読切小説
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タイトル未定。
1

 私はこれまで、埃っぽい部屋に幾星霜とこの身をおいてきたけれど、研究なんて一度もやったことは未だに覚えがない。
 リッチだというのにこれはまた風変わりなことを言ってのけるヤツがいたものだと、哄笑されても文句など言えないだろう。私はあまり私自身を評価しないのだから。出会いと別れなんて、部屋の中ではありもしないのだ。
 けれど、研究を一度もやってないと言えばそれは嘘になるのだろう。自分自身すら実験材料にし、快楽を求める実験に失敗しても成功しても、私の中にはちょっとした満足感が確かに存在している。それを否定してしまえば、時々私の様子を見るために訪ねてくるサキュバスやバフォメットの友人に申し訳が立たない。土台、私の研究の評価を決めるのは私ではなく彼女たちであり、その夫たちなのだから。
 そこを否定するほど私は子どもじゃない。身体的には子どもと見られても仕方ない体格をしている自覚はあれど、年齢的にはもういい歳をしている。人と魔物娘の年齢をおいそれと比較できるものではないけれど、それでも妙齢をそこそこに過ぎようかとする年齢ではあるはずだ。近頃私の元を訪ねる彼女らの視線も、心なしか憐れみを含んでいる気がしてきた。それこそ私の心の焦りが見せる幻かもしれないし、よっぽど直視したくない現実なのかもしれない。
 幸いにしてその焦りが研究に影響を与えることはない。自分で自分を客観視することなどできないから、これは単なる言伝いだが、研究をしている時の私の顔はいたく真面目な顔をしているそうだ。魔物娘ではなく、一人の研究者がそこにいる――と。
 そこまで集中しているわけではなく、私自身研究の真っ最中にどんな薬品をどの程度の割合で混ぜたかをうっかり忘れることだってあるし、そもそも自分はなぜこんな研究をしているのだろうと首を傾げることだってままある。だからそこまで褒めるような、いや、冷静に分析を下されても的外れの感が否めないのだけれど、それがどうも傍から見た私の評価らしい。
 こんな評価を貰っているからこそ、私には人前で言えない秘密を抱えてしまっている。白日の下に晒されてしまえば、おそらく私の経箱などあっさりと粉微塵になってしまいかねない秘密。
 そんな秘密がまずあることを知ってしまえば、もう好奇心旺盛に訊くしかないじゃないかと言われればそれは無理もない。秘密はあくまで誰の目にも晒されず、本人にのみひっそりと抱えられているからこそ秘密なのであって、それが何らかの形で露呈してしまえばそれはもう秘密などではない。だからこそ私は機密文書などというものはハナから信用していない。文書などという媒体にしてしまった時点でそれはもう秘密としての形を保ってはいないからだ。
 そんな持論を持つ私だから、この秘密はそれこそゾンビ属であり、アンデット型である者が言えば諧謔味でも生まれようものだが、墓の下まで持っていくつもりだった。何一つとして口を開かず、ひっそりと胸にしまい込んで十字架の下に埋まるつもりだった。それが今になってなぜ?という疑問はもっとものことだ。
 理由は単純で、その秘密自身から秘密にしておくのは善くないことだと注意を頂いたからだ。秘密というよりは内緒、というニュアンスで言っていたとは思うけれど。
 前置きとして……いや素直にここは予防線と言っておこう。この秘密はあまりエンターテイメントめいたものではないし、ましてや小説めいたものでもない。私にそこまでの文才があれば多少なりとも脚色し、聞く人に対する配慮というものができた可能性も無きにしも非ずだが、それを期待するにはいくらなんでも畑違いだ。研究者が精々紡げるものは論文くらいだ。私にしてみれば精々机の上で埃被って山を成しているような類の。
 だからこそ、これは本当に事実の羅列であって時系列正しく並べた年代表のような印象を受けるのは、仕方のないことと思ってほしい。事実の羅列になるなら至極当然、そこには起承転結などは存在しないしなるほどと頷けるような結末もない。それを甘えと罵るならば、私の知り合いのリャナンシーにでも頼んでみるとしよう。
 きっと彼女なら素敵な文を書くに違いないと、保証できる。なにせあの夫婦は文の方面に秀でた芸術性を発揮している。まさに水を得た魚のごとく嬉々として筆を動かしてくれるだろう。あのように楽しく一つ事に打ち込むことができれば幾分、研究も楽にはなると思うのだが。しかしその方法をいつまで経っても、彼女はいつかわかるとはぐらかすばかりで教えてくれようとはしない。ちなみにかいつまんで全容を先に話してはおいたのだが、難しい顔をして、タイトルは未定だわと言われてしまった。解せない。
 閑話休題。
 どこからこの秘密を話せばいいのかと考えてみて、まずあの出来事が幸運だったのかと問われれば凄く微妙な立ち位置にある。私のこの埃っぽい部屋には一体の生き返ったグールと、同じく一体のスケルトンがいるけれど、彼女たちに聞いても理解できないだろう。
 しかし順番に整頓していけば、まぁまず間違いなく、ハッピーではあっただろう。幸せの形は人それぞれとはつくづく都合のいい言葉だと思う。ならば不幸の形も人それぞれという話になってしまうが、それは置いておくとして。
 真っ先に結論から述べてしまう方がいいだろう。まずこの秘密の結果として、私には夫ができた。私よりもずっと背の小さい夫。最近はどんどん知識を吸収して研究の手伝いもしてくれるようになっている自慢の夫。夜の営みの腕も若さゆえの貪欲さか、徐々に腕をあげてきている。もっとも存在自体が秘密なので友人各位は私に夫がいること自体が、驚天動地の報ではあるだろう。
 だからこの秘密を詳らかに話すとしたら、私と夫が邂逅するところから話すべきだ。しかしこの邂逅の時点で、私には一つの心配事がある。事実の羅列と前述しておきながらだが、あまりに事実とかけ離れたような出会いであったことに違いはない。むしろこれを友人たちに話せば、上手くできた創作とお茶請けの話程度に思われるのが関の山かもしれない。だがそれすら恐れず、誤解されることも狂人と思われることも厭わずに口にしなければならないだろう。
 私の夫――確かやっと昨日誕生日を迎えてお祝いをしたから、十二歳になったはずだと思う――との最初の出会い。
 実に、大そう不可思議な出会いだった。ある意味、異端かもしれない私に相応しいと考えると、しっくりくる部分もあるけれど。しかし人の一般常識とは矢張り、幾分乖離していることに違いはない。私ですら驚いたくらいだ。
 夫は、上から降ってきた。

