読切小説
[TOP]
図鑑世界童話全集「三枚のお札」
 昔々、ある退魔師のお寺で、1人の小僧さんが修行に励んでおりました。ある年の春、小僧さんは和尚さんに言いました。
「和尚様。おいら、山に行って山菜を取ってこようと思います」
 すると、和尚さんは厳しい顔をして首を横に振りました。
「ならん」
「どうして。昨日、夕飯の時に和尚様も言っていたじゃないですか。そろそろ山菜のうまい季節だと」
「山は妖の巣窟じゃ。お前のような半端者が行ったらあっという間に餌食にされるぞ」
 しかし、それでも小僧さんは諦めません。とうとう和尚さんの方が根負けしてしまいました。
「そこまで言うなら山に行くのを許してやろう。その代わり、お前に3枚のお札を渡しておくぞ。これに妖力を込めれば、1枚に付き1度だけ強力な妖術を使う事ができる」
「そんな便利なものがあったんですか。どうして今まで教えてくれなかったんですか。あんなきつい修行をする事無かったのに」
「馬鹿者。これは本来なら、1枚作ったり使ったりするだけでも相当な妖力が要る物じゃ。わしがこれを作れるようになるまでにどれだけ苦労したと思っている。ろくな修練も無しに使える物ではない」

 それから小僧さんは3枚のお札を受け取り、山に行きました。つくしにタンポポにワラビにゼンマイにと、夢中で取っていきます。しかし、あまりにも山菜を取るのに夢中になってしまった小僧さんは山から降りるのを忘れてしまい、気が付けば辺りはすっかり真っ暗になっていました。
「どうしよう。これじゃあ帰れない」
 小僧さんが途方に暮れていると、遠くに灯りのような物が見えました。そちらへ歩いていくと、小さな家があります。
「やった。助かったぞ。ごめんくださーい」
 彼が戸を叩くと、中から美しいお姉さんが出てきました。
「あらあら。可愛いお客さんだこと」
「おいら、山から降りられなくなって困っていたんです。ひと晩泊めて貰えませんか」
「あら。それは大変ね。ろくな食事も用意できないけど、うちでよかったら休んでいって」
 お姉さんはそう言っていましたが、お姉さんが出してくれた山菜の漬物やら竹の子の煮物やらはどれも、山の中を歩き回ってすっかりお腹が空いていた小僧さんにとってはこの上ないごちそうでした。お腹いっぱいになった小僧さんが囲炉裏の火の前でウトウトし始めると、お姉さんは小僧さんに言いました。
「こんな所で寝ていては風邪を引くわ。お布団を敷いておいたから横になりなさい」
 言われた通り寝室に向かおうとした小僧さんでしたが、そこでおや、と違和感を覚えました。1人しか入らなそうな大きさのお布団に、なぜか2人分の枕が並べられているのです。しかもその部屋の隅には、桃色の光を放ついかにも怪しげな灯台まで置かれています。
 なぜか猛烈に嫌な予感がした小僧さんは、咄嗟にこう言いました。
「寝る前に厠に行かせてください。おいら、寝る前に小便しておかないとおねしょしてしまうんです」
「むしろ我々の業界ではご……こほん。大丈夫よ。私はこわーい和尚さんじゃないわ。おねしょしたくらいで怒らないわよ」
「いや、その、実は大きい方もしたくなってきたんです」
「しょうがないわね。私もついて行ってあげる。この辺りは夜中になると変な獣が出てきたりするからね」

 小僧さんは厠に入ると、どうやってこの場から逃げ出そうか必死に考えます。そうしている間にも、お姉さんは厠の戸をドンドンと叩いて声をかけてきました。
「ちょっとまだなの?」
「もう少し待って」
 小僧さんは1枚目のお札を取り出し、妖力を込めながら小さな声で唱えました。
「おいらの代わりに返事をしろ」
「ちょっとまだなの?」
 すると、お札から小僧さんの声が聞こえてきました。
「もう少し待って」
 小僧さんはこの隙に、戸とは反対側の覗き窓からこっそりと外へ逃げ出しました。




