第四話:武闘大会【前哨戦】
円形の【コロッセオ】を大規模な魔力障壁で四分割した中に、これまた円形の石で出来た闘技場が設置され、都合30人程の戦士達がそれぞれに集められて、己の技能を披露していた。
……平たく云ってしまえば、勝ち抜き戦を行っていた。
どうやら、あのAからZまでの文字は選手枠を表していたもので、それぞれの文字が書かれていたあの小部屋に集まっていた戦士達は、その選手枠候補であった、っという事か。
そして、今僕はその選手枠を決めるための勝ち抜き戦を行っている、っという訳か。
僕の所が確か「A」だから、順当に行っている筈なので、同じ様に勝ち抜き戦を行っている残りの3つの闘技場は、それぞれ「B」「C」「D」なのだろう。
――っといつもの様に冷静に状況把握しても、全く持って状況が芳しくならないのは、これまたいつもの事か……。
僕は5人の人間の男の戦士達によって、闘技場の端まで追い込まれていた。
半ば自分から下がったとはいえ、場外は即退場の規定の下では、非常に宜しくない事態である事に変わりない。
5人の戦士達は、多分、「歳も若いし、片目が眼帯の制限もある僕から潰して、なるべく体力を温存して戦おう」との考えから、この様な行動に出ているとは思うけど……統率は取れていないし、僕への重圧の掛け方も中途半端、その上、人数で勝っているのに及び腰の者までいる始末じゃ、例え何かの間違えで勝ち残ったとして、次で負けるのは確実だ。
そんな者のために選手枠を渡すのは勿体ないし、何よりも、僕自身譲る気なんてこれぽっちもない。
挟撃、騙し討ちは、【戦場】では称賛されて然るべき行動であるため、この様な行動にでるのは、戦いの定石であり、何も恥ずべき事ではないけど、如何せんこの者達は実力が余りにも伴っていな過ぎる。
僕みたいに全く前情報無く完璧な飛び入りじゃない筈だから、それなりに実力があるからこそ登録したと思うけど……これは酷い……。
ちらりと男達の後方へ視線を向けると、半甲冑のプレートアーマーを着込んだ薄茶色の髪をした女性が【リザードマン】と互角以上の戦いを繰り広げているのを確認した。
扱っている得物は――突剣と短剣か……。
左手に持った短剣を前に出した半身となり、相手の攻撃を誘いつつ牽制し、実際に切り込んできたら、その肉厚で丈夫な短剣で受け流し、右手に持った突剣で適確に鎧や筋の隙間を穿ち、確実に相手の戦力を奪う。
指南書通りの戦い方ではあるが、それ故に非常に理に適った戦法だ。
しかも、あそこまで上手く受け流し、正確に鎧や筋の隙間を突ける所からして、あの女性は相当な使い手であると考えられる。
確か突剣は大陸の貴族の間では、騎士道精神の象徴として扱われ、それを用いての戦闘は【決闘】となり、己が全身全霊を持って相手をするとの意味も持っていると聞いた事がある。
……まぁ、僕の情報は行商から聞いた事なので、どこまでが真実か解らないが、扱っている突剣の柄に華麗な装飾を施された手の甲を覆う湾曲した金属板が取り付けられている所や、半甲冑の背中に家紋の様な紋様が施されているため、それなりの家の女性で、かなりの実力を持っているのは確実だ。
「……をい、良い加減にしろよ……オマエ、今自分が於かれている立場が解っているのか?!」
半甲冑の女性戦士の技量に関心していると、突然目の前の男達の1人から怒声を投げられ、そういえば余り宜しくない事態である事を改めて気付いた。
事戦闘に関して、素晴らしい技術を見せ付けられてしまうと、如何なる時でもそちらに気を持って行かれてしまうのは、僕の悪い癖だ。
直そうとは努力しているが、なかなかどうして難しい。
これ以上、向こうに気をやってしまい、負けてしまうのは、本末転倒なので、改めて目の前の男達へと視線を戻した。
………………うん、これなら大丈夫だね。
囲んでいる5人の男達の力量が一瞬で解ってしまう程度であったため、僕は軽く肩を落とし、息を吐き出して気持ちを切り替えた所で、若干右半身になって鞘に左手を当てると、5人から流れる気配が変わった。
成る程、【それなり】には出来るみたいだけど……そこまでだね。
再度男達の後方に視線を向けると、半甲冑の女性は、【リザードマン】を場外へ追い遣ったらしく、全身甲冑に身を包んだ大柄な戦士を打ち負かした【ミノタウロス】と対峙していた。
拙いな……突剣の様な得物を扱う武術は、完璧なる力業と相性が良いと云えば良いが、基本的に長期戦となってしまうため、事【魔物】相手では、その体力の差から、負けてしまう可能性が高い。
是非とも立ち会いをしたい身としては、ここで時間を使う訳にはいかない。
「――悪いけど、一瞬で終わらせてもらうよ」
「「「「「???」」」」」
本来ならば、例え得物を持っていたとしても、刀を使用する程でもない相手だが、寸刻でも惜しい今は贅沢を言ってられない。
右半身のまま、真っ直ぐに前を向いた右足と垂直に踏み出した左足の裏が地に着くと同時に、右足を蹴り出す形で、頭の高さを変えずに勢い良く前に飛び出す。
本来ならば上昇に使われる筈の力も前進するための推進力にする事により、常人の知覚の範囲外迄一気に加速するが、前に飛び出した右足を腰のキレを利用して、左足と平行にする事により、右足の端が留め金の役割を果たし、全身を使った加速と、飛び出すために縮めた身体を開く勢いを乗せた抜刀を行い、目の前3人の得物を根本から切り裂き、返す刀を大きく半円を描く様にする事により、残り左右の2人の得物も切り落とす。
左手側に来た刀の背に鞘の鯉口を当て、左足を再度踏み出した勢いで刀の先端まで走らせ、鞘を若干前に押し出して剣先を収めた所で、続く右足で刀の全身を収める。
――鍔鳴り。
通り過ぎた背後の男達から、自分の得物がその根本から切り落とされている事に驚愕する声が聞こえる。
それもその筈だ。
彼等からしたら、僕がいつの間にか通り過ぎ、鍔鳴りと共に自分の得物が切れた様に感じた筈だからね。
「未だ、僕と戦うかい?」
今度は一切の手加減をしない意志を込めて、背後の男達へ言葉を投げ掛ける。
例え、ここで諦め悪く残り、他の者達を打ち負かしたとしても、結局は僕を相手にする事になり、どちらにしても敵わぬと結論付けたのか、暫くすると男達の気配が遠離り、闘技場から降りる音が聞こえた。
これで一段落か……さて、今度はあちらに向かわなくてはいけないのだが――。
それまで全く興味を示さなかった周りの【魔物】達が一気に僕の周りに集まって来ていた。
どうやら、先の男達を振り払う際の技を見て、興味を持たれてしまったらしい。
あの技を見ても怖じ気付かず、真っ向から向かってくるだけあり、先の男達とは打って変わり、統率は取れていないものの、その重圧は比じゃない程だ。
【ホルスタルス】【アラクネ】【ラミア】【ホーネット】――パッと見ただけでも、力、技、魔法、そのどれかに特化した【魔物】がバランス良く紛れており、一筋縄ではいかない相手ばかりだ。
その、何て云うか……「急がば回れ」って良い諺だと改めて思ったよ、うん。
僕は自らの頬を挟むように叩いて気持ちを入れ替え、鞘から刀を引き抜いた。
日の光を浴びて刃紋に合わせて鈍く光るその刀身に僕への包囲網を縮めていた【魔物】達の歩みが止まる。
反応が良い事は1人の武士としては嬉しい限りなのだが、事ここに到っては、困ってしまう以外の何物でもない。
「今ちょっと急いでいるから、痛い思いをするかもしれないけど、それは覚悟してね」
それだけ伝え、僕は目の前の【魔物】達へ肉薄する。
男子に恵まれなかった騎士の名家である【ヴァルク家】の頭首である我が父は、幼き頃より騎士道に憧れ、錬磨していたわたしに、その長き歴史と技術を惜しみなく伝授してくれた。
多分、既に長女と次女が立派な騎士でもあり貴族でもある婿を貰っている事と、わたし自身が5人姉妹の末子でもあるのが重なったからこそ、そのようにしてくれたのだろうと考えられる。
幾ら婿とはいえ、所詮は他人だ。数世紀に渡り、騎士として家を維持し、建ててきた【ヴァルク家】の頭首としては、その由緒ある歴史と技術は、直系の者に残したたいとの考えが少なからずあったのだろう。
只、そんな思惑等わたしには関係ない。
わたしは自らの技能と精神を更なる高みへと誘える、父からの厳しくも優しさに満ちた指導が嬉しく、その全てを覚えるため、昼夜問わず己を磨き続けた。
そのおかげか、成人を迎えた現在、近隣諸国の剣技大会でわたしを打ち負かす者は居なくなり、既に現役を引退してしまった父では、わたしの稽古の相手はキツクなってしまったため、今では父直属の近衛騎士団の団長を収めている【リザードマン】が専らの相手であった。
けれども、その【リザードマン】は結局は父直属の近衛兵団の団長のため、有事の際には、そちらを優先せなばならず、稽古の相手としてはやはり物足りなさがある。
稽古の相手も満足におらず、近隣諸国の剣技大会は全て治めてしまい、己の力を余していたため、貴族でありながらも傭兵の様な事を隠れて行っていた所、わたしの行動を危ぶんでいた父に見付かってしまった。
その後、広間に呼び出されたわたしは、生き甲斐であり、人生でもある剣を奪われてしまいそうになったが、姉達が間に入った事により、その場は治まった。
……しかし、事はそれだけで治まる訳もなく、父から最も云われて欲しくない言葉を云われてしまった。
「エリーナ、オマエには苦労を掛けたが、家はアイナが居るから、もうそんな無理をせずとも大丈夫だ。婿を貰うか嫁に入るかをして、落ち着きなさい」
ハッキリ云ってしまえばショックだったし、どうすれば良いのか悩んでしまった。
これまでの人生の大半を己の技術と精神を磨く事だけに費やしてきたわたしにとっては、剣技大会で優勝するよりも難しい事であったし、何よりも自分よりも弱い男には興味がなかった。
