連載小説
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空ろ着(ウツロギ)
 『中立』国家ウツロギ。魔物に対しても、人間に対しても中立の立場を維持し続ける、特に特筆するべきこともない国家だった。専守防衛のスタンスを貫いて、自国の領地を明らかな敵意を持って侵入してきた者にのみ、迎撃する。ついでに、自然と人工物のいい比率で成り立っている国だった。
 そんな中立国家ウツロギの郊外。言わば城壁で覆われたその外側のある場所で、少女の物語はひっそりと始まっていた。

「う〜ん、参ったなあ」

 闇夜を照らすはずの月は、その姿を厚い雲に隠して自らの光を地表にとどけずにいた。そのため、現在地の把握すらもままならない。

「まさかねえ」

 自分の心情を言葉にしたところで、少女が置かれている状況が変わることはないことは、少女自身、十分わかってはいたけれど、それでも口にすることで落ち着こうとするために、少女は敢えて自分の置かれている状況を口にすることにした。

「まさか巡回警備の最中に足を滑らせて」
「そのまま?」
「そう、そのまま川に落っこちて」
「あらあら」
「流されちゃうなんて」
「困ったものよねえ」
「助けてくれる親切な人がいて助かったわ」

 少女――少女たちはお互いの言葉を拾いながらため息を吐いた。一人は逆立ちしたってとても喜べるものではない現状を憂って、一人は現状を楽しむかのような悪戯心を含ませて。

「とりあえず助けてくれてありがとう。助けてくれなかったら私溺れ死んでたかも」
「死にそうな人間を助けないわけにはいかないわよ」
「そこは普通に『人』でいいんじゃない?奇妙な言い回しよね。狂言師さんか何か?」
「あら、狂言師はもっと狂ってるわよ」
「それもそうね」

 お互い、闇夜で姿が見えないまま会話を弾ませる。しかし川に落ちた方の少女は、水分を吸った服が自分の肌にべったりと吸い付いてくる感覚に、激しい嫌悪感を覚えずにはいられなかった。全身に粘液がついたような、馴れない感覚。
 服を脱ぎたい衝動に駆られるが、闇夜とはいえ屋外でしかもすぐ側には恩人がいる。露出狂の気がどうとういう問題ではなく、常識として脱ぐという選択肢が自然と少女の頭から消えていった。

「大丈夫?体拭いておかないと風邪ひいちゃうわよ」
「大丈夫。これでも警備隊の一員なんだから、そんじょそこらの女子よりはたくましいわよ」
「それってひっくり返したらお転婆とか、アバズレとかって言うわよね」
「う・・・・・・・・・」
「うふふ、冗談よ、気を悪くしたならごめんなさいね」
「いいわよ、言われなれてるし・・・。ところで、あなた名前は?せめて恩人の名前くらい聞いておきたいんだけど」
「私の名前はシープ」
「シープ・・・羊?」
「意味はそうだけど、外見は全然違うわよ」
「そりゃそうよね。ありがとうシープ。おかげで助かった」
「どういたしまして。ところで、貴女の名前は?」
「私はサユリ」

