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9話

【亡者の狂乱】



 パチ、パチ、パチ   
「いやぁ、見事な手際や」
 高みの見物を決め込んでいたヴァーチャーが、柏手を鳴らす。
「あれだけの魔物を、一匹たりとも殺さずに動きを止めるとはな」
 死闘の末、俺達は耐え抜いた。周囲の魔物達が正気を取り戻し、戦意を失ったのだ。
「姉貴、気が付いたか?」
「う〜ん……なんだか頭痛い……」
「……」
 ヴァーチャーの狙いは、人海戦術で俺達を消耗させる事だったが、それだけではない。罪も無い魔物達を嗾ける事で俺達の攻撃を鈍らせ、尚且つ戦意を殺ぐという狙いもあった筈だ。
 俺達の内、誰かが操られている彼女達を殺傷してしまえば、「この戦闘は正しいのだろうか?」と誰にも疑問を抱かせ、やがて目的を見失い、結束は崩れる。
 それは洗脳の一つの方法だった。連携が崩れた敵を打ち崩すなど、ヴァーチャーにとっては赤子の手を捻る程、簡単になる。ヴァーチャーは力技ではなく、こういった悪辣な手段と陰湿な心理戦を好む。
 結果は奴の思い通りにならなかったものの、俺達は見事に消耗させられた。まぁ、洗脳に嵌るよりは何百倍もマシなのだが。
 苦境を乗り越えた瞬間、自らの消耗を思い出す。皆息を荒げつつ、ヴァーチャーを睨み付けた。
「……成程。俺のこの策は事前に見抜かれていたと言う訳か」
 俺と、ゼルを一瞥して言う。面白い、そう言わんばかりの表情。まだ手の内を残していると言う事か。
「まぁ……どっちでもいい。彼女達も運が良かったものや。君等の気遣いに報いて、彼女達は無事に退場させてやろう」
 そう宣言したヴァーチャーが手を振り上げると、この集会場の床を覆う程大きな魔法陣が広がる。
「そう身構えなくていい。只の転送陣や」
 警戒する俺達の様子を静かに諭す。ヴァーチャーに操られていた魔物達は戸惑いつつも、その姿を光に変えて飛び去って行った。つまらない嘘を吐く男ではない。確かに彼女達を無事に送っただろう。
 魔物の大群が居なくなった集会場は、急にがらんとした印象を受ける。
「ご主人様……ご主人様……!」
 空中で羽撃くガーゴイルのドリスが、ヴァーチャーに近付こうか近付くまいかと葛藤している。
 ヴァーチャーは鬱陶しそうに彼女に視線を配りながら、俺達に告げる。
「さて、お疲れの様やが、ブレイクタイムでも設けようか?」
 自分が消耗させておいて、随分と余裕だ。あれだけの魔物を操っておいて、奴の魔力が底を尽きた気配は微塵も無い。
「ふん……何のつもりだ」
「別に、何か質問とかないのかなーと思って。折角ご足労頂いたのに、さ」
 月明かりを雲が隠す。闇の中ぼんやりと二つの赤い光が浮かび上がった。
 俺達の疲労を僅かにでも回復させる絶好の機会を与えてくれた訳だが、俺には他にも思惑がある。何とか体力を回復させつつ会話を長引かせなければならない。
「さて、今から質問タイムや。何か訊きたい事はないか? 俺に答えられる範囲で、今なら何でも答えてやろう」
   何故こんな真似をした」
 俺が口を開く前に、騎士がそう尋ねた。ヴァーチャーは誤魔化した様に返す。
「こんな真似……とは?」
「罪も無い魔物を操って、俺達を攻撃させた事だッ」
