読切小説
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眠り姫の続き
彼女、行橋結羽は眠り姫と生徒の間で呼ばれていた。三年二組の文系クラスにいる彼女は、いつでもぐっすりと眠っているからという所以からつけられたあだ名だ。いつでもぐっすり眠っているというのは、比喩ではなく、本当にそうなのだ。なんの奇縁か、三年連続で彼女と同じクラスになった僕が知る限り、彼女がその閉じている瞼を開いているところを見たことがない。登下校時はおろか、体育の時でさえ眠ったまま動いているのだ。それが彼女の種族、ドーマウスの特徴だとしても、凄いと思う。眠っているからといって日常に特筆するような支障はないらしく、極々稀にだが教師と会話をしたり、昼休みにはちゃんと近頃の若者としては感心なことに、「いただきます」の挨拶までしてから弁当を美味しそうに頬張るのだ。そんな、常人からすれば吃驚仰天な生活を送っている彼女と三年連続で同じクラスにいると、さすがに初めて彼女を目にしたときの驚きは薄れていた。人間、異常にもなんにでも慣れることができるという、いい例だ。
ともなれば、三年間同じクラスで交流がないわけがなく、一年生の中ごろには僕と行橋結羽は早くも友人になっていた。
普通に一緒に帰ったり、昼飯の奢り合いとか、気さくなやりとりを交わせる友人になっていた。寝ぼけている――いや、寝ている彼女は時々、会話がずれることがあるのだが、むしろそれが三年間という年月の中で、マンネリを感じさせることのない刺激としての役割を果たしてくれていた。
だから、正しい選択だったのだと思う。階段から足を滑らせて落下する、彼女の華奢な身体を咄嗟に受けとめたのは、正しい選択だったと思う。

「大丈夫か!?」

 こんな状況でも寝ているたくましい彼女だが、小柄な体躯が幸いし、僕も勿論彼女も大した怪我をすることなく、日常に起きたハプニングを終わらせることができた。

「んん……おはよう」

 非常時にまで寝ぼけた、もとい寝ている挨拶をしてくる彼女に、溜息を隠せなかった。魔物娘とはいえ、階段から転落したらただではすまないのに、この調子だ。溜息の一つくらい勘弁してもらうとしよう。

「はぁ……おはよう」

 兎も角、無事な彼女を見ると、軽口の一つや二つでも叩いてやりたくなった。だが、この選択は、間違いだったのだと思う。階段ではなく、僕の軽口が、ほかの誰でもない自分自身の人生を狂わせた。たぶん、それは、きっと良い方向に。良い方向に、間違えた。

「まったく、可愛いやつだよお前は」
「ほぇ……」

 そう、僕は生まれて初めて、彼女を褒めたのだ。それも、容姿を。いや、もっと深い部分を。それが、彼女にとって――ドーマウスという種族にとって、何を意味するのか、そのとき無知蒙昧な僕が知る由も――いや、知っていた。
 あの時、衝動的に彼女の身体を求めてから、僕は覚悟していた。だからこれは、僕にとって。



 高校入学当初。
 僕は友達が作れずにいた。別に中学生特有の病を高校まで引きずってきた覚えはなかったし、人付き合いを苦痛に感じるタイプでもなかったのだが、なぜか友達が出来なかった。きっと、あっという間に形成されていくグループに、入り損ねたのだと思う。そんな僕は入学したばかりの高校生活に何も見出せずに、専ら周囲になんとか溶け込むことをとりあえずの目標としていた。
 さり気なく話の中に混じり、さり気なく同調したように笑って、なんとかグループに属する努力をしていた。そんな努力に勤しんでいたからだろう。当時、どこのグループにも混じることがなかった彼女は、僕の目には一種、異様なものに写った。
 まるで夢遊病患者のように、ふらふらとおぼつかない足取りで図書室へと向かう彼女に、なぜか目を奪われた。なぜだろう。でもそのとき、この機会を逃したら二度と彼女とは会話ができないような、そんな不安に襲われて、僕は慌てて彼女の後を追っていた。
 気を抜けばすぐに躓いて転んでしまいそうな足取りの彼女に追いつくこと自体はとても簡単だった。だが、歩いている彼女に追いついたとき、僕は思わず絶句してしまった。
 彼女は、行橋結羽は眠りながら歩いていたのである。
 夢遊病患者のように――ではなく、本当に眠りながら。
 その光景を見てやっと僕は、クラスで噂になっている眠り姫が彼女だと知った。
 グループに混じらないのも、無理はない。本当に眠っていたら、意思疎通もままならないだろうから。そう思うと、今度は彼女にどうやって話しかければいいのかわからなくなってしまった。話しかけても、こちらに気付いてくれるのかどうか。
 だが、そんな心配は杞憂に終わった。

