連載小説
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容赦なく壁に叩き付けた。
「んなワケあるかァァァァァ!!」
 男が腹の底から声を出すのと同時に器が壁に当たり、甲高い音を立てた。
「あぁーーーーっ!!!」
 それ以上の大音量で、女が叫んだ。
「何をやっているのだヘクトルぅっ!それは我が家に代々伝わる銀食器なのだぞっ!貴様が一生屋敷で働いたとしても絶対に買えない代物なのだぞっ!」
『だぁまらっしゃい!!『何をやっているのだは』はこっちの台詞です、セニョリータ!』
 異国の言葉でそう言うが早いか、男はナイフを持って女に近づき彼女を吊るしていた縄を切った。それから壁にあったマントをとって彼女にかけてやる。
『昼食後に呼び出されてみれば何ですか?!貴女それでも領主ですか!?第一貴女、『妾』ってキャラでも歳でもないでしょう!しかも…』
 彼は灯されていた蝋燭を全て吹き消し、代わりに壁際の燭台全てに火をつけて回った。薄暗かった部屋が、嘘のように明るくなる。
『こっちの蝋燭を使うなんて、何を考えているんですか!コレが一本いくらするかわかってますか!』
 意味はわからないが凄まじい剣幕でまくしたてる男の前では何も言えず、女はマントを握りしめて俯いた。
『さぁ、セニョリータ。一体どういう事か説明していただきましょうか』
「ふ、ふんっ!スパーニエ語で言われてもわからんっ!我が僕ならばだらだらと余計な言葉を使わず、端的にまとめて我が国の言葉で言ったらどうだっ!?」
「わかりました、我が主。この愚か者め!」
「き…サマぁ!それが主人に対する口のきき方かっ!?愚か者とは何だ、愚か者とは!」
「では何と言いますか?今日は天気も良く、午後はゆっくり散歩でもしようかと考えていた所に呼び出しです。しかも食後に拷問室へ!仕方がないから来てみれば、呼び出した本人が素っ裸で天井から人の字にぶら下がってたんですよ?爽やかな午後をぶち壊して下さった説明は 当 然 し て い た だ け ま す よ ねぇ ?!我が主、エレオノーレ様!?」
「………はい」



 シュナイネ家は代々、親魔物国家ネーヒストの西方領主である。
 領民達は尊敬と親しみを込めて『領主さま』と呼び、他国の吸血鬼達は『変わり者』と呼ぶ。
 何故か。
 ネーヒストは中立国家スパーニエと古くから親交があり、彼らにならって『不侵不戦』をモットーとしていた。だが国家同士の戦はないとはいえ、国境を越えて来る不届き者は得てしているものである。ネーヒスト、シュナイネ領の場合は吸血鬼であった。
 これもまた、ただの吸血鬼ではない。本来の彼ら、いや彼女達は己を貴族と呼び、気高く高潔な存在と位置づけている。徘徊して人を襲うなど下品極まりない事であった。現れるのは『没落貴族』と呼ばれる、元は人間であった者たちである。彼女達は好き好んで吸血鬼になったのではなく、『貴族』の素質を見出されたわけでもない。どこかの貴族が戯れに作り出し、放った者らしい。
 シュナイネ家は彼女達に備えた、が、当然の事ながら並の人間では歯が立たない。何十という兵を集めた所で、人間を超越した身体能力と魔術を駆使する彼女達の前では、飢えた獅子の前に丸腰の人間を置くようなものだった。かといって、『貴族』が直々に手を下したとなるとまた面倒である。「『没落貴族』とはいえ同胞に手を下す奴等は、『貴族』社会を脅かす危険分子である」として、他の『貴族』達に付け入る隙を与えかねない。
 そこでシュナイネ家は狩人、俗に言うヴァンパイアハンターを雇った。人間でありながらヴァンパイアを斃しうる戦闘技術を持ち、闇にまぎれて『貴族』を狩り、なおかつシュナイネの手足となって働く優秀で忠実な『猟犬』である。
 王座の上に髪の毛で剣を吊るしておくようなこの真似に、ある『貴族』は『愚か者』と言い、ある『貴族』は『勇敢』だと言った。いずれにせよシュナイネが抱える代々の『猟犬』達は長い歴史の中で一度として飼い主の手を噛むことはなく、領民と主人のために尽くした。
 領主の仁徳か、それとも『猟犬』たちに主に逆らう気概がなかったのか、とにかく『貴族』たちはシュナイネを『変わり者』と呼ぶようになった。
 魔王の代替わりによって吸血鬼が人を殺すことも無くなった今も、シュナイネ家は必ず一人は『猟犬』を抱える事になっている。
「…という事で、貴女は誇り高きシュナイネの当主なのです。おわかりですか、セニョリータ?」
「ああ、わかっている」
「そうですか?じゃあセニョリータ、素っ裸で拷問室の天井からぶら下がり、その姿を家来に見せるのは領主のする事でしょうか?」
「っ………」
 裸の上にマントを羽織った格好で唇を噛んで忌々しげに俯いている第15代当主、エレオノーレ・フォン・シュナイネ。彼女の『猟犬』は目の前に立って説教をしている男、ヘクトル・ヴィッセンであった。



