前編
─── カラカラ、カチャ ───
「窓の鍵閉めはよし、と」
下校時刻は既に過ぎ去っていて、夜の闇が廊下を支配している。
普段は賑やかな教室も、この時間は静寂を響かせるばかりだ。
金曜日の戸締まり担当は中々に損だと思いながら、チェックを続けていった。
…
「もう少しかかりそうで?」
「エエ、すみマセン。待たせてしマッテ」
「いえ。…終わったら声をかけてください」
「了解しマシタ」
職員室に一人残っていた英語担当の同僚に状況を聞く。
もう一人の英語担当者が緊急入院したとかで、随分と忙しいようだ。
さすがに専門的なことには手助け出来ないので、自分の仕事に戻る。
そこそこの進学校とも言えるこの高校。だが特殊なカリキュラムがある訳でもなく、
するべき仕事は粗方終えて、どうしようかと考える。
自分の担当は数学兼情報だが、昨今のIT化を受けてほとんど情報専任になっていた。
来年度からは内容も複雑になって、担当時間が増えると聞き。
少しは楽になるように出来るだけの準備はするか、と独り呟きモニターに向かった。
…
………
作業を切りのいいところで終えてモニターの端を見ると、20時を過ぎていた。
後2時間程で、大抵の飲み屋はラストオーダーに入るだろう。
間に合わないようならコンビニに行くが、何処で飲もうか考えるのもいいかと思い、
椅子にもたれかかって背伸びする。
「何処で飲もうかねぇ…」
「飲みに行くんデスカ?」
「うひゃぁっ?!」
まさか反応が、よりによって耳許から来るとは思わず、驚いてしまい。
振り向くとすぐ近くに同僚がいて、その美しい顔に内心どぎまぎしつつ、返答した。
「ええまあ…終わったので?」
「ハイ、お待たせしマシタ。片付けもしておきましタノデ、あとは戸締まりだけデス」
「分かりました。残りを済ませておきますので、先に帰っても大丈夫ですよ」
「それなのデスガ、校門前で待っていますノデ、来てもらえマスカ?」
「?まあいいですけど…」
「よろしくお願いシマス」
…
何かあるのかね、と思いながらブレーカーを落とし、警備システムを設定していった。
彼女 ── キャサリン ベッカー ── とは同僚であるというぐらいで、特に接点は無い。
考えたところで仕方がないと思い、リュックを持って校門を目指す。
…
シニヨンにされている金髪が輝き、どこか男を煽るような挑発的な美顔がこちらを向いた。
文字通りのダイナマイトボディがスーツにぴったりと線を作る様は、
もしかしたら裸よりも色気があるのではなかろうか。
服装や髪型はお堅いと言えるものなのに、規格外の中身に対してはむしろ逆効果で、
これでもかと胸部や臀部といった性的な部分を強調していて。
着任の挨拶時では男子生徒が歓声をあげるほどの美貌でありながら、
ちょっかいを出した方が前屈みになるほどあしらいがうまいとも聞く。
生徒達の雑談で話題になっている所を耳にしたのは数えきれない。
「お待たせしました」
「イエ。…飲みに行かれるのでしタラ、ご一緒してよろしいでショウカ?」
「いいですけど…最寄り駅はどこでしょうか?
