幕間〜シュナイネ領主の屋敷にて〜
深夜にもかかわらず、赤いじゅうたんが敷き詰められた屋敷の一室には煌々と明かりが灯っていた。
ヴァンパイアは夜にこそ本領を発揮するが、シュナイネ家はれっきとした領主である。領内には当然人間や昼間に活動する魔物たちも住んでいるため、領主も日中に活動せざるを得ない。それ故、こうして夜中にエレオノーレが起きていることは非常に珍しいことだった。
「お茶が入りましたよー」
副女給長のマーサ・コンラーディンが部屋に入ると、中央のテーブルを1人の人間と2人のヴァンパイアが囲っていた。猟犬ヘクトルと庭師アニカ、それに領主エレオノーレである。ヴァンパイア二人の視線は卓上の地図に注がれ、ヘクトルの目は手に持った事件に関する資料らしきものに向けられていた。
「本日は徹夜ということで、糖分をたっぷり摂取して頑張ってくださいねー」
豊かな赤髪と胸を揺らしながらテキパキとカップとソーサーを置いて回ると、白湯に蜂蜜と生姜を溶かしたものをなみなみと注いだ。
この季節に温かいものか、と2人のヴァンパイアはうんざりした顔をする。丁寧に礼を言ったのはヘクトル唯一人だった。その言葉ににっこりと微笑んで応えたマーサは、彼の持つ資料を覗きこんだ。
「場所はわかったんじゃないんですか、アナタ」
「ええ、そうなんですが…」
「何かがおかしいのだ」
歯切れの悪いヘクトルの言葉をエレオノーレが引き継いだ。
「おかしい、ですか?……はっ!背後に巨大な悪の影が?!燃え燃えですね!!」
「その程度ならいいんだけどねぇ」
アニカが頬づえをついて、白磁のような指で地図を叩いた。
「浅はかすぎるのだ」
「ご主人様が?」
「…ヘレナ」
エレオノーレが指を鳴らすと、音もなく女給長がマーサの背後に現れた。彼女が振り向く前にがっしと肩を掴み、その耳にぽそぽそと何かを囁く。そしてヘレナが去るころには、真っ青になったマーサがそこにいた。
「…ゴシュジンサマハスバラシイオカタデス」
「ふんっ」
当然だと言いたげにエレオノーレが鼻で笑い、その赤い瞳をアニカに向ける。
「アニカ、本当にここで良いんだな?」
「庭師一同、更に町の業者の意見や屋敷にあった資料を総合した結果、そうとしか言えないよ」
「ですが、何というか…」
三人の視線が卓上の地図に向かう。その先には、シュナイネ南西部に広がる石窟地帯。
通称『魔法使いの家』。
昔、まだネーヒストという国が成立する以前の事。かつてその石窟地帯には魔術師達が隠れ住み、独自の魔術体系を研究していたという。夜になると白蟻の巣のように空いた穴から不気味な灯りが漏れ出していたとか、いないとか。
国家成立に当たってここにいた魔術師たちはシュナイネに合流した。今では崩落等々の危険もあって人が好んで寄り付くような場所ではない、筈である。
事件現場で回収した黄土はこの地帯のものに非常に似ていた。
黄土、土といえども地域ごとの特色が存在する。含まれる鉱石類の割合や粒子の大きさを見れば、母岩の存在する山脈や風の関係から黄土のあった場所が大体分かるのである。
「隠れ家にしてはひねりが無いというか…隠れる気があるのかっ?!」
「くくくくくっ。果たして相手は趣があるのか、自信家なのか、それとも真性の馬鹿なのか」
「アタシ、オイテケボリデスネ」
「マーサ。大丈夫ですか。というかヘレナさんに何を言われたんですか」
「アア、アナタガギューッテダキシメテクレレバ、モトニモドルカモ」
エレオノーレが親指と中指の腹を合わせ、その手を見せつけるように挙げた。すぐさまマーサが青い顔のまま作り笑いを浮かべる。
「…で、それの何が浅はかなんですか?」
お前には関係ない、というふうにそっぽを向くエレオノーレに代わって、ヘクトルが説明した。
「事件の内容は大体ご存知ですね?」
「ええ、まあ」
この数日、領内の独身男性がゴーレムに遭遇したという事件が起こっていた。
その程度で事件、と思うかもしれないが、それなりの理由がある。