 この二人は少年、少女の頃から遊び友達としてのつき合いがある。
『ぼく、しょうらいエレオノーレちゃんのおよめさんになるね!』
『それをいうならおむこさんだろ!』
 そんな会話があったとか無かったとか。いや、多分無い。
 しかし、多くを語らなくとも良い関係ではある。
 例えば、エレオノーレが書斎で窓の外を見ている時。
 「おい」と彼女が口を開けば、
 「はい」とヘクトルは返事をし、出動する。領内に『没落貴族』が出た、という事である。
 例えば午後、一通りの仕事も終わりエレオノーレがぼんやりとしている時。
 「…おい」と彼女が口を開けば、
 「はい」とヘクトルがカードを取り出し、エレオノーレが満足気に肯いてブリッジが始まる。ちなみに日によってポーカーやチェスに変わることもある。
 例えば深夜、エレオノーレが眠れずにベッドに腰掛けている時。
 「おい!」と彼女が口を開けば、
 「はいはい」とヘクトルがワインを手に現れ、エレオノーレの愚痴を聞く。ちなみに幼い頃は絵本の読み聞かせであった。
 そんな間柄の2人であったが、今回のような事となるとヘクトルは流石に「黙ってちゃ分かりませんよ」と言わざるを得なかった。
「き…」
「き?」
「貴様が悪い!」
 びしり、とエレオノーレがヘクトルを指さした。
「……僕が?」
「そうだ!貴様が不甲斐ないからだっ!!」
 はて、とヘクトルは首をかしげた。果たして自分はここ最近不甲斐ない行動をしただろうか。
 少なくとも毎日修練は積んでいるし、シュナイネの家来として家の名を穢すような行いはしていない。むしろ『没落貴族』の関わる事件を一手に引き受けているのだから、褒めてもらっても良いくらいだ。
「セニョリータ、それは責任転嫁では?」
「何い!?」
「思い当たるフシがありません」
 ぎりり、と歯を噛みしめたのはエレオノーレである。
「…自覚がないのか」
「…はぁ」
「あんな事をして…思い当たるフシが無いだとぉ?!」
 怒りで充血し、真っ赤になった目がヘクトルを射抜いた。その額には青筋が立っている。
「ヘレナァ!!」
「はっ!」
 ぱちりと指を鳴らすと、どこからともなく女給が一人現れた。彼女は脇に抱えた分厚い紙の束を主に渡すと、音も無く姿を消した。
「毎度ヘレナさんは神出鬼没ですね…」
「マーサより優秀だからなっ!問題はこっちだ、こっち!」
「…それより、服着ませんか?」
「うるさいっ!早く見ろっ!」
 ヘクトルは彼女が手にしている書類を覗きこんだ。


――――――――――


No.110291 マーサ・コンラーディン(現 女給副長) 取り調べ記録
                                担当 ヘクトル・ヴィッセン

「…ねえ、私ずっとこんなトコに入れられるわけ?とっとと離しなさいな」
「セニョリータ、貴女が何故あんな事をしたのか話していただければ、直ぐにでも」

 …ただの会話録じゃないですか。これが何だと言うんです?
 はい。彼女は恋人を襲ったんでしたね。暴力的な意味で。まぁ、死ななかったからよかったものの。
 え?はぁ、まぁそうですね。構いません。どうぞ飛ばして下さい。

(中略)

 7日目
「ね…。アナタ、いつも話すだけ話して帰るのね」
「はい。それが何か?」
「食事も普通ね」
「そうですね」
「…地下にはいっぱい拷問道具とかあるんでしょう?使えばいいじゃない」
「何故?」
「…取り調べ、でしょ?」
「人が行動を起こすには何らかの理由がある。私はそれを聞きたいだけです。そしてそれは、貴女が話したくなった時に話せば良い。暴力で口を割らせる必要が何処にあるんです?」
「…」
「…それでは。月が綺麗ですから、窓を開けておきますね」
「アタシ、逃げるかもしれないわよ」
「それは困る。話し相手が一人減ってしまいます」
「………」
「………」
「…ね」
「はい」
「…惨めな女の愚痴、聞いてくれる?」
「…僕で良ければ」
「ええ。アナタが、良いわ」

 はい。結論から言って彼女の恋人は真っ黒でした。
 反魔物国に住みながら、ある『貴族』に食糧となる人間を卸す商売をしてひと儲けしていたと。はい。それが彼女に知られてしまったので、教会に通報しようとした彼女を気絶させて商品にした。
 ところがどっこい。
 ええ。僕の同業者がやってくれたんですね。どうも、札付きの極悪『貴族』だったようで。
 いえ人間の倫理的にではなく、あらゆる者にとって文字通り極悪だったとか。
 で、死にはしなかったが吸血鬼になってしまった彼女はドサクサに紛れて逃げ出し、そのまま復讐のために…。
 それを知った恋人はネーヒストに逃げたものの結局、というわけですね。

「…バカよね…アタシ。男を見る目が…無いって…いうか」
「…ありがとう」
「…え?」
「辛かったでしょう。話してくれて、ありがとう」
「っ……っく……」
「我が主には僕から事情を話しましょう。きっと分かって下さる。そして貴女の敵は教会へやり、然るべき罰を受けさせましょう」
「ほん、とに…?」
「はい」
「もう…あたし…」
「ええ。…こんな場所に閉じ込めてしまって、ごめんなさい」
「っう……うぇぇ………」
「大丈夫。もう大丈夫ですよ」
「おっ……ねがい………」
「なんですか?」
「むね……かし、て…っ…」
「…はい。どうぞ」
「うくっ……うわあぁぁぁぁぁぁん!」

 これのどこが?え?この先?

