連載小説
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1‐2 あのメロディが聴こえる
「シグリア先生、当分部活指導に来れないってさ、誰かなんか知ってるか?」

 部活前ミーティングで部員たちを集め、問いただしたのは部長である冴子だった。種属はアマゾネス。

「知らねぇっスよ」
「プロの試合近かったっけ?」
「試合前も来てただろ?」
「まさか、恋人との逢瀬の約束をしてらっしゃるとか?」
「ずりーなそれ!アタシらもデート行っていい?」
「駄目だって!次の試合相手誰だと思ってるんだ!?」
「しかし、あのシグっち先生がねぇ……お相手はさしずめ筋肉モリモリマッチョマンの変態かしら?」

 必要性の高い事象以外は誰にも話さないシグリアのことなので、昨晩のことを知る者は誰一人といなかった。部員たちが憶測や愚痴に花を咲かせていた。そんな中で、雄二だけが冷汗をかいて震えていた。冴子はそれを見逃さなかった。

「おい雄二、お前なんか知ってるだろ?」
「えっ……いや、し、知らないです……」
「その挙動でよく誤魔化せると思ったな、言え、さもなくばお前にだけ毎日シャトルランを課すぞ」
「アッハイ、実は……」

 雄二は昨晩の出来事を洗いざらい話した。シグリア先生に告白したこと。交際の条件に勝負を挑まれたこと。ほぼ全員が予想外のことだったらしく、バラエティー番組のギャラリーのような驚きの声を上げていた。

「しっかし意外だなぁ……お前があんな眼鏡ゴリラ天使みたいなのが好みだったとは……」
「なーるほど、それならシグっち先生と毎日居残りするわけだ」
「条件を出すなんて頭が固いというか御伽噺みたいというか……」
「でもこの部唯一の童貞君と唯一の処女同士お似合いじゃないかしら?」
「あの……皆さんの馴れ初めもこんな感じなんですか?」

 皆が口々に所感を述べる中で、唯一の童貞である雄二は先輩たちに馴れ初めを質問してみた。恋人のために戦うという話はよく創作の題材でも聞くが本人から挑まれるなど、聞いたこともないので、経験があるなら参考にしたいと雄二は思っていた。

「アタシは逆だけどなぁ、コイツが『俺と勝負して勝ったら付き合ってやる!負けたら二度と俺の視界に現れんな!』なんて生意気に言うもんだからリング上で叩きのめしてやったの!それがアタシたち馴れ初めとアタシがボクシング始めたきっかけだったぜ。なぁ大樹?」
「それ言うなって!」

 そう言って彼氏の大樹をからかうのは、ハイオークの叶だった。二人とも入賞経験のある実力者ではあるが大樹はいつも叶には勝てず、尻に敷かれている。
 しかし、他の者はマネージャーからだとか、幼馴染だとか試合を見たからだとかでありきたりで参考にならなかった。

「しかし、シグリア先生も面倒な方ね。私なら告白されて即OKだったのに……なんか変わったプライドでもあるのかしら?」
「シグリア先生って経歴は謎だけど、聞いた話では天界出身らしいね。天界で生きてた分も含めると、サッチー先生よりも年上って話だよ。だから考え方とか価値観も昔の強き勇者に添い遂げる気高きヴァルキリーに近いんじゃないかな?ところで、冴子部長はどうだったんですか?彰副部長との馴れ初めはどうだったんですか?」

 さらっと雄二初耳のシグリアの知られざる過去エピソードを交えつつ、サキュバスの静の彼氏、大輔さらりと冴子へと質問した。それまで腕組みして黙って聞いていた冴子は眉間にしわを寄せて雄二を睨みつけていた。

「……叶に近いとだけは言っておくが私がどうとか、先生がこうとかこの際どうでもいい……雄二、お前はどう思っているんだ?」
「もちろん、シグリア先生が好きなのは事実です……でも」
「そうじゃない!勝ちたいのか?それとも諦めるのか?」
「勝ちたい……です……けど……」

 雄二はか細い声で答えた。昨晩のようにシグリアとの実力差を誰よりも知ってる雄二の口から「勝つ」と断言することはとてもできなかった。怖気づいた雄二を見て冴子が目の色を変えた。

「ドアホ!そんな弱気でどうする!?勝ちますって断言せんか!!」

 部室内に冴子の怒鳴り声が響き渡る。雄二のみならず、聞いていた部員全員が電流を流されたようにビクンと震えた。

「お前の先生に対する思いはその程度か!?覚悟を決めろ!!先生には先生なりの理由があるんだ!本当に好きなら、たとえそれが世間からみて非常識だとしても、それに応えるのが恋人ってものじゃないのか?そんなことも受け入れられないならさっさと諦めてしまえ!!何も先生は地下闘技場で優勝しろとか、魔王を倒せとかそんな無茶を言ってるわけではないんだろ!?」
「でも昨日も四ラウンドが限界で……」

