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後篇

「フフフ……よかったのかい? ホイホイ付いて来ちまって」



 ガタッ
 そう不敵な笑みを見せるヴァーチャーに、俺は思わず引き下がり、壁に背を打ち付ける。
「……一回言って見たかっただけや。本気にすんな」
 呆れられたようだ。ヴァーチャーは両腰に下げた剣を枕元において、さっさとベッドに腰掛ける。
「しっかし、君もやるなぁ。女の子の為に、あんな風に喧嘩売るなんざ、今時珍しい男前やんか」
 そう言われて、俺も悪い気がしなかった訳ではない。俺もベッドに腰掛けて、この男と面と向かう。
「いや。あれは同族嫌悪って奴さ。俺も奴等も大して変わらない」
「変わるって! 守りたいものがあるかどうか、これは重要な違いやで? ……若干臭いけど」
 驚いたように急に声を張り上げるものだから、俺も吃驚してしまった。なんだかよく判らんが、この人は悪人では無いらしい。ていうか、此処までよくしてくれるなんて、寧ろいい人だ。
「よしてくれ。そんな、大袈裟なもんじゃない。それに、あの時はアンタの助太刀があった」
「俺は君の怪我した足分ぐらいしか働いてないよ。剣も抜いてないし。それ以上、働く義理もなかったから。そう考えると、あれは君一人が遣って退けた事やよ」
 俺の足の怪我を見抜いていたこの男には驚いたが、そんな男が俺の事を素直に褒めてくれる。ついつい俺は調子に乗ってこんな事を言うのだった。
「フフン、まぁ、こう見えて俺は自分でも腕が立つと思っているけどな?」
「ははは。確かに、筋が良い」
 今の一言はなんだか格下に向ける言葉に聞こえてイラッとしたが、恩のある人に下らないことで突っ掛かる訳には行かない。
「……ところで、あの子とはもうどれぐらいなんや?」
「は?」
 俺は思わず聞き返してしまう。もうこの部屋に来たら寝るだけと思っていたのだが、隣の部屋で無駄話を止めたこの男が、こんな所でまた話を始めるとは思わなかったのだ。一言二言なら寝酒みたいなものだが、この男の目は寝る気どころか野次馬根性に輝いていた。
「可愛い彼女やんか。……まぁ、なんかツンケンしているけど、仕様か?」
「なんのだよ。ていうか、彼女じゃないし。あとどれくらいもクソも、今日出会ったばっかりだ」
 そう答えると、流石に此奴も驚いたらしい。
「えぇ。出会ったばっかりの子に、あんなに好かれるのか。どんなフラグの立て方をしたんよ?」
「フラグってなんだよ。……ちょっと待て。“好かれてる”?」
 この男のその言い草は捨て置けなかった。男はきょとんとした様子で頷く。
「おう」
「誰が?」
「君以外に誰が居る」
「俺が?」
「そう」
 一旦間をおいて、俺は溜息を吐く。この人はきっと、目の病気か何かなんだ。きっとそうだ。
「はぁ……馬鹿馬鹿しい」
「あー。若しかして彼女の好意に気付いてやれてないとか?」
 まるでからかうように言ってくる。俺はさっさとベッドに潜り込んで奴のペースに持っていかれないようにした。ていうか、髭まで蓄えたオッサンの癖に、矢鱈生娘みたいに喋るな。
「くくく……先が思いやられる。」
「うっせえ!さ、さっさと寝ろっ!」
「はいはい……くくく」
全く、気持ち悪い笑いしやがって。だが奴はベッドにもぐる気配無く、突然神経を張り巡らしたように静かになったのだった。俺は只ならぬ気配に驚いて、奴の方を見遣る。
「どうした?」
「……お客らしい」
 そういった奴の視線の先には、この部屋の入り口があった。そして奴の言った通り、大した間隔も空けずに扉がノックされた。
 コンコン
「……彼女なんやないか。若しかして、恋しくなったとか? 可愛すぎるやんかぁ」
「いい加減にしてくれ。そういう関係じゃない」
 思わず否定するが、そういえば俺達はどういう関係なのだろう。一瞬疑問に思ったが、奴はこう言った。
「俺はここら辺に知り合いは居ない。だとすると客人は君のお連れさんや。確実に用があるのは君の方や」
「……そんな理論立てて俺を向かわせなくても」
 そう返しながらベッドから出て、扉に向かう。思えば、鍵など閉めていなかった。
「はーい」
 そう外に居る何者か、恐らくチェルニーだろうと予測をつけながら声を掛けながらドアノブを掴もうとした瞬間   勢い良く開いたドアが俺の顎に直撃した。
 ガンッ
「ぶふっ!?」
 思わず後退りしながらも、イラッときて顔を上げる。其処には案の定、可愛い顔した理不尽少女が立っていた。
「……て、てめ……何の為に声掛けたと思ってんだよっ!? こういう事態を防ぐ為だろ!?」
 少なくともこの女があと少しだけ頭が良ければ俺の顎は無事に済んだのだ。だが良く見てみると、チェルニーの様子がおかしい。赤くなって、荒い息をして、じっと俺を見ているのだ。
 まるで、何かに魅入られたように。
「はぁっ……。はぁ……ぅ……っ」
「……!?」
 何時か見た、異変。初めて彼女に会ったときに垣間見たサキュバス化の徴候だと、気付かない方がおかしい。だが俺はそんな彼女にしてやれることなど、考えても見なかったのだ。そして、混乱した挙句、彼女の強引な抱擁に地面に背中を打つこととなる。
「ん」
「〜〜!?」
 一瞬、俺の唇が奪われそうになった。俺はそれを見極めて素早く躱す。紙一重だった。俺は続けて彼女の手が俺のズボンに手を掛けているのに気付き、慌ててその手を止めた。
「お、おいっ。止めろって……!」
 倉皇言っている間に彼女の熱い口付けが俺に迫る。慌てて顔を押し上げ、其れを阻止するが、彼女の手は凄まじい力で俺の動きを制してくる。おいおい……こんなひょろっちい女に、俺が逆レイプなんとかされるなんて、笑えない話だ。
 だが俺だって男だ。女の力に負けられない。俺とチェルニーはお互いの意地を掛けて、均衡を保っていた。だがそんな時、頭の先から足音が聞こえてくる。見上げると、其処にはヴァーチャーが袖で口元を隠して、目をニヤつかせていたのだった。