家近くの商店街で飲む予定でしたが、一緒にとなると…」
「同じ駅だったと思いマス。◯◯駅なのデスガ」
前に見たことがある、教師間の連絡網にあった彼女の住所は ── 確か家のすぐ近く。
一度も通勤時に鉢合わせしたことが無いので、忘れていた。
別路線ならどこかの乗り継ぎ駅の繁華街にしようと思ったが、無理そうだな。
「ああ、そうでした。こんな時間ですし、早めに行きましょう」
「ハイ」
…
………
─── カタン…カタン … ───
「…」
「…」
「そういえば…」
「?」
「同じ通勤路なのに、会ったことがありませんね」
「そうデスネ。時間か車両が違うのでショウカ」
「かもしれません」
「…」
「…」
沈黙が重い。
自分からのお喋りは基本しない性質だが、それ以上の問題がある。
目立つ。ただひたすらに目立つ。
規格外の美女は、集める視線の数も規格外だった。
金曜日の夜の路線ともなれば、そこそこに混んでいる。
そんな状態で、車両にいる誰かしらがチラリ、チラリと絶えず視線をこちらに向けるのは、
注目されることに慣れている教師の自分でも落ち着かない。
おまけに彼女は知ってか知らずか、あるいはわざとなのか、
親密な関係に見取れる距離にまで近づいていた。
密着一歩手前の、赤の他人ではないと示すような絶妙な距離に。
かといって、近いです、などと言える度胸もなく。
≪次は ──── です。次は ──── ≫
「降りましょうか」
「ハイ」
アナウンスに次が降りる駅だと気付き、極小さく息を撫で下ろしそのまま降りる。
駅前に立っていても視線はあるが、先程よりは遥かにましだ。
「お店に行きますけど、好き嫌いとかそういうものはありますか?」
「イエ、特にありマセン」
「分かりました。焼鳥屋さんですけど、いいですかね?」
「かまいマセン。お任せシマス」
もう夜も更け、気兼ねなく入れる店も限られる。
女性やカップル向けのお洒落気味な料理店は早じまいも多い。
男ばかりのむさ苦しい場所でなければいいかと考え、
深夜まで営業している馴染みの店へと向かった。
…
………
「いらっしゃい…ませ。何名様でしょうか?」
「2名です。お久しぶりです」
「ああ、お久しぶりです。テーブルは埋まっていますので、カウンターでよろしいですか?」
「はい」
「ではどうぞ」
顔見知りで時たま話をする店主だが、驚いた顔は初めて見た。
まあ自分でも、同じ立場だったらそうなるだろう。
「飲み物はどうしますか?」
「私は生ビールですが…キャサリンさんは?」
「私も同じデ。食べ物はお任せシマス」
「分かりました。では生ビール二つ、セロリのにんにく醤油漬けと焼鳥の5本盛合せを二人分、
野菜サラダを1つお願いします」
「はい!少々お待ちください」
…
届いた生ビールを乾杯し、半分程飲み干す。茹だるような夏が過ぎて、
冬の寒さが聞こえて来る秋の夜。しかし日中の暑さは冷たいビールを欲するには十分だ。
焼鳥が主力だが地方の特産物にも力を入れているこの店は若い女性にも人気があるようで、
気軽に入れるのか客層に偏りがない。
安さと量を重視しつつそこそこの味を出す昔ながらの店もいいが、
客の面子が濃すぎるのもあり今回はやめた。
「ン…おいしいデスネ」
「そうでしょう?ありそうで、なかなかないんですよね。こういうの」
「そう言ってくれると嬉しいねえ。野菜サラダだよ」
「あ、どうも」
スライスしたセロリをにんにく醤油に浸し、程よく薄まった所で汁ごと出すこの漬物。
シャキッとした歯触りとセロリの瑞々しさ、にんにくの香味に醤油のコクが合わさって、
爽快であるのにしっかりとした食べごたえがある。
他の店では味わえないこれは、店主が顔を覚えるほど行き来するのに十分だった。
…