「ねぇ、アナタ…名前は何て?」
「僕ですか?ヘクトルです。…初日にも言いましたよ」
「ふふっ…まさか、こんな人だとは思わなかったから」
「はい?」
「…ヘクトルさん。アタシの、主になって下さらない?」
「………はい?!ですが僕はシュナイネ家に」
「じゃあ。アタシをこの家で働かせて下さいな。アタシ、アナタの傍に居たいの」
「…………いやいやいやいや。それってつまり」
「そう。…アナタが望むなら、アタシの全てを捧げるわ。アタシの人生も心も…カラダも、ね」
「いやちょっと」

(取調対象、担当を押し倒す)

「今は誰もいない…。ご主人さま、主従の契りを…」
「ちょ!待った!待って!」

(領主乱入。記録中断)


―――――――――――

「いったっ!」
 強く噛みすぎたために、唇を切ってしまったのだ。ヘクトルではなく、エレオノーレが。
 素早く主人にハンカチを差し出すヘクトル。だが、彼女はそれを無視してマントの襟で唇をぬぐった。呆れたような表情でそれを見ながら、ヘクトルは口を開く。
「で、何が御不満ですか、セニョリータ」
「何故設備を使わない」
「…つまり、彼女に拷問して口を割らせればよかったのに、と?」
「そうだっ!そうすれば、あの牝牛がお前に纏わりつくことも無かっただろう!」
 ヘクトルが、ふむと困ったように鼻を鳴らした。
 結局その後、マーサはシュナイネ家の女給として働く事になった。エレオノーレが彼女を雇ったのは慈悲であった。吸血鬼になったために祖国には帰れず、ネーヒストに知り合いもいない。ならば自活するだけの金が貯まるまで屋敷で働かせようと考えたのだ。
 彼女の誤算は二つ。一つはマーサが予想以上に、いやそんな言葉では甘っちょろいくらいに優秀だった事。もう一つはヘクトルに異常なまでに入れ込んでいる事である。

『いい加減にしろマーサっ!あいつは私の『猟犬』だぁっ!』
『あら、エレオノーレ様。ご主人さまは『犬』であって恋人ではないのでしょう?問題無いのではなくって?』
『きっさんむぁああ!何故私が『エレオノーレ様』であいつが『ご主人さま』なのだっ!!』
『…そうですね。わかりましたご主人さま。彼のことは今度からアナタと呼びます』
『…貴方、か。……ふむ。わかれば良い』
『あ!アナター!マーサがお部屋を綺麗にしておきましたー!アナター!!』
『ヘレナっ!ヤツを始末しろぉっ!』
 こんな会話があったとか無かったとか。

「お前は甘いのだっ!シュナイネの『猟犬』ならば、女の一人でもキッチリ拷問してみろっ!」
「…お言葉ですがセニョリータ。もし僕が拷問してたら、今頃彼女のビーフストロガノフは食べられませんでしたよ?」
「む」
「それに、ネーヒストのモットーは『不侵不戦』です。暴力は最後の手段であるべきです」
「…な」
「な?」
「何故だっ!?乳か?!ヤツの乳に惑わされたか?!」
「……はい?」
「マーサの外見を説明してみせろっ!」
 主人の言葉通り、ヘクトルはマーサの外見的特徴を思い浮かべる。
 豊満な胸、そばかす、紅い瞳、少し癖のある長い赤毛、ちょっと荒れた手…。
 思い浮かんだものから順に言う。
「みろ」
「なにをですか」
「胸が、最初に来た」
「いやそれは!」
 あたふたとするヘクトルを尻目に、エレオノーレは自身の胸に手を添えた。下からすくい上げるようにたぷたぷと揉みあげると、マシュマロのような双球が自在に形を変えた。
 やっぱり、自分で見ても小さいとは思えない。更に今日までこの為に秘密でマッサージを受け、とっておきのオイルを擦り込んで磨きをかけておいたのだ。
 全ては、目の前にいる男の為に。
 にもかかわらずさっきの反応は薄かった…。
「…ま、確かに私はヤツに比べれば小さいが、造形美としては…」
「ちょちょちょちょ!何ですかそれ!違いますよ!」
「じゃあ関係ないのかっ!?」
「当然です!」
「…そうだよなぁ。お前に入れ込むのは、大きいヤツだけじゃないものなぁっ!」
「サイズの話題から離れて下さい!」
 うんざりした顔のヘクトルを無視して、エレオノーレが書類の山に手を伸ばした。


―――――――――――


No.110530 アニカ・フィードラー(現 庭師) 取り調べ記録
                                担当 ヘクトル・ヴィッセン

「という事でよろしく。ヘクトルと呼んで下さい」
「…………」
「あの、先程からどうしたんですか?そんな顔して」
「……むふふふー。ねー、おにいさん。だしてくれたら、いいことしてあげるよ?」
「…売春はこの国じゃ禁じられているんです。何で貴女がそんな事をしたのか、それを聞きたいんですが?」
「えー、なにいってるのー?わたし、わかんなーい」
「はいはい、誤魔化さないで下さいねー」
「ちぇっ。いいじゃないか。君は優秀なんだろう?一回のミスくらいじゃどうにもならないよ」
「はて、僕は自分が優秀などと言ったことも言われたことも無いのですが」
「風の噂、だよ」
「それはそれは」