 語尾を荒げるスヴェン。ヴァーチャーは闇の中で理解したように頷いたようだった。
「ああ。只の作戦やよ」
「何……?」
「作戦。君等をこうして疲れさせる作戦。君等なら、相手が操られていると判った時点で殺すのを躊躇する筈や。本気で向かってくる相手に、手加減しながら戦うなんて、神経削るやろう?」
 判り切った事だ。スヴェンは言葉を失う。
 だが、続いてリザードマンの少女が、不思議そうにこう言葉を投げかけた。
「で、では……どうして疲れさせたエリス達を、一気に攻めたりはしないのでするか?」
 ……あの乱戦の中であたふたとしているだけだった彼女が疲れているとは思えない、とは言わないでおこう。
「それは……俺の勝手やろう」
 乱暴に言い捨てるヴァーチャー。暗闇の中その表情はうかがい知る事は出来なかったが、エリスは悲しそうに首を振った。
「……主殿、やっぱり納得いかないでする!」
 少女は振り返って、スヴェンに言った。
「あの方はきっと、根はいい人でするっ。そんな人と戦うなんて、やっぱり駄目でするっ」
「何言ってるんだ、彼奴は俺達を殺そうと……」
「殺してないじゃないでするかっ」
「だが、彼奴は自分勝手に魔物をだなぁ」
「それは、あの人がエリス達を信じたからこそ出来る事の筈でするっ」
「……全く、お前はいつも人を良い様に解釈するな」
 エリスの必死の訴えに、苦しい表情をするスヴェン。彼女が何を感じ取ったかは知らないが、今この時は戦うか否かの状況ではない事を判って欲しいものだ。
「戦う理由が欲しいか」
 ヴァーチャーは呟く。
「そうやな……君等はゲーテに連れられただけで俺と戦う理由なんてないもんな」
 確かに、ヴァーチャーは金や同情で相手をするには大き過ぎる相手だ。此処に集まってくれた協力者は、どちらかと言えば縁だけで集まってくれた連中。金は払っているが、殆んどボランティアだった。
「じゃあ、こうしよう。俺を倒せなかったら、俺は大陸中で殺戮を始める」
   !?」
 戦慄が走った。余りにも突拍子もない事を言いつつも、本気でやりかねないという危機を切実に感じたからだ。
「人間も魔物も区別しない。この世界を血で染め上げてやる。想像してみろ……家族と楽しみに出掛けた子供の目の前で両親を殺す所。幼馴染の恋人をズタズタの挽肉にされる所。愛情がたっぷり注がれた子供を親の目の前で地面に叩き付けてぐちゃぐちゃに踏み潰すのもいいやろう。殺す相手が多いと、どうやって殺してやろうかいちいち嗜好を凝らさなくちゃ飽きるなぁ。きっと」
「そんな事……!」
 僅かにヴァーチャーが照らされる。奴の顔は、真剣だった。
「……戦う理由は出来たかな? お嬢さん」
「……はい、でする」
「うん、物分かりのいい子や」
 ヴァーチャーはニコリと笑った。
「勘違いしているようやからこの際言っておく。俺は君等に出会う前から何千何万もの人を殺してきた。成り行き。強制。そんな事は関係ない、俺は生まれ付いての殺人鬼や」
 奴はそう語りながら、剣を抜く。白銀に色付いた刀身は、月光の光を反射して煌めいた。
「……この五百年、人の愛を踏み躙って生きてきた、只の外道   
(やから、俺は……この一戦に色々と賭けているんやよ)
 奴が何か重要な事を小さな声で呟いた気がしたが、これは聞こえなかった。