 小僧さんが真っ暗な山道をしばらく走っていると、突然後ろから、山の木々が奮えそうなほどの大きな叫び声が聞こえてきました。
「待ちなさーい!」
 思わず振り返った小僧さんは、そこで腰を抜かしそうになります。お姉さんの姿が人間の子供くらいの大きさをした、大きな蝿の化け物に変わっていたのです。これは西の国で蝿の女王(ベルゼブブ)と呼ばれる妖でした。
 小僧さんは蝿の妖が物凄い勢いで飛んでくるのを見ると、2枚目のお札を取り出して大声で唱えました。
「岩山よ出ろ!」
 すると、蝿の妖を取り囲むように、周囲の山肌から剣のように鋭い岩がいくつも飛び出してきました。
「わわっ!」
 蝿の妖はそれを避けるので精いっぱいになってしまいます。小僧さんはその隙に逃げ出しました。

 しかし、それもちょっとした時間稼ぎにしかなりません。岩の剣を掻い潜ってきた蝿の妖は、再び小僧さんに追いつきそうになってきます。
「今度こそ逃がさないわよー!」
 小僧さんは最後のお札を取り出して大声で唱えました。
「大風よ吹け!」
 すると、蝿の妖がいる所を、森の木々がなぎ倒されそうになるほどの激しい嵐が吹きつけました。人間の子供くらいの大きさしかない蝿の妖は、空を飛ぶどころか地面にしがみつく事しかできなくなってしまいます。しかしそれでも蝿の妖は恐るべき執念で、地面を這うようにしてじりじりと小僧さんの所へ近づいていきます。
「こんなので、負けるものか!」
「そんな」
 もうお札が残っていない小僧さんは、全速力で走っていきました。お寺の門がようやく見えてきます。
「和尚様。和尚様。開けてください!」
 小僧さんが慌てて門を叩くと、門が少し開いて中から和尚さんが顔を覗かせました。それを見た小僧さんは、思わず目にいっぱいの涙を浮かべて抱き着きます。
「おい、一体どうしたんじゃ」
「和尚様。和尚様のおっしゃるとおり、山は恐ろしい所でした。今も怖い蝿の妖が、おいらを追ってきているのです」
「何。それは大変じゃ。わしが妖をやっつけてやろう。お前は押し入れに隠れておれ」

 押し入れに隠れた小僧さんは、そこでようやくひと息つきました。山の中を全力で走り、3枚のお札にありったけの妖力を込めた小僧さんの身体は、すっかりへとへとになっています。
「明日からはちゃんと、退魔師の修行に励むとしよう。昼だけじゃなく夜も、和尚様の言いつけをちゃんと守って」
 そう呟きながら押し入れの中で休んでいた小僧さんは、安心感からかウトウトし始めました。袴の股の所が可愛らしく盛り上がっていきます。男の人の身体は疲れ切った状態になると、疲れまらと言って玉袋が急いで新しい精を作り出そうとするのです。




 それからしばらく経ち、蝿の妖がお寺までやってきて和尚さんの前に現れました。
「和尚さん。可愛い小僧がこっちにやってきたでしょう」
 さっきまでウトウトしていた小僧さんも、押し入れの隙間からその様子をかたずをのんで見守っています。
(和尚様、早くあいつをやっつけて!)
 すると、和尚さんは蝿の妖の問いかけに対して、驚くべき答えを返しました。
「ああ。計画通り、そこの押し入れの中に追い込んでおいたぞ」
「えっ? 和尚様、いったい何を……?」
 それから、小僧さんにとってはもっと驚くべきことが起こりました。和尚さんの頭と着物の腰の所から、刃のような色や形をした淫魔の角と尻尾が飛び出してきたのです。
「ば、化け物!」
 小僧さんは慌てて後ずさりましたが、そこは狭い押し入れの中。逃げ場はありません。それに体力と妖力を使い果たした小僧さんの手足は思うように動いてくれず、まらだけが袴の中でびくりびくりと健気に頭を持ち上げています。