「ところで」
「?」
「何故一緒に飲もうと思ったんです?」
「せっかくの金曜日に遅くなったノデ、一緒にいてくれたお礼デス」
「別に気を遣わなくても…お互い様ですし」
「イエイエ。飲み会の時もそうデシタガ、お酒強いんデショウ?割り勘の形デ、
お礼を受け取ってもらえマスカ?」
「そこまで言われては…ありがとうございます」
店で飲むと焼酎を何杯も開けるのが常、これが割り勘だと自分が得をする形になりがちで。
今は家飲みか一人で飲み屋に行くかがほとんど。だがお礼というならば無下にはできない。
ちょうど焼鳥が届き、職場の愚痴や雑談をしながら、お代わりしたビールと一緒につまむ。
…
「坂木サン」
「はい、なんでしょう?」
自分の名前 ── 坂木 繁治 ── を呼ばれて、彼女の方を向く。
やはり心臓は塩だと思いながら、齧りついたそれを串から抜き取った。
噛み締めれば内臓であって実に力を感じる、強い肉。
自分で作る分だと新鮮な物が手に入るために敢えて血を除かないが、
上品に仕上げたこういうものもよい。
「聞きたいことがあるのデスガ…」
「?」
「坂木さんッテ…ゲイなんデスカ?」
「ごほっ?!」
いきなりなんつー質問を。
今は付き合いどころか仲のいい女性もなく、仕事の忙しさは休日を睡眠で埋める。
一人暮らしでこれといった趣味はないが、かといって余暇を使ってまで
異性を求める気はしない。それはともかく…
「…違います。というか、そんな噂でもあるんですか?」
「イエ、恋人が居ないと聞きマシテ、でも女の人に興味あるような雰囲気を出さないノデ、
何か理由があるのカナ、ト」
「仕事に個人の感情を持ち込むわけにもいかんでしょう」
「マア、そうですケド…私たちの学校、綺麗な人ガ一杯いますノニ、気にならないんデスカ?
女子生徒とか先生に結構人気あるんデスヨ、坂木さんッテ」
「そうなんですかね?」
確かに自分の学校は、女性の美的偏差値が妙に高い。
中にはモデル、アイドルをしている女子も居るぐらいだ。
よその学校なら校内一になれそうな美少女が、ここでは1クラスに一人か二人はいる。
おまけに目の前の女性を筆頭として教師陣も見目麗しい女性が多く、
他校の生徒が羨むほどで。
「違うとシタラ、酷い失恋でもしたのでショウカ?」
「いえ、特にそんなことは…。
今は仕事が忙しいので、恋人を作ったりする気が起きないだけですよ」
「そうデスカ…」
…
〆の鶏雑炊を頂き、そろそろお開きにしようと思ってトイレに行く。
学校の女性に人気があると言われたが、まあそうかもと思うぐらいで、
特に深い仲になりたいというわけでもなく、大抵は受け流している。
今に精一杯とは言わずとも忙しく、世間の目は厳しいので生徒にはそういう気も起きない。
同僚なり上司なり部下なり、仕事仲間相手なら仕事を優先した方が色々と楽であり。
民間に行った友人ですら、人となりを会社内外の関係無く、極めて慎重に取り扱う。
公務員、しかも教員であれば尚更。
…
手を洗い席に戻ると、…彼女が船を漕いでいて。
そういえばいつものペースで飲んでいて、彼女のペースも同じぐらい。
お酒に強いとよく言われるのに、他人が同じように飲めばそうなるだろうことは考えていなく。
どうも緊張していたのか配慮が抜けていた。
「大丈夫ですか?」
「……ハイ…」
どう見ても大丈夫ではなかった。
「タクシーでも呼びますかね?」
「…イエ…すぐ近くナノデ……送ってもらえ…マスカ…」
「…了解しました。案内をお願いします」
それぐらいなら断るというわけにもいかず、同僚を放置するわけにもいくまい。
取り敢えず水を頼み彼女に飲ませた。焼石に水だが、少しは楽になるだろう。
自分も前もって頼んで置いていた水を飲む。
?