―――――



「……そうそう、さっきのを上手く切り抜けたご褒美に一つ、ちょいと小粋な“雑学知識(トリビア)”を聞かせてやろう」
 ヴァーチャーの声が響いた時、気紛れに光が差して暗闇が晴れる。
「ネクロマンサーは、さ。大体、お気に入りのアンデッドってのが、少なくとも一体は居るんや。其奴は常に傍に置いて、何時でも呼び出せるようにしている……」
 そんな事を語りながら、ヴァーチャーが強く地面を踏み付ける。その瞬間、その前の地面が隆起し、其処から純白の棺が突き出し現れた。
「……俺の場合は、こうやって特別な棺に入れて保存している訳」
 奴が棺に手を掛ける。
 中に納められていたのは、白雪の様な少女。まるでアンデッドとは感じさせぬ程綺麗な状態であり、棺桶の中では眠る様に目を閉じていた。
 だが、そんな事よりも   。俺が確信に至る前に、また雲が月を覆い隠した。
 まさかあれは、今一瞬見えた、あの顔は……!

   見せてやろう。……此奴が、俺の“お気に入り”、だ」



    フレデリカ。





――――――――――





「……んあ?」
 思わず俺が口走った名前。   フレデリカ。それを聞いたエルロイが首を傾げるのを、エルフが気に掛ける。
「どうした、エルロイ」
「いや……フレデリカっつったよな、今」
「それがどうした? まさか、昔の女とかか!?」
「そんな訳ねーだろ、彼奴等の時系列と一緒にすんな。只、どっかで訊いた事があるなぁと」
 そう言いながら頻りに首を傾げる彼に、ダークエルフのヘザーが言う。
「ああ、そうだ。マイテミシアの武闘大会で……確か、エルロイが一回戦で当たったゾンビの名前がそんなようだった気がするわ」
「おお! そうそう、その時のだ!」
「っ! あ、あの時の話などするなっ。あんな大会の事など、思い出したくもないっ」
「あらあら、うふふ……そうよね、何処かの誰かさんがもの凄ーく目立ってたものねぇ〜?」
「き……貴様ぁぁっ」
 何やらエルロイ達が空気も読まずに揉め始めたが、今は止める心境にも無い。


 当時、教団内に居る全ての関係者を皆殺しにしたのはヴァーチャーに違いない。だから聖女であるフレデリカの安否だけは確認せねばと思い探し回ったが、結局彼女の行方は知れないままだった。
 まさか、彼女の亡骸がヴァーチャーに連れ添っていたとは。道理で、あの後死体すら見付けられなかった筈だ。
 だが今更奴がネクロマンシーで恋い焦がれた相手をアンデッドにした事自体にとやかく言うつもりはない。
 俺が気になったのは、奴の今の心境だ。
「……それで満足か。ヴァーチャー」
 月光が差してきた。奴は俺の言葉など意に介さず、右も左も判らない生娘をダンスに誘うようかのようにフレデリカを棺から外へ導く。
 彼女はしっかりと両の足で立つと、ゆっくりと瞳を開く。冷たく、濁った光。それこそが、彼女が生者ではない事を物語っていた。
「……あー」
 最早彼女には、生前の様に洗練された淑女のような気高さなど残っていない。只、他のゾンビのように、だらしなく声を震わせるだけ。
 ヴァーチャーは彼女の前に一歩歩み出て、改めて俺の台詞に反応を返した。
「満足? 何が?」
「……その人は、貴様の想い人だろうッ! 彼女の魂を悪戯に現世に留めて、満足かと訊いているのだ!!」
 今のヴァーチャーがあの頃と違うというのは判っている。奴がフレデリカの魂を、恋慕の情から捕えるのも判る。
 だが……お前は何処まで変わってしまったんだ。俺は頭では納得していても、心では頑なに拒否していた。
 俺も何時の間にか、嘗てのヴァーチャーのように、随分と我儘な性格になったらしい。
 だが、此処でヴァーチャーは思いがけない一言を発した。
「は? なんで此奴が俺の想い人やと思ったんや?」
「何故って……まさか、貴様、聖女様の事さえ忘れたのか!?」
「……聖女様? 此奴は只の、俺専属の“道具”や」
 曇った表情一つせず、キッパリとそう言いきるヴァーチャー。予想していなかった訳ではない。だが、正直頭がどうにかなりそうだった。
 何故だ? 彼奴なら、死んでも忘れなさそうな人なのに。それだけ、彼奴の中心にいた人なのに、何故忘れられる……!
   マスター」
 そんな時、ソニアが俺の背を撫でた。
「お気を確かに。お父様がああだからこそ、これ以上あの人自身を傷付けないようにするのが、ソニア達の務めです」
「あ、ああ……くっ」
 そうは言われても、やりきれない気持ちで一杯だった。



