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10話

【起死回生の一策】



    やがて、約束の時間が過ぎた。

 俺の策は、未だ成らない。
(どうしているのだ……)
 俺は僅かに焦る。ヴァーチャーの姿が見当たらないのもそうだし、フレデリカの攻撃はなんとかエルロイが食い止めているが、どう見ても限界を超えている。周囲のゾンビ達の攻撃も一向に収まる気配がないし、味方の疲弊は明らかだ。
「ハァ、ゼェ……ッ! ま、まだやんのか!? は、早くあの野郎見付けてぶっ倒そうぜ!」
「ケイフ、焦ってはいけません。相手は闇に乗じて攻撃して来るつもりです。此方から動けば、その隙を突かれます」
「そ、そうは言ってもよォ! ……此方は、とっくに限界なんだ……ッ」
 彼女だけの問題ではない。口に出さずとも、全員に限界が迫っていた。
「どうやら、小生達を疲れされた所を一気に畳み掛けるつもりのようですね、ゲーテ様」
「ああ」
 ゼルの目測通りだ。ヴァーチャーはエリスを仕留められなかった事に、僅かに自尊心を傷付けられたのだろう。だから今度は念には念を入れ、俺達の疲労がピークに達した時、確実に仕留めに掛るつもりだ。
 そのお陰で存分に時間が稼げるのだが。
「だ、駄目だ……! も、もう、限界ッ……」
 そんな時、萎びた声を挙げたのはエルロイだ。先程から金属音がよく聞こえる様になったとは思っていた。疲労の為に足元がおぼつかず、フレデリカの槍撃を次第に回避出来なくなっていたのだ。
 エルロイは足元に転がるゾンビの身体に足を引っ掛け、尻餅を着く。フレデリカは身体を捻り、彼の首筋に向かって槍を振るった。
「しまっ   
 反応が遅れた。フォローしても間に合わない。俺の体にも疲労が蓄積していたのだ。
 だがその瞬間、フレデリカの動きがピタリと突然止まった。
 まるで金縛りにでもあったように。


「エルロイ、大丈夫かっ」
 透かさずチェルニーがエルロイを引き摺り起し、フレデリカから離れる。どうやら、何者かが彼女の動きを封じたらしい。彼女は動こうとしながらも、何かに阻まれるように身体を硬直させていた。
    何処からか頼りない声が響いて来る。

「ひゃうぅぅ……っ!? お、お化けが一杯だよぅ、アルダーさん……っ!」
「……そう、だな」

 どうやら、策は成りそうだ。
 声がした天井を見上げる。二つの影が、中の様子を窺っているのが見えた。
 その二つの影が何やらぼそぼそと会話をしている。

「ペトロシカ……乗れ」
「へ? ……えぇっ!? と、飛び込むのぉっ!?」
「早く……」
「うぅ……やっぱり、止めよぉよぅっ。明らかに僕達邪魔になるよぉっ」
「なら……俺一人で……」
「わっ、駄目っ。一人にしちゃ駄目ぇっ。判った、行くからっ! 行くから置いてかないでよぅっ」