さっきと比べて甘いような。まあいいかと思い、会計を済ませた。
…
………
「ここですか?」
「…ハイ…そうデス…」
時折ふらつく彼女を支えながら、案内されたマンションに入った。
ヒールを履いていると自分より背が高いぐらいだが、思った以上に軽い。
密着していい匂いがするのを堪えつつ、部屋の扉を開ける。
…
─── コクッ ───
ふぅ。
買っておいたミネラルウォーターで喉を潤す。
寝苦しさとシワになったらまずいということで上着を脱がして寝かせたが、
その下は恐ろしいまでに目の毒だった。
…下半身が反応してしまったのは多分ばれていないと思いたい。
酔っているところでそういう事をするような性格でもなく、
そして職場では常とは言わずとも顔を合わせる。
いくら水に流せても、自分としては気まずいどころではない。
書き置きを残して外から鍵を掛け、郵便受けに入れていこう、と準備をしていく。
…
─── ガチャガチャ ───
「あれ?」
扉を開けようとしたが動かない。ノブを見てみるも、開いていることを示している。
気配を感じて振り返ると、彼女が立っていた。
声をかけようとして、
「 ── 、!?」
── 声が出ない。
「折角頑張って誘いましたノニ…逃がしマセン」
「 ── 、!」
後退りしながら声を出すも、掠れるような呼吸音が流れるだけ。
扉を力づくで破ろうかと考えていると、彼女がステッキのような何かを振り下ろし ──
体から力が抜け、ずるずるとへたりこむ。
麻痺と脱力が混じった、それでいて触覚も残っている、奇妙な感覚。
「ウフフ、捕まえマシタ。とっても甘い最高の一夜ヲ、楽しみマショウ…♥」
再びステッキが振られ、── 魔法のように、自分の体が宙に浮いて。
口がその言葉を音なく紡ぐ。
「…!魔女、デスカ。そんな可愛らしいものではありまセンヨ。
私はダークメイジ。精を啜リ取ル、淫らに爛レタ、黒魔術師デス ♥ 」
─── ガチャリ ───
おとぎ話にあるような、魔女に囚われて館に連れ込まれる、
そんな想像をしてしまう響きが耳に入り、寝室への扉が開いた。
「窓の鍵閉めはよし、と」
下校時刻は既に過ぎ去っていて、夜の闇が廊下を支配している。
普段は賑やかな教室も、この時間は静寂を響かせるばかりだ。
金曜日の戸締まり担当は中々に損だと思いながら、チェックを続けていった。
…
「もう少しかかりそうで?」
「エエ、すみマセン。待たせてしマッテ」
「いえ。…終わったら声をかけてください」
「了解しマシタ」
職員室に一人残っていた英語担当の同僚に状況を聞く。
もう一人の英語担当者が緊急入院したとかで、随分と忙しいようだ。
さすがに専門的なことには手助け出来ないので、自分の仕事に戻る。
そこそこの進学校とも言えるこの高校。だが特殊なカリキュラムがある訳でもなく、
するべき仕事は粗方終えて、どうしようかと考える。
自分の担当は数学兼情報だが、昨今のIT化を受けてほとんど情報専任になっていた。
来年度からは内容も複雑になって、担当時間が増えると聞き。
少しは楽になるように出来るだけの準備はするか、と独り呟きモニターに向かった。
…
………
作業を切りのいいところで終えてモニターの端を見ると、20時を過ぎていた。
後2時間程で、大抵の飲み屋はラストオーダーに入るだろう。
間に合わないようならコンビニに行くが、何処で飲もうか考えるのもいいかと思い、
椅子にもたれかかって背伸びする。
「何処で飲もうかねぇ…」
「飲みに行くんデスカ?」
「うひゃぁっ?!」