―――――



「さて、夜も更けてきた……此処からは、ネクロマンシーの秘儀をご披露しよう」
 ヴァーチャーは手にした剣を自分の掌に突き立てる。刃に血が伝い、地面にぽたぽたと落ちる。
 事前に奴が男のネクロマンサーだと言う事は通達済みだ。全員、身構える。
 ボスッ
「あー……」
 呆けた声を挙げながら、周囲の地面から這い出て来るアンデッド達。以前見た規模とは、やはり桁違いの軍勢を投入してきた。


「うげっ、何て数……! 泣けてくるぜ」
「泣き言を言う元気があるなら一匹でも多く始末しろ!」
 エルロイの台詞に痛烈な言葉を呈しながら、スヴェンは剣を翻し、ばっさばっさとアンデッドを斬り伏せていく。命無き肉体という事で、今回は容赦なく暴れられると言った所だろう。
 一方エルロイは鉄扇を開き、口元を隠してぼそりと呟いた。
「……なんかエラソーな奴」
「主殿は世界の誰よりも強いんでありまするっ。貴方様も見習うでありまする!」
 傍にいたエリスに今の呟きを聞かれ、ビシッと指差されるエルロイ。一瞬リザードマンと剣士に視線を行き来させた後、何かを察したように頷く。
「あー、はいはい……全く、ロリコン絡みで碌な事がねぇな」
「? ろり、こん? でするか」
「ああ、ロリコンってのはな……」
 少女に如何わしい知識を吹き込もうとした瞬間、エルロイの後頭部に石飛礫が直撃する。
「(ゴスッ)イッテェー!?」
 命中したと見るや、スヴェンが勇み足で歩み寄り……エルロイの首筋に剣を押し当てた。
「貴様……エリスに余計な事をしたら……判ってるだろうなぁッ?」
「わ、判ったからさ……っ。斬るんなら敵を斬ろうぜッ、な!?」
 そんなやり取りの中に、チェルニーが金の髪を揺らしてツカツカと歩いていく。
「エルロイッ。貴様は目を離すとすぐ揉め事を起こしおって!」
「それ、誰に言ってるンだよ……」
「貴様だ貴様っ」
 一通り彼を怒鳴り付けると、エルフは打って変って剣士に頭を下げる。
「兎も角、済まなかった。ウチのは私の傍から離れんようにしておくのでな」
「ああ」
 そんな所へ、更にヘザーが顔を出す。
「あら、さも自分の亭主みたいに言っちゃって……正直に『私の傍から離れないで』って言えばいいのに」
「ヘザー……! いい加減にせんと、ゾンビ諸共冥土に送り返すぞッ」
「おーこわ。女のヒステリーはゾンビも食わないわね。行くわよ、エルロイ。私の盾になりなさい」
「へいへい……って盾かよっ!? 流れ的に思わず普通に返事しちまったじゃねぇかっ」
「間違えたわ。ゾンビのエサになりなさい。見ていてアゲルから」
「常軌を逸している!?」
 ……良くも悪くも余裕な連中だ。


 ゾンビ自体はそれほど強くない魔物だ。例え、ネクロマンサーによって強化されていようが、数によってその強化具合も分散する。
 何より奴等の怖い点は、数にある。だが、今回ゾンビのそれは先程の魔物の大群とはまた違った意味を持つ。
 操られた魔物の大群はゼルの能力によって何とかなったが、アンデッド達はヴァーチャー自身の魔力が全てである。此方からそれを止める手段はない。残念ながら、俺はネクロマンシーを習得する才能は無かった為、奴の術式を封じ込める気の利いた魔法もない。そもそも、奴の強力な魔力はやすやすと封じ込める代物ではない。
 つまり奴が自身の手で、若しくは魔力切れを起こさない限り、アンデッドの発生は止まないのだ。
 奴の魔力が切れるか、俺達の体力が尽きるか。此処からが本当の意味での消耗戦となる。


