読切小説
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僕は何も言わずに
 あまりにも実感が湧かない。そんな感想をつい、抱いてしまうのは、彼女に対する、死者に対する冒涜だろうか。こうして今、僕はぬくもりのない彼女を見下ろしているけど、あんまりにも綺麗で、死んでいるなんて、思えなかった。
 道路に飛び出た子供を庇って、撥ねられたと聞いていたから、僕は、失礼な話、もっとグロテスクなものを覚悟していた。でも、実際の彼女は車に轢かれたとは思えないほどに安らかな死に顔で。すぐに目を開けて、いつものようなハツラツとした笑顔を見せてくれるんじゃないかと思えた。馬鹿みたいだとは感じたけれど、その時の僕は本当にそうなると思った。
 そんな僕と彼女の関係は、ありきたりだけど、恋人だった。告白したのは僕の方。彼女は男みたいな自分じゃ不釣合いだと言っていたけれど、僕には活発なその姿も、真っ直ぐで優しいその性格も、大好きだった。
 二人の関係はとんとん拍子で進み、身体を重ねるのに時間はかからなかった。涙ぐみながらも僕を受け入れてくれる彼女の姿も、必死にキスをねだる彼女の姿も愛しくて、可愛くて仕方が無かった。
 こんな日がずっと続けばいいな、なんて訳もなく思ったりなんかして、恋は盲目と言うけれど、まさにそうだったのかもしれない。少なくとも、この甘い時間は、いつまでも続くように思えた。
 だから、不謹慎な話、彼女が撥ねられたと電話を受けたとき、性質の悪い冗談だと思った。そんな、大衆向けの恋愛映画のような展開が、自分の人生にあるはずがないと若造の僕らしい理由で信じられなかった。人生、何が起こるかわからないなんて、くさいけれどとても現実味を帯びた常套句が、現実があったと言うのに。紛れもないそんな現実を生きているのは、また、紛れもなく自分だったのに。
 情けない話・・・いや、そんな言いかたでも、きっと自分を擁護している。クズみたいな話、だから、僕が現実と向き合えたのはそれから三日後の、彼女の訃報を聞いた時だ。
 そして、今、納棺されて、火葬場へ向かおうとしている彼女を止めることは、できなかった。
 彼女の両親が、僕もと誘ってくれたけど、家族の方が彼女もきっと浮かばれますとかなんとかと心の中で呟いて、断った。・・・白々しいにもほどがある。
 本音を言ってしまえばよかったのか。
 骨だけになった彼女を見たら、狂ってしまいそうだから、行きたくない、と。
 彼女が骨だけになり、無事お墓に納められた翌日、僕は何事もなかったかのように学校に通っていた。惰性に突き動かされるようにして、だらだらと重たい足を動かしながら。
 ただ、それでも悲しいとか、寂しいとかそんな感情が湧きあがってくるようなことはなく。僕は味のしないパンを咀嚼しながら、教室へと這入った。
 クラスの目はどこか好奇なものが混じっている気がして、ひそひそ話ですら煩わしく感じてしまう。普段なら、聞き流しているはずなのに。僕はイヤフォンを耳にして、ひたすら音楽を流していた。教室に先生が這入ってきても、そのまま。
 だらだらとだらだらと。
 いつの間にか昼休みになり、漫然とした気だるさが残る体を操りながら、購買でコロッケパンを買って、空を眺めながら昼食にした。不思議なことに味がまったくしない。色々あって疲れてしまったのだろうか。感覚も、心も。
 だとしたら、なぜか涙の一滴も精製しない自分の涙腺にも納得ができた。疲れ果てているなら仕方ない。誰だって休みたいと思う頃がある。自分の身体なら、尚更だ。
 そんな感覚が午後も続き、僕は至って平凡に学校での時間を過ごし、帰路についた。アスファルトを踏む感覚がやけに不安定な、ぐらつくようなものだと思いながら。
 そして僕は帰宅し、至って普通のプロセスを経て玄関を開けて靴を脱ぎ、至って普通の足取りで階段を上り、至って普通の動きで自分の部屋のドアを開いて。
 硬直した。
 いつもなぜか口にしてしまう、ただいまなんて言葉も口にできずに、固まってしまった。
 これだけなら、なんだなんだそんな大げさに。いったいぜんたい、今の至って普通な場面の描写のどこにそんな驚愕するような、固まるような描写があったんだ。伏線も何もないじゃないかと、言われたかもしれない。
 でも、僕の目に確かにそれはあった。幻のような儚さで。今にも消えてしまいそうな輪郭を確かに持って。
 僕の部屋には、姿も朧のように儚い何かがいた。
 もっと言うなら、それをそうであると認めるなら。