2

 この一言だけならば、おそらく大半の猛者はなんだ普通だろうと思うだろう。勿体ぶった割に、異常性なんてとんと見つかりはしない。ある意味喜劇的な出会いで、実に面白おかしい話になりそうじゃないか、と。
 だから、前もって言っておこう。
 私の部屋の上から降ってくるのは紛れもなく異常だと。家に忍び込んだコソ泥小僧だと思うかもしれないし、崖の上から落ちてきた勢いそのままに屋根を突き破っての豪快な邂逅と思うかもしれない。しかし私の部屋に限ってそれは断じてありえない。あってはならないことだ。
 そもそもなぜ私がここまで、自分の住まいを「家」と呼称せずに「部屋」と呼称しているのかを考えてもらえれば早い。それは私の住まいは大よそ一般常識に照らし合わせても家と呼称できるものではないからだ。襤褸加減などといった方向ではない。
 家が家たり得るのは、まず根本的に土地の上に建っているからだ。誰も地中に完全に埋没している立方体の部屋を家と呼びはしないだろう。酔狂な者であったとしても。さてさて、ここまで言えばわかるだろうし、理解も及ぶだろう。
 そう。
 私の住まいは完全に地中にその姿を隠していた。立方体の部屋、空間と言い換えてもあながち間違いではないかもしれないが、兎も角その天井をぶち破って夫は落ちてきた。
 もう少し噛み砕けば、彼はわざわざ地面を掘り進めて私の部屋に突き当たったのだ。これが異常でなくてなんなのか。どこの世界に地下のリッチと邂逅を果たす、それもまだ幼い少年がいるのか。御伽噺ですら顔負け、裸足で逃げ出すこと請け合いの数奇さ。
 ただそれは向こうも同じだったようで、どでんと大きく尻もちを突いた後の表情の変化の目まぐるしさには思わず呆然とした。向こうにしても想定外の出来事だったのだろう。当たり前か。何かを掘り当てるために地面を掘るのはいいとして、それがまさかこんな場所へ通じているとは思いもよらなかっただろう。向こうからしてみればいい迷惑か。突然の事態にパニックに陥ったのか、尻もちをついたさいに彼からしてみれば不気味な小箱や怪しげなフラスコを壊したのも一切気に介する余裕なく、彼は泣き顔になって部屋の主たる私を見つけた途端、窮鼠よろしく部屋の隅にまで一気に飛び退く。
 踊る目は私がなんでも床にうっちゃる癖でばらまいた数々の資料や実験道具、薬品などを映しては必死に視界に入れるまいと逸らし、恐怖を紛らわせるのに必死に見えた。
 たぶんその行動は、ヘルハウンドだとかの中々に意地悪な魔物からすれば加虐心を掻き立てるとても「おいしい」行為に映ったに違いない。けれど私はとても怯える彼に対してそんな気持ちにはなれなかった。涙を目一杯に溜めて、そら、泣く寸前三秒前といった調子の少年を性的にとって食べるほどに、私の心は魔物になっていない。
 まったく想定だにしていなかった出来事に私も多少動揺していたけれど、相手が人とわかれば落ち着きを取り戻すのは早かった。私はなるべく平静を努めて少年に、彼に話しかけた。記憶が曖昧だけれど、大丈夫?だとか、どこか怪我はしていない?だとか極めて相手を気遣う言葉を口にしたような気がする。
 私の心遣いなど知らない風に、彼は未だに恐怖を若干内包した声で