近隣諸国の貴族の男達は皆わたしよりも剣技も精神も弱く、とてもじゃないが、相手をしたくなかったし、これまでの傭兵に似た仕事をしていた時も、自分よりも機転や技量がある者がいなかった。
そんな現状で、先のような事を云われてしまい、本当に困ってしまった。
だが、それと同時に、これはチャンスであると思った。
これまで隠れて行っていた更なる錬磨を正々堂々と行えるのではないか、っと。
父にこれまでの自分の気持ちを嘘偽り無く伝え、そして、最後にこの言葉を伝えた。
「わたしは自分よりも技術、精神が弱い者を夫として認める訳にはいきません。そのため、夫捜しのためにも旅をさせて下さい」
騎士として、常に最前線に立ち、部下を率いていた父は、わたしの騎士としての誇りを尊重してくれたのだろう、この最後の言葉に渋々とだが、頷いてくれた。
そして、只旅をしても難しいであろうとの父としての優しさから、この【ブリュンヒルデ】の【武闘大会】を伝えてくれた。
これまでの剣技大会から、所詮は人数が多くなっただけと侮っていたが、わたしは今程己を叱咤したいと感じた事はない。
考えてみれば、わたしはこれまで1対1の戦いばかりで、多対一の経験は余り無く、精々が2対1か3対1程度であったため、この様な周り全てが敵という経験はほぼ皆無であった。
そのため、数人しか打ち負かしていないのに、思ったよりも体力を消耗してしまい、これまで練習相手として経験が多かったからこそ【リザードマン】迄は退けられたが、続く【ミノタウロス】には非常に拙い状態になってしまっていた。
パワータイプとは数得きれない程相手をしてきたが、これまでの比じゃない。
【ミノタウロス】とは初めて戦うが、彼女達がこれ程の力があるとは思わなかった。
以前、剣技大会で【竜殺し】との異名を持つ大剣の使い手と戦った事があるが、あの鉄塊と見紛う程の大剣ですら、このパリーイング・ダガーで受け流し切れたのに、彼女のその長身の身の丈程あるバトルアックスから放たれる一撃は、受け流した腕だけでなく、身体毎持って行かれてしまい、本来ならば受け流された隙を付いて行う攻撃が一切出来ず、防戦一方となってしまう。
借りに上手く受け流せたとしても、わたしのレイピアでは、筋の隙間を突いても、それ程ダメージを与えられず、だからといって、致命傷となってしまう所は【大会規定】に引っ掛かってしまう危険性があり、狙えない。
ほぼ無傷であるわたしと身体の到る所にレイピアの傷がある【ミノタウロス】――けれども、今回の大会に於いては、既に体力が切れ欠けているわたしよりも、まだまだ気力溢れる彼女の方が有利なのは明らか。
彼女もそれには気付いているらしく、自慢のバトルアックスを軽々と持ち上げ、肩に担いだ。
「もう勝負は見えてきたねぇ……どうだい? ここらで退いちゃくれないかねぇ? アンタだって、痛い思いはしたくないだろう?」
決して嫌味でなく、只単に事実だけを述べたその笑顔は、何処迄も清々しく、わたしも自嘲気味に答える。
「そうしたいのは山々なのですが、残念ながら、騎士の家に生まれ、騎士として育てられたわたしは、【退却】という2文字を持ってはいないのです」
「そりゃ残念だ……残念過ぎて、ちょっと痛い思いをしてもらう、よっ!!」
最後の掛け声と共に、肩に担いでいたバトルアックス頭上で一回転させると、その勢いのまま側面を叩き付けてきた。
余りの大振りな一撃のため、受け流す事はせず、後ろに一歩下がり、かわそうとした所で、膝に力が入らず、その場に尻餅をついてしまった。
一瞬何が起きたのか理解出来ず、対峙していた【ミノタウロス】も真逆相手がその場にへたり込むとは思わなかったらしく、唖然とした表情になっていた。
迫り来るバトルアックスの側面は、立っていればわたしの胴体から腹部の辺りだが、今は頭部に直撃コース。
幾ら側面とはいえ、あれだけの質量と速度を持った物が頭部に衝突した場合、待っているのは確実な死。
腕に力を込めて立ち上がろうとするが、全然力が入らず、腰が若干上がる程度。
確か【大会規定】では、【相手を殺しちゃいけない】とはあったけど、お互いに全力を出し切った【不慮な事故】の場合はその次第じゃない筈。
そうこう考えている内に、わたしを死へと誘うバトルアックスが後数十センチの所に迫っていた。
――あぁ、短い人生だったわ……御父様、申し訳御座いません。
目を瞑り覚悟を決めたわたしに届いたのは、人の頭部ならば軽く粉砕する程の質量と速度を持ったバトルアックスの一撃ではなく、わたしの前に何かが到来した際に発生した突風と、そちらに引き寄せられる感覚、それと砲弾か何かが直ぐ傍に飛来したかの様な爆音と衝撃。
何が起きたかは解らないけど、身体に感覚がある事から、未だ生きている事だけは理解出来たわたしは、現状を確かめるため、ゆっくりと瞼を開いた。
「ま、間に合った……」
先ず初めに左目にとても綺麗な宝珠を義眼にした男――いや、少年か――の顔が確認出来た。
宝珠は淡く発光しており、首を動かして確認すると、その光りが少年の身体中を包む様に発生している所から、その宝珠が何らかの魔法具である事が伺える。
漆黒の様な鮮やかとも思える髪を後ろで細い布で縛っている所と、若干袖が広い厚手の白いシャツの上に紐の様な物で前で閉じる形のベストの様なものを着込み、更にスカートの様にヒラヒラして折り目が入っているが、ちゃんと両足に分かれている奇妙なズボンを履いている所から、わたしが居たグループで唯一の【ジパング】出身の少年だろう。
そして、わたしはその少年に、何かから守る様に抱き抱えられている、っと。
「………………っ??!?!」
少年から離れる様に飛び起きるが、やはり未だ体力が回復していなかったらしく、一瞬だけ立ち上がり、少年から2、3歩離れた所で、膝に力が入らず、再び尻餅をついてしまった。
騎士としてはあるまじき失態を2度もしてしまい、恥ずかしさの余り下唇を噛み締め、俯くが、上目遣いに少年の確認すると、わたしを抱き抱えていたとは反対の右手は伸びきっており、その先へ視線を移動させた。
伸びきった少年の右手は掌底の形になっており、その先には何もないが、バトルアックスを振り抜いた形のまま固まっている【ミノタウロス】の右手には棒きれのような物しか無く、わたしが尻餅をついた所にいる少年が無傷。
「……えっ?」
そこから導き出された応えにわたしは目を見開き、言葉を失った。
幾ら魔力で強化され、側面からだとしても、あれだけの質量と速度、わたしのパリーイング・ダガーの方が砕かれるとか思う程の頑丈さを持ったバトルアックスの斧の部分を掌破で砕いたのだ。
未だ信じられず、観客へと視線を向けると、あれだけ騒いでいた観客が皆静まりかえっていて、既に試合を終えている他の闘技場の選手すらこちらを注視している所から、これが事実である事を理解した。
余りの事態に混乱していると、少年はゆっくりと立ち上がり、視線をわたしの上から下へ移動させた。
何故そうされているか解らず、軽く視線から外す様に動くが、どうやら怪我がないかどうかを確認していたらしく、何もない事が解ると、少年は軽く頷き、【ミノタウロス】とへと身体を向けた。
「お2人の決闘を邪魔してしまい、すみません。けれども、僕は彼女と是非立ち会いたいので、申し訳在りませんが、この場は僕に譲っていただけませんか?」
少年からの突然の提案に、最初固まっていた【ミノタウロス】だが、内容を理解したのか、挑発的な笑みを浮かべた。
「譲った場合、アタシにはどんな特があるって云うんだい?」
「う、う〜ん……申し訳在りませんが、特にないですね……」
「それじゃ〜、無理な相談だねぇ〜……まぁ、どうしてもって云うのなら――」
そこで【ミノタウロス】は使いもにならなくなった元バトルアックスを後方に投げ捨て、前傾姿勢を取った。
「力尽くで奪いな!」
言い終えると同時に、わたしでは反応するのすら難しい程の速さで【ミノタウロス】が突進し、あの巨大なバトルアックスを軽々と扱う強靱な両腕で少年を捕らえた。
「口程でも無いねぇ! このまま締め上げた後、二度とその軽口を出来ない様にお仕置きを――」
「こっちですよ」
捕らえられ、骨の軋む音と共に悲鳴を上げるであろうと思われた少年の声が【ミノタウロス】の背後から聞こえ、わたしと彼女が虚を突かれていると、突然【ミノタウロス】の巨体が傾き、締めていた両の腕を無理矢理広げられる程の凄まじい勢いで後ろから何かが衝突し、そのままの場外へと飛ばされた。
次々と繰り出される想像を超える事態に、唖然としてしまっていると、吹っ飛ばされた【ミノタウロス】の元居た所には、案の定、少年が背中をこちらに向ける奇妙な半身で立っていた。
少年はゆっくりと体勢を戻すと、こちらへ歩いて来て、多分、彼の間合いギリギリであろう、わたしから5メートル程離れた所で立ち止まった。
「本当はこの状態ではなく、アタナと立ち会いたかったのですが……すみません、あの一撃を止めるためには、この状態になるしかなかったので……」
「いや、助けてもらったわたしが云うのはオカシイけど、そんなに気に病む必要はないわ」
「そう云ってもらえると、助かります。では、序でですが、今から行う事も決してアナタを貶めるための行為ではありません。僕の小さな矜持のために行う事です」
それだけ云うと、少年は袖の中から眼帯を取り出し、左目に付けた。
瞬間、人間の小さな器では収まりきらず、炎の様に揺らめき、全身を覆っていた出鱈目な魔力が嘘の様に静まると同時に、少年が片膝をつき、肩で息をする程憔悴した状態になった。
――成る程、そういう事ね……。
あくまでも少年はフェアで戦いたいって事ね……でもね、それは、わたしにとって、何事にも代え難い屈辱なのよ!