「おかえり」

 足のない、幽霊になった、彼女が僕の部屋にいた。
 漫画やアニメ、映画で見るような恐ろしい容貌ではなく、生前の彼女の姿とまったく変わることがない姿で。
 いや、姿に変化はある。足がないのだから。足があれば、それは幽霊なんて言わないだろう。
或いは、ゴーストとも。
 僕は今さらながらに重さを取り戻したような手提げ鞄を落すのも構わず、彼女に駆け寄った。彼女は僕の記憶と変わることない笑顔のまま、そんなに珍しいものを見なくてもなんて言ったけど。けど、それは無理な相談だった。
 幽霊なんて、ゴーストなんて。
 『そんな恐ろしい、怖ろしいもの』から視線を逸らさないことは、無理だった。怖ろしい。そう、僕がすぐに彼女に駆け寄ったのは、本当に彼女なのか確認するためだけ。ただ純粋にそれだけの目的で彼女に駆け寄った。
 そして、次に僕を襲ったのは、恐怖だった。怖い。
 ひたすらに怖い。
 死んでしまった彼女が幽霊として出てきたことが、怖かった。
 そう感じてしまう負い目が、僕にはあった。当然だろう。彼女の身が危機だった時に現実を受け入れず、漸く現実を受け入れた時にも、わが身の可愛さに辛さから逃げたことの、どこに弁明の余地があるんだろう。
 そんなもの、あるわけない。
 どう釈明しようとしても、どう弁護しようとしても、どう弁明しようとしても、どう託けようとしても。理由の理の字すら、見つからなかった。
 早い話、彼女が僕を懲らしめようと化けて出てきたのだと、そう思った。ここで殺すとか、そんな物騒な展開がすぐに浮かんでこなかった辺り、まだ僕はわが身が可愛いらしい。クズすぎる。
 ・・・いや、きっとここまで全て、言い訳だろう。
 僕はただ、直視したくなかっただけだった。その気持ちに、自分が感じていたことに、やっと気づいた。
 僕は、・・・僕は、彼女が死んだことを、認めたくなかった。



 幽霊。
 幽霊が出てくると言う事は、ホラー映画でもあるように、その幽霊となった人物は既にこの世にいない。つまり、わかりやすく換言するならば、幽霊を認めた瞬間に、その人の死を認めたことになるのだ。ここは、いかにも文系の僕らしい思考だったけれど、だからこそ。
 僕は彼女を彼女と認めたくなかった。
 それ故に、怖かった。彼女・・・幽霊を彼女と認めてしまえば、僕に現実は牙を剥く。容赦なく僕を苛んで、蝕んで、壊してしまう。彼女との情事も、笑顔も、ぬくもりも、優しさも、弱さも。
 全てが過去の遺物になってしまう。元に戻らなくなってしまう。
 だが、それは僕が彼女の死を認められた時の話であって、僕が自覚しなければ、まだそれは温かさを持ったものになる。遺物ではなく、現物に。
 そんな僕の気持ちを知ることなく、