ネーヒストでは奴隷制およびゴーレムの製造を人道的見地から禁止している。もっともゴーレムについては製造数と使用目的さえ領主に届け出て、審査を通れば様々な条件付きで製造が認められるのだが。
今回それに加えて問題なのは、ゴーレム達が精を集めていると言う事である。
単に魔物のエネルギー源として用いられるならまだしも、何らかの魔術的儀式に用いられると非常に厄介である。単体では役に立たないものの、魔術と組み合わせることによってその術式規模は精霊無しでも爆発的に大きくなってしまうのだ。
いうなれば領内から硫黄が持ちだされているようなものである。大人しく薬種にでも使ってくれればいいのだが、火薬なんぞを創られると非常にまずい、というワケだ。見逃すわけにはいかない。
「で、そのゴーレムが曲者なんだよ。ねぇ、ヘクトル君?」
「ええ」
領家直属守備隊の調べによれば人相、もといゴーレム相は一致していない。なおかつ同日に複数カ所で事が起こったこともあったことから、犯人がゴーレムの生産体制を整えているのは明白である。
更に厄介なことに、ゴーレム達は魔法が使えるのだという。
ゴーレム達は空間操作や消音魔法といったものを駆使し、一晩だけ男と体を重ねる。そして事が終わるとまた何処へと去ってしまうのだと言う。
「ねぇねぇアニカちゃん。ゴーレムが魔法を使えるってすごいの?」
「そうだねぇ。使い所の指示やら術式の強度やら、決めることが沢山あって普通は使わせないよ。少なくとも小型の大量生産体にはバカ力だけで十分。設定がいちいち面倒だからね」
「しかも、消音魔法はともかく空間操作は洒落になりません。やっと魔力感知術式に引っ掛かって実物を見る事が出来ましたが、セニョリータ曰くどんな術式か見当もつかないそうです」
そうした強力なゴーレムは生産に手間がかかり、そこらの泥や土からお手軽に創れるような代物ではない。知識の面からいっても創りだしたのは只者ではない。
「…それが、浅はかとどんな関係があるんです?」
「マーサ」
「あら、ご主人様。機嫌は直りました?」
満面の笑みを浮かべて皮肉るマーサの言葉を無視し、エレオノーレは続ける。
「考えてみろ。貴様はすごく賢い。能力もある。それこそ、土くれから世界最強の軍団を創りだせるぐらいな」
「はあ」
「そこでだ。そんな貴様が隠れて何かをする場合、自身を特定される恐れのある物を現場に残すか?」
「いいえ。証拠隠滅は完璧にしますよ、きっと」
「万一人に見られた場合、放っておくか?」
「まさかぁ!」
「…今回はそのまさか、なんですよねぇ」
三人が腑に落ちないのはこの事だった。
強力なゴーレム、無警戒に使われた魔法、あからさまな証拠、記憶消去はおろか口封じすらされていない被害者達。
首謀者は魔術師、という犯人像から一向に進展しない。その性格はおろか、組織的なものか個人的なものかすらも。
そして何より奇妙な点がある。
「何ですか?」
「被害者達がな…被害者として来たんじゃないんだ」
「……は?」
エレオノーレの言葉を受け、異国の言葉を聞いたかのような顔でマーサがヘクトルを見る。彼は一度だけ深く頷いた。
「彼らは『ゴーレムに襲われた』と守備隊に届け出たんじゃないんです。名目上そうなっているだけで、実際は『探して欲しい人がいる』と、人探しを訴えに来たんです」
彼は再び資料を手に取った。
調べでは彼らが魅了の魔術がかかっていた様子はなく、正常な判断力を持ちあわせていたことが明らかになっている。彼らは強姦ではなく和姦。押し倒されたり押し入られたりはしたものの、同意のもとで関係を持ったのである。
『彼女を探し出して欲しい』
その言葉に強姦された犯人に対する恨みはなく、どちらかといえば消えた恋人の行方を案じるようだったという。
探し出して欲しい。果たして彼らにそう言わしめたものは、一体何なのだろうか。
「マーサ、どう思いますか」
「…ヘクトル。女給なんぞに意見を求めてどうする」
