おじさんとリッチの話
「ふー…………」
今は夜。墓地のいくつも並んでいる墓石の1つの前で佇んで煙草を吸っている中年の男がいた。男は長い紫煙を吐き出し、墓石に静かに手を合わせた。
「何をしているの?」
「……見て分からないか?」
突然の声に、彼は手を合わせるのをやめて声のした方を見た。
そこにはとても人間とは思えぬ姿の少女がいた。
不健康なほど白い肌、灰色の頭髪、そして服装は肢体を晒した痴女じみたフード付きローブのみ。
男はその格好から1つの結論を導き出した。
「魔物……確か名前はリッチ、だったっけか?」
うろ覚えだったが、どうやら合っているらしく、少女は頷いた。
「それで、何をしているの?」
「死者に祈りを捧げちゃいけないのか?」
苦笑とともに男はそんなことを言う。
「いいえ。死者は尊ばれる者だものね」
「だから私を敬えってか?」
男の軽口に魔物は眉をひそめた。
「捻くれてるわね」
「いい年してガキっぽいのは否定しねぇよ」
くくくと彼は口の端で笑って、「お前は何をしてるんだよ」と煙草の先端で魔物を指し示す。
「実験に死体が必要だから取りに来たの」
「墓荒らしかよ。罰が当たるぜ」
「かもしれないわね」
少女は素っ気ない反応でそう返すと、男の隣まで歩いてきた。
「ここのヤツは使うなよ」
「使わないわ。……察するに、家族か友人?」
「家族だよ。嫁だ」
はん、と鼻を鳴らして男は煙草を放り捨てて足で踏み消す。
「……墓前よ」
「分かってるさ。だが死者は何も語らねぇだろ。……ま、語る奴もいるか」
諌めたリッチに対し、男は肩をすくめる。
「貴方は、お嫁さんともう一度会いたい?」
「会いたいなぁ。だが魔物になった嫁となら願い下げだ。死んでから会いにいくさ」
雲のない夜空を見上げる男に対し、魔物は墓石に向いて静かに手を合わせた。
「そういえば、貴方は怖がらないのね。魔物は人間を襲うと知らないの?」
しばらくして、リッチは手を合わせるのをやめ、思い出したように言った。
「この年になるといつ死んでもいいようになるのさ。丁度生きる目的もどっか行っちまったことだしな」
「でも死ぬ理由もない。だから死なない。優柔不断ね」
「死ぬ理由はあるがな。……自殺はするなって何度も言われてたからなぁ。優柔不断ってのは合ってるけどな」
夜空を見上げながら咥えた煙草に火を点す。
「煙草もやめろって言われなかった?」
「そりゃ言われたさ。ま、やめる気はさらさら無いがね」
そうやって墓前で話すこと数十分。話題は、何故か男の身の上話になっていた。
「ま……そんなこんなで嫁とは実は最近出会ってな。まだ若いのに、こんな年寄りに結婚だのってさ……馬鹿みたいなヤツだったよ」
「今でも好きなのね。お嫁さんのこと」
「そりゃあ勿論。今でも愛してるさ」
「それでも魔物になったお嫁さんは駄目なの?」
「駄目じゃねぇよ。ただ、あいつは何があっても魔物にはなりたくないって言ってな……魔物になったら病気も直るかもしれなかったのによ」
そう言った彼は、小さくため息をこぼした。
「病気って、不治の病かしら」
「人間にはどうしようもないものだったよ。生まれつきでなぁ。それでも俺を好きって言って……馬鹿だろ?」
「私にはそうは思えないわね。彼女は、最期に幸せだった。最期まで幸せになりたかった。子を残せなくてもいい。ただ、愛した人とほんの少しでも一緒にいたかった」
「……女ってやつは難解だねぇ」
「ええ、男よりずっとね」
苦笑する男に、魔物は微笑みかけた。
「で、お前はこれからどうするんだ」
「棲家に戻るわ。いつまでもここにいられないし」
「死体は?」
「また今度にするわ。それより重要な実験を思いついたから」
じゃあな、と男は手を振った。
またね、と魔物は小さく手を振った。
それから、死ぬまで男とその魔物が会うことはなかった。
男は死ぬまで誰とも結婚せず、死んだ伴侶の忠告も聞かず煙草を吸い続けた。
魔物は墓を掘り起こすことなく研究し続け、そして夫も得た。
……そう、死ぬまでだ。
私は夫を得た。あの日墓地で出会った、捻くれ者だ。魔物とは昔からこうしてずるいものだ。悪く思わないでほしい。さて、目覚めた時彼はどんな表情をするのだろうか。少し、楽しみ。