「ここはどこ?」

 と言った。
 別に心遣いを無下にされたことに対して腹が立つわけでもなく、ここが私の部屋だと教えてあげた。逆の立場に立って考えてあげれば、案外コミュニケーションというものは簡単に、円滑に行えるものだ。今の相手の気持ちを推し量り、差し測り、言葉を交わせばいい。
 現状で例えれば、彼は恐怖を押し殺して自分の居場所を確認するのに精一杯なのだから、それに対する答えを開示してあげればいいだけの話、それだけだ。
 私も彼に対して色々と訊きたい事はあったけれど、それでもまずは落ち着いてもらうのが先決だ。優先順位をはき違えてはならない。
 それを肝に銘じて、私は彼がなるべく現状の整理ができるような質問をした。こちらから話しかけて、誘導してあげれば少しずつであっても彼の頭は冷静さを取り戻していくだろう。そんな感想を持ちつつ。
 僕はどこから来たの?名前は?お父さんお母さんは?今何歳?……、こうして質問を並べて見ると獲物を前にして誘拐を堪え切れなくなってきている不審者に聞こえなくもないのが、悲しいところだ。一応念のため、魔物娘は四六時中発情しているような存在ではないことを明記しておく。
 私のこうした質問だって、意図があったからこそしたもので、実際その効果は覿面と言って差し支えないものだった。
 彼は(当然だが)地上からやってきた。名前はロン。お父さんとお母さんはいなくなってしまって探している最中。八歳。
 部屋のおぞましさ(自分で言っておきながら悲しくなる)と主の人格は必ずしも一致しないことを察してくれたのか、少しずつだが彼は質問に答えてくれた。落ち着きを完全に取り戻したら、すぐにでも地上へと返してあげようと私は思った。幸いにしてせいぜいここは地下、見積もっても四、五メートル程度の深さしかない。八歳の身体能力では再び地上まで登ることが困難でも、私の魔法で身体を浮かせてあげればあっという間なのは目に見えている。
 この考えに至った私を短絡的な思考回路をしていると笑わないでほしい。ふと落下してきた彼があけたはずの天井の穴を確認した時に、土が崩れて完全に穴を塞いでいるなんてシチュエーションは、頭からすっかり抜け落ちていたのだから。