「ねえねえ、折角生き返ったのになんの感慨もないのー?」

 幽霊は囃したてるように僕に話しかけてきていた。その口を塞ごうとしたのだけれど、どうやら触れることはできないらしく、虚しく僕の手は空を掻くだけだった。ただ、触れられないのは向こうも同じらしい。僕に触ろうとしてはすかすかと僕の身体を(怖ろしい光景だが)貫通しては、ふわふわと水母のように漂うようにして空中を回っていた。
 そんな光景を見て僕は案を思いつく。
 僕はイヤフォンを取り出すと、それを耳に嵌めた。そして、音楽を音量最大にして流す。向こうもどうやらこちらの意図に気がついたらしい。阻止しようとしていたけれど、物に触れられないことはわかりきっていた。
 僕の耳を劈くようにして、激しいドラムやベースの音が響く。これなら向こうの声は僕に届くことなく、目を瞑ってしまえば存在を知覚することもない。
 我ながら、完璧な手段だった。
 僕はそう思っていたのだけれど。
 どうやらそれはとんだ見当違いだったことを、翌日、思い知ることになる。



 結局あの後、僕は終始イヤホンをしたまま食事を取り(家族が何か言っていたけど気にしなかった)、イヤホンをしたまま宿題を終わらせ(集中してしまえば音は気にならない)、イヤホンをしたままお風呂に入り(お湯がかかるというハードルは小さい頃使っていたシャンプーハットを使うことでクリアした)、イヤホンをしたまま布団に入った。
 そして、目覚め。
 ホラー映画でよくあることだけど、幽霊は朝でも色んな手段を講じて人に危害を加えようとしてくる。呪いのビデオだったり、死の着信音だったり、死者が紛れていたりと。僕が危惧したのは正にそれで、朝になってもあいつがいるんじゃないか、そう思えて中々意識が覚醒しても目を開くことができなかった。
 幸いに今日は休日なので、このまま僕の気が済むまで目を閉じていられるけれど、さすがにそうは問屋がおろさないだろう。
 いつまでも起きてこようとしない僕を見かねて、家族が無理矢理にでも起こしにくるはずだ。
 覚悟を決め、接着剤で貼り付けられたようにぴったりと閉じた瞼を、ゆっくりと開く。部屋のカーテンの遮光性は確かなものらしく、僕の目に飛び込んできたのは優しい光だった。
 ・・・ゆっくりと辺りを見回し、あいつがいないことを確認する。物体をすり抜けることができるんだから、油断はできない。天井から、床から、或いは壁から急にあいつが出てきても、なんら不思議ではない。
 暫く自分なりに周囲を警戒し、そして気配がないことを確認すると、僕はほっと胸を撫で下ろした。
 あいつはどうやら諦めたらしい。
 これで僕も平穏な日々を送ることができるだろう。折角の休日だし、どこか遊びにでも行こうか。そんなことを考えていた、その時だった。
(もしもし、聞こえる?)
 突然、あいつの声が聞こえた。それも、かなり近くから。慌てて僕は周囲を見回し、自分の背後まで確認するけれど、どこにもあいつの姿はない。完全に透明になっているのか、それともどこかに隠れているのか。
(隠れてなんかいないってば!)
 そう言うあいつの声が、すぐ近くから聞こえてきた。いや、すぐ近くと言うよりは。まるで僕の頭に直接響いているような。
 地の文に直接干渉しているような。
(ふふん。私の言うこと聞いてくれなかったから取り憑いちゃったもんね!)
 取り憑く。
 平たく言えば、憑依。
 僕の中に、あいつがいる。
 それを理解した途端、寒くなるくらいの、形容できない感覚が背筋から上ってくる。全身に虫が蠢いているような、そんな不快感。いや、違う。
 不快感でもなく、嫌悪感でもなく。自分でもわからない気持ち。
(へへへ。これならイヤホンしてても関係なくお話できるもんね!)
 僕のそんな気持ちを察することなく、僕の中にいるあいつは、そう言った。