まさか反応が、よりによって耳許から来るとは思わず、驚いてしまい。
振り向くとすぐ近くに同僚がいて、その美しい顔に内心どぎまぎしつつ、返答した。
「ええまあ…終わったので?」
「ハイ、お待たせしマシタ。片付けもしておきましタノデ、あとは戸締まりだけデス」
「分かりました。残りを済ませておきますので、先に帰っても大丈夫ですよ」
「それなのデスガ、校門前で待っていますノデ、来てもらえマスカ?」
「?まあいいですけど…」
「よろしくお願いシマス」
…
何かあるのかね、と思いながらブレーカーを落とし、警備システムを設定していった。
彼女 ── キャサリン ベッカー ── とは同僚であるというぐらいで、特に接点は無い。
考えたところで仕方がないと思い、リュックを持って校門を目指す。
…
シニヨンにされている金髪が輝き、どこか男を煽るような挑発的な美顔がこちらを向いた。
文字通りのダイナマイトボディがスーツにぴったりと線を作る様は、
もしかしたら裸よりも色気があるのではなかろうか。
服装や髪型はお堅いと言えるものなのに、規格外の中身に対してはむしろ逆効果で、
これでもかと胸部や臀部といった性的な部分を強調していて。
着任の挨拶時では男子生徒が歓声をあげるほどの美貌でありながら、
ちょっかいを出した方が前屈みになるほどあしらいがうまいとも聞く。
生徒達の雑談で話題になっている所を耳にしたのは数えきれない。
「お待たせしました」
「イエ。…飲みに行かれるのでしタラ、ご一緒してよろしいでショウカ?」
「いいですけど…最寄り駅はどこでしょうか?
家近くの商店街で飲む予定でしたが、一緒にとなると…」
「同じ駅だったと思いマス。◯◯駅なのデスガ」
前に見たことがある、教師間の連絡網にあった彼女の住所は ── 確か家のすぐ近く。
一度も通勤時に鉢合わせしたことが無いので、忘れていた。
別路線ならどこかの乗り継ぎ駅の繁華街にしようと思ったが、無理そうだな。
「ああ、そうでした。こんな時間ですし、早めに行きましょう」
「ハイ」
…
………
─── カタン…カタン … ───
「…」
「…」
「そういえば…」
「?」
「同じ通勤路なのに、会ったことがありませんね」
「そうデスネ。時間か車両が違うのでショウカ」
「かもしれません」
「…」
「…」
沈黙が重い。
自分からのお喋りは基本しない性質だが、それ以上の問題がある。
目立つ。ただひたすらに目立つ。
規格外の美女は、集める視線の数も規格外だった。
金曜日の夜の路線ともなれば、そこそこに混んでいる。
そんな状態で、車両にいる誰かしらがチラリ、チラリと絶えず視線をこちらに向けるのは、
注目されることに慣れている教師の自分でも落ち着かない。
おまけに彼女は知ってか知らずか、あるいはわざとなのか、
親密な関係に見取れる距離にまで近づいていた。
密着一歩手前の、赤の他人ではないと示すような絶妙な距離に。
かといって、近いです、などと言える度胸もなく。
≪次は ──── です。次は ──── ≫
「降りましょうか」
「ハイ」
アナウンスに次が降りる駅だと気付き、極小さく息を撫で下ろしそのまま降りる。
駅前に立っていても視線はあるが、先程よりは遥かにましだ。
「お店に行きますけど、好き嫌いとかそういうものはありますか?」
「イエ、特にありマセン」
「分かりました。焼鳥屋さんですけど、いいですかね?」
「かまいマセン。お任せシマス」
もう夜も更け、気兼ねなく入れる店も限られる。
女性やカップル向けのお洒落気味な料理店は早じまいも多い。
