前編
――顔を見る。透き通るような白い肌、別の言い方をすれば血の気が引いている。
――まぶたを開く。瞳孔が完全に開いている、ランプの光にも反応なし。
――手首に指を添える。脈、なし。
――胸に耳を当てる。心臓、止まってる。
――やっちまった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
事の起こりは数時間前。
朝一で買いに行き、バッグの中にしまったはずの秘蔵本が消えていたのに気付き、慌てて行き付けの酒場や購入した店を、暗くなるまで探しまわった。
結局有力な情報は得られず、肩を落としながら自宅へ帰ってきた俺を出迎えたのが、今俺の目の前で笑っている糞親父である。
「あの時か!昼飯食ってる最中に、『悪い、ちょっと便所』つって一度、席を離れた時か!向かう振りして、俺の部屋にあったバッグから抜き取ったんだな!」
「つい出来心でやった、今は反省も後悔もしていない」
「してないのかよっ!?つーか何でこんな事したんだ、ガキじゃあるまいし!」
「……それはだな」
と、親父はいつになく真剣な表情になった。
ただならぬ雰囲気の中、俺は次の言葉を待つ。
「お前、この年になってまだ○貞だろ?」
「ぐっはぁぁっ!?」
いきなり何を言い出すんだこいつは。
「いや真面目な話、お前このままだと女に縁がないまま一生を終える事になるだろ。聞いたぞ、昨日はパーティ組んだ女戦士のシータちゃんに振られ、一昨日は酒場の看板娘クララちゃんに振られ、その前は……」
「もう止めてくれ、俺のライフはゼロだよ!」
「正直、俺には何の関係もないわけだが……この前道行く女共が『クスクス、次は誰が気がある振りしてやろっか』とか相談してるのが聞こえてな、流石に不憫に思ったわけだ。そろそろ孫の顔も見たいような見たくないような年にもなったし、つーわけでお前に女あてがう事にした。これも俺の優しい親心って奴だな」
その時、親父の口からありえない台詞を聞いた気がしたんだ。
否定してほしい様なしてほしくない様な、そんな台詞を。
「…………親父、もう一度言ってくれ」
「ん?だから、正直お前が女にモテようがモテまいが」
「悪いがもっと後」
「道行く女共がクスクス」
「それもショックだが、もっと後だ」
「俺の優しい親心」
「少し前へ」
「お前に女あてがう事にした」
「はいそこ!そこだ!俺に女を紹介する!?本当か!?」
「おう。実は隠し場所で、お前の事を待っているよう言っておいた。……将来有望の美人だ、男を見せろよ」
「何その羞恥プレイ、でも感謝するぜ親父ぃぃぃぃ!」
ひゃっはー○貞卒業だー、などとひとしきり騒いだ後、どこで待ち合わせなのか確認することにした。
「で、どこにいるんだよその美女は?宿屋か?」
「あぁ、彼女とお前の秘蔵本は――」
――俺の住む街には、一軒の古い屋敷がある。
屋根はボロボロ、窓はほとんど割れ、玄関の戸は思い切り蹴れば壊れそう。
まさに、絵に描いた様な幽霊屋敷だ。
かつて魔術師の一家が住んでいて、魔法の実験に失敗して全滅したとか。
どっかの貴族が別荘代わりに建てたはいいが、結局一度も使わないまま放置されたとか。
あるいはその寂れ具合から、いやいやこれは前時代から存在する由緒正しい屋敷なのだとか。
とにかく噂には事欠かない、そんな古い屋敷なのだ。
で。俺は今、そのボロ屋敷の前に立っている。
何でも、この屋敷の一室で俺の秘蔵本とその親父が言う女が待っているらしい。
「……うし、入るか。美女が俺を待ってるんだ」
意を決し、玄関に一歩足を踏み入れた。
そしてもう一歩を踏み出そうとした、その瞬間だった。
――ミシリ、と床が嫌な音を立てた。
そして同時に、ビキビキと何かが割れる音。
「げっ!?」
慌てて足元を見ると、最初に踏み出した足を中心に、床板に亀裂が入っていくのが見えた。
不味い、と思い踏み出した足を戻そうとするも、後の祭り。
――バキィィィッ!!