 今現在、僕がいるのは古本屋で、休日を謳歌するべくお気に入りの小説の続編を探している真っ最中だった。新しい物だけれど、この古本屋には結構そういう物もすぐに売られてくるらしく、定価の何割引かで本を新品同然のまま購入することができる。学生の身分である僕としては、有難いことだ。学生の財布事情は、そう豊かなものではない。財政難だ。
 少しカビ臭い店内をうろつきながら、黙々と目当ての本を探す。そんな僕に、
(ねえねえ!あっちの方行こうよ!)
(あ、表紙のお姉さんに少し惹き付けられたでしょ。えっちだぁ)
(どうせなら大人の階段登ろうよ〜。もう十歩あるけば成人向けコーナーだよ!)
(意外とこういうのがタイプだったりしたの?言ってくれれば頑張って胸大きくしたのに)
 しつこく話しかけるやつがいた。
 姿は見えない。
 当然だろう。僕の中から話しかけているんだから。イマジナリーフレンドだったっけ?そんな言葉があるらしいけれど、こんな迷惑なフレンドならブレンドしてもっとまともな友人を作り上げたい。別にフレンドでもないけれど。
 こいつは、単なる化物だ。
 彼女の姿を借りて、ひたすらに惑わす(なぜか性的な方向へと)化物。
 迷惑極まりない。
(ひっどーい!そんなこと考えるなんて!)
 そう彼女の声で嘆かれても、僕の心はちっとも動かない。彼女の姿を模ったやつの言うことなんて、一々気にしていてもキリがない。昨日は突然の事で動揺してしまったけれど、今日は違う。
 こいつが諦めるまで、無言に徹して無考に徹して。戦ってやる。
(・・・ふーん。そうなんだ。折角幽霊になってまで君に逢いに来たのに、君はそういうこと言っちゃうんだ)
 その言葉と、ほぼ同時くらいだろうか。
 僕の頭の中に、彼女の姿が現れた。こいつのような半透明ではない、くっきりとした、生前の彼女の姿が。
 写真から切り出されたように鮮明で、確かな姿を持った彼女は、僕の頭の中でゆっくりと微笑んだ。
 その笑顔に、ずきりと、痛みを覚える。疼きにも似た痛みを。
 まるで、責められているように感じたのだ。
(全然責めてはいないよ?)
 だが、そんな僕の感覚を否定するかのように、想像の、妄想の彼女は首を横に振ると、その身に着けた衣服を脱ぎ始めた。ネクタイをまず取り外し、繊維の擦れる音がやけにリアルに頭の中で響く。そして、服を次々とはだけた彼女は、あっという間に下着姿になった。いや、下着姿と言うのは語弊がある。上は確かに下着だけだったが、下にはまだスカートを穿いていた。可愛らしいピンク色のブラジャーに、白いパンツ。紺色のスカート。
 そして、彼女はゆっくりと焦らすように両手を後ろに回すと、カチリとホックの外れる音がした。ゆっくりとブラジャーが剥ぎ取られ、彼女は片手でその胸を隠す。
 そんな姿が嫌になるくらい扇情的だった。
 こんなもの、まやかしだとわかっているのに。
 化物が見せている幻に違いないのに。
 それでも、目が離せない。
(いいんだよ?私の姿に興奮してくれるなんて嬉しいし♪)
 淫らに腰をくねらせながら、彼女は下着の最後の一枚に、手をかけた。親指だけを腰とパンツの間に入れて、ゆっくりと引き摺り下ろしていく。足の途中まで擦り下ろしたパンツから、片方だけ足を抜く。そして指を離すと、彼女はもう片方の手で恥部を隠した。
 結果、彼女は両手を使って胸と陰部を隠したままの格好となる。劣情を掻き立てるその姿だけで、眩暈がしそうなのに、彼女はその格好から後ろを向き、四つん這いになった。
 片方の足に中途半端に引っかかったパンツに、陰部を見えるか見えないかのギリギリの高さで隠すスカート。そして、彼女のお尻の割れ目にそって添えられた、白魚のような手。
 淫猥以外に、この状況をどうやって言い表せばいいのか、わからない。
 ただ、ただ。
 僕はこの状況を知っていた。もっと正しく言うのなら、これとまったく同じ過去を知っていた。
 この光景――妄想は、僕と彼女が以前交わした情事の時と、まったく同じだった。彼女の細かい仕草から、部屋の細部に至るまで。
 ベッドに四つん這いのまま上がり、こちらを振り向く彼女の口には、どこから取り出したのか、ゴムが咥えられていた。
 そして、この妄想の続きがどうなるかを、僕は知っている。きっとそれは、当然のことなんだろう。
 紛れもなくこれは、僕と彼女の記憶なんだから。
 僕は彼女の口からゴムを取ると、いそいそとそれを自身のモノへ装着した。そして、彼女の細い背中に体重を預けるように覆いかぶさる。彼女が未だに陰部を手で隠していたので、その手を掴み、少し乱暴に最後の砦を剥ぐと、僕はスカートを上げて、そっと自分自身と彼女の粘膜が触れ合う感覚を味わった。
 ゴム越しの、温かさだけが触れ合うような感覚が、先端に伝わる。何度か、先端だけでの接触をした後に、僕は腰を突き出して、彼女の膣内にモノを埋めた。
(あぁぁあぁもうそうそう♪この時はすっごい盛り上がって♪)
 すすり泣くような声を漏らしながら腰をくねらせる彼女の膣内は、ぴったりと僕に吸い付いてきて、凄まじい快感だった。元々僕と彼女は身体の相性が良かったらしく、お互いに震えるような息を吐いて、快感に身体をちょっとだけ痙攣させる。
 そしてすぐに、僕は慣れた腰使いで彼女の膣襞へ自分自身をこすりつけた。淫らに染められた彼女の膣内を行き来するたびに、吸い付き、食い締め、襞の一つ一つが震えながら僕をもてなす。
 すっかり発情したような顔をしている彼女の首筋に、優しくキスを浴びせながら、僕はぐりぐりと最奥をこねるように突付いて、彼女を絶頂に導こうとしていた。
 柔らかく先端を包んでくれる彼女の子宮口に、さらにうずめるように腰を奥へと突き出して、蹂躙するように快楽を植えつける。
 どんどん声を弾ませていく彼女に、遠慮なんてできるはずもなかったし、そんなもの無用だった。
 女の子らしい、丸みを帯びたお尻を両手で掴んで、獣のように腰を振る。骨盤と肉がぶつかる乾いた音と、ぐちゃぐちゃと粘液をかき混ぜる音が、いやに卑猥だった。
 蜜が掻いても掻いても溢れてくる彼女の膣内はゴム越しでもわかるほどに熱い。彼女はもっと快楽を味わいたいのか、僕の動きにあわせてお尻を振って、突き入れられたモノをさらに深い場所へと案内しようとしていた。
 やがて、僕も彼女も限界が近くなり、お互いの律動のペースがどんどん速くなる。
 興奮と、恍惚。あらゆる淫らな感情に支配されながら、僕と彼女は絶頂に向けてひたすらに快楽を貪った。
 彼女のお尻を揉んで、胸に手を回して乳首を摘み。壊れるんじゃないかと思うくらいに激しい抽挿を繰り返して、粘膜の摩擦を増やし。
 彼女も達してくれるように、馬鹿みたいに最奥を、子宮口を何度も激しくノックした。そして、一際甲高い声をあげて、彼女はびくびくと痙攣しながらうつ伏せになり、膣内の動きが明らかに変わった。
 その変化に耐え切れず、僕も尿道から欲望を吐き出して、ゴムの中を真っ白に染め上げた。
 当然、それだけで昂ぶったお互いの身体が治まることなく、何度も何度もベッドに染みができるまで貪りあって、彼女は腰砕けになって、僕は何度もゴムの中に白濁した欲望を放った。
 うつ伏せで息も絶え絶えになった彼女の周りに、結ばれた使用済みのゴムが幾つも散らばっている光景は、ぞっとするくらい淫靡で、退廃的なものだった。
 付き合って数ヶ月経った、夏の日のことだったと思う。



