第九話 初バイト
「あ〜、それにしても今日は楽しかったなぁ。」
「俺は楽しいどころか冷や汗しかかかなかったよ。もうやめてくれよな?ああいう事は。」
学校での騒動の後、授業が終わったレンは水筒もといヒナと傍から見れば不思議な会話をしながら、家までの道を自転車で進んでいた。
「あれは、ごめんね。ちょっと悪ふざけが過ぎちゃったかも。」
声のトーンが少しばかり下がっていることからも反省はしているようだ。むしろあんなことを何度もやられてはこちらの身が持ちそうにない。
「まぁ、次回からは気をつけてくれればいいさ。――おっと、アパートに着いた。」
話している間にもう着いてしまったようだ。自転車の籠に入れていた鞄を取り出そうと思っていると、
「あら?意外に早いのね。お帰りなさい。」
「あっ、リアさん、どうも。今日は授業が少なかったもので。こんな時間にどうしたんですか?」
アパート脇に自転車を停めたところで、丁度出て行くところなのか階段を下りてきたリアがこちらに向かって歩いてきた。彼女は近くの喫茶店で働いているらしいのだが、普段は朝から働いているというのでこんな時間に会うのは珍しい。
「ええ、今日は休みだったんだけど、いつも働いているところのカフェでバイトしていた子が風邪引いちゃったみたいで急にね。早く良くなるといいんだけど。」
「確かここの路地を曲がって少し先に入った所にある`Petunia`ですよね?店員が少ないんじゃ大変じゃないですか?」
「そうそう。店員は今あたしとマスターしかいないから忙しい時どうにも手が回らなくって…うーん…。」
彼女はそう言うと、レンを品定めするように上から下へじ〜っと見つめて、
「そうだあなたまだバイト決まっていないって言ってたわよね?どうせここの事情も知っていることだし、もし良かったらうちで働いてみない?」
「確かに決まってないですけど。良いんですか、僕なんかが働いても?」
リアからPetuniaは昼間はカフェ、夜はバーになると聞いていたので、20になったばかりの若造が働けるのかと心配になり、ちょっと聞いてみる。
「大丈夫、大丈夫っ。話した感じ礼儀正しそうだし、うちでは重要なのは如何に臨機応変な対応ができるかだから寧ろあなたなら大歓迎よ?」
臨機応変な対応という部分で大歓迎というのが少し引っかかるが、店員が少なくて忙しいと聞いては黙っていられない。レンは二つ返事でこの話を受ける事にした。
「それじゃ、OKね。今日仕事が終わったら授業の予定を教えて頂戴。シフトを組まなくちゃいけないし。――それから、ヒナちゃんを外に連れ出すのは良いけど見つからないように注意しなくちゃダメよ?」
「やっぱり見つかっちゃってみたいだね。」
「バ、バレてましたか…。すみません。聞こうか迷ってたんですが…。気をつけます。」
やはり同じ魔物なのか先ほどまで息を潜めていたのに見つかっていたようだ。黙っていた事が見つかり、少々ばつが悪くなる。
「じゃないと記憶の操作が面倒になっちゃうからね。最悪あなたのも…。これはよく考えておいてね?」
と、言って彼女は小さな鞄を片手にコツコツとヒールを響かせて仕事先へと向かって言った。
――翌日――
「いらっしゃい。今日からよろしくね、レン君。――マスターこの子が昨日話したレン君よ。」
丁度次の日の授業は午後からなかったため、早速レンはPetuniaに初のバイトをしに行くことになった。店は閑静な住宅の間に挟まる様にちょこんと建っているのだが、外見はレンガ造りだが特に重苦しい雰囲気はなく、寧ろ落ち着いた雰囲気が思わず立ち寄ってみたいと思わせる様相をしている。正面には筆記体でおしゃれに`Petunia`と書いており、ドアを開けるとコーヒーの香りがふんわりとして鼻に心地よく届いた。
「もう、マスターはやめて欲しいわ?――君が例の`事情を知ってる少年`ね?私はマスターの葵って言うの。これからよろしく頼むわね。」