「四人寄ればミネルヴァの知恵っていうじゃないか、お嬢様。それとも庭師なんぞの意見もお役に立たなかったのかな?」
くくくくっと楽しげに笑うアニカに、それを忌々しげに睨みつけるエレオノーレ。
そんな二人を尻目にマーサは顎に手をやり、ヘクトルはじっと彼女の言葉を待った。
「………罠、でしょうか」
「ふむん…。まあ、やっぱりそういうのが妥当ですよね。僕も同意見です」
「もしくは」
その言葉に、三人の視線がマーサに集まった。彼女はそんな事も気にかけずに続ける。
「ゴーレム達が、命令とは違う行動をしている、とか」
おそるおそる言うマーサに、アニカがいかにも面白そうな顔で唸った。
「成程。それも面白いねぇ。つまり我々を誘っているのは創造主の方じゃなくてゴーレムの方だと」
「だが、命令に従わないゴーレムなんてゴーレムではないだろう」
「ルーンを書き変えるゴーレムってのもいるらいしいじゃないか」
「ですがわかりません。何故そんな事を」
肩をすくめるヘクトルに、マーサとアニカが顔を見合わせてから声をそろえて言った。
「男、だね」
「男、ですね」
今度はエレオノーレとヘクトルが顔を見合わせた。
「それじゃ何か?男の元に戻りたいが為にわざと証拠を残していると」
「その通り」
「愛の為に主人に刃向い、精一杯の抵抗をする………萌え燃えですね!!」
「もえもえは良いですが、あまりに話が出来過ぎですよ。まるでロマンス小説です」
「そうですかぁ?」
ヘクトルはエレオノーレに目をやる。目を閉じて、静かに俯いている主人に。
「…寝てないよね、お嬢様」
アニカを横目に見ながらヘクトルが人差し指を立てた。
そうしてしばらく沈黙が部屋を支配した後、エレオノーレが口を開いた。
「いずれにせよ、場所の特定に時間がかかってしまった…。あちらは既にそれなりの精を確保した筈だ。明日動き出さないとは言い切れん」
「えーと、どれどれ………たった十人分じゃないですかぁ」
ヘクトルの肩越しに資料を覗きこみ、マーサが呆れたように言った。
「シュナイネ領だけの話に限ったものではないかもしれん。転移魔法を使えば多少離れた場所にも送れるはずだ」
それに、とヘクトルが続く。
「他国なら、農奴や低階層の家に送れば見つかりにくい。捜査体制が整えられるどころか明らかになっていない可能性もあります」
「それにこうして詰めているばかりでは埒が明かん。たとえ罠だとしても…な」
エレオノーレとヘクトルの視線が交わる。彼は素早く立ち上がり、彼女の前に跪いた。
「領主、グレーフィン・エレオノーレ・フォン・シュナイネが命ずる。猟犬、鎖を外す」
「はっ」
ただし、と彼女は続ける。
「あちらの得体が知れぬ。あくまで偵察だ。対魔術戦を考慮した軽装備で、極力荒事は避けろ。だが万一の時は……」
そこでエレオノーレは言葉を詰まらせる。
マーサは不思議そうな顔を、アニカは何か咎めるような目つきを彼女に向けるものの何も言わない。ヘクトルも頭を垂れたまま彼女の言葉を待った。
ほんの数回空気を噛んだ後、エレオノーレは凛とした声で言った。
「『喰らいつけ』。だがいいな、情報と共に帰還することが最優先事項だ。その障害となるもののみ除け」
「了解」
「アニカ。あれは?」
領主の言葉にアニカがテーブルの下から素早く何かを取り出す。
飴色、というよりは黄土色をしたマントだった。
「御所望の魔術迷彩(マジックカム)マントだ。あの黄土に残っていたのと同じ魔力パターンを施してある。魔力探知を誤魔化せるから、闇夜にまぎれれば透明人間の出来上がりだ」
マントをくるくると丸めると、マーサに放る。彼女はそれを受け取ると、素早くヘクトルの後ろに付いた。
「マーサ、準備を手伝ってやれ」
「はいは〜い。了解です!」
「よし。行け」
「はっ」
ヘクトルが顔をあげる。その眼光に、エレオノーレは一瞬寒気を覚えた。
いつも彼女といる時とは違う、磨き上げられた刃物のような鋭い眼差し。
人間ヘクトル・ヴィッセンは今、シュナイネの猟犬となったのだ。自分がそうさせたのだ。