「おやおや……人前でおっぱじめるとは、お盛んだねぇ」
「馬っ鹿……! 助けろ!」
「助けろって、其れはお前、不公平やろ。彼女の気持ちに気付かなかった罰やって」
 駄目だ。此奴、本気で俺らの仲を勘違いしてやがる。かといって今は奴に助けを借りなければ、俺の貞操はサキュバス化の発作とかいう素敵な現象の被害に遭う。このままでは被害報告に軒を連ねちまうじゃねぇか!
「ち、ちが……! アンタ、此奴が正気に見えるか!?」
   はぁっ……暴れるな……」
 虚ろな瞳で、それでも恍惚とした表情を浮かべるチェルニー。それはいつものエルフらしい此奴の姿ではなく、まるっきり、サキュバスのそれだった。勿論、俺は男であるから、息子の方は臨戦態勢に入るが、それを手で弄ったチェルニーは、嬉しそうに笑う。
「おっきくしてる……私が慰めてあげるから……」
   情欲の炎の前では、女は男よりも獣になるもの」
 ヴァーチャーがそう言って視線を逸らす。なんともいえない。この馬鹿共二人に、俺は吠えた。
「いい加減にしろぉぉーっ!!」

 すると、今まで目の前で楽しんでいたヴァーチャーが、興醒めしたと言う風に俺を見下ろす。
「ふぅ。全く、其処まで言うならなんとかしてやらないでもないけど……」
 そう呟くと、この男の細い切れ長の目が更に細く、鋭い刃になった。
「……甲斐性なしが。結果は変わらんぞ。どうせ、彼女にはお前しかいないんやから」

 なんだか深い侮蔑の言葉を送られた気がしたが、兎にも角にも奴の目が一瞬赤く煌くと、俺に覆い被さるチェルニーは、力なく俺の体に倒れこんだのだった。思わず抱きとめ、体を持ち上げる。
「ふう、なんとか落ち着いたか」
 俺は何もしていない。何とかしてくれたといえばヴァーチャーだ。どういう方法を使ったかどうかは知らないが、兎に角助かった。
 それよりも、俺の腕の中で目を閉じるこの女が、無事かどうかが気になった。抱き寄せながら、体を揺さぶってみる。……息はしているが、反応は無い。
「何をしたんだ?」
 背後で静かに佇んでいる奴に尋ねる。奴は低い声で、俺の所為だと言わん険を持たせて語る。
「彼女は耐え難い性欲に支配されていた。それこそ、体が勝手に動くぐらいの。単純にそれを黙らせるなら、性欲を取り去ればいいやろ?」
「ぶ、無事なのか……?」
「当然。イド・ブレイクって奴?」
 そう奴が答えるのと同じ位に、チェルニーの奴が目を覚ました。何処か眠たそうに開けられた瞼から覗く宝石のような瞳は、真直ぐに俺を幾許か見据える。そして何かに気付いたらしい彼女は、顔が茹で上がるかのように真っ赤になり始め、突然俺の頬を張ったのだ。
   わぁーっ!?」
 パチィンッ
「のほっ!?」
 前にも一回あった気がする。デジャブとかいう奴かだ。序でに彼女のスラリと伸びる足に腹を蹴飛ばされ、部屋の真ん中辺りに這い蹲る。目の前に飛んできた俺を、ヴァーチャーが何も言えずに見ている。そして、酷く取り乱したように部屋から飛び出そうとしたチェルニーは、何時の間にか閉じられていたドアに額をぶつけてぶっ倒れた。
「はわわ……(ゴンッ)痛っ!?」
「……君たち、見ていて飽きないわ」
 一人だけ傍で冷静に、コントのようなことをやっている俺たちを見て笑うヴァーチャー。言い返すことも出来ないまま、俺たち二人は一室の床でへたり込むのだった……。



