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03話 どどんがどんっと研究中
 湖は、寝静まっていた。鈴虫の音と、月の明かりと、そよ風と水面のゆらめき。
澄んだ空気の中で、湖畔のマーメイドや行商のゴブリンに認められた彼は
普通なら魔物に「襲ってください」といわんばかりの土地で、しかし安らかに寝息を立てていた。

「…ご主人様」
 彼の胸ポケットに収まっていた彼女、ウィンディーネの「アクアリウム」は、主人を想った。
生みの親と慕う彼が、魔物の情欲ほどに大きい。
これが生まれつき小さなピクシーならば何も思わないのだろうが、彼女は本来「人間大」なのだ。

 魔力を注がれれば、彼女は大人になれるだろう。
しかし彼は、それを決して許さない。たとえ破門されても、「教会の子」なのだ。

 そうだ、ならば、魔力を『借りよう』。

「んしょ、んしょっ」
 寸の詰まった両手をモジモジさせて、広大な主人の体に立ちあがる。
「わわっ」
 ほつれた毛糸に脚を絡まらせれば。
「ベシャァ」
 …露となって大地に臥す。本当に粉々の水粒となってしまうが、刹那には元の形を取り戻す。
「…ふう、ウィンディーネじゃなかったら即死でした」

 水面に身を沈め、湖に語りかける。
といっても穏やかな波打ち際で小石に腰をかけて脚を水に沈めるだけだが。

 湖は、嘆いている。愛しい上流は、何故私を裏切るのか。
このような汚濁に塗れる、そんな私を、水源は嘲るに違いない。

 そんな『思い』が彼女にのしかかり、彼女の心を病ませようとする。
普通のウィンディーネならば心が『折れ』、病的な結論に達するだろう。

 しかしリウムは、違った。
その小さな体は、水の心よりも、ほとんど主の心でできていた。
あまり深く考えない主人の性格と、あまり考えることのできない小さな魔力の塊は。

「大丈夫、彼は悪くないよ。ご主人様が、綺麗にしてあげるから」

 無邪気に語りかけた。
 湖は、かつて小さな水たまりだったころの、細い川のことを思い出した。

 ―――そうだ、私も、あなたみたいに、澄んでいて、私を大事にしてくれた水源が、大好きだった―――
 ―――水源に会いたい。ほんの一滴、会って確かめてほしい―――

湖は、小さく水面を揺らすと、その中心で渦を作った。
それは次第に大きくなり、まるで栓の抜けた湯船のように、すべてがのみ込まれ水面が下がっていった。
魚の一匹も残さずすべてが『集まった』特異点に、まるでゼリーような、青く澄んでしかし酷く曲率が高くレンズのように背後を映す塊があった。
ゼリーの塊は小さく震えたかと思うと、爆ぜる様に『ポヨン』と宙に舞い。

 小さなリウムの上に、しかし彼女から見れば天を覆うような塊が降り注いだ。
「うん、わかった。契約成立だね」

 湖は、気が付けば干乾びていた。

 塊は、繭だった。
表面が爆ぜると、透明な繭から、華奢な腕が、すらりと伸びた脚が、煌めく肌が、たわわに実った胸が、そして女神のような顔が生まれた。
月明かりの透き通る女性がいた。

彼女は水際だった、今は枯れた砂浜からスイと向き直り、そろりと、そろりと、主人に歩み添って。
「…えへっ。ご主人様、いただきます♪」
 そうして、湖は、一晩だけ精霊になった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 睡眠中も戦場 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「ご主人様はハゲればいいのです」
「さすがに朝から理不尽に罵倒されれば困らざるを得ない」
「寝込みを襲って股間のパンツを引きずり降ろしたら無意識に背負い投げられてみにゅダパァ」
「それは仕方ないね。さ、地面に吸収される前に肩に戻りなさい?そんな水しぶきしてないで」

 リウムは記憶になかったが、その夜に『精』を蓄えた湖は、朝日に照らされ何時もより、微かに輝いていた。

(…妊娠するかと思った)
 『湖』が意思を持ったとき『巻き込まれて湖の一部扱いされた』マーメイドは、ただ呆けていた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 とりあえず水源に 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 頭頂の上で拗ねているリウムは頬を膨らまして脚をパタパタさせています。
「機嫌直してよ」
「ふんだ」
 僕の頭をベッド代わりにゴロゴロして抗議してきます。どうしたものか。
そんなことを思っていると、背中につ用衝撃を感じて急に顔から地面に突っ込んでしまいました。