「ん?あれぇ…」

 ひどく眠そうな声を出しながら、彼女は僕を見た。いや、相変わらず瞼は閉じられたままだったので、見たのではなく、正確にはこちらを向いたといった方が正しいのだが。

「あ、同じクラスの佐藤君だぁ」
「誰!?」

 一応明記しておくと、僕の名前は空風だ。

「あれ?池上君?」
「だから誰!?」
「あぁ〜!空風君だ」

 三度目にして、ようやく名前を呼んでもらえた。どうやら彼女の中で、僕は希薄な存在らしい。まあ、無理もないだろうけど。彼女と僕は、同じクラスであっても、交流なんてないのだから。それもまだお互い入学してまだ半年も過ぎていないのだから、仕方が無い。最初から名前を覚えてもらっているなんて、おこがましい期待だった。

「あの、行橋さん」
「どうしたの?潮風君」
「いや、磯の香りが漂ってきそうな名前じゃないよ」
「あれ、また間違えちゃった。ごめんね〜」
「ああいや、別にいいよ」

 それだけ言って、そしてお互いに黙ってしまう。話しかけたのは僕の方だから、きっと行橋さんは何か自分に用があると思っているのだろう。一方の僕は、どんな話題を振ればいいのかわからなくなっていた。ついさっきまで感じていた、衝動的な不安がさらに膨張していく。やめてくれ。心と身体の軋轢で擦り切れそうだ。
 どんどん彼女が遠ざかっていく気がして、焦燥感に駆られながらも、僕は何も言えないでいた。まるで接点がない彼女と、どう接すればいいのかがわからなかった、わざわざ呼び止めてしまったのに、何も喋れない自分が、気持ち悪い。
 そんな僕に、救いの手が差し伸べられる。その手は、幼子のように小さな、彼女の手だった。

「ねぇねぇそよ風君」
「いや、そこまで穏やかな性格じゃないんだ、僕」
「好きな本、ある?」
「え?」

 そこで、僕は初めて、彼女が自分にコミュニケーションを取ろうとしてくれていることに気がついた。

「著者でもいいんだけど」
「あの、行橋さん、読書好きなの?」
「うん、好きだよ。空風君は嫌い?」

 僕の答えは決まっていた。いくら愚か者であろうとも、こんなわかりやすい機会を逃す愚考も、愚行も、するつもりはなかった。

「好きだよ」
「空風君はどの著者が好き?」
「え、えっと」

 わかりやすい折角の機会が、単純な質問一つで瓦解しようとしていた。参ったことに、僕はあまり本を読んだことがなかった。読むのは漫画くらいで、たぶん行橋さんが読むのであろう小説の数々にはあまり触れていない。そのせいか国語の成績は悪かった。当然、さっき言った好きという言葉には、六割ほどの嘘が混ざっていた。
 でも、これに答えられなかったら、本当に彼女との接点が消えてしまいそうな気がした。
 高校ではいくらでも話す機会があるのに、会うことも何度もあるはずなのに。
 蛍火のように消えてしまいそうな彼女がゆらめいている情景を幻視した僕は、許容量の少ない脳を絞って、