と、マスターと言われた`男`は自己紹介をした。どうやらこの人も魔物の事を知っているらしい。お客の席から影になるカウンターの横の方に案内されると、笑顔でにこりと微笑まれた。
「は、はい、これからよろしく頼みます。」
「なんだかイイ子そうじゃない?ウエイター服が似合いそうねぇ。」
「そうでしょう?きっとぴったりだと思うわ。」
と、リアは手を前に合わせてにっこりと笑って見せた。
「そしたらこれが仕事着だから、こっちの準備室で着替えてね。」
渡されるままに指定された部屋へ行こうとすると、
「後、いるんでしょう?ヒナちゃん。あなたにもあるから向こうで着替えてきてね?」
と、リアが突拍子もない事を言ってきた。人間に化けているらしいリアはともかくゴーストであるヒナはすぐにばれてしまうだろう。
「はーいっ!」
しかし大丈夫かと聞く前にヒナもヒナで鞄からするりと出てきてしまう。
「ちょ、ちょっと普通の人もいるのにヒナは――」
「大丈夫よ、この店は魔法で人間からはあたし達はただの人間に見えているから。ヒナちゃんには言ってたけどあなたにはまだ言ってなかったわね。魔法は解除しておくわ。えいっ。」
そう言って、リアは何かしらの呪文を唱えると、急にリアの足は変化して一本のヘビのしっぽのようになり、髪も綺麗にまとまったツインテールの先々にヘビが顔を出し始めた。小さい頃に神話の本で出てきたような気もするその格好は少しだけ恐ろしくも、しかし同時に妖しくもあった。
「リアさんって…」
「そう、あたしはメデューサよ。こっちだと神話とかに出てきたんじゃなかったっけ?でも、あんまり驚かないところをみるとやっぱり合格ね。」
「い、色々な事が唐突過ぎて実感がわかないからかもしれません…。と、とにかく着替えてきますね。」
着替えて一端落ち着いて戻ってみると、魔法が解除されたせいなのかお客が座っている席には頭に獣の耳がある女の人と普通の人間が一緒に座って談笑していたり、ネバネバした半透明の液体状の人?がストローから同じような色の液体を吸っていたりと、とてつもなく珍妙な光景が広がっていた。他の人がここを見たらここをお化け屋敷か仮装パーティの会場かと勘違いしてしまう事だろう。
「着替えてきました!私は早速何すればいい?」
ヒナも着替えてきたらしく、可愛らしいフリルのついたメイド服のような格好をして元気良く戻ってくる。
「ふふっ、良く似合ってて可愛いわよ?それじゃあまずあたしに付いてお客様への対応の仕方を。レン君はマスターに付いてコーヒーや料理等の仕方を教わってね。」
「了解ですっ!」
「わかりました。」
レンは言われたとおりカウンターの裏に入り、マスターに指示を乞う。
「うん、ばっちり似合ってるわね。それじゃあレン君、まずは材料や器具の名前を覚えながら後ろから私のやり方を良く見ていてね。よろしく頼むわよ☆」
「よ、よろしくお願いします。」
レンはマスターのウインクを巧みにかわしつつ苦笑いをして返事をした。
「そういえばずっと気になってたんですが、マスターは何故このお店を開こうとおもったんですか?」
夕方も過ぎてヒナもレンも段々と仕事を覚え始め、夜のメニューになってから少し経ってお客の人数がちょっとずつ減りだした頃、レンはある事が気になってふと質問をしてみた。
「良い質問ね。」
マスターはカクテルに使う材料の在庫を調べながら返事をする。
「魔物さん達は、実は結構この世界に紛れて存在しているんだけど、やっぱり人間の中で生活するにはちょっと窮屈でしょう?そんな時にここが彼女らの癒しの空間になってくれればいいなと思って始めたのよ。」
この世界に魔物が潜んでいるというのはあのアパートで十分に知っていたが、他にも大勢いるとは思っていなかったので少し驚く。と同時にこのお店の雰囲気の一番の源はこの人なんだという事がよく理解できた。
「あら、私ったら随分大層な事を言っちゃったわね。ごめんなさい、忘れてね。」
「いえ、そんなことないです。とても素敵な事だと思います。」
