旅商いの手記
いやはやさてはて、旅商いを始めたはいいが、ここまで前途多難だとは思ってもいなかった。訳ありの品多数。まあほとんど魔界のものなわけだが。だが、この品をどう売捌くかも自身の商才次第だろう。
腕がなるものだ。
さて、商売をするからには、手記をつけ、事細かに記録をしなければ品の売れ行きを推察したりすることはできないだろう。生憎と、そこまで記憶することが得意なわけではない。すぐに記憶を失ってしまう、特異な者でもないが。
まずは今日から、少しずつ記録をつけてみることにしよう。
○月11日
今日は宗教国家ソプラノでホルスタウロスミルクが売れた。反魔物国家で魔界のものを売るとは気でも違ったのかと言われそうだが、私に言わせればそれは臆病者の言うことだ。商いで栄えるためには、危険には一歩どころか二歩三歩踏み込まなければ成功などしないだろう。
それにわざわざ堂々と商品名を出して商売するわけがない。特別製の牛乳とのたまったまでのことだ。
さて、ホルスタウロスミルクを買っていったのは、ソプラノで一番の腕を持つと言われている勇者の少女だった。どうやら慕っている男が胸が大きい女性が好みということを聞いて、ショックを受けたらしい。
勇者と聞くと、他人を寄せ付けないような、どこか神々しい存在なのかと偏見を持っていたのだが、実際に商品を通して私が見た姿は、なんてことはない、少女らしい悩みを抱えた、少女らしい少女だった。
彼女の想いが実ることを、祈ろう。
○月12日
今日はそろそろソプラノから出て、別のところで商売をしようと思っていたところで、再び昨日の勇者の少女と出会った。
開口一番勇者が言うには、お金はあるだけ出すから、昨日のあの牛乳をありったけ譲ってほしいとのことだった。聞くところによると、優しくとろけていく甘さと、濃厚でありながらしつこくない風味に虜となってしまったそうだ。それだけでなく、胸も少し成長したようで、もう手放すことができないと言っていた。
幸い、少女が出してくれたお金はじゅうぶんなものだったので、円滑に商売をすることができた。
さて、・・・私はそろそろこの国からは去るとしよう。
長居は無用とわかれば、どれだけ利益が得られようともすぐに去っていくのが、商売で失敗をしないコツだ。
○月20日
風の噂で、ソプラノが親魔物国家になったという話を聞いた。どうやら内部に魔物との内通者が侵入していたらしく、魔界産の商品を勇者に売りつけていたそうだ。
国一番の勇者が敵になり、あっさりとソプラノは陥落したらしい。
はて、いったいぜんたい、商品を売りつけた者とは誰のことなのだろうか?
■月1日
今日は道すがら出会ったメドゥーサに、メルティ・ラヴを売った。なんでも、夫に対して素直になれないのが悩みらしく、せめて夫婦の営みの時くらい、本心の蛇の髪だけでなく自分で伝えたいとのことだった。
魔界ハーブのメルティ・ラヴならば、お互いにべったりと甘え、見ている者がいれば砂糖を吐きたくなるほどに甘い空気ができあがるだろう。
客の要望に一番適した品を売るのも、商人の努めるべき務め。これできっとあのメドゥーサも満足してくれるだろう。別に私はやるべきことをやっただけなので、善行をしたという訳ではないのだが、どこか温かくなるような気持ちを覚えずにはいられない。
彼女も今頃、夫と甘いひとときを過ごしていることだろう。
■月2日
なんと、感謝されるどころかメドゥーサから説教を受けてしまった。そろそろ出発しようかと思っていた頃に、思わず逃げ出したくなるような勢いで私の元へと這ってきた。
メドゥーサは開口一番、普段言わないようなことまで言ってしまったとか、恥ずかしくて彼の顔がまともに見られないとか、そんな苦情を言ってくる。
なんだかごちそうさまと言いたくなるような罵倒(?)を浴びせられ、困惑していると、メドゥーサを追うようにして、彼女の夫らしい人物が現れた。
途端にメドゥーサは口を閉ざしてしまうあたりに、普段の上下関係が見てとれる。
本当にすいませんと、丁寧に頭を下げるメドゥーサの夫につられてこちらも頭を下げる。メドゥーサは謝るのは向こうの方だと抗議していたのだが、夫が口付けをして言葉を封じると、顔を真っ赤にして何かを叫びながらどこかへと去ってしまった。