 通常、妖に変わる人間は女の人だけで、男の人は半妖(インキュバス)と呼ばれる状態に変わります。しかし稀に、人間の男の人が半妖ではなく淫魔(アルプ)に変わる事があり、これはその男の人が他の男の人に対して「この人と結ばれたい」といった想いを抱えていたりする時に起こったりするそうです。実は和尚さんは前から可愛らしい小僧さんと結ばれたいという想いを密かに抱えており、小僧さんの知らない所でクノイチという淫魔へと変化していたのでした。
 そしてそのクノイチになった和尚さんは、小僧さんの隠れた押し入れに目を向けながら、蝿の妖に語り掛けます。
「あやつがこの寺に戻ってきた時、山道を走って3枚のお札に妖力を込め、わしの企んだ通りに精を使い果たしておった。そして今、あやつはあの押し入れの中で隠れて休んでおる。わしも元はおのこだったから解るが、あやつの身体ではそろそろ新鮮な精がちょうどいい塩梅になっておるはずじゃ」

 小僧さんがそれからどうなったかは、もはや語るまでもないでしょう。とりあえず、今そのお寺は退魔師ではなく妖の棲家になっている、とだけ言っておきます。




・編者あとがき
 ジパングの言葉でいう妖、すなわち魔物娘は人間の女性が変化したり、人間の女性に化けていたりする事から、ジパングの退魔師のお寺の中には女性の入門を禁止し、男性の僧侶に対しても「女犯」と言って女性との結婚やセックスを厳しく禁じる戒律を敷いている所も少なくありません。
 そしてそうしたお寺では、若い小僧さんを女装させたり、「陰間茶屋」と呼ばれる男娼館で男娼を買ったりして女性の代わりに性欲処理をさせるといった事が横行している所も珍しくないと言われています。
 しかし、中にはそうした行為の結果、僧侶やその相手をした男性の中からアルプとなる者が現れたりする事もあるそうです。
 また、他にもこの「女犯」の戒律にまつわる伝承としては、「若い僧侶が一夜だけのつもりでこっそり戒律を破って女性と関係を持ったところ、相手の女性が人間に化けた白蛇で追い回される羽目になり、道成寺というお寺に逃げ込んだ所を追い付かれる」といった物も存在します。
18/10/29 20:46更新 / bean

■作者メッセージ
ちなみになぜ山姥のポジションがベルゼブブかというと、
・山姥も元ネタのベルゼブブも、地母神や豊穣神が悪魔や怪物として貶められた存在という説がある
・原典のバリエーションの中には「小さくなった山姥を丸呑みにした和尚さんが腹を下し、その厠から山姥が大量の蝿がに生まれ変わって出てくる」という物も存在する
という理由からです。

ついでに原典についてググッてみると、小僧が山姥から逃げるために「小便がしたい」と言った所「私の手にしろ」と返されるなんて話もあるそうで、「蛤女房といい、昔から日本人の発想はぶっ飛んでんなあ」とか思いました。

……素人考えではありますが一応真面目に考察すると、昔の日本では排せつ物を肥溜めに溜めて畑の肥料に使っていたため、排せつ物を「不浄な物」としてだけ捉えるのではなく同時に「新しい糧や豊穣の源」としても捉えていたのではないか、と僕は解釈しています。
日本に限らず神話で神の死骸や排せつ物が新たな糧をもたらすみたいな話も似たような発想じゃないかと。

そして最近ようやく気付いたんですがクノイチの頭にある手裏剣っぽいアレ、ただの髪飾りじゃなくてサキュバスの角だったんですね。

(追記)感想でご指摘があったので補足させていただきますが健康クロスさんのask.fmによると、サキュバスの近縁種であるクノイチにも人間の男性から変化したアルプの個体は誕生しうるそうです。

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33