読切小説
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或る料理店の手記
 手ずから手記をつけようと思い立ったのは、なぜだっただろうか。別段、人生の佳境に差し掛かって心境の変化が起きたという訳ではないが、ふとこんなことをしてもいいのではないかという念に捕らわれた。まぁ、元々店をかまえて客商売をする身分なので、こういった記録をつけておくことは利になれども損にはなるまい。
 愛しい妻と二人で切り盛りする店の、何気ない日常の一こま一こまを切り取った断片だが、これも昔を振り返るにはいいかもしれない。こんなことを考えると、歳をとることも、まんざら悪いことばかりではないように思えるのだが、さて。



 ジパングからやってきたという侍とクノイチに、鮎の塩焼きを振舞った。ジパングから来たのならば、故郷の懐かしい味を振舞った方が良いと思ったからだ。尾と鰭に化粧塩をし、じっくりと炭火で焼き上げた鮎を、二人とも気に入ってくれた。なんでも、この二人、最初は敵対関係だったそうだ。男は依頼主を護る用心棒、片や女はその依頼主を暗殺するために送り込まれたクノイチ。
 ばったりと出くわした二人だったが、勝負は中々決着がつかずに、結局のところ戦いは引き分けたらしい。そこからクノイチ十八番の性技へともつれ込み、いつの間にかお互いに情が移ってしまったのだという。男はクノイチを切れなくなり、クノイチは暗殺するはずだった対象よりも男を気に入ってしまった。なんともまあ、奇縁なことだ。今は、二人で殺伐とした世界から身を引き、もっと様々な世界に触れるために各地をその足で旅しているのだとか。
 静かに寄り添う二人を見ていると、こちらまで温かい気持ちになるのがわかった。惚気というものは、歳をとるとまた違った観点から見れるものだ。若いときには私も、それはもう毒づいたものだったが。こうして見ると溢れてくるのは全く別の感情だ。このまだ若い侍とクノイチの未来に、幸あることを祈った。
 して、クノイチがお礼にと渡してくれたこの秘伝の媚薬。いつ妻に試したものか。いやはや、まだまだ自分も若い。



 ローブで身を隠した少年と箒に跨っている少女に、カボチャのスープを振舞った。夜の道をひたすら走っていたのか、少年の方は顔色が優れなかったため、すぐに用意できて滋養のあるものを振舞わねばと思ったのだ。本物の火で温められたスープは身体の芯にまで沁み込む熱があったらしい。ほぅ、と息を静かに吐く少年の顔色は、少しよくなっていた。滋養を久々に受け取ったのか、安らいだ二人の顔は見ているこちらも胸を撫で下ろしたくなるようなものだった。
 聞くところによると、二人は元々教団の――つまりは反魔物派の――兵士だったらしい。人員不足のために偵察任務に二人だけで行かされたところに、少女がバフォメットに襲われ、魔物にされてしまったようだ。今まで悪態を吐き合いながらも、少女に恋慕の情を抱いていた少年は、少女を見捨てることなどできなかったそうだ。
 だが、魔物となってしまった少女と二人で国へ戻るわけにもいかない。やむを得ず、国を抜けて今は目的もなくあちこちを放浪しているのだという。
 ならば、自分のところに住んでみてはどうかと持ちかけてはみたのだが、断られてしまった。
 まだまだ自分達は若いから、その若さにもうしばらくは頼りたいのだそうだ。これは向こう見ずとも言えるだろうが、そのようなところが、少し羨ましくも感じた。
 若さにかまけた無茶ができなくなったのは、単に自分が臆病者になっただけだろうか。それとも。兎も角、まだ人生の半分も楽しんでいない二人の道が、明るいものであるといい。