――――――――――



 翌朝、俺達はこの町を出立することにした。本当は道を間違ったお蔭で、行き着いた町は目的地とは違う場所だった訳だが、治安が悪いことさえ判らなければ此処に暫く滞在しても良かった。普通なら、治安が悪かろうと滞在しない理由には当て嵌まらないが、チェルニーという美少女連れでは流石に俺も疲れる。と言う事で、現在は元々俺の目指していた町のある方角へと、森の中、歩を進めていたのだった。
「本当にこっちで道はあっているのか?」
 さっきから俺に一々話し掛けてくるチェルニーに、俺はイラついていた。なんか、森に入るたびに俺は何かしらにムカついている気がする。早死にしそうだが、それも本望だ。
「あってればいいなと思う」
「なんだそれは!? 願望は聞いていない!」
 だがそんな俺たちの一歩後ろを歩いているヴァーチャーは、朝から無駄口を一切叩かなくなった。俺たちは朝になってから「目的地は一緒っぽいから、途中まで連れてって〜」と軽いノリで頼まれたのだ。
「……何故、奴を連れて行く気になったのだ」
 俺の広げている地図を覗き込む振りをしながら、俺に小さな声で囁くチェルニー。俺は一瞬驚いたが、直ぐに小さな声でこう返す。
「だって、色々助けてもらったし、いい人っぽいじゃないか。俺たちも微力ながらお返しするのが筋だろ? それに第一、お前、目的を忘れてないか? 彼奴はお前のサキュバス化を止められた。若しかしたら、お前のサキュバス化を完全に治す鍵かもしれないじゃないか」
「………」
 俺がそう言うと、此奴は「ああそうか!」と大声でも挙げるかと思っていたのだが。なんだか気不味そうに黙るだけだった。
「……?    


――――――――――


 そう話をして、少し心の中で引っ掛かることがあった。些細なこと……なのかもしれない。けど、何処か放って置けない問題のような気もする。   棘のような感覚。
 私はずっとその棘が心に刺さっているのを気にして歩いていた。奴とは一言も言葉を交わさなくなった。折角向こうから話し掛けて来ても、必死で考えた返答は返そうとすると何時も喉の奥に引っ込んでしまい、「うるさいっ!」だの「無駄口を叩くなっ!」だのと返して会話の出鼻を挫いてしまうのだ。
 なんだろうか。こんなことを何回も続けていると、自分が惨めな気分になってくる。私は、どうしてしまったのだろうか……?
「………」
 そんな様子を、後ろから付いて来ているあの男に見られていることなどには気付かないまま、私達は森の湖に辿り着いた。別に澄み切ってなどは居ないが、飲み水にはなりそうな透明度だ。魚も居る。
 すると、あの男が突然こう言い出すのだった。
「なぁなぁ、ちょっと此処で休憩せぇへんか?」
「ん? ……まぁ、別にいいけどよ。その身体でもう疲れたのかぁ?」
 バルロイの皮肉にヴァーチャーは苦笑いして首を傾ける。私自身は、此奴が主導権を握るのが何となく許せなかったのだが、今の私は惨めな思いで一杯になっていおり、慣れている筈の森歩きに疲れてしまっていたのだ。
 ……まさか、この男、私を気遣った訳ではあるまい。
「……そうだな」
 私の意見を尋ねるように視線を向けてきたバルロイに頷く。こうして、この湖で暫しの休憩を執り行うこととなった。



   ちょっと行って来る」
 どれくらい休憩するのか話し合った後、バルロイの奴はすぐさまそう言って湖を離れた。
「! ちょっとま……」
 私は急に不安になって、立ち上がって奴を追おうとしたが、それはこの男にそれとなく釘を差された。
「おいおい、彼氏の用足しにまで付いて行くつもりか? 全く、ベタ惚れやねんなぁ」
「! 黙れ! 私は貴様と二人なのが嫌なのだ! ……いや、奴と二人きりなのも反吐が出るが」
「俺の場合は単なる“二人”で、バルロイの場合は“二人きり”か。くくく……それは願望か?」
 下卑た笑み。安い挑発なのは判っているが、私は弓を引いた。
「……あの馬鹿の手前、控えていたのだが……   私は貴様が怖い」
「ん?」
「貴様はなんだ? 貴様には、人間特有の薄汚さがない」
「……いい事やんか?」
「それなのに、貴様は人間の振りをしている。……気持ち悪いんだ」
 すると、奴は肩を竦めてみせる。
「何の事や? そもそも、君にとって人間ってなんなんや?」
「そんな問答をしているんじゃない。貴様は何者だと訊いているのだ」
「それは残念」
 奴は苦笑する。どれが奴の本性なのか、私を悉く迷わせた。

   ていうか、そんな無駄な話よりも、君の話をしないか?」
「私の話……なんだ」
 弓矢を突きつけているというのに、この男は眉一つ動かさずに自由に話をし始める。
「大体話は聞いている。君達の馴れ初めとかな。でもさぁ……本当にそれでいいのかな?」
「っ!? な、なにがだ」
 ……何故私は今の問いに戸惑った。奴の余裕にか? それとも……
「何が言いたいっ」
 駄目だ、この男にこれ以上話をさせる訳には行かない。そう思って弓矢を引くが、私の矢は何時も目的に当たらない。今の今まで当てたことが……数回しかない。そんな腕前の私が、焦った状態で、狙った獲物を打ち抜くことなど適う筈はなかった。
「好きになった奴をあの手この手で魅惑しようとするのは、当然の本能や。それに抗う意味があるのかってこと。情欲の炎の前に、理性まで飛ぶとは……」
「黙れ……黙れ!」
 次々と矢を番えて放つが、どれもこれも茂みの中や後ろの木に刺さるだけで、奴を黙らせるには至らない。

