読切小説
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図鑑世界童話全集「教会に入ったかわいそうな少女」
 昔々、あるところにかわいそうな少女がおりました。この娘は両親を早くに亡くし、大きな家を持つ百姓夫婦の元で女中として住み込みで働いておりました。ところがこの家の主人は非常に怒りっぽく、少女の仕事に少しでも気に入らないところがあると殴りつけてきます。この主人がお酒を飲んだ時なんか最悪で、少女に何も落ち度がなくても殴りつけてくる始末でした。止めに入れば自分が殴られるのは目に見えているので、主人の奥さんも他の使用人も少女を助けてはくれませんでした。
 せめて酒を飲む量を控えてくれと少女は何度も主人に懇願しましたが、女中が主人に指図するとは何事だと更に殴られるのでした。
 しかもこの主人は非常にけちな性格であり、少女にはろくな食事を与えようともしていませんでした。

 ある日、少女が小屋で飼われている雌鶏とひよこの世話をしていますと、大きな鷹が飛んできて雌鶏を捕まえた事がありました。少女は慌てて雌鶏を取り返そうとしますが、鷹はあっさりと飛び去ってしまいます。騒ぎを聞きつけてやってきた主人はカンカンに怒り、少女を立てなくなるまで殴りつけました。
 翌日、ようやくベッドから起き上がれるようになった少女に主人は残ったひよこの世話をするようにいいつけました。ところが、殴られた痛みで全く眠れなかった少女はひよこの世話をしながらうとうとしてしまい、その隙に鷹がまたやってきてひよこを残らず食べてしまいました。怒った主人は再び少女を殴り、今度は何日もベッドから出られないほどの怪我をさせられました。

 そしてようやく少女が再び歩けるようになると、主人は少女に言いました。
「大枚はたいたのにこんな役立たずだとは思わなかった。動物の世話はもういい。判事の先生がブドウを注文なさったから、それを届けに行け」
 少女はブドウがたくさん入った籠と手紙を渡されました。彼女はずっとろくな食事を与えられていなかったので、ブドウを食べたくてたまらなくなってしまいます。
「こんなにたくさんあるんだし、少し食べても解らないよね」
 そして判事の家に着くと、判事は手紙を読み、籠の中のブドウを数えてからこう言いました。
「おや。手紙に書いてあるブドウの数と籠に入っている数が合わないな」
 すると、少女は観念して言いました。
「ごめんなさい判事さん。ここに来る途中で2房食べてしまったんです」
 それを聞いた判事は苦笑いしながら言いました。
「なるほど。農家の人も思わず食べてしまうくらいうまいブドウだというわけか。今回はそういう事にしておいてやろう。だが、こんな事はもうするんじゃないぞ」
 そして、判事はまた同じ数のブドウを持ってきてほしいと手紙に書いて少女に持たせました。

 翌日、また判事の所にブドウの入った籠を届けに行かされた少女は、この日もろくな食事を与えられていなかったのでブドウを2房食べてしまい、それがばれないように主人からの手紙を川に投げ捨ててしまいました。
 しかし、判事は少女がブドウの籠を持ってきたのを見るとこう言いました。
「またブドウが少ないんじゃないかね?」
 それを聞いた少女の顔は真っ青になりました。
「どうして解るんですか? 手紙は川に捨ててきたのに」
 そして少女は判事から殴られると思って身構えました。それを見た判事は悲しそうな顔をしながら百姓の主人宛に手紙を書いて渡しました。

 その日の夜、百姓の主人が少女に届けられた手紙を読むと、「この子に充分な食事を与えて、やっていい事と悪い事の分別を付けられるようにしてあげなさい」と書いてありました。それを見た主人は、少女がまた何日も立てなくなるほどに強く殴りつけるのでした。