 サユリと名乗った少女は再び、シープに対して助けてもらった礼を述べ、頭を下げた。暗闇の中なのでよくわからなかったが、シープもつられて頭を下げている気がして、自然と笑みがこぼれる。
 お互い自己紹介をしているように、二人が出会ったのはついさっきのことだった。時間にして数分前。
 ウツロギは中立という立場上、進撃や侵攻するための戦力は持っていないが、専守防衛のスタンスを貫くために、最低限の防衛力は備えていた。それが、警備隊だった。まさに守るためだけの戦力で、守るためだけに戦う専守防衛を体現した団体、組織。
 そんな警備隊に所属していたサユリは、いつものように夜間警備のために城壁の外へ出て郊外の街道までの巡回をしていた。早い話が警邏だ。
 といっても、サユリ自身何度も警邏を経験して、その経験の中には不審者との遭遇なんて含まれていなかった。良くも悪くも毎日が異常なしと報告書に記すだけの、至って平凡で平和な警備隊の仕事の一環だった。
 数分前のサユリはいつものようにランプを拝借して夜道に不審者がいないか目を光らせていた。なにせ、いつも異常がないといっても、闇夜に紛れて侵入するのは常套手段なのだ。注意しすぎて損をするということはない。それが杞憂に終われば、いつものように報告書にルーチンワークのように異常なしと記して、帰りに悪友を拉致して酒場にでも行けばいいだけのことだ。
 ただ、その日。
 その日、サユリは道中で、不審な気配を感じていた。はっきりとしない、相手もこちらを窺っているような、出方を窺っているような気配。闇夜で明かりを灯しているのは自分の居場所を知らせるようなものだと考え、すぐさまランプの明かりを消したサユリは腰に携えていたダガーを構えた。
 小ぶりだが、それゆえ扱いやすく携帯性もあり、頼もしい。
 そのダガーを構え、気配のする方向を必死に探っていた時だった。
 ぐらり。と視界が急に、いや、体のバランスが一気に崩れた。足元がいきなり消えてしまったかのような浮遊感を感じたのもつかの間。
 大きな水音と共にサユリはすぐ側にあった川へと足を滑らせて落下した。闇夜のために陸地がわからず、必死にもがいていたが、流れにも逆らえずひたすらまにまに流されるまま。そして、その最中に足をつってしまい、とうとう顔が水に完全に浸かった。
 死ぬ。冗談抜きで死んでしまう。嫌だ。まだ恋だって叶ってない。助けて。でもこんな闇夜で助けなんてあるはずない。後悔と悲しいくらいに冷たい現実がサユリを脳髄を犯し、目から温かいものがこぼれそうになった時だった。
 ふいに腕を何かに掴まれ。
 思いっきり引き上げられた。
 そうして九死――急死に一生を得て、現在。
 つった足がまだ治らないサユリはこうして自分を助けてくれた、シープと名乗る恩人と談笑していた。
 そんな談笑も、助けてくれなければもうすることはなかったんだろうなと思うと、姿が見えないシープに後光が差してくるような錯覚に陥りそうになる。

「それにしてもサユリは元気ね。さっきまで死にかけだったとは思えないくらい」
「空元気よ空元気。そうでもしないと気が参っちゃいそうなんだから」
「あら、たくましいなんて言ってた小娘はどこの誰だったかしら」
「さあ、ど、どこの誰かしらね」
「うふふふ、可愛らしいんだから」

 その声に、喉元へ愛撫をされるような、そんな感覚をサユリは覚えた。人をからかうことに馴れていたり、どこか飄々とした態度を崩さずに人と接しているあたり、職業は娼婦とかその辺りなのかもしれないと思った。
 思うだけで、言いはしないのがマナーだ。

「足はまだ痛むの?」
「うん、もうちょっと休む」
「ならその間に私がとっておきのお話をしてあげましょうか」
「とっておきの?」
「猥談か縁談かどれがいい?」
「破談で」
「あら返し上手いのね」
「もう・・・。ちなみに猥談を選んだらどうなってたの?」
「私の経験談を延々と聞かせてあげてたわね」

 どうやら自分の予想は当たっていたらしい、とサユリは自分の予想能力に少し自信が持てた。もっとも、この場ではなんら意味はないのだが。

「ちなみに縁談だったら・・・?」
「私と貴女でカップル成立ね」

 ずっこけた。思わず川へ再び落下しそうになる程度にはサユリはずっこけた。そして両手だけで地面を這うようにしてシープと距離を取る。そのさまは、きっと夜道で人が見れば魔物と勘違いされてしまうくらいの迫力だった。

「わ、わああああ、わああ、あたし、のののノーマルだから」
「どこまで動揺してるのよ、冗談よ」

 冗談にしても性質が悪いわよ、と呟きながら再びシープの元へとサユリは這って近づいた。そして、ほんの仕返しのつもりでさっきの質問をシープに返す。

「じゃあ同様のことを突然言われたらシープはどうするの?動揺しないの?」
「可愛がって一晩限りの夢と思ってもらうかしらね」

 再びサユリはずっこけた。以下の過程省略。
 そして再び話に花が咲き、お互い同性ということもあり普段話せないようなことを話しつくしていた。恋愛論とか、経験人数だとか、どうやったら可愛くなれるのかとか。いずれのどれも、サユリの所属している警備隊では滅多に話せることではなかった。
 例えばサユリが経験人数を赤裸々に語ったところでシープがそれをネタにしてからかったり、恥ずかしいけれど楽しい時間が過ぎた。
 例えばどうやったら可愛くなるかという女子の第一願望の議論は、サユリが努力するしかないという根性論を持ってくると、シープは資質を少し磨くだけで可愛くなれるのだから努力の必要はないという真逆の論理を展開する。そこでお互い引き下がらずに、努力しなければ進展しないのは人の性だとサユリは熱弁し、それをさらりと枝垂れ柳のように本人の素質がないのが悪いと受け流してみせるシープの論議は、濃密な時間だった。

