮かせると、プティの腹が少し盛り上がる。透明性があまり高くない彼女の身体でも、僕の男槍がうっすらとシルエットを浮かばせているのがかえって秘匿な淫靡さを醸し出していた。
眉は下がり、すっかり口の端から涎を垂らしながらも懸命に腰を動かしてくる彼女の姿が、愛玩動物のそれにも似ていてほの昏い悦びが少しだけ顔を出した。今プティがしている表情は現実であれば、その歳の少女がしていてはいけない顔で、覚えてはいけない味であるはずなのだ。それを、今、僕が覚えさせている。この僕が!この僕がだ!
気分がいい!ああ気分がいい!
「きゃっ、くぅぅ……ひぁっ」
結合部から聞こえる音はもはやなんの音かわからなくなるくらい原型を留めていない。身体も心ももみくちゃになった果てに、白い閃光が視界を遮った気がした。限界にまで膨張した男性器は夥しいと言えるほどの量の精液を吐き出し、一度、二度と打ち震えてはまた尿道を駆け上ってくる得も言われぬ感覚に脳髄がじりじりと焼かれる。
この狂喜が一度の吐精で萎えるはずもなく、未だ男根はプティの中で逞しい硬度を保ち続けていた。それどころか、前にも増して太く雄々しくそり返っている錯覚すら覚える。悪魔的な凶器をもう一度律動させようとしたときに、ふとチェシャ猫が視界に入った。
入ったというより、視界にあっても眼中になかっただけだけど、やつは未だに脳天からひよこを数匹住まわせているようで、まだ目覚めそうにはない。
また、ほの昏い悦びが顔を出す。
僕はこっそりとプティに耳打ちした。まだ生まれて間もない彼女が快楽に関すること以外の言葉を理解できるのかは、少し不安だったけど杞憂に終わった。
プティの白身はチェシャ猫ごと僕たちを覆い、硬質化していく。巨大な卵へと、姿を変えていく。
「黄身が悪いんじゃない。君が悪いんだよ」
聞こえているかどうかわからないチェシャ猫の耳元でそう囁いて、僕はまたプティの肢体を抱いた。
新しい自分を見つけた、そんな気分になる。いや、むしろ生まれ変わったとさえ思えるようになった。ぞくぞくする何かに興奮しながら、僕は可愛らしいプティを突き上げた。
15/11/11 21:50更新 / 綴