 ジパングからやってきたという、存在自体が嘘くさい詐欺師とサンダーバードに、モン・ドールを振舞った。異国情緒を感じたいとのことだったので、ならばと選んだとっておきのチーズだ。このチーズ、モミの木の一種で巻いて固定させ、さらにその木の棚の上で洗いながら熟成させるという手法をとっているため、やわらかくも濃厚な味わいの中に、独特の風味がある。
 最初はその風味に二人とも顔をしかめていたが、やがてそれがクセになったのか、スプーンが途中から止まらなくなっていた。ここまで夢中になって食べてくれるとなると、料理店としては冥利に尽きるというものだ。どこか夢中になりながらも優雅さが感じられるあたり、二人は高貴な身分なのかと尋ねてみたのだが、二人とも平々凡々な市井の身だそうだ。詐欺師に平々凡々もへったくれもないと思ったのだが、その深淵に触れるのは、やめておいたほうが良さそうだ。客商売をしておいて、客に足下を掬われたのでは、巣食われたのではたまったものではない。信頼で成り立つ商売とはいえ、相手は詐欺師。用心するに越したことはないだろう。
 二人が店を出る際に、詐欺師が馳走の礼だと言って、美しい簪を貰った。が、この簪でやはり私は詐欺師は信用ならないと再び強く感じた。
 簪には、小さく目立たない程度にだが、ある名前が彫ってあったのだ。おそらくは、店の名前とあのサンダーバードの名前か。何が平々凡々な市井の身か。サンダーバードの方はきっと遊女だったに違いない。あのうさんくさい二人の笑顔が、脳裏を過ぎった。
 二人の関係は私の与り知るところではないが、きっとこれからも、嘯き唆し誑かし誤魔化し肖りでっち上げ囀り生きていくのではないか。
 ふと、そんな気がした。
 あと偽札をつかまされたので、また来店してきた時にはふんだくってやろうと固く誓った。



 まだ幼さの残る顔立ちの少年と、忙しなく飛び回るリャナンシーにフグの刺身を振舞った。かなり調理の扱いが難しい代物で、危険な毒もあるのでこうして提供するには細心の注意を払うのだが、そこは腕の見せ所。しっかりと捌き、一応私が毒味をして(まさかお客様に毒味もしないで、はいどうぞフグで御座いますと差し出すわけにはいかない)万全を尽くしたものだ。十全な対応ができている。
 二人はコリコリとした心地良い歯触りが気に入ったらしく、頬を綻ばせていた。こういう客の顔が見られるのが、この商売の醍醐味だと私は本当に思う。聞くところによると、少年はつい最近まで目が見えなかったそうだ。が、インキュバスになることで目が見えるようになったとか。リャナンシーの並大抵でない努力が窺えた。インキュバスになり、身体の不自由が魔物娘にとって都合のいい方向へと変わる、つまるところ治癒するというのは噂には聞いていたが……なるほど、実際にそれを目にしてみると凄まじいものがある。
 私の場合は単に生殖器に関する機能くらいしか向上が見られなかったため、尚更だ。
 しかし、ということはこの少年もあどけない表情を浮かべながらも、することはちゃっかりとしているということか。などと下世話なことを考えてしまい、猛省した。
 未来というものは、こういった少年少女達が色づけていくものなのだろうか。と、そんな感慨に少し浸ることになった一日だった。



 言葉が喋れないという詩人とその伴侶のゆきおんなに、コーンポタージュを振舞った。どことなく儚い、粉雪のような印象を抱かせるこの二人には、心から温まって欲しいという念に駆られてしまった。見ているだけで、こちらの心が締め付けられてしまう雰囲気を醸し出すこの二人。普段は筆談で会話しているという。だが、最近は文字にせずとも気持ちを通わせることが出来るようになっているのだそうだ。握っている手の力の強弱や、ほんの少しの表情などから細やかな機微を読み取り、お互い通じ合っていることを実感するのだとか。鴛鴦夫婦の代名詞のような二人だった。
 言葉が喋れないのは、事事物物を十全に、具に受け止めるには丁度いいのだ、と詩人は言った(書いた)。矢鱈と言葉にしていては、その時感じた感動も何もかもが、陳腐なものになってしまう、と。何も釈眼儒心をもって向き合えというほど大げさではないが、言葉が喋れないからこそ、心の中でしっかりとした輪郭を認めることができるのだと。
 ならば、詩人としては商売はあがったりではないのかと問うてみると、そんな想いを口に出したくないと思っている人に、代わりに言葉を紡いであげるのが自分の役目だと返された。
 まったくもって、頭の下がる。
 私にはまだ一寸ばかり理解の範疇の外にあることだが、きっとそのような真摯に向き合う心を持ち合わせているからこそ、伴侶を得たのではないかと思いたい。
 まあ、それとこれとは全く別の話で、私の見当違いなのかもしれないが。……だが、思うくらい、感じるくらいは勝手だろう。