3

 ここで話にしっかりと耳を傾けていたのなら、ある指摘が飛んでくるだろう。「おいおい君の友人各位はどうやって君の部屋に足を運んでいるんだい?どうせ遠くへ飛ぶ魔法陣の一つや二つあるんだろう?回りくどい説明なんてせずにそいつを使っちまいなよ」なんて風に。
 私もできればそうしたいのは山々ではあるけれど、それができない理由があった。回りくどいことしかしないのではなくて、回りくどいことしかできないのだ。さて確かに私の部屋には魔法陣なるものが一つ存在する。それは時折怪しげな光を放ち、明滅を繰り返すだけの代物だがこれが繋がっている向こう側とリンクすれば太陽の如く眩い輝きと同時に転送装置としての役割を果たす。ここまではどの転送魔法陣も変わりはしない。私のも特別アレンジを施した特別性というものではなく、至って巷にありふれた、魔術入門者でもお手軽にできるようなそれだ。ならば使うことも容易ければ使われることも容易い。
 しかし問題は魔法陣そのものではなく、向こう側にあった。魔法陣の向こう側には何があるか?以前人が書いた小説を読んだ時に「トンネルを超えたら雪国だった」というフレーズを見たけれど、それに絡めるなら魔法陣を超えたらそこは王魔界だった、になる。
 そう、王魔界。
 今さら説明も不要だろう。魔物娘なら誰でも知っているし、人間でもその名を知らないという者は数少ない。中心部に聳え立つセンスある魔王城(これを人は禍々しいと感じるらしい)に一歩立ち入れば魔物化は免れないほどの魔力濃度。私からしてみれば何ともない、歓楽街もあるし研究に煮詰まったときには羽休めになる程度の場所だが、人からしてみればそうはいかない。魔王の御膝元にまさかこんな小さな子を送るわけにもいかないし、何より無事に帰れるとは考え難い。十分と持たぬうちに路地裏に連れ込まれるか、いつの間にか番いとなっているのが精々と思うのは、大げさではないはずだ。
 ならば魔法でここから地上まで大穴でも開けてやればいいという声もありそうだけど、それは土地の問題からできることならやりたくない。
 彼は徐々に自分の置かれた状況がわかってきたのか、冷静さを取り戻させようとしたのが完全に裏目に出た形になるが、顔色が悪くなってきた。いわゆる顔面蒼白というやつだ。

「ぼ、ぼく、帰れるの?」

 地上に、というところまで言葉を吐き出す力はなかったのだろう。どうしたものかと考えた私は、取りあえず手近な椅子に彼を座らせると、お茶にしようと提案した。なるべく気持ちを落ち着くようにしてあげて、それからゆっくりと彼にしてあげられることを説明するしかない。その程度しかできることがない。
 幸いにしてお茶を出すなら友人が満面の笑みで酒の臭い漂わせながら私の部屋に土産として置いていった紅茶があった。何やら滅多に手に入らない代物だからと上機嫌だったけど、何と言っていたっけ。ファイネスト・ティッピーなんとかどうのこうのと口にしていた気もするけど、うろ覚えだ。私は紅茶が好きだけれど、別に紅茶に詳しいわけではない。
 彼に差し出すと、おそるおそる口にして、渋い顔になった。子どもの味覚には少々理解の及ばない、大人の味だったのかと私も口にして同じ顔になる。それが彼には面白かったのか、クスリと笑っていてその笑窪はあじゃらしい。
 紅茶はやめにして、ミルクティーを出せば今度は気に入ったらしく、ごくごくと見ていて清々しさすら感じる飲みっぷりだった。突き出された空になったカップは、おかわりの意思表示らしい。子どもの率直な感情表現に微笑ましくなりながら、私はおかわりを注いであげた。
 緊張と恐怖はほぐれたようなので、私はゆっくりと彼に対してしてあげられることを説明した。ここを出るには少し時間がかかるが、必ず外へ送り出してあげること。それまでこの部屋はあまり物をつついたりしないことに気をつければ、いてもいいこと。それらを素直に彼は呑み込んでくれた。恐怖心はすっかり未知の場所に対する好奇心に変わった様子で、目を輝かせながら私の実験道具を眺めているのを見ると、果たしてちょっかいを出さずにいられるのかという一抹の不安が過ぎるが、気にしても仕方ないだろう。
 気にするべきものは、そこではないのだから。
 そこではない。
 むしろ気にするのはどうして彼が穴を掘っていたのか、そしてここに偶然とはいえ来てしまったのかということの方だ。私が魔物娘だというのに、折角の異性を虜にせず返そうとする理由もそこにある。この異常性を気にすれば、彼の何かしらの事情を優先してあげるのがよっぽど重要なことなのだ。それも、下手をすれば一刻の猶予もないような。