「う、うわあぁぁぁ!」
そのまま床板は割れ、俺は地下へと落ちて行った。
「いてて……って、何だよここ?」
身体の痛みを感じつつ起きあがった俺の目に飛び込んできたのは、本の山だった。
……落ちた時に頭でも打ったか?と最初は疑ったが、見間違いでない事は近づいてすぐ分かった。
地下とは思えないほど広い空間に、山のように積まれた大量の本。
一冊を手にとって開いてみたが、どれも何やら難しい文字で書かれており、内容はさっぱり分からなかった。
ふと、目線を真上に向けてみる。かなり上の方に、俺が落ちてきたと思われる穴がぽっかりと口を開けていた。
「あー、あそこから落ちたのか。よく無事だったよな、お……れ……?」
自分の落ちたであろう場所へと振り返り……俺は、凍りついた。
先程までまったく気づいていなかったが、俺が落ちた場所にはソファがあった。恐らくこれがクッションになったのだろう。それは別に問題ではない。
問題なのは、ソファの足元。
床板に埋もれて身動き一つしない、紫色のローブを着た女の子がいた。
その手に、俺の秘蔵本を持って。
「…………え?」
何でこんな所に女の子がいるのか。何で俺の秘蔵本をこの子が持ってるのか。
そんな事を考えるよりも早く、俺は彼女の元へ走り出していた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして現在に至る。
謎の幼女、死亡を確認。
「やっちまった……どうしよう、どうしよう……!?」
さっきから、身体の震えが止まらない。何て事をしてしまったんだと言う声が、頭の中をぐるぐると回っている。
俺が屋敷に来なければ。俺が足元を確かめずに入ったから。俺のせいだ。
俺が、俺がこの子を……殺し……。
「…………うー……うる、さい……」
「っ!?」
突然、声が聞こえた気がした。慌てて周りを見渡すも、ここには俺しかいない。
幻聴か……はは、俺もとうとうやばいな。
「やばい、って?今私に、セクハラしてる、この状況?」
「そうそう、お前にセクハラ……は?」
幻聴じゃない。すぐ近くから声がした。幼い女の子の声。
まさかと思い顔を上げると、じとーっとした眼でこちらを見る幼女と目が合った。
「あなた、誰?なんで、わたしの部屋に、いるの?」
――まぶたを開く。瞳孔が完全に開いている、ランプの光にも反応なし。
――手首に指を添える。脈、なし。
――胸に耳を当てる。心臓、止まってる。
――やっちまった。
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事の起こりは数時間前。
朝一で買いに行き、バッグの中にしまったはずの秘蔵本が消えていたのに気付き、慌てて行き付けの酒場や購入した店を、暗くなるまで探しまわった。
結局有力な情報は得られず、肩を落としながら自宅へ帰ってきた俺を出迎えたのが、今俺の目の前で笑っている糞親父である。
「あの時か!昼飯食ってる最中に、『悪い、ちょっと便所』つって一度、席を離れた時か!向かう振りして、俺の部屋にあったバッグから抜き取ったんだな!」
「つい出来心でやった、今は反省も後悔もしていない」
「してないのかよっ!?つーか何でこんな事したんだ、ガキじゃあるまいし!」
「……それはだな」
と、親父はいつになく真剣な表情になった。
ただならぬ雰囲気の中、俺は次の言葉を待つ。
「お前、この年になってまだ○貞だろ?」
「ぐっはぁぁっ!?」
いきなり何を言い出すんだこいつは。
「いや真面目な話、お前このままだと女に縁がないまま一生を終える事になるだろ。聞いたぞ、昨日はパーティ組んだ女戦士のシータちゃんに振られ、一昨日は酒場の看板娘クララちゃんに振られ、その前は……」
「もう止めてくれ、俺のライフはゼロだよ!」
「正直、俺には何の関係もないわけだが……この前道行く女共が『クスクス、次は誰が気がある振りしてやろっか』とか相談してるのが聞こえてな、流石に不憫に思ったわけだ。そろそろ孫の顔も見たいような見たくないような年にもなったし、つーわけでお前に女あてがう事にした。これも俺の優しい親心って奴だな」
その時、親父の口からありえない台詞を聞いた気がしたんだ。
否定してほしい様なしてほしくない様な、そんな台詞を。
「…………親父、もう一度言ってくれ」