「まぁ、それはうれしい言葉ね。私に惚れちゃったかしら?」
と、おどけるマスターに、いやそれはちょっとと柔らかく否定をして返事をする。
「さぁ、そろそろ時間かしらね、ヒナちゃんとレン君、今日はどうもありがとう。後は片付けだけだから二人は上がっていいわよ。」
「ふぅ〜、ウェイトレスって難しいっ。」
「そのうち慣れて来るわ。ヒナちゃん結構いい線いってたわよ?これなら今後看板娘として期待が持てそうね。」
大分仕事に満足した様子のヒナとテーブルの片付けをしていたリアさんもこちらに戻ってきた。
「それじゃあお疲れ様。レン君は次は明後日だっけ?ヒナちゃんは明日もよろしくね。」
「わかりました。お先に失礼します。」
「わかりましたっ。明日もよろしくねっ、マスター、リアさん。」
着替えも終わり、ヒナに水筒に入ってもらうと、レンはお店を出て自転車に跨り、アパートへと向かった。
「とっても良い所だったね、あのお店。」
「そうだな、最初はどうなる事かと思ったけどこれなら楽しく続けられそうだ。」
「私、レン君に逢えて本当に良かったなぁ。」
「き、急に何だよ。」
突然そんな事を言いだしたヒナに照れながらも返事を返す。
「だって、そうじゃなかったら大学も見に行けなかったし、こうして色んな人に会う事もできなかったもの。」
そんな事を言う彼女の声からはこれまでの何年も一人で部屋に居た孤独感がほんのりと窺えた。口にこそ出さないがきっと寂しくて仕方なかったに違いない。
「わぁ、上見て!とっても綺麗だよっ?」
すると、いつの間にか顔を出していたヒナが唐突に感嘆の声をあげる。言われた方を見上げると、今日は晴れなのか雲一つなく、大きな月が上っていた。月明かりに照らされた彼女の顔は文字通り透き通っていていつもより明るく、とても幻想的に見えた。
「…ホントだ…よっしゃ、今日は自転車押して帰るか!」
「うんっ!」
一人自転車を押して帰る彼の後ろに伸びる影は、見方を変えれば二人分の影に見えなくもなかった。
「俺は楽しいどころか冷や汗しかかかなかったよ。もうやめてくれよな?ああいう事は。」
学校での騒動の後、授業が終わったレンは水筒もといヒナと傍から見れば不思議な会話をしながら、家までの道を自転車で進んでいた。
「あれは、ごめんね。ちょっと悪ふざけが過ぎちゃったかも。」
声のトーンが少しばかり下がっていることからも反省はしているようだ。むしろあんなことを何度もやられてはこちらの身が持ちそうにない。
「まぁ、次回からは気をつけてくれればいいさ。――おっと、アパートに着いた。」
話している間にもう着いてしまったようだ。自転車の籠に入れていた鞄を取り出そうと思っていると、
「あら?意外に早いのね。お帰りなさい。」
「あっ、リアさん、どうも。今日は授業が少なかったもので。こんな時間にどうしたんですか?」
アパート脇に自転車を停めたところで、丁度出て行くところなのか階段を下りてきたリアがこちらに向かって歩いてきた。彼女は近くの喫茶店で働いているらしいのだが、普段は朝から働いているというのでこんな時間に会うのは珍しい。
「ええ、今日は休みだったんだけど、いつも働いているところのカフェでバイトしていた子が風邪引いちゃったみたいで急にね。早く良くなるといいんだけど。」
「確かここの路地を曲がって少し先に入った所にある`Petunia`ですよね?店員が少ないんじゃ大変じゃないですか?」
「そうそう。店員は今あたしとマスターしかいないから忙しい時どうにも手が回らなくって…うーん…。」
彼女はそう言うと、レンを品定めするように上から下へじ〜っと見つめて、
「そうだあなたまだバイト決まっていないって言ってたわよね?どうせここの事情も知っていることだし、もし良かったらうちで働いてみない?」
「確かに決まってないですけど。良いんですか、僕なんかが働いても?」
リアからPetuniaは昼間はカフェ、夜はバーになると聞いていたので、20になったばかりの若造が働けるのかと心配になり、ちょっと聞いてみる。
