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11話

【ヴァーチャー戦】



「やっと覚悟を決めたか。なら俺も本気を出そう。序でに彼女の紹介もしたいし」
 ヴァーチャーは愛おしそうに擦り寄って来た触手を撫でる。
「彼女? ……背中のスライムか?」
「ああ、名前はないけど、魔王の魔力で一応女の子やろう? ……まぁ、見ていろ」
 するとヴァーチャーは呼吸を整え始める。魔力量の多い奴が精神統一しただけで、周囲の空気すらも時が止まった様に落ち着く。
 やがて、奴の身体が黒く変色し始めた。じわじわと蝕むように、黒はヴァーチャーの体を染め上げていく。いつかの様に、激しい嘔吐や苦しむ様子は見られない。奴はあっという間に身体を変化させ終えた。
「ふぅ……どうや? この変身も自分のモノにすれば、中々便利でな。なんせ、かなりパワーアップするからな」
 気楽な口調でそう語るヴァーチャー。寄生した魔物すら自分の力としてしまったらしい。
 本当に、敵に回すと厄介な奴だ。実際、今が敵なのだが。ヴァーチャーは指をくいくいと曲げる。
「来いよ」
 挑発だ。だが今のヴァーチャーに突撃出来るような者はいない……。
「おっしゃ! 俺が行ってやんよっ」
 と思っていたら此処に居た。
 ミノタウロスのケイフは斧を振り上げる。その姿は正に勇猛の一言に尽きた。
「姉貴の件もあるしな。テメェは直でぶん殴らなきゃ気が済まねぇ!」
「ケイフ、そんな、危険です。此処はゲーテさんに任せて」
「……テ、テメェが心配してくれんのは嬉しいケドよぉ……やっぱ此処は誰かが行かなきゃダメだろっ?」
 確かに、ヴァーチャー自らの実力を測るには誰かが様子見をしてくれるのは有り難い。だが、あの地獄の消耗戦の後で一人を行かせるのは心許無い。
「スヴェン、彼女の援護をしてくれないか」
 エリスから渡された水筒を口にしていた彼は、暫くヴァーチャーを見据えてから答える。彼の首筋にはべっとりとした汗が滲み出ていた。
「……判った。丁度、奴には以前の借りもある。直接対決は願いどおりだ。最初に行かせてもらうぞッ、ミノタウロス」
「あ、テメッ、抜け駆けは許さねぇぞ! (折角前に出てゼルを心配させてやろうと……!)」
 剣士の後に続くミノタウロス。その姿を見て、ヘザーがやれやれといった表情で前に出る。
「はぁ……まぁ、私も前に出るわ」
「そうか、気を付けろよ」
 エルロイの投げ掛けた言葉に、少し照れたような仕草を取るダークエルフ。チェルニーの目が白子の青年を睨み付けている。
「ソニア、我々も行くぞ」
 無論、協力者だけに行かせる程無責任な俺ではない。俺はソニアに声を掛け、前に出る。
 戦闘パーティはスヴェン、ケイフ、ヘザー、俺にソニア、か。味方を信用していない訳ではなかったが、ヴァーチャーに一太刀入れられるとしたら、俺だけの様な気もする。
「全員で来ないのか。まぁ、それも利口な判断か」
 その台詞が攻撃のサインだった。
 スヴェンの研ぎ澄まされた一閃。ヴァーチャーは躱した。
 ケイフの豪快に地を割る一撃。これもヴァーチャーは躱した。
 ヘザーの変幻自在の鞭による一発。これすらもヴァーチャーは躱した。
 変身で魔に近付いた所為か、奴の動きが格段に速くなっている。殆んどの攻撃が捕捉され、余裕で躱されていた。
 このままでは埒が明かない。俺はソニアと手を合わせ、術を発動させる。かなり上位の炎の魔法だ。「伏せろ!」の一言で、ヴァーチャーを釘付けにしていた味方は腰を落とす。その上を炎の翼が通り過ぎた。