 ああ、アニカの時の話ですか。
 彼女はすごかったですね、前科がちまちまと。窃盗、売春…。
 え?あ、どうぞ。

(中略)

 10日目
「ねぇ、おにいさん」
「だぁから、僕は君のお兄さんじゃありません。第一セニョリータ、そんな姿ですが貴女は僕より年上なんでしょう?」
「家族は?」
「僕の話を…。僕は孤児です」
「戦争?」
「さあ。覚えてませんし、教えられてもいません。知りませんよ」
「そっけないなぁ、いつもみたいにもっとおはなししよーよー」
「…僕は、その話題で話せることはそれほどありませんよ。かといって僕の修業時代の話を聞いても仕方ないでしょう?他の話題にしてください」
「…君はこの話題を避けているように感じたから、聞いてみたかったんだ。…ごめん」
「…優しいんですね」
「くくくくっ、ありがと。私にはね、兄がいた。戦争で死んじゃったけど」
「……戦争?」
「そう。すっごく昔、200年ぐらい昔の」

 彼女は結局、文字通り『没落した貴族』だったんですよね。
 フィードラー家は結構有名な『貴族』で、アニカは魔王交代以前の吸血鬼でした。家に人間達が攻め込んできた時に、彼女の兄が仮死状態にして屋敷の地下に隠した。肝心の家族は兄も含めてその場で殺され…。
 数百年の時を隔て、眠り姫は目覚めたは良いが世の中はすっかり変わっていた。屋敷のあった場所は野原になり、彼女に残されたのは成長の止まった身体一つ。結果として身寄りも無く、世間を知らない彼女が生き抜く方法は、ちまちました盗みや身体を売る事だけだった、と。

「くくくくっ」
「どうしました?」
「考えてみれば、自分の事を話したのは君が初めてだなと思って」
「…どうして、僕に」
「…笑わないでくれる?」
「そうですね…凄まじいバカ面だったからなどと言われれば、膝を抱えますよ」
「あっはっはっは!そんな事言わないよ。…………似てるんだ」
「?」
「兄に、さ」
「………」
「わかってくれるかなぁ。初めて会った時もさ、ちょっとドキッとしちゃったんだ」
「…本当に僕みたいな冴えない顔だったんですか?」
「ええ?そんなことないよ。謙遜しなくても良いのに」
「よく主に言われるんですよ」
「あっはははははは!………ね、一つ頼んでも良いかい?」
「…僕に出来る事なら、セニョリータ」
「ん。私の事をアニカって呼んで、頭を撫でて欲しいんだ」
「……」
「そしたら、さ…どんな罰でも受けるよ。だから」
「アニカ」
「っ!」

(ヘクトル、取調対象の頭を撫でる)
(沈黙)

「…っふ……っくぅ……」
「アニカ?」
「…っふく……ふぅぅ」
「アニカ?大丈夫ですか?」
「…やっぱり…にて…ないや」
「………」
「でも…いまは、きみでいい…。きみが…いいや……」
「…はい、セニョリータ。僕で良ければ、心ゆくまで」
「……おにいさま…おにいさまぁ……おにいさまぁ!!」

 ええ。認めます。クサいですね。でも、特に問題は無いでしょう。
 え?また『この先』ですか?

「なあ、ヘクトル君」
「はい?」
「私は身体を売りはしたが、唇を許した事は無いんだ」
「はぁ」
「…もらってやってくれないか」
「………は?!いや」
「嫌かい?」
「そういう意味ではなく!」
「じゃあ言い方を変えるよ。君に、あげる」

(取調対象、呪文詠唱)

「!?か…身体がっ!」
「くくくくっ。私は生粋の吸血鬼さ。拘束魔法ぐらいはできるよ」
「ちょ……ま………」
「くくくくくっ。やぁ〜だね」

(領主乱入。記録中断)


――――――――――

 
「ひ、ひひ、ひひひひ」
「せ、セニョリータ?!」
「き、貴様は大したものだ。かのフィードラー家の娘をも手懐けたのだからなぁ」
 エレオノーレはアニカが刑を受けた後に即刻領から追い出そうとしたのだが、ヘクトルが反対した。行く当ても帰る国もない彼女を追放すると、結局また罪を重ねることになると。悩みに悩んだ挙句、彼女もまた屋敷で雇う事になった。
 ここでエレオノーレはまたも誤算をする。自分とヘクトルの目に最も入らない(なおかつ、ヘクトルに最も縁の無いと考えていた)役である庭師見習いに彼女を任命したのだが、アニカの隠れていた才能と旧時代の美的センスが見事に融合してしまった。
 四季折々の花が美しく咲き誇る彼女の作った庭を見た者は、嘆息せずにはいられなかった。シュナイネ領主の庭は他国から見物に来る者が出るほど評判になり、アニカは屋敷の庭師をまとめる一流の庭師になってしまった。

『おや?何か御用ですかアニカ』
『や、買い出しに付き合って欲しいんだ。土を買いに行きたい』
『それなら、お雇い連中を連れて行った方が良いのでは?』
『そうだっ!見てわかるだろう?!コイツは今、私のカードの相手をしているんだっ!』
『これは失礼、お嬢様。だがね、明日からしばらく雨が降りそうなんだ。おまけに他の庭師は休みをとらせているんだ。頼れる男手は彼しかいないんだよ』
『おまっ…』
『頼むよ、『エレオノーレ』』
『はっ…はい』
『くくくくっ』
 こんな会話もあったとか無かったとか。