 捲し立てる冴子に雄二は消え入るようなか細い声で呟いた。冴子の怒号に怯んだからではなく、覚悟を決められない己の心と体の弱さに打ちひしがれて、涙目になっていた。

「だったら一〇ラウンド耐えれるまで練習を重ねればいいだろ!?そんなこともわからんのか!!」
「四ラウンドも耐えたの……?」
「あの殺人的なラッシュを!?」
「マジかよ……」

 弱気になる雄二を更に畳みかける他所で皆が驚いていた。ほぼ毎日シグリアと拳を交わした雄二には実感がなかったが、雄二が弱いのではなく、シグリアが強すぎるのであって、彼女とのスパーリングでKOされるのは他の部員も同じであった。そんな中でジュニアのフルラウンドである三ラウンドを超えて耐え抜いた雄二は彼らの称嘆に値するものであった。

「でも……どうすれば……」
「勝てるかどうか私は知らん。重要なのはお前の意思だ。だがお前が少しでも勝つ可能性を高めたいなら、勝とうという意思があるのなら……私たちは協力する」
「え?たち?」

 冴子の威勢に押し黙っていた部員たちがお互いに顔を見合って困惑していた。そんな彼らに釘を刺すように冴子は更に捲し立てた。

「当たり前だ!同じ仲間として、恋愛の先輩として、その恋路を応援していくのが私たちの責務だろう!!それにこの部でいつまでもお前だけ童貞でいては部の沽券にかかわるし、あのシグリア先生が勝負に負けるところも見てみたいしな……雄二、険しい道のりになるぞ。覚悟はできるか?」

 当事者でないどうでもいいような悩みにも真剣に寄り添い、手を差し伸べる姿勢、冴子が部長たる所以がよくわかる一幕だった。雄二は涙を拭うと、力強く冴子を見つめて答えた。

「はい!やります!!シグリア先生に勝ってみせます!!」
「よし!なら決まりだ!地獄の方がマシってレベルで鍛えてやる!地獄をみたことないがな!」
「俺たちも容赦しないからな?覚悟しろよ?」
「シグっちに負けたらただじゃ済まないからね?」
「見せてやれ!下剋上!!」
「いっそのことリング上で押し倒しちゃえ♡」
 
 部室は雄二を励ます声で満たされていた。自分をここまで叱咤激励する仲間たちに囲まれ、雄二は涙を拭ったはずの目頭が再び熱くなるのを感じた。この仲間たちがいてくれるならどんなことでも頑張れる、彼らの支えを裏切ってはならない、絶対勝たねばならない。雄二はあらゆる艱難辛苦を受け入れる強い決意を固めた。



◇ ◇ ◇ ◇



「最近、雄二バス乗んねぇなぁ〜親のギシアンくらいじゃ動じず寝れるようになったのかぁ〜?」

 ヘルハウンドのリカがいつものバスを運転していた。だが、ここ最近話し相手の雄二が乗って来ず、彼女にとっては退屈で仕方ない勤務時間だった。

「はぁ〜仕方ねぇこの鬱憤は帰ったらアタシの奴隷で発散するとして……ん?あれ雄二?」

 ふと歩道に目を遣ったリカは歩道に見慣れた人影を発見した。リュックを背負って半袖短パンの軽装で歩道を走っていたのは紛れもなく雄二だった。雄二の進行方向手前に丁度バス停があったため、リカはそこにバスを止めると通り過ぎる雄二に向って叫んだ。



「おい雄二!なんで最近バスに乗んねぇんだ?こっちは話し相手がいなくて退屈で仕方ねぇんだよ!」
「ごめんリカさん!特訓で当分バスに乗れないや、じゃ!」
「あ!おい!……ははーん、こんなに張りってるとは、さては女でもできたか?そんときゃアタシのプレイを伝授してやんないとな!!」

 去り際に見せた雄二の真剣な眼差しに恋煩いの香りを察したリカはニタニタと笑いながらバスを発進させ、荒い息を吐きながら再び走り出した雄二を横目で追い越していった。
 あの日以来、雄二は自転車で三〇分はかかる道のりを全てランニングにした。一〇ラウンド耐えきれる持久力をつけるためであった。雨の日も風の日も走った。オフの日も脚に負荷をかけぬように速度を控えめに長時間走った。休日は隣の更に隣の町まで走ったこともあった。そしてある程度走ると、その場で人目を憚らずシャドーボクシングをする、絵で見たようなボクサー仕草をするようになった。