夫の方はというと、普段よりも甘い日を送ることができたということで、さらにメルティ・ラヴを買い取ってくれた。思わぬ棚からぼた餅だったが、いやはや、良い商売ができた。
■月9日
ふらり立ち寄った親魔物国家ウツロギで、我利我利亡者の顕現とも言える我ら商人の商売敵、刑部狸と取引をした。
・・・我ながらとんでもない相手と取引をしたものだ。危険には踏み込まなければ云々と以前手記に綴ったが、これは危険どころか黄泉の国の門まで踏み込んでしまったのではないだろうか。
一応、私の名誉のために記しておくが、私から刑部狸に取引を持ちかけたわけではない。決してそうではない。刑部狸相手に取引など、どんな結末を迎えるかは商人の間ではよく知られている。
ではなぜ取引したのかというと、それは向こうが手練れだったからだと言うしかない。こちらが意図していないところでいつの間にか、あっという間に取引をすることになっていたのだ。
取引の内容は至って簡単なものだったのだが、これだけであの狸が終わるとは思えない。こちらから先手を打っておくべきだろうが、どうしたものか・・・。
■月12日
必死に刑部狸のことで何か情報はないかと聞き込みを行っていると、警備隊の青年に声をかけられた。
なんでも、自分もあの狸に絡まれてはた迷惑をしているらしく、どうにかしてあの狸に一泡吹かせてやりたい、とのことだった。
ここで私の頭に一計が浮かんだ。少々、青年を唆すようで気が引けたが、これもわが身を守るため、致し方ないだろう。
私は青年に、無償でタケリダケを譲った。無償とはそれでも商人か、と罵られそうだが、この場合は、刑部狸の手から逃れられることがなにものにも代え難い利益だろう。
青年はこういった魔界の食物の知識は以外にも乏しかったらしく、すんなりと誑かすことができた。
一口食べればあっという間に魔物を打ち負かすほどの力が手に入るという口上を、素直に青年は信じてくれた。
青年は早速、刑部狸の元へ向かったようだ。私も急いでウツロギを離れるとしよう。
■月17日
ウツロギの近くにある親魔物国家シラセで、郭勤めをしているというゆきおんなに、夫婦の果実を売った。毎夜逢いに訪ねてくれるのに、今一歩踏み込んでくれない殿方に渡すのだそうだ。おそらく渡すだけで事は済まないだろう。
私はつい、その殿方が踏み込んでくれるのを待つ前に、踏み込むように仕向けるのは些か無粋ではないだろうかと問うてみたが・・・。
それではあなた様は、いつまでも踏み込まれずに焦がれていくままの女性の姿を見て、粋と仰るのですか?
と返されてしまった。確かにそれもそうか。自身の身のことを忘れ、差し出がましい質問をしてしまった。
今夜もきっと逢いに来てくれますと言いながら去っていくゆきおんなの後姿は、どこか悲しげで、私は何か神仏に祈りを捧げたくなった。
柄でもないのは、重々承知していても、だ。
■月30日
今日は王魔界で商売をする。すでに辿り着くだけでかなりの日数をかけてしまったが、仕方あるまい。ここでなら相当な商品が捌けそうだが、私の一番の用はサバトにある。
しかし、今日はもう長い旅路で疲れてしまった。
宿で休み、後日サバトへと向かうとしよう。
■月31日
一晩休んだおかげで、疲れもだいぶとることができた。早速サバトへと向かう。言わずもがな、これは当然商売目的である。我ながら観光もせずに仕事とは、がめついことだとも思うが、これも商人の悲しい性。仕方ない。と思いたい。
さて、サバトのバフォメットにフェアリーパウダーを売った。フェアリーパウダーは滅多に手に入るものではないので、かなり儲けることができた。新しい魔法薬の開発に必要だったようだ。魔法薬といえば、分身薬やら触手薬やら、官能的で怪しげな薬が多いが、一つ頂いて愛の妙薬として売捌くのもいいかもしれない。
と思っていた矢先、バフォメットが既婚者かどうかを訊ねてきて、嫌な予感がしたのでさっさと去ることにした。私は未婚だが、出会って間もない魔物娘に求婚するほど飢えているわけでも焦っているわけでもない。
・・・まあ確かに、魔物たちは誰もが艶かしい、男を誘惑するためだけに具に備えられた妖艶な雰囲気を纏ってはいるが。
△月5日