<愚者共よ、吊るし挙げられ、メギドの業火に灰となれ>
 炎の魔力を喉から吐き、手に纏い周囲を一気に薙ぎ払った後、余った炎を密集地帯に投げ込む。着弾と同時に爆炎が天井まで柱を立てた。
「ソニア、バックアップっ」
「了解」
 ソニアの両手が光る。華奢な見た目の彼女の武器は、魔力で強化した肉体そのものだ。といっても、魔力で強化する以前にゴーレムであるからして、元々の力ですら常人以上なのだが。
 俺はゾンビ共を蹴散らしながら走る。後ろではソニアが残りを蹴散らしながら付いて来る。
 思い切り地面を蹴飛ばす。落ちた十字架の前にいるヴァーチャーに肉迫した俺は、炎を集束させる。奴の弱点は炎。扱うのは得意な癖に、何故かガードだけは昔から上手くなかった。
   消し飛べッ!!」
 抑え付けた炎の力を放った瞬間、大地が裂ける様な音と共に灼熱の喉がヴァーチャーを飲み込んだ。魔法の衝撃で宙に舞う俺。ぼさっと突っ立っているゾンビを踏み付けて、地上に降り立つ。
 咄嗟に奴の方を見る。   無傷だった。
 ヴァーチャーの前にフレデリカが立ち、結界を張っていたのだ。
「……成程。弱点は知られているらしい」
 結界が消え去る。ヴァーチャーはフレデリカが入っていた棺桶の外装に手を触れる。すると、それは光となって一本の槍   刃が十字となっている   に姿を変えた。
「まぁ、かといって簡単に死ぬ程耐性がない訳ではないけどな。まさか、今のボヤ騒ぎ程度で決着をつける気だったとか?」
 これ程苛つく挑発が出来る奴を、俺はヴァーチャー以外には知らない。
「そんな訳がないだろう。とっておきはこれからだ」
 宣言し、再度炎を集束させる。ヴァーチャーは俺に注目した。
    掛ったな。
「ッ   !?」
 奴の弱点は炎。例え堅牢な結界があろうとも、弱点が万一漏れないとも限らない。思わずとも注視は怠らない筈。
 ヴァーチャーを俺に注目させておいて、ソニアがその背後を狙う。完璧なタイミングで決まった。背後に深く潜り込んだソニアに、奴は気付いていない。
 ……だが。
「! えはっ……!?」
 ソニアが拳を叩きつけようとした瞬間、奴は後ろも見ずに後ろ蹴りを繰り出した。ソニアのみぞおちに深く抉り込まれる踵。突き上げられた身体は高く宙を舞い、地面に叩き付けられる。
「ふむ。やっぱりお前は油断ならないな。少し、気を引き締めて掛るとしよう」
 冗談ではない。せめて油断していてもらいたいものだ。
 ソニアを一瞥する。腹を抑えているが、別段動きに問題はなさそうだ。一瞬見えたが、蹴り込まれた瞬間バリアを張っていた。ヴァーチャーが何とも言えない顔をしているのがその証拠だろう。
「作戦失敗ですね、マスター。もう少しマシな作戦はなかったのですか」
「一言多いぞ、ソニア」
「申し訳ありません。一言多くプログラミングされていまして」
「誰が上手い事言えと……」
 体勢を立て直す最中にも襲い来るゾンビ達を捩じ伏せる。僅かの間ヴァーチャー達から視線を逸らしただけだが、もう其処に彼等の姿はない。
「! しまった……」
 奴等を見失ってしまった。それに気付いた瞬間、背後から剣戟が響く。振り向く。成程、ヴァーチャーの居た位置は朽ちた屋根から夜光が差し込むこの場所全体を見渡せる。アンデッドが集会場の床を覆い隠す中で、激しく火花が散っている一帯があった。
 カン、キンと金属がぶつかり合う。その中心にいるのは、エルロイだった。
「くっ、そっ、が……!」
 彼は身体を捻って刺撃を躱す。相手は長柄使いのフレデリカだ。十文字槍はエルロイの動きを執拗に追い立てる。突き、斬り、刈り、の自在な動きに、エルロイの先々の逃げ場が悉く塞がれ、度々鉄扇による防御が強いられている。
「……アンタッ! ヴァーチャーの手下だったのかよ!」