「ねえ、お姉ちゃんは僕のお父さんとお母さんを知らない?」

 残念ながら知る由もないと答えると、彼はがっくりと項垂れた。それでもいつか見つかるはずと励ませば、彼の顔はぱぁっと明るくなる。
 ただ、私はその顔の中に何が潜んでいるのかと考えると、少しだけ複雑な気持ちになる。靉靆した空のような心模様に、溜息を吐いた。

4

 私の研究は言わずもがな魔物娘然としたもので、その内容はより感度が増幅する媚薬だとか、逆に愛する夫からの愛撫であっても快感を感じなくなり、効力が切れるとそれまでの快感が一気に押し寄せる代物だったりと、一言で纏めるなら淫らの言葉が相応しい。試作品を時々訪れてくる友人に手渡してはその感想を聞くなり、場合によっては自分で試してみたり、あれやこれやと手段を講じては淫らな研究をする。その場合この部屋の環境は実に最適だった。誰にも邪魔されず、必要なものがきちんと揃っているし、万が一にも材料に不足があれば魔法陣を使えば五分とかからずに材料を調達できる。そして何より静けさだ。友人のリャナンシーは夫婦揃って静かな森の奥でひっそりと暮らしているらしいが、その理由は単純明快で煩くないから。煩くないのは言い換えれば集中できる環境が揃っているということで、なるほどそこならば恐るべき速度で文字を紡いでいけるのも頷けるものだ。
 要するに私の部屋も、慮外者という名の友人が気まぐれで来訪してくることを除けば実に集中するという点では理想的な環境の整いようだった。
 だった、と過去形なのはここに一人のちびっこい彼がいるからであり、さっきから私のしていることが何なのかと気になって仕方ないらしい。私からすれば何でもない、いつもと変わりない光景だけれど、それが彼の目には魔法のように映るらしい(実際魔法も使っているが)のだから、子どもの好奇心というのは恐れ入る。
 虹色に光る薬品や、ぶくぶくと泡立ちそのままの形で宙に浮く魔界銀がそこまで珍しいのだろうか。いや、本質で気になっている部分はそこではないに違いない。
 何を目的としているのかの方が、よほど