「大丈夫、大丈夫っ。話した感じ礼儀正しそうだし、うちでは重要なのは如何に臨機応変な対応ができるかだから寧ろあなたなら大歓迎よ?」
臨機応変な対応という部分で大歓迎というのが少し引っかかるが、店員が少なくて忙しいと聞いては黙っていられない。レンは二つ返事でこの話を受ける事にした。
「それじゃ、OKね。今日仕事が終わったら授業の予定を教えて頂戴。シフトを組まなくちゃいけないし。――それから、ヒナちゃんを外に連れ出すのは良いけど見つからないように注意しなくちゃダメよ?」
「やっぱり見つかっちゃってみたいだね。」
「バ、バレてましたか…。すみません。聞こうか迷ってたんですが…。気をつけます。」
やはり同じ魔物なのか先ほどまで息を潜めていたのに見つかっていたようだ。黙っていた事が見つかり、少々ばつが悪くなる。
「じゃないと記憶の操作が面倒になっちゃうからね。最悪あなたのも…。これはよく考えておいてね?」
と、言って彼女は小さな鞄を片手にコツコツとヒールを響かせて仕事先へと向かって言った。
――翌日――
「いらっしゃい。今日からよろしくね、レン君。――マスターこの子が昨日話したレン君よ。」
丁度次の日の授業は午後からなかったため、早速レンはPetuniaに初のバイトをしに行くことになった。店は閑静な住宅の間に挟まる様にちょこんと建っているのだが、外見はレンガ造りだが特に重苦しい雰囲気はなく、寧ろ落ち着いた雰囲気が思わず立ち寄ってみたいと思わせる様相をしている。正面には筆記体でおしゃれに`Petunia`と書いており、ドアを開けるとコーヒーの香りがふんわりとして鼻に心地よく届いた。
「もう、マスターはやめて欲しいわ?――君が例の`事情を知ってる少年`ね?私はマスターの葵って言うの。これからよろしく頼むわね。」
と、マスターと言われた`男`は自己紹介をした。どうやらこの人も魔物の事を知っているらしい。お客の席から影になるカウンターの横の方に案内されると、笑顔でにこりと微笑まれた。
「は、はい、これからよろしく頼みます。」
「なんだかイイ子そうじゃない?ウエイター服が似合いそうねぇ。」
「そうでしょう?きっとぴったりだと思うわ。」
と、リアは手を前に合わせてにっこりと笑って見せた。
「そしたらこれが仕事着だから、こっちの準備室で着替えてね。」
渡されるままに指定された部屋へ行こうとすると、
「後、いるんでしょう?ヒナちゃん。あなたにもあるから向こうで着替えてきてね?」
と、リアが突拍子もない事を言ってきた。人間に化けているらしいリアはともかくゴーストであるヒナはすぐにばれてしまうだろう。
「はーいっ!」
しかし大丈夫かと聞く前にヒナもヒナで鞄からするりと出てきてしまう。
「ちょ、ちょっと普通の人もいるのにヒナは――」
「大丈夫よ、この店は魔法で人間からはあたし達はただの人間に見えているから。ヒナちゃんには言ってたけどあなたにはまだ言ってなかったわね。魔法は解除しておくわ。えいっ。」
そう言って、リアは何かしらの呪文を唱えると、急にリアの足は変化して一本のヘビのしっぽのようになり、髪も綺麗にまとまったツインテールの先々にヘビが顔を出し始めた。小さい頃に神話の本で出てきたような気もするその格好は少しだけ恐ろしくも、しかし同時に妖しくもあった。
「リアさんって…」
「そう、あたしはメデューサよ。こっちだと神話とかに出てきたんじゃなかったっけ?でも、あんまり驚かないところをみるとやっぱり合格ね。」
「い、色々な事が唐突過ぎて実感がわかないからかもしれません…。と、とにかく着替えてきますね。」
着替えて一端落ち着いて戻ってみると、魔法が解除されたせいなのかお客が座っている席には頭に獣の耳がある女の人と普通の人間が一緒に座って談笑していたり、ネバネバした半透明の液体状の人?がストローから同じような色の液体を吸っていたりと、とてつもなく珍妙な光景が広がっていた。他の人がここを見たらここをお化け屋敷か仮装パーティの会場かと勘違いしてしまう事だろう。
