終い
時刻は丑の刻。ここが神社裏のブナ林辺りだったら、藁人形片手に白装束を着た丑の刻参りに出遭っちまってるところなんだろうが、生憎と俺が今いる場所は神社でも林の中でもなく、山道だった。ちょいと道を外れりゃあ、出遭いたくないもんにも出遭いそうだが、今はそんな余裕はねえ。俺は必死に人の手が加えられた山道を走りながら、後ろを少しだけ振り返った。
暗い闇の中に、ぽうっと揺れながら俺を追いかけてくる幾つもの明かり。今語ってるのが百物語だったら、人魂だなんて冗句にも、少しは色がつくってもんなんだが、残念ながら俺を追いかけてくる明かりは、もうちょいと現実味があるものだ。
明かり自体が弱弱しいせいか、ちっと見るのに苦労するが、しかしその存在をはっきりと表す、和紙に書かれた『御用』の文字。そう、今俺を追いかけてるのはお化けでも、呪いをかけてるところを見られた丑の刻参りの奴さんでもなく。
見回り組の奴らだった。
その数は以前よりも少なく見える。まあ、一向に捕まる気配がない義賊よりも、強盗やら辻斬りの方がよっぽどおっかねえからな。盗みは、盗まれた奴が頭を抱えてりゃいい話だが、強盗や辻斬りは遭っちまったらまず抱えるはずの頭が飛びかねねぇ。
ちょいと暫く、俺もユノの件で大人しくしてたし、人員を裂く余裕もねえんだろう。それはそれで、こっちの仕事がやり易くて結構な話なんだが。
だがしかし、今まで逃げて追いかけて、言うなら腐れ縁みてえな関係だったのがちょいと変わっていくとなると、どうもこう、胸にらしくもねえ寂しさを感じちまうな。案外、盗人なんてものは自分を追いかけてくれる奴がいるからこそ、成り立つもんなのかもしれねえ。
きっと場違いに違いない感傷に浸りながらさらに逃げ足を早めていた、その時だった。
俺の行く手を塞ぐように、前から無数の提灯が飛び出す。いや、提灯は自分から勝手に飛び出すはずがねえのに、なんでだ?
と、思っていた時だ。その提灯がみるみる内に人の形へと変わっていき、あっという間に十代の中頃くらいの娘の姿になった。
こいつら、提灯おばけか!
行く手を阻まれ、俺が戸惑っている間に後ろの見回り組が俺に追いついた。まずい、完全に挟み撃ちだ。
「どうだ!今度の俺らは一味違うぞ!」
「いや、格好よさげに言ってるが要するにおめえら魔物娘に現を抜かしてたんじゃねえか!」
「うるせえこの盗人!今日こそお縄についてもらうぞ!」
「義賊だって言ってんだろ!野郎同士とは言え長い付き合いなんだから、少しは覚えろ!」
「輪っぱをかければ盗人も義賊も悪党と同じよ!さあ、今回は逃げ場はねえぞ!神妙にお縄につきな!」
「ちっ」
辺りを見回すが、確かに逃げられる隙はまったく見当たらなかった。強引に突破しようにも、前には提灯おばけ、後ろは見回り組。前に突っ込むのは利口とは言えねえだろう。見かけは十代でも、力は力士以上だろう。ゆきめの蹴りだって男に蹴られたのかと思うほどだったしな。あ、いや今のはナシだ。ゆきめに殺される。
となると、突破するのは後ろの見回り組の奴らの方が良さげに思えるが、煙玉を使っても抜け出せれるかどうか。ちと厳しい数だ。前門の提灯おばけ、後門の見回り組。
・・・抜け道がねえ。
「どうやら観念したみてえだな、この盗人め!」
「認めたくねえが、確かに俺に抜け道はねえみてえだな・・・」
「ようやくおめえをひっ捕らえる日が来たってわけだ」
感涙しかねない勢いで昂ぶる見回り組の奴ら。・・・悔しいが、俺が出来ることはもうなにもねえ。せめてやれることと言えば、お縄につくか、みっともねえ足掻きの後に無様に地面に伏すことくらいだろう。
「さぁて、それじゃあ早速・・・!」
まぁ、それは。
あくまで『俺にできること』がそれくらいと言う話だが。
俺は真っ暗な空を仰ぐと、月に向かって声の限り叫んだ。
「やっとお前の出番だぜ、しっかり働け!」
「は?おめえ、いったい誰に向かって喋ってやが――」
「う、うるさい!あくまで協力しているのはお前だろう!」
返事が帰って来たとほぼ同時に、嵐かと思うほどの凄まじい風が辺りに吹き荒れた。それと同時に、夜空から人の影が俺へ向かって急降下してくる。いや、人の影じゃねえな。人の影に翼と尻尾はねえ。
あるのは、ドラゴンくらいだろ。
ユノくらいのもんだ。
空から急降下してきたユノの腕を掴むと、俺は颯爽とその場を離脱した。瞬く間に地面との、見回り組の奴らとの距離が遠ざかり、俺は高笑いをせずにはいられなかった。
「はっはっはっは!!!いやあ絶景絶景!」
「て、てめえ!てめえこそ魔物と現を抜かしてんじゃねえか!」
悔しがりながら俺に向かって叫ぶ見回り組に、俺は、
「物語を少しは読みやがれ!主人公には助っ人がいるもんだぜ!!!」
俺は高らかにまた笑い声を夜空に響かせる。ここまで大きく響いてくれると、気持ちがいいもんだ。流石に、手を繋いだままの空の散歩は心臓に悪いが、仕方ない。これも一応、ユノと喧々諤々の話し合いの末に決まったことだ。ただ、せめて握るの両手にしてくれねえかな。片手だといつか落ちそうなんだが。