「あ、アガサ。アガサ・クリスティー」

 そう答えた。いつぞや僕が耳にした、ミステリの女王だとか呼称される作家、僕が、たぶん唯一知っている作家だった。耳にした機会なんてもの自体は、もうとっくに記憶の暗渠に捨てられていただろうけど。

「空風君」
「な、なに?」
「そして誰もいなくなったとか、好き?」

 これが、僕と彼女のファーストコンタクトだった。奇妙でむず痒いことこの上ない会話で、その後どんな話をしたのかはほとんど覚えていない。ただ、彼女は僕に一冊の和訳された本を渡してくれた。その日の夜、僕は生まれて初めてアガサ・クリスティーの小説に触れ、そのネーミングセンスに失笑した。だけど、そんな小説の内容よりも、彼女と僕の間に出来たこの拙い繋がりを、もっと保ちたい。そんな気持ちが僕の中に芽生えていなかったと言えば、それはきっと嘘になるだろう。
 そんな彼女との触れ合いから四日後。
 僕は彼女に借りた本を返すために、図書室へ向かう彼女を追いかけていた。案の定、容易く彼女に追いつくことができた。

「行橋さん」
「あ、神風君」
「どこの特攻隊!?」
「あ、それ」
「う、うん。読めたから返そうと思って」
「どうだった?」
「うん、面白かったよ」

 そこから僕は、彼女に勧められて、図書室まで一緒に同行していた。彼女に話しかけて以来、まだ四日だけど、僕は初体験ばかりしている。今日も、生まれて初めて図書室という空間に足を踏み入れた。つんと、かび臭いような、古臭いような、そんな匂いがした。どこか懐かしい匂い。
 生まれて初めて入った図書室は、異様な空間だった。びっしりと本棚に隙間なく収納されている本の数々。本、本、本。どこを見渡しても視界に本が入ってくる。
 なんだか彼女の頭を覗いた気分だ。
 そんな空間に圧倒されている僕を他所に、彼女はひたすら喋っていた。まるで大学の講義のように。
 そんな彼女が、どこかおかしくって、口元が少し緩むのがわかった。

「やっぱり海外のミステリだと、翻訳した人によって表現も異なってくるよねえ。戯曲にもなってるから派生は凄い数だし」

 滔々と語る彼女だったが、僕にはある疑問があった。

「あのさ、行橋さん」
「どうしたの追い風君」
「うん、気運が高まりそうだけどそうじゃなくて、その、眠りながらでも本って読めるの?」
「読めるよ?夢にも出てくるし」

 魔物娘というのは、人間の想像の範疇に収まる予定はそうそうないようだった。なんでも、彼女が言うには、ドーマウスという種族は眠っていても、夢の中で現実と変わらない光景が映し出されているのだという。つまるところ、今眠っている彼女も夢の中で僕に話しかけられていて、それに対応しているのだろう。