野生の陶酔の果実を見つけた。見つけただけで取りには行けなかった。野生の陶酔の果実は珍しく、たいてい収穫されてしまっているため、大変珍しいもので最初は儲け物だと喜んだのだが・・・。
一番下の実が、滴を垂らしていたのだ。
おまけに、その下にはアルラウネが(この時は幸いなことに)ぐっすりと眠っていたのだ。いくら値千金の代物であっても、さすがに我が身がかわいい。
泣く泣く諦めることにした。
こんなことはほぼありえないことだと、以前読んだ書物に書いてあったのだが、その著者に文句を言いたい。現実は小説よりも奇なりだと。
△月8日
次の国へ向かうための道中で出会ったダンピールに、虜の果実を売った。おどけた態度を崩さない、飄々とした感じのダンピールだったのだが、次の国までの旅路の護衛を頼むことになった。
いや、訂正しよう。頼むなんて遜ったものではない。これは向こうが果たすべき当たり前の、至極当然の義務なのだ。と、いうのも。
虜の果実を売ったダンピールは一文無しだった。
ならば当然金銭に値する対価として、体で(性的な意味ではなく)払ってもらうのは極々真っ当で正当なことだ。
どうもこのダンピール、最初からそのつもりだったのか乗り気で護衛をしてくれている。まあ、私としても護衛がいるのは道中、とても心強い。何より、退屈しないのが一番いいことだ。
護衛の腕に関しては、人間よりも身体的には優れている魔物だ。心配ないだろう。私も護身術くらいは心得ているが、それでも魔物相手には心細いものだったし、いざとなったらそそくさと逃げて身を隠すことくらいしかできないのだから。
△月10日
ダンピールに、故意ではないとはいえ申し訳ないことをしてしまった。私はただ単に、食事をわけるつもりでダンピールの元へと向かったわけだが、・・・・・水浴びをしているとは想像できなかった。
いや、全て私のせいなので、弁明の余地はないだろう。慌てふためく彼女の姿が今でも脳裏に焼きついて離れない。飄々としているからこそ、慌てふためいた姿が印象的で、しっかりと私の脳に記録されてしまったようだ。陶磁器のような滑らかな肌に、少し紅潮した頬。整った体のラインを突き破るようにして強調されている胸に、臀部と・・・。
私はいったい何を書いているのだろうか。恐らく殴られても文句が言えないのでは。
△月11日
気まずい。
それ以外にいったいどうやってこの状況を言い表せるというのか。何か、何かこの状況を打開するための方法はないものか。
言葉をかけようとしても自然と距離をとられ、明らかにこちらとの会話を避ける思惟が伝わってくる。
私は私で、なぜか彼女の姿が未だに鮮明に脳裏で甦る。いや、未だにと言えるほど時間は経っていないのだが、なぜか色濃く、あの時の光景をそのまま切り取ったように浮かんでくる。
不埒なだけではないかと頭を振って、ふしだらな光景を消そうとはするが、消えない。まるで何度も何度も絵の具を塗り重ねた絵画のように、消えない。どこか湿度と温かさを持った彼女の光景が、いつまでも頭の中で回り続けた。
△月12日
一日を跨いで、やっと会話ができるようになった。
彼女も、見られてしまったものは仕方がない。いっそのこともっと目に焼き付けてみるかとからかってくる程度にはもう回復したようだ。それを見て、一安心したが、ニ安心とはいかなかった。
私の中では、まだ彼女の光景が、・・・。
情けないことだった。
情けない以外、どうやって私の今を表現できるというのか。鉛色の空が、いっそのこと私を押しつぶしてくれれば、何も悩まずに済むというものだが。
いや、果たして私はいったい何に悩んでいるのだろうか?それすらわからないようだ。いや、結論は出ているのかもしれない。いや、出ていないのかもしれない。
・・・自家撞着にも程がある。
今日はもう、手記を綴るのはここまでにしておこう。
△月14日
道中、ダンピールに恋をしたことはあるかと訪ねられた。その場では適当にはぐらかしたが、しかし私にも立派な少年期はあったので、恋をしたことがないのだと断言すると、嘘になる。
幼い頃、こうして旅商いをするよりも以前は、隣近所にいた女子を好きになった。結果は見事に振られたが。悔しくない。いや本当に悔しくない。
悔しくないが、彼女に話すのはやめておく。なんとなくで。
しかし彼女は恋をしたことがないのだろうか?