そう、結局あの後、俺はなんとかユノを説得し、お互い協力することを約束した(させた)。まあ、協力と言っても、ピンチの時に駆けつける、なんてもんだが。あとはお宝集めか?だが、お互いの利害が一致?しているからか、この関係、結構うまくやっていけている。
と言っても、最近挑んだのは、俺が普段しているような屋敷に入って盗むなんてものじゃなく、洞窟や沼地、所謂、埋蔵金とか、未発見のお宝とか、その辺りだ。だが、こいつが捗るのなんの。ユノからかっぱらったお宝の三分の一程度が集まるほどには、景気のいいもんだった。
まあ、いつ終わっちまうかわからないが。そこはお互い様ってやつだ。ユノだって、いつまでも続くものとは思ってねえだろ。
「・・・上機嫌なのは良いが、ちゃんと頂戴してきたんだろうな?」
「おお、あたりめえだ。ほれ」
と、俺は懐から金の杯を取り出した。上の方でおおおと感嘆の声が上がるし、上出来みたいだな。紛れもない金で造られた杯は、ほんの少しの光で煌々とお天道様のような光を放つ。中々の上物だ。
「どうだ、帰ったらこいつで一杯やらねえか?」
「な、なぜそんなことをする!」
「いや、杯ってのは酒のためにあるもんだろ。それに、こういうもんは使ってやってこそどんどん味が出てくるってもんだ」
「杯から味が出る・・・?」
「もう今回はそのボケも見逃してやるよ。そんなわけだ、酒もあるし、一杯やろうぜ」
よくよく考えりゃ、この会話、お釈迦様に会えそうなくらいの高さで繰り広げられている。背筋も凍りついてしまいそうなもんだが、人間の慣れってのはすげえもんだ。今ではちょいと腕が疲れるくらいで、足が地面に着かない感覚にも、もうすっかり馴染んじまった。まあ、慣れる程度にゃ練習をしとかなきゃ、ぶっつけ本番ってわけにもいかねえからな。そう考えると、ユノはよく付き合ってくれたもんだ。言っちゃ悪いが、天然加減といい、こういう以外なところで人間臭いというか、ドラゴンらしくねえ所といい、ドラゴンやってるのが似合わねえ。
そんなことをぼんやりと考えていると、洞窟が見えてきた。今や俺も居座ることになった洞窟だ。愛着が湧くほどじゃねえが、帰る場所があるってのは、落ち着くもんだ。
「さて、酒もある。月も出てる。完璧だな・・・。強いて言えば、肴がねえくらいか?」
俺とユノは杯になみなみと酒を注ぐと、洞窟を出て、月を眺めながら酒を呷っていた。一人で呑む酒もいいもんだが、こうして誰かと呑む酒もいいもんだ。どっちにも甲乙付けがたい魅力がある。唯一の不満があるとすれば、酒の肴がねえことだった。つまみにしたって、話のネタにしたって、流石にちと寂しい。いや、これだけでも立派な贅沢だがな。
俺は次々と酒を呷るが、ユノはちびりちびりと味を楽しんでいるようだった。いや、純粋に酒に弱いのかもしれねえ。酒の肴もねえし、ちょっとからかってみるか?・・・けど、それでふぐりが消えたらたまったもんじゃねえな。止めとくか。
そう思っていた矢先。
「なあ」
「ん?何だ?」
「お前はなんで盗みなんてやってるんだ?」
らしくもねえことをユノが聞いてきた。・・・って、本当にらしくねえな。戸惑ったりボケたりすることはあっても、こいつ詮索するようなこと、今までしてきたっけか?
よくよくユノの顔を見ると、ほんのりと赤みがかかっていた。まさか、もう酔ったのか。酒は呑めども呑まれるなってのはよく聞くが、ユノの場合それほど呑んじゃいなかったはずだが、そんなに弱かったのか?
「・・・どうした?なんで黙ってる。私のことが嫌いか?」
「いや、嫌いじゃねえが、聞いたってつまらねえ話だぞ?」
「いいじゃないか。いっつも盗みにつきあっれやっれるんだ。少しふらい」
若干呂律が回っていないユノの目は、見たこともないような目をしていた。・・・こりゃ、嫌だと言ってても見逃してはくれねえか。本当につまらねえ話なんだがなあ。まあ、だがしかし。こいつにも聞く権利くらいあるだろう。盗みにつき合わせてるのは事実だしな。
「まあ、言っちまえば最初は生きるためだな」
「生きるらめ?」
「ああ、小さい頃にお袋も親父も死んじまってな。身寄りもねえから、一人で生きていくしかなかったんだ。ガキが一人で生きていくには、ちいと世の中が厳しすぎてな、最初はもう出来心だった。だが、一方で仕方ねえことでもあったな。それから盗みが生きるための手段になっちまったって訳だ」
「・・・・・・・・」
「いや、黙りたくなるのもわかるけど、言っただろ?つまらねえ話だって」
「ああ、違う。昔、盗んでばっかりの男の子がいらろを思い出してな」
「何?」
昔って言うと、こいつが子供の頃か?・・・どんなんだったんだよ。想像もつかねえぞ。ドラゴンのまま生まれたんだろうが、・・・いや、やっぱ想像がつかねえ。
「まら私が小さい頃の話だ。私は見ているだけだったんだが、盗みをしては追いかけられている男の子がいたな」
「へえ。まあ、どっかの孤児だろうな。・・・珍しくねえよ。貧しいガキにはよくある話だ。ま、俺みたいにいつまでたっても盗みをする奴は珍しいがな!」
「そうだな。あのときはまだ私は人だったから、何もできなかった」
「そうかい。お前にも人だった頃が・・・・・・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?