 こうして一悶着しながらも、彼等はこの場に飛び降りてきた。
 地面に着地した瞬間、轟音が響く。目測で10メートルはある高さから落ちてきたのだから、その衝撃は凄まじい。何よりそれに耐えられる足は規格外だ。
「待ち侘びたぞ」
 飛び降りてきたばかりの二人に声を掛ける。少女を肩車した、長身痩躯の男は鳥打帽の淵を降ろす。
「すまん……配達が遅れた……」
 予め呼び付けておいた、陸地最速と謳われた郵便屋のアルダーと、コカトリスのペトロシカのコンビ。アルダーは銀髪を後ろに束ねて垂らす、口数の少ない男だ。対してペトロシカはコカトリスの癖に足が遅く、小柄な娘。首に黄色のスカーフ、頭にはゴーグルを装備している頭に生える鶏冠の様な赤い羽根三枚が怯えたように震えている。
 しかし、今の言葉はどっちの意味だろうか。約束の時間に遅れた事をそう言ったのか、それとも配達が遅れたから遅くなったと言いたかったのか。兎も角、アルダーは口下手で誤解を受けやすい性格をしていた。
「フレデ……彼女の動きを止めたのは君か」
 一瞬彼女の名前を出し掛けたが、咄嗟に飲み込む。コカトリスの視線の魔力は石化を起こす事でよく知られている。コカトリスのペトロシカはコクリと頷く。
「う、うん……な、なんか危なそうだったから……」
「そうかッ、感謝する!」
 チェルニーがそう大袈裟に礼を述べるだけで、少女はプルプルと震える。相変わらずコカトリスというのは臆病なものだ。
「……トドメを刺しておきましょうか」
 ヘザーが膠着するフレデリカに歩み寄り、短剣を抜く。
 だがエルロイがそっと、ヘザーの手を止めた。
「……其処までやる必要はねぇんじゃねぇか? ヴァーチャーさえ倒せば、此奴は何も出来ねぇんだし」
 ヘザーはそれを聞いてキョトンとするが、すぐに呆れたように溜息を吐く。
「はぁ。全く、甘い男ねぇ。……ま、其処が気に入っていたりもするのだケド……」
「なっ……お、お前……」
「おい、エルロイ。貴様、その反応はなんだ……?」
「え、チガッ……ぐえっ」
 目敏く間に入って来たチェルニー。鳩尾に効く一蹴り。エルロイはその場に膝を着く。
 奴等の痴話喧嘩はさて置き、俺はアルダーの肩に袈裟掛けられている大きな郵便鞄を見る。
「頼んでいたものは持って来てくれたようだな」
「ああ……」
「ありがたい。さて、これをどうしてやろうか……」
 俺がこの“鞄の中身”をどう披露するか考えていると、宙をふよふよ飛んでいるガーゴイルのドリスが目に入った。
「ご主人さま……あうぅ」
 丁度いい。俺達が苦戦している間も只呆然と浮かんでいるだけだった、彼女に働いてもらおう。奇しくも、この中身は彼女に関わるものだ。
「ドリス」
 呼ぶと一旦此方に顔を向けるが、すぐにそっぽを向く。まるで遊び相手を探す犬の様だ。今はヴァーチャーの姿を探しているらしく、辺りをキョロキョロと急がしい。
「……ソニア」
「了解」
 俺の言わんとしている事が事前に判ったらしく、ソニアはすんなり頷いた。郵便屋から受け取った大きな鞄を手にすると、勢いよくそれを振り回す。
 そして   ソニアが手を離すと、鞄は大きな弧を描いてあのガーゴイルの肩に引っ掛かるのだった。
「あわぅっ」
 宙で大きくバランスを崩すドリス。俺は叫んだ。
   ドリス! それをヴァーチャーに届けてやれッ」
 ドリスは郵便鞄の中身を見ると、目を輝かせた。やっと正気に戻ったらしく、郵便鞄を掲げて集会場を飛び回り、中身をばら撒いた。
 色とりどりなそれは、紙吹雪に見えた。
「なんだ、これは……手紙?」
 エルフが怪訝な顔で、辺りに降り積もったそれは手に取ると、そう呟いた。
「……まさか、これ全部そうなのか!?」
 これは、この場を覆い尽くす全ては、この五百年もの間ドリスがヴァーチャーに宛てて送り続けた手紙だ。ヴァーチャーに作られた彼女は、純粋に奴の望みを果たそうとした。だが奴はそれを頑なに拒否し続けていた。過去と関わるのをとことん嫌がった。
 それが今では、奴の過去そのものだろう俺と対峙している。
 ……恐らく、だ。この一戦に、奴は何か並々ならぬ決意をしている。この勝敗で奴は身の振り方、今後について決めている事があるのだろう。
 だからこそ、奴は過去から逃げはしない。それが、俺が見てきた奴の姿だったからだ。
「済まない、手間をかけさせただろう」
「ああ……その所為で、遅れ……た」
 アルダーにはドリスの手紙を大陸中から掻き集めさせた。大半は失われてしまっただろうが、宛先不明便として保存されている手紙は少なくない。
「……これでどうやってヴァーチャーを倒すって言うのかしら。全然見えないわ……」
 ヘザーが呟く。俺は笑った。当然だ、これはヴァーチャーを倒す策ではないからな。