「だからね、毎回酒に誘ってるのに向こうからはなんのアプローチもないのよ!?少しは向こうから誘ってくれたっていいのに!なんなのかしら、無言になってるってことは僕は貴女には興味がないんですごめんなさいって言ってるようなものじゃない!ならせめて言葉で伝えろって話よ!!!」
「そうかしら?案外、その子なりの照れ隠しだったりするかもよ?」

 そんな会話も含めて、時間にして、一時間か、二時間か。そう感じていたのは二人だけで、本当は十数分くらいしか経っていなかったのかもしれない。どちらにせよ、時間を知る術がないので確かめようがないことだが。
 そんな時間が過ぎていって。
 闇夜に目が馴れたサユリはシープの体つきが十分に発達した女性のそれだとようやくわかった。同時に、自分の発育途中(と信じていたい)体に恨みが湧いてくる。サユリは整った体つきではあったが警備隊の訓練のせいか、筋肉がどうしても少し目立っていた。
 そんな悩みもシープに打ち明けて、お互いにお互い話す限りの話をして。
 雲隠れを決め込んでいた月も漸く顔を出して、その妖しい光を地表に降り注がせたときだった。

「ん・・・、足治ったみたい」
「あら、よかったわね」
「あ、そうだ、シープはどこかへ行くの?夜道は危ないし、私が案内して――」

 して。して。その部分でサユリの言葉は止まった。いや、正確には立ち上がってシープの方を向いて、月明かりに晒されたその姿を見て、絶句した。その絶句のタイミングがただ、台詞の途中だっただけだ。
 ただシープの姿が、人間とは少し離れた姿だっただけだ。
 闇夜に目が馴れ、その時に確認できたシルエットとは、少し違っていただけだ。
 漆黒の翼を生やし、黒曜石のような角を生やし、暗闇のような色の尻尾を生やし、劣情を誘うような衣服に身を包んだ、サキュバスの姿だっただけだ。
 そう。今までサユリが人間だったと思っていた人物が、魔物だっただけだ。

「そうね。夜道は魔物が出て危ないものね?」
「あ・・・・・・・・・・」

 魔物が、目の前にいる。川から流されたけど、それでもまだここはウツロギの領地内のはず。そこに、魔物が侵入している。その事実だけがサユリの脳に電流を走らせ、咄嗟に腰のダガーを構えさせようとしたが、出来なかった。
 純粋に、単純に。
 シープの美しさに、同じ同性なのに、サユリは見とれて動けなかった。月光を浴びながら微笑むその姿は妖姿媚態としか言いようがない。そんな美しさを、麗らかさを纏っていた。細かい光の粒子を乱反射したような眩さを感じた、サユリは、一歩後退することしかできなかった。
 最も、体が動いて腰のダガーを構えようとしたとしても、すでに川の中で流されてしまったダガーはもう腰には携えられていないので、空ぶった無様な図が出来上がるだけだったのだが。それを認知することもなく。
 ただ。
 見とれていた。

「あらあら、そんなに見られたら照れちゃうわね」

 その言葉に漸くはっとしたのか、サユリは必死に喉から搾り出すようにして声を紡いだ。

「な、なにしに来たの魔物!」

 言葉が上手く紡げない、繋げられない。無理もなかった。サユリにとって初めて出会い出遭った魔物は、サユリの想像していた姿とまったく違ったのだ。そのことに、動揺を隠せないでいた。
 ウツロギにも魔物の資料は存在する。敵を知ることはいざ戦うとき、攻められたときのための参考になるし、流石にそこまで手を抜くほどウツロギのお上も頭が固くはなかった。が、資料が常に正しい物とは限らない。そう、ウツロギにあった資料は『挿絵』がいずれも旧魔王時代のものだった。人を食らい、人々を蹂躙していた時代の魔物たちの挿絵。おぞましい姿、生理的嫌悪感を掻き立てるような形。そんな挿絵が載っていた資料を参考にしていた結果、その結果として、サユリの魔物に対する知識は偏見で固まっていた。
 『挿絵』のみ旧魔物時代のもの。つまり、特性はある程度正しい理解として書かれているということ。もっとも、それも男性を堕落させるといった、宗教国家の意図が見え隠れするような改竄に塗れていたが。一概にその宗教国家を責めることはできないとはいえ、そんな中途半端な改竄のせいでサユリの頭の中では、美しい女性の姿をした魔物という想定が抜けていた。
 ごっそりと。
 ただ単に催眠術でもしかけてきたりとか、そんな自分の精一杯の想像力を働かせての想定しかしていなかった。
 根本的に。男性を誘惑するような肢体を、姿態を具えているとは考えもしなかった。