「彼女にも拷問をしていれば良かったと?」
 ヘクトルはアニカの姿を思い浮かべる。
 口調こそ堂々とした男のようであるが、外見は十になるかならないかの少女である。黒檀のような髪に、紅い瞳。何より白磁のような肌が美しい。エレオノーレを美人、マーサを官能的と表すならば、アニカは芸術品である。拷問でその身体に傷を付けることはおろか、痣を一つ作ることさえ気が引けるなんてものじゃあない。
「貴様、何か変な事を考えていないか?」
「いえ、それで?」
「……いや、もういい。もう別の問題に移ろう」
「というと?」
「何故、手を縛ってもいない犯罪者と同じ部屋に入るのかだっ!」
「…はぁ」
「これも、これも、これもこれもこれもこれもこれも!全ての取り調べで貴様は拘束もされていない相手と話をしているではないかっ!」
「そりゃそうです。拘束なんてしたら相手は心を開いてくれません」
「相手は『没落貴族』で、お前は人間なんだぞっ!?」
 またも、ヘクトルはふむんと鼻を鳴らして困った顔をした。
「つまり、僕が殺されるかも、と?」
「そう、いや、殺されはしないだろうが…」
 ヘクトルの強さはエレオノーレが一番よくわかっていた。
 『猟犬』には、『没落貴族』を狩る以外にもう一つの役割がある。領主である『貴族』が暴力的手段で理不尽な統治(例えば人間を吸血鬼のための家畜にする、とか)を実行しようとした場合にそれを阻止するのである。必要ならば、主を殺してでも。
 少なくとも、エレオノーレだけでは彼を殺せない。屋敷中の吸血鬼を集めたとしても、彼が傷を負うより全員が心臓の止まったデュラハンになる方が早いかもしれない。
 それが『猟犬』。それがヴァンパイアハンター。
 だがそれでも、エレオノーレには心配だった。
「でも…もしもの事が…」
「僕は『猟犬』です。魔法は使えませんが、相手の喉笛を食い千切るぐらいわけありませんよ」
「あ、あの小娘の時はバッチリ拘束されたではないかっ!」
「もし彼女が悪意をもって詠唱を始めていたら、彼女は血でうがいをしてましたよ」
「む…むう」
「少なくともセニョリータが結婚し、お世継ぎが生まれるまで働く事になっています。ヘマはしません」
 にっこりと、誇らしげにヘクトルは微笑んだ。
 結婚という言葉を聞き、エレオノーレは眉を顰めた。
「……それは、使命感か?」
「はい」
「他の感情は無いのか?」
「…僕は帰る場所がここしかありません」
「そうじゃないっ!」
 エレオノーレが、恥ずかしげに眼を逸らした。
「だ、誰かのためとか…そういうのは…?領民とかじゃないぞっ!たとえば…女…とか…」
 あ、とヘクトルは気がついた。
 彼女の狙い。この行いの目的。
 まいったな、と思いヘクトルは頭を掻いた。
 彼はもう十数年はシュナイネに仕えており、単純な付き合いならばそれ以上である。子供の頃から顔を合わせていることもあってお互いのことはある程度理解していると思っていたのだが、どうやら一番重要な部分をわかっていなかったらしい。お互いに。
「セニョリータ」
「な、何だ」
「僕は嫌いな女性のために命をかけるほど、出来てはいませんよ」
 エレオノーレの顔が茹でた様に真っ赤になった。
「き…ききききききさま、何をいいいい言ってるんだ」
「…僕は貴女に見出され、雇われました。ですがそれ以前に、貴女を一目見てから、自分はこの方に尽くす運命なのだと思っておりました」
 どくり、とエレオノーレの心臓が高鳴った。



 今からもう数十年前、幼いヘクトルが初めて顔見せに現れた時の事を思い出した。
 彼の澄んだ茶色の瞳は彼女が知るどの宝石よりも美しく、その声は今まで聞いたどの音楽よりも甘美な響きを持っていた。
 幼い彼女は母親に抱かれ、その子供の『猟犬』をぽーっと見つめていた。その時である。彼が彼女の視線に気がついた。
 そこで彼は、ふっと優しく微笑んだのである。
 エレオノーレはもう、やられてしまった。
 出どころのわからない恥ずかしさを誤魔化すために、彼女は母の胸に顔を埋めた。顔が熱くて、心臓がどきどきと煩かった。
 今までどんなに両親に言われようと下賤な存在であると考えていた人間に、すっかりやられてしまったのだ。
 彼女が成長した時、『猟犬』として彼を雇う事に迷いはなかった。
 彼女の中で『犬』は『人』になり、そして今は…。