マーサを引きつれて部屋を出る彼を、エレオノーレは複雑な心境で見送った。
「………何がおかしい」
ヘクトルが去ってからしばらくして、エレオノーレが棘のある声で言った。
「いやなに、よく耐えたものだと思ってね」
薄暗くなった部屋の隅でアニカが不敵に笑う。
「彼に抱かれて軟弱になったかと思ったけど、相変わらず凛々しいもんだ」
『喰らいつけ』、すなわち戦闘を許可すると言う前にエレオノーレが言葉を詰まらせた時、アニカは確かにその心中を見抜いていた。
「恋人を危険にさらしたくないからって、『武器無しの偵察だけ』とか甘い命令を出すんじゃないかとヒヤヒヤしたよ」
「ふん。当然だ。私の背中には領民の命がかかっているのだぞ」
彼が強い事は誰よりも自分が知っている。…知ってはいるのだが。
僅かに震える拳を押さえつけるようにもう一方の手で包み込み、握りしめる。
「平時は恋人でも、この瞬間は主人と猟犬だ。主人の迷いは鎖を通じて犬に伝わる。その迷いは必ず犬を殺す…。それに、あえて危機に踏み込ませてこそ開く活路もあるのだ」
自身を奮い立たせるようにエレオノーレが笑う。
満足気に微笑んだアニカは部屋を後にしようとする。と、彼女をエレオノーレが震える声で呼びとめた。
「…お前は、心配じゃないのか?」
「おおっとっと。さっきの台詞で終わっていればカッコ良かったのに」
くくくくっとアニカが笑う。
「お嬢様。君は彼の強さをよく知っているらしいけど、ヘクトル君とやりあった事はあるかい?」
「…どういうことだ?」
「ヘクトル君に、猟犬ヘクトルに本気で勝負を挑んだことがあるかいって訊いてるんだよ」
あるワケがない。第一主人と猟犬という立場に加え、あのヘクトルの事だ。カードやチェスを除いたよほどの事態でない限りエレオノーレに勝ちを譲るだろう。
と、彼女はアニカの質問の真意に気が付いた。
腕組みをしたアニカがドアに背を預けた。
「私はあるよ。捕まる時、彼と本気の鬼ごっこをした。…もっとも、本気だったのは私だけだったけどね。聞く所によると、マーサ君は実際に闘ったそうじゃないか。きっと彼女も私と同じだ」
心中を覗かれたように感じたエレオノーレはただ眉を顰める。それが心底可笑しくてたまらない、というようにアニカが笑った。彼女の知らないヘクトルを知っている、という優越感が彼女を支配していた。
弱々しい灯りの中、アニカの影が大きく伸びる。エレオノーレはその黒い影にかつての彼女、『貴族』フュルステイン・アニカ・フォン・フィードラーを見た気がした。
「覚えておきなよ、エレオノーレ。君の飼ってる犬はそこいらのドーベルマンやハウンドじゃない。伝説の猟犬ライラプス…いや、冥府の番犬ガルムだよ」
さしずめ君は女神ヘルだ、とアニカは付け加える。
「君は彼を甘く見過ぎだ。彼が死ぬ時はきっと、このシュナイネが為す術も無く攻め落とされる時だよ」
「………」
「彼の強さを頭で分かっているってだけじゃなくてさ、実際に一度鬼ごっこでもしてみたらどうだい?安心を通り越して恐ろしくなるかもだけど…。まぁベッドの上で乗馬ばかりじゃ、退屈だろう?」
そう言うと彼女はひらひらと手をふりながら主人に背を向けた。
「おい、幼痴女。寝るのか?」
「まさか、準備するのさ」
「何のだ」
「ヘクトル君を労わる為の、だよ。入浴後、きわどい下着をつけて彼の帰りを待つのさ。勿論ベッドの上で」
ぱちり、とエレオノーレが指を鳴らすとドアが勢いよく閉まる。そのまま鍵がかけられ、同時に部屋中の蝋燭が勢いよく燃え上がった。
「……前々から、一度しっかり主従関係を叩き込もうと思っていたのだ」
ゆらりと幽鬼のようにエレオノーレが席を立つ。
それを見たアニカも、腕まくりして拳を鳴らした。
「そうだねぇ。彼が帰ってきた時、君が寝ていれば残るはマーサ君だけ…確かに丁度良い。手間が省けるよ」
「ほざけえぇぇぇぇっ!!」
その日のシュナイネ領主の屋敷はいつもより騒がしかったとか、そうでないとか。