勝てるだけの圧倒的な実力があり、ソレを見せ付けて尚、押さえ込むってのは、確かにスポーツの世界では有りかもしれないけど、これは決闘!
お互いの全身全霊、持てる技術と精神の全てを注いで挑まなければならない場で、ソレを行うのは只の欺瞞であり、相手に対する最大の侮辱よ!
わたしは内で一気に燃え上がった激情を抑える事をせず、勢いに任せて未だ若干笑ってしまう膝を無理矢理押さえ込み、レイピアを構え直して、一気に少年へと近付いた。
そして、レイピアの先端を眼帯に引っ掛けた所で、漸くわたしの内に宿る激情と行動を理解したらしく、少年は目を見開いて、わたしを直視したが、もう遅い。
「1人の騎士であるわたしにとって、これ程の侮辱を受けたのは初めてよ」
「ち、違うんです! これは――っ」
身勝手な言い訳なんて聞く耳無いわ。
右手首を軽く動かし、眼帯を無理矢理外した。
――音が消えた?
いや、音だけじゃない、自分の立っている感覚すら危うい。
石で作られた闘技場の上に立っている筈なのに、粘着性の高い水の中にいるような浮遊感。
見えている映像すらもぼやけてしまい、匂いも何も感じず、どうやら五感の全てが異常な状態になってしまったみたい。
全ての感覚が狂ってしまった中、何故か先程のバトルアックスの比じゃない程の【確実なる死の感覚】が訪れ、咄嗟に後ろに飛び退いた。
何かがわたしを眼前を下から上へ通り過ぎた途端、全ての感覚がクリアになった。
胸部のプレートアーマーが爆ぜ、下に着込んでいたチェーンメイル毎衣服が破けて乳房が露わになってしまったが、それ所じゃない。
何だ、アレは?!
さっきの時よりも魔力が膨れ上がっている?!!
アレが人間なのか??!
いや、そもそも、例え【魔物】であっても、あんな出鱈目な魔力を所持しているのなんかそうそういるものじゃない!
もし居たとしたら、それはもう御伽噺の中の存在か、一部の人々から【神】と呼ばれるクラスだ。
とてもじゃないが、【人間】が相手になるものじゃないない!
何故、全ての感覚が一時的に狂ったのが漸く解った。
アレ程のプレッシャーをマトモに受けてしまったら、正気を保っていられないからこそ、防衛本能として五感を切ったのだ。
そして、【死】という人間にとって一番の回避すべき危機が訪れたため、本能が五感を戻したのだろう。
少年であったモノが一歩踏み出しただけなのに、肌を刺す程の魔力が一気に跳ね上がり、歯が噛み合わず、奥歯が厭な音を立てる。
あふれ出している指向性を持たない魔力が、その内包しているエネルギーを自然現象へと変化させ、少年を中心に周囲に放電現象を発生させて、空気が渦巻く。
存在するだけで周囲の環境までもを変化させ、擬似的な【魔界】を創造するなんて、そんなモノは最早――。
「残念じゃが、アレはれっきとした人間じゃよ……オヌシ達と同じな」
突然の言葉と共にわたしと少年の間に女が現れた。
……そう、何処からか【降り立った】でもなければ、【移動してきた】でもなく、【現れた】のだ。
もし魔法を使用しての出現ならば、何かしらの魔法跡がある筈なのに、それがないとなると、目の前に突然【現れた】女性は【ずっとこの近辺に居た】事となる。
――何という隠形技術。
魔法の域に迄達した隠形技術など、わたしはこれまで見た事も聞いた事もない。
一体どれ程の錬磨を詰めばこれ程迄の域に達するというの……。
しかも、わたし達【貴族】のみが着用する事を許される正装である事やその特徴的な耳や口の端から見え隠れしている【牙】からして、この目の前に存在する、女のわたしの目から見ても悔しい位の美しさを所持している麗人は、【魔物】の中でも上位に位置し、【闇の支配者】【夜の眷属】等数多の二つ名を持つ者――【ヴァンパイア】だろう。
そう【ヴァンパイア】であろう筈なのに、何であんな隠形技術を使う事ができるの??
今は昼間。
どんなに強力な個体でも、その力の殆どを失ってしまい、人間の女性と何ら変わらなくなっってしまう筈なのに、目の前の【ヴァンパイア】は、魔技と云える程の技術をいとも容易く、それこそ、呼吸をするかの如く行っている。
「ふむ……解せぬ、っと云った顔をしているな。まぁ、ワシの正体と力量を一瞬にして判断できる位の能力があれば、そうなっても仕方無いからのぅ……娘、オヌシなかなか見所があるのぅ」
「それはどうも……でも、こんな昼間に、それも決闘中の間に入ったら、危ないわよ」
ふふっ――っと口の端を上げて軽く笑うと、【ヴァンパイア】は少年へと対峙した。
「いや〜、あの状態の少年を止められる者が他に居れば別にワシが出張る必要もなかったんじゃがのぅ〜……どうも居そうにないから、こうしてわざわざワシが居るって訳じゃ。ここの王とやらの傍に居た【デュラハン】と【バフォメット】の2人に任せても良かったんじゃが……如何せん、無駄に被害が増えてしまいそうじゃからな」
それに――っと【ヴァンパイア】は右手の人差し指を1つ立てた。
「もし下手に相手をして、駄目だった場合、あの少年に犯されて手が付けられなくなるからのぅ。オヌシがそれでも良いと云うのなら、構わぬが?」
「なっ?!?……後はお、お任せするわ!」
わたしはそれだけ伝え、足早に闘技場から降りた。
確かにわたしは1人の騎士ではあるけど、女でもあるの。
ここでの辞退は、騎士としてのプライドが許さないけど、今後の人生を掛けられるか、っと自分に問うた場合、全く持って頷けないため、悔しいけど、あの【ヴァンパイア】にこの場は任せて、わたしは戦いの場から降りる事にした。
僕の人生、余り宜しくない事ばかりではるあけど、ここまで続けざまに起きるのは、久し振りだ。
同日中の度重なる【禁珠眼】の解放――これが戦場ならば、この出鱈目な【氣】を解放すべく己の持てる技術を発揮すれば良いのだが……ここは、闘技場であるため無闇矢鱈に解放してしまえば、周りに居る人達を巻き込みかねない。
更に厄介な事に、先程の突剣の女性が近過ぎたため、距離を取ろうとして振り払った手が、誤って装備に触れてしまったらしく、爆ぜてしまい、その、何と云うか……大きくはないが決して小さくもない程良い形の女性の胸が露わになってしまい、只でさえ膨大な【氣】によって危うい理性に追い打ちを掛けれてしまった。
拙い、非常に拙いぞ……。
もし事に及んでしまった場合、連日に渡る戦闘と度重なる解放で高ぶってしまっているこの身体と氣では、並の女性では下手をしたら気を遣ってしまうし、例え【魔物】であったとしても只じゃ済まない。
そして、何よりも両者の合意でなく、力尽くで女性にそのような事をしてしまうのは、武士としての矜持が許さない。
――あぁ、でも、この身体の奥底から這い上がってくる云い様の無い衝動に負けてしまえば、どれ程楽なものだろうか……。
意識をしていないのに、右足が一歩前に出てしまい、目の前の女性の目に【怯え】の意志がハッキリと見て取れた。
最悪だ……この女性は僕の事を完璧に恐れてしまい、最早戦い所ではなく、それ以前の問題だ。
立っているだけで周囲の氣を勝手に集めてしまい、真綿でゆっくりと、しかし、確実に首を絞められる様に理性を削られているのに、これといった解決策が浮かばず、焦りだした所で、僕と女性の間に突然、生有る者ならば、その全てが息をするのも忘れてしまう程の美しさを持った麗人が現れた。
日の光を浴びて白銀に輝く肩口で切り揃えた髪。
名のある鍛冶が作成した刀を思わせる切れ長で鋭い眼光と特徴的な耳。
決して相手を侮っているからではなく、自分が【上】である事を確信している者だけが出来る口の端を若干上げた不適な笑みを浮かべ、そこから覗かせる刃の様な【犬歯】。
身長は僕と同じ位だから5尺7寸といった所か。
黒を基調とした豪勢な丈の短い婦人服に身を包んでいるが、それでも尚主張する女性としての象徴。
身体の線を強調する様な服装のため、全体的に細い印象を受けるが、これまでの外見的特徴から察するに目の前に突然【現れた】女性は、【魔物】の中でも最も強力な部類に入る【ヴァンパイア】と呼ばれる種族だろう。
確か書物から得た情報だと、【ヴァンパイア】は日の光の下では、人間の女性とそれ程変わらない所迄身体能力が下がってしまうとなっていた筈だ。
もし、その情報が間違えていなければ、目の前に現れた【ヴァンパイア】は、【人間の女性程の身体能力のまま、魔法の域に迄達した隠形技術を使用した】事になる。
そんな無茶苦茶な事を出来るとなると――
少しはこの氣を発散できそうじゃないか。
無茶苦茶に集まってくる氣によって散り散りになっていた理性が静まり、思考が鮮明になる。
ふと、視線を動かすと、いつの間にか突剣の女性が闘技場から降りていた。