「ですから、僕はセニョリータのことが」
「わー!!わー!!わー!!」
「どうしました?」
「っこ、こんな場所でそんな台詞を言うなっ!ムードというものを考えろっ!」
「じゃ、セニョリータは僕の事をどう思っていますか?」
「そ、れは…だな……」
「…丁度良いから、拷問して聞き出しましょうか」
「へ?」
 素早くエレオノーレに近づいたヘクトルは、そのままぎゅっと彼女を抱きしめた。
「おおおおおい貴様ァっ!いきなり何をするんだっ!」
「嫌なら突き放したらどうです?蝋燭は普通のですよ?」
「くっ…っこ、この…!」
 じたばたと大げさに空をかいて見せるが、エレオノーレは絶対につき放さない。
 ヘクトルは片手で彼女を抱きながら、手探りでへこんだ銀食器を探す。ひんやりとしたそれを見つけると、中身が入っている事を確認してから手に取った。
「大人しくして下さらないと、こちらにも考えがありますよ」
「か、かんがえ?」
 彼女の肩越しに、器から直接水を少量口に含んだ。軽く唇を湿らせ、そのままエレオノーレの首筋に軽い口づけをした。
「ひゃんっ!」
 びくりとエレオノーレの身体が跳ねた。
 ヘクトルはそれを抱きしめる力を強める事で押さえつけ、ちゅっちゅっと啄ばむ様な口づけを続けた。
「やっ!ばかも、のぉっ!やめっ!ろぉっ!」
 華奢な身体が、かわいらしく震える。調子づいて続けようとしたヘクトルの頭ががっしと掴まれ、引き離された。
「止めろと、言っているだろうがっ!」
「も、申し訳ございません。調子づきました。もうしませんので、アイアンクローはご勘弁…」
「そ、そうじゃないのだ…」
 もじ、とエレオノーレは腿をすり合わせ、マントの紐を解いた。
 黒い布がパサリと落ち、輝くような裸体がヘクトルの眼前に現れる。
「首は…跡がのこるから…な?」
「…失礼。失念しておりました、セニョリータ」
「そ、それも止めろ!」
「はい?」
「今日だけは…エルでいいから」
「…エル」
 エレオノーレの頬に手を伸ばすヘクトル。彼女は一瞬びくりと体を強張らせたが、優しく頬を撫でられると彼の手に自分の手を重ね、きゅっと握りしめた。
「…光栄に思えよ」
「はい」
「…は、はじめてなんだから、優しくしろよ」
「もちろん」
「他の女にこんな事したら…承知しないからな」
「はい」
「…そ、それとな」
「はい?」
「あ…いしてるぞっ!」
 ヘクトルはにっこりと微笑み、再び彼女を抱きしめた。



「げほっ…はぁ…こほこほ」
「大丈夫ですか、エル」
「こほっ、だ、いじょうぶ」
 座ったヘクトルに向かい合うように跨る、いわゆる対面座位の形で繋がっていた時、エレオノーレが苦しそうに咳をした。大きな声を出しすぎたのである。
「とってもいい声ですね、エル」
「ばか、はずかし…んぁ!そんなとこ、なめるな…うあぁあっ!」
「外には聞こえませんよ。だからもっと、もっと聞かせて下さい」
「も、もっと?」
「はい、僕の好きな女性の、かわいい声を」
「んぅ…うん!うん!きいて!わたしのこえ、もっときいてぇっ!」
 だとか。
「いた!痛ああぁぁぁい!待てっ!ちょと、待てえっ!」
「だ、大丈夫ですか?」
「くそう…、ヘレナも、他のヤツも、痛くないと言っていたのにっ!アイツらっ!」
「…エル?」
「あ、いや、ヘクトル。……いいぞ、動いて。私は大丈夫だ…」
「……あむ」
「ひゃ!おま、ちくびは、は、あぁぁぁ…」
「ダメですか?」
「だめ、じゃないが…。乳など出ないぞ…」
「でも、エルのここ、キュって締め付けてきましたよ」
「あう…」
「慣れるまでしばらく、こうしてましょう」
「わっ!ばかぁ…すうなぁ…。あぁ!か、かむなぁっ!!つま、むのもぉ、だめぇ!!」
 といった事をやりすぎたのだ。
 地下にある石造りの部屋なのでエレオノーレの澄んだ声は良く響いたが、彼女の喉には結構な負担になっていたのだった。
「大丈夫だから…気にしなくて…けほっ」
「…飲みますか?」
「へ?」
「僕の、血」
「で…でも」
「僕が人間で無くなるほど飲まれると困りますが、喉を潤す分には大丈夫でしょう」
 それとも、と微笑みながらヘクトルは言った。
「僕からは直接飲めませんか?」
 エレオノーレの腰に手を回したまま、ヘクトルは首を横に軽く傾ける。
 筋肉質で健康的な色をした彼の首筋には血管が浮き上がり、エレオノーレはごくりと喉を鳴らした。
 普段、エレオノーレは人の首から直接血を飲まない。「健康な女の血をグラスに注ぎ、オリーブを添えて飲むのが最高だ」と本人は語るが、そもそもシュナイネ家の『貴族』が人の首から血をすするのは稀である。
 まだ、エレオノーレが彼と出会ったばかりの時である。
「セニョリータ」
「なんだ?」
「セニョリータは、がぶってしないんですね」
「がぶ?ああ、首にかみつかないということか」
「はい」
「…ヘクトル」
「なんでしょう」
「きさまは土にうまっているニンジンを口でほりかえして、そのばで食べるか?」
「まさか!そんなことはしません。下品だし、きたないです」
「その通り。われわれも同じだ。他人にだきつき、大口をあけて、きばをつきさすなんてやばんで下品なこういなのだ。おまけに、生きもののひふには『ざっきん』がいるのだぞ?」
「なるほど、さすがセニョリータ!ものしりですね!」
「って、お母さまが言っていた」
「………」
「なんだっ!そのうさんくさそうな目はっ!」