 ヴァーチャーは躱さなかった。代わりに背中から生えるスライムの触手が突然膜の様に広がり、その炎をバクンと飲み込んでしまう。
「言い忘れていたけど、此奴はかなりの悪食でね。つっても、俺がそう改造したんやけど」
 ひゅんっ
 一瞬、奴の周りに光が瞬いた。
    ブシュッ
 周りに居たスヴェン、ケイフ、ヘザーの身体から血飛沫が上がる。
「ッ! アルダー!!」
 叫ぶ。三人が倒れ込む前にケイフとヘザーは急加速したアルダーが、スヴェンは、何も言わずとも動いたソニアが抱き止めた。
 ケイフとヘザーは胴をバッサリと切られて出血が酷い。スヴェンは鎧に助けられたのだろう、ショルダー部分が木っ端微塵だが、傷自体は大した事はない。
 一旦三人を引かせる。怪我が酷い二人は意識を朦朧とさせていた。
「ソニア、貴様は三人の治療を」
 指示を飛ばす俺に、スヴェンがしっかりとした声で言う。
「俺はいい。まずは他の二人を先に頼む」
「……判った。ケイフとヘザーの治療が優先だ! 治癒魔法が使える者は手伝ってくれっ」
「あ、ではケイフは小生が!」
 ミノタウロスの少女は彼女自身のパートナー達に預け、ダークエルフの方はソニアが受け持つ事となった。
「お、お姉ちゃんも手伝うっ」
「……え? お姉さん、治癒魔法使えるのですか?」
「え? 使えるけど……ダメ?」
「いえ、ダメというか意外というか……ええ、人は見掛けで判断が付かないと言いますか」
「え〜? ゼル君の方が見掛けつかないよ〜。だってぇ、見た目はこんな男の子なのに、夜は私達より強いもんね〜?」
「あはは……ま、まぁ、インキュバスですしね……」
「うふふ〜……また今度、遊ぼうね〜。前みたいに仲間外れにしちゃヤダよぉ〜?」
「あ、あはは……い、今はその、ケイフの治療に」
「大丈夫よ、この子普通に頑丈だから。そ〜れ〜よ〜り〜」
   早く助けろゴラァァッ!!」
 うだうだやってる二人にケイフの怒号が響くと、一気にしゃきっと彼女の治療が始まった。
 一方、ソニアが治療しているダークエルフにはエルロイ達が駆け寄った。
「お、おいっ、ヘザー!」
 エルロイがヘザーの身体を揺さぶる。ソニアの眉間が寄る。
「下がってください。治療にエラーが発生します」
「わ、悪ぃ……」
 エルロイはダークエルフの無残な姿に動揺を隠せない。恐らく、彼女が倒れる姿なんて想像していなかったのだろう。
 だが直にその目は反骨の炎を燃え上がらせ、ヴァーチャーを射抜いた。
「……チェルニー、お前は此処に居ろ」
「え? ま、待てッ、エルロイ。そんな危険な……!」
「だからお前はヘザーを見てろって。治療が終わる間くらい、時間を稼いでやる」
 エルロイはそう言って治療中のヘザーから離れる。
 だがチェルニーも立ちあがった。
「……ふ、ふんっ! だ、誰がこんな奴の傍に居てやるか。こんな奴の傍に居るくらいなら……き、貴様の傍に居た方が、マシだッ」
 勇み足でエルロイの隣に進み出るチェルニー。
「か、勘違いするなよ……! 私はヘザーの傍に居たくないだけであって、別に貴様の心配をしている訳じゃ   
 その台詞を最後まで言わせず、エルロイは彼女を抱き寄せ、髪にキスした。
「怖いんだろうが。……無理しやがって。素直に俺に守られてりゃいいのに」
 彼女の体は確かに雨に濡れた子猫の様に震えていた。だが、首を振る。
「……貴様を危険に曝す方が、私にとってはもっと怖いんだぞ……馬鹿者め」
「(……)……お前ってさ」
「? なんだ」
「偶にだけど、スッゲー可愛いよな」
   !」