「そうだ、空風君。次は予告殺人なんてどう?クリスティの作品だけど」

 そういって本を薦められた僕だったが、慌てて断った。どうもあのネーミングセンスは僕の波長に合う気がしない。一冊読んだだけだが、あの調子だったら犯人だという証拠を登場人物の名前にまで残しそうだ。黒幕をかけて、ブラックロック、みたいに。
 ただ、あまりにも断ると好きな作家じゃないの?と疑問に思われてしまいそうなので、予告殺人とやらは読破済みということにしておいた。嘘に嘘を重ねる僕。嘘つきは泥棒の始まりだというのに。
 ただ、これはきっと正しい選択だったのだろう。その日から彼女がミステリ系統を薦めてくることはなくなった。その代わりに、他の系統の作品を色々と教えてくれた。純文学、ライトノベル、ジュブナイルホラー、時代活劇、恋愛小説、エトセトラエトセトラ。
 今までろくに小説なんてものを読んでいなかった僕は、最初は彼女との繋がりを壊したくないという切迫した気持ちから、読書を続けていたのだが、読むことに慣れてくると、僕の脳は現金なことに、活字をさらに求めてきた。これはきっといい方向へと進んだのだろう。結果として、二年生に進級する頃には、僕は結構な量の本を読破していたし、そのお陰か彼女ともいつの間にか友達になれていた。お互いにオススメの一冊を交換し合ったり、本の感想についてああだこうだと登下校や昼休みの間に駄弁ったり。
 そんな日々がいつの間にか続いて、一年生も残り僅かとなった冬には、気がつけばいつも二人で行動していた。
 その頃には僕は、今日日、小説をいくつも読破するのは大事業だとは思わなくなっていた。彼女と一緒の本を読んだり、時には僕からオススメの一冊を渡す。そんな交流に、微熱を孕んだような気持ちになるのが嬉しかった。
 太宰治、村上龍、コナン・ドイル、日日日。
 様々な文体が、物語が、表現が修辞が、僕と彼女を彩っていた。
 クラスの間では、僕と彼女が付き合っているのではと実しやかに囁かれていたが、僕も彼女もそんなことはどうでもよかった。
 密やかな魂の交流、とまで高潔だと言えることはできないだろうけど、それでも。
 だから僕は今日も今日とて、彼女と二人、図書室にいた。

「ねえ島風君」
「だから僕は空風だって」
「ぜかしま君」
「おっそーい……いや違う違う!」

 あくまでここは図書室なので、小声での会話だった。

「最近のオススメって何?」
「う〜ん、最近は、そうだな……」

 この図書室、高校の中では珍しく(?)ライトノベルでもなんでもジャンルをほぼ選ばずに(言うまでもなく、高校生が読んじゃいけないような本は除外されているが)毎月新書が入ってくる。そのため、小規模な書店といった表現がしっくりくるような図書室だった。ちなみに今月、新書は純文学とライトノベルが半々の比率で入っている。
 僕はその中から、なるべく彼女が読んでいないような本を選ぶ。勿論、ある程度オススメできるように内容を知っている本をだが。

「あ、これなんか――」
「あ、それ――」

 そうして。
 この時の出来事がなければ、僕は彼女を異性として意識することは、なかったのだと思う。いや、これは所詮、戯言なのかもしれない。彼女の種族は、自然と男性を惹きつけるものだそうかだから、知らず知らずのうちに、僕は彼女によっておかしくなっていたのかもしれない。
 僕の指先に、柔らかい感触がした。丁寧な装丁の本の柔らかさとは違う、もっと儚げで弱々しい、なのに生の鼓動を感じる柔らかさ。それが彼女の指先だと気付いた時には、お互いに慌てて手を引っ込めていた。

「あっ、そ、その、ごめん」
「う、ううん、こっちこそ」
「……」
「……」

 僕は、何を動揺しているんだろう?ただ、指先が触れ合っただけなのに、心臓がやけに五月蝿く鼓動を響かせている。静謐に包まれているはずの図書室の中で、不思議と彼女の息遣いと、鼓動が聞こえた。鼓膜を劈くような音量ではない。なのに、やけに湿度を帯びたそれが、僕の耳朶に沁み込んでくる。
 どうして、なんでを繰り返しても、その理由は見当たらなかった。どんな蔵書にも書かれていない言葉のようで、僕はただ立ちすくんでいた。
 彼女が恐る恐る、僕の手を掴む。それだけで、砂糖を胃に直接流し込まれたような気分になった。自分が今、どんな顔をしているのか、知りたい。鏡が、欲しい。
 彼女は少しだけ微笑むと、ふらふらとした足取りで図書室を後にした。いつも彼女の隣にいた僕は、後を追うことなんて出来なかった。
 少しだけ、自分の指先を撫でる。
 熱の残滓が、溶け込んでいくようだった。