 また、エレオノーレはごくりと喉を鳴らした。

「じゃあ、ぜったいにがぶってしないんですか?」
「ふっふーん。いーや、そうじゃない」

 我々、シュナイネ家の貴族は、
「あいするものからのみ、そのちをちょくせつのむことで」
 二人の心と体を繋ぐ、鎖とするのだ。

 エレオノーレは迷うことなく、ヘクトルの首に牙を突きたてた。
「ッ…!」
 痛みにヘクトルは僅かに呻きを漏らすが、その手は彼女の頭を撫で続けていた。
 普段飲む血とは比べ物にならないほど甘美なそれがエレオノーレの口内に流れ込む。
 一旦口を離し、目を閉じてゆっくりと味わう。
 濃厚でいながら、臭味もえぐみもない。鉄の香りが口から鼻に抜け、じんわりと脳を犯す。
 これが、愛する者の血。
 くちゅくちゅと舌で転がしてその旨味を堪能してから、名残惜しげに飲み込んだ。
 喉を潤し、食道を落ちていくそれに逆行するように、脊髄を快感が駆け上ってくるのを感じた。それが脳に到達した時、彼女の身体はぶるりと震え、さらなる快感を彼女にせがむ。
 味わっている間に流れ出た血も舌でなめとり、もう一度牙を突きたてる。
「んぐ…ちゅう…ちゅる…ごく…ごく…」
 貪欲に、だがゆっくりと彼の血をすする。
 腕でしっかりと抱きついているが、下半身はそうではなかった。
「うぁっ…エル…。そ、そんなに、されるとっ!」
 上下運動こそ出来ないものの、エレオノーレの腰は円を描くようにふりふりと動いていた。さらにヘクトルのペニスを奥まで加えこんだ蜜壺も、うねるような動きをもってヘクトルに快感を与えていた。肉襞が竿を揉みしだくように蠢き、 傘の下を洗うようにぎゅうぎゅうと締め付ける。
「ぷはっ、ついてっ!へくとる、ついてっ!きもちよく、してぇっ!」
 エレオノーレが口を離したのを確認したヘクトルは、その言葉に促されるように再び彼女の腰に手を添え、激しく突き上げる。
 彼の亀頭が子宮口に触れるたびにエレオノーレは甲高い声で鳴き、ペニスが肉襞を逆なでするたびに切なげな息を漏らした。
「へくとるっ、すき!すきぃ!へくとるっ、へくとるっ、へくとるぅっ!」
 吸血がもたらす快感と下半身からもたらされる快感。その二つによってとろとろに蕩かされた顔と目で、エレオノーレは愛する者の名を叫ぶ。
「エル…!…エレオノーレっ…好きだ!好きだぁっ!」
 負けじとヘクトルは彼女の名を呼びながら身体を抱きしめ、更に激しく突き上げた。
「っく…うぅ…!エレオノーレ、僕、もう…!」
 ぶるりと体を震わせ、ヘクトルは限界が近い事を知らせた。
「いいよっ。わたしもぉ、くる。くるぅ!きちゃうぅ!」
 エレオノーレは自身の限界が近くなりながら、なおも激しく腰を振る。蜜壺からはじゅぷじゅぷといやらしい音が響き、結合部分から漏れ出した愛液がヘクトルの陰毛をぐっしょりと濡らしていた。彼の精をせがむようにエレオノーレの膣内がきゅっきゅっと締め付ける。
 膨らんだペニスを精液が昇ってくるのを感じ、ヘクトルは慌てて体を引こうとする。が、
「だめっ!」
 エレオノーレが足を絡ませ、それを引きとめた。
「え、エル!このままじゃ膣に、んむう!?」
 ヘクトルの抗議をエレオノーレは口づけで中断させた。
 同時に全身をぴったりと彼の身体にくっつける。
 舌をからめ、彼の唾液が喉を通り抜けると、吸血の時にも似た感覚が彼女を襲った。
 形の良い胸を彼の胸板で潰し、絡みつける足に力を込め、全身で愛する者を抱きしめる。
 くちゅくちゅと音を立て、恍惚とした表情でヘクトルの舌をねぶる。
 ペニスが再び蜜壺に全て収まり子宮口にその先端が触れた瞬間、ついにヘクトルは達した。
「んぐっ!ん!くッ〜〜〜〜〜!!」
 びゅくっ、どぷどぷっ、という音が聞こえそうな射精だった。
 エレオノーレの膣内でペニスが跳ねまわり、最奥に精子をまき散らす。自身の下腹部に熱い物が噴きつけられるのを感じ、エレオノーレもまた絶頂に身を震わせる。
「むあっ!んむぅ!んんんん〜〜〜〜っ!!」
 膣内が収縮し、最後の一滴まで絞りあげるようにペニスをしごく。それを受け、出るものがなくなってもなおペニスは膣内で跳ねまわる。
 終わりが無いような快楽の中でも、二人は唇を離すことなく舌を絡め続けた。