突剣の女性が戦闘を辞退したのならば、これ以上戦いを続ける理由はないのだが、今目の前に居る【ヴァンパイア】がどれ程の使い手なのか気になってしまった僕は、それまで指向性を持たずに只の自然現象になってしまっていた【氣】を呼吸と共に整え、丹田へと落とし込む。
途端に静まる突風と放電。
静まりかえる会場。
それに合わせて【ヴァンパイア】の頬が歪む。
「何だ、やれば出来るじゃぁないか、少年」
「そりゃ〜、僕も伊達や酔狂で【禁珠眼(このめ)】を使っている訳じゃないですからね」
「ふふっ、先ずは合格、っと云った所じゃが――」
――頬を風が撫でると同時に訪れる腹部から背面に突き抜ける様な凄まじい衝撃。
余りの衝撃に後ろへ飛び退き、状況を把握するが、先程迄僕が立っていた場所に【ヴァンパイア】が居て、彼女は2、3歩踏み込んで来たため、右半身になり、迎え撃つ体勢を取るが、一瞬の虚を突かれ、前に出していた右腕を打ち上げられてしまい、腕によって死角となってしまった鳩尾へと先程の比じゃない程の衝撃が訪れ、肺の中の空気を全て無理矢理押し出された。
酸欠になり、薄くなる意識の中、瞬時に何をされたのか理解した僕は、身体の中に停滞している衝撃を少しでも逃がすべく、中心軸をズラそうとするが、正確無比に真芯を打ち抜かれてしまっており、一切の抵抗を許さず、逃げ場を失った衝撃が体内で爆発する。
逆流する空気と血流。
顔の穴という穴から吹き出す血飛沫。
視界が紅く染まり、耳から流れ出す血液で音も聞こえない。
鼻腔を刺激するは鉄の香り。
酸素を取り入れようにも、体内で爆発した衝撃のせいで横隔膜と気管が蠕動運動をしてしまい、それ所じゃない。
生命活動を維持するために必要な酸素と血液を一瞬にして失ってしまった僕は、混濁する意識の中、全てを手放し片膝を着きそうになるが――。
「そんな事、できるかぁ〜〜〜っ!!」
――ダンッ!
崩れそうになる身体を大きく踏み締めて留め、頭を振るって残っている血液を外に振り払う。
未だ視界に紅く霞が掛かり、音も何となくでしか聞こえず、頭も鉛の様に重たいが、大丈夫、これくらいなら、充分戦える。
真芯を2度も打ち抜き、既に勝負は着いたと確信していたのか、僕に背を向け、数歩先を歩いて居た【ヴァンパイア】が立ち止まり、軽く振り向いた。
「おや、あのまま倒れていれば、その後も楽であったのにのぅ」
「確かにこのまま意識を手放してしまえば、この力も静まり、万事丸く治まるけど、【禁珠眼】を発動している今の僕の真芯を続けざまに2度も打ち抜く程の兵が目の前に居るのに、黙って寝ている訳にはいきませんよ」
「トクショウな事じゃ……ならば――」
あっ、この状況、拙い……。
「オヌシが倒れる迄、相手をしようぞ」
衝撃――鳩尾付近に蹴りを受け、ヒビが入っていたであろう肋が折れた。
痛撃――折れた肋に添えた腕の上から更に蹴りを受け、内蔵に肋が刺さり、吐血。
虚撃――吐血した際に下を向いた頭部の左側面から横に薙ぐ一撃を受け、視界がブレる。
連撃――喉、脇腹、腰椎に鋼鉄の鈍器で殴られた様な流れる衝撃を受ける。
更なる連撃――後ろに居るであろう【ヴァンパイア】を離すべく、腕を振るうが、その際に捻った身体の隙間から頸椎、鳩尾、脇腹へ続けざまに衝撃が走る。
ま、拙い……正確無比に人間の弱点を突いてくるのもそうだが、僕の身体を中心に回る様に流れる連撃は何だ??
相手を補足出来ない所か、遠心力が加わり、鉄の棒で殴られている様な衝撃だ。
昼間のため、今相手をしている【ヴァンパイア】は人間の女性程の身体能力しかない筈なのにこれでは、武術の技量に関して云えば、桁違い過ぎる。
【禁珠眼】を解放してこれでは、零距離での近接戦闘に於いてならば、僕が今迄経験して来た中で、最上位に位置する程の実力を持っているぞ。
これ以上、一方的に打撃を受けては、耐えられない。
先ずは距離を取らせてもらう。
地を軽く足で踏み締めると、僕を中心とした小さな円状に、闘技場を突き破って長さ数間はあろう巨大な刀が突如として無数に現れるが、それも一瞬の出来事で、その姿が徐々に薄くなると何事もなかったのかの如く消え失せた。
あわよくば掠り傷の1つでもと思ったが、やはり世の中はそんなに上手くは出来ておらず、既に飛び退いており、僕から数間離れた位置に音もなく着地した。
「ほう、隠器術も扱えるのか。オヌシ、面白いのう」
「それはどうも」
【ヴァンパイア】からの軽口に簡単な言葉で答える。
余りにも打撃を受け過ぎたため、僕の内部はグズグズになってしまい、簡単な言葉ですら口に出すのが苦しいので、一呼吸置いて、一気に言葉を紡ぐ。
「我、天地神祇の理を持って、五行両義の――」
「それは駄目じゃ」
トンッ――いつの間にか背後に移動していた【ヴァンパイア】に脊髄の一点を指で押されて動けなくなり、それ以上言葉を続けられなくなってしまった。
まただ。
この一瞬の【虚】を突いた反応不可の妙技。
幾ら何でも、ここまで完璧に僕の行動を押さえ込まれてしまっては、全てを読まれているとしか思えない。
試しに言葉を続けようとすると――
「止めておけ。今ワシが【ドコ】を【どの様に】抑えているのか、解らない訳じゃなかろう?」
――っと僕が行動を起こす準備前からそれを抑えに入る。
間違い無い。
僕ですら相手の動きはその【兆し】を読む程度が限界なのに、この【ヴァンパイア】は数手先、もしくは数百手先迄読んでいる。
しかも、その種類、角度、距離も把握しているので、下手をしたら、対峙しただけで勝負が決まっていると云っても過言ではない程だ。
心技体全てに於いて格上で、天地人迄もを奪われたとあっては、最早僕に抗う術は無い。
あれだけ集まっていた氣も、【ヴァンパイア】からの乱打で壊れた身体を治すのに殆ど使われてしまい、先程の様な力が暴走してしまう事ももうないだろうから、ここで諦めて戦意を沈めるのが得策なのだが……でも………………あぁ、でも、主からの勅命があるとはいえ、【武士】には敵前逃亡の言葉はない。
そして、この【ヴァンパイア】は、武士にとって己の命を掛けて一撃を放つに値する相手。
ならば、やる事は1つ。
今持てる全身全霊で挑むだけだ。
足の裏を一気に持ち上げる要領で膝に力を入れると同時に腰を落とし込み、その落下を利用して抜刀しつつ、再度地に足の裏が着く直前に股関節を開く。
足の裏が着地すると、それまでの一連の流れが突然止められるため、反動で加速した腰のキレと股関節を活かした後ろ振り向きからの一閃。
――手応え無し。
やっぱりね。
軽い違和感。
腹部から生える一本の刃。
振り返らなくても解る。
今持てる全身全霊で挑み、僕は――
負けたのだ……。
久し振りに味わう敗北。
何度味わっても慣れるものでもないが、今回ばっかりは晴れ晴れとした気持ちだ。
口の端を持ち上げ、苦笑する。
「……アナタの勝ちだ」
「今回は、であろう?」
含みのある軽口を叩き合い、意識と共に崩れ落ちそうになる膝を無理矢理奮い立たせた所で、僕は暗闇に落ちた。
……平たく云ってしまえば、勝ち抜き戦を行っていた。
どうやら、あのAからZまでの文字は選手枠を表していたもので、それぞれの文字が書かれていたあの小部屋に集まっていた戦士達は、その選手枠候補であった、っという事か。
そして、今僕はその選手枠を決めるための勝ち抜き戦を行っている、っという訳か。
僕の所が確か「A」だから、順当に行っている筈なので、同じ様に勝ち抜き戦を行っている残りの3つの闘技場は、それぞれ「B」「C」「D」なのだろう。
――っといつもの様に冷静に状況把握しても、全く持って状況が芳しくならないのは、これまたいつもの事か……。
僕は5人の人間の男の戦士達によって、闘技場の端まで追い込まれていた。
半ば自分から下がったとはいえ、場外は即退場の規定の下では、非常に宜しくない事態である事に変わりない。
5人の戦士達は、多分、「歳も若いし、片目が眼帯の制限もある僕から潰して、なるべく体力を温存して戦おう」との考えから、この様な行動に出ているとは思うけど……統率は取れていないし、僕への重圧の掛け方も中途半端、その上、人数で勝っているのに及び腰の者までいる始末じゃ、例え何かの間違えで勝ち残ったとして、次で負けるのは確実だ。
そんな者のために選手枠を渡すのは勿体ないし、何よりも、僕自身譲る気なんてこれぽっちもない。
挟撃、騙し討ちは、【戦場】では称賛されて然るべき行動であるため、この様な行動にでるのは、戦いの定石であり、何も恥ずべき事ではないけど、如何せんこの者達は実力が余りにも伴っていな過ぎる。
僕みたいに全く前情報無く完璧な飛び入りじゃない筈だから、それなりに実力があるからこそ登録したと思うけど……これは酷い……。