ヴァンパイアは夜にこそ本領を発揮するが、シュナイネ家はれっきとした領主である。領内には当然人間や昼間に活動する魔物たちも住んでいるため、領主も日中に活動せざるを得ない。それ故、こうして夜中にエレオノーレが起きていることは非常に珍しいことだった。
「お茶が入りましたよー」
副女給長のマーサ・コンラーディンが部屋に入ると、中央のテーブルを1人の人間と2人のヴァンパイアが囲っていた。猟犬ヘクトルと庭師アニカ、それに領主エレオノーレである。ヴァンパイア二人の視線は卓上の地図に注がれ、ヘクトルの目は手に持った事件に関する資料らしきものに向けられていた。
「本日は徹夜ということで、糖分をたっぷり摂取して頑張ってくださいねー」
豊かな赤髪と胸を揺らしながらテキパキとカップとソーサーを置いて回ると、白湯に蜂蜜と生姜を溶かしたものをなみなみと注いだ。
この季節に温かいものか、と2人のヴァンパイアはうんざりした顔をする。丁寧に礼を言ったのはヘクトル唯一人だった。その言葉ににっこりと微笑んで応えたマーサは、彼の持つ資料を覗きこんだ。
「場所はわかったんじゃないんですか、アナタ」
「ええ、そうなんですが…」
「何かがおかしいのだ」
歯切れの悪いヘクトルの言葉をエレオノーレが引き継いだ。
「おかしい、ですか?……はっ!背後に巨大な悪の影が?!燃え燃えですね!!」
「その程度ならいいんだけどねぇ」
アニカが頬づえをついて、白磁のような指で地図を叩いた。
「浅はかすぎるのだ」
「ご主人様が?」
「…ヘレナ」
エレオノーレが指を鳴らすと、音もなく女給長がマーサの背後に現れた。彼女が振り向く前にがっしと肩を掴み、その耳にぽそぽそと何かを囁く。そしてヘレナが去るころには、真っ青になったマーサがそこにいた。
「…ゴシュジンサマハスバラシイオカタデス」
「ふんっ」
当然だと言いたげにエレオノーレが鼻で笑い、その赤い瞳をアニカに向ける。
「アニカ、本当にここで良いんだな?」
「庭師一同、更に町の業者の意見や屋敷にあった資料を総合した結果、そうとしか言えないよ」
「ですが、何というか…」
三人の視線が卓上の地図に向かう。その先には、シュナイネ南西部に広がる石窟地帯。
通称『魔法使いの家』。
昔、まだネーヒストという国が成立する以前の事。かつてその石窟地帯には魔術師達が隠れ住み、独自の魔術体系を研究していたという。夜になると白蟻の巣のように空いた穴から不気味な灯りが漏れ出していたとか、いないとか。
国家成立に当たってここにいた魔術師たちはシュナイネに合流した。今では崩落等々の危険もあって人が好んで寄り付くような場所ではない、筈である。
事件現場で回収した黄土はこの地帯のものに非常に似ていた。
黄土、土といえども地域ごとの特色が存在する。含まれる鉱石類の割合や粒子の大きさを見れば、母岩の存在する山脈や風の関係から黄土のあった場所が大体分かるのである。
「隠れ家にしてはひねりが無いというか…隠れる気があるのかっ?!」
「くくくくくっ。果たして相手は趣があるのか、自信家なのか、それとも真性の馬鹿なのか」
「アタシ、オイテケボリデスネ」
「マーサ。大丈夫ですか。というかヘレナさんに何を言われたんですか」
「アア、アナタガギューッテダキシメテクレレバ、モトニモドルカモ」
エレオノーレが親指と中指の腹を合わせ、その手を見せつけるように挙げた。すぐさまマーサが青い顔のまま作り笑いを浮かべる。
「…で、それの何が浅はかなんですか?」
お前には関係ない、というふうにそっぽを向くエレオノーレに代わって、ヘクトルが説明した。
「事件の内容は大体ご存知ですね?」
「ええ、まあ」
この数日、領内の独身男性がゴーレムに遭遇したという事件が起こっていた。
その程度で事件、と思うかもしれないが、それなりの理由がある。
ネーヒストでは奴隷制およびゴーレムの製造を人道的見地から禁止している。もっともゴーレムについては製造数と使用目的さえ領主に届け出て、審査を通れば様々な条件付きで製造が認められるのだが。