 カァンッ、と甲高い音。フレデリカは黙々とエルロイを追い立てていた。
「エルロイ!」
「来んなッ。テメェはテメェの身を守ってろっ!」
 傍に寄ろうとしたチェルニーを突き離すエルロイ。只でさえ動きを封じられ、それでも躱し続けていると言うのに、助けに来られたら完全に逃げ場がなくなってしまう。今は一人でこの厄介な相手を自分に釘付けにしておく事が、自分の務め。それが良く判っているらしい。
「……アンタ、こんなので満足か!? おかしいと思ったんだ、なんでゾンビが一人であんな大会に出場出来るのかってよ。やっぱ、嗾けられたんだなッ、アンタ! 彼奴に!」
 エルロイの問い掛けに、フレデリカは攻撃の手を緩めないまま、たどたどしく答える。
「……ヴァ、ちゃぁ……さ、まの……のぞ、み」
「彼奴の命令であの大会に出ってのかよ!? アンタ、一歩間違えれば他の男に抱かれていたかもしれないんだぞ!? それでも、よかったのかよッ」
「……あの方、の……のぞ、み」
   くっ」
 やり切れない、と言った様な表情で、彼女からの猛攻を交わし続けるエルロイ。俺達含め、他のメンバーはそれぞれ群がるゾンビの駆逐に当たりつつ、彼に注視していた。
「エルロイが相手するあのゾンビだけ、動きが格段に違う……! ゲーテ、なんだ、あのゾンビは!」
 焦るチェルニーが俺の傍に駆け寄ってきた。
「肉体に対する、魂の定着が強いからだ。恐らく、死後すぐにゾンビ化し、長年定着に努めてきた成果だろう。生前……いや、其処に取り分け強いネクロマンサーの加護が相成って、強力なアンデッドとなっているのだ」
「く……」
「加勢しようと思うなよ。足手纏いだ」
「判っているッ」
 歯痒そうな表情に釘を刺しておこうと思ったら、強気にこう返される。そして八つ当たり気味にゾンビを蹴り飛ばす。
「……ゾンビの方もそうだが、躱す方も凄まじい。少々、あの男を舐めていたかもな」
 スヴェンはエルロイの方に舌を巻いた。フレデリカの猛攻を躱し、防ぎ続けるエルロイの姿は真似出来ないと察したのだろう。
 一方エリスは只、フレデリカを憐れむように見詰めるだけだった。
「……可哀想、でありまする」
 ぽつりとそう呟いた、リザードマンの少女。
「たった一人を永い間想い続けて……何時の間にか、その想いだけで自分を作り変えてしまった……それに、気付かないのでする……」
「エリス、何を言っているんだ?」
「……やっぱり、エリス達は戦わなきゃいけないのでする。戦って、倒して、あの方達を助けてあげないと、でする」
「……そう、かもな」
 エリスはフレデリカの姿を見て、何を想ったのだろう。そしてスヴェンはエリスの言葉を聞いて何を感じ取ったのだろう。
 いずれにせよ、闘志を露わに敵に向かってくれる様子は頼もしい限りだ。
「エルロイは大丈夫でしょ。そんな事より、一番気にしなきゃいけない相手がいるでしょう?」
 そんな言葉を突然掛けてきたのはヘザーだった。
 ……そうだ、ヴァーチャー!    俺は周囲を見渡す。何処も彼処も奴の魔力で染まり切っているが、念の為にソニアに声を掛ける。
「ソニア、ヴァーチャーの位置は!」
「……不明です。お父様の魔力が周囲に立ち込めていて……」
「そうか、ちっ。ゾンビを展開したのはそういう意味もあるのか」
 其処で得心した。奴がゾンビを呼び出し、この闇夜に乗じたのは、自分の位置を隠す為だ。奴は密偵でも最高クラス。不意打ちは常套手段であり、奴が最も得意とする攻撃。
 そして展開するゾンビは酷く弱い。弱い相手とばかり戦わせ、強さの残像、手応えの残像を残し、より不意打ちが成功しやすくする算段だ。強さの錯覚は突然の強襲に対し、ガードを甘くする。暗殺が成功しやすい。
「全員気を引き締めろ! ヴァーチャーが隙を突いて来るぞッ」