「お前に今最も必要なのはこの三つ、防御力、回避力、そしてカウンターだ。つまりは一発でも多くの被弾に耐えうる堅牢な肉体装甲、『当たらなければどうてことはない』を素で行く俊敏性と反射神経、そしてそんなお前が先生からダウンを奪い、KOの可能性も範疇に入る起死回生の諸刃の刃、この三つを重点的に鍛えていくぞ!!」

 冴子部長のお達しで雄二は基礎練習に加え、この三つを重点的に絞り込んだ特訓を積む事になった。

 防御力強化では、首、腹部の筋力トレーニングが行なわれた。特に腹は徹底的にイジメ抜かれた。五キログラムを超すメディシンボールを腹に叩き込まれる上、冴子含む階級・体重が大きく異なる先輩方々から穴が開きかねない激しい腹パンの洗礼を受けた。

「打たれた瞬間、反射的に副圧に力を込めて『ハッ』と息を吐き出すんだ。ちょうど、ビーチボールの空気を抜く時のように。これぞ名付けて、『腹の呼吸、一の型、ゴム毬』だ!!」

 冴子の放った某鬼を滅殺する大ヒット漫画を捩ったアドバイスは雄二含む、部員全員がどう返せばいいのか分からず、黙り込んだ結果、部室が微妙な雰囲気に包まれたので特に印象に残っていた。

 回避力強化では反射神経や動体視力のトレーニングが重点的に行われた。回転棒付きパンチングボールやスパーリングなどの実践的なトレーニングは勿論、数字を一から順に追っていくコンピューターゲームの類の練習は疲労回復オフの日でも容易だったため、積極的に行われた。

「ピッチングマシーンから放たれるボールには一つ一つ異なる数字が書かれている。それを当てつつ、ボールを避けろ!瞬きする暇はないぞ?準備はいいな?大丈夫だ、シグリア先生のパンチに比べたらまだマシだぜ?」

 野球部からピッチングマシンを無理矢理借りて行ったこの練習は、特撮好きの先輩が作中で見たものを参考にしたものらしいとのだった。使った軟式球とはいえ、スピードが速い分運動エネルギーが強く当たれば痛かったし、豪速球が向かってくる恐怖も半端ではなかった。しかし、確実の読み取りと回避が同時にできるようになって、自信の力が増していくことが一番感じられる練習であった。

 カウンターは普段のマスボクシングやスパーリングに取り入れられた。これといったマニュアルや正攻法がないため、これは実戦で覚えていくしかなかった。攻防の癖は人によって大きく異なり、防御の硬い大樹からは攻撃を誘ってその隙をつき、相手の攻撃を許さない連続攻撃が得意な叶からは防御と回避の合間に瞬時に弱点に打ち込むことを教わった。

「カウンターはなぁ、狙って打つもんじゃねぇ。本当にここぞって時まで取っとけよ。じゃなきゃオメェが返り討ちにあっちまう。諸刃の刃だ。だけど、もうヤバい、次打たれたら立てないって時に一か八か賭けて狙ってけ。それまでは堅実に守りを固めとけ。それとタイミングはセンセの試合動画見て探ってみろ。ネットにも上がってるのもあるし、ご丁寧にも部室に全試合の動画置いてくれているからな」

 叶のアドバイスを参考に雄二はシグリアの動画を視聴した。あらゆる攻撃に動じない精悍な顔つき、岩のように角ばり、波のように躍動する筋肉、動作に一切の無駄がない洗練された動き、スズメバチのように容赦なく相手の鼻っ面に突き刺すパンチ、その度に彼女の口から吐き出される、鳥の囀りのような息継ぎの声、汗に濡れて照明の光を照り返す体、彼女の拳を覆う、風船のように赤く大きいボクシンググローブ、そんな彼女の力強さと美しさの両方を併せ持つ彼女の動画を雄二は――――
自慰のオカズに使った。

 雄二は彼女の試合シーンを見ると下半身が奮い立ってしまうのだった。特に、少し前まで相手を殴りつけていたグローブで覆われた拳で、絹のような金髪を掻き上げたり、インターバル中に唾液でてらてらとしたマウスピースを吐き出し、口から唾液が糸を引いていたり、トランクスの裾やスカートの切れ目から太ももを締め付けるスパッツがチラリと覗いたり、何よりもシグリアのような美人が、ボクシンググローブという、曲線的で可愛らしい見た目と裏腹に、装着者にパンチ以外の手の動作を封じる物騒な装具を身につけている事に強い性的興奮を感じてしまうのだった。そんな女性を間近で見れるボクシング部に雄二は強く惹かれたのだった。これが入部のもう一つのきっかけだった。
 しかしこれでは本来の目的が疎かになってしまう。欲望を白濁に乗せて吐き出した後、賢者タイムで理性的になった頭でそう悟った雄二は画面に食いつき、彼女の一挙一足をコンマ数秒単位で逃さずに研究したのだった。