今は夜。墓地のいくつも並んでいる墓石の1つの前で佇んで煙草を吸っている中年の男がいた。男は長い紫煙を吐き出し、墓石に静かに手を合わせた。
「何をしているの?」
「……見て分からないか?」
突然の声に、彼は手を合わせるのをやめて声のした方を見た。
そこにはとても人間とは思えぬ姿の少女がいた。
不健康なほど白い肌、灰色の頭髪、そして服装は肢体を晒した痴女じみたフード付きローブのみ。
男はその格好から1つの結論を導き出した。
「魔物……確か名前はリッチ、だったっけか?」
うろ覚えだったが、どうやら合っているらしく、少女は頷いた。
「それで、何をしているの?」
「死者に祈りを捧げちゃいけないのか?」
苦笑とともに男はそんなことを言う。
「いいえ。死者は尊ばれる者だものね」
「だから私を敬えってか?」
男の軽口に魔物は眉をひそめた。
「捻くれてるわね」
「いい年してガキっぽいのは否定しねぇよ」
くくくと彼は口の端で笑って、「お前は何をしてるんだよ」と煙草の先端で魔物を指し示す。
「実験に死体が必要だから取りに来たの」
「墓荒らしかよ。罰が当たるぜ」
「かもしれないわね」
少女は素っ気ない反応でそう返すと、男の隣まで歩いてきた。
「ここのヤツは使うなよ」
「使わないわ。……察するに、家族か友人?」
「家族だよ。嫁だ」
はん、と鼻を鳴らして男は煙草を放り捨てて足で踏み消す。
「……墓前よ」
「分かってるさ。だが死者は何も語らねぇだろ。……ま、語る奴もいるか」
諌めたリッチに対し、男は肩をすくめる。
「貴方は、お嫁さんともう一度会いたい?」
「会いたいなぁ。だが魔物になった嫁となら願い下げだ。死んでから会いにいくさ」
雲のない夜空を見上げる男に対し、魔物は墓石に向いて静かに手を合わせた。
「そういえば、貴方は怖がらないのね。魔物は人間を襲うと知らないの?」
しばらくして、リッチは手を合わせるのをやめ、思い出したように言った。
「この年になるといつ死んでもいいようになるのさ。丁度生きる目的もどっか行っちまったことだしな」
「でも死ぬ理由もない。だから死なない。優柔不断ね」
「死ぬ理由はあるがな。……自殺はするなって何度も言われてたからなぁ。優柔不断ってのは合ってるけどな」
夜空を見上げながら咥えた煙草に火を点す。
「煙草もやめろって言われなかった?」
「そりゃ言われたさ。ま、やめる気はさらさら無いがね」
そうやって墓前で話すこと数十分。話題は、何故か男の身の上話になっていた。
「ま……そんなこんなで嫁とは実は最近出会ってな。まだ若いのに、こんな年寄りに結婚だのってさ……馬鹿みたいなヤツだったよ」
「今でも好きなのね。お嫁さんのこと」
「そりゃあ勿論。今でも愛してるさ」
「それでも魔物になったお嫁さんは駄目なの?」
「駄目じゃねぇよ。ただ、あいつは何があっても魔物にはなりたくないって言ってな……魔物になったら病気も直るかもしれなかったのによ」
そう言った彼は、小さくため息をこぼした。
「病気って、不治の病かしら」
「人間にはどうしようもないものだったよ。生まれつきでなぁ。それでも俺を好きって言って……馬鹿だろ?」
「私にはそうは思えないわね。彼女は、最期に幸せだった。最期まで幸せになりたかった。子を残せなくてもいい。ただ、愛した人とほんの少しでも一緒にいたかった」
「……女ってやつは難解だねぇ」
「ええ、男よりずっとね」
苦笑する男に、魔物は微笑みかけた。
「で、お前はこれからどうするんだ」
「棲家に戻るわ。いつまでもここにいられないし」
「死体は?」
「また今度にするわ。それより重要な実験を思いついたから」
じゃあな、と男は手を振った。
またね、と魔物は小さく手を振った。
それから、死ぬまで男とその魔物が会うことはなかった。
男は死ぬまで誰とも結婚せず、死んだ伴侶の忠告も聞かず煙草を吸い続けた。
魔物は墓を掘り起こすことなく研究し続け、そして夫も得た。
……そう、死ぬまでだ。
私は夫を得た。あの日墓地で出会った、捻くれ者だ。魔物とは昔からこうしてずるいものだ。悪く思わないでほしい。さて、目覚めた時彼はどんな表情をするのだろうか。少し、楽しみ。
15/08/20 17:50更新 / キラウエア