△月15日
昨日ふと浮かんだ、恋をしたことがあるのかどうかという疑問を素直に彼女に訊ねてみることにした。
思えば、私の愚かしいところは、先見の力の乏しいところだろう。そうでなければ、いったいなんだと言うのだ。
そうでなければ、そうでなければ彼女から君がすきなんだと言う台詞を、本心からの告白を耳にせずにすんだのかもしれない。
が、ここで後悔しても仕方がない。後悔は後になんとやら。私も私らしく、彼女に答えることにする。
どうせ、答えは最初からわかりきっていたものだったのだ。こんな商売をしていれば、いつかこんな日が訪れる。私はそれをひたすらにあの手この手で引き伸ばしていたが、それもどうやらここまでだろう。
いや、そんな諦めて仕方なくといったようなものではない。それは、彼女にも失礼だろう。自分の気持ちを伝えることは、人であれ魔物娘であれ、その決意の強さは変わらないはずだ。変わることがあってなるものか。
私は、答えなければいけないだろう。彼女に。きっかけがなんであれ、彼女が自分で導いた決意なのだから。
長い時間を共にした相手には情がわく、というありきたりな理由で私は自分の気持ちに決着をつけるのは、面白くない。だから、私の持てる限りの自分の言葉で。
・・・これから私が手記をまた綴ることがあるかどうかは、正直なところわからない。まあ、元々商売のために綴っていたものが、もう当初の目的を破棄しているので、また手記をつけることがあっても、以前のようなものにはならないだろう。
彼女に出会い、彼女の心を聞き、そして私は情けないことに少しだけ待って欲しいと、答えを保留している。答えはもう決まっているのにだ。・・・以前ゆきおんなに言われたことが、骨身に沁みるようだ。
自分がその状況に立たされないと、人間なんとでも言えるものなのだろう。ただ、私はもうその状況に立たされている。あとは、伝えるだけなのだ。
準備も終わった。決意も終わった。
結んだこの情動を水面に浮かべるように、伝えてしまおう。
こんな私の、だらしない私の、情けない私の、ずるい私の。
ほどいた答えを。
綴った言葉を。
腕がなるものだ。
さて、商売をするからには、手記をつけ、事細かに記録をしなければ品の売れ行きを推察したりすることはできないだろう。生憎と、そこまで記憶することが得意なわけではない。すぐに記憶を失ってしまう、特異な者でもないが。
まずは今日から、少しずつ記録をつけてみることにしよう。
○月11日
今日は宗教国家ソプラノでホルスタウロスミルクが売れた。反魔物国家で魔界のものを売るとは気でも違ったのかと言われそうだが、私に言わせればそれは臆病者の言うことだ。商いで栄えるためには、危険には一歩どころか二歩三歩踏み込まなければ成功などしないだろう。
それにわざわざ堂々と商品名を出して商売するわけがない。特別製の牛乳とのたまったまでのことだ。
さて、ホルスタウロスミルクを買っていったのは、ソプラノで一番の腕を持つと言われている勇者の少女だった。どうやら慕っている男が胸が大きい女性が好みということを聞いて、ショックを受けたらしい。
勇者と聞くと、他人を寄せ付けないような、どこか神々しい存在なのかと偏見を持っていたのだが、実際に商品を通して私が見た姿は、なんてことはない、少女らしい悩みを抱えた、少女らしい少女だった。
彼女の想いが実ることを、祈ろう。
○月12日
今日はそろそろソプラノから出て、別のところで商売をしようと思っていたところで、再び昨日の勇者の少女と出会った。
開口一番勇者が言うには、お金はあるだけ出すから、昨日のあの牛乳をありったけ譲ってほしいとのことだった。聞くところによると、優しくとろけていく甘さと、濃厚でありながらしつこくない風味に虜となってしまったそうだ。それだけでなく、胸も少し成長したようで、もう手放すことができないと言っていた。
幸い、少女が出してくれたお金はじゅうぶんなものだったので、円滑に商売をすることができた。
さて、・・・私はそろそろこの国からは去るとしよう。
長居は無用とわかれば、どれだけ利益が得られようともすぐに去っていくのが、商売で失敗をしないコツだ。
○月20日
風の噂で、ソプラノが親魔物国家になったという話を聞いた。どうやら内部に魔物との内通者が侵入していたらしく、魔界産の商品を勇者に売りつけていたそうだ。
国一番の勇者が敵になり、あっさりとソプラノは陥落したらしい。
はて、いったいぜんたい、商品を売りつけた者とは誰のことなのだろうか?