 俺は迷っていた。
 最初の頃は、ヴァーチャーを追っていて只殺す事だけを考えていた。きっとそれが奴を救う方法なのだと信じたからだ。実際、奴は大陸各地に混沌を齎してきた。
 だが、最近のヴァーチャーを見て思う。奴は今のままでも十分やっていけるのではないか? 只、少しだけ目を覚まさせてやる程度でもいいのではないか? そう思って改めて奴の動向を見てみると、何の理由も無く人を殺す様な事はした事がないのに気付く。奴自身が、不用意に世の中に混乱など起こしてはいないのだ。
 俺が望むのはただ、昔の様に人を愛せる様に成って欲しい。それだけであって、死んでもらいたいなどとは露とも思ってはいない。
 だから、ドリスからの手紙を拒み続けてきたヴァーチャーに思い知らせてやるのだ。この圧倒的な想いの海にいて、今の奴に、それを無視する事は出来ない。
 いや、俺の思い違い   奴がこの一戦に何も託すものがないのだとしたら。
 その時は……俺は簡単に決意を固められる。
 それだけだ。


   の月の第四日。今日はご主人さまとテーベのお祭りに行った日です」
 そして今、微かに、そんな声が聞こえた気がした。
「! しっ、止まれ」
 俺は周囲で戦う全員に制止の声を掛けた。


 ……ゾンビ達の動きが止まっている。


「なんだ、どうしたんだ……此奴等」
「主殿、耳を澄ましてみて下され」
 唐突に収まった戦闘。数人が肩で息をする音の中に、はっきりと奴の声が聞こえてくる。

「……おぼえていますか? わらでできた、大きなおうまさんがおうちの間からのそのそ歩いて出てきました。ご主人さまは子供たちといっしょにはしゃいでいましたね。周りのおとなから笑われていたのにきづいていましたか?」

 今、何処にいますか   ? ドリスより


 落ちついた声で読み上げられる、これはドリスの手紙の内容だろうか。俺が読んだ時はミミズがのたくったような文字に音を挙げたのだが、奴はそれをすらすらと一度も詰まらずに読んで見せていた。
 声を辿る。ヴァーチャーの姿はすぐに見付けられた。奴は今まで隠れていたというのに、ずっと其処に居たかのように、歪な十字架の上に腰掛けている。
 その横には、積み上げられた手紙。奴は読み終えた一通を丁寧に仕舞って、もう一通を手に取る。


   の月の第七日。今日ははじめてご主人さまと船にのった日です。 おぼえていますか? 私がふうじられている指輪を海に落っことして、すごくあわてていましたね。そのあと、親切にひろってくれた人魚さんにうれしそうにお礼を言ってくれました。あのとき、私、ご主人さまが心配してくれて、うれしかったです」

 ご主人さまは、いま元気ですか   ? ドリスより


 湿っぽい声で読み上げられた、最後の一節。続いて手紙を取る。


   の月の第二日。ご主人さま……このお手紙を書きつづけて長いです。なのに、ご主人さまはお返事をくれません。もしかして、お返事がだせないくらいいそがしいのでしょうか? ゲーテさんたちも私も心配しています」

 会いたいです   。ドリスより


   の月の第三日。今日、ゲーテさんたちのおかげで五〇〇年ぶりにご主人さまに会えましたっ。なのに、どうして私をみるといやそうな顔をするんですか? 私、ご主人さまのためにお話しできるようになったのに。ご主人さまのために動けるようになったのに……」

 ……嫌わないでください……ご主人さま   。 ドリスより


   の月の第一日。えと、たしか今日ははじめて“じぱんぐ”ってところにいった日……だったとおもいます。ご主人さまがとっても悲しい顔をしていて、『どうしたの?』ってききたかったですけど、私、しゃべれなくて。でもすぐにわかりました。ご主人さまはお父さんとお母さんをさがしにきたんだって。でも、どうしてお父さんとお母さんのいるおうちの前まで行ったのに、中に入らなかったのかはわかりませんでした。ご主人さまが悲しいと、私も悲しかったです。ご主人さまは笑っているすがたが、一番かっこいいです」