「ちょい待て、お前なんて言った?」
「???いや、何もできなかったと」
「その前だ」
「まだ人だった」
「・・・お前が人ねえ。・・・お前が人ぉ!?いやいやいやいや、冗談だろ!?人がドラゴンに変わったなんて話は聞いたことがねえぞ!?そんなことあるのか!?」
「あ、ああ。具体的には、人から魔物に変えられら、だが」
「人をドラゴンにって・・・そんな魔物いるわけ」
待てよ。確かそんな種族がいた気がする。ほとんど自分の望みどおりに相手を魔物に変えちまう、とんでもない魔物が・・・。
いや、だとしたらユノのドラゴンらしくねえ性格に色々と説明がつく。知能が高いはずのドラゴンでも、人から変わったなら、そこには人であった時の部分が残るはずだ。知能が高いってのは解釈にもよるが、だいたいは物分りとか、そんな部分で出てくるはずだ。だとしたら、ユノがドラゴンになる前は天然で、それが・・・それが。
反映されていたとしたら?
・・・いやいや、そんな都合のいい話があるわけないな。
「私がいたところは貧しいところでな。私も自分が生きるのに精一杯だった。だからその男の子の手助けはできなかった。いつの間にか男の子がいなくなって、悲しんでいる時だったな。白い髪の女性が現れたのは」
都合のいい話があった。
「そうしてドラゴンになったと」
「だら。まあ後の祭りだったわけだが」
「俺よりしんみりする話じゃねえかよ」
「そんなこと言うな。それより酒だ」
そうしてユノはさきほどよりもずっと早いペースで酒を呑み続け、結果酔い潰れてしまった。いや、予想はしてたがこうも予想通りに酔い潰れるとは思ってなかった。・・・酒にはやっぱり誘わない方がよかったかもしれねえな。
酔い潰れたユノを担ぎ、洞窟の中へと戻ると、そっとなるべく身体が痛くならない姿勢で寝かしつけた。
どうやら夢心地で、うつらうつらとしているあたり、本格的に眠っちまうのも時間の問題だろう。まあ、これくらいでないとぐっすり眠りそうにもない奴だが。
「んぁ・・・」
「んんん?まだ寝てなかったのか?ほれ、さっさと寝ろ。疲れが残っちまうぞ」
「男の子・・・?」
「寝ぼけてんのかよ。・・・俺が男の子に見えるか?いいから寝とけって」
「んん、おやすみぃ。クヌギ」
「・・・は?」
「ユキ・・・・・・・ト」
・・・なんだ?今、こいつなんて言った?クヌギ?くぬぎって、植物のあれのことか?いや、そうなるとユキトってのが説明つかねえな。さては男の子の名前か?こいつもなんだかんだ言って立派な魔物娘だな。しっかりと想い人がいるじゃねえか。隅に置けねえやつめ。そういや、力になれなかった云々の話をしてたし、そいつが今でもユノにとっての想い人なんだろうな。しかし、随分といい冗談じゃねえか。
だってそうだろう?
どうしたって『俺の名前』とまったく同じ名前なんだ?
本名はとうの昔に捨てていた。そりゃ勿論、産んでくれた親が悩みに悩んでつけてくれた名前だ。捨てると覚悟を決めても中々捨てきれるもんじゃなかったのは確かだ。それでも、そんな名前を、本名を捨てたのは、言い方が悪いが、邪魔になるからだ。十八の頃から俺は貧しい奴らにも盗んだものを分け与えるようになった。が、その時に一つの問題とぶち当たっちまった。それは、名乗りだ。
名乗ること。それは自分の素性を明かすことと同じだ。俺は天涯孤独の身だから素性が明らかになったって、どうでもいい。が、問題はそっちではなく、俺と関わった者、及び俺と同姓の奴のことだった。
そう、俺が問題にぶち当たる前、つまり十八よりも前までは親から貰った名前を使っていた。つまり、奉行が本気になって調べてしまえば足がついてしまう。同姓の奴にも疑いが向けられるだろう。
なら名乗らなければいい。そういう単純な問題なのかもしれねえが、ところがどっこいそいつは違う。
逆の立場になって、宝を分け与えられる方の身になって考えれば、これは共感できるかもしれねえ。言わば、自分達を窮地から救ってくれる存在。それに名前がつかなかったことがあったか?石川五右衛門然り、ねずみ小僧然り、名を轟かせれば、そこについて回るのは名だ。
つまり、名乗らないということは、分け与えられる立場からすれば、いつ消えてしまうかもわからない、霧のような存在だ。それに名前をつけることによって、その霧を取っ払い、具現化する。
義賊をすれば、逃れられない鎖みてえなもんだ。
そう、だから俺は口上の時に、『天下の義賊』とわざわざ言った。ちっとばかしセンスがねえとも思ったが、ややこしい名前よりはそっちの方が覚えやすいもんだ。そして、そう名乗る代わりに、今までの名前は捨てたはずだった。
なのに、なんでこいつが知っている?