 指令を発する。奴が一撃必殺を狙うなら、必ず強い奴から片付けていく。普通連携を崩す為に弱い相手から始末していくが、奴は自分の実力を過信して「一番強い奴に勝てるなら、後はどうなっても勝てる」という思考パターンがあった筈。
「スヴェン、エルロイ、それにミノタウロス共ッ。気を付け   
   エリス!!」
 剣士の緊迫した声。直ぐに予想の裏を掻かれたと気付いた。
 ドゴォォンッ
 地面が抉れる音。エリスの顔面を掴んだヴァーチャーが、そのまま小さな身体を地面に叩き付けたのだ。
 そして更に彼女を押し付け、地面を抉った。
    そのまま、磨り潰す気だ!
「エリスッ、エリス!」
 スヴェンがうろたえる。エリスを地面に擦り付けながら駆け回るヴァーチャーの前に、彼は成す術もない。
 だが、其処に運が味方する。
「……その子を離しなさい。お姉ちゃん、久々にお怒りよ〜?」
「調子に乗んじゃねぇぞ、テメェ!!」
 ヴァーチャーの行く先に、ミノタウロス姉妹が立ち塞がる。二人は大斧を振り上げる。
「いくよ、ケイフちゃんっ」
「おう! トチんなよ、姉貴!」
「もう、お姉ちゃんって呼びなさいって……」
    ゴォッ。
「言ってるだろォがァァァッッ!!」
 凄まじい迫力で振り払われた大斧。ヴァーチャーの表情が一瞬凍ったが、直撃する前に飛び上がる。宙で体勢を立て直すと、そのまま闇に姿を溶け込ました。
「あぁんっ、躱されちゃった。お姉ちゃん、ショック」
「……今、姉貴の方から凄い声が聞こえた気がするンだけど……」
「そう? お姉ちゃんは聞こえなかったな〜」
「……」
「エリス! エリス、無事か!?」
 スヴェンが駆け寄る。残念だが、あれだけ強く叩き付けられ、地面に擦り付けられては頭部がめちゃくちゃになっている筈……だが、彼女は目をキョトンとさせて、平然と起き上った。
「あう……髪留めが切れてしまったでする」
「エリス……良かった」
 スヴェンは安堵を全身で表し、彼女を抱き締める。よくあの攻撃を喰らって、髪留めだけで済んだものだ。ポニーテールが解けたエリスは、吃驚しながらスヴェンを抱き返している。
「あ、主殿ッ。そ、そんな、ちょっと痛かっただけでするのに大袈裟な……えへへ」
 彼女にとっては大した事ではないらしい。……なんだ、この噛み合わなさは。
 すると、何処からかヴァーチャーの声が響き始める。
「……計算外やったな。強力な加護を纏っているのか……」
「加護?」
 防御魔法とかの類だろうか。しかし、俺が見た時にはそんなもの感じなかったが。まぁ、だからこそヴァーチャーも今気付いたのだろうが。
「どうも、上手くいかないものや」
 そう漏らして、声の気配は消えた。折角奴の動きを常に捉えられるチャンスだったのに、と後悔する。
「……所で、貴方が用意した策というのは、まだなの?」
 俺の傍でヘザーが訝しげに言う。その顔は、ハッタリだったのか、と問う表情だ。
 俺は肩を竦める。約束の時間はそろそろだ。
「もし成らん事態となったなら、別の策を講じるまでだ」
 此方はハッタリだった。ヘザーは見透かした様な目をしながらも「判ったわ」と頷いてくれた。





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【メモ-用語】
“ネクロマンサー”-1

アンデッドを使役する術法を会得した魔術師。この時代ならば、本来なら魔物として扱われるべきだが、ヴァーチャーは前魔王時代に習得し今に至る為細かい事は言いっこなしである。

……本当にネクロマンサー達が自分のアンデッドの中からおきにを選んでいるかどうかは不明。

10/07/15 18:41 Vutur

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