ちらりと男達の後方へ視線を向けると、半甲冑のプレートアーマーを着込んだ薄茶色の髪をした女性が【リザードマン】と互角以上の戦いを繰り広げているのを確認した。
扱っている得物は――突剣と短剣か……。
左手に持った短剣を前に出した半身となり、相手の攻撃を誘いつつ牽制し、実際に切り込んできたら、その肉厚で丈夫な短剣で受け流し、右手に持った突剣で適確に鎧や筋の隙間を穿ち、確実に相手の戦力を奪う。
指南書通りの戦い方ではあるが、それ故に非常に理に適った戦法だ。
しかも、あそこまで上手く受け流し、正確に鎧や筋の隙間を突ける所からして、あの女性は相当な使い手であると考えられる。
確か突剣は大陸の貴族の間では、騎士道精神の象徴として扱われ、それを用いての戦闘は【決闘】となり、己が全身全霊を持って相手をするとの意味も持っていると聞いた事がある。
……まぁ、僕の情報は行商から聞いた事なので、どこまでが真実か解らないが、扱っている突剣の柄に華麗な装飾を施された手の甲を覆う湾曲した金属板が取り付けられている所や、半甲冑の背中に家紋の様な紋様が施されているため、それなりの家の女性で、かなりの実力を持っているのは確実だ。
「……をい、良い加減にしろよ……オマエ、今自分が於かれている立場が解っているのか?!」
半甲冑の女性戦士の技量に関心していると、突然目の前の男達の1人から怒声を投げられ、そういえば余り宜しくない事態である事を改めて気付いた。
事戦闘に関して、素晴らしい技術を見せ付けられてしまうと、如何なる時でもそちらに気を持って行かれてしまうのは、僕の悪い癖だ。
直そうとは努力しているが、なかなかどうして難しい。
これ以上、向こうに気をやってしまい、負けてしまうのは、本末転倒なので、改めて目の前の男達へと視線を戻した。
………………うん、これなら大丈夫だね。
囲んでいる5人の男達の力量が一瞬で解ってしまう程度であったため、僕は軽く肩を落とし、息を吐き出して気持ちを切り替えた所で、若干右半身になって鞘に左手を当てると、5人から流れる気配が変わった。
成る程、【それなり】には出来るみたいだけど……そこまでだね。
再度男達の後方に視線を向けると、半甲冑の女性は、【リザードマン】を場外へ追い遣ったらしく、全身甲冑に身を包んだ大柄な戦士を打ち負かした【ミノタウロス】と対峙していた。
拙いな……突剣の様な得物を扱う武術は、完璧なる力業と相性が良いと云えば良いが、基本的に長期戦となってしまうため、事【魔物】相手では、その体力の差から、負けてしまう可能性が高い。
是非とも立ち会いをしたい身としては、ここで時間を使う訳にはいかない。
「――悪いけど、一瞬で終わらせてもらうよ」
「「「「「???」」」」」
本来ならば、例え得物を持っていたとしても、刀を使用する程でもない相手だが、寸刻でも惜しい今は贅沢を言ってられない。
右半身のまま、真っ直ぐに前を向いた右足と垂直に踏み出した左足の裏が地に着くと同時に、右足を蹴り出す形で、頭の高さを変えずに勢い良く前に飛び出す。
本来ならば上昇に使われる筈の力も前進するための推進力にする事により、常人の知覚の範囲外迄一気に加速するが、前に飛び出した右足を腰のキレを利用して、左足と平行にする事により、右足の端が留め金の役割を果たし、全身を使った加速と、飛び出すために縮めた身体を開く勢いを乗せた抜刀を行い、目の前3人の得物を根本から切り裂き、返す刀を大きく半円を描く様にする事により、残り左右の2人の得物も切り落とす。
左手側に来た刀の背に鞘の鯉口を当て、左足を再度踏み出した勢いで刀の先端まで走らせ、鞘を若干前に押し出して剣先を収めた所で、続く右足で刀の全身を収める。
――鍔鳴り。
通り過ぎた背後の男達から、自分の得物がその根本から切り落とされている事に驚愕する声が聞こえる。
それもその筈だ。
彼等からしたら、僕がいつの間にか通り過ぎ、鍔鳴りと共に自分の得物が切れた様に感じた筈だからね。
「未だ、僕と戦うかい?」
今度は一切の手加減をしない意志を込めて、背後の男達へ言葉を投げ掛ける。
例え、ここで諦め悪く残り、他の者達を打ち負かしたとしても、結局は僕を相手にする事になり、どちらにしても敵わぬと結論付けたのか、暫くすると男達の気配が遠離り、闘技場から降りる音が聞こえた。
これで一段落か……さて、今度はあちらに向かわなくてはいけないのだが――。
それまで全く興味を示さなかった周りの【魔物】達が一気に僕の周りに集まって来ていた。
どうやら、先の男達を振り払う際の技を見て、興味を持たれてしまったらしい。
あの技を見ても怖じ気付かず、真っ向から向かってくるだけあり、先の男達とは打って変わり、統率は取れていないものの、その重圧は比じゃない程だ。
【ホルスタルス】【アラクネ】【ラミア】【ホーネット】――パッと見ただけでも、力、技、魔法、そのどれかに特化した【魔物】がバランス良く紛れており、一筋縄ではいかない相手ばかりだ。
その、何て云うか……「急がば回れ」って良い諺だと改めて思ったよ、うん。
僕は自らの頬を挟むように叩いて気持ちを入れ替え、鞘から刀を引き抜いた。
日の光を浴びて刃紋に合わせて鈍く光るその刀身に僕への包囲網を縮めていた【魔物】達の歩みが止まる。
反応が良い事は1人の武士としては嬉しい限りなのだが、事ここに到っては、困ってしまう以外の何物でもない。
「今ちょっと急いでいるから、痛い思いをするかもしれないけど、それは覚悟してね」
それだけ伝え、僕は目の前の【魔物】達へ肉薄する。
男子に恵まれなかった騎士の名家である【ヴァルク家】の頭首である我が父は、幼き頃より騎士道に憧れ、錬磨していたわたしに、その長き歴史と技術を惜しみなく伝授してくれた。
多分、既に長女と次女が立派な騎士でもあり貴族でもある婿を貰っている事と、わたし自身が5人姉妹の末子でもあるのが重なったからこそ、そのようにしてくれたのだろうと考えられる。
幾ら婿とはいえ、所詮は他人だ。数世紀に渡り、騎士として家を維持し、建ててきた【ヴァルク家】の頭首としては、その由緒ある歴史と技術は、直系の者に残したたいとの考えが少なからずあったのだろう。
只、そんな思惑等わたしには関係ない。
わたしは自らの技能と精神を更なる高みへと誘える、父からの厳しくも優しさに満ちた指導が嬉しく、その全てを覚えるため、昼夜問わず己を磨き続けた。
そのおかげか、成人を迎えた現在、近隣諸国の剣技大会でわたしを打ち負かす者は居なくなり、既に現役を引退してしまった父では、わたしの稽古の相手はキツクなってしまったため、今では父直属の近衛騎士団の団長を収めている【リザードマン】が専らの相手であった。
けれども、その【リザードマン】は結局は父直属の近衛兵団の団長のため、有事の際には、そちらを優先せなばならず、稽古の相手としてはやはり物足りなさがある。
稽古の相手も満足におらず、近隣諸国の剣技大会は全て治めてしまい、己の力を余していたため、貴族でありながらも傭兵の様な事を隠れて行っていた所、わたしの行動を危ぶんでいた父に見付かってしまった。
その後、広間に呼び出されたわたしは、生き甲斐であり、人生でもある剣を奪われてしまいそうになったが、姉達が間に入った事により、その場は治まった。
……しかし、事はそれだけで治まる訳もなく、父から最も云われて欲しくない言葉を云われてしまった。
「エリーナ、オマエには苦労を掛けたが、家はアイナが居るから、もうそんな無理をせずとも大丈夫だ。婿を貰うか嫁に入るかをして、落ち着きなさい」
ハッキリ云ってしまえばショックだったし、どうすれば良いのか悩んでしまった。
これまでの人生の大半を己の技術と精神を磨く事だけに費やしてきたわたしにとっては、剣技大会で優勝するよりも難しい事であったし、何よりも自分よりも弱い男には興味がなかった。
近隣諸国の貴族の男達は皆わたしよりも剣技も精神も弱く、とてもじゃないが、相手をしたくなかったし、これまでの傭兵に似た仕事をしていた時も、自分よりも機転や技量がある者がいなかった。
そんな現状で、先のような事を云われてしまい、本当に困ってしまった。
だが、それと同時に、これはチャンスであると思った。
これまで隠れて行っていた更なる錬磨を正々堂々と行えるのではないか、っと。
父にこれまでの自分の気持ちを嘘偽り無く伝え、そして、最後にこの言葉を伝えた。
「わたしは自分よりも技術、精神が弱い者を夫として認める訳にはいきません。そのため、夫捜しのためにも旅をさせて下さい」
騎士として、常に最前線に立ち、部下を率いていた父は、わたしの騎士としての誇りを尊重してくれたのだろう、この最後の言葉に渋々とだが、頷いてくれた。
そして、只旅をしても難しいであろうとの父としての優しさから、この【ブリュンヒルデ】の【武闘大会】を伝えてくれた。