 数日後、少女がまた再び立ち上がれるようになると、百姓の主人は少女をたくさんわらが積んである小屋に連れてきて言いました。
「判事の先生が手紙に書いたとおり、お前に世の中の道理を教えてやろう。まともな食事にありつきたいならまともに役に立つ働きをしろ。そうしないやつに飯を食う資格などない」
 いくら働いてもまともな食事なんてくださった事ないのに。少女は喉まで出かかった言葉を飲み込みます。
「いいか? 俺は今から出かけるが、夜に帰ってくるまでにこの小屋に積んであるわらを全部細かく切って馬のえさにしておくんだ」
 そして、主人は空になった酒瓶を持ち上げて言いました。
「俺が帰ってくるまでに終わってなかったらこうだからな」
 主人は酒瓶で小屋の壁を思いっきり殴りつけます。瓶が粉々に割れるのを見て、少女の顔はまた真っ青になりました。そんな少女に、主人はたったひと切れの小さなパンを食事として渡しました。

 主人が奥さんや他の使用人を連れて出かけると、少女は言われた通りの作業をしようとしましたが、小屋の中は隙間風がびゅうびゅう吹き付けており、手がかじかんでまともに作業になりそうもありませんでした。そこで少女は主人の奥さんのお気に入りのコートをこっそり持ち出し、小屋のそばで火を焚いてそこで作業をすることにしました。
 ところが、少女は空腹でまともに頭が働かずにふらふらになってしまいます。そして気が付くと、コートの裾に火が付いてしまいました。少女は慌ててコートを脱いで火を消しましたが、高価なコートは真っ黒こげになってしまいます。しかもコートに付いた火を消そうと振った時に飛び散った火の粉が小屋の中に入り、そこにあるわらにまで火が付いてしまいました。
「どうしよう。このままでは確実に殺されるわ」
 粉々になった酒瓶が少女の脳裏をよぎります。その時、少女は百姓の主人が台所の戸棚にある壺と瓶の中身を空けてはいけないと言っていたのを思い出しました。中には強力な毒が入っているからと。
「そうだわ。どうせ殺されるなら、殴られて痛い思いをする前に自分で死んでやる」
 少女は百姓の家へと走ると、戸棚にある小さな壺と瓶を取り出します。そして壺の方を開けてみると、中から甘くておいしそうな匂いがしました。
 実は、毒が入っているというのは壺と瓶の中身に手を付けられないようにするために百姓の主人がついた嘘でした。本当は主人の持ち物の中でもとびきり高級な蜂蜜とワインが入っていたのです。
「あら。こっちの毒は甘くておいしそうね。これなら楽に飲み干せるわ」
 そう言うと少女は壺の中に入っていた蜂蜜をあっという間に平らげてしまいました。そして椅子に座り、自分が死ぬのを今か今かと待ちます。しかし、当然それで死ぬはずがありません。むしろ栄養のある高級な蜂蜜をお腹いっぱいに食べたことで気分がよくなってきました。
「変ね。今度はこっちの毒を試してみましょうか」
 今度は瓶の栓を外します。すると、匂いを嗅いだだけでも気分が悪くなってきました。
「うっ。今度こそちゃんとした毒に違いないわ」
 そして、少女は毒と勘違いしたワインをグラスに注ぎ、口を付けました。飲んでいると頭が痛くてクラクラしてきますが、どうにか1杯飲み干します。
「よかった。今度こそちゃんと毒が効いてきたみたい」
 少女がそう言ったとき、どこからか笛の音が聞こえてきました。
「あら。あの世からお迎えが来たのかしら」
 そう言うと少女は椅子から立ち上がり、フラフラとした足取りで家を出ると、歌声のする方向へと歩いていきました。その先にはバッカス神の教会があります。扉を開けて中に入ると、真っ白な衣装を着た可愛らしい子供たちが歌の練習をしていました。少女は酔いでろくに焦点も定まらなくなってきた目で子供たちの方を見ます。
「あそこに天使様がいる。きっとここが天国なのね」
 少女はそう呟くと、突然の闖入者に驚く子供たちの目の前でばったりと倒れました。