「着替えてきました!私は早速何すればいい?」
ヒナも着替えてきたらしく、可愛らしいフリルのついたメイド服のような格好をして元気良く戻ってくる。
「ふふっ、良く似合ってて可愛いわよ?それじゃあまずあたしに付いてお客様への対応の仕方を。レン君はマスターに付いてコーヒーや料理等の仕方を教わってね。」
「了解ですっ!」
「わかりました。」
レンは言われたとおりカウンターの裏に入り、マスターに指示を乞う。
「うん、ばっちり似合ってるわね。それじゃあレン君、まずは材料や器具の名前を覚えながら後ろから私のやり方を良く見ていてね。よろしく頼むわよ☆」
「よ、よろしくお願いします。」
レンはマスターのウインクを巧みにかわしつつ苦笑いをして返事をした。
「そういえばずっと気になってたんですが、マスターは何故このお店を開こうとおもったんですか?」
夕方も過ぎてヒナもレンも段々と仕事を覚え始め、夜のメニューになってから少し経ってお客の人数がちょっとずつ減りだした頃、レンはある事が気になってふと質問をしてみた。
「良い質問ね。」
マスターはカクテルに使う材料の在庫を調べながら返事をする。
「魔物さん達は、実は結構この世界に紛れて存在しているんだけど、やっぱり人間の中で生活するにはちょっと窮屈でしょう?そんな時にここが彼女らの癒しの空間になってくれればいいなと思って始めたのよ。」
この世界に魔物が潜んでいるというのはあのアパートで十分に知っていたが、他にも大勢いるとは思っていなかったので少し驚く。と同時にこのお店の雰囲気の一番の源はこの人なんだという事がよく理解できた。
「あら、私ったら随分大層な事を言っちゃったわね。ごめんなさい、忘れてね。」
「いえ、そんなことないです。とても素敵な事だと思います。」
「まぁ、それはうれしい言葉ね。私に惚れちゃったかしら?」
と、おどけるマスターに、いやそれはちょっとと柔らかく否定をして返事をする。
「さぁ、そろそろ時間かしらね、ヒナちゃんとレン君、今日はどうもありがとう。後は片付けだけだから二人は上がっていいわよ。」
「ふぅ〜、ウェイトレスって難しいっ。」
「そのうち慣れて来るわ。ヒナちゃん結構いい線いってたわよ?これなら今後看板娘として期待が持てそうね。」
大分仕事に満足した様子のヒナとテーブルの片付けをしていたリアさんもこちらに戻ってきた。
「それじゃあお疲れ様。レン君は次は明後日だっけ?ヒナちゃんは明日もよろしくね。」
「わかりました。お先に失礼します。」
「わかりましたっ。明日もよろしくねっ、マスター、リアさん。」
着替えも終わり、ヒナに水筒に入ってもらうと、レンはお店を出て自転車に跨り、アパートへと向かった。
「とっても良い所だったね、あのお店。」
「そうだな、最初はどうなる事かと思ったけどこれなら楽しく続けられそうだ。」
「私、レン君に逢えて本当に良かったなぁ。」
「き、急に何だよ。」
突然そんな事を言いだしたヒナに照れながらも返事を返す。
「だって、そうじゃなかったら大学も見に行けなかったし、こうして色んな人に会う事もできなかったもの。」
そんな事を言う彼女の声からはこれまでの何年も一人で部屋に居た孤独感がほんのりと窺えた。口にこそ出さないがきっと寂しくて仕方なかったに違いない。
「わぁ、上見て!とっても綺麗だよっ?」
すると、いつの間にか顔を出していたヒナが唐突に感嘆の声をあげる。言われた方を見上げると、今日は晴れなのか雲一つなく、大きな月が上っていた。月明かりに照らされた彼女の顔は文字通り透き通っていていつもより明るく、とても幻想的に見えた。
「…ホントだ…よっしゃ、今日は自転車押して帰るか!」
「うんっ!」
一人自転車を押して帰る彼の後ろに伸びる影は、見方を変えれば二人分の影に見えなくもなかった。
11/03/22 19:20更新 / アテネ
戻る
次へ