■月1日
今日は道すがら出会ったメドゥーサに、メルティ・ラヴを売った。なんでも、夫に対して素直になれないのが悩みらしく、せめて夫婦の営みの時くらい、本心の蛇の髪だけでなく自分で伝えたいとのことだった。
魔界ハーブのメルティ・ラヴならば、お互いにべったりと甘え、見ている者がいれば砂糖を吐きたくなるほどに甘い空気ができあがるだろう。
客の要望に一番適した品を売るのも、商人の努めるべき務め。これできっとあのメドゥーサも満足してくれるだろう。別に私はやるべきことをやっただけなので、善行をしたという訳ではないのだが、どこか温かくなるような気持ちを覚えずにはいられない。
彼女も今頃、夫と甘いひとときを過ごしていることだろう。
■月2日
なんと、感謝されるどころかメドゥーサから説教を受けてしまった。そろそろ出発しようかと思っていた頃に、思わず逃げ出したくなるような勢いで私の元へと這ってきた。
メドゥーサは開口一番、普段言わないようなことまで言ってしまったとか、恥ずかしくて彼の顔がまともに見られないとか、そんな苦情を言ってくる。
なんだかごちそうさまと言いたくなるような罵倒(?)を浴びせられ、困惑していると、メドゥーサを追うようにして、彼女の夫らしい人物が現れた。
途端にメドゥーサは口を閉ざしてしまうあたりに、普段の上下関係が見てとれる。
本当にすいませんと、丁寧に頭を下げるメドゥーサの夫につられてこちらも頭を下げる。メドゥーサは謝るのは向こうの方だと抗議していたのだが、夫が口付けをして言葉を封じると、顔を真っ赤にして何かを叫びながらどこかへと去ってしまった。
夫の方はというと、普段よりも甘い日を送ることができたということで、さらにメルティ・ラヴを買い取ってくれた。思わぬ棚からぼた餅だったが、いやはや、良い商売ができた。
■月9日
ふらり立ち寄った親魔物国家ウツロギで、我利我利亡者の顕現とも言える我ら商人の商売敵、刑部狸と取引をした。
・・・我ながらとんでもない相手と取引をしたものだ。危険には踏み込まなければ云々と以前手記に綴ったが、これは危険どころか黄泉の国の門まで踏み込んでしまったのではないだろうか。
一応、私の名誉のために記しておくが、私から刑部狸に取引を持ちかけたわけではない。決してそうではない。刑部狸相手に取引など、どんな結末を迎えるかは商人の間ではよく知られている。
ではなぜ取引したのかというと、それは向こうが手練れだったからだと言うしかない。こちらが意図していないところでいつの間にか、あっという間に取引をすることになっていたのだ。
取引の内容は至って簡単なものだったのだが、これだけであの狸が終わるとは思えない。こちらから先手を打っておくべきだろうが、どうしたものか・・・。
■月12日
必死に刑部狸のことで何か情報はないかと聞き込みを行っていると、警備隊の青年に声をかけられた。
なんでも、自分もあの狸に絡まれてはた迷惑をしているらしく、どうにかしてあの狸に一泡吹かせてやりたい、とのことだった。
ここで私の頭に一計が浮かんだ。少々、青年を唆すようで気が引けたが、これもわが身を守るため、致し方ないだろう。
私は青年に、無償でタケリダケを譲った。無償とはそれでも商人か、と罵られそうだが、この場合は、刑部狸の手から逃れられることがなにものにも代え難い利益だろう。
青年はこういった魔界の食物の知識は以外にも乏しかったらしく、すんなりと誑かすことができた。
一口食べればあっという間に魔物を打ち負かすほどの力が手に入るという口上を、素直に青年は信じてくれた。
青年は早速、刑部狸の元へ向かったようだ。私も急いでウツロギを離れるとしよう。
■月17日
ウツロギの近くにある親魔物国家シラセで、郭勤めをしているというゆきおんなに、夫婦の果実を売った。毎夜逢いに訪ねてくれるのに、今一歩踏み込んでくれない殿方に渡すのだそうだ。おそらく渡すだけで事は済まないだろう。
私はつい、その殿方が踏み込んでくれるのを待つ前に、踏み込むように仕向けるのは些か無粋ではないだろうかと問うてみたが・・・。
それではあなた様は、いつまでも踏み込まれずに焦がれていくままの女性の姿を見て、粋と仰るのですか?