 しばらくして、少女はベッドの上で目を覚ましました。まだ頭がズキズキ痛みます。
「ここはどこかしら。天国……じゃないわよね?」
 辺りを見回すと、そこはベッドの他には小さな机があるだけの質素な部屋でした。
「よかった。目を覚ましたんだね」
 声がした方を見ると、そこにサテュロスが立っていました。その凛々しい顔立ちとほんのり香る甘い匂いに、少女の頭は再びぼうっとしてきます。しかしそれはワインを毒と勘違いして飲んだ時のような苦しい物ではありませんでした。
 サテュロスのお姉さんは少女に水の入ったグラスを差し出します。
「ほら。これを飲みなさい」
「ありがとうございます。……あの、私はどうしてここに?」
「覚えていないのかい? 酔っ払ってこの教会の礼拝堂で倒れたんだよ。それにしても、倒れたのが外の誰もいない所じゃなくてよかったね。今日は随分寒かったから、今頃凍え死んでいたかもしれないよ」
 それから、サテュロスのお姉さんは少女が水に少しずつ口を付けるのを見て言いました。
「それにしても私達みたいなサテュロスならともかく、人間がそんな小さい歳から酒を飲むのは感心しないね。酒はみんなで楽しく気持ちよくなるためのものだ。自分や他人を傷つけるための物じゃない」
「傷つけるための物じゃない……」
 少女はサテュロスのお姉さんに今までの経緯を話します。すると、サテュロスのお姉さんは非常に怒った様子で言いました。
「『酒に酔い、全てをさらけ出した状態こそが、その物の本来の姿であり、あるべき姿である』。それがバッカス様の教えなのは確かだ。だけどその本性が他人を傷つける物なら、自分をごまかさずに改める努力をしなければならないというのもバッカス様の教えなんだ。酔っ払って子供を殴っても平気でいるとか、ましてや素面でも殴りつけてくるような奴の所になんて帰る必要は無いよ」
 それを聞くと、少女の心の中で今まで抑えてきた物があふれ出し、彼女はわっと泣き出します。
「今まで頑張ったね」
 それだけ言うと、サテュロスのお姉さんは少女の頭を優しく撫でてくれました。




 その日から、少女はバッカス神の教会で神官の見習いとして置いてもらう事になりました。サテュロスのお姉さんはバッカス神の教義だけでなく、百姓夫婦が教えてくれなかった勉強や生活に必要な事を少女に教えてくれました。教会では信徒や外部の人々を交えた酒宴を催したり、食べる物のない人達のためにお酒や食事を提供してあげたりする活動を行っており、見習いとしてそれを手伝いながら勉学に励むのは決して楽な事ではありませんでした。しかし、百姓夫婦の元にいた時みたいに行動をあら捜しされて殴られるような事が無くなっただけでも少女にとっては気が楽になりましたし、何より勉強や手伝いがうまくできるとサテュロスのお姉さんが褒めてくれるのはとても嬉しいものでした。

 そして少女が国の法律で結婚できる歳になった誕生日に、サテュロスのお姉さんは彼女が持っている中で特に上等なサテュロスワインをプレゼントしてくれました。
「結婚したい人ができたら、このワインを開けてその人と一緒に飲みなさい」
 お姉さんからそう教えてもらった少女は、お姉さんにこう言いました。
「それなら、このワインを私と一緒に飲んでもらえませんか」
 その日、少女はサテュロスワインの心地よい酩酊の中でロストバージンを迎え、サテュロスのお姉さんからお酒と性の愉しさを教わり、翌朝目を覚ました時には自分もサテュロスとなっていました。
 それからも少女はお姉さんと一緒に暮らし、バッカス神の神官として、お酒で他人や自分を傷つけるのではなくみんなで楽しく気持ちよくなる事の大切さをたくさんの人達に伝えていったそうです。




 ところで、少女が前に働いていた百姓の家ですが、わらに火が付いたまま少女が出て行ってしまった事で、わらの小屋だけでなく他の小屋や家まで火事になってしまいました。収穫した作物も灰になり、飼われていた動物達も逃げ出します。
 主人が帰ってきたころには彼の財産も大好きなお酒もすっかり燃えて無くなってしまっており、その後奥さんも出て行ったそうです。
18/04/09 22:01更新 / bean

■作者メッセージ
元ネタはグリム童話の「お墓に入ったかわいそうな少年」です。

現代の漫画でも「子供が誤って酒を飲んでしまい、『何これおいしい』とか言いながら酔っ払う」という表現はたまに見かけますが、お酒が全然飲めない体質の身としてはよく途中で気分が悪くなったりぶっ倒れたりしないなとか思ってしまいます。

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