「ニンゲン、げっとだぜー!」
「ぜー!」

「うわっ」
「うにゃー!?」

 背中からカギ爪状のもので押さえつけられているのを感じます。
「ぴぴぃ!ここで会ったが運の尽き、このハーピー姉妹がたべちゃうぞー!」
「ぞー!」
 たぶん昨日あったよねこれ。
「なんというデジャブ」
 ぴぃぴぃと高笑いする姉妹が、「きゅう」といって転げ落ちたリウムに気づきます。
「ねーちゃん、精霊が…」
「あれ…既婚者?」
 はとリウムを見れば、機嫌が悪いのがさらに機嫌が悪く、もはや涙目になっています。
「ぐしゅ、ふん、どーですかねー?、すん」
(まずい…)
「この子は僕の相棒です」
 嘘はついてない。セイレイツカイウソツカナイ。
 背中のハーピー達は顔を見合わせてボソボソと呟いています。
「ぴぃ…じゃあ仕方ないね」
「ねーちゃんかえろー?」
 これ流行ってるんでしょうか。

 バッサバッサ…



「照れ隠しだー!絶対照れ隠しムピョがぽぉ」
 はしゃぐ精霊はカルタ返しのごとく投げ落とします。
「綺麗な水風船だね。ああ、君が桃色魔力に染まる前に旅を終えないと…急ごうね?」
「…ふぁい…えへへ」
 そのご満悦な顔がなんか気に入らない。小恥ずかしい。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 学会的には大往生 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「水源につきましたね」
「あからさまに紫色だね」
「水源自体は綺麗な水ですね」
「あからさまに木の小屋から流れるベトベトの液体のせいだね」
「どーします?」
「お訪ねして止めて…もらえるかなぁ」

 ふむ、と何をするべきか考えていると後方に殺気を感じました。そう、お師匠様が戯れにウォータ・レイ(注:石が切れます)を放つような…!
「話は聞かせてもらった!ファイアボーーーーーール!!!」
 振り向くが早いか弾道状にリウムを「ぽい」と投げて撃ち落とします。
「むぎゅあにゃ〜〜〜!!じゅわぁ」
「QFBK(急にファイア・ボールが来たので)」
 ファイアボール見てから水精霊余裕でした。ごめん汚染は嫌だけど死にたくない。
「だからって投げるって…女の子を投げるとかって…ううっ」
 主人を守れるならば精霊として本望だとか言ってもらえるようになりたい。なりたい。
「御苦労であった。見事な防護術である」
 正面に居るファイアボールの熱源は、白衣に黒コートを被り、眼鏡と学者帽(真上から見たら四角い帽子)を身につけ、手に熱球を浮かべています。
「いやあの、小屋の主と見受けますが、ココで何をなされているんですか?」
 じりじりと水源に寄って、水精霊使いとしてリソースを確保しながら会話で時間を稼ぎます。
「学会の邪魔者がいなくなったところでココから私が新たな薬草学を築くことにした」
 薬草学会から異端を食らった研究者さんなのでしょうか。
「へえ〜、よくわかんないけど少数派意見の研究者さんなのですね」
「諸君らの仕事はここまで。学会に帰ってもらって結構だ」
「いえ、別に私たちそういう追っ手的なアレじゃないです」
「ご主人様!この人目が据わってます!こわいです!」
 水の利があればここは僕のホーム。そんな風に思っていた時期が僕にもありました。
「…まさか私のファイアボール自動防衛網を相手にするつもりか?」
「いいえ、とんでもない。お疲れさまでした。とりあえず魔界みたいに火の玉飛ばしまくるの勘弁してください。マジで勘弁してください」
 これ湖を干上がらせた余りで山火事させれるんじゃなかろうか。ホタルだったらよかたのに。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 最終鬼畜契約精霊 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「先程は失礼を致した」
「いえいえ、こちらこそお邪魔いたしまして」
「この人、やりたいことのためなら手段を選ばないほうです…」