   ていうか、怖くないか」
 ぴたりと手を止める。男のこの一言は、何処か突き放していながらも、慈悲に溢れているように感じたのだった。その言葉を吐いた此奴に対し、弓を引く事は憚られたのだ。
「……“サキュバス化を止める”。その目的だけで、君と奴は繋がっている。ドライで……何処か頼りない繋がり。やけど、君はそれ以上の繋がりを求めているんやろ?」
「……そんな事」
「そうか? 昨日、サキュバス化の進行した君は、半分意識が飛んだ状態で俺たちの部屋に来たやんか」
 その話をされると、また嫌な事を思い出してしまう。私は奴にキスを迫り……挙句ズボンのホックを壊し……や、奴の大きくなった逸物を……手で愛しく撫でてしまったのだ。
「う、うるさい! そ、そそそ……それがどうした! 仕方ないだろう!? 意識がなかったんだから!」
「其れにしては記憶が鮮明やったな。あの後のからかいようは面白かったな〜」
   !」
 図星を突かれる。私は動揺を隠しきれなかった。そんな私を追い込むように、奴は話し続けるのだった。
「それに、仕方ないってことは無いやろう? サキュバス化って事は、まぁ、誰でもよかった訳や。それやったら、わざわざ俺らの部屋に来る必要はない筈。下に降りれば受付の男が居たし。……それに、ご丁寧にノックまでしたんやぞ? んで、バルロイが声を返して、やっとドアをぶち開けた。……なぁ、ホントは意識があったんやろう?」
「ち、ちが……私は、本当に……」
 弁明の言葉が見付からない。寧ろこの男が語ったのを聞いてから、意識の無かったときの事を思い出したのだ。
 私は火照る体を我慢できなくなって、奴の事しか頭に考えられなくなった。奴の綺麗な白い肌に……体を、心を、摺り寄せたくて堪らなくなった。何時か興味本位で見た奴の体、酒場で不思議なリズムに乗って舞う奴の姿、全てがどうしようもなく綺麗に見えて、私の中に取り込みたいと思えるようになった。奴の見っとも無い姿を想像して、考えうる限り淫らな行為を頭の中で幾許か繰り返したとき……   私は、立ち上がったのだ。
「………」
 顔が真っ赤になる。あの時想像していたこと。今思えば、なんて……斬新というか……
 そんな折、この男はまるで子供のように笑ってこう言うのだった。
「なぁ。“サキュバス化”って、本当に止めないとあかんかな?」
「!? どういう、意味だ?」
 この言葉で返せば鈍いと思われるのは必須だろう。だが、奴の言葉を認めれば、私は根底から覆されることになる。此処に立つ意味を。
 だが、奴の言葉を聞いて、私はそんなことを一瞬で忘れてしまうのだ。
「理論立てて考えてみ? 君は“サキュバス化を止める”為にバルロイと共に居る。では、仮に“サキュバス化が止められたら”……どうなる?」
「それは、願ったり叶ったりじゃないかっ」
「別の見方をしてみろ。   “バルロイと一緒に居る理由がなくなる”んやぞ……?」
   っ!!」
 それを言われて、私はどうしようもなく絶望した気がした。
 いや、待て。何故、絶望する。べ、別にあんな馬鹿と一緒に居る理由がなくなろうと……別に、大した事じゃない。……大した事じゃない筈、なのに。

 なんだか酷く   切ない。



「判っていて、怖いんやろう? サキュバス化が止められた時、一緒に居る理由がなくなった時、その先に愛しい人が居続けてくれるのか、心配なんやろう? じゃあ、止める必要なんてない。ありのまま、サキュバスになり果てる自分を愛してくれるように、努力するべきなんやないか?」
 ありのままを愛してくれるように努力する? 私が、あんな馬鹿に……?
 フフ、おかしい。そんなこと、ある筈無い。
   愛してくれる訳ない。私はあの馬鹿の事を拒絶し続けている……。奴が私の想いに気付くことなんて……」
 惚けたように頭をかくこの男に、私はこれ以上弓矢を構えられなかった。なんだか、自分が哀れに踊り狂うマリオネットのように思えてきて、酷く、悲しくなるのだった。
「……奴は、私を愛してくれるだろうか……」
 空気にでも投げかけた言葉は、この男の言葉で返って来る。
   美しきものは、愛さずには居られない。男というものは、何時だって人生の宝を探し続ける」
「……意味が判らん」
「判らんでいいさ。やけど、愛されたいなら美しくあれ。   と、謂う事だけ」
 そう言って口に指を立てて秘密を明かしたように演出する。つくづく妙な男である。私は、思わず口にその言葉をなぞっていた。
「……愛されたいなら……美しく」
 其れを聞いたこの男は、満足したように頷く。そして、私に背を向けてこう言い放つのだ。
「さてと。んじゃ、俺はどっか行くとしますか」
「……そうか」
 私が素っ気無く言い放つのに、奴は苦笑して振り返る。
「……止めないんや」
「止める理由が無い。寧ろ邪魔になるからさっさと消えろ」
「……なんか、スゲー割りに合わん」
 ああは言ったが、実際は感謝していたりもする。まぁ、ないよりマシの感謝だが。奴のお蔭で私は何処か心に余裕が持てた気がする。何より、私の、彼に対する気持ちを気付かせてくれた恩人なのだ。……一体何者なのかは知らないが。
「まぁ? 俺はサキュバス化を止める鍵らしいし? さっさとどっか行った方が、君らの目的達成までの道のりは遠くなる訳やし? 邪魔っちゃ邪魔か」
「いいから消えろ。目障りだ。ウザイ。ゴミと共に散れっ」
「……心に深い傷を負って、俺はこの場を立ち去ろう。さらばだっ!!    とうっ」