「おまえ、俺を知ってるのか?」
そう聞いても返事は返ってこない。もう既にユノはぐっすりとお休みのようだった。いい気なもんだ。こちとらお前の口から出た言葉に悩まされていると言うのに。
もし。もしの話だが、ユノが言っていたクヌギユキトが本当に俺だったとして、こいつとはいったい何処で出会った?夜道で声をかけられたのが、俺とユノとのファーストコンタクトのはずだ。それ以外で、俺はこいつに出会った記憶なんてねえ。いや、人の記憶なんていい加減なもんだから、ひょっとするといつの間にか出会ってたなんてこともあるかもしれねが、こいつはドラゴンだ。会ったら忘れるはずも・・・。
「ドラゴンになる前?・・・男の子って」
ドラゴンになる前なら、どうなんだ。魔物化って言うのは、極端に外見を変える。羽が生えたり、尻尾が生えたり、足が甲殻で覆われたり大きな爪が生えたりと。もし、こいつがまだ小さい頃にドラゴンに変えられたとしたなら。
男の子が消えた後に、魔物になった。
そう言っていた。そして、もし、もしの話だが。もし、想い人が俺だったとしたら。言っていた男の子がガキの頃の俺だったなら、今も忘れられない想い人であったなら、全て辻褄が合う。
出会ったばかりの俺のからかい、性的な話題に戸惑うのも、俺が抱かないと言って、意気消沈したのも。
それが、それが魔物からの立場から考えて、想い人からの発言だったとしたら。戸惑いにも、落胆にも、照れることにも、全て説明がつく。
そして、それが元々人であったなら、尚更だ。
「ってことはなんだ?お前の一番のお宝は俺だったとか、そんなオチか?」
「・・・・・むにゃ」
「いや、・・・・・戯言だな、こりゃ」
そっとユノの頬に触れると、擽ったそうに身を捩じらせ、幸せそうに頬を綻ばせた。どれだけ一途な奴なんだか。俺なんて、そんなこと知らずに好き勝手してたってのに。・・・本当に、こりゃ、降参だ。関係をやめるとか、逃げ出すとか、それ以前の話だった。
俺は、もう一度いたわるようにして、ユノの頬に触れた。柔らかい、吸い付いてくるような肌。男としての本能を揺さぶられないと言えば、嘘になるが。が、俺は少し我慢をするべきだろうな。
「・・・・んん。寝すぎてしまったか・・・・・・・」
「よう、起きたか」
「ん、ああぁ、すまない。どうやら呑みすぎたようだ」
「やれやれだぜ。酒は呑もうと呑まれるな、常識だろ?」
「む、言われなくてもわかってる」
「・・・・・・・・・・・なあ」
「なんだ?」
「昨日言ってた男の子って、他に特徴はなかったのかよ?盗みとかそれ以外にさ」
「そんないきなり言われてもな・・・。特にそれ以外にはないな・・・。ん、だが、なんとなくだが、お前に似ていたかもしれない」
ああやっぱりか。確認のために聞いたことだったが、これでとうとう、確信に変わった。
「そりゃねえな、気のせいだ」
「気のせいか」
「ああ」
そう言って、俺はユノから視線を逸らした。こりゃあ、逃げられそうにはない。だが、ユノも気づいてないみたいだし、逃げ切れないこともないか?・・・いや、魔物の本能のことだ、それも時間の問題だろうな。
逃げてばかりの人生だったが、どうやらここらで終いらしい。まあ、まんざらでもないし、いいかもな。だってそうだろう?こんなの、話だけ纏めてみれば御伽噺に勝るとも劣らねえ。そんなびっくり仰天の話だ。なら、語り部はそろそろ降りる時だろう。逃げられもしねえなら、なら話は早い。逃げなきゃいいんだからな。お前はなんとなく、多分魔物の本能で俺を嗅ぎつけたのかもしれねえな。
生憎と、俺はまだお前のことを思い出せてはいないんだが、まあ許してくれ、あの時は生きるのに精一杯だったんだ。
変わりに、これからは頑張って思い出してやるから。
「だが、やはりお前はどこか面影がある気がするな。初めて会った時には怒りでそんな余裕もなかったが、こうしてみると・・・」
「そうかい。ところで、結構可愛い寝顔だったな?」
「な!み、み、み、見たのか!」
「嬉しそうな顔してたじゃねえか。いっつもああだったらいいもんだがなあ」
「ま、待て!待ってくれ!見たのか!?見たんだな!?忘れろ!忘れてしまえ!」
忘れるもんかよ。さて、どこから記憶を掘り起こしたもんかな。天然で、こんな容姿をちっこくしたような奴、か。中々難儀なもんだが、なに、問題ないだろ。ずっと見てくれてたんだろうからな。小さい頃の視線を盗んでたぶんのお返しと思えば、お安いもんだ。
そうだろう?ユノよ。
暗い闇の中に、ぽうっと揺れながら俺を追いかけてくる幾つもの明かり。今語ってるのが百物語だったら、人魂だなんて冗句にも、少しは色がつくってもんなんだが、残念ながら俺を追いかけてくる明かりは、もうちょいと現実味があるものだ。