男ばかりのむさ苦しい場所でなければいいかと考え、
深夜まで営業している馴染みの店へと向かった。
…
………
「いらっしゃい…ませ。何名様でしょうか?」
「2名です。お久しぶりです」
「ああ、お久しぶりです。テーブルは埋まっていますので、カウンターでよろしいですか?」
「はい」
「ではどうぞ」
顔見知りで時たま話をする店主だが、驚いた顔は初めて見た。
まあ自分でも、同じ立場だったらそうなるだろう。
「飲み物はどうしますか?」
「私は生ビールですが…キャサリンさんは?」
「私も同じデ。食べ物はお任せシマス」
「分かりました。では生ビール二つ、セロリのにんにく醤油漬けと焼鳥の5本盛合せを二人分、
野菜サラダを1つお願いします」
「はい!少々お待ちください」
…
届いた生ビールを乾杯し、半分程飲み干す。茹だるような夏が過ぎて、
冬の寒さが聞こえて来る秋の夜。しかし日中の暑さは冷たいビールを欲するには十分だ。
焼鳥が主力だが地方の特産物にも力を入れているこの店は若い女性にも人気があるようで、
気軽に入れるのか客層に偏りがない。
安さと量を重視しつつそこそこの味を出す昔ながらの店もいいが、
客の面子が濃すぎるのもあり今回はやめた。
「ン…おいしいデスネ」
「そうでしょう?ありそうで、なかなかないんですよね。こういうの」
「そう言ってくれると嬉しいねえ。野菜サラダだよ」
「あ、どうも」
スライスしたセロリをにんにく醤油に浸し、程よく薄まった所で汁ごと出すこの漬物。
シャキッとした歯触りとセロリの瑞々しさ、にんにくの香味に醤油のコクが合わさって、
爽快であるのにしっかりとした食べごたえがある。
他の店では味わえないこれは、店主が顔を覚えるほど行き来するのに十分だった。
…
「ところで」
「?」
「何故一緒に飲もうと思ったんです?」
「せっかくの金曜日に遅くなったノデ、一緒にいてくれたお礼デス」
「別に気を遣わなくても…お互い様ですし」
「イエイエ。飲み会の時もそうデシタガ、お酒強いんデショウ?割り勘の形デ、
お礼を受け取ってもらえマスカ?」
「そこまで言われては…ありがとうございます」
店で飲むと焼酎を何杯も開けるのが常、これが割り勘だと自分が得をする形になりがちで。
今は家飲みか一人で飲み屋に行くかがほとんど。だがお礼というならば無下にはできない。
ちょうど焼鳥が届き、職場の愚痴や雑談をしながら、お代わりしたビールと一緒につまむ。
…
「坂木サン」
「はい、なんでしょう?」
自分の名前 ── 坂木 繁治 ── を呼ばれて、彼女の方を向く。
やはり心臓は塩だと思いながら、齧りついたそれを串から抜き取った。
噛み締めれば内臓であって実に力を感じる、強い肉。
自分で作る分だと新鮮な物が手に入るために敢えて血を除かないが、
上品に仕上げたこういうものもよい。
「聞きたいことがあるのデスガ…」
「?」
「坂木さんッテ…ゲイなんデスカ?」
「ごほっ?!」
いきなりなんつー質問を。
今は付き合いどころか仲のいい女性もなく、仕事の忙しさは休日を睡眠で埋める。
一人暮らしでこれといった趣味はないが、かといって余暇を使ってまで
異性を求める気はしない。それはともかく…
「…違います。というか、そんな噂でもあるんですか?」
「イエ、恋人が居ないと聞きマシテ、でも女の人に興味あるような雰囲気を出さないノデ、
何か理由があるのカナ、ト」
「仕事に個人の感情を持ち込むわけにもいかんでしょう」
「マア、そうですケド…私たちの学校、綺麗な人ガ一杯いますノニ、気にならないんデスカ?