今回それに加えて問題なのは、ゴーレム達が精を集めていると言う事である。
単に魔物のエネルギー源として用いられるならまだしも、何らかの魔術的儀式に用いられると非常に厄介である。単体では役に立たないものの、魔術と組み合わせることによってその術式規模は精霊無しでも爆発的に大きくなってしまうのだ。
いうなれば領内から硫黄が持ちだされているようなものである。大人しく薬種にでも使ってくれればいいのだが、火薬なんぞを創られると非常にまずい、というワケだ。見逃すわけにはいかない。
「で、そのゴーレムが曲者なんだよ。ねぇ、ヘクトル君?」
「ええ」
領家直属守備隊の調べによれば人相、もといゴーレム相は一致していない。なおかつ同日に複数カ所で事が起こったこともあったことから、犯人がゴーレムの生産体制を整えているのは明白である。
更に厄介なことに、ゴーレム達は魔法が使えるのだという。
ゴーレム達は空間操作や消音魔法といったものを駆使し、一晩だけ男と体を重ねる。そして事が終わるとまた何処へと去ってしまうのだと言う。
「ねぇねぇアニカちゃん。ゴーレムが魔法を使えるってすごいの?」
「そうだねぇ。使い所の指示やら術式の強度やら、決めることが沢山あって普通は使わせないよ。少なくとも小型の大量生産体にはバカ力だけで十分。設定がいちいち面倒だからね」
「しかも、消音魔法はともかく空間操作は洒落になりません。やっと魔力感知術式に引っ掛かって実物を見る事が出来ましたが、セニョリータ曰くどんな術式か見当もつかないそうです」
そうした強力なゴーレムは生産に手間がかかり、そこらの泥や土からお手軽に創れるような代物ではない。知識の面からいっても創りだしたのは只者ではない。
「…それが、浅はかとどんな関係があるんです?」
「マーサ」
「あら、ご主人様。機嫌は直りました?」
満面の笑みを浮かべて皮肉るマーサの言葉を無視し、エレオノーレは続ける。
「考えてみろ。貴様はすごく賢い。能力もある。それこそ、土くれから世界最強の軍団を創りだせるぐらいな」
「はあ」
「そこでだ。そんな貴様が隠れて何かをする場合、自身を特定される恐れのある物を現場に残すか?」
「いいえ。証拠隠滅は完璧にしますよ、きっと」
「万一人に見られた場合、放っておくか?」
「まさかぁ!」
「…今回はそのまさか、なんですよねぇ」
三人が腑に落ちないのはこの事だった。
強力なゴーレム、無警戒に使われた魔法、あからさまな証拠、記憶消去はおろか口封じすらされていない被害者達。
首謀者は魔術師、という犯人像から一向に進展しない。その性格はおろか、組織的なものか個人的なものかすらも。
そして何より奇妙な点がある。
「何ですか?」
「被害者達がな…被害者として来たんじゃないんだ」
「……は?」
エレオノーレの言葉を受け、異国の言葉を聞いたかのような顔でマーサがヘクトルを見る。彼は一度だけ深く頷いた。
「彼らは『ゴーレムに襲われた』と守備隊に届け出たんじゃないんです。名目上そうなっているだけで、実際は『探して欲しい人がいる』と、人探しを訴えに来たんです」
彼は再び資料を手に取った。
調べでは彼らが魅了の魔術がかかっていた様子はなく、正常な判断力を持ちあわせていたことが明らかになっている。彼らは強姦ではなく和姦。押し倒されたり押し入られたりはしたものの、同意のもとで関係を持ったのである。
『彼女を探し出して欲しい』
その言葉に強姦された犯人に対する恨みはなく、どちらかといえば消えた恋人の行方を案じるようだったという。
探し出して欲しい。果たして彼らにそう言わしめたものは、一体何なのだろうか。
「マーサ、どう思いますか」
「…ヘクトル。女給なんぞに意見を求めてどうする」
「四人寄ればミネルヴァの知恵っていうじゃないか、お嬢様。それとも庭師なんぞの意見もお役に立たなかったのかな?」
くくくくっと楽しげに笑うアニカに、それを忌々しげに睨みつけるエレオノーレ。