 二年生。
 一年生の時に彼女と過ごした時間によって、すっかり小説が(ついでに国語も)好きになっていた僕は、迷わず進路希望で文系を選択していた。
 そして、僕と同じクラスに彼女はいた。
 いつものように閉じられた瞼に、一年間でちっとも成長が窺えないその体躯。そして頭に生えた丸い耳。変わらない彼女と、僕は同じクラスになった。
 変わらない、はずだった。
 彼女は変わっていなかった。なのに、僕は変わってしまっていた。あの出来事以来、彼女を見るとどうしようもない切なさがこみ上げてきて、足元が崩れてしまうような不安に僕は苛まれるようになった。
 それでも二人で変わらず図書室へ行くのは、半ば維持したい意地のようなものだった。
 こうでもしないと、自分の中で感じていた友情とかそんなものが、何かに変わってしまいそうで。移ろいやすい記憶のようにすり替わってしまいそうで。かなぐり捨てたいような感情を一つ抱えて、僕は彼女の隣にいた。

「ねえ雨風君」
「どこかの負けない詩に出てきそうだけど、どうしたの?」
「あのね……」

 と、そこで彼女は珍しく言葉に詰まっていた。これは本当に珍しい。眠っているせいか、会話がずれることはあれど、会話自体が止まってしまうことは滅多にないことだった。だが、彼女は何かを僕には何を言っているのか聞き取れない小さな声で呟いて、それっきり中々喋ろうとはしなかった。それは彼女自身の耳にすら届いていないのではないかと思うほどに小さな声で、僕は一人取り残されたような寂しさを少し、感じた。

「ううん。やっぱりね、なんでもないの」

 そう言って、彼女は綺麗に整った白い歯を覗かせて、にこりと笑った。明眸皓歯の意味を僕は初めて知ったような気がして、顔を逸らしたくなった。
 小さな彼女の端が滲んでぼやけている。胡桃色の彼女の髪の毛が、ふわりと揺れていた。雀の涙ほどの感情が、一つぽたりと音をたてて僕の胸からこぼれ落ちた気がした。
 ファジーなその感覚が、固まる。

「そっか」

 僕はそれだけ言うと、適当な口上をでっち上げて、その場を後にした。
 彼女の前から立ち去った後でも、胸の中で固まったそれは、無視できないしこりを伴って僕の中にあった。
 わかってる。わかっている。
 たぶんこの気持ちは、彼女のドーマウスという種族の特性に起因されるものなのだろうという察しくらい、ついている。それでも、そんな理屈で自分の気持ちに説明をつけたくはなかった。自分の気持ちを、うっちゃらかすこともしたくなかった。友情が、いつの間にか、もっと深いものへ。複雑なものへと変貌を遂げていた。
 宿木のように、僕の心を養分として育っていくそれを、摘み取ることなんて出来なかった。
 結局、その日から三日間、僕は彼女と顔を合わせることはなかった。
 まあ、これは単に、三連休だからというオチがあるのだが。
 ただ、三日間顔を合わせることがなくとも、彼女のことが気にならない日はなかった。
 当然だと言われれば、きっとそうなのだろう。長い間彼女の傍にいて、彼女の魔力に毒されていないはずがない。男性、劣情を抱かせる魔力。
 そんなものを無自覚に、大量に放出している。そしてそれをしっかり全身に隈なく浴びている僕は、とっくに狂っているのかもしれなかった。
 それでも、鮮やかな心の一部だけは彼女に伝えておきたかった。
 色欲に狂って彼女の肉体を貪ってしまうことになる前に、どうしても。

「……」

 きっと、彼女は僕に押し倒されたところで、身包みを剥がれて身体の中に精を放たれたところで、怒ったりはしないのだろう。ちょっと拗ねた顔を見せた後に、それでも僕を受け入れてくれる。浅ましくも、汚らしくも僕はなんとなくそれがわかっていた。
 理屈ではなく、直感で。
 それでも。それでも、それでもと同じ言葉を繰り返し胸中で呪るように呟きながら自制する僕は、哀れなのだろうか。どうしようもなく道化なのだろうか。
 蜘蛛の巣のように張り巡らされた思考の中で、自分が絡め取られて溺れていく。それは存外に、心地よかった。