 結論、彼奴は馬鹿だったのだ。うん、馬鹿と言う事で此処は結論付けよう。そんなことを叫んで、奴は森の中に消えていったのだった。

 静けさが戻ったこの森。奴はまだ帰ってこないが、まぁいいだろう。湖の傍に生き生きと生える草の地面に座り込み、覗く空を見上げた私は一人ぼんやりと考えた。彼が帰ってきたら、まずどんな話をしようか。   勿論、これからの事について。



――――――――――



   なんや、聞いていたんか。帰ってくる前に話着けようと思ってたんやけど」
 木の裏に隠れていた筈の俺に、奴は平然と声を掛けてきた。昨日チェルニーに勘の鋭い人間と褒められた俺にとっては、この男の勘の鋭さこそそう言うべきだと思った。だが、話を聞いていた俺は、気付かれたと判っても、去ろうとしているこの男の前に姿を現す気にはなれなかった。
「どんだけ長い便所だと思ってたんだよ。……アンタ、マジで何者なんだ?」
 昨日それとなく聞いてみた質問だった。だが、それは悉く奴の話術で躱される。そうでなくとも、到底信じられない嘘を返された。
 だが今なら、まともな回答は期待できる。すると、奴の口に笑みが漏れ、こんな返答が返って来た。
「人を愛するのが不器用な人間ってのもいてな。俺はその中でも特別不器用な奴で……好きな人を傷付けてしまうんや。自分の事を慕ってくれる相手を」
 思わず、木の幹を介して奴に振り返るところだった。木を背にしても、奴に背を向けるのに危機感を抱いたのだ。だが、奴は語る。
「やから、離れることにした。出来れば、遠くに。皆が追ってこない距離まで。……傷付けたっていうのに、まだ、俺が好きやって言ってくれる奴もいてさ。絶対探し出して、いつも通りに暮らそう……やって。……そんな皆を   俺はもう、傷付けたくない」
「……訳の判らないことを。だったら、傷付けないように気を付ければいいじゃねぇか」
 思わずそう答えてやる。簡単なことだ。だが、奴は其れを鼻で笑ったのだ。
「言ったやろう。俺は不器用で、人が普通出来る事が出来ないんやよ。難儀な話や」
「………」
 暫くの沈黙。奴は立ち去ろうとしない。対して俺も立ち去る気は無い。向こうが何か言い出すまで、チェルニーの元に帰るのは早過ぎると思ったのだ。
 ……やがて語り出す。
「――自分の中にある別の力を御するには、“愛”が不可欠や。臭い台詞を吐くようやけど、大切な人が居てくれて……その人の為に、自分に立ち向かおうとする心。……君らを見ていて、痛感したわ」
「え?」
「愛は偉大やなぁ」
 ……臭いというか、突拍子の無い台詞に聞こえたのは、此奴が本気で言っている訳では無いのが見えたからだ。だが、一応俺にも言い返す言葉はあった。
「じゃあ、そんなアンタが、俺らに御節介焼いたのはどういう心積もりなんだ? 彼奴にサキュバス化を諦めさせようとしたのは?」
 そう尋ねると、この男は嫌な事を訊いて来たといわんばかりに溜息を吐いて、こう答える。
「御節介なんざ焼く義理は無い。……ただ、羨ましかったからって、言えばいいんかな?」
 だろうな。俺は鼻から息を噴出し、納得する。続けて奴は言う。
「だって、君は……チェルニーのサキュバス化を受け入れるつもりなんやろう?」
「へぇ、なんでそう思ったんだ?」
「昨日の晩、襲われたとき、彼女の腹を蹴飛ばしてでも抵抗できた筈や。でも、そうしなかった」
「どうかな? でも結局アンタに助けを求めたぜ? それに、やられても良かったかもしれない。何せ……かなりタイプだし」
 そう告白するのは何処か気恥ずかしい気がしたが、今のこの空気にはそんなことで憚られる言葉は無い。奴は語る。
「……まぁ、そう言う事にしとこうか。俺の抱えてるもんは、受け入れてもらっちゃ困る。やから……素直に受け入れられる選択肢のある、君らがスゲー羨ましかった」
「知らねぇよ。アンタの事情を、俺らに重ねられても。……迷惑な話だぜ」
 そう言ってやると、奴も「全く持って」と言いたげに自嘲したようだ。
「まぁ、兎に角、折角月下氷人を勤め上げた訳やし。この辺で退場するのが粋ってもんでしょうかね」
「げっかひょうじん? いき? ……なんだかよく判らねぇが、そうして貰えるなら有難い。アンタが傍にいると、俺らが一緒に居る理由が薄れる」
「ハハハ。言われなくとも判ってるって、チキショー。多少は引き止めろよ、お前等は」
 そう言って笑うと、奴はゆったりと歩き始める。だが直ぐに何か思い出したように、振り返って俺に言うのだ。
「あ、そうや。もし目的を果たしたいと願うなら、俺を追って来い。当座の目標は、それで済むと思う。なんせ、俺はサキュバス化を止める鍵なんやろ?」
「……はん。さっさと行けよ」
「くくく。楽しかったわ。君らと出会えて、いい土産話が出来た。……何れ、皆に聞かせてやれるような……」
 やがて気配が消えたのを見計らって、俺は木の陰から出る。周りを見回しても、奴の姿は無い。何処か空虚な気分がしながら、俺は戻る。少しばかり、理不尽で可愛い俺の連れの傍に……