これまでの剣技大会から、所詮は人数が多くなっただけと侮っていたが、わたしは今程己を叱咤したいと感じた事はない。
考えてみれば、わたしはこれまで1対1の戦いばかりで、多対一の経験は余り無く、精々が2対1か3対1程度であったため、この様な周り全てが敵という経験はほぼ皆無であった。
そのため、数人しか打ち負かしていないのに、思ったよりも体力を消耗してしまい、これまで練習相手として経験が多かったからこそ【リザードマン】迄は退けられたが、続く【ミノタウロス】には非常に拙い状態になってしまっていた。
パワータイプとは数得きれない程相手をしてきたが、これまでの比じゃない。
【ミノタウロス】とは初めて戦うが、彼女達がこれ程の力があるとは思わなかった。
以前、剣技大会で【竜殺し】との異名を持つ大剣の使い手と戦った事があるが、あの鉄塊と見紛う程の大剣ですら、このパリーイング・ダガーで受け流し切れたのに、彼女のその長身の身の丈程あるバトルアックスから放たれる一撃は、受け流した腕だけでなく、身体毎持って行かれてしまい、本来ならば受け流された隙を付いて行う攻撃が一切出来ず、防戦一方となってしまう。
借りに上手く受け流せたとしても、わたしのレイピアでは、筋の隙間を突いても、それ程ダメージを与えられず、だからといって、致命傷となってしまう所は【大会規定】に引っ掛かってしまう危険性があり、狙えない。
ほぼ無傷であるわたしと身体の到る所にレイピアの傷がある【ミノタウロス】――けれども、今回の大会に於いては、既に体力が切れ欠けているわたしよりも、まだまだ気力溢れる彼女の方が有利なのは明らか。
彼女もそれには気付いているらしく、自慢のバトルアックスを軽々と持ち上げ、肩に担いだ。
「もう勝負は見えてきたねぇ……どうだい? ここらで退いちゃくれないかねぇ? アンタだって、痛い思いはしたくないだろう?」
決して嫌味でなく、只単に事実だけを述べたその笑顔は、何処迄も清々しく、わたしも自嘲気味に答える。
「そうしたいのは山々なのですが、残念ながら、騎士の家に生まれ、騎士として育てられたわたしは、【退却】という2文字を持ってはいないのです」
「そりゃ残念だ……残念過ぎて、ちょっと痛い思いをしてもらう、よっ!!」
最後の掛け声と共に、肩に担いでいたバトルアックス頭上で一回転させると、その勢いのまま側面を叩き付けてきた。
余りの大振りな一撃のため、受け流す事はせず、後ろに一歩下がり、かわそうとした所で、膝に力が入らず、その場に尻餅をついてしまった。
一瞬何が起きたのか理解出来ず、対峙していた【ミノタウロス】も真逆相手がその場にへたり込むとは思わなかったらしく、唖然とした表情になっていた。
迫り来るバトルアックスの側面は、立っていればわたしの胴体から腹部の辺りだが、今は頭部に直撃コース。
幾ら側面とはいえ、あれだけの質量と速度を持った物が頭部に衝突した場合、待っているのは確実な死。
腕に力を込めて立ち上がろうとするが、全然力が入らず、腰が若干上がる程度。
確か【大会規定】では、【相手を殺しちゃいけない】とはあったけど、お互いに全力を出し切った【不慮な事故】の場合はその次第じゃない筈。
そうこう考えている内に、わたしを死へと誘うバトルアックスが後数十センチの所に迫っていた。
――あぁ、短い人生だったわ……御父様、申し訳御座いません。
目を瞑り覚悟を決めたわたしに届いたのは、人の頭部ならば軽く粉砕する程の質量と速度を持ったバトルアックスの一撃ではなく、わたしの前に何かが到来した際に発生した突風と、そちらに引き寄せられる感覚、それと砲弾か何かが直ぐ傍に飛来したかの様な爆音と衝撃。
何が起きたかは解らないけど、身体に感覚がある事から、未だ生きている事だけは理解出来たわたしは、現状を確かめるため、ゆっくりと瞼を開いた。
「ま、間に合った……」
先ず初めに左目にとても綺麗な宝珠を義眼にした男――いや、少年か――の顔が確認出来た。
宝珠は淡く発光しており、首を動かして確認すると、その光りが少年の身体中を包む様に発生している所から、その宝珠が何らかの魔法具である事が伺える。
漆黒の様な鮮やかとも思える髪を後ろで細い布で縛っている所と、若干袖が広い厚手の白いシャツの上に紐の様な物で前で閉じる形のベストの様なものを着込み、更にスカートの様にヒラヒラして折り目が入っているが、ちゃんと両足に分かれている奇妙なズボンを履いている所から、わたしが居たグループで唯一の【ジパング】出身の少年だろう。
そして、わたしはその少年に、何かから守る様に抱き抱えられている、っと。
「………………っ??!?!」
少年から離れる様に飛び起きるが、やはり未だ体力が回復していなかったらしく、一瞬だけ立ち上がり、少年から2、3歩離れた所で、膝に力が入らず、再び尻餅をついてしまった。
騎士としてはあるまじき失態を2度もしてしまい、恥ずかしさの余り下唇を噛み締め、俯くが、上目遣いに少年の確認すると、わたしを抱き抱えていたとは反対の右手は伸びきっており、その先へ視線を移動させた。
伸びきった少年の右手は掌底の形になっており、その先には何もないが、バトルアックスを振り抜いた形のまま固まっている【ミノタウロス】の右手には棒きれのような物しか無く、わたしが尻餅をついた所にいる少年が無傷。
「……えっ?」
そこから導き出された応えにわたしは目を見開き、言葉を失った。
幾ら魔力で強化され、側面からだとしても、あれだけの質量と速度、わたしのパリーイング・ダガーの方が砕かれるとか思う程の頑丈さを持ったバトルアックスの斧の部分を掌破で砕いたのだ。
未だ信じられず、観客へと視線を向けると、あれだけ騒いでいた観客が皆静まりかえっていて、既に試合を終えている他の闘技場の選手すらこちらを注視している所から、これが事実である事を理解した。
余りの事態に混乱していると、少年はゆっくりと立ち上がり、視線をわたしの上から下へ移動させた。
何故そうされているか解らず、軽く視線から外す様に動くが、どうやら怪我がないかどうかを確認していたらしく、何もない事が解ると、少年は軽く頷き、【ミノタウロス】とへと身体を向けた。
「お2人の決闘を邪魔してしまい、すみません。けれども、僕は彼女と是非立ち会いたいので、申し訳在りませんが、この場は僕に譲っていただけませんか?」
少年からの突然の提案に、最初固まっていた【ミノタウロス】だが、内容を理解したのか、挑発的な笑みを浮かべた。
「譲った場合、アタシにはどんな特があるって云うんだい?」
「う、う〜ん……申し訳在りませんが、特にないですね……」
「それじゃ〜、無理な相談だねぇ〜……まぁ、どうしてもって云うのなら――」
そこで【ミノタウロス】は使いもにならなくなった元バトルアックスを後方に投げ捨て、前傾姿勢を取った。
「力尽くで奪いな!」
言い終えると同時に、わたしでは反応するのすら難しい程の速さで【ミノタウロス】が突進し、あの巨大なバトルアックスを軽々と扱う強靱な両腕で少年を捕らえた。
「口程でも無いねぇ! このまま締め上げた後、二度とその軽口を出来ない様にお仕置きを――」
「こっちですよ」
捕らえられ、骨の軋む音と共に悲鳴を上げるであろうと思われた少年の声が【ミノタウロス】の背後から聞こえ、わたしと彼女が虚を突かれていると、突然【ミノタウロス】の巨体が傾き、締めていた両の腕を無理矢理広げられる程の凄まじい勢いで後ろから何かが衝突し、そのままの場外へと飛ばされた。
次々と繰り出される想像を超える事態に、唖然としてしまっていると、吹っ飛ばされた【ミノタウロス】の元居た所には、案の定、少年が背中をこちらに向ける奇妙な半身で立っていた。
少年はゆっくりと体勢を戻すと、こちらへ歩いて来て、多分、彼の間合いギリギリであろう、わたしから5メートル程離れた所で立ち止まった。
「本当はこの状態ではなく、アタナと立ち会いたかったのですが……すみません、あの一撃を止めるためには、この状態になるしかなかったので……」
「いや、助けてもらったわたしが云うのはオカシイけど、そんなに気に病む必要はないわ」
「そう云ってもらえると、助かります。では、序でですが、今から行う事も決してアナタを貶めるための行為ではありません。僕の小さな矜持のために行う事です」
それだけ云うと、少年は袖の中から眼帯を取り出し、左目に付けた。
瞬間、人間の小さな器では収まりきらず、炎の様に揺らめき、全身を覆っていた出鱈目な魔力が嘘の様に静まると同時に、少年が片膝をつき、肩で息をする程憔悴した状態になった。
――成る程、そういう事ね……。
あくまでも少年はフェアで戦いたいって事ね……でもね、それは、わたしにとって、何事にも代え難い屈辱なのよ!