 その瞬間チェルニーの顔が真っ赤に上気し、何事か叫びながらエルロイの腹に膝蹴りを打ちこんだ。
「(ドゴォッ)のほォォォ……!?」
「な、ななな何を巫山戯た事をッ。真面目にやらんと、死んでしまうかも知れんのだぞ!? 状況を考えろッ」
「い、今、将に死にそうなんすけど……と、というより、お前は加減を考えろ……!」
「……ああっ!? す、済まないッ、エルロイ……!」
 這い蹲るエルロイに、照れ隠しを忘れて彼を心配するチェルニー。
 一方その間にスヴェンはエリスが持ち運ぶ応急処置キットで怪我を処置し、再び剣を持って立ち上がった。
「あうっ!? 主殿、まだ動いては……!」
「大丈夫だ。……それより聖剣の用意をしていてくれないか、エリス」
「聖剣……でするか!? ま、まさかエリスの出番が来るとは……ガタガタ」
「……何を緊張しているんだ」
「いえ、だって……主殿の足を引っ張ってしまわないかと、心配で……」
「大丈夫だ。お前はよくやってくれると信じている」
「あ、主殿……」


「……お前等、わりと余裕よな」
 ヴァーチャーの一言に誰も何も言えないやり取りであった。



―――――



 パーティは変わり、ヴァーチャーと対峙するのは俺とスヴェン、エルロイとチェルニーとなる。
 スヴェンはヴァーチャーを警戒して突っ込む様な事はしないし、エルロイはあれで慎重なので無暗に突っ込む事はしないだろう。
 だが今回はヴァーチャーの方から攻撃を始めてきた。剣を翻し、スヴェンに斬り掛る。スヴェンは受け止めるが、鍔迫り合いで早くも押されつつある。俺は炎を練成しようとしたが、先程奴の背中のスライムに飲み込まれたのを思い出す。
 仕方がないとナイフを取り出し、奴に迫る。だが一撃を入れようとした所で上手くスヴェンが押し切られてしまい、躱される。
 痛烈な薙ぎ。それをナイフで受け止める手応え。最早奴の身体能力は人を凌駕している。俺は剣の一撃を防いだにも関わらず、そのまま弾き飛ばされてしまう。落ちた十字架に背中を打ち付ける。背骨が軋む。暫く体勢が崩れる。
 続いてヴァーチャーはエルロイを標的にした。エルロイは見事に鉄扇でヴァーチャーの斬撃を往なしていた。
「こう見えて、動体視力は良いんだ! テメェの剣が止まって見えるぜッ」
 実際、エルロイの回避能力は大したものだ。だが、それに頼っているだけあって危うさが顕著でもある。油断するなと声を掛けてやりたかったが間に合わず、スライムの触手が彼の足にしゅるんと巻き付いた。
 案の定、彼の足元はお留守だった。
   どわぁっ!?」
 スライムの触手に足を引き上げられ、天地逆さまになる。ヴァーチャーはそんな彼に顔を近付けながら、薄ら笑いを浮かべてこう言った。
「そうか。俺はお前が逆さまに見える」
「テメェがそうしてるんじゃ   ッ!」
 ドゴォォンッ
 エルロイが喋り終わる前に、彼の身体を地面に叩き付ける。石畳の破片が周囲に飛び散る程の衝撃。華奢な彼に耐えられるレベルではないだろう。すっかり白目を剥いて気絶してしまっている。
「エルロイ……!? 貴様ッ」
   ぬおぉぉぉっ!!」
 愛しの彼氏が戦闘不能にされて怒るのはチェルニー。だが彼女が動くより先にスヴェンがヴァーチャーの背後に斬り掛る。
 剣士の剣はヴァーチャーの頭に振り降ろされるが、虫も通らぬ距離で触手が刃を受け止める。挙句黒っぽいそれはスヴェンの剣に巻き付いて行き、彼の手元にまで這い寄る。
 反射的に剣から手を離す。触手に掴まれるなら武器を手放す方がマシ、そう判断したのだろう。それ自体は間違った判断ではない筈だった。
 だが次の瞬間、ヴァーチャーのサイドキックが剣士の腹を深く捉えた。其処は薄い生地覆われているだけで、鎧がカヴァーしている範囲ではなかった。
 派手に吹き飛ぶ事はない。スヴェンは腹を抱え、その場に膝を着いた。触手はそんな彼の横に剣を放り投げる。
「剣士は剣を手から離した時点で負けやろう」
 スヴェンの頭にそう吐き掛けるヴァーチャー。だがその視線が向いていないのをいい事に、チェルニーが駆け、しなやかな脚を振り上げた。ヴァーチャーは掌でしっかりとそれを受け止めると、チェルニーの身体をらくらくと投げ飛ばす。壁に激突した彼女は、よろめきながらも立ちあがる。
「くっ……エルロイッ」
 その声が聞こえたのだろうか。ハッ、と地面に寝そべっていたエルロイが目を覚ます。触手が足に絡みついたままだ。なんとか振り解こうとするが、すぐにその首まで触手が絡み付いた。
「!? ぐ……あ、ぁ……ッ」
 エルロイの身体がゆっくりと浮かぶ。触手一本の力で首を締め挙げ、そして身体を持ち上げられている。空中で足をバタバタさせ、何発か蹴りをヴァーチャーに浴びせるが動じる気配はない。
「……最初に死ぬのはお前や、エルロイ。ずっと目を付けていたよ、お前には」
「な……だと……ッ」
「お前達の仲を取り持ってやったのを忘れたか? 此処に来ている連中では、お前達とは一番関与がある。なぁに……只の積み木遊びの締め、さ」
「させるかぁッ!!」
 そう叫んだのはスヴェンだ。腹の痛みに耐え、剣を取り、ヴァーチャーに斬り掛る。だがその一撃はヴァーチャーの剣が受け止め、そして流れる様に捌かれ、弾かれる。