と返されてしまった。確かにそれもそうか。自身の身のことを忘れ、差し出がましい質問をしてしまった。
今夜もきっと逢いに来てくれますと言いながら去っていくゆきおんなの後姿は、どこか悲しげで、私は何か神仏に祈りを捧げたくなった。
柄でもないのは、重々承知していても、だ。
■月30日
今日は王魔界で商売をする。すでに辿り着くだけでかなりの日数をかけてしまったが、仕方あるまい。ここでなら相当な商品が捌けそうだが、私の一番の用はサバトにある。
しかし、今日はもう長い旅路で疲れてしまった。
宿で休み、後日サバトへと向かうとしよう。
■月31日
一晩休んだおかげで、疲れもだいぶとることができた。早速サバトへと向かう。言わずもがな、これは当然商売目的である。我ながら観光もせずに仕事とは、がめついことだとも思うが、これも商人の悲しい性。仕方ない。と思いたい。
さて、サバトのバフォメットにフェアリーパウダーを売った。フェアリーパウダーは滅多に手に入るものではないので、かなり儲けることができた。新しい魔法薬の開発に必要だったようだ。魔法薬といえば、分身薬やら触手薬やら、官能的で怪しげな薬が多いが、一つ頂いて愛の妙薬として売捌くのもいいかもしれない。
と思っていた矢先、バフォメットが既婚者かどうかを訊ねてきて、嫌な予感がしたのでさっさと去ることにした。私は未婚だが、出会って間もない魔物娘に求婚するほど飢えているわけでも焦っているわけでもない。
・・・まあ確かに、魔物たちは誰もが艶かしい、男を誘惑するためだけに具に備えられた妖艶な雰囲気を纏ってはいるが。
△月5日
野生の陶酔の果実を見つけた。見つけただけで取りには行けなかった。野生の陶酔の果実は珍しく、たいてい収穫されてしまっているため、大変珍しいもので最初は儲け物だと喜んだのだが・・・。
一番下の実が、滴を垂らしていたのだ。
おまけに、その下にはアルラウネが(この時は幸いなことに)ぐっすりと眠っていたのだ。いくら値千金の代物であっても、さすがに我が身がかわいい。
泣く泣く諦めることにした。
こんなことはほぼありえないことだと、以前読んだ書物に書いてあったのだが、その著者に文句を言いたい。現実は小説よりも奇なりだと。
△月8日
次の国へ向かうための道中で出会ったダンピールに、虜の果実を売った。おどけた態度を崩さない、飄々とした感じのダンピールだったのだが、次の国までの旅路の護衛を頼むことになった。
いや、訂正しよう。頼むなんて遜ったものではない。これは向こうが果たすべき当たり前の、至極当然の義務なのだ。と、いうのも。
虜の果実を売ったダンピールは一文無しだった。
ならば当然金銭に値する対価として、体で(性的な意味ではなく)払ってもらうのは極々真っ当で正当なことだ。
どうもこのダンピール、最初からそのつもりだったのか乗り気で護衛をしてくれている。まあ、私としても護衛がいるのは道中、とても心強い。何より、退屈しないのが一番いいことだ。
護衛の腕に関しては、人間よりも身体的には優れている魔物だ。心配ないだろう。私も護身術くらいは心得ているが、それでも魔物相手には心細いものだったし、いざとなったらそそくさと逃げて身を隠すことくらいしかできないのだから。
△月10日
ダンピールに、故意ではないとはいえ申し訳ないことをしてしまった。私はただ単に、食事をわけるつもりでダンピールの元へと向かったわけだが、・・・・・水浴びをしているとは想像できなかった。
いや、全て私のせいなので、弁明の余地はないだろう。慌てふためく彼女の姿が今でも脳裏に焼きついて離れない。飄々としているからこそ、慌てふためいた姿が印象的で、しっかりと私の脳に記録されてしまったようだ。陶磁器のような滑らかな肌に、少し紅潮した頬。整った体のラインを突き破るようにして強調されている胸に、臀部と・・・。
私はいったい何を書いているのだろうか。恐らく殴られても文句が言えないのでは。
△月11日
気まずい。
それ以外にいったいどうやってこの状況を言い表せるというのか。何か、何かこの状況を打開するための方法はないものか。