「春風君」
「その季節にはまだちょっと早いよ。どうしたの?」

 二年生ももう終わろうかという季節。あれから事の進展は驚くほどになかった。いつもと変わらないやり取りが続き、いつもと変わらない日々が気付けば過ぎてしまっていた。光陰矢のごとし、なんて言うけれど、それ以上だと僕は思う。まるで、瞬きの一つで季節が移り変わってしまっているような錯覚を覚えずにはいられなかった。
 ただ、それは決して濃密でなかったということではなくて、逆だった。彼女と過ごす時間は常に一瞬で過ぎてしまって、気がつけば、もうこんな時間になっていた。こんな季節になっていた。楽しい時、幸せな時はすぐに過ぎ去るという、いい例の一つだった。
 彼女に伝えることができる機会は、幾度もあった。その度に僕は一歩を踏みあぐねて、流されるように機会を逃し続けていた。好きのすの字も伝えられず、彼女に触れられず、交わることのない延長戦を続けていた。延長線を歩いていた。
 張りつめた糸は、いつ切れるかどうかもわからないのに。

「最近の恋愛小説ってさ、主人公が悲劇的な場面に追いやられるのが大半だよね」
「まぁ、そりゃそうした方が盛り上がるからね。食傷気味ではあるけれど」

 売れる方針をむやみに変えたくはないのだろう。そして、変えるタイミングを逃してしまっている。まるで、僕だ。

「そのままじゃ、だめなのかな?」
「何が?」
「だからね、いつまでもずっと一緒の恋愛小説ってだめなのかな?変化がないのに、どこか暖かくなるようなそんなお話」
「僕は読んでみたいな。読後は爽やかな気持ちに包まれそうだ」
「だよね。うん、私もそう思う」

 そう言って、彼女は柔和な笑みを浮かべた。
 その笑みで、僕の心臓が跳ねる。

「いいよねえ。ほんわかした雰囲気とかさ」
「そ、そうだね」

 脈拍が、上昇する。血液が全身を巡る感覚が、鬱陶しくて仕方がない。
 張りつめた糸がいつ切れるかどうかもわからないのに。
 瞼の裏に、生まれたままの姿の彼女がいた。僕の腕の中にすっぽりと納まり、子供のように唇をねだる彼女。柔らかく、舌触りのいい粘膜同士が触れ合う感覚が、リアルに再生される。お世辞にも豊かとは言えない彼女の乳房に手が自然と運ばれる。ぴんと立った可愛らしい突起を指でつまみ、くにくにと弄べば、彼女の口から可愛らしい声が洩れる。

「空風君?どうしたの?」

 小さな口を一生懸命開き、僕の膨れ上がって勃起した肉棒を頬張る彼女。すっかり大事なところから粘液を滴らせ、一つになることを待ち望む彼女。
 瞼の裏で繰り返されるその情事に、ぐずぐずと腐敗していく。
 何が、という主語さえ失って。
 僕は僕が想像していた以上に、彼女の毒に犯されていた。それでも、ずっと認めてきたこの気持ちだけは伝えなくちゃならない。
 彼女が、嬌声をあげている。その幻聴が、動悸が、一つになりそうだ。それでも言わなきゃいけない。今、今言わなきゃ駄目だ。
 伝えなきゃ、そうでないと。
 それを意識した瞬間に、幸せそうな笑顔を浮かべる彼女が、瞼の裏で焼きついた。ぐらりと根幹が揺さぶられ、息をするのが苦しくなる。頭がぼぉっとして、白昼夢を漂っているような、そんな感覚に全身が浸された。
 ああ、もう。
 だ。
 め。
 だ。
 糸が、切れた。