 弾かれた衝撃でよろめくスヴェンの脇に、ヴァーチャーが容赦なく剣を突き立てた。

   主殿!!」
 エリスの悲鳴ともとれない叫び。剣が引き抜かれる。スヴェンは血が溢れる脇を抑え、ふらふらと後方に下がる。知られていないかも知れないが、脇は人間の急所……動脈が通っている場所なのだ。
「先にどっちが死ぬかな」
 エルロイが窒息死するか、スヴェンが出血死するか。確かにどちらも予断を許さない。
 俺はナイフを再び構え、ヴァーチャーの触手に斬り掛る。だが簡単に剣に阻まれてしまう。奴の剣による防御は完璧だった。
 反撃を躱し、スヴェンの元に下がる。エルロイを見捨てる訳ではないが、今はアルダーによって抱き止められたスヴェンの傷を早急に塞がなければならない。治療が出来る中で手が空いているのは俺だけだ。首よりも出血が激しくないとはいえ、見る見る内にスヴェンの顔が青褪めていく。
「あっちは……どうする……」
 共にスヴェンの介抱に当たっていたアルダーの視線の先は判っていた。
 だが、ヴァーチャーの防御の要であるあの剣をどうにかしなければ、どうする事も出来ない。エリスが駆け寄って、頻りにスヴェンに呼び掛ける。
 その小さな胸には、スヴェンに言われた通り、確りと聖剣が抱かれていた。