言葉をかけようとしても自然と距離をとられ、明らかにこちらとの会話を避ける思惟が伝わってくる。
私は私で、なぜか彼女の姿が未だに鮮明に脳裏で甦る。いや、未だにと言えるほど時間は経っていないのだが、なぜか色濃く、あの時の光景をそのまま切り取ったように浮かんでくる。
不埒なだけではないかと頭を振って、ふしだらな光景を消そうとはするが、消えない。まるで何度も何度も絵の具を塗り重ねた絵画のように、消えない。どこか湿度と温かさを持った彼女の光景が、いつまでも頭の中で回り続けた。
△月12日
一日を跨いで、やっと会話ができるようになった。
彼女も、見られてしまったものは仕方がない。いっそのこともっと目に焼き付けてみるかとからかってくる程度にはもう回復したようだ。それを見て、一安心したが、ニ安心とはいかなかった。
私の中では、まだ彼女の光景が、・・・。
情けないことだった。
情けない以外、どうやって私の今を表現できるというのか。鉛色の空が、いっそのこと私を押しつぶしてくれれば、何も悩まずに済むというものだが。
いや、果たして私はいったい何に悩んでいるのだろうか?それすらわからないようだ。いや、結論は出ているのかもしれない。いや、出ていないのかもしれない。
・・・自家撞着にも程がある。
今日はもう、手記を綴るのはここまでにしておこう。
△月14日
道中、ダンピールに恋をしたことはあるかと訪ねられた。その場では適当にはぐらかしたが、しかし私にも立派な少年期はあったので、恋をしたことがないのだと断言すると、嘘になる。
幼い頃、こうして旅商いをするよりも以前は、隣近所にいた女子を好きになった。結果は見事に振られたが。悔しくない。いや本当に悔しくない。
悔しくないが、彼女に話すのはやめておく。なんとなくで。
しかし彼女は恋をしたことがないのだろうか?
△月15日
昨日ふと浮かんだ、恋をしたことがあるのかどうかという疑問を素直に彼女に訊ねてみることにした。
思えば、私の愚かしいところは、先見の力の乏しいところだろう。そうでなければ、いったいなんだと言うのだ。
そうでなければ、そうでなければ彼女から君がすきなんだと言う台詞を、本心からの告白を耳にせずにすんだのかもしれない。
が、ここで後悔しても仕方がない。後悔は後になんとやら。私も私らしく、彼女に答えることにする。
どうせ、答えは最初からわかりきっていたものだったのだ。こんな商売をしていれば、いつかこんな日が訪れる。私はそれをひたすらにあの手この手で引き伸ばしていたが、それもどうやらここまでだろう。
いや、そんな諦めて仕方なくといったようなものではない。それは、彼女にも失礼だろう。自分の気持ちを伝えることは、人であれ魔物娘であれ、その決意の強さは変わらないはずだ。変わることがあってなるものか。
私は、答えなければいけないだろう。彼女に。きっかけがなんであれ、彼女が自分で導いた決意なのだから。
長い時間を共にした相手には情がわく、というありきたりな理由で私は自分の気持ちに決着をつけるのは、面白くない。だから、私の持てる限りの自分の言葉で。
・・・これから私が手記をまた綴ることがあるかどうかは、正直なところわからない。まあ、元々商売のために綴っていたものが、もう当初の目的を破棄しているので、また手記をつけることがあっても、以前のようなものにはならないだろう。
彼女に出会い、彼女の心を聞き、そして私は情けないことに少しだけ待って欲しいと、答えを保留している。答えはもう決まっているのにだ。・・・以前ゆきおんなに言われたことが、骨身に沁みるようだ。
自分がその状況に立たされないと、人間なんとでも言えるものなのだろう。ただ、私はもうその状況に立たされている。あとは、伝えるだけなのだ。
準備も終わった。決意も終わった。
結んだこの情動を水面に浮かべるように、伝えてしまおう。
こんな私の、だらしない私の、情けない私の、ずるい私の。
ほどいた答えを。
綴った言葉を。
15/11/11 22:37更新 / 綴