女子生徒とか先生に結構人気あるんデスヨ、坂木さんッテ」
「そうなんですかね?」
確かに自分の学校は、女性の美的偏差値が妙に高い。
中にはモデル、アイドルをしている女子も居るぐらいだ。
よその学校なら校内一になれそうな美少女が、ここでは1クラスに一人か二人はいる。
おまけに目の前の女性を筆頭として教師陣も見目麗しい女性が多く、
他校の生徒が羨むほどで。
「違うとシタラ、酷い失恋でもしたのでショウカ?」
「いえ、特にそんなことは…。
今は仕事が忙しいので、恋人を作ったりする気が起きないだけですよ」
「そうデスカ…」
…
〆の鶏雑炊を頂き、そろそろお開きにしようと思ってトイレに行く。
学校の女性に人気があると言われたが、まあそうかもと思うぐらいで、
特に深い仲になりたいというわけでもなく、大抵は受け流している。
今に精一杯とは言わずとも忙しく、世間の目は厳しいので生徒にはそういう気も起きない。
同僚なり上司なり部下なり、仕事仲間相手なら仕事を優先した方が色々と楽であり。
民間に行った友人ですら、人となりを会社内外の関係無く、極めて慎重に取り扱う。
公務員、しかも教員であれば尚更。
…
手を洗い席に戻ると、…彼女が船を漕いでいて。
そういえばいつものペースで飲んでいて、彼女のペースも同じぐらい。
お酒に強いとよく言われるのに、他人が同じように飲めばそうなるだろうことは考えていなく。
どうも緊張していたのか配慮が抜けていた。
「大丈夫ですか?」
「……ハイ…」
どう見ても大丈夫ではなかった。
「タクシーでも呼びますかね?」
「…イエ…すぐ近くナノデ……送ってもらえ…マスカ…」
「…了解しました。案内をお願いします」
それぐらいなら断るというわけにもいかず、同僚を放置するわけにもいくまい。
取り敢えず水を頼み彼女に飲ませた。焼石に水だが、少しは楽になるだろう。
自分も前もって頼んで置いていた水を飲む。
?
さっきと比べて甘いような。まあいいかと思い、会計を済ませた。
…
………
「ここですか?」
「…ハイ…そうデス…」
時折ふらつく彼女を支えながら、案内されたマンションに入った。
ヒールを履いていると自分より背が高いぐらいだが、思った以上に軽い。
密着していい匂いがするのを堪えつつ、部屋の扉を開ける。
…
─── コクッ ───
ふぅ。
買っておいたミネラルウォーターで喉を潤す。
寝苦しさとシワになったらまずいということで上着を脱がして寝かせたが、
その下は恐ろしいまでに目の毒だった。
…下半身が反応してしまったのは多分ばれていないと思いたい。
酔っているところでそういう事をするような性格でもなく、
そして職場では常とは言わずとも顔を合わせる。
いくら水に流せても、自分としては気まずいどころではない。
書き置きを残して外から鍵を掛け、郵便受けに入れていこう、と準備をしていく。
…
─── ガチャガチャ ───
「あれ?」
扉を開けようとしたが動かない。ノブを見てみるも、開いていることを示している。
気配を感じて振り返ると、彼女が立っていた。
声をかけようとして、
「 ── 、!?」
── 声が出ない。
「折角頑張って誘いましたノニ…逃がしマセン」
「 ── 、!」
後退りしながら声を出すも、掠れるような呼吸音が流れるだけ。
扉を力づくで破ろうかと考えていると、彼女がステッキのような何かを振り下ろし ──
体から力が抜け、ずるずるとへたりこむ。
麻痺と脱力が混じった、それでいて触覚も残っている、奇妙な感覚。
「ウフフ、捕まえマシタ。とっても甘い最高の一夜ヲ、楽しみマショウ…♥」
再びステッキが振られ、── 魔法のように、自分の体が宙に浮いて。
口がその言葉を音なく紡ぐ。
「…!魔女、デスカ。そんな可愛らしいものではありまセンヨ。
私はダークメイジ。精を啜リ取ル、淫らに爛レタ、黒魔術師デス ♥ 」
─── ガチャリ ───
おとぎ話にあるような、魔女に囚われて館に連れ込まれる、
そんな想像をしてしまう響きが耳に入り、寝室への扉が開いた。
17/01/20 22:05更新 / 漢電池
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