「エルロイを離せッ!」
 チェルニーが叫んだ。スヴェンを治療しながら横目で見ると、彼女は弓矢をヴァーチャーに向けていた。
「……何をしている? 自分の弓の腕が酷いって事忘れたのか」
「知った事か、そんな事ッ。エルロイを離せと言っているのだ!」
 毅然としてヴァーチャーにエルロイの開放を求める彼女。ヴァーチャーは呆れた風に首を振る。
「それじゃあ何の脅しにもならない、と言っているのが判らんか……相変わらず残念な頭やな」
 チェルニーの弓の腕は酷いとはエルロイ達から訊いていたが、どうやら脅しにもならないレベルらしい。
「五月蠅いっ。わ、私だって当てる時はあるんだぞっ。……十回に一回くらい」
「そうか。じゃあやってみろ」
 ヴァーチャーはピクリとも動かない。余程当たらない自信があるようだ。
「うぅっ! こ、後悔してもしらんからな……!」
「それは自分がか?」
「チガウッ。   あ!?
 強く否定した瞬間に思わず矢尻を放ってしまったらしい。やってしまったという顔をするチェルニー。
 ところが   

 ドスッ

「っ!? んな……」

 ヴァーチャーが動揺を見せる。チェルニーの矢が見事エルロイを拘束する触手に命中したのだ。触手は驚いてエルロイを離す。
 エルロイは絞首から解放され、ヴァーチャーから後退りしながらえほえほと咳込んだ。
 そんな彼を抱き止めるチェルニー。
「エルロイッ、大丈夫か……?」
「ゲホッ……だ、大丈夫だ、あんがとな。お前も、やれば出来んじゃねぇか……!」
 チェルニーは照れ臭そうに視線を背ける。
「と、当然だっ! 私にかかれば、こんな事……!」
「まぁ、まぐれに決まってるけどな」
「なっ。わ、私はちゃんと狙ってだな……」
   ふん、どうせ狙うなら“此処”を狙えばよかったものを」
 そう口を挟むヴァーチャーが指で叩いて見せたのは、自身の額だった。完全に油断していたから十分に狙えた、と言いたいのだろう。
「残念やったな。お前の弓でもまぐれがあると判れば、二度と油断なんざしない」
「そうか……では次はどうかな!?」
 一発を当てたくらいで自信満々にそう言い放つチェルニー。もしかしてこのカップル、共通して調子に乗り易いのではなかろうか。
 放たれる弓。だがヴァーチャーは先程の言葉とは裏腹に躱そうともしない。
 それもその筈、チェルニーが落ち着いて放った矢はまるで見当違いの方向に飛んで行ったのだ。矢の向く方向からして、ヴァーチャーは端から当たらないと判っていたのだろう。
「なー!!」
 悔しむチェルニー。ヴァーチャーも肩をすくませる。
「所詮その程度か。さて、そろそろ死人が出ないと面白く……」