明かり自体が弱弱しいせいか、ちっと見るのに苦労するが、しかしその存在をはっきりと表す、和紙に書かれた『御用』の文字。そう、今俺を追いかけてるのはお化けでも、呪いをかけてるところを見られた丑の刻参りの奴さんでもなく。
見回り組の奴らだった。
その数は以前よりも少なく見える。まあ、一向に捕まる気配がない義賊よりも、強盗やら辻斬りの方がよっぽどおっかねえからな。盗みは、盗まれた奴が頭を抱えてりゃいい話だが、強盗や辻斬りは遭っちまったらまず抱えるはずの頭が飛びかねねぇ。
ちょいと暫く、俺もユノの件で大人しくしてたし、人員を裂く余裕もねえんだろう。それはそれで、こっちの仕事がやり易くて結構な話なんだが。
だがしかし、今まで逃げて追いかけて、言うなら腐れ縁みてえな関係だったのがちょいと変わっていくとなると、どうもこう、胸にらしくもねえ寂しさを感じちまうな。案外、盗人なんてものは自分を追いかけてくれる奴がいるからこそ、成り立つもんなのかもしれねえ。
きっと場違いに違いない感傷に浸りながらさらに逃げ足を早めていた、その時だった。
俺の行く手を塞ぐように、前から無数の提灯が飛び出す。いや、提灯は自分から勝手に飛び出すはずがねえのに、なんでだ?
と、思っていた時だ。その提灯がみるみる内に人の形へと変わっていき、あっという間に十代の中頃くらいの娘の姿になった。
こいつら、提灯おばけか!
行く手を阻まれ、俺が戸惑っている間に後ろの見回り組が俺に追いついた。まずい、完全に挟み撃ちだ。
「どうだ!今度の俺らは一味違うぞ!」
「いや、格好よさげに言ってるが要するにおめえら魔物娘に現を抜かしてたんじゃねえか!」
「うるせえこの盗人!今日こそお縄についてもらうぞ!」
「義賊だって言ってんだろ!野郎同士とは言え長い付き合いなんだから、少しは覚えろ!」
「輪っぱをかければ盗人も義賊も悪党と同じよ!さあ、今回は逃げ場はねえぞ!神妙にお縄につきな!」
「ちっ」
辺りを見回すが、確かに逃げられる隙はまったく見当たらなかった。強引に突破しようにも、前には提灯おばけ、後ろは見回り組。前に突っ込むのは利口とは言えねえだろう。見かけは十代でも、力は力士以上だろう。ゆきめの蹴りだって男に蹴られたのかと思うほどだったしな。あ、いや今のはナシだ。ゆきめに殺される。
となると、突破するのは後ろの見回り組の奴らの方が良さげに思えるが、煙玉を使っても抜け出せれるかどうか。ちと厳しい数だ。前門の提灯おばけ、後門の見回り組。
・・・抜け道がねえ。
「どうやら観念したみてえだな、この盗人め!」
「認めたくねえが、確かに俺に抜け道はねえみてえだな・・・」
「ようやくおめえをひっ捕らえる日が来たってわけだ」
感涙しかねない勢いで昂ぶる見回り組の奴ら。・・・悔しいが、俺が出来ることはもうなにもねえ。せめてやれることと言えば、お縄につくか、みっともねえ足掻きの後に無様に地面に伏すことくらいだろう。
「さぁて、それじゃあ早速・・・!」
まぁ、それは。
あくまで『俺にできること』がそれくらいと言う話だが。
俺は真っ暗な空を仰ぐと、月に向かって声の限り叫んだ。
「やっとお前の出番だぜ、しっかり働け!」
「は?おめえ、いったい誰に向かって喋ってやが――」
「う、うるさい!あくまで協力しているのはお前だろう!」
返事が帰って来たとほぼ同時に、嵐かと思うほどの凄まじい風が辺りに吹き荒れた。それと同時に、夜空から人の影が俺へ向かって急降下してくる。いや、人の影じゃねえな。人の影に翼と尻尾はねえ。
あるのは、ドラゴンくらいだろ。
ユノくらいのもんだ。
空から急降下してきたユノの腕を掴むと、俺は颯爽とその場を離脱した。瞬く間に地面との、見回り組の奴らとの距離が遠ざかり、俺は高笑いをせずにはいられなかった。
「はっはっはっは!!!いやあ絶景絶景!」
「て、てめえ!てめえこそ魔物と現を抜かしてんじゃねえか!」
悔しがりながら俺に向かって叫ぶ見回り組に、俺は、
「物語を少しは読みやがれ!主人公には助っ人がいるもんだぜ!!!」
俺は高らかにまた笑い声を夜空に響かせる。ここまで大きく響いてくれると、気持ちがいいもんだ。流石に、手を繋いだままの空の散歩は心臓に悪いが、仕方ない。これも一応、ユノと喧々諤々の話し合いの末に決まったことだ。ただ、せめて握るの両手にしてくれねえかな。片手だといつか落ちそうなんだが。
そう、結局あの後、俺はなんとかユノを説得し、お互い協力することを約束した(させた)。まあ、協力と言っても、ピンチの時に駆けつける、なんてもんだが。あとはお宝集めか?だが、お互いの利害が一致?しているからか、この関係、結構うまくやっていけている。
と言っても、最近挑んだのは、俺が普段しているような屋敷に入って盗むなんてものじゃなく、洞窟や沼地、所謂、埋蔵金とか、未発見のお宝とか、その辺りだ。だが、こいつが捗るのなんの。ユノからかっぱらったお宝の三分の一程度が集まるほどには、景気のいいもんだった。