「ねえ、お姉ちゃんは何をやってるの?」

 気になるはずだ。
 何をしているのかと言われれば二つ目の魔法陣の作成という実につまらない答えになるので、私なりのユーモアを効かせて、外に繋がるお呪いと言っておいた。実際嘘ではない。魔法陣をこの部屋と外部、つまるこの部屋の上、地上に作ればそれでこの子を送り返すことは可能になる。問題があるとすれば、王魔界からはそこそこ遠い部屋の地上に誰が出口となる魔法陣を設置するかだが、それは友人の好意的な協力によって解決した。いささか面倒くさそうな顔をした友人も、「とっておき」の品を今度提供する旨を伝えるとそこからの手の平の返しは早かった。二日程度で設置してくるとのことだったので、私もそれまでにこの部屋に二つ目の魔法陣を拵えようと、せっせと準備の真っ最中だった。
 純粋な視線が射抜いてくる中での作業というのはむず痒いものがあって、喩えるなら深夜の勢いのままにしたためたラブレター、そのしたためる過程をじっと悪意なく見られていると言えば、イメージが近いだろうか。疚しいことをしているのではないのに、その場にいられないような気持ちになってしまう、あんな空気。
 しかし私も人のことをとやかく言う資格はない。好奇心は人を殺すと言うが、魔物娘を殺すかもしれないものだって好奇心だと、私は薄っすら感じていた。
 もっともこれは回想で、これは単なる杞憂だとはわかっているし重々承知している。好奇心が殺すのは、矢張り人だけなのだと知ることになるということも、知っている。それでも当時の私はどうしても、聞いておかなければならないと思っていた。その答えが返ってくるかどうかは別問題として、そして答え次第では友人か誰かに彼を保護してもらう必要があると思案しながら。
 が、そこに葛藤がなかったと言い切るのは難しい。万が一にも私の質問が彼の核心を、触れてほしくないブラックボックスをつついたとしたら、どうなるか想像がつかない。
 いやそもそもこの時点では確信など持てていなかったし、見当違いの勘違いも甚だしいものだと、過去を振り返るとわかるけれど、それは過去の私に対して声がとどけばの話であって、神の視点で回想するからであって。
 だけれど、思い込みというものが持つ束縛性というのは目を見張るほどに強大な力で、私に他のことを想像する余地というものを一切合切奪っていった。
 正直に白状するなら、私は彼が奴隷商から逃げていたのか、それか特別な事情があって何者かから追われているのだと思っていた。よほど切羽詰った状況での苦肉の策で、穴を掘り、私の部屋へと偶然辿り着いたものだとばかり思っていた。事実はもっと単純ではあったし、神様の悪戯のような意地の悪い答えだったけれど、それでも当時の私はそう思ったのだから仕方ない。
 それならば親を知らないかという質問に対しての答えもある程度見えてくるというもので、奴隷として互いに離れ離れになり、行方不明の両親を探して八百里なんていう壮大な想像もにわかに現実味を帯びてくる。とどまることを知らない想像力というか、たくましい妄想力には辟易せざえるを得ないし、何なら愚か者と一喝してやりたいが何分過去の自分に一喝が出来れば苦労しない。
 しかしそこまで彼のことを考え、悩みに悩んだ私は結局、意を決して彼に聞くことにしたのだ。そうでなければきっと彼に付き纏っているであろう問題の解決にはならない。本人は幼いせいか自覚がないのかもしれないが、その方が彼のため。
 そう思って私はこう聞いたのだ。最初はずっと穴を掘っていたんだよね、と。彼はとても素直に、うんと答えてくれた。ここから先、口を開くことを少しだけ躊躇って、それでも私は聞いた。
 じゃあもう一つだけ教えてくれる?『どうしてお墓なんて掘ってたの?』
 その言葉を聞いた彼の目は、一瞬だけ見開かれた、気がした。
 ……私の部屋は、墓場の下にある。その方が研究の都合がいいからだ。濃厚な魔力漂う場所であり、実験材料にも困ることなく、人の遺体を取り扱うのに適した場所でもある。むろん取り扱うには、それ相応の敬意を払って、きちんと黙祷を捧げてから新しい生命、いや戻ってきた生命を与える。言うなれば、二度目の人生。
 そしてそのような、人から見ればおぞましい研究や実験の数々を(私たちの視点からすれば仲間が増えたり気持ちいいことができたりで至れり尽くせりだが)まさかお天道様の真下で行うわけにもいかない。人の目に晒されれば必ず波紋を呼び、騒ぎが起こるだろう。しかし墓場という絶好のポイントをみすみす逃すには惜しい。
 そうして考えたのが、墓場の真下、つまり地下に部屋を作ることだった。人が棺を埋めたりする深さよりも、もう少しだけ深い場所に。
 墓場を掘り進むなんて行動、普通の人間がするべき行動ではない。中には一緒に埋められた遺品目当てに墓を荒らす者もいるが、まだ幼い彼がそのような行為に及ぶとは考えにくい。
 ならば考えられるのは、彼自身が埋められかけていたということだ。捕まり、口封じのために埋められる。上には自分を埋めた者がいるなら、逃げ場は下しかないだろう。必死に掘り進めているうちに私の部屋に辿り着いたと考えれば、辻褄が――

「お母さんとお父さんを探してたんだ」

 …………今、なんといったのだろう。彼は。
 私の聞き間違いでなければ、彼はお母さんとお父さんを探していたと言った。それが何を意味するのか。ここで産まれて初めて私は自分の脳味噌の愚かさというものを呪ったのを、確かに覚えている。ああ、愚かな脳味噌よ。そもそも人は、生き物は脳髄で物事を考えているのかと疑う余裕があるのなら盲目に考えることを放棄しなければいいだけの話なのに。