 ・・・・・・・・・・・・。
 ようやく妄想が終わり、映像が途切れた時には、僕の息は荒々しいものになっていた。股間のモノが痛いくらいに膨れ、どうにかなってしまいそうなほどだ。
 どれもこれも、あいつが悪い。
 こいつが悪い。
 ・・・僕が悪い?
(ふふん♪どう?私もあのときは♪)
 そんなことを聞かれても、答えられるわけもなく、言い淀んでいると、こいつは少しだけ、声色を変えて言った。
(ねえ、いつまで自分を責めてるの?)
 責めてる?僕が自分を責めてると言っているんだろうか、こいつは。そんなことあるはずがない。寧ろその逆だ。僕は傷つきたくないから自分を責めずに、ひたすらに現実を見ずに逃避して、回避して。そうすれば彼女はまだ生きていることになる。
 理由なんてもう、どうでもいいけど。
 彼女は確かに生きている。それだけが重要で。
 そう思い込んで、信じて、逃げていた。だから、責めているはずが、ない。それなのに、こいつは、諭すような口調で、
(だって、凄く悲しそうな顔をしてるんだもん)
 そんなわかったようなことを言った。
 その言葉に苛立ち、僕はわざとこいつが思われたくないようなことばかりを考えた。罵詈雑言の嵐と比喩しても、きっとまだ表現不足となるほどの罵倒を。
 なのに、こいつは僕の前に少しだけ現れて、
(大丈夫)
 そう言って、消えてしまった。