まあ、いつ終わっちまうかわからないが。そこはお互い様ってやつだ。ユノだって、いつまでも続くものとは思ってねえだろ。
「・・・上機嫌なのは良いが、ちゃんと頂戴してきたんだろうな?」
「おお、あたりめえだ。ほれ」
と、俺は懐から金の杯を取り出した。上の方でおおおと感嘆の声が上がるし、上出来みたいだな。紛れもない金で造られた杯は、ほんの少しの光で煌々とお天道様のような光を放つ。中々の上物だ。
「どうだ、帰ったらこいつで一杯やらねえか?」
「な、なぜそんなことをする!」
「いや、杯ってのは酒のためにあるもんだろ。それに、こういうもんは使ってやってこそどんどん味が出てくるってもんだ」
「杯から味が出る・・・?」
「もう今回はそのボケも見逃してやるよ。そんなわけだ、酒もあるし、一杯やろうぜ」
よくよく考えりゃ、この会話、お釈迦様に会えそうなくらいの高さで繰り広げられている。背筋も凍りついてしまいそうなもんだが、人間の慣れってのはすげえもんだ。今ではちょいと腕が疲れるくらいで、足が地面に着かない感覚にも、もうすっかり馴染んじまった。まあ、慣れる程度にゃ練習をしとかなきゃ、ぶっつけ本番ってわけにもいかねえからな。そう考えると、ユノはよく付き合ってくれたもんだ。言っちゃ悪いが、天然加減といい、こういう以外なところで人間臭いというか、ドラゴンらしくねえ所といい、ドラゴンやってるのが似合わねえ。
そんなことをぼんやりと考えていると、洞窟が見えてきた。今や俺も居座ることになった洞窟だ。愛着が湧くほどじゃねえが、帰る場所があるってのは、落ち着くもんだ。
「さて、酒もある。月も出てる。完璧だな・・・。強いて言えば、肴がねえくらいか?」
俺とユノは杯になみなみと酒を注ぐと、洞窟を出て、月を眺めながら酒を呷っていた。一人で呑む酒もいいもんだが、こうして誰かと呑む酒もいいもんだ。どっちにも甲乙付けがたい魅力がある。唯一の不満があるとすれば、酒の肴がねえことだった。つまみにしたって、話のネタにしたって、流石にちと寂しい。いや、これだけでも立派な贅沢だがな。
俺は次々と酒を呷るが、ユノはちびりちびりと味を楽しんでいるようだった。いや、純粋に酒に弱いのかもしれねえ。酒の肴もねえし、ちょっとからかってみるか?・・・けど、それでふぐりが消えたらたまったもんじゃねえな。止めとくか。
そう思っていた矢先。
「なあ」
「ん?何だ?」
「お前はなんで盗みなんてやってるんだ?」
らしくもねえことをユノが聞いてきた。・・・って、本当にらしくねえな。戸惑ったりボケたりすることはあっても、こいつ詮索するようなこと、今までしてきたっけか?
よくよくユノの顔を見ると、ほんのりと赤みがかかっていた。まさか、もう酔ったのか。酒は呑めども呑まれるなってのはよく聞くが、ユノの場合それほど呑んじゃいなかったはずだが、そんなに弱かったのか?
「・・・どうした?なんで黙ってる。私のことが嫌いか?」
「いや、嫌いじゃねえが、聞いたってつまらねえ話だぞ?」
「いいじゃないか。いっつも盗みにつきあっれやっれるんだ。少しふらい」
若干呂律が回っていないユノの目は、見たこともないような目をしていた。・・・こりゃ、嫌だと言ってても見逃してはくれねえか。本当につまらねえ話なんだがなあ。まあ、だがしかし。こいつにも聞く権利くらいあるだろう。盗みにつき合わせてるのは事実だしな。
「まあ、言っちまえば最初は生きるためだな」
「生きるらめ?」
「ああ、小さい頃にお袋も親父も死んじまってな。身寄りもねえから、一人で生きていくしかなかったんだ。ガキが一人で生きていくには、ちいと世の中が厳しすぎてな、最初はもう出来心だった。だが、一方で仕方ねえことでもあったな。それから盗みが生きるための手段になっちまったって訳だ」
「・・・・・・・・」
「いや、黙りたくなるのもわかるけど、言っただろ?つまらねえ話だって」
「ああ、違う。昔、盗んでばっかりの男の子がいらろを思い出してな」
「何?」
昔って言うと、こいつが子供の頃か?・・・どんなんだったんだよ。想像もつかねえぞ。ドラゴンのまま生まれたんだろうが、・・・いや、やっぱ想像がつかねえ。
「まら私が小さい頃の話だ。私は見ているだけだったんだが、盗みをしては追いかけられている男の子がいたな」
「へえ。まあ、どっかの孤児だろうな。・・・珍しくねえよ。貧しいガキにはよくある話だ。ま、俺みたいにいつまでたっても盗みをする奴は珍しいがな!」
「そうだな。あのときはまだ私は人だったから、何もできなかった」
「そうかい。お前にも人だった頃が・・・・・・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?