――――――――――



 ザァァ…ッ
 さっきまで晴れた空で彼らを迎えていた筈の天気は、今になって下り坂に転向する。それも、まるでバケツをひっくり返したような雨が森に降り注いだのだ。これには堪らず二人も駆け出し、道を急ぐ。
「はぁ、はぁ……。   あ、穴! あそこ!」
「!?」
 ゲシッ
「プギェッ!?」
 断面層に見える穴、というか、洞窟を見つけたバルロイが指を指してチェルニーに叫ぶと、彼女は顔を赤くして彼の背を蹴り飛ばす。
バチャァ
「〜〜!? な、なにしやがるっ!?」
「うるっさい! と、突然変なこと、言うな……〜っ!」
 泥に成り果てた地面にダイブする羽目になったバルロイが彼女に詰めかかるが、彼女は顔を見られまいと勝手に先を急ぐのだった。相変わらず、理不尽な扱いを感じるバルロイだったが、体に付いた泥の事などよりも早くあの洞窟で雨を凌ぎたいという想いから駆け出す。雨脚は強くなる一方だった。



「はぁ、はぁ……ふぅ。良かった、取り敢えず、風邪を引く前に雨は凌げそうだな」
 一足先に洞窟に入ったチェルニーが胸を撫で下ろす。後から不服そうな顔をして雨のカーテンから出てきたのはバルロイだった。白い髪もすっかりしなびてしまっている。
「良かったな。俺を蹴飛ばして、先に雨を凌げて」
 そんな皮肉を聞いたチェルニーが振り返ると、其処には服の前面を泥まみれにしたバルロイの姿があった。其れを見たチェルニーは、さも悪びれもせずにそっぽを向く。
「べ、別にそういう訳ではっ。大体、貴様が悪いんだぞ……」
「はぁ!? なんで俺の所為!? ……はぁ」
 バルロイがそう洞窟の中で返したが、暫くチェルニーの姿を見て、不満も何処かへ消え失せたようだ。濡れた髪を掻き揚げ、仕方なさそうに服を脱ぎ出す。其れを気取ったチェルニーはドキッとしたのか、慌てたように視線を泳がせる。
「!? な、なななんだ!? なんで脱ぐ!? なんで……っ!?」
「うっせーな。濡れた服着ていちゃ寒いだろうが。あと、アンタが蹴飛ばした所為で汚れたしな」
 そう言うバルロイは既に真っ白な裸体を曝していた。それをチラリと見たチェルニーは大きく首を振る。
(落ち着けっ。何も此奴は私と……その、どうこうするなんて……考えてはいないのだ! だが……)
 チェルニーは落ち着きを幾分か取り戻しながらも、まだ顔を赤くして、服を処理するバルロイの方をじっと見詰める。
「……貴様、レディの前では少しは遠慮と言うものを知れ」
「いやいや、元々アンタが汚してくれたんだろ。綺麗にしとかないと、宿屋に嫌がられるんだ」
 バルロイは苦笑しながら汚れた服をちらつかせ、雨のカーテンに翳して泥を落としに掛かる。彼の背に見えるのは、黒い下着と絹のような肌。チェルニーはボーッとしてそれを見詰めた後、首を大きく、今度は長めに振った。
(ななな何を考えている……私!? そ、そんな……いやらしい想像なんか……!)
「……俺を襲うなよ」
   !」
 ポツリとでた言葉に、チェルニーが驚いて顔を上げる。バルロイは黙々と服の汚れを落としに掛かっていた。
 恐らく、冗談で言ったのだろう。だがチェルニーには複雑な気分が渦巻いていた。それもこれも、ヴァーチャーの言葉から起因する考えだ。サキュバス化を止める必要は無い。愛されたければ美しく。今聞いたバルロイの言葉の真意を問いただしたかったチェルニーだが、今一歩彼に其れを確かめる勇気はなかったのだった。
「………」
 だがそうやってへたり込む彼女に、バルロイは尋ねるのだ。
「なぁ、チェルニー」
「……なんだ」
 心なしかぞんざいな返事をする。
「アンタ、俺の名前を呼んだこと、無いよな」
 そう言われて、チェルニーもそのことに気付いたようだった。
「あ……そ、そうだったかなぁ〜? 頻繁に呼んでいた気がするが〜?」
 引き攣った笑顔で嘘を付くチェルニーに、バルロイはふと笑う。
「いや、別にいいんだ。寧ろ、有難い」
「?」
「……実はさ、俺の名前、バルロイじゃないんだ」
 その告白の後、暫く雨の音がザァザァ洞窟に響くだけだった。そしてやっとチェルニーの口から音が発される。
「……は?」
 バルロイは彼女の間の抜けたリアクションに苦笑する。
「エルロイ=バルフォッフ。俺のホントの名前」
「ぎ、偽名だったのか……」
「そゆこと」
 其れを聞いて何か続けて言ってやりたいところだったチェルニーだったが、先ほどの言葉の真意を確かめられずに居る自分を傍において、突っ掛かる気にはなれないらしい。そのまま唇をきゅっと噛み締めたのだった。
「……なんもいわないのな」
「別に。ああそうか、と思っただけさ。貴様は私に偽名を使う程度の男なのだな」
 そう突っ撥ねる。バルロイは粗方落ちたらしい泥の具合を確かめてから、洞窟の奥に戻ってくる。其処にあったのはいつしか見た通り、びしょ濡れになったエルフの少女しかいなかった。
「……こういう時、焚き火でも起こしておいてくれると有難かったんだがなぁ」
 じと目でチェルニーを睨むバルロイに、チェルニーは向きになって更にそっぽを向く。
「! 知るかっ。何で貴様の為に私が労働せねばならん!」
「魔法とかですぐだろ?」
「直ぐでもだ! 貴様の為に働くなど、馬鹿馬鹿しい!」
 ついつい大声で言ってしまうチェルニーに、バルロイは呆れた笑みを浮かべていた。かといって自分で火を起こすつもりも無いらしく、下着一丁で雨のカーテンを眺めているだけだった。