 文化祭までの間、雄二の頭の中は四六時中、ボクシングとシグリアのことしかなく、生活もほぼボクシング一色だった。
母親に頼んで、料理はタンパク質中心のものにしてもらった。平日は雨が降ろうが風が吹こうが、走って登下校した。立ち止まればその場でシャドーボクシングした。学校では休憩の合間に試合動画を見たり、ボクシングの本を読んで勉強や研究を欠かさなかった。練習に入れば、グローブをはめて、サンドバッグやミットを叩き、仲間たちと渡り合った。ダンベルやバーベルを持ち上げたり、トレーニング器具を使ったり、タイヤを引きずったり持ち上げたり、スピッキングロープを跳んだり、バドリングロープを揺らしたりとルーチンから新しいものまで、トレーニングで全身を鍛え上げた。家に帰っても、ストレッチやシャドー、イメージレーニングにオナニー後の動画視聴の試合研究を欠かさなかった。休日も普段の練習に加え、自主練を欠かさなかった。近隣のジムに電話して、強豪の選手とのスパーリングも申し込んだこともあった。十人十色、異なる戦い方のその体で実感して、立ち回りを覚えていった。

 そんな雄二の体は毎日どこかが筋肉痛になっていた。心臓や肺が口から吐き出されそうなくらい苦しいこともあった。嘔吐感はあるのに吐き出せるものが唾液くらいしかなく、思うように呼吸ができず、苦しみに耐えきれずのたうち回ることもあった。できることなら、今すぐ逃げ出して、やめたいと思うこともあった。そんな時はいつもシグリアの顔を思い浮かべて自らを奮い立たせた。彼女と付き合える、そんな夢のような目標に僅かながらも近づける、そう言い聞かせると苦痛も耐え難いものではなくなっていた。しかし同時に、この努力が敗北よって水泡に帰してしまったら、そんな不安も湧き上がってきた。その不安を振り払うように体を動かす、努力の無限機関が出来上がっていた。

 ボクシングとシグリアのことていっぱいの雄二の頭の中では、トランペットのファンファーレのイントロが特徴的なあるBGMがずっとかかっていた。ボクシング映画の金字塔であり、脚本兼主演の俳優が主人公と同じようにアメリカン・ドリームを体現させた、歴史に残る名作映画のテーマ曲だった。雄二はその主人公と自分を重ね合わせていた。無謀とも言える戦いに挑む、そして恋人をモチベーションに過酷な特訓を耐え抜く、同じ状況に立っていた。最も、こっちはエイドリアンとアポロが同じ人物だという決定的な違いがあったが。
 作品は試合そのものには負けたが戦いに勝ったハッピーエンドで締めくくられた。雄二も同じもハッピーエンド実現させろと自分に言い聞かせていた。
 ある日、ランニングで隣町まで走った雄二は小高い丘のある公園にたどり着いた。はっと気がついた雄二は、聞いていた音楽を例のBGMにするとそのテンポに合わせてリズミカルに階段を駆け上がっていった。リズミカルに一歩一歩力強く踏みしめながら。そして最上段まで登ると振り返って、眼下に広がる町を見渡しながら、両手を天に突き上げ、そして叫んだ。

「僕はやるぞー!!やってやるぞー!!待ってろ!!シグリア!!」

 好きな作品の登場人物と重ね合わせ、無性に真似したくなってしまうことはだれにでもあるだろう。雄二のこの行動もそれと全く同じことだった。ただ、その決意は雄二の心の奥底で燃え盛る、本物の意思だった。

 この間、部の指導にシグリアは来なかった。代わりに全て冴子が仕切っていた。とはいえ、部活動の顧問がサービス残業に近い実態も多かった時代と比べ、大幅に自由が効くようになった現代では顧問が長期間、彼女のように、顧問が顔を出さないことは珍しいことではなかった。また彼女は雄二の担任であったが、最低限のコミュニケーションしか取らず、HRも授業中も一方的に淡々と喋る態度は相変わらずで大きな変化がなかった。部員たちが箝口令を敷いたこともあり、雄二とシグリアの関係が露呈することはなかった。ただ、露骨に目線は合わせなかったうえ、雄二も彼女を目線に入れると、胸の奥底が激しく動悸し、燃え盛るように熱くなるのを感じてしまってまともに見ることができなかった。

 そして永遠に続くと錯覚するような艱難辛苦の日々はあっという間に過ぎ去り、ついに運命の文化祭の日を迎えた。 
21/03/01 21:55更新 / 茶ック・海苔ス
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■作者メッセージ
ボクシングの性癖の下りは実話です

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