 ご主人さま、いま笑っていますか   ? ドリスより



―――――



 ……ヴァーチャーはその手紙を読み終わると、静かにそれを傍に置いた。
「……笑える訳、ないやろう……」
 ぼそりと一言。
「ヴァーチャー……?」
「……」
 ヴァーチャーは俺の問い掛けに何も答えない。暫く項垂れていると思ったら、額を手で押さえ、首を振る。
「笑えない。笑えないよ、ホント」
 ヴァーチャーは呟きながら、傍に積み上げた手紙を全て宙にばら撒き   剣でそれ等を切り裂いた。
「あ……ご主人さ……」
 ドリスの悲痛な表情。想いの詰まった手紙が、ただの紙くずとなった瞬間だった。
 そして、その手紙の断片が地面に落ちるのを待たず、ヴァーチャーは俺を指差した。
笑えないなッ、ゲーテ! お前は何時からこんな甘い男になった? 敵の情を煽って、何になると思っている!? こんなはした紙くずで、俺を改心させられるとでも思ったか? それとも、それに乗じて俺に一撃を入れる算段か!? どちらにしても、馬鹿馬鹿しいッ!!」
 十字架の上で怒り狂ったように叫んだヴァーチャーは、悠然と地面に降り立つと、改めて剣を構えた。その背中の触手は一層活発に動き回った。
敵と叫べッ、ゲーテ!! 憎むべき凶悪やと、殺すべき邪悪やと、蔑むべき暴悪やと!! それが出来なきゃ、テメェは死ぬ。その甘さが自身の本分やと嘯くなら、出来損ないの脚本もいいトコやぞ、ゲーテッ!!」
「……そんな事はない」
 俺は言った。
「貴様はヴァーチャーだ。この五〇〇年、俺にとって、貴様はそれ以外の誰でもなかった。この甘さは誰でもなく、その貴様から受け継いだもの。この脚本が出来損ないだというのなら、自身の胸に訊いてみるがいい。……貴様が思い描く結末の方が、陳腐とは思わないか」
「……ッ!」
 ヴァーチャーに挑発合戦で勝ったのは初めてだ。奴は冷静さをすっかり欠いた様に強く歯を剥き出す。
「いい気になるなよ、クソがッッ。俺の気持ちがお前等に判るかッ! ずっと判らないでいた、いや、誰も判ろうともしなかった俺の苦しみが、今更誰に判る!!」
「ヴァーチャー、だからそれは……」
   今頃うっせぇんだよ、駄法がッッ!!」
 ヴァーチャーの身体から憤怒の炎が噴き上がる。奴の周囲に落ちた手紙が一瞬で灰に変わる。
 拙い。奴の炎は防御に甘いが、その分攻撃となれば天災クラスだ。防御に転じなければ全滅は必至。
「全員、俺とソニアの後ろに立て! 結界が張れる者は手伝え! ゾンビに感(かま)けるな、急げ!」
 大技は出が遅いというのは必然の理だ。俺とソニアは並んで結界を張り、その後ろに協力者達が並ぶ。どうやら、能力強化のルーンを施してくれた者が居る様だ。助かる。
 ふと、未だに空中に羽撃いているドリスの姿を見付ける。
「何をやっている、ドリスッ。早く結界に入れ!」
 しかし彼女は俺の方を心配そうに見ながら、あろうことか石化したフレデリカを引っ張って来ようとしていたのだ。
「何をやっているのだ、あのガーゴイル!」
「どうやら、あの娘を助けたいらしいわね」
「テメェ、自分が召喚したゾンビ諸共燃やすつもりなのか!?」
 チェルニーとヘザーを後ろに、エルロイがヴァーチャーに喚く。当のヴァーチャーは頭に血が上ったままに叫び返す。
「それがどうした!? 俺が召喚したんやぞッ、俺が好きにするのにテメェの許可が要んのかよ!!」
「そうじゃねぇ……! そうじゃねぇんだよッ!!」
 ヴァーチャーの狂った迫力に、内容はどうあれ、エルロイは負けじと怒鳴り返す。
「……放っておけないでする!」
「あ、おいっ、エリス……!?」
 そんな中、リザードマンの少女が結界の範囲から飛び出し、ドリスを手伝い始めた。フレデリカ自体の身体は軽いのだが、石化している為の重さと、その手に持っている槍の重さが彼女を運ぶのを難しくしていた。
 結界まで後5メートル程。そろそろヴァーチャーの術が発動しようと、その炎のうねりを禍々しく膨れ上がらせる。
「くそっ」
 スヴェンが結界範囲から飛び出す。彼にとって、エリスは並々ならぬ程大切な相手なのだろう。彼はエリスと、そして石化したフレデリカを脇に抱え、ドリスの手を掴んで走った。