「ちょい待て、お前なんて言った?」
「???いや、何もできなかったと」
「その前だ」
「まだ人だった」
「・・・お前が人ねえ。・・・お前が人ぉ!?いやいやいやいや、冗談だろ!?人がドラゴンに変わったなんて話は聞いたことがねえぞ!?そんなことあるのか!?」
「あ、ああ。具体的には、人から魔物に変えられら、だが」
「人をドラゴンにって・・・そんな魔物いるわけ」
待てよ。確かそんな種族がいた気がする。ほとんど自分の望みどおりに相手を魔物に変えちまう、とんでもない魔物が・・・。
いや、だとしたらユノのドラゴンらしくねえ性格に色々と説明がつく。知能が高いはずのドラゴンでも、人から変わったなら、そこには人であった時の部分が残るはずだ。知能が高いってのは解釈にもよるが、だいたいは物分りとか、そんな部分で出てくるはずだ。だとしたら、ユノがドラゴンになる前は天然で、それが・・・それが。
反映されていたとしたら?
・・・いやいや、そんな都合のいい話があるわけないな。
「私がいたところは貧しいところでな。私も自分が生きるのに精一杯だった。だからその男の子の手助けはできなかった。いつの間にか男の子がいなくなって、悲しんでいる時だったな。白い髪の女性が現れたのは」
都合のいい話があった。
「そうしてドラゴンになったと」
「だら。まあ後の祭りだったわけだが」
「俺よりしんみりする話じゃねえかよ」
「そんなこと言うな。それより酒だ」
そうしてユノはさきほどよりもずっと早いペースで酒を呑み続け、結果酔い潰れてしまった。いや、予想はしてたがこうも予想通りに酔い潰れるとは思ってなかった。・・・酒にはやっぱり誘わない方がよかったかもしれねえな。
酔い潰れたユノを担ぎ、洞窟の中へと戻ると、そっとなるべく身体が痛くならない姿勢で寝かしつけた。
どうやら夢心地で、うつらうつらとしているあたり、本格的に眠っちまうのも時間の問題だろう。まあ、これくらいでないとぐっすり眠りそうにもない奴だが。
「んぁ・・・」
「んんん?まだ寝てなかったのか?ほれ、さっさと寝ろ。疲れが残っちまうぞ」
「男の子・・・?」
「寝ぼけてんのかよ。・・・俺が男の子に見えるか?いいから寝とけって」
「んん、おやすみぃ。クヌギ」
「・・・は?」
「ユキ・・・・・・・ト」
・・・なんだ?今、こいつなんて言った?クヌギ?くぬぎって、植物のあれのことか?いや、そうなるとユキトってのが説明つかねえな。さては男の子の名前か?こいつもなんだかんだ言って立派な魔物娘だな。しっかりと想い人がいるじゃねえか。隅に置けねえやつめ。そういや、力になれなかった云々の話をしてたし、そいつが今でもユノにとっての想い人なんだろうな。しかし、随分といい冗談じゃねえか。
だってそうだろう?
どうしたって『俺の名前』とまったく同じ名前なんだ?
本名はとうの昔に捨てていた。そりゃ勿論、産んでくれた親が悩みに悩んでつけてくれた名前だ。捨てると覚悟を決めても中々捨てきれるもんじゃなかったのは確かだ。それでも、そんな名前を、本名を捨てたのは、言い方が悪いが、邪魔になるからだ。十八の頃から俺は貧しい奴らにも盗んだものを分け与えるようになった。が、その時に一つの問題とぶち当たっちまった。それは、名乗りだ。
名乗ること。それは自分の素性を明かすことと同じだ。俺は天涯孤独の身だから素性が明らかになったって、どうでもいい。が、問題はそっちではなく、俺と関わった者、及び俺と同姓の奴のことだった。
そう、俺が問題にぶち当たる前、つまり十八よりも前までは親から貰った名前を使っていた。つまり、奉行が本気になって調べてしまえば足がついてしまう。同姓の奴にも疑いが向けられるだろう。
なら名乗らなければいい。そういう単純な問題なのかもしれねえが、ところがどっこいそいつは違う。
逆の立場になって、宝を分け与えられる方の身になって考えれば、これは共感できるかもしれねえ。言わば、自分達を窮地から救ってくれる存在。それに名前がつかなかったことがあったか?石川五右衛門然り、ねずみ小僧然り、名を轟かせれば、そこについて回るのは名だ。
つまり、名乗らないということは、分け与えられる立場からすれば、いつ消えてしまうかもわからない、霧のような存在だ。それに名前をつけることによって、その霧を取っ払い、具現化する。
義賊をすれば、逃れられない鎖みてえなもんだ。
そう、だから俺は口上の時に、『天下の義賊』とわざわざ言った。ちっとばかしセンスがねえとも思ったが、ややこしい名前よりはそっちの方が覚えやすいもんだ。そして、そう名乗る代わりに、今までの名前は捨てたはずだった。
なのに、なんでこいつが知っている?