「……行橋さん」
「なあに?」

 いつものように、眠ったまま答える彼女に、僕は、

「ごめん」

 白々しいほど上擦った声で謝った。
 がらりと、何かが崩れる音が頭の隅で木霊した。
 彼女の手を取り、図書室の隅へと移動する。何がなんだかわからないといった様子の彼女に構うことなく、僕は強引に彼女を抱き寄せた。
 思っていたより、少しだけ存在感のあるその体躯がすっぽりと僕の腕の中に納まってしまう。そして、今度は彼女の両脇に腕を差し込み、抱っこの要領で持ち上げた。そして、僕の腰と丁度いい高さにある本棚へ、彼女の腰を乗っける。

「ふぇ?」
「僕は――」

 この期に及んで何かを言おうとする自分自身に、思わず吐き気がした。
 だから、もうそれ以上僕は何も喋らずに、黙々と行動に移る。彼女から放たれている魔力がそうさせるように。追従する。
 スカートを捲り、露になったパンツを横にずらすと、まだ未発達に見える女性器が姿を現した。
 自分のズボンのファスナーを下ろして、肉棒を露出させる。限界まで肥大化した自分は、果たして彼女の中に入るのかどうか不安になった。が、それも一瞬で、彼女の秘所に欲望をあてがった瞬間、僕の腰は勝手に前に突き出されていた。
 びくりと身体を震わせる彼女に構うことなく、唇を唇で塞ぎ、両手で腰をがっちりと固定して、僕は先端が何かに触れるまで腰を押し進めた。やがて、こつんと小さな輪のようなものにぶつかる感覚がして、彼女の小さな身体が大きく仰け反り、痙攣する。

「〜〜〜〜〜ッツ!!!」

 微かに洩れる彼女の声が、か細く響き、僕の情欲をさらに煽った。
 入り口から奥まできつい彼女の中は、律動を繰り返すだけで視界が白に染まってしまいそうだった。先端と根元の二箇所がきつく締められ、肉棒全体は細かな肉襞で蕩けるような愛撫を何度も受けている。特にカリ首への快感は強烈で、激しい悦楽に何もかも焦げてしまうのではと、恐ろしくなる。
 長いキスを一旦止めて、唇を解放すると、お互いに酸素を求めて荒い呼吸を繰り返した。だが、彼女の吐息が、酸素を求めているのとは明らかに別の何かで震えているのが、僕でもわかった。頬が紅色に染まり、目元も艶やかな色に染まっている。
 何度も何度も彼女の奥へ侵入し、子宮口をこつこつと叩く。いつの間にか淫らな水音が響くようになり、滑らかな抽挿が出来るようになっていた。
 ぽたぽたと結合部から溢れる粘液が染みを作り、獣じみた欲求が、沸騰する。
 無我夢中で腰を振り、快楽を求めていると、僕の腰に違和感があった。何かが絡み付いているような違和感。
 それが、彼女が必死に絡みつかせている足だと知って、なぜか僕はもう一度彼女にキスしたくなった。
 小さな身体を貫くように激しく彼女を突き上げ、粘膜同士を擦り付ける。その快感に翻弄されるように激しく腰をうねらせる彼女。膣が小刻みに肉棒を締め付け、絶え間ない快楽にいつしか二人とも、動物になっていた。
 尿道からじわじわと上ってくる子種を、彼女の子宮に注ぐために、肌をぶつけて、乾いた音も、粘着質な音も響かせる。今にも破裂してしまいそうなほどに膨れた亀頭の粘膜が、鋭敏すぎる快楽を頭に突き刺す。
 征服感と悦楽で満たされそうな頭の中で、考えることを放棄していた僕は必死に彼女を抉っていた。膣肉を掻きまわすようにして力強い挿入をし、跳ねる彼女の身体をしっかりと抱きかかえる。お互いの身体がすっかり密着した状態で、僕は小刻みにコツコツと子宮口をノックした。亀頭が敏感な部位に触れる度に起こる甘美な収縮が切なくも心地よくて、もっと彼女を抉りぬきたいという欲求すら湧きあがってくる。