 ザァァ……

「……でも、何故だ?」
「あん?」
「偽名を使うなら、なにがしか事情がある筈だ。何故私に?」
 その愚答に対し、バルロイもほとほと溜息を吐くのだった。
「アンタ   
 バサッ
「うわぁっ!?」
 チェルニーの血相がまた急変した。何せ突然バルロイが自分の体に伸し掛かってきたのだ。そっぽを向いて油断していた彼女は、思わず蹴り飛ばすなども出来ずに彼に組み敷かれるのだった。顔を間近に迫らせられ、案外と初心なチェルニーの顔は真っ赤に染まった。
「……アンタは理不尽で、暴力的で、弓はド下手で、その癖に人間を見下している。おまけに世間知らずで、文句垂れで、生意気。   だけど」
 彼の言葉を聞く余裕の無いチェルニーは丸い目で彼を見詰めるだけで、彼の不意のキスを拒むことは無かった。
「スゲー綺麗だ。一々仕草も可愛くて、なんていうか……あ、あんた、いや、君が好きなんだ。チェルニー……俺は、君が」

 多少しどろもどろな部分もあったが、大方の内容を纏めると、これは愛の告白以外の何物でもなかった。だが当のチェルニーがバルロイの言葉を理解するには、また暫く雨の木霊を聞く事となる。……その後のチェルニーの目は細く閉じられ、まだうっすらと紅潮する顔をバルロイから背けた。
「……う、嘘だ。わ、私をからかうなっ」
「君は、俺の事……嫌いか?」
「………」
 いつぞや尋ねられたときはきっぱり答えた質問だ。だが、今回の彼女は下に組み敷かれて、本気の目をしたバルロイに問われているのだ。
「……ぅ……き……   
「ん?」
 何か呟いた様子の彼女の口元に耳を傾けるバルロイに、急に向き直ってチェルニーはこう答える。
   嫌いだ。反吐が出る。……だが、他に男もいないし……」
 そう言った後、下からバルロイの首に抱き付いて、触れた服を彼の肌にくっつかせる。戸惑う様子のバルロイに、チェルニーは続いてこう言ってやる。
「仕方ないから……好きっ……だ」
「………」
 そうしていると、お互いの体温を肌で感じあう。お互いの体は、雨に濡れて酷く冷たかったのだ。チェルニーはバルロイの体をまじまじとみて、こんな事を提案する。
「なぁ。……べ、別に火を起こせない訳ではないが、このままでは少し、寒いな。どうすれば暖まるかな、バルロイ」
「エルロイって呼んでくれ。……いい方法がある」
 エルロイ本人がそう言うと、そっとチェルニーを押し倒し、口付けを交わす。柔らかい唇がお互いの息遣いを確かめ合うと、自然に舌が絡み合う。
「ん……ちゅぱ……ちゅ……」
「くちゅ……ぺちゃ……」

 暫くお互いの唾液と息遣いを交し合った後、チェルニーはエルロイを下に組み敷き、馬乗りに成った状態でニヤリと笑う。
「貴様が上に居るのは気に食わない」
「ご勝手に、お姫様」
 お互いの意志を目で確認した後、下着一枚で隔たれたエルロイの股間をチェルニーの細い指が這い始める。その度に脈々と脈打つその臓器は嬉しそうに躍動するのだ。
「貴様の此処、熱いな……。暖める必要ないんじゃないか?」
「うん? じゃあ、鎮めてくれ。君が傍に居る所為で抜けなかったんだ」
「う。……ど、どうやれば……いいのかな……?」
 そんな事を呟くチェルニーに、エルロイが驚いたように起き上がる。
「……まさか、未経験?」
「う!? そ、そんなことはないぞ!」
「いや、里から出たばっかりだって言ってたじゃないかよ」
「ん……うるさい! こ、こういうのはだな……!!」
 そういいながら相変わらず下着の上からこねくり回すチェルニーに、エルロイは複雑な気分を抱いていた。
「くぅ……サキュバス化してたら、こんなことには」
「!? き、貴様っ、私に売女になれと!?」
「そうじゃない! いや、そうかもしれないけど、俺は君がサキュバスだろうが、愛する自信あるからだなぁ!」
 そんなことをエルロイが言うと、チェルニーは紅潮する顔を下に向ける。
「そっ、そう言うの……なら、ちゃんと愛してくれよ……? エルロイ」
「……ああ」
 そうして、チェルニーは股間をエルロイの下着の隆起のところに持って行き、そっとスカートをたくし上げようと手を掛ける。
 が、その時だった。雨のカーテンの向こうから、なにやら泥を撥ねて走る音が微かに響いてくる。だが、お互いがお互いしか見えていない彼らにとって、それはバックグラウンドミュージックの一つでしかなかったのだった。