「何しに・・・。う〜ん、私としては単なる散歩のつもりだったんだけどね。ほら、あなたが溺れて死にかけてたから」

 言って、シープは一歩近づく。物理的に、距離を詰める。

「ち、近づかないで!」
「そこまで警戒することないじゃない私は――」
「ッツ!!!!!」

 何か言いかけていたシープの言葉を最後まで聞かずに、サユリは全速力でその場を離れた。逃走した。
 逃走。
 戦略的撤退、とも言える。
 そう、サユリにとってはそれは逃走というよりは、一時撤退に似たそれだった。素手で人間以上の力を持つ魔物と戦うほどサユリも単純な脳はしていない。撤退し、仲間を呼んで警戒網を強いて布いて。そしてシープと名乗ったあのサキュバスを捕らえなければいけない。そして目的を、どうしてここにいるのかという疑問を解決しなければならない。
 そのために、全力をさらに上回る全力でサユリは走っていた。
 が、サユリの頭は単純ではなくても、単調ではあった。漸く馴れた目を頼りに夜道を走り走って、そして。

「あっ・・・・・・・・・!」

 再び、ついさっき感じたものと同じ、足場がいきなりなくなるような感覚と、一瞬だけ重力から解放されたような浮遊感。

「がぼっ!!!!あっ、げほっ!!」

 水を大量に飲み、息が出来なくなっていく。体がどんどん重くなっていく。もがこうとして、再び足に激痛。やけに透明な黒い視界に、ほんの少し月が輝いているのがサユリの目に見えたが、それも一瞬で、何もわからなくなってしまった。


○                ○                ○


 ぬるい。だがそれは嫌なぬるさではなく、母の腹にいたころ、胎児の時に味わったような羊水のそれに似ていた。温かく、どこか安心するぬくもり。
 落ちていた川とは比べ物にならない安心感。それが今、サユリの目の前にある。酷く不鮮明で落ち着かないが、それでも、手を伸ばせば届く距離にそれはある。だから、サユリはその手をまっすぐ伸ばし――
 そこにいたのは、酷く歪な笑みを浮かべたシープだった。

「ひっ・・・・・・!」

 サユリは覚醒と同時にほぼ反射のように飛び跳ねる。そして、ノイズで乱されている頭をぐしゃぐしゃと掻いて、そして辺りを見回した。
 生活できる最低限の物が揃った部屋。それに、いつも自分が寝ているものと同じベッド。唯一外へ通じるであろうドア。どれもこれも見たことがあるものだった。
 自分の部屋だった。

「私・・・・・・・・・寝てたの?」

 なら。なら、あの時のことも全て夢か。そう思い、ほっとサユリは胸を撫で下ろした。夢なら夢で、不快なものだったけれど、それでも現実に起こっていたことじゃない。それだけでもう安堵の溜息がこぼれるほどだった。
 しかし、本当に夢だったのだろうか?
 そう疑問を抱いたのもつかの間、ドンドンとドアをノックする音が聞こえ、サユリの部屋への来訪者を告げた。

「あ、ごめんなさい、今あけます」

 きっと警備隊の面々の誰かが自分を起こしにきたのだろう。寝坊は確か基礎特訓の倍化だったか。夢よりもぞっとするような現実を目の前にして、サユリは慌て気味にドアを開いた。

「ああ、よかった。もう気がついてたのね。いきなり走ってまた川に落ちちゃうんだもの、びっくりしちゃった。あ、警備隊の人から伝言よ。今日は出てこなくていいから早く体調を全快させておきなさいって♪」
「え・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 再び、サユリの絶句。
 そこには、出会ったときのような扇情的な服ではなく、きちんとした露出を控えた服に身を包んだシープの姿があった。露出を控えても、そのプロポーションが主張を控えることはないが、今はサユリにとってはそっちを気にしている場合ではもちろんなく。

「怪我とかはしてなかったみたいだけど、大丈夫?体も濡れてたから拭いたりはしたんだけど寒気はない?平気?」
「ええええぇええぇぇえええぇええぇぇぇぇえええぇえええ!!!!!!!!???」

 中立国家ウツロギに、サユリの叫び声が木霊した。
13/08/19 21:19更新 /
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■作者メッセージ
 そんなお話でした。楽しんでいただければ幸いです。
 今回は如何でしたでしょうか。漸くややシリアスっぽいお話が書けたように思います、当社比で。
 連載は初めてですが、簡潔――じゃなかった、完結できるように頑張りたいと思うので、生暖かい目で見てくだされば幸いです。

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