「僕のお母さんとお父さん、土の中に閉じ込められちゃったんだ。僕言ったんだよ!まだ二人は『寝てる』だけだって!なのにみんなお母さんとお父さんを埋めるのを止めないし、変な目で見てくるんだ。だから、僕が助けてあげようって……どうしたの?お姉ちゃん、そんな顔をして」

 圧倒的な現実に対して、一種の思考停止に陥った私はしばらくの間言葉を咀嚼できないでいた。気取った言葉の一つすら嘯けず、ただ乾燥した空気が肌を撫でた気がして、胸から込み上げてくる塊を押し込めるのでいっぱいいっぱいになった。それを抑えたところで、私の口から笑いが零れ始めた。何の感情に起因するところでもないのに、なぜか笑いが。
 不思議そうに私を見つめる彼の視線が痛くて痛くてたまらなくなって、抱きしめる。大丈夫、すぐに二人は元気になるからねと口にして。

5

 その後の顛末を語るにしても、完全に蛇足にしかなり得ないとは思いつつ、それでも矢張り具に語らなければならないだろう。残滓すら許さぬほどに明白に。
 その二日後、地上と部屋の魔法陣が繋がり、私としては久々の……彼にとっては二日ぶりの地上に出た。乱立した十字架の群れは相変わらず不愛想で、景色の一つとてしか機能していない。名前が掘られていても、もうここにいないとわかっているなら猶更。そんな光景に、幾つかの穴があった。どこにお母さんとお父さんがいるか忘れてしまったから、手当り次第に掘ったそうだ。二人で手分けをするまでもなく、魔術で彼の記憶を読み取ると目当ての墓標を二人で掘り返す。もしこの光景を他人に見られでもすれば、悲鳴を上げて気を失うだろう……相手が。墓を掘り返しているなんておぞましい行為を目にしたくは、ないはずだ。
 そして目当ての……死体を見つけると、私はすぐさま彼の目を魔術で覆った。視界そのものを真暗にして、あたふた慌てる彼に向ってこれからやることの説明をする。
 その一、お母さんとお父さんを「起こす」には少し特別な魔法をしなければならないこと。
 その二、そのために君のあるものが必要なこと。
 その三、痛くはしないから、頑張ること。
 それを落ち着いて心得た彼は、それでも少しの怯えが残っているのか震えている。しかし了承は得たのだから、やらせてもらおう。遠慮なく、思う存分。
 私は彼のズボンを降ろし、性器を露出させた。まだ幼く、皮も被っているそれが突然外気に晒されたことに驚き、びくんと震える。可愛らしいおちんちんに過剰な刺激にならないように、ゆっくりと優しく掴むと、ゆっくり……ゆっくりと扱いてあげる。彼からすれば今まで味わったことのない未知の刺激に、どう反応していいのかわからないのだろう。口をきゅっと結んで何かを我慢しているように見えた。
 初々しいそんな反応をされれば、嫌でも魔物娘としての本能が高まっていく。子宮が疼き、自然と呼気が荒くなる。その口をへの字に曲げてあげたい。いずれ開口させて、蕩けた声を空の下に響かせたい。私の中に、ある火がついたのは言うまでもない。
 まだ未発達な性器の先端、鈴口に指をあてがうと、それを割るように爪で軽く引っ掻いた。たまらず声を漏らした彼のそれは、すでに刺激の一部を快楽であると本能で認識した声で、その声を私が出させたのだと思うとそれだけで、……それだけで。
 思わず食べてしまいたいとすら、頭の原始の部分が叫んだけれど、それをかろうじて抑えて私は愛撫の手を休めない。
 子どもにはまだ早いかな?と思いながら、睾丸にも手を伸ばして優しく揉んであげる。デリケートな部分だから、細心の注意を払って。けれど、表皮をなぞって快感を与えることは忘れずに。
 健気にぴくぴくと震え、気持ちいい気持ちいいと喘いでいるような可愛いおちんちん。生意気にも先端から大人の仲間入りを果たした汁が分泌され、それが私の手淫で混ぜられて全体がてかてかと光る。
 背徳的な興奮に一人ほくそ笑みながら、確実に彼の絶頂の扉をこじ開ける。まだ知らない感覚の先。快楽が自分の頭の許容量を超えて溢れ出すと、とってもとっても気持ちいいことを教えてあげたい。私は本来の目的を半ば見失って、この行為に没頭した。胸の中に芽生えた、この子をモノにしたいという薄暗い願望に目を逸らせなくなりながら。