「……何奴も此奴も   遅ェんだよ!!」


 ヴァーチャーが叫んだ瞬間、耳を劈く爆裂音が駆け巡る。目の前が紅蓮に染まる。結界があると言えども、熱量が擦り抜けて、肌がジリジリと焙られる感覚を憶える。
 周囲でゾンビの呻き声が哀れに響く。紅蓮の中の黒い影が、続々と消え去って行く。
 ゾンビも、ドリスの手紙も……。


 やがて憤怒の炎が勢いを失くした頃。窮地を脱した俺達は、落ち着いて互いの顔を見合わせた。
「ふぅ……そうだ、エリス! お前、一人でなんて事を……!」
「はうぅぅ……あ、危なかったでするぅぅ……っ!」
 ドリスを手伝いに行ったエリスは、地面にへたり込んで涙ぐんでいた。その傍に、ドリスとフレデリカは全くの無傷で佇んでいる。
「あの時、郵便屋が手伝ってくれなかったら今頃俺達は消し炭になっていた所だっ」
「ご、ごめんなさいでする……主殿ぉ……っ」
「俺に謝る前に、郵便屋にお礼っ」
 まるで父親か兄貴分のようにエリスを叱りつけるスヴェン。先程ヴァーチャーにエリスを狙われてから、特別気が立っているのだろう。
「エ、エリス達の命を救って頂き至極の感謝を申し上げるとともに御手間ご足労を掛けましたる事を海よりも深くお詫び申し上げまするでする……っ」
 どうやらまだ命の危機が迫った興奮が収まっていないらしい。アルダーは苦笑いする。
「いや……気に、するな」
「……ねぇねぇ、アルダーさん」
 ふと、ペトロシカがアルダーの背中を翼でととん、と叩く。

「アルダーさん。こないだ言ったじゃない、僕以外の女の子と口利いちゃダメだよって。……もう、忘れちゃったのかなー……?」
(うぞぞぞっ!)
 今アルダーの全身が大きく揺らめいた様に見えた。
「それもこんな、僕より未成熟な子となんて……アルダーさんは、イケない人だなぁ」
「ちょ、ちょっと待てっ! こ、これは緊急の事態という奴だ! べ、別に君の言葉を忘れた訳じゃあ……!」
 あれだけ無口(というか口下手)だったアルダーが、急に饒舌になり始めた。
「そっかぁ。憶えていて態と……ふふ、それは僕への挑戦かなぁ……?」
「チガッ、違うっ! 挑戦とか、そんなんじゃ……! 俺のパートナーはペトロシカだけだから……!」
「当たり前じゃない。僕はアルダーさんのモノなんだよぉ……? どうして、今更そんな事確認しなくちゃいけないのかなぁ……? ねぇ、アルダーさん……?」
「ひぃっ!? わ、悪かった……! 俺が悪かったから……」
「どうして? アルダーさんは何にも悪い事なんてしてないじゃない……悪いのは僕だよ。あの時、ちゃんとアルダーさんにオシエテあげなかった、僕が悪いんだ。アルダーさんが僕だけしか見れないようにしておくべきだったね……ごめんね、アルダーさん。このお仕事が終わったら……今度こそ、ちゃーんとアルダーさんの誇りも何もかも僕に染め上げてあげるから……それまで、我慢しててね?」
「……ガタガタ」
 アルダーが小刻みに震えだす。事情は……訊かないでおこう。素直にお礼を言っただけのエリスはキョトンとしているし。



―――――



「……お前等は、本当に判っていない」
 ヴァーチャーの台詞に、全員が身構える。
「自分達の目の前に居る相手が、殺すべき相手なんやと言う自覚がない。特に、ゲーテ。お前は俺を殺そうとしなくちゃならない筈やのに、まだ下らない理想を抱いている」
 ヴァーチャーは両腕を広げ、自分に注目させる。その背後に蠢く黒き影。
「お前……まさか俺が、魔物に寄生されたから変わってしまった、なんて思ってないよな」
 じろりと、欺瞞を覗くように睨まれる。俺は動揺した。図星を突かれた訳ではない。只、半信半疑な事だった。
「俺は何も変わってない。変わったのは、単にお前の見方や」
 ヴァーチャーが指摘する。俺は閉口させられる。
「お前、さっきいい事言っていたな。『魔王の愛がリビドーならば、ヴァーチャーの愛はデストルドー』やとか。全く持ってその通りやないか」
 不敵な笑みを漏らす。
「確かに俺は、フレデリカを殺したい程愛していたから」
「!」
 俺達の表情を察したのか、今度の笑みは自嘲気味に表わすヴァーチャー。
「ああ、おかしいやろう。普通の人間は、愛した相手を殺したいなんて思わない。やが、残念な事に、俺の愛はこういう形をしている。生まれ付いて、化け物なのさ」
 愛の形はそれぞれだ、とはよく言ったものだ。特に、殺人鬼なんかはその愛が歪んでいると言わざるを得ないものなのだろう。
 だが、そんな事よりも確かめるべき事があった。
「……貴様、やっぱりフレデリカの事を憶えていたのか」
 忘れたふり。回りくどい演技だ。何の為に。そういった意味合いで問い掛けたが、ヴァーチャーは首を振った。
「いや、思い出したのさ。ドリスの事も、SO-NEAR(ソニア)の事も、全部」
「思い出した……?」
「忘れたい過去やったのに……ドリスの手紙があんまりにも懐かしくて、ついつい思い出してしまったみたいやな」
 今度は懐かしむ笑顔を見せて、そう言った。
「ならば……!」
 希望が湧きだした。やはり此奴は更生できる。今からでも穏やかな生活に戻れる。俺達は今度こそ、本当の友として歩いて行ける。
 そう期待した。けれど、奴は殺意を引っ込めなかった。奴は鋭い目付きで、突き放すように俺達を睨み付けた。


   やからこそ、お前等は俺を殺さなきゃならない」


 呆気にとられた。そうなる理由が見付からない。
「人殺しの自分が囁くんや。『殺したい、死に際に消える命の光だけが俺を満たしてくれる』」
 ヴァーチャーは剣を持つ右手にそう語り掛けた。
「でも、正義の自分がこう囁く。『人殺しなんて許せない。こんな奴は地獄を見ればいい』」
 今度は何も持たない血塗れの左手に語り掛ける。
「つまり   俺はお前達を殺して地獄を見たい、という事だけ」
 そして語り掛けた両手を顔の真ん中で合わせてみせ、そう言った。
「それぞれの思惑は別にしろ、お前達が俺の事を想って此処に立っているのは知っている。だから、その期待を踏み躙って、俺は悲しみたいんや。悲しみだけが立ち込める闇の淵で、自分が罪を重ねてしまったという事実に酔い痴れてしまいたい。だが一方で死んでしまうのもアリかとも思っている。そうすればきっと……楽になれる」
    この苦しみから解放される。
「だから、お前達が生き残る為には必死に戦うしかない、と謂う事だけ。そうすれば俺が死んでもお前等が死んでも……誰でもない、俺が得するんやよッ!!」
「なっ……」
 凄まじい剣幕と一見、無茶苦茶な理屈。だが、筋は通る。奴にとって死が愛欲を示すならば、形を問わず愛を欲しがった奴にとって死ぬ事すら本望。

 其処まで渇望する愛。

 ……苦しみの裏返し。


 ヴァーチャーは剣を構えた。その姿勢から、今度は奴自身が戦うという事を示している。
「やから、出来れば必死に抵抗して欲しい。出来れば苦しんで死んで欲しい。パートナーとの幸せな将来を絶望で砕かれ悶えて死んで欲しい。何度でも言おう、これは俺の本性や。教団の所為にも、魔物の所為にも、お前達の所為にも、誰の所為にもしない。やから迷いを捨ててくれ、お願いや」
 穏やかな瞳。言っている事は狂気に満ち溢れているが、何処か一本筋を通す、不気味であるがヴァーチャーらしくもある台詞。
 迷いを捨てろ。   そして、俺を殺してみろ。
「……判った」
 俺は覚悟を決めた。ソニアが何か言いたそうにしているが、先に返答する。
「こんな事に時間を掛けて済まなかった……当初の目的を果たすぞ、ソニア」
「……了解、マスター」
 ソニアは一瞬考えた様な間を開けてから、頷いた。





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【メモ-人物】
“アルダー、ペトロシカ”<ブラインドレター>より

郵便屋アルダーとコカトリスの少女ペトロシカの組み合わせ。元々宛先不明便と言う事でドリスの手紙を所持していた為、これを機に五〇〇年間溜まっていた分の手紙を配達に来た。

が、こんな修羅場とか聞いてない。

なおペトロシカは処女ではなくなった為、視線の魔力は前作比3倍になっている。

10/07/15 18:52 Vutur

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