そんな二人を尻目にマーサは顎に手をやり、ヘクトルはじっと彼女の言葉を待った。
「………罠、でしょうか」
「ふむん…。まあ、やっぱりそういうのが妥当ですよね。僕も同意見です」
「もしくは」
その言葉に、三人の視線がマーサに集まった。彼女はそんな事も気にかけずに続ける。
「ゴーレム達が、命令とは違う行動をしている、とか」
おそるおそる言うマーサに、アニカがいかにも面白そうな顔で唸った。
「成程。それも面白いねぇ。つまり我々を誘っているのは創造主の方じゃなくてゴーレムの方だと」
「だが、命令に従わないゴーレムなんてゴーレムではないだろう」
「ルーンを書き変えるゴーレムってのもいるらいしいじゃないか」
「ですがわかりません。何故そんな事を」
肩をすくめるヘクトルに、マーサとアニカが顔を見合わせてから声をそろえて言った。
「男、だね」
「男、ですね」
今度はエレオノーレとヘクトルが顔を見合わせた。
「それじゃ何か?男の元に戻りたいが為にわざと証拠を残していると」
「その通り」
「愛の為に主人に刃向い、精一杯の抵抗をする………萌え燃えですね!!」
「もえもえは良いですが、あまりに話が出来過ぎですよ。まるでロマンス小説です」
「そうですかぁ?」
ヘクトルはエレオノーレに目をやる。目を閉じて、静かに俯いている主人に。
「…寝てないよね、お嬢様」
アニカを横目に見ながらヘクトルが人差し指を立てた。
そうしてしばらく沈黙が部屋を支配した後、エレオノーレが口を開いた。
「いずれにせよ、場所の特定に時間がかかってしまった…。あちらは既にそれなりの精を確保した筈だ。明日動き出さないとは言い切れん」
「えーと、どれどれ………たった十人分じゃないですかぁ」
ヘクトルの肩越しに資料を覗きこみ、マーサが呆れたように言った。
「シュナイネ領だけの話に限ったものではないかもしれん。転移魔法を使えば多少離れた場所にも送れるはずだ」
それに、とヘクトルが続く。
「他国なら、農奴や低階層の家に送れば見つかりにくい。捜査体制が整えられるどころか明らかになっていない可能性もあります」
「それにこうして詰めているばかりでは埒が明かん。たとえ罠だとしても…な」
エレオノーレとヘクトルの視線が交わる。彼は素早く立ち上がり、彼女の前に跪いた。
「領主、グレーフィン・エレオノーレ・フォン・シュナイネが命ずる。猟犬、鎖を外す」
「はっ」
ただし、と彼女は続ける。
「あちらの得体が知れぬ。あくまで偵察だ。対魔術戦を考慮した軽装備で、極力荒事は避けろ。だが万一の時は……」
そこでエレオノーレは言葉を詰まらせる。
マーサは不思議そうな顔を、アニカは何か咎めるような目つきを彼女に向けるものの何も言わない。ヘクトルも頭を垂れたまま彼女の言葉を待った。
ほんの数回空気を噛んだ後、エレオノーレは凛とした声で言った。
「『喰らいつけ』。だがいいな、情報と共に帰還することが最優先事項だ。その障害となるもののみ除け」
「了解」
「アニカ。あれは?」
領主の言葉にアニカがテーブルの下から素早く何かを取り出す。
飴色、というよりは黄土色をしたマントだった。
「御所望の魔術迷彩(マジックカム)マントだ。あの黄土に残っていたのと同じ魔力パターンを施してある。魔力探知を誤魔化せるから、闇夜にまぎれれば透明人間の出来上がりだ」
マントをくるくると丸めると、マーサに放る。彼女はそれを受け取ると、素早くヘクトルの後ろに付いた。
「マーサ、準備を手伝ってやれ」
「はいは〜い。了解です!」
「よし。行け」
「はっ」
ヘクトルが顔をあげる。その眼光に、エレオノーレは一瞬寒気を覚えた。
いつも彼女といる時とは違う、磨き上げられた刃物のような鋭い眼差し。
人間ヘクトル・ヴィッセンは今、シュナイネの猟犬となったのだ。自分がそうさせたのだ。
マーサを引きつれて部屋を出る彼を、エレオノーレは複雑な心境で見送った。
「………何がおかしい」
ヘクトルが去ってからしばらくして、エレオノーレが棘のある声で言った。