 ドスンッ、と音がした。ヴァーチャーは言葉を止める。
    背骨が剥き出しの彼の背中に、チェルニーの放った矢が深々と突き刺さっていた。
「な、なんで……っ!?」
 ヴァーチャーは困惑する。俺も目を疑った。
 チェルニーの矢は見当違いの方向に飛んで行き、壁に弾かれた。それがなんと、偶然ヴァーチャーの背中に舞い戻り、突き刺さったのだ。
 将に、奇跡の一矢であった。しかも、それは背中に刺さった事で思わぬ効果を齎した。
「がはっ。ぐ……あぁぁ……!?」
 ヴァーチャーの肌から黒が消え去って行く。背骨に寄生しているというスライムが、一矢を受けた事で傷付き、力を弱めたのだ。
「まさか……こんな、こんなことが……!!」
 苦しみ悶えるヴァーチャー。背中の位置を確かめ、矢を掴み、引き抜く。触手が悲鳴を挙げた様に震え、奴の背中に消えていく。それと同時に、やっと奴の剥き出しの背骨が肉に隠れた。
「くっそ   
 ヴァーチャーが膝を着いた。チャンスだ。だが、口惜しい事に俺は味方の治療で動けない。奴が回復してしまう前に、どうにか此方のペースに引き込みたいが   
「なんだか判んねぇが、チャンスだ! チェルニー」
「言われなくても判っている!」
「……はん」
 二人の掛け声に楽しそうにニヤリと笑うヴァーチャーだが、彼等の攻撃を捌くのも精一杯といった感じだ。しかし、その動きはもうすでに元に戻りつつある。
「もう大丈夫だ……」
 スヴェンが弱々しく言う。止血は終えたとはいえ、失った血は少なくない。よろめきながら立ち上がる彼を、エリスが支える。
「大丈夫じゃないでするっ。まだ安静に……!」
「聖剣を抜くぞ」
「え……あっ」
 エリスの手を剣の柄に持って行き、その手の甲を包み込む。そして、剣の鞘を抜いた。白刃が曝され、スヴェンの体が僅かな光を纏う。どうやら、強力な回復作用も持っている剣の様だ。
 完全回復とまではいかないが、十分に立てる様になったスヴェン。腕でエリスの身体を抱き挙げ、剣を構える。
   ぐおッ」
 その先で、エルロイが掴み挙げられ、地面に叩き付けられる。
「ッ! く、あぁッ」
 続いてチェルニーの脇腹に蹴りが命中。彼女の身体が宙に舞う。
 どうやら、ヴァーチャーは相当持ち直したようだ。
「いくぞ、エリス!」
「……はい、でするっ」
 その掛け声と共に、ヴァーチャーの背後に切っ先を向け突撃するスヴェン達。ヴァーチャーは振り向きざまに剣で彼等の攻撃を払う……瞬間、自分のした事に気付いた表情を見せる。
 聖剣にふれたヴァーチャーの剣が砕け散る。勢いを弱めないスヴェンとエリスの剣はヴァーチャーの脇に一撃を加える事に成功した。
   ちっ」
 自分の脇を通り抜けて行ったスヴェンの背中を強烈に蹴り付ける。スヴェンは身を呈してエリスを守るが、壁に激突した際に遂に力尽きた。
「あ、主殿……!」
「……」
 あの瞬間、咄嗟に身体を捻ったヴァーチャー。反応さえされなければ、今頃二人の剣で奴を串刺しに出来ただろう。
 だが、奴を無手に持ち込んだのはお手柄だ。奴は、防御の要を失ったのだ。
「ふん。そう言えばお前達の剣には“破砕する”能力があったな。ついつい、忘れていた。一度、大事な剣を壊された事があったのに、俺もボケたか?」
 奴の脇を血が濡らすが、傷は浅いようだ。
 だがこの機会を逃す手はない。俺はすぐさまダガーを構え、奴に詰め寄る。一瞬の攻防。光の瞬きよりも早いと感じられる僅かな間で奴に数ヵ所掠り傷を負わせた。だが奴の動きを止めるには程遠い。ヴァーチャーは俺から距離を取る。
「ふふ……面白くなってきたやないか」
 ニタリと笑む。苦境に追い込まれて気分が高揚しているのか、はたまた動きが戻りつつある実感に歓喜しているのか。
「さて、頼りになる戦力はあとお前だけや。ゲーテ」
「……どうかな」
 ズガンッ、とヴァーチャーの足元に斧が打ち降ろされる。驚いて後ろに飛び退くヴァーチャーだが、続いて活きのいい声が響き渡る。
「さっきは良くもやってくれやがったなぁッ。覚悟しやがれ!(まぁ、お陰でゼルにたっぷり心配してもらったケドな……っ)」
「はっ! 死に損なったか、小娘!」
 ヴァーチャーが反撃しようとケイフに掴み掛るが、その腕にしゅるると鞭が撒き付く。
「……ウチの家畜共が、偉くお世話になったみたいじゃない。お礼、させてくれないかしら?」
「其方は随分と優秀な医療班が揃ってるようで」
 そう余裕で居ながらも、ケイフの姉が振り降ろした大斧を逆の手で受け止める際には苦悶の表情を呈す。
「よくもケイフちゃんを痛い目に遭わせたね……覚悟、してね?」
「……」
 今度はケイフの斧がヴァーチャーに振り降ろされる。両手が塞がれている状況だが、奴はケイフの一撃を上手く足で往なした。
 ヴァーチャーは一喝した。その瞬間周囲に衝撃が走り、ヘザーの鞭も、ケイフ達の斧も弾かれる。
 だが其処からヴァーチャーは次の行動を起こさなかった。
 いや、起こせなかったのだ。
「……ッ。な……っ、石……化……!?」
 其処には、ヴァーチャーを強く睨むコカトリスの姿があった。
「うぅ……こ、怖いけど……アルダーさんの為なら……!」
(くっ。この程度の石化、力尽くで……)
 石化しても喋る事が出来るぐらいでは、大して利いていないだろう。だが、十分に動きを封じ込める事は出来る。