「……っ。は、ぁ」

 もう限界だと声にならない声で伝えようとする彼女に、僕は頷き、自分自身も限界に昇り詰めようと、より一層激しい抽挿を繰り返した。
 背筋を舐められるような肉悦が全身に広がり、一瞬、許容量を越えて肉棒が膨張するのを感じた。そして、気付いた時には射精衝動に従順に、彼女の中に精液を注いでいた。
 びくんびくんと、蠕動を繰り返して子種をねだる膣に、たっぷりと僕を注ぎ込む。自分でも信じられないほどに肉棒が跳ねるのを繰り返した後、僕は射精直後で敏感になっているそれをゆっくりと引き抜いた。
 ごぽりと音をたて、彼女の小さな膣から白濁した液が零れてくる。
 痙攣で何度も身体を震わせながら、荒い息遣いを繰り返す彼女が淫靡そのもので、また下半身に血液が充填されていくのを感じる。
 やがて、一度精を吐き出したというのに先ほどよりも大きくなっているのではと思うほどに勃起したそれが、獲物を求めてびくびくと脈打っていた。
 僕はまだ納まらない衝動をどうにかするために、膣よりもさらに小さい後ろの穴に狙いをつけた。
 すっかり腰砕けになってしまって、動けない彼女を抱きかかえ、床に降ろす。そして今度は、正常位の体勢から、彼女の後ろの穴に自分の欲望をあてがった。



 その後、行為が終わった後に何か特別なことがあったわけじゃなかった。自己嫌悪に苛まれながら、後始末を二人でしている時に、何度か目が合っただけだった。
 ただ、彼女の目は、いつもの閉じられている瞼のはずなのに、少しだけ違うように思えた。ちょっとだけ、温かいものに。
 なぜだかは、わからない。
 そんな二年が終わり、そして今。
 三年生になり、階段から転落してきた彼女を受けとめた今。
 彼女に可愛いと告げた今。

「空風君……?」
「あのさ、順番が、ちぐはぐになっちゃったけど、伝えたいことがあるんだよ」

 たぶん、きっとあの時僕を支配した衝動はきっと、彼女の特性のせいだとしても、許されるものじゃないだろう。誰よりも、僕が自分を許せない。
 だから、伝えたかった。
 手遅れになっていたとしても、伝えたかった。
 どんな蔵書にでもありふれて溢れている言葉だろうけど、それでも。僕が言いたかったことだ。

「好きなんだよ。行橋さん」

 彼女は返事をしてくれなかった。
 その代わり、にっこりと微笑んだ。見ているだけで浄化されてしまいそうな、その笑み。それに触れることは、一種の禁忌を犯すような気がしたけど、それでも僕は彼女の頬に触れてみた。心地いい、女の子の肌だった。
 仄かに、彼女の頬に赤みが宿る。腕が僕の首にまわり、今度は僕が彼女に抱きしめられた。鼓動が、脈動が重なっていく。

「空風君」
「……なに?」
「空風君。ふふふ。空風君」

 何度も何度も、僕の耳元で彼女の声が木霊する。
 僕が彼女に一度でいいから伝えたかった言葉。
 彼女がきっと僕に伝えようとしていた言葉。
 それはきっと同じだったんじゃないかと、思った。
 今日は、どんな本を彼女と読もうか。きっと、どんな本にも書いてある言葉を、僕はこれから生涯で幾度となく彼女に告げるのだろう。きっとそれは、彼女も。
 甘くて噎せかえりそうな言葉が、お互いの口から一つ零れた。
 お互いにわかっていたのに、わかることなんてできずに。
 やっとお互いに確信が持てた、一瞬だった。

「好き」
「好き」
15/11/11 22:04更新 /

■作者メッセージ
そんなお話でした。楽しんでいただければ幸いです。
ドーマウスに限らず幼女タイプの子のエロシーンは書いている最中に罪悪感からお巡りさんに自首しそうになる気がします。
特にこういった主人公とかだと……ねぇ?

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