「いやなに、よく耐えたものだと思ってね」
薄暗くなった部屋の隅でアニカが不敵に笑う。
「彼に抱かれて軟弱になったかと思ったけど、相変わらず凛々しいもんだ」
『喰らいつけ』、すなわち戦闘を許可すると言う前にエレオノーレが言葉を詰まらせた時、アニカは確かにその心中を見抜いていた。
「恋人を危険にさらしたくないからって、『武器無しの偵察だけ』とか甘い命令を出すんじゃないかとヒヤヒヤしたよ」
「ふん。当然だ。私の背中には領民の命がかかっているのだぞ」
彼が強い事は誰よりも自分が知っている。…知ってはいるのだが。
僅かに震える拳を押さえつけるようにもう一方の手で包み込み、握りしめる。
「平時は恋人でも、この瞬間は主人と猟犬だ。主人の迷いは鎖を通じて犬に伝わる。その迷いは必ず犬を殺す…。それに、あえて危機に踏み込ませてこそ開く活路もあるのだ」
自身を奮い立たせるようにエレオノーレが笑う。
満足気に微笑んだアニカは部屋を後にしようとする。と、彼女をエレオノーレが震える声で呼びとめた。
「…お前は、心配じゃないのか?」
「おおっとっと。さっきの台詞で終わっていればカッコ良かったのに」
くくくくっとアニカが笑う。
「お嬢様。君は彼の強さをよく知っているらしいけど、ヘクトル君とやりあった事はあるかい?」
「…どういうことだ?」
「ヘクトル君に、猟犬ヘクトルに本気で勝負を挑んだことがあるかいって訊いてるんだよ」
あるワケがない。第一主人と猟犬という立場に加え、あのヘクトルの事だ。カードやチェスを除いたよほどの事態でない限りエレオノーレに勝ちを譲るだろう。
と、彼女はアニカの質問の真意に気が付いた。
腕組みをしたアニカがドアに背を預けた。
「私はあるよ。捕まる時、彼と本気の鬼ごっこをした。…もっとも、本気だったのは私だけだったけどね。聞く所によると、マーサ君は実際に闘ったそうじゃないか。きっと彼女も私と同じだ」
心中を覗かれたように感じたエレオノーレはただ眉を顰める。それが心底可笑しくてたまらない、というようにアニカが笑った。彼女の知らないヘクトルを知っている、という優越感が彼女を支配していた。
弱々しい灯りの中、アニカの影が大きく伸びる。エレオノーレはその黒い影にかつての彼女、『貴族』フュルステイン・アニカ・フォン・フィードラーを見た気がした。
「覚えておきなよ、エレオノーレ。君の飼ってる犬はそこいらのドーベルマンやハウンドじゃない。伝説の猟犬ライラプス…いや、冥府の番犬ガルムだよ」
さしずめ君は女神ヘルだ、とアニカは付け加える。
「君は彼を甘く見過ぎだ。彼が死ぬ時はきっと、このシュナイネが為す術も無く攻め落とされる時だよ」
「………」
「彼の強さを頭で分かっているってだけじゃなくてさ、実際に一度鬼ごっこでもしてみたらどうだい?安心を通り越して恐ろしくなるかもだけど…。まぁベッドの上で乗馬ばかりじゃ、退屈だろう?」
そう言うと彼女はひらひらと手をふりながら主人に背を向けた。
「おい、幼痴女。寝るのか?」
「まさか、準備するのさ」
「何のだ」
「ヘクトル君を労わる為の、だよ。入浴後、きわどい下着をつけて彼の帰りを待つのさ。勿論ベッドの上で」
ぱちり、とエレオノーレが指を鳴らすとドアが勢いよく閉まる。そのまま鍵がかけられ、同時に部屋中の蝋燭が勢いよく燃え上がった。
「……前々から、一度しっかり主従関係を叩き込もうと思っていたのだ」
ゆらりと幽鬼のようにエレオノーレが席を立つ。
それを見たアニカも、腕まくりして拳を鳴らした。
「そうだねぇ。彼が帰ってきた時、君が寝ていれば残るはマーサ君だけ…確かに丁度良い。手間が省けるよ」
「ほざけえぇぇぇぇっ!!」
その日のシュナイネ領主の屋敷はいつもより騒がしかったとか、そうでないとか。
10/09/14 23:03更新 / 八木
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