「おい」
「はい」
 エレオノーレは今日何度目かわからない口づけをした。
 ぬるりと口内に侵入する舌にも逆らうことなく、ヘクトルは自身の舌を絡めた。エレオノーレが鼻にかかった声を出し、更に積極的に舌をねぶる。
 しばらく互いの唾液を交換した所で、エレオノーレがゆっくりと離れた。
 ぶるり、とその身体が悦びに震える。
「…なんで、お前のキスは…こんなにこう…『くる』んだ……」
「…以前医者から聞いたことがあります。唾液は血から出来るそうです」
「そうか。じゃあ、お前とのキスは契りと同じなのだな。ふふふ、良い事を聞いた」
「セニョリータ、はしたないですよ」
「エル」
「はい?」
「今度から二人きりの時は、エルと呼ぶ事を許してやる」
「…はい。わかりました、エル」
「ん」
 満足そうに微笑んだエレオノーレが、ヘクトルの肩によりかかる。彼は愛おしげに彼女の頭を撫でた。
 その時だった。
 ガタリと地上にある拷問室の扉が音を立てた。かと思うと二つの悲鳴と共に何かが階段を転げ落ちてきた。
「いったたたたた…」
「き、君があんなに押すから…」
 一人はシュナイネ家の女給服を、もう一人は庭仕事用の作業着と前掛けをしている。
 唖然としたエレオノーレの代わりに、ヘクトルが彼女達の名を呼んだ。
「ま、マーサ!それにアニカ!」
「や、やぁヘクトル君、とお嬢様。…いたたたた」
「あ〜ん、アナタ〜、痛かったよ〜う」
 名前を呼ばれた二人は、大口を開けている二人におもいおもいの挨拶をする。
「き、きききき!きさ!きさ!」
「や、落ち着いてくれ、お嬢様」
「いいいいいいいつから」
「んー、わりと最初の方からかしら?」
 ねー、と楽しげに女給と庭師が顔を見合わせる。
「ヘクトル君の姿が見えないから彼女と手分けして屋敷を探し回ってたんだよ。そしたらここから気配を感じてね」
「まさか…聞いてたんですか?」
「そこんとこは、アニカちゃんがバッチリ!」
「くくくくっ、木や石は素直だよ?私が問いかけると何でも教えてくれる。たとえそれが壁の向こうの事でもね」
「アナタの愛の囁きとか…もうアタシの子宮もきゅんきゅんキちゃいました!」
「きっさっむぁっらあぁぁぁぁぁっ!!」
 二人に(全裸で)突進するエレオノーレ。それをマーサは体をひねって、アニカはひらりと飛び越えてやり過ごし、ヘクトルの横につく。
「ご主人さま?独り占めは酷いですよ?」
 むぎゅっとヘクトルの右腕に抱きつくマーサ。
「そうだ。お嬢様はもう行く所まで行ったんだ。私達が遠慮する理由はもうないよね」
 アニカは彼の左手をとり、頬ずりをする。
 エレオノーレの視線がチクチクと痛いヘクトルは、するりと二人から逃れた。
「ふ、二人とも。お聞きの通り僕はセニョリータの事が」
「そうだっ!そいつは髪の毛の一本から血の一滴まで、私の物だっ!」
「何もそこまで欲張りはしないよ」
「そうですよぉ。アタシ達が欲しいのはぁ…」
「「キ・ス」」
 にや、と意地悪げに二人が同時に笑った。
「だってご主人様?すっごく『くる』んでしょう?彼のキ・ス」
「僕は恋人以外とする気はありません!」
 その言葉を聞いたエレオノーレは、頬を染めながら満足気に肯いた。だがそれが何だとばかりにアニカがあっけらかんと言ってのける。
「恋人がダメなら愛人でかまわないよ」
「へ?」
「あ、アタシもアタシも〜」
「ちょ!二人とも何を」
 じりじりとヘクトルににじり寄る二人。
 その背後ではエレオノーレが殺気を陽炎のように発しながら、美しい顔を憤怒に歪めていた。
「万一、あのお嬢様に愛想が尽きた時のためにキープしておくってのも良いかもね」
「アナター!いっそここで味見をしてくださいなー!」
「さぁせるかあぁぁぁぁぁっ!!」
 午後の拷問室。三人の吸血鬼が、壮絶な戦いを始めた。










「おや、ヘクトル。貴方が私に会いに来るなんて、珍しいわね」
「お久しぶりです、奥様。ご機嫌麗しゅう」
「…やつれた?」
「そう、見えますか。実はお願いしたい事がありまして」
「あの人なら、後輩指導という事で貴方の故郷に行ってるわよ?」
「いえ、旦那様ではなく奥様に。仕事についてですが」
「うーん、実質の当主はエルなんだけど?私に出来る事かしら?」
「はい」
「じゃあどうぞ。貴方は随分我が家に尽くしてくれているし、それなりの我儘でも聞きましょう」
「はい…しばし暇を頂けるよう、セニョリータにさりげなく働きかけて欲しいのです」
「………は!?!?」

「もう、心も体ももちません……」

 こんな会話があったとか無かったとか。
 


10/04/12 01:59更新 / 八木
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■作者メッセージ
 ラブラブルートを作ろうと思ったら、グダグダルートになったでござるの巻。
 なんでこうなったとかね…どうして好きになったのかとかね…もっと書ければね…いや、ハーレムってのもやりたかったの…詰め込みすぎたの…。

 誤字脱字・感想等がありましたら感想欄にお願いします。

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