「ん?だから、正直お前が女にモテようがモテまいが」
「悪いがもっと後」
「道行く女共がクスクス」
「それもショックだが、もっと後だ」
「俺の優しい親心」
「少し前へ」
「お前に女あてがう事にした」
「はいそこ!そこだ!俺に女を紹介する!?本当か!?」
「おう。実は隠し場所で、お前の事を待っているよう言っておいた。……将来有望の美人だ、男を見せろよ」
「何その羞恥プレイ、でも感謝するぜ親父ぃぃぃぃ!」
ひゃっはー○貞卒業だー、などとひとしきり騒いだ後、どこで待ち合わせなのか確認することにした。
「で、どこにいるんだよその美女は?宿屋か?」
「あぁ、彼女とお前の秘蔵本は――」
――俺の住む街には、一軒の古い屋敷がある。
屋根はボロボロ、窓はほとんど割れ、玄関の戸は思い切り蹴れば壊れそう。
まさに、絵に描いた様な幽霊屋敷だ。
かつて魔術師の一家が住んでいて、魔法の実験に失敗して全滅したとか。
どっかの貴族が別荘代わりに建てたはいいが、結局一度も使わないまま放置されたとか。
あるいはその寂れ具合から、いやいやこれは前時代から存在する由緒正しい屋敷なのだとか。
とにかく噂には事欠かない、そんな古い屋敷なのだ。
で。俺は今、そのボロ屋敷の前に立っている。
何でも、この屋敷の一室で俺の秘蔵本とその親父が言う女が待っているらしい。
「……うし、入るか。美女が俺を待ってるんだ」
意を決し、玄関に一歩足を踏み入れた。
そしてもう一歩を踏み出そうとした、その瞬間だった。
――ミシリ、と床が嫌な音を立てた。
そして同時に、ビキビキと何かが割れる音。
「げっ!?」
慌てて足元を見ると、最初に踏み出した足を中心に、床板に亀裂が入っていくのが見えた。
不味い、と思い踏み出した足を戻そうとするも、後の祭り。
――バキィィィッ!!
「う、うわあぁぁぁ!」
そのまま床板は割れ、俺は地下へと落ちて行った。
「いてて……って、何だよここ?」
身体の痛みを感じつつ起きあがった俺の目に飛び込んできたのは、本の山だった。
……落ちた時に頭でも打ったか?と最初は疑ったが、見間違いでない事は近づいてすぐ分かった。
地下とは思えないほど広い空間に、山のように積まれた大量の本。
一冊を手にとって開いてみたが、どれも何やら難しい文字で書かれており、内容はさっぱり分からなかった。
ふと、目線を真上に向けてみる。かなり上の方に、俺が落ちてきたと思われる穴がぽっかりと口を開けていた。
「あー、あそこから落ちたのか。よく無事だったよな、お……れ……?」
自分の落ちたであろう場所へと振り返り……俺は、凍りついた。
先程までまったく気づいていなかったが、俺が落ちた場所にはソファがあった。恐らくこれがクッションになったのだろう。それは別に問題ではない。
問題なのは、ソファの足元。
床板に埋もれて身動き一つしない、紫色のローブを着た女の子がいた。
その手に、俺の秘蔵本を持って。
「…………え?」
何でこんな所に女の子がいるのか。何で俺の秘蔵本をこの子が持ってるのか。
そんな事を考えるよりも早く、俺は彼女の元へ走り出していた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして現在に至る。
謎の幼女、死亡を確認。
「やっちまった……どうしよう、どうしよう……!?」
さっきから、身体の震えが止まらない。何て事をしてしまったんだと言う声が、頭の中をぐるぐると回っている。
俺が屋敷に来なければ。俺が足元を確かめずに入ったから。俺のせいだ。
俺が、俺がこの子を……殺し……。
「…………うー……うる、さい……」
「っ!?」
突然、声が聞こえた気がした。慌てて周りを見渡すも、ここには俺しかいない。
幻聴か……はは、俺もとうとうやばいな。
「やばい、って?今私に、セクハラしてる、この状況?」
「そうそう、お前にセクハラ……は?」
幻聴じゃない。すぐ近くから声がした。幼い女の子の声。
まさかと思い顔を上げると、じとーっとした眼でこちらを見る幼女と目が合った。
「あなた、誰?なんで、わたしの部屋に、いるの?」
13/10/27 23:17更新 / EMS-04
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