 今のヴァーチャーは   隙だらけだった。


「姉貴、行くぜ……!」
「オ〜ケ〜♪」
 ヴァーチャーの眼前で、二頭のミノタウロスが斧を振り被る。ようやく、俺達の意図がヴァーチャーにも伝わったようだ。奴の顔が青褪める。
「ば、馬鹿な……嘘やろ……ちょっと待ッ」
 ドゴォォォンッ
ッッ   !!
 パワフルな姉妹の凶悪とも言えるコンビネーション。一発でさえ猛烈な威力なのに、それを重ね合わせた一発。石化し、回避も防御も出来なかったヴァーチャーは直撃を喰らわざるを得なかった。
 消し飛んだか、と思う程の威力。それに伴う砂埃。それが晴れた先には、壁に皹を作って減り込むヴァーチャーの姿があった。どうやら、バリアを作って一刀両断だけは免れたらしい。
 だが、流石に奴には大ダメージを与えられたようだ。弱々しく壁から這い出して来た奴の動きは鈍くなっていた。
「ゲホッ、ゲホッ……く……そ、が」
「おいおい、まだ生きてんのかよ……タフな野郎だぜ……」
 ケイフの口から洩れる台詞。それは敬服と言うよりか、恐怖からの言葉だった。
「ハァッ、ハァッ……フレデリカッ!! 何時までボーッと突っ立ってるんや、此奴等を片付けろッッ」
 唐突に響く奴の声。すると、ペトロシカに石化させられていた筈のフレデリカの身体が、ガタガタを震え始める。
 パキンッという音。彼女はあっさりと石化を打ち破って見せたのだ。
   ! 拙いっ」
 俺は焦った。フレデリカの周りには、ゼルとドリスが無警戒に立っていた。
 ドスッ、と嫌な音が響く。フレデリカの槍がゼルを切り裂いたのだ。
「ゼルッ!?」
「あ……はッ……?」
 倒れ込む吟遊詩人。間髪入れずにドリスに穂先が突かれるが、それをあろう事か、ソニアが庇ったのだ。
「ソニア   ッ」
 腹を串刺しにされ、持ち上げられる白き乙女。俺は激しく体を揺さぶられる気分がしたが、ソニアがゴーレムだという事を思い出し、一旦落ち着く。彼女はルーンさえ無事ならば命に別条はないのだ。
 だが俺達は視線をフレデリカに向けていた所為で、ヴァーチャーが祝詞を唱えている事に気付けなかった。