勝てるだけの圧倒的な実力があり、ソレを見せ付けて尚、押さえ込むってのは、確かにスポーツの世界では有りかもしれないけど、これは決闘!
お互いの全身全霊、持てる技術と精神の全てを注いで挑まなければならない場で、ソレを行うのは只の欺瞞であり、相手に対する最大の侮辱よ!
わたしは内で一気に燃え上がった激情を抑える事をせず、勢いに任せて未だ若干笑ってしまう膝を無理矢理押さえ込み、レイピアを構え直して、一気に少年へと近付いた。
そして、レイピアの先端を眼帯に引っ掛けた所で、漸くわたしの内に宿る激情と行動を理解したらしく、少年は目を見開いて、わたしを直視したが、もう遅い。
「1人の騎士であるわたしにとって、これ程の侮辱を受けたのは初めてよ」
「ち、違うんです! これは――っ」
身勝手な言い訳なんて聞く耳無いわ。
右手首を軽く動かし、眼帯を無理矢理外した。
――音が消えた?
いや、音だけじゃない、自分の立っている感覚すら危うい。
石で作られた闘技場の上に立っている筈なのに、粘着性の高い水の中にいるような浮遊感。
見えている映像すらもぼやけてしまい、匂いも何も感じず、どうやら五感の全てが異常な状態になってしまったみたい。
全ての感覚が狂ってしまった中、何故か先程のバトルアックスの比じゃない程の【確実なる死の感覚】が訪れ、咄嗟に後ろに飛び退いた。
何かがわたしを眼前を下から上へ通り過ぎた途端、全ての感覚がクリアになった。
胸部のプレートアーマーが爆ぜ、下に着込んでいたチェーンメイル毎衣服が破けて乳房が露わになってしまったが、それ所じゃない。
何だ、アレは?!
さっきの時よりも魔力が膨れ上がっている?!!
アレが人間なのか??!
いや、そもそも、例え【魔物】であっても、あんな出鱈目な魔力を所持しているのなんかそうそういるものじゃない!
もし居たとしたら、それはもう御伽噺の中の存在か、一部の人々から【神】と呼ばれるクラスだ。
とてもじゃないが、【人間】が相手になるものじゃないない!
何故、全ての感覚が一時的に狂ったのが漸く解った。
アレ程のプレッシャーをマトモに受けてしまったら、正気を保っていられないからこそ、防衛本能として五感を切ったのだ。
そして、【死】という人間にとって一番の回避すべき危機が訪れたため、本能が五感を戻したのだろう。
少年であったモノが一歩踏み出しただけなのに、肌を刺す程の魔力が一気に跳ね上がり、歯が噛み合わず、奥歯が厭な音を立てる。
あふれ出している指向性を持たない魔力が、その内包しているエネルギーを自然現象へと変化させ、少年を中心に周囲に放電現象を発生させて、空気が渦巻く。
存在するだけで周囲の環境までもを変化させ、擬似的な【魔界】を創造するなんて、そんなモノは最早――。
「残念じゃが、アレはれっきとした人間じゃよ……オヌシ達と同じな」
突然の言葉と共にわたしと少年の間に女が現れた。
……そう、何処からか【降り立った】でもなければ、【移動してきた】でもなく、【現れた】のだ。
もし魔法を使用しての出現ならば、何かしらの魔法跡がある筈なのに、それがないとなると、目の前に突然【現れた】女性は【ずっとこの近辺に居た】事となる。
――何という隠形技術。
魔法の域に迄達した隠形技術など、わたしはこれまで見た事も聞いた事もない。
一体どれ程の錬磨を詰めばこれ程迄の域に達するというの……。
しかも、わたし達【貴族】のみが着用する事を許される正装である事やその特徴的な耳や口の端から見え隠れしている【牙】からして、この目の前に存在する、女のわたしの目から見ても悔しい位の美しさを所持している麗人は、【魔物】の中でも上位に位置し、【闇の支配者】【夜の眷属】等数多の二つ名を持つ者――【ヴァンパイア】だろう。
そう【ヴァンパイア】であろう筈なのに、何であんな隠形技術を使う事ができるの??
今は昼間。
どんなに強力な個体でも、その力の殆どを失ってしまい、人間の女性と何ら変わらなくなっってしまう筈なのに、目の前の【ヴァンパイア】は、魔技と云える程の技術をいとも容易く、それこそ、呼吸をするかの如く行っている。
「ふむ……解せぬ、っと云った顔をしているな。まぁ、ワシの正体と力量を一瞬にして判断できる位の能力があれば、そうなっても仕方無いからのぅ……娘、オヌシなかなか見所があるのぅ」
「それはどうも……でも、こんな昼間に、それも決闘中の間に入ったら、危ないわよ」
ふふっ――っと口の端を上げて軽く笑うと、【ヴァンパイア】は少年へと対峙した。
「いや〜、あの状態の少年を止められる者が他に居れば別にワシが出張る必要もなかったんじゃがのぅ〜……どうも居そうにないから、こうしてわざわざワシが居るって訳じゃ。ここの王とやらの傍に居た【デュラハン】と【バフォメット】の2人に任せても良かったんじゃが……如何せん、無駄に被害が増えてしまいそうじゃからな」
それに――っと【ヴァンパイア】は右手の人差し指を1つ立てた。
「もし下手に相手をして、駄目だった場合、あの少年に犯されて手が付けられなくなるからのぅ。オヌシがそれでも良いと云うのなら、構わぬが?」
「なっ?!?……後はお、お任せするわ!」
わたしはそれだけ伝え、足早に闘技場から降りた。
確かにわたしは1人の騎士ではあるけど、女でもあるの。
ここでの辞退は、騎士としてのプライドが許さないけど、今後の人生を掛けられるか、っと自分に問うた場合、全く持って頷けないため、悔しいけど、あの【ヴァンパイア】にこの場は任せて、わたしは戦いの場から降りる事にした。
僕の人生、余り宜しくない事ばかりではるあけど、ここまで続けざまに起きるのは、久し振りだ。
同日中の度重なる【禁珠眼】の解放――これが戦場ならば、この出鱈目な【氣】を解放すべく己の持てる技術を発揮すれば良いのだが……ここは、闘技場であるため無闇矢鱈に解放してしまえば、周りに居る人達を巻き込みかねない。
更に厄介な事に、先程の突剣の女性が近過ぎたため、距離を取ろうとして振り払った手が、誤って装備に触れてしまったらしく、爆ぜてしまい、その、何と云うか……大きくはないが決して小さくもない程良い形の女性の胸が露わになってしまい、只でさえ膨大な【氣】によって危うい理性に追い打ちを掛けれてしまった。
拙い、非常に拙いぞ……。
もし事に及んでしまった場合、連日に渡る戦闘と度重なる解放で高ぶってしまっているこの身体と氣では、並の女性では下手をしたら気を遣ってしまうし、例え【魔物】であったとしても只じゃ済まない。
そして、何よりも両者の合意でなく、力尽くで女性にそのような事をしてしまうのは、武士としての矜持が許さない。
――あぁ、でも、この身体の奥底から這い上がってくる云い様の無い衝動に負けてしまえば、どれ程楽なものだろうか……。
意識をしていないのに、右足が一歩前に出てしまい、目の前の女性の目に【怯え】の意志がハッキリと見て取れた。
最悪だ……この女性は僕の事を完璧に恐れてしまい、最早戦い所ではなく、それ以前の問題だ。
立っているだけで周囲の氣を勝手に集めてしまい、真綿でゆっくりと、しかし、確実に首を絞められる様に理性を削られているのに、これといった解決策が浮かばず、焦りだした所で、僕と女性の間に突然、生有る者ならば、その全てが息をするのも忘れてしまう程の美しさを持った麗人が現れた。
日の光を浴びて白銀に輝く肩口で切り揃えた髪。
名のある鍛冶が作成した刀を思わせる切れ長で鋭い眼光と特徴的な耳。
決して相手を侮っているからではなく、自分が【上】である事を確信している者だけが出来る口の端を若干上げた不適な笑みを浮かべ、そこから覗かせる刃の様な【犬歯】。
身長は僕と同じ位だから5尺7寸といった所か。
黒を基調とした豪勢な丈の短い婦人服に身を包んでいるが、それでも尚主張する女性としての象徴。