 なんとか誤解を解いて小屋にお招きいただきました。
 ヘドロを産出する小屋ってどいういことかと思っていましたが、生活スペースと研究スペースはしっかり分かれています。
 落ち着いた雰囲気の木のテーブルに腰掛けてコーヒーを頂いております。
「いや、私も不要に他人に迷惑をかけるつもりはなかった。
 無人の湖だと思っていたがマーメイドが暮らしていたとは調査不足だった」
 いちおう調べられていたのですね。
「でも研究のお邪魔になるのでは?」
 なんか研究の邪魔するマーメイドは消毒だー!とか言い出しそう。
「いやいや、場所を移そう。ここでは研究材料が足りなくなってきたし良い機会だ。
 汚染物質も一週間もすれば全て揮発して湖も浄化されるだろう」
「ありがとうございます。ところでファイアボールすごいですね」
 純粋にすごい、いくら小屋の周りに呪文を仕込んでおいたとはいえ数百の火の玉が舞う姿は尋常ではなかった。
「それほどでもない。私も精霊使いの端くれでね。炎のイグニスと契約をしている」
 人差し指からポウッっと登ってきたソレは、激しく輝いているに関わらず、眩しさ特有の目の痛みを感じない、不思議な火の玉でした。
「わぁ〜、きれい!太陽が浮かんでるみたい!」
「汚染されていない精霊は宝石みたいですね…」
「つつがなく汚染防止処理を施せた。ところで君はイグニスと契約してみる気はないかね」
 急に何を言い出すんだこの人は。
「えっ、そんな自分なんで若輩者が多重契約なんて…」
「才能に年齢は無い。その小さな水の精霊が属性で有利とはいえ、
 ファイアボールをまともに受けて蒸発しないとは並大抵ではない」
「ご主人様、てんさい〜♪」
 肩乗りリウムが頬にぎゅーっとしてくる。こういう可愛らしい対応は嫌いじゃない。
「夜の技もきっと天才めにゅシュボァ」
 こういうみだらな対応は好きじゃない。と思って冷蔵庫の方に投げつけたら爆散した。
「ああ、盗難防止に『爆発反応結界』を施してある…というか精霊の扱いが荒いな君」
「いえ、大丈夫です」
 僕が人差し指一つをクルン、とコーヒーカップの上で回せば、
その黒い水面が一瞬泡立ち、透明な水滴だけが分離され、宙を舞い、渦を成し、凝縮し、小人を形成していきます。
「今のは痛かった…痛かったですよ〜!」

「…精霊は宝石と違って治るが、破壊されたらそんな数秒で完全復活しない。
 私だって数日は契約が切れてしまうのだぞ。やはり普通じゃないな、魔力やサイズのせいもあるだろうが」
「そういうものでしょうか」
「稽古はつけてやる。汚染防止の儀式も含めてだ。火と水の両方があれば旅も楽になるだろう」
「ご主人様、リウムはほーせきさん可愛いから友達ほしいです!」
 むう、リウムの友達を作ってやる、というのも悪くないか。
思わず衝動的に酷いことをしている自覚はあるので償い、といったところで一つ。
「有難うございます、宜しくお願い致します」
 弟子入りすることにした。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 いぐにっしょん! 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「ごしゅじんさまー!はじめましてだぞー!」

「蓋を開けてみればこの体たらく」
「お主が汚染源だったから精霊に防護処理をしても意味がなかった。今は反省している」
「たいよーさんが…」

 元気玉の代りに元気ッ子が生まれた。ぺかーっと満面の笑みを浮かべている。やっぱり手乗り3頭身だけど。
体からは炎が上がり火の粉が舞っているが、全く熱くない。
現に、肩に乗って小さな体全体を使って首筋に擦りついているが何も苦しくないというかうん、くすぐったい。
「そ、そこは私の場所ですー!」
 リウムが新たな精霊を引きはがそうとするが、こいつは僕の首筋に優しく絡みつつもテコでも動かない。
「やだー!フレアはここがいいんだー!」
「うわーん!リウムはご主人様のなのー!」
 水精霊のアクアリウムが火精霊のノヴァフレアをポカポカ殴るが、まるで属性反発は起きず人と人が触れ合うように何事もない。
「根源が同じ人物の魔力なので共存しているようだ。まあ、仲良くしてやれ。あと私のイグニスに汚染が移るからそれ以上近付かないように」
「それは師匠酷くありませんか」
「いよいよもって破門である。そしてさよならだ」
 泣いていいですか。
10/12/11 01:09更新 / お茶の香り
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