<漆黒なる黎明の王。白妖なる黄昏の女王。麗しくは交わりて、暗黒の子を産み落さん>

 手を突き出すヴァーチャー。その方向にはフレデリカ。
 不気味な気配。フレデリカの後ろに、黒い塊がのっぺりと現れると、それは周囲のモノを無造作に吸い込み始めた。
「う……な、なんだァッ。……どわぁぁぁっ!?」
「あ、主殿ッ! 起きて下され、主殿ぉ! はわわぁっ!?」
 俺は咄嗟に光の杭を地面に刺し、その場に踏み止まったが、他の協力者は立っている者、倒れている者関係なくあの黒い塊に飲み込まれてしまう。
 ヴァーチャーが生み出した黒い塊は、俺以外の者が全て収まったのを見計らうと、吸い込むのを止める。見ると、吸い込まれた仲間達はあの黒い空間の中に閉じ込められているようだった。
 外に残されたのは俺とヴァーチャーとフレデリカのみ。フレデリカはあの黒い塊を見張る役目らしく、此方を遠巻きに見るだけ。ヴァーチャーの思惑がすぐに察せられた。
   サシが、御望みか?」
 奴は満足そうに笑うと、近くに引っ掛かっていた自らの外套を片手に持つ。
「ああ。丁度お互いの魔力も限界な訳やし、最後は“これ”で決着をつけようかとな」
 “これ”とはダガーの事だ。奴は外套からダガーを抜き出す。刃が鮫の歯の様になっていて、掻き切る事に特化した仕様だ。それを順手に構える。
 しかし、此方の魔力がもうすでに空と気付かれていた事にも驚いたが、ヴァーチャーの方も同じように限界だったとは意外だった。そのなけなしの魔力で、俺以外の連中を檻に閉じ込めたという訳だ。
「フレデリカ、其奴等が邪魔しないよう見張ってろ。変な動きを見せたら皆殺しにして構わない」
「……は、い」
「最後まで悲しい事を言わせるんだな、貴様は」
 奴は何も答えなかった。
 俺も自分の外套を脱ぎ去り、片手に持つ。ダガーは奴と違って逆手に慣れている。
「楽しみやなぁ。楽しみや。思えば、出会った頃からこうしてダガー一本で闘(や)り合うのに憧れていた気がするよ」
「俺は貴様の軽口を何時塞いでやろうかと常日頃思っていた」
「それは怖い」
 屈託ない笑顔。奴の抱いていた憧れは、きっともっと違う形のものだったんじゃないかと思う。
 辺りは夜の静けさに包まれ、月光がまるで俺達の行く末を見守る様に照らし続けていた。雲が暗闇を作る気配もない。只、来た時とは全く違う、清浄な空気が辺りに立ち込めている。
 互いにダガーを構える。この刃のどちらかが、相手の急所を捉える事になるだろう。
 俺はヴァーチャーとの直接的な対峙に、とても落ち着いた気分でいられた。何故か負ける気がしない。天才、化け物と呼ばれ、実際に魔に落ちた友を前にして、少しでも自分が劣る気がしないのだ。
 俺は知っている。奴が負ける要因を。
 協力者達の活躍で奴の体力を大きく削った。奴の精神を大きく揺さぶる事が出来た。それも大きいだろう。


 しかし、奴が負ける一番の要因は、きっと……。





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【メモ-人物?】
“ヴァーチャーに寄生しているスライム”

ヴァーチャーの身体に根を張る寄生型スライム。名前はない。
只ヴァーチャーの背中から生える触手の色から見て、ダークスライムの亜種である事は確かである。

寄生したタイミングは前魔王時代であったが、その当時からヴァーチャーに心底惚れている。宿主の身体を乗っ取る気などサラサラなく、その代わりヴァーチャーの神経系の一部にとって代わり、今でも彼を不老不死の身体にしている。

寄生した当初、余りにテンションが上がってしまった為一時的にヴァーチャーの精神を蝕んだが、すぐに我に返った。
しかし、結局ヴァーチャーが狂気に身を落とす最初の切欠を作ってしまった張本人。

10/07/15 19:02 Vutur

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