「おまえ、俺を知ってるのか?」
そう聞いても返事は返ってこない。もう既にユノはぐっすりとお休みのようだった。いい気なもんだ。こちとらお前の口から出た言葉に悩まされていると言うのに。
もし。もしの話だが、ユノが言っていたクヌギユキトが本当に俺だったとして、こいつとはいったい何処で出会った?夜道で声をかけられたのが、俺とユノとのファーストコンタクトのはずだ。それ以外で、俺はこいつに出会った記憶なんてねえ。いや、人の記憶なんていい加減なもんだから、ひょっとするといつの間にか出会ってたなんてこともあるかもしれねが、こいつはドラゴンだ。会ったら忘れるはずも・・・。
「ドラゴンになる前?・・・男の子って」
ドラゴンになる前なら、どうなんだ。魔物化って言うのは、極端に外見を変える。羽が生えたり、尻尾が生えたり、足が甲殻で覆われたり大きな爪が生えたりと。もし、こいつがまだ小さい頃にドラゴンに変えられたとしたなら。
男の子が消えた後に、魔物になった。
そう言っていた。そして、もし、もしの話だが。もし、想い人が俺だったとしたら。言っていた男の子がガキの頃の俺だったなら、今も忘れられない想い人であったなら、全て辻褄が合う。
出会ったばかりの俺のからかい、性的な話題に戸惑うのも、俺が抱かないと言って、意気消沈したのも。
それが、それが魔物からの立場から考えて、想い人からの発言だったとしたら。戸惑いにも、落胆にも、照れることにも、全て説明がつく。
そして、それが元々人であったなら、尚更だ。
「ってことはなんだ?お前の一番のお宝は俺だったとか、そんなオチか?」
「・・・・・むにゃ」
「いや、・・・・・戯言だな、こりゃ」
そっとユノの頬に触れると、擽ったそうに身を捩じらせ、幸せそうに頬を綻ばせた。どれだけ一途な奴なんだか。俺なんて、そんなこと知らずに好き勝手してたってのに。・・・本当に、こりゃ、降参だ。関係をやめるとか、逃げ出すとか、それ以前の話だった。
俺は、もう一度いたわるようにして、ユノの頬に触れた。柔らかい、吸い付いてくるような肌。男としての本能を揺さぶられないと言えば、嘘になるが。が、俺は少し我慢をするべきだろうな。
「・・・・んん。寝すぎてしまったか・・・・・・・」
「よう、起きたか」
「ん、ああぁ、すまない。どうやら呑みすぎたようだ」
「やれやれだぜ。酒は呑もうと呑まれるな、常識だろ?」
「む、言われなくてもわかってる」
「・・・・・・・・・・・なあ」
「なんだ?」
「昨日言ってた男の子って、他に特徴はなかったのかよ?盗みとかそれ以外にさ」
「そんないきなり言われてもな・・・。特にそれ以外にはないな・・・。ん、だが、なんとなくだが、お前に似ていたかもしれない」
ああやっぱりか。確認のために聞いたことだったが、これでとうとう、確信に変わった。
「そりゃねえな、気のせいだ」
「気のせいか」
「ああ」
そう言って、俺はユノから視線を逸らした。こりゃあ、逃げられそうにはない。だが、ユノも気づいてないみたいだし、逃げ切れないこともないか?・・・いや、魔物の本能のことだ、それも時間の問題だろうな。
逃げてばかりの人生だったが、どうやらここらで終いらしい。まあ、まんざらでもないし、いいかもな。だってそうだろう?こんなの、話だけ纏めてみれば御伽噺に勝るとも劣らねえ。そんなびっくり仰天の話だ。なら、語り部はそろそろ降りる時だろう。逃げられもしねえなら、なら話は早い。逃げなきゃいいんだからな。お前はなんとなく、多分魔物の本能で俺を嗅ぎつけたのかもしれねえな。
生憎と、俺はまだお前のことを思い出せてはいないんだが、まあ許してくれ、あの時は生きるのに精一杯だったんだ。
変わりに、これからは頑張って思い出してやるから。
「だが、やはりお前はどこか面影がある気がするな。初めて会った時には怒りでそんな余裕もなかったが、こうしてみると・・・」
「そうかい。ところで、結構可愛い寝顔だったな?」
「な!み、み、み、見たのか!」
「嬉しそうな顔してたじゃねえか。いっつもああだったらいいもんだがなあ」
「ま、待て!待ってくれ!見たのか!?見たんだな!?忘れろ!忘れてしまえ!」
忘れるもんかよ。さて、どこから記憶を掘り起こしたもんかな。天然で、こんな容姿をちっこくしたような奴、か。中々難儀なもんだが、なに、問題ないだろ。ずっと見てくれてたんだろうからな。小さい頃の視線を盗んでたぶんのお返しと思えば、お安いもんだ。
そうだろう?ユノよ。
13/09/20 21:40更新 / 綴
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