 なんとか、おそらく理性を総動員して絶頂までは至ろうとしなかった彼に対して、私はとどめとばかりに彼の耳を舐めた。ぴちゃぴちゃ、と、淫らな水音が鼓膜を支配するようにして。
 それに可愛く反応するのを見、私もぞくりと背筋にこれまでに感じたことのない恍惚がひた走る。甘美で、耽美で、酔い痴れたくなるような恍惚が背筋から脳髄へと。
 私は魔物だ。シフォンのドレスを着飾ったようなお姫様じゃない。だから、私は淫らだ。友人たちにこれ以上、徴収されてなるものか。
 しゅっ、と一際強く性器を擦ると、彼の口から今まで洩れていたものよりもさらに高い声が洩れた。きっとそれは本人からすれば声の形を成していない、もはや符号めいた何かになってその耳にとどいたのだと思う。
 彼自身の先端から、命が吐き出され、私はそれを手で受け止める。べっとりと手に付着したそれを、ちょっぴり舐めとって、その味に酔い痴れた。
 彼の目はまだ焦点が合っていない。正気に戻る前に私は彼のお母さんとお父さんを元気にするための準備をする。
 私は採取した精液を使い(具体的には死体に精液を擦り付けた)、ある呪文を唱えた。それは、ネクロマンシー。残酷であっても、これが私が彼にできる限界。私は全知全能の神じゃない。死した命を弄ることはできても、それを元に戻すことは、因果を遡行することなんてできはしない。それでも私は彼に対してこう言うしかないのだ。
 努めて優しい口調で、ほら。
 お母さんもお父さんも、目を覚ましたよ。
 って、彼にかけた魔法を解きながら。
 そして彼は素直にそれを信じた。現に生きている二人を見、そこにやっと会えた悦びを噛みしめながら、健気に私にありがとうとお礼を言う彼が目の前にいる。やめて、と言ってもきいてはくれないのだろう。それでも、お礼なんていらないとしか私は頑なに言えない。私は結果として、騙したのだから。
 それでも、謝意とそして、純粋な好意を向けられると胸が何かで張りつめていく。こんなもの、研究だけしていれば知ることもなかった。知りたくもなかった。
 それでも知ってしまったものは仕方がない。これが私の抱える秘密の全て。それらは月日を経て、それぞれが解決し、幸せな末路に続いているけれど。けれどこうして話しておかなければ私の気がすまなかった。
 ただそれだけの、事実の羅列。
 いや、まだ私は逃げていた。全てを述べきれてはいないのだから。
 その後私はある提案をしたのだ。彼に対して、家族含めて私のところに来ないかと。頭の回転が早い者なら、なんと汚いと思うだろう。私は彼を、手に入れたくなっていたと言えば、私は第三者の目にはどう映るだろう?
 彼の疑問の矛先をごまかして、私は彼を手に入れた。もう離さない。離してなるものかとすら思う。彼が落ちてきたその時から、私は雷にうたれたような衝撃に見舞われていたのだから。許して欲しいなんて傲慢なことは言わない。私の魂を奪ったのは彼の方が先だ。魂は大事なものだから仕舞っておいたのに、壊したのは彼だ。
 私の経箱を、落下してきて挙句尻もちで「壊したのは彼」だ。私を虜にしたのは、誰が悪い?本来なら余裕をもって彼の精液も採取できたはずなのに、恍惚として自分を見失ってまで奉仕の手に力が入ったのは、それにこれまでにない悦びを感じたのは、誰のせいだ。
 だから私は彼を、離さない。今の夫を離さない。
 互いに縛り合って、愛し合って。狂っているのだと思えばそう思うがいいし、罵るがいい。馬鹿にするがいい。
 私たちは生きている。家族になって、家族と一緒に。第三者の目なんて知った事か。世間がどれだけ口さがなくあろうとも。
 それでも私たちはしあわせだ。
15/11/11 21:51更新 /

■作者メッセージ
そんなお話でした。楽しんでいただければ幸いです。
このお話を投稿するに至って問題がないかのチェックにたんがんさんのお力をいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

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