 ホルスタウロスの少女とそれに引っ張られて来店した少年に、ローストチキンを振舞った。実に溌剌とした少女と、それに振り回されているのがわかる少年の組み合わせだった。この二人、なんと来月にはめでたく結婚するのだとか。
 少年が尻に敷かれていそうではある。
 とまあそんな感想を胸中に抱きながら(間違っても口にはしない)二人の惚気をたっぷりと拝まされた。少年の方も、恋人の快活さ、溌剌さに振り回されながらも、満更でもないようだ。なんだかんだでお似合いの二人だろう。
 シロップのような甘い空気の立ち込める店内だったが、偶にはこんな日があってもいいだろう。そういえば、近頃妻に愛の言葉一つ囁いてやっていない気がする。いくらなんでも、最近愛情に飢えているのではなかろうか。限界がきて向こうから襲われたのではひとたまりも無い。いや、どちらにせよ閨事ではひとたまりもないのは一緒なのだが、与える印象は天と地ほどの差がある。
 魔物からすれば、偶に耳にする笑い話の一種ではあるが、明日はわが身。今日の夜は、少しムードを変えて日頃の感謝を伝えるとしよう。……なんにせよ、少し覚悟が必要になりそうだ。
 ところで、惚気話の中で耳にしたのだが、なんでもこのホルスタウロスの少女は人間の頃は、とある国一番の勇者だったらしい。が、恋心を煩わせ、少年の憧れだった胸の大きい女性になるために、とある旅商いの人物からミルクを買ったらしい。はて、どこかで聞いたことがあるような、ないような。
 まあ、霞がかるような記憶だ。大したことでは、ないのだろう。



 腰が痛い。
 自業自得ではあるのだが、腰が痛い。案の定、昨晩少しムードを変え、布団の中で日頃の感謝を囁いてみたところ搾られた。嬉々とした表情を浮かべてこちらに抱きついてくる妻は、非情に可愛らしい姿ではあったのだが、夜は娼婦以上だった。まさに魔物だった。二桁に差し掛かったあたりから、もうお互い獣になっていたような気がする。
 こういう業務に差し支えがありそうな日には、来客がいないことを祈るのだが、そうは問屋が卸さなかった。
 人生中々上手くはいかないものだ。
 今日は天下にその名を轟かせている義賊と名乗る青年が来た。振舞ったものは熱燗だった。お猪口になみなみと注がれた酒を一気に呷る姿は華々しく、やはり義賊とは偏見で彩られたイメージで大体あっているのだと実感する。華やかで、豪華で、そして強き者から弱きものへと金をばら撒く。石川五右衛門然り、鼠小僧然り、そういうものだと決め付けていた私の偏見は意外と外れてはいなかった。
 瞬間、店の扉が壊れるのではないかという勢いで開けられると、ずんずんと轟足でドラゴンが入ってきた。
 途端に義賊の顔が青ざめたものになり、脱兎の如く逃げおおせようとしたのだが、刹那で距離を詰めたドラゴンに地に伏せられてしまっていた。一連の出来事にただ呆然となる私だったのだが、簀巻きにされた義賊を肩に担ぎながら、ドラゴンが説明してくれた。
 なんでもこの義賊。ドラゴンという妻がいながら、こっそりと遊郭に遊びに行っていたのだとか。それがとうとう露見してしまい、年貢の納め時(色々な意味で)になったようだ。義賊は、手は誰にも出していないだとか、話せばわかるとか言っているが、まあ、お悔やみ申し上げることくらいしか私にはできそうにない。
 担がれて何処へと運ばれていく義賊には、先ほど感じさせた華々しさとは打って変わって、哀愁が漂っていた。
 が、後日聞くところによると、あの二人のやり取りは日常茶飯事なのだとか。
 畢竟、あの二人はわかっていて、あのやり取りを続けているのだろう。二人にとっては、あれも楽しみの一つなのかもしれない。変わっている、とは思うが、それは人が口を出すことではあるまい。



 さて、今日も料理の仕込みが終わった。
 今日はいったいどんな客が、どんな人生を持ってくるのだろうか。どうも、彼らのことを見ていると、他人事のようには思えないのだ。これも、歳をとったせいかもしれないが。
 おや、また客がやってきたようだ。
 ならば、まずは挨拶をせねばなるまい。
 気持ちの良い挨拶こそ、やってくる客を迎える第一声なのだから。
 いらっしゃいませ。
15/11/11 22:03更新 /

■作者メッセージ
そんなお話でした。楽しんでいただければ幸いです。
クノイチの話以外、どこか他人事とは思えません。手記の形式の一番の利点は、文体から出る雰囲気かもと思う今日この頃です。
まあそれ故、個性が丸見えという恥ずかしいことになっているかもしれません。

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