 人間は、壁に、障害にぶつかった時、心の中で様々な働きをしてその障害をどうにかするのだと言う。
 もっともな理由をつけて正当化したり、子供のように駄々をこねたり、或いはその欲求を別の物へとぶつけたり。
 そして、僕が選んだのは、逃避だった。
 逃げて、逃げて、目を逸らして。決して現実を見ないようにしていた。言うなれば、自己暗示に近いものがある。
 そうだと言い聞かせて、自分を自分で騙すこと。そうやって納得していけば、少なくとも彼女を失った痛みは和らぐ、若しくは感じることはないと思っていた。
 思っていた。
 そうだ。
 本当は逃げ切れないとわかっていても、そうするしかなかった。現実はどこまで突き詰めようと現実でしかなく、彼女が死んだことに変わりはないなんて、最初からわかっていた。わかっていた上で、自分を誤魔化そうとしていた。
 誤魔化しの上に誤魔化しを重ね、何度も泣きそうになりながらも自分を守って、そして、同時にそんな自分を責めて。
 矛盾していることをやってのけて。
 彼女の死を認めないために、自分が認めてしまわないために精一杯の努力をした。そうすれば、彼女はきっと生きていると、そう思えて。
 だから僕は、決して。
 『今まで一言も言葉を口にしなかった』
 一度でも僕が口にしてしまえば、彼女の死を認めて、彼女は消えてしまう。僕の中からも、現実からも。
 そんな直視できないものに対する、せめてもの僕なりの抵抗だった。わかっていての、理解していての抵抗のあたり、もう僕の感情は矛盾しまくっている。
 矛盾の嵐だ。
 あれ以来、あいつは消えてしまって、僕の前に姿を現さなくなった。
 でも、それでいいのかもしれないと思って。
 僕はいつものように帰宅して、自分の部屋のドアを開けて、硬直した。
これだけなら、なんだなんだそんな大げさに。いったいぜんたい、今の至って普通な場面の描写のどこにそんな驚愕するような、固まるような描写があったんだ。伏線も何もないじゃないかと、言われたかもしれない。
 でも、僕の目に確かにそれはあった。幻のような儚さで。今にも消えてしまいそうな輪郭を確かに持って。
 僕の部屋には、姿も朧のように儚い何かがいた。
 もっと言うなら、それをそうであると認めるなら。

「おかえり」

 朧のように儚いけれど、確かな姿を持った、生きていたときの姿のままの彼女がいた。

「復活するのに時間かかっちゃった」

 僕は、驚きのあまり言葉を失いかけたけど、それでもどうにかして倒れることだけは踏ん張った。
 彼女に、なんて言葉をかけたらいいのかわからなかったけど。
 けれど。
 きっと、あの挨拶に返すべき言葉は、こうだろう。

「ただいま」
15/11/11 22:09更新 /

■作者メッセージ
そんなお話でした。楽しんでいただければ幸いです。
物語の構成上、凄い地の文の多さになったので、なるべく改行を増やして読みやすいように心がけました。
地味に伏線も回収できてよかったです。

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