身体の線を強調する様な服装のため、全体的に細い印象を受けるが、これまでの外見的特徴から察するに目の前に突然【現れた】女性は、【魔物】の中でも最も強力な部類に入る【ヴァンパイア】と呼ばれる種族だろう。
確か書物から得た情報だと、【ヴァンパイア】は日の光の下では、人間の女性とそれ程変わらない所迄身体能力が下がってしまうとなっていた筈だ。
もし、その情報が間違えていなければ、目の前に現れた【ヴァンパイア】は、【人間の女性程の身体能力のまま、魔法の域に迄達した隠形技術を使用した】事になる。
そんな無茶苦茶な事を出来るとなると――
少しはこの氣を発散できそうじゃないか。
無茶苦茶に集まってくる氣によって散り散りになっていた理性が静まり、思考が鮮明になる。
ふと、視線を動かすと、いつの間にか突剣の女性が闘技場から降りていた。
突剣の女性が戦闘を辞退したのならば、これ以上戦いを続ける理由はないのだが、今目の前に居る【ヴァンパイア】がどれ程の使い手なのか気になってしまった僕は、それまで指向性を持たずに只の自然現象になってしまっていた【氣】を呼吸と共に整え、丹田へと落とし込む。
途端に静まる突風と放電。
静まりかえる会場。
それに合わせて【ヴァンパイア】の頬が歪む。
「何だ、やれば出来るじゃぁないか、少年」
「そりゃ〜、僕も伊達や酔狂で【禁珠眼(このめ)】を使っている訳じゃないですからね」
「ふふっ、先ずは合格、っと云った所じゃが――」
――頬を風が撫でると同時に訪れる腹部から背面に突き抜ける様な凄まじい衝撃。
余りの衝撃に後ろへ飛び退き、状況を把握するが、先程迄僕が立っていた場所に【ヴァンパイア】が居て、彼女は2、3歩踏み込んで来たため、右半身になり、迎え撃つ体勢を取るが、一瞬の虚を突かれ、前に出していた右腕を打ち上げられてしまい、腕によって死角となってしまった鳩尾へと先程の比じゃない程の衝撃が訪れ、肺の中の空気を全て無理矢理押し出された。
酸欠になり、薄くなる意識の中、瞬時に何をされたのか理解した僕は、身体の中に停滞している衝撃を少しでも逃がすべく、中心軸をズラそうとするが、正確無比に真芯を打ち抜かれてしまっており、一切の抵抗を許さず、逃げ場を失った衝撃が体内で爆発する。
逆流する空気と血流。
顔の穴という穴から吹き出す血飛沫。
視界が紅く染まり、耳から流れ出す血液で音も聞こえない。
鼻腔を刺激するは鉄の香り。
酸素を取り入れようにも、体内で爆発した衝撃のせいで横隔膜と気管が蠕動運動をしてしまい、それ所じゃない。
生命活動を維持するために必要な酸素と血液を一瞬にして失ってしまった僕は、混濁する意識の中、全てを手放し片膝を着きそうになるが――。
「そんな事、できるかぁ〜〜〜っ!!」
――ダンッ!
崩れそうになる身体を大きく踏み締めて留め、頭を振るって残っている血液を外に振り払う。
未だ視界に紅く霞が掛かり、音も何となくでしか聞こえず、頭も鉛の様に重たいが、大丈夫、これくらいなら、充分戦える。
真芯を2度も打ち抜き、既に勝負は着いたと確信していたのか、僕に背を向け、数歩先を歩いて居た【ヴァンパイア】が立ち止まり、軽く振り向いた。
「おや、あのまま倒れていれば、その後も楽であったのにのぅ」
「確かにこのまま意識を手放してしまえば、この力も静まり、万事丸く治まるけど、【禁珠眼】を発動している今の僕の真芯を続けざまに2度も打ち抜く程の兵が目の前に居るのに、黙って寝ている訳にはいきませんよ」
「トクショウな事じゃ……ならば――」
あっ、この状況、拙い……。
「オヌシが倒れる迄、相手をしようぞ」
衝撃――鳩尾付近に蹴りを受け、ヒビが入っていたであろう肋が折れた。
痛撃――折れた肋に添えた腕の上から更に蹴りを受け、内蔵に肋が刺さり、吐血。
虚撃――吐血した際に下を向いた頭部の左側面から横に薙ぐ一撃を受け、視界がブレる。
連撃――喉、脇腹、腰椎に鋼鉄の鈍器で殴られた様な流れる衝撃を受ける。
更なる連撃――後ろに居るであろう【ヴァンパイア】を離すべく、腕を振るうが、その際に捻った身体の隙間から頸椎、鳩尾、脇腹へ続けざまに衝撃が走る。
ま、拙い……正確無比に人間の弱点を突いてくるのもそうだが、僕の身体を中心に回る様に流れる連撃は何だ??
相手を補足出来ない所か、遠心力が加わり、鉄の棒で殴られている様な衝撃だ。
昼間のため、今相手をしている【ヴァンパイア】は人間の女性程の身体能力しかない筈なのにこれでは、武術の技量に関して云えば、桁違い過ぎる。
【禁珠眼】を解放してこれでは、零距離での近接戦闘に於いてならば、僕が今迄経験して来た中で、最上位に位置する程の実力を持っているぞ。
これ以上、一方的に打撃を受けては、耐えられない。
先ずは距離を取らせてもらう。
地を軽く足で踏み締めると、僕を中心とした小さな円状に、闘技場を突き破って長さ数間はあろう巨大な刀が突如として無数に現れるが、それも一瞬の出来事で、その姿が徐々に薄くなると何事もなかったのかの如く消え失せた。
あわよくば掠り傷の1つでもと思ったが、やはり世の中はそんなに上手くは出来ておらず、既に飛び退いており、僕から数間離れた位置に音もなく着地した。
「ほう、隠器術も扱えるのか。オヌシ、面白いのう」
「それはどうも」
【ヴァンパイア】からの軽口に簡単な言葉で答える。
余りにも打撃を受け過ぎたため、僕の内部はグズグズになってしまい、簡単な言葉ですら口に出すのが苦しいので、一呼吸置いて、一気に言葉を紡ぐ。
「我、天地神祇の理を持って、五行両義の――」
「それは駄目じゃ」
トンッ――いつの間にか背後に移動していた【ヴァンパイア】に脊髄の一点を指で押されて動けなくなり、それ以上言葉を続けられなくなってしまった。
まただ。
この一瞬の【虚】を突いた反応不可の妙技。
幾ら何でも、ここまで完璧に僕の行動を押さえ込まれてしまっては、全てを読まれているとしか思えない。
試しに言葉を続けようとすると――
「止めておけ。今ワシが【ドコ】を【どの様に】抑えているのか、解らない訳じゃなかろう?」
――っと僕が行動を起こす準備前からそれを抑えに入る。
間違い無い。
僕ですら相手の動きはその【兆し】を読む程度が限界なのに、この【ヴァンパイア】は数手先、もしくは数百手先迄読んでいる。
しかも、その種類、角度、距離も把握しているので、下手をしたら、対峙しただけで勝負が決まっていると云っても過言ではない程だ。
心技体全てに於いて格上で、天地人迄もを奪われたとあっては、最早僕に抗う術は無い。
あれだけ集まっていた氣も、【ヴァンパイア】からの乱打で壊れた身体を治すのに殆ど使われてしまい、先程の様な力が暴走してしまう事ももうないだろうから、ここで諦めて戦意を沈めるのが得策なのだが……でも………………あぁ、でも、主からの勅命があるとはいえ、【武士】には敵前逃亡の言葉はない。
そして、この【ヴァンパイア】は、武士にとって己の命を掛けて一撃を放つに値する相手。
ならば、やる事は1つ。
今持てる全身全霊で挑むだけだ。
足の裏を一気に持ち上げる要領で膝に力を入れると同時に腰を落とし込み、その落下を利用して抜刀しつつ、再度地に足の裏が着く直前に股関節を開く。
足の裏が着地すると、それまでの一連の流れが突然止められるため、反動で加速した腰のキレと股関節を活かした後ろ振り向きからの一閃。
――手応え無し。
やっぱりね。
軽い違和感。
腹部から生える一本の刃。
振り返らなくても解る。
今持てる全身全霊で挑み、僕は――
負けたのだ……。
久し振りに味わう敗北。
何度味わっても慣れるものでもないが、今回ばっかりは晴れ晴れとした気持ちだ。
口の端を持ち上げ、苦笑する。
「……アナタの勝ちだ」
「今回は、であろう?」
含みのある軽口を叩き合い、意識と共に崩れ落ちそうになる膝を無理矢理奮い立たせた所で、僕は暗闇に落ちた。
11/03/07 05:36更新 / 黒猫
戻る
次へ