    パシャッ、パシャッ、パシャッ

「……はぁ、はぁ……。発作だ……」
「へえ、丁度良かった」
「ん……何を言っている……この、色情狂め……はぁ……はぁ……っ」
(……それ、どっちかってゆーと、俺の台詞じゃね?)
 チェルニーがスカートの中に指を入れて、なにやら弄り始めた。それを間近で見るバルロイの顔も赤くなっていく。
「はぁ、はぁ……私は、もうサキュバスだ……。エルロイだけの、な……か、覚悟、しろ……っ?」
 そう声を掛けて、エルロイが其れに答えるように笑んだ瞬間、雨のカーテンが騒がしく揺れたのだった。

 バシャッ
「あー全く、こんなときに雨かよ。さっきまで晴れてたのに、くそぉ〜」
「あ」
「……あ」



 ザァァ……



 暫く時間が止まった。愛の確認を始めようとした二人の前に突っ立っていたのは、さっき分かれたばかりのヴァーチャーその人だったのだ。裸のバルロイの腰元に跨るチェルニー。雨のカーテンの傍でそんな彼らと目のあったヴァーチャー。お互いの思考回路がショートし、修復には暫く時間が掛かるのだった。
 そんな中、先に口を開いた強者は、ヴァーチャーの方だった。
「……まず、ごめんと言いたいところやけど……あの、ちょっと雨宿りを」
    ジャキンッ
 そう聞くや否や、二人はそっと離れ、各々の獲物を手に取り、ヴァーチャーに黙って構える。対するヴァーチャーは必死に首と手を振って弁解を始めるのだった。
「いやいやいやいやっ!? ごめんってば! てか、その目は何!? “消えろ”と!? “即刻立ち去れ”と仰る!? この雨の中、此処から出て行けと!?」
 それ以外に皆が幸せになる方法など有りえない。二人の甘い時間を見事に破砕してくれた彼は「わああああん」と悲痛に叫びながら、雨の中に消えていくのだった……。



――――――――――



「チッ。邪魔が入った……くそぅ、折角……ああもう……っ!」
 チェルニーが何処か悔しそうに呟いたのは、すっかり天気が晴れ渡ったときだった。エルロイの服も既に乾ききり、二人は洞窟から外に出た。だがエルロイは今まで見せた事の無い笑顔をチェルニーに見せるのだった。
「やっと見付けたかも。幸運を掴むために、俺には決定的に足りなかったもの」
「な、なんだ? 唐突に……」
「俺の   幸運の女神」
 そう言って徐に彼女に口付けるエルロイ。臭い台詞が誰かから移ってしまったのだろう。チェルニーは即行でそれ蹴り飛ばす。
「う、うるさい! 誰が貴様なんかのっ」
 ゲシッ
「おふっ!?」
 どてっぱらに鋭い蹴りを入れたチェルニーは、打って変わって身を翻し、道に臨む。
「ほ、ほら! さっさといくぞ! 次の宿を……じゃなくて! “町”を探さねばっ」
「そんなにやりたいのか? だったらあの洞窟で済ませば」
「死んでしまえ!! 色情狂っ!!」
 ドガッ
「のほおっ!? くぅ〜……! 何度も蹴りやがって。病院行く金無いんだぞ、全く……」
(こんな男に付いて行って、私の将来は本当に大丈夫なのだろうか……?)
 こうして彼らは共に流れていくのだが、やがて“舞伯のエルロイ”は愛か何かの力で自堕落な生活から抜け出し、ある国の公爵になる幸運を掴み取るのだが、そのことを今の彼らが予想だにできる筈はなかったのだった……。

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【メモ-ニート】
“エルロイ=バルフォッフ”-Lv2

ダンサーとは名ばかりの風来坊(と書いてニート)の青年。ひと山当てようと、宛てもなくブラブラしているどうしようもない人。

口が悪く、卑屈な性格で、その上怠け者。だが頭は良く、洞察力にも優れ、意外と聡明という、生まれついてのツッコミ気質。但し、目に余る状況では自棄になったり暴走気味になったりする事もある。

一度鉄扇を開けばそのアルビノの姿も相成って、男とは思えぬほど繊細で、幻想的な舞を見せるなど、ポテンシャルは高い。内面がどうにかなれば確実にひと山当てられる男。

根は優しいのだが、人をみればまず“いい奴”か“DQN”かという、極端な区別をするきらいがあり、人を信じすぎたり疑いすぎたりした所為で心が曇って親切心が薄れていた。

レベル低い癖に回避力が矢鱈高